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[69] 博士との話 (若博士Ver.)
774 - 2007年07月08日 (日) 22時49分

「わからんだと!?わかるまで調べ続けろ!」
それがお前らの仕事だと喚き散らす政府の高官を適当にあしらいつつ、ムスカは研究員に外へ出るよう促した。

「全く分からないという訳でもないのだろう?」
廊下に出たムスカが研究員に対して尋ねると、研究員は首を振った。
「本当に、わからないんです。粘土なのか金属なのかさえも!」
普段ならわからないと言う事を一番嫌悪している立場の者だ。彼は設備が足りないだの、もう少し予算が廻してもらえればだのと不平不満を言い訳のように繰り返していたが、ふと何事かを閃いたかのように呟いた。
「あの研究所ならもしかしたら――いや、しかし。」
研究員は諦めるように首を振ったが、ムスカがそれを逃すはずはない。

軍本部の敷地内にあるというその研究所は、意外にも自分の棟から離れていなかった。
「これほど近くに、そんな施設があるとはな。」
自分の権限では接触することもできないため、特務機関権限をもって上に話を通し、勅令の形をとる必要があった。
「これだから軍人というやつは。」
手続きが面倒で困る。しかし上さえ動かせばどうにでもなる。自分もその軍に属しているという自嘲めいた笑いを噛み締めながら、ムスカは扉を開けた。

固い安物の椅子に座らされた為か、その報告が先の研究員と変わらない為 か。ムスカは次第に苛立ちを隠せなくなっていた。同様に研究員達も分析不能の悔しさの所為で激してきた。大声と机を叩く音、そしてティーカップの割れる音がした時、その人は出てきた。

「うるさいな・・・。」
汚れて皺だらけの白衣、緩すぎるスリッパ、ズリ落ちた眼鏡にボサボサの頭。
「申し訳ありません!」
老齢の研究員が立ち上がり、明らかに寝起きのその人に謝罪した。その人の方がどう見ても若いのだが、この場においては一番の格上であるらしい。
「聞いてくださいよマイスナー博士!」
若い研究員がその名を呼んだ博士は、出されたパイプ椅子に腰掛けた。
「マイスナー?ヴァルター・マイスナーか?」
ムスカの問いに、彼は眼鏡をずり上げながら顔を上げた。
「うん?確かに僕はヴァルター・マイスナーだが。」
彼の表情を見たムスカは、その先の言葉を飲み込んだ。

一緒だったのは国中の優秀児を集めたクラスで、適性ごとに所属を割り振られる前のほんの3ヶ月。たまたま寮の個室が足りなかったとかで最初の1ヶ月は彼と同室に入れられていたのだが、どうやらまるで覚えていないらしい。
無理もない。クラスを受け持った担当者がムスカに対して社交性や協調性にA評価を付ける程度のクラスだ。そこでさえヴァルターは社交性も協調性も低かったように思う。いつも一人で科学書を読んでいるか居眠りしている印象がある。そうだ、自己紹介もろくにしなかった。初対面からしてそんな態度の奴とこれから同室と思うと不安になるほどだった。彼と、まともに話したことなどあっただろうか。

「博士をご存知なんですか?」
老齢の研究員が黙り込んだムスカを覗き込んだが、名前を聞いたことがあるだけだと否定した。傍らでは若い研究員がガラス製のトレイに入れた分析依頼対象物質を見せながら何事か説明を続けており、ヴァルターはトレイを手に横から見たり下から覗き込んだりと忙しく、聞いているかは疑わしい。
「有り得ません!このような素材が実在しているなど!!」
研究員がその言葉を口にすると、ようやくヴァルターはトレイを置いた。
「ここに有る以上、有り得ないという言葉で片付けるのは科学的でない。」
穏やかなその声に、研究員が静かになった。ヴァルターがムスカを見る。
「これは僕が預かっても良いかな?どうやら興味深い物質のようだ。」
願ってもない申し出に、ムスカは勿論だと頷く。研究員達が現在進行している調査はどうするのだと尋ねると、彼は先ほど出てきた部屋を指差しながら答えた。
「大方はあそこに。後は何とかなるだろう?」
僕は早速これに取り掛かろう、などと言いながらトレイを手にした彼は、口元に笑みを浮かべて見えた。まるで新しい玩具を手にした子供のようだ。振り向きもせずにこう言った。
「うん、そうだね、ひと月でいい。」
分析に必要な期間の事だろう。彼はトレイを手に実験室へ向かっているらしい。スリッパを引き摺るようなだらしのない足音が遠のく中、研究員達が揃って彼を引き止めようと手を伸ばしかけたが、誰も何も言わないままその腕を下ろした。無駄だと分かっているらしい。その様子が堪らなく可笑しかった。


