[80] 四人で逃亡・街到着(大佐+兄ちゃん+S君+J君) |
- ななし - 2007年07月20日 (金) 15時56分
人の行き来が多い街というのは、様々な者が紛れ込むのに何より適している。木を隠すには森の中、という奴だ。よその街で犯罪を犯した者、別の国から逃れて来た者達が、こういった街にはよく集まる。治安はよくないが、その分中に入ってしまえば比較的楽に物事が行えた。 ムスカ達一行は一旦街の外で別れると、数日を掛けて別々に、それぞれのルートで旅行者として入り込んだ。検閲もあったが、引っ掛かるようなへまはしない。もっとも嘘のつけない一般人である男は、中身も外見もあまりにも一般人であるが故にもっとも疑われなかった。 落ち合う約束をしたのは、決まった場所ではない。 『街で一番大きな駅から見渡せる範囲にある、1階が飯屋になっている宿屋で』 『屋号に数字が入っていて』 『複数ある場合は最も数字が小さく名前の前の方にある、屋号の短い方の店』 とした。
街に入ってみると駅は大小含めて3つあり、かなりの混雑に見舞われていた。しかし何事かのイベントがあるような日でもない。宿は取れそうだ、とムスカは、駅前のスタンドに立ち寄ってコーヒーと新聞を頼んだ。薄く熱いだけのコーヒーを啜り、新聞を開ける。字を目で追う振りをして、さも今気付いたようにスタンドの主に声を掛けた。 「この辺りに宿は?」 「宿がなきゃこんな街ぁやってけねえな」 ムスカは得たりと頷いた。 「その中に数字のついてる宿はあるか?出来たら数字は小さい方がいい、ジンクスでね」 「若けえのに縁起担ぐ奴だな。飯も食える所所がいいのか?」 ムスカはこくりと頷いた。主は豪快に笑い、皺深い指を右手に向けた。 「レンガの、黄色い屋根の、見えるか、兄ちゃん」 「大きい電灯の隣だね」 「あの向こうが3匹の子豚亭。で、こっちが」 指を左に移す。 「緑の戸の家があるだろ、あの2軒隣が3人の魔女と大鍋亭だ」 ムスカはふぅむと頷いた。 「子豚かな。魔女は怖い」 主はひゃっはっは、と豪快に笑った。 「そんなひょろっこい体してっからだ!飯食って太りな、若けえの!」 「…………」 ムスカは軽く頭を下げ、スタンドを離れた。余計な世話だという言葉は胸の内にしまった。
3匹の子豚亭は、入口からして薄汚れた、よく言えばこの街に相応しい形をしていた。 木戸を押して入ると、昼間だというのに饐えた酒の臭いがむっと充満していた。ぎしぎしと音を立てる汚れた床を踏み、奥に進む。カウンターの中に居る老婆に声を掛けた。 「部屋を…」 「満室だよ」 老婆はムスカをじろりと睨むと、つっけんどんにそう言った。 「……空き部屋の札が出てる」 老婆は一旦下げた目をまたムスカにやり、じろじろと値踏みをするように頭から爪先までを眺め、無愛想な表情そのままに空き部屋の札を引っくり返した。 「今満室になったよ」 ……これはない。 呆気にとられていると、後ろからドンと背中を叩かれた。 「よーぉ兄ちゃん、どうした!へっへっへ、俺が奢ってやろうか?ん?」 酒臭い息が背後から掛かり、ムスカは顔を顰めた。 「どっかへお行き、よいどれのクズが。このボーヤは何でもないさね。ほら、あんたもとっとと出てお行き!うちは子供が来るような店じゃないよ!」 よいどれって婆さんひでえよー、と男が笑った。ムスカが立ち止まっていると、老婆は猫の子でも追い払うような仕草で手を振った。 「お行きったら!あんたみたいなのがうちに泊まったら、そこの馬鹿みたいなのに食われっちまうよ。通りを出てまっすぐ進むと白い木の幹って宿がある。ちょっと高いが、うちよりゃマシだ。行きな」 顎をしゃくる老婆に、ムスカは困惑の表情を見せた。