[9188] 月さびよ明智が妻のはなしせむ
投稿者:naka
投稿日:2015年01月19日 (月) 23時40分
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今日、西教寺を訪ねた。境内の一角に明智光秀一族の墓所があり、碑文に出会った。感激のnakaでした。 ””月さびよ明智が妻の咄せむ”” 芭蕉 奥の細道 福井丸岡の宿での一句。
将軍明智が貧のむかし、連歌会営みかねて侘び侍れば、其の妻ひそかに髪をきりて、会の料にそなふ。 明智いみじくあはれがりて、いで君、五十日のうちに輿にものせんといひて、頓(やが)て云いけむようになりぬとぞ。 月さびよ明智が妻のはなしせむ
又玄子(いうげんし)妻にまいらす。
明智が妻「 月さびよ」の句文)西教寺にありました。 伊勢の国又幻(いうげん)が宅へとどめられ侍る比(ころ)、その妻、男の心にひとしく、 もの毎にまめやかに見えければ、旅の心をやすくし侍りぬ。 彼日向守(かのひゅうがのかみ)の妻、髪を切りて席をもうけられし心ばせ、今更申出て、
月さびよ明智が妻の咄(はな)しせん 芭蕉
元禄2年9月、1689年、芭蕉46歳の「奥の細道」福井丸岡の宿場にて。 明智光秀が出世する前の貧しかった頃、 連歌会を催すもお金がなくて集まった人をもてなす膳の用意もままならない。 妻は黒髪を切り売ってその料とした。 光秀は妻への報恩を心に決め、出世の後には「 輿にものせん」の思いかなえ、 終生妻へのいたわりを欠くことはなかったという。 妻のけなげさと光秀の妻への想い。
煕子夫人がこんな素晴らしい奥さんなのです。光秀は反逆者ではない、 正しい倫理の人を後世に伝えたい芭蕉の気持ち。 誤解を招いてはいけませんから(信長が英雄で、光秀を反逆者に思う人のために)。 「月さびよ」:美しいお月さん、もっと美しいお話しましょ(^^♪ という呼びかけの意味でしょうね(^^♪芭蕉の自由奔放の表現でしょう。 今夜はしみじみと明智の妻のむかし物語をしようではないか。 nakaね、「本能寺」は起きても当然の「変」だと思っています。 本能寺で燃え盛る炎の中で蘭丸が「明智が手のものです」と言った時、 信長は 「是非に及ばず」 と云って自害したというエピソードは有名。 如何に強がりの信長でも「光秀の実力を解っていて恐れていたか」を察することができよう。
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