位置が近いこともあるが、何より軍の権力闘争と無縁なところが良い。分析依頼の経過をチェックするという大義名分ができたのを利用して、ムスカはたびたびその施設を訪れるようになっていた。意外といっては失礼だが、彼はああ見えてムスカよりも上の階級にいる。この研究所は元帥府直轄となっており、ムスカの所属する特務機関同様、他から独立した形態をとっている。所長は元帥が兼ねているので、ここにいる中ではヴァルターが一番上の地位にいるらしい。しかし管理事務は別な研究員が行っているらしかった。上も彼の能力を知っているようで、研究のみをさせるという方針であるようだ。ヴァルターに人事や経理を任せようものなら、研究所はたちどころに崩壊するだろう。

「博士はいつもここで寝ているのか?」
床には片方だけ落ちたスリッパ。仮眠室の狭いベッドからは白衣の裾と片足がはみ出している。ムスカは手近にあった毛布を掴むと、その無防備な腹に掛けた。
「ええ。官舎が用意されている筈なんですが、あまり帰られていないようで。」
家だけではない。本来は研究所内にも階級に合わせて彼専用の研究室を用意していたが、片付けないくせに他人が片付けるのを嫌うため没収されてしまったらしい。そういえば寮にいるときもベッドの上は彼の寝場所がないくらいに本が溢れかえっていた。狭い部屋に置かれた二台のベッドは殆どくっつく様に隣り合わせになっていて、狭すぎる寝床で寝返りをうった彼がムスカのベッドに侵入してくることがたびたびあったことを思い出す。

研究所で彼と会うことは少ない。実験室には入りにくいし、実験していない時の彼は仮眠室で寝ているか貪る様に資料を漁っている。そんなある日、彼が寛いでいる時に出くわした。珍しいな、と言おうとしたムスカに対し、彼の方から飲むかと声を掛けてきた。何やらわからず頷くと、手招きをされるがままにひとつの実験室へ通された。クリーンルームなどもないことから、ここは簡易な実験を行う部屋なのだろう。傍らを見れば、彼が棚から何かを取り出して奇妙なことを始めていた。フラスコに煮立った湯を漏斗へ注ぎこみ、濾過している。どうやらコーヒーを淹れているらしい。
「ん。」
大きめのビーカーから小さな2つのビーカーに注ぎ分けられ、その片方を差し出された。無愛想な勧め方だが、それ以上に気になることがある。彼は木ばさみで摘まんでビーカーを出したが、それほど熱いこのビーカーを自分はどうやって持てというのだ。いや、それ以上にその器具で入れて大丈夫なのだろうか。ここでさっきまで何の研究を行っていたのか、聞きたくない気がする。
「このビーカー、ちゃんと洗っているのか?」
「混ざったら困るじゃないか。」
当然だと言わんばかりの顔に、ムスカはそれ以上突っ込むのをやめた。彼がやったのではないだろうが、洗浄も殺菌も完璧らしい。コーヒーに薬品が混ざることよりも、次の使用時に前回の薬品が混ざる方が困る事なのだろう。言われてみれば正論だ。ムスカはハンカチーフでビーカーを包んだ。一口飲むが、あまり美味しくはない。ヴァルターは猫舌なのか息を吹きかけて冷まそうとしていた。まるで子供だ。