ぽつりと呟く。 「あ……あまり、か、お金がなくて……」 「しつっこいね。塩でも撒いてやろうか」 本当に塩を取ろうとしたのか立ち上がった老婆の背後にある扉から、大きな男がぬっと現れた。 「ばーちゃん、じゃがいもと小麦粉、運んだよ。厨房の机の上に5箱ね。ついでに酒瓶も棚に入れといた。他何か重いもんあったら言いなよ、運んどくから」 出て来た男は、老婆の肩をぽんと叩くとにっこり笑った。 「ありがとうねえ、おまえさんはいい子だ。あんたのお陰で今日はね、もう仕事は……ああ、そうだ。悪いけどそこのボーヤを白い木の幹亭に持ってってくれないかい」 「ん?いいけど、この子どしたの?」 急に顔を向けられてムスカが戸惑っていると、老婆が吐き捨てるように言った。 「うちに泊まりたいなんて言うんだ。おまえさんみたいにまっとうでも腕っ節が強そうならいいがね、ばばんとこに泊めるにはちーと無茶だろう」 なるほどねえ、と男は頷いた。 「おいで、連れてってあげるよ」 ムスカは慌てて首を振った。 「手持ちが少ないんだ。大人しくしてるから、ここに泊めて欲しい」 「あんたが大人しくしてても、うちに居る馬鹿どもはそうじゃないんだよ」 老婆とムスカに挟まれた男は、困ったように頭を掻いた。きょろきょろと忙しく視線が老婆とムスカを行き来する。やがて、頭を掻いていた手をムスカの肩に置いた。 「ばーちゃん、この子お金ないって」 「知らんよ」 「俺の借りてる部屋に泊めてあげるの駄目かな。予備のベッド、俺が入れるから」 老婆はきょとんと瞬いた。 「……あんたの部屋、もう1個ベッドなんて入れたら歩く場所もなくなるよ」 「いーよ別に、寝るだけだし。君もそれでいい?」 ムスカはぶんぶんと頷いた。老婆は暫く黙っていたが、やがて渋々と頷いた。 「いいかい、大人しくしておいで。ばばの見える場所か、この子の居る所以外は誘われてもついてくんじゃないよ。酒や飯も奢られちゃ駄目だ」 ムスカはまたも頷いた。老婆の出した宿帳に、サインをする。 「ロムって言うのかあ。よろしくな。じゃあこっちおいで、俺の借りてる部屋、2階だから」
部屋に入った瞬間、男が盛大に溜息をついた。 「あぁああああぁ、き、緊張……したあぁああぁ」 触って触って、心臓ばくばく言ってるよ!ムスカの手を取り自分の胸に導いた男は、5日前に別れた一行のうちのひとりだった。ムスカも、首筋に浮いた冷たい汗を拭う。 「こっちが緊張したぞ。何を馴染んでいるんだ、君は……」 「だってばーちゃんがさあ」 男は丁度3日前の昼にこの宿に辿り着いたのだと言った。部屋の鍵を受け取っている最中に、屋根を修理していた老婆の息子が足を滑らせて落ち、足と腕を骨折して入院する騒ぎが起きたのだと。 「ばーちゃんとおっちゃんの2人でやってる宿でさあ、おっちゃん居ないと力仕事のやり手がいないだろ?俺暇だし、手伝うよって言ったら、ばーちゃん喜んでくれてさ」 「あとの2人は?」 「もう着いてるよ。夜中に来ると思う。ムスカが一番遅かったからさ、あと2日待って来なかったらあの人たちが探しに出る予定だった」 「なるほどね」 上着を脱いで、ムスカはベッドに腰を掛けた。赤茶色のブレザー。 「……この変装には難があり過ぎる」 「え、でも軍のお偉いさんには見えないから大丈夫!」 「そうじゃない」 ムスカは重い溜息を吐いた。 それぞれに怪しまれないような変装をして、街に潜り込む手はずだった。前の町で手に入れた服や小物は、何よりも怪しまれない事を前提にしている。男は何をしても怪しくなりそうだったので、正直に「田舎から出て来た男」で通す事にした。