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- 無名 - 2007年12月04日 (火) 02時45分
本日の昼食。 メインは蕪と鶏肉のシチュー。 ニンジンのサラダには酸味の効いたヨーグルト風味ドレッシング。これは大佐のお気に入りらしく、 いつもよりもほんの少しだが食が進んでいる気がする。とは言え、元々食べるということに執着が薄い人なので、精々『御婦人向け小盛り』程度の量だが。 俺が大佐の護衛として任官し、そしてこうやって一緒に食事を取るようになって早くも数ヶ月が過ぎた。 最初の頃は遠巻きにしていた友人達も最近は慣れてきたのか、大佐が隣に座っている時にも以前のように近くに席を取り、話しかけてくるようになった。流石に大佐御本人に直接雑談を仕掛けるものはいないが、それでも以前よりはかなり和やかな食事時間といえるだろう。
「前々から思っていたんだが…」 ふと思いついたように、向かいに座っていた友人が口を開いた。 「んぁ? はんら?」 ちょうどスプーンを口に含んでいたために上手く言葉が出ない。代わりに大きく首を傾げて友人の言葉を促した。 「最近とみに、尻尾が揺れてるな」 「あ?」 今度は言葉の意味が分らず、反対側に首を傾げる。 だが、その意味が理解できなかったのはそう言われた自分だけらしい。 周囲に座っていた友人達は、あぁとか、そうだなーとか、確かになどと友人の言葉に納得したように頷いていた。 憮然とした表情で、口の中身を飲み込んで訊ね返す。 「なんだよ、それ」 「いや、言葉通りの意味だが」 友人は、理解できない様が分らないと言うように軽く肩を竦めた。 「俺に尻尾なんてないぞ。お前じゃあるまいし」 友人の長く伸ばして結わえた髪をスプーンで指し示す。これは尻尾じゃないなどと眉を寄せつつ、だから、と繰り返す。普段は厭味やからかい交じりではあるが、何かと物事をはっきりいう性格の友人には珍しく、どう説明すればよいかと迷うように視線が宙を揺らいでいた。 一体何なんだ、とまた先を促そうと口を開きかけた俺を止めたのは、隣に座っていた大佐だった。 「………つまり、こういうことだろう?」 大佐の声に、周囲は驚いた様子で動きを止める。 俺が話を向ければ返事を返してはくれるものの、大佐が自分から俺たちの会話に加わるのはこれが初めてである。本来ならばこうやって食事のテーブルを共にするのも憚られるほどの立場なのだからそれは仕方の無いことではあるが。 食事を終えたフォークをトレイに置いた大佐は、音も立てずに立ち上がる。え、と思った瞬間、不意に顔を覗き込まれ、すっと目の前に手を差し出された。 色の付いたレンズの向こう側に見える金色の目が真っ直ぐに俺を見詰め、そしてその薄い唇が言葉を紡いだ。
「―――お手」
言われた命令の意味を考えることもなく、俺の身体は命令を実行していた。 それは多分、脊髄反射と言われるモノだったのかもしれない。 自らの掌に手に乗せられた俺の手を見て、大佐は、ほんの少しではあるが唇の端を持ち上げて、笑った。 固まっている周囲を余所に、最初に尻尾が揺れていると評した友人が派手に噴出す。 「そういうことです、大佐」 流石です、と軽く拍手までしている友人に軽く頷きを返すと、大佐はその手を握ろうと無意識に動き始めていた俺の手を解く。 離された手を惜しいと思う間もなく、今度はその手で柔らかく髪を撫でられる。いいこだ、とあやすような声が聞こえて、耳元がカァッと熱くなるのを感じた。 「では、失礼させてもらう…君はゆっくり食事を楽しんできたまえ」 一足先に食事を終え、トレイを片手に泳ぐような優雅な足取りで去っていく大佐を見送る。 何かを言おうとするが声にならず、と言うか、何を言っていいのかも分らないままただぱくぱくと口が開閉する。 耳元どころか、頬や首筋までが熱い。鏡なんか見なくても、真っ赤になっているであろうことが自分でもよく分った。 伸びた髪を猫の尻尾のように揺らした友人はスプーンで俺の顔を指しながら、ほらまた、尻尾が揺れているぞと笑った。
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