ふと、慌しい足音とともに引き戸が開けられた。
「博士!」
香りを嗅ぎ付けたのだろう。若い研究員が入ってきた。
「言って下されば飲用の豆で用意するとあれほど・・・!」
つまり飲用の豆ではないらしい。それを聞いてむせたムスカに研究員が振り向いた。存在に気付いていなかったようだ。彼はムスカの手にあるビーカーを見て眉を寄せた。
「あぁ、すまない。」
「いえ。」
若い彼は不機嫌さを隠しきれずに口ごもっていた。どうやらこのコーヒーは成分抽出用で、味はともかく不純物を除去している為に飲用よりも価格が高いものらしい。それに実験室へ入っていることを暗に咎めているのだろう。
「成分は同じだから問題ないだろう?」
ようやく冷ましたコーヒーを口にしている彼は、味も価格も気にならないようだ。彼らしい返事にムスカが笑うと、研究員から睨まれた。

応接室に通されソファに腰掛けると、研究員が淹れた飲用のコーヒーを出された。特に美味しいという訳ではないが、飲用でカップに入っているだけでも大丈夫だという気になってしまう。ムスカの隣には、金属製のマグカップが置かれていた。カップを良く割る彼の為に、若い研究員が探して買ってきたものらしい。
「博士、これならもう割れませんよ。」
得意気に言う彼とは裏腹に、ヴァルターはムスカの飲みかけを取り上げてしまった。
「それはもう、違うものだよ。」
飲みかけをフウフウと冷ましながら、彼は不機嫌そうに言った。疑問に思ったムスカが金属マグのコーヒーを口にすると、微かながらも金属の味を感じた。それでも味は抽出用のコーヒーよりは幾分マシだと思うのだが、彼にとってはそうでないらしい。喉の奥でくつくつと笑いながら、ムスカはマグカップを置いた。

機嫌を損ねた研究員が出て行った頃、ヴァルターは冷め切ったコーヒーを飲み干した。ふと再会から二週間が経つことに気付く。約束の期間の半分だ。ムスカは話を切り出した。
「分析はどうなっている?」
顔を上げたヴァルターの表情は芳しくない。
「素材の見当はついたんだが、どうやって作るのかがまだわからない。」
彼とは逆に、ムスカは口元を緩めた。今までの奴等とは偉く違う答えだ。
「複数の珪素化合物と微量の金属、問題はそれをどうやって均一に固めるかだ。」
ガシガシと頭を掻きながら彼が言う。ムスカは前の分析結果で粘土か金属かさえ分からないと言っていた事を思い出した。彼はその両方を混ぜたものだと言っているらしい。未だ独り言のように何事かを呟いている彼を見たムスカは、彼ならば真実に辿り着ける気がした。
「素晴らしいではないか。素材がわかったんだろう?ならば――」
励ましの言葉と差し出そうとした腕は遮られた。
「再現性のないものを科学とは言わない。」
静かだが揺ぎないその言葉。そこに、彼の全てが現れていた。
「そうか、そうだな。ハハハ、それでこそ君らしい。」
ムスカは彼を見つめ、眼鏡を外す。金色の瞳を眩しげに細めた。俯いて組んだ手に視線を遣っていたヴァルターが顔を上げた。眼鏡の奥にある灰色の瞳が一際大きく開かれる。
「ラピュタ。」
何の前振りもないままに、彼が“正解”を口にした。ムスカにとっては時が止まって感じられたが、ヴァルターにとっては時が動き始めた瞬間だったらしい。
「そうだ、無重力ならば冷却時でも分離しない。」
ソファから立ち上がり、何事かを呟きながらヴァルターは歩き始めた。早い。彼にはもうムスカなど見えていない。応接室を出ようとしたその腕を掴み、引き止めた。
「何故わかった!?」
振り向いた彼はこう言った。
「君が言っていた事じゃないか。ラピュタは存在するって。」
ムスカが腕を放すと、彼は研究員を呼び集めながら方針を伝えていた。その進みが加速する。止まらない。先へ、もっと先へと加速する。行ってしまう。皆が沸く中で一人、焦りすら感じていた。行ってしまう。私の手の届かない所へ。
気球か飛空挺を用意するよう叫ぶが聞こえた時、ムスカは自分が手配しようと名乗りをあげていた。