元制服組の連れは「自分で自分を怪しくないと言いそうな商売人」、元特務の部下だった連れは「旅行記を書きながら旅をしている若者」、そしてムスカはというと。 「大体、誤魔化す年齢に無茶があるんだ」 「えー、大丈夫大丈夫、ちゃんと学生に見えるってば」 学生。学生だ。三十路も間近な自分が何故、とムスカは前の街でも無茶を言い張ったが、誰もムスカの意見に耳を傾けなかった。渋々了承したが、街に入るときも気が気ではなかった。実際、汽車を降りる時に検閲の兵から声を掛けられた時は、やはりと冷たい汗をかいたものだ。しかし、 「この街は治安が悪いぞ。気をつけろよ」 なんて背を叩かれ、ほっとしてよいのやら複雑な心境を味わった。その上この宿の老婆だ。 「いい面の皮だ」 「何で?似合うよ?」 短くそろえた髪を撫でられ、ムスカはもういいとそっぽを向いた。
夜、男が言うように、二人の連れがやって来た。彼らは彼らで別に部屋を取っているらしい。 「大佐、ご無事で何よりです」 「心配してました。部屋どこですか?」 訪ねて来るのに、ここだと答える。 「ここあいつの部屋でしょ?」 「……一人では入れて貰えなかったのだよ」 苦々しく言うと、ああなるほど、と納得をされてしまった。 「晩飯食いました?」 「今、とって来て貰っている」 言うなり扉が開き、男が大きな皿を幾つか持って現れた。 「持って来たよー、って、あ、もう来てたの?」 「俺らも飯まだなんだ。ちょっと取って来るから、食いながら話そう」 男に、元特務の青年が言い、入れ違いに部屋から出て行く。元制服組の男は横に退けたテーブルをがたがたと動かして、ベッドの間に持って来た。 「椅子は無理ですな。ベッドに座って食いましょうや」 皿がそろうと、誰からともなく道すがら得た情報を吐き出しにかかった。男はこれにあまり参加出来なかった。元制服組の男が、現在居る街の治安や警備体制について、かなり細かい所までを調べ上げていた。元特務の青年は、蛇の道は蛇と言いながら、近隣の街の追っ手状況を。ムスカは、道々で見た兵士の特徴から、治安維持部隊の種類と命令系統、上が誰であるか、兵達の上への服従度などを推測していた。食事が終わる頃には、互いの手にかなりのカードが揃うまでになっていた。 「いいですねーこの街。中々に」 「絶好ですな。大佐のお考えは?」 ムスカはフォークを置くと、グラスを指先で突いた。 「表方面でこれだからな。スラムの方に入ってしまえば、もう向こうにはお手上げだろう。まともに動けるようになるまではここを拠点とすべきだ」 大量の痛み止めと、化膿止め。それに気力。ムスカが今現在ここでこうして食事がとれているのは、それがあるからに過ぎない。化膿止めはまだしも、痛み止めはこれ以上の乱用は危険だった。 「大佐、薬は」 「明日の昼の分まではある」 「決まりですな。朝のうちに、私が南のスラムで手頃な物件をさらって来ます。昼の薬を打ったら、そのまま宿を出て下さい。おまえらもだ、別々に。いいな?」 3人は頷いた。 「待ち合わせは?」 「街の南に一番小さい駅があるんで、そこの近所はどうでしょうね。確か噴水があった筈なんだけど」 「水が出ない、子供の像が立ってる奴?」 「それ、それ」 「じゃあそこで。14時でいいかな。大佐、地理はわかりますか?」 「駅で地図を見て覚えた」 「では」 と、水を手に取ろうとした男の袖が、グラスに引っ掛かった。中はあまり入っていないがそれでも机に水が広がる。ベッドにかかっては大事と、青年が立ち上がった。 「もー、何してんだよ、鈍臭いなあ」 「ご、ごめん」 「はい、ハンカチ。タオルある?」 「今出す。ベッド濡れちゃってないよな?」 幸い水が少量だったこともあり、ベッドは無事だった。ハンカチを青年に返そうとした男が、ふと青年の足の横に落ちた小さなものを摘み上げた。 「なにこれ?」 「おっと、落ちてた?ありがと」 「……まだそんな粗悪品を使っているのか」 顔を向けると、ムスカが苦々しそうに男の手の中を睨んでいた。青年はムスカの言葉を聞いてうひゃっと舌を出したが、悪びれなく、いやぁ、と頭を掻きながら笑った。 「ほら俺下っ端だから、中々いいのが回って来なかったんですよねー」 何の話?と首を傾げると、青年は男の手から小さなそれを受け取り、これはこうしてね、と指先で摘む。爪ほどの大きさをした楕円のそれは、青年の手の中でぱかりと二つに割れた。中は空洞だ。 「捕まっても見付かりたくない機密とかをね、この中に入れて」 きゅっと回すと再び楕円に戻る。青年はあぐっと大きく口を開け、飲み込む仕草をした。 ムスカは苦々しい顔のまま、胸元に手をやった。懐を探り、小さなケースを取り出す。 「内臓をやられるぞ。使うならこっちにしたまえ」 幾つかあるうちの一つをぽんと青年に投げると、受け取った青年はぱあっと陽のさすように笑った。 「うわぁ、いいんですかぁ、あ、これ一番いいやつだ!高いんですよね、嬉しいなあ!」 呆気に取られている男の首に、元制服組の男の腕がぐいと回った。 「言っとくがな、兄ちゃん。話に加わるなよ?私服組の会話は、普通にえぐいぞ」 「制服さんみたいに乱暴じゃないから、いいんですー」 キャッキャと喜ぶ青年に、男はようやく話の内容を飲み込んで頷いた。 「飲んじゃうのかぁ……腹、壊さない?」 「俺の持ってた奴は酷いけど、大佐に貰った奴なら平気。いい奴なんだー、これ!」 ふぅん、そうかぁ、と頷く。そうしてもう一つ、気になった所を訊ねた。 「機密って全部そんなにちっちゃいの?それに入らない奴はどうすんの?」 男の疑問に、ムスカがそうだなと頷いた。 「そっちも要るか?まだ使ってない予備ならあるが」 鞄に向かいかけたムスカに、青年は、とんでもない、と首を横に振った。 「俺まだそんな大層な機密持ち運んだ事ないから、元々持ってないんですよ」 「あ、やっぱりお偉いさんがおっきいの運ぶの?」 「そうとは限りませんけど、俺とかホント他愛ない奴ばっかだったから」 実験中の薬とかー、他国からかっぱらって来た金属片とかー。指折り数える青年を置いて、男はムスカに向かって首を傾げた。 「ムスカはもっと大きいの運んだ事あるんだよね。どうやったの?」 にっこりと笑いかけられ、ムスカはぐっと口を引き結んだ。それはねえ、と説明を仕掛けた青年の口を、元制服組の男が殴り付けて塞ぐ。 「いったいなあ!もう!何すんですか!」 「お前、もう口きくな!ったく、余計な事ばっか言いやがって!」 「あ、何ですかそれ!いざって時に有用なんですよ、入るだけ…」 「だから黙れつってんだろうがぁ!」 言い争う青年達の向かいで、男がムスカににこにこと聞く。 「軍部ってやっぱり便利なもの作るよねえ。大きいの入れるの、さっき出そうとしてたんだろ?な、見せて見せて。ちょっとだけでいいからさ。あ、出来たらどうやって使うのか教えて…」 「お前もちょっとだぁってろボンクラ!」 にゅっと伸びて来た手に頬を捻られ、男の口はみょんと伸びた。 「いぃいいたいぃたいいたいいたいいたたたた」
喧騒の只中で、ムスカはそろそろ寝ようと思った。 機密持ち運びの方法は、誰かに実地で見せるようなものではない。そして見せたいものでもない。しかし案外無邪気にしつこい男の質問を、自分がどこまでかわし切れるかはわからないなと思った。
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