それから二週間経った約束の日。
ヴァルターのもとを訪れると、ムスカは掌に小さな破片を載せられた。
「できたよ。」
空から降ってきたロボットの素材が、地上で再現された瞬間だった。

   * * *

「ラピュタって、何?」
同居人から初めて掛けられた言葉がそれだった。消灯の時刻を過ぎ、眠ろうと毛布を手にした時のことだ。何故それを自分に尋ねるのかと思っているムスカは、月明かりに照らされたヴァルターの姿を見た。いつの間にか身を乗り出してムスカのベッドに手を置いている。この珍妙な同居人が自分に対して興味を露わにする姿は初めてだった。
「いつも寝言で言っているから。」
見開いた瞳が月明かりを帯びて金に輝く。寝言を聞かれた恥ずかしさもあるが、ラピュタに興味を持たれた喜びのような感情が上回る。同居人は違う地方の出身なのか、その伝説を耳にしたことはないようだった。
その夜ムスカは自分の知るラピュタの全てを滔々と語った。巨大な飛行石の結晶を擁して天空に浮かぶその城を、驚くべき力を、科学力を。
「ラピュタは存在する。私はいつかそれを見つけて――」
語ることに熱くなりすぎて気付くのが遅れたが、同居人はいつの間にか眠り込んでいた。眠るのは良いが、せめて自分のベッドで寝て欲しい。ムスカは彼を隣のベッドへと転がそうとしたが、そこは本が雪崩を起こして無理だった。そうこうしているうちに、寝返りをうった彼はとうとうムスカのベッドを占領していたのだった。

[70] 博士との話 (若博士Ver.)2
774 - 2007年07月08日 (日) 22時50分

件の分析が終わった後も、ムスカはしばしば研究室を訪れる。これといった理由はない。何かを話すわけでもない。ヴァルターは相変わらずムスカの名を覚えていないが、拒むつもりもないようだった。ヴァルターは清掃婦を入れるという約束で再び研究室を与えられたらしい。今やそこへ寝泊りしているようだった。研究室とは名ばかりで、物置なのか寝床なのか、それさえも怪しい。使わなくなった古い実験室をあてがわれたようなのだが、彼は不満に思ってなどいないらしい。むしろ部屋の隅に簡易シャワーがあり、簡単な実験なら部屋の中で行えるのを便利に思っている節さえある。老いた清掃婦はこの風変わりな博士を可愛がっているらしく、時々手料理を差し入れているようだった。そのため博士も彼女を入れることに抵抗が無くなったらしい。まるで餌付けだ。ムスカも始めの頃こそ食料を持って訪れていたが、やがて手ぶらでも拒まれないことがわかった。

ムスカは以前に自分が差し入れたコーヒー豆を取り出すと、これまた以前に持ち込んだ道具で淹れた。ヴァルターはカップを良く割ってしまうのだが、いくらでもスペアは用意している。決して安いものではないのだが、それでもこの時間を思えば大した出費ではない。
「コーヒーを淹れたのだが、飲むかね?」
「ん。」
ヴァルターはコーヒーを受け取るとき以外、声を出すことさえろくにない。手を伸ばして受け取ったコーヒーに笑顔を零すと、彼はいつものようにフウフウと冷まし始めた。眼鏡が曇る姿が可笑しい。日の射さないこの部屋では、ムスカも色眼鏡を外し寛ぐことができる。上着を脱いだムスカは、おもむろに口を開いた。
「先日分析を依頼した物質は、ラピュタのロボットを構成する素材だ。」
もし自分の適性が彼と同じ分野だったのならば、今頃ここで共に研究を行っていたのだろうか。
「君の分析結果を会議に持ち込んだのだが、その時の特別科学班のマヌケ面!君にも見せてやりたかったよ。」
喉にこみ上げる笑いを漏らすムスカとは裏腹に、隣は聞いていないと思う。
「君のお陰でラピュタの科学力が如何に優れたものかを連中に知らしめることができた。」
コーヒーが冷めたらしく、カップに口を付け始めているのが見える。
「私にもようやく中佐の身分を与えられたよ。これからは少しばかり、自由が利くようになる。」
今までの事を思えば遅いくらいだ。ヴァルターに興味はないだろうが、階級が並ぶ日もそう遠くないかもしれない。
「またラピュタへ一歩近づくことができたよ。」
ラピュタを見つけさえすれば、階級を超越して王となる。
「その時は、君にも見せてあげよう。」
隣を見れば、飲み干したカップを手にしたまま眠っていた。
「きっと君も、興味を持つと思うよ。」
そのアンバランスな知性を内包する頭に軽く触れ、その手からカップを外して置いた。

また眼鏡を掛け、弛めたスカーフを整える。掛けておいたジャケットに袖を通したムスカは、来た時の姿に戻ると研究室を後にした。建物を出れば最近付けられたばかりの二人の部下が待っている。
「中佐。ここの研究所によく行かれているようですが、そんなに凄いんです?」
「そうだ。ラピュタのロボットを構成する素材を分析できたのはここだけだ。」
口元が緩む。


ある雨の夜、ムスカは必死で研究所へと向かっていた。撲られた跡、切れた唇、力が入らずふらつく足元。ようやく辿り着いた先で壁にしがみ付いていると、残っていたらしい研究員が寄ってきた。
「大丈夫ですか?」
「触るな!」
差し伸べられた手を打ち払い、精一杯の虚勢で睨みつける。若い研究員は踵を返した。まるで毛を逆立てた猫だ。怒りとも恐怖ともつかないおぞましさを噛み殺そうとして失敗したのがわかる。壁を伝うようにして歩き、端にある扉を叩く。出てきた男の顔を見て、ムスカは意識を失った。


目を開けるといつもの服のまま固いベッドに寝かされおり、手にはこそばゆい何かが触れていた。驚いて身体を起こすととそこはヴァルターの研究室で、腕にくっついていたのは椅子に座ったままベッドに凭れて眠る彼の頭だった。雨上がりの生暖かい風に首筋を撫でられ、昨夜の記憶が蘇る。
「うっ!」
口元に手を当てると、ベッドから飛び降りるようにして、簡易シャワーに向かう。堪えきれずに胃液を吐いた。足に力が入らない。膝をつき、壁に手を当てると冷たい水が降り注いだ。荒い息に肩を上下させ、混濁する意識と感情を洗い流すかのごとく水流を強めた。服を取り去り、見つけたブラシで身体を擦る。皮膚が破れて血が滲む。絶え間なく込み上げる胃液を吐き続けながら、ムスカは全身を擦り続けた。

胃液が尽き、咳き込みながら苦い液を搾り出す。やがて身体が冷え切り歯の根が合わなくなってきた。ようやくシャワー室を出ると、目の前にタオルが差し出される。ヴァルターはいつもより寝癖が少ないものの、眼鏡のフレームがゆがんでいるようだった。一晩中横にいたのだろうか。礼を述べタオルを受け取ったムスカは自然に振舞えたかと不安になるほどで、いつになく緊張しているのが自分でわかる。その強張ったムスカの顔にヴァルターの顔が急に近づいたかと思うと、ペタリと額を付けられた。
「冷たい。それに震えている。」
不機嫌そうに額を離した彼は、ペタペタとムスカの身体を触り始めた。
「やめろ!」
ムスカが抵抗しようとすると、ヴァルターは手を止める代わりにブツブツと何かを言い始めた。まずはベッドへ向かえということらしい。
「君は変温動物ではないのだから、こんなにも冷たくなってはいけない。それに研磨するのは向かない。」
珍しく怒っているらしい。意外なものを見る気がした。ビーカーを押し付けられ、砂糖と少量の塩を混ぜたような生暖かい水を飲まされた。消毒液を全身に付けられ、押し倒されるように横たえられると、白いシーツでグルリと巻かれた。包帯のつもりかもしれない。その上に毛布を二枚も掛けられた。
「今夜にも熱が出るだろう。君は十分に眠らなければならない。」
まるで子供をあやすかのように、彼は毛布をトントンと叩いた。
「おやすみ。」
固いベッドでシーツに巻かれているというのに何故か心地よく感じられ、すぐにムスカはまどろみ始めた。


結局ヴァルターの部屋で3日間寝込んだ。部下に聞いたところ、彼は意外にもいろいろと世話してくれたらしい。実際には食事を持ってきてくれたのは清掃婦で、部下に連絡を取ってくれたのは老齢の研究員なのだが。

迎えに来た部下に荷物を運ばせながら、ムスカはようやく研究所を後にした。
「あの博士、一体何者なんです?」
訝しげに眉を寄せ、歩きながら部下が尋ねる。
「我々のレベルでは理解の難しいお人だよ。」
ムスカはそう言って笑った。寝込んだ初日、連絡を受けムスカを迎えに訪れた彼らは、研究室へ入れてもらえないばかりか、ムスカの寝巻きを用意するようヴァルターに命じられたのだそうだ。特務機関所属の自分達に対してあまりにも失礼だと不満を漏らした部下を、ムスカは諫めた。
「博士は私よりも階級が上なのだよ。接するときは気をつけるように。」
ムスカの言葉に部下が目を白黒させる。
「何ですって!?」
マイスナー博士は科学技術部の少将だ。中佐の二階級上に属する。まぁ、本人があの通りなので会議には全く参加しておらず、権力は無きに等しい。しかしああ見えて科学技術枠では二番目の階級にいるのだ。他所へ逃がさないための措置としてなのか、大っぴらに研究費を与える為なのだろう。ちなみにあの研究所は特に優れた素質の者を集めているため、平と思われる若い研究員でさえ目の前の部下よりは階級が上だったりする。
「それほどあの研究所は特別なのだ。口を慎みたまえ。」
彼らは初めてその特殊性を知ったらしく、今更のように姿勢を正した。


それからというもの、眠れない夜に研究所を訪れるようになったムスカであったが、世間の評判はやはり良くない。博士の階級と性格を知る部下は何も言わないものの、利用していた上官からの厭味が身に沁みた。

人気のない廊下ですれ違いざまに胸元を掴まれ、壁に押し付けられる。割合大柄といえるムスカよりも背が高く、しかも体格の良い上官に押さえ込まれては身動きがとれない。慌てる部下を手で制していると、小声で耳元に囁かれた。
「最近は変わった趣味を持っているそうじゃないか。」
半ば首を締められるかのような苦しさで、顔に朱をはしらせたままムスカはしらばくれた。
「閣下のおっしゃる意味が私にはわかりませんね。」
苦しい息の下、ずれた眼鏡から覗く金色の瞳が鋭く光る。
「まぁ良い。しかしまた、君は随分と手広くやっているんだな。」
手を緩められたが、上官の射抜くような視線はそのままだ。ようやく肺に充分な酸素を送り込みながら、ムスカは咳き込んだ。
「近いうちにその腕前を見せてもらおうじゃないか、ん?」
その目を見返したムスカに上官は笑みを漏らし、そのまま無造作に手を離した。
「こちらとしてはあまり上達されても面白みが薄れるのだがね。」
上官は耳元から口を離すと、笑いながら立ち去った。ムスカは崩れたスカーフを直しながらも総毛立つような嫌悪感を隠し切れず、足早にその場を離れた。

上官の厭味が堪えたのか、しばらく研究所へ行かない日々が続いた。しかしそれは眠れない日々が続くことでもあった。本来なら落ち着くはずの自分のベッドでも目が冴えて仕方がない。嘔吐を繰り返した後にようやく眠ろうとして目を閉じると、耳元に残る息遣いや卑猥な遣り取りが思い出されて飛び起きる。酒で薬を流し込み、強制的に身体を眠らせるものの意識の安まる気配はない。上官達の呼び出しに応じて身体を虐め抜かれた後に訪れる意識の喪失こそが、ムスカにとって唯一の眠りとさえいえた。

一月が経つ頃だろうか。久しぶりに研究室を訪れたムスカは顔の焦燥を隠しきれず、殺気立っていた。断るでもなくシャワー室を使い、差し出されたタオルで身体を拭うと椅子に座って実験台に突っ伏した。いつもの嘔吐を繰り返し、体力が削られていた。荒い呼吸に肩を上下させていると、呼吸するのさえも苦痛に感じられてくる。
「カルシウムが不足しているのだろう。それに胃も荒れているはずだ。」
ヴァルターの暢気な声に顔を上げたものの、ビーカーに入ったホットミルクを目にして反射的に片手で口を覆った。嫌悪感を打ち消すかのようにコーヒーが欲しいと我侭を言ってみると、彼は何やら大仰な手法でコーヒーを淹れ始めた。出されたコーヒーを口にしたが、何やら味が物足りない気もする。しかし香りは確かにムスカの持ってきた豆を使ったものだ。やがて身体が温まり、睡魔が訪れた。
「睡眠も足りていないようだからね。」
先ほどの手法でカフェインを抜いたのだと説明された。ヴァルターはムスカが先ほど断ったミルクを冷まして飲んだらしい。鼻の下に白髭をこしらえた顔でその手法の説明をされても滑稽なだけだ。睡魔に耐え切れず椅子に座って眠ろうとすると、ベッドへ行くよう示された。
「借りる。」
睡眠薬の力でも借りなければ眠れなくなっていた筈なのに、やがてベッドに沈み込むかのような眠りが訪れた。

牛乳を飲み終わったヴァルターが、手近にあったタオルで口元を拭う。
「――!」
声に振り向くと、何事かをムスカが呟いていた。寝言だろう。タオルを実験台に置くと、ヴァルターはムスカの顔を覗き込んだ。
「眠りについた状態で嘘をつくのは難しい。」
ヴァルターは毛布をポンポンと叩きながら、首を傾げた。
「ラピュタって、何?」
以前と同じ質問だ。返事の代わりに強い力で手を握られた。それまで苦悶の表情が和らぎ、スヤスヤと寝息が聞こえる。握る力の弱まった手を振り払うでもなく、ヴァルターはその疑問を持て余していた。その持つ力を、科学を語る彼からは想像も出来ない程に、ムスカは搾り出すような声でラピュタと呟く。だから最初にラピュタの名を聞いたとき、ヴァルターはそれが不眠の原因だと思っていたのだ。
「その謎が解けたら、君は眠れる?」

翌日、ヴァルターは研究所から姿を消した。

[74] 博士との話 (若博士Ver.)3
774 - 2007年07月13日 (金) 12時19分

どこへ行くとも言わなかった。研究所に対しても、何の連絡もなかったという。彼の行動パターンを考えると、脱走することはまず有り得ない。誘拐も疑われたが、いくつかの器具が消え失せていることから、自主的なものだろうということで捜索は打ち切られた。初めこそムスカも研究所に日参したが、やがてその足も遠のいていた。もっとも、ムスカを博士の友達だと思っている清掃婦が彼を歓待するので、眠れない夜だけは時々利用させてもらっていたのだが。

半月が過ぎた頃、軍用車専属運転手からの情報で事態は一変した。ヴァルターを鉱山へ送り届けたのだという。彼はまさかそれが騒ぎの元になっているとは思わなかったようだが、意外にもその時のことを良く覚えていた。彼の話によれば最初ヴァルターはスラッグ渓谷へ行くよう命じたらしい。しかし彼が車で行くのは難しいと断ると地図を見せ、一番近いところへ向かうよう言われたのだという。彼の証言を元に地図を塗りつぶしたが、何を意図するのかがわからない。唯一わかったのは彼の行き先がレボー鉱山というだけだ。
ムスカは部下の一人をレボー鉱山に近いプロヴァンス基地へ向かわせ、自らは無線による連絡を取ろうとしたその時だ。先方から研究所への電話が入った。
どうやら鉱山で見つけた鉱石を加工すべく、軍の研究所へ応援要請したらしい。そして研究所は彼が首に提げている身分証明書をたよりに、ここ本部の研究所へ連絡してきたのだという。まるで迷子票だとムスカは思った。しかし彼の場合、身分証明書の裏付けさえ取れればその威光たるや凄まじい。腐っても「少将」だ。

研究所は諸手を挙げて彼に従った。何故なら少将というのは、地方においては軍事基地の司令と同じ階級だからだ。研究者達は同格ならば軍人よりも同じ研究者であるマイスナー博士に従う。やがてプロヴァンス基地研究所からの連絡で、ヴァルターがボーキサイトの製錬を指示していることが判明した。初めは研究員達も製錬の難しい軽金属に戸惑っていたものの、マイスナー博士の指示と本部から送られてきた手順書をたよりに精力的に取組み出した。しかしその直後、また博士は姿を消した。
マイスナー博士の消息は本部の研究所を通して元帥府へと伝えられた。最初こそその奇行に呆れられたものの、元帥府は付近の研究所と鉱山へ向けてマイスナー博士が来たら従うよう通達を出した。上は上で、何か別な意図でもあるに違いない。

ヴァルターの足跡が、少しずつ伝わり始める。プロヴァンス基地へ向かわせた部下が、彼を追うことに成功したらしい。暗号無線を使った定期連絡によれば、どうやら今回は軍用車ではなく、親しくなったらしい坑夫の馬車で移動したようだった。行き先はやはり鉱山。不思議とどこにでも溶け込んでしまうヴァルターと違い、ムスカの部下では坑夫にも研究所にも溶け込み難く、得られる情報は少ないままだ。そのため本部の研究所からも若い研究員が派遣されたが、彼は地方の研究者達の質問責めにあい、ヴァルターを追うどころではないようだった。

ムスカは地図を開いた。最初にヴァルターを乗せた運転手の証言を思い出し、地図に印を入れていく。ヴァルターが塗りつぶしていた範囲での鉱山は多いが、一日程度で移動できる範囲は限られる。やがてムスカの予想通りの軍事基地における研究所から、マイスナー「少将」の身元確認連絡が入った。そこで今度はこれといった指示も出さず、自らが鉱山へ潜っては何やら掘り返しているらしい。
「何を考えている?」
ムスカは地図を見ながら呟いた。彼の考えがまるで読めない。

彼がこの失踪で掘り出している鉱物の一覧を見て、老研究員が資料を広げ呟いた。
「まさか、実用化されるつもりなのでは。」
ムスカが顔を上げ研究員を見ると、書類の束を渡された。
「博士による最新のレポートです。Al2024規格について書かれています。」
そこには暗号よりも理解しにくい文字列が並んでいた。ヴァルターの字が読みにくいのはもちろんだが、それ以上に内容は難解を極めていた。老研究者が説明するところによると、それは飛空艇の外皮素材に関する提案文書らしい。

ムスカは研究員の予想が外れている気がした。ヴァルターは確かに新素材の材料となる鉱石を掘り当てているが、研究所に精製法を教えるとすぐに次の鉱山へ移動している。そう、まるでこれ以上の用はないとでも言うかのように。そして今はこれといった素材を掘り出せていないにも関わらず、ひとつの鉱山に居座っているのだ。研究所が協力を申し出て博士を訪ねたらしいが、試料や機材の貸し出しを依頼されただけという。鉱山を訪れた研究員達は上にこれといった金属は出ていないようだと報告している。それなのにヴァルターはそこへ留まったままなのだ。
「一体、何をしているんだ?」
結局ヴァルターは、その鉱山を廃鉱にするまで掘り尽くしたらしい。


ヴァルターが本部へ戻ってきたのは失踪から2年が過ぎた頃だ。戻ってきたは良いものの、電子実験室に篭り切る日々が続いた。1ヶ月ほど過ぎてようやく実験室から出てきたヴァルターはやつれ切っており、心配した研究員達によって病院に放り込まれてしまった。
研究所からヴァルターが入院したという連絡を受けムスカが病室を訪れると、昏々と眠り込んでいる姿が見えた。病気や怪我ではないことに胸を撫で下ろしながら、ムスカは椅子に腰掛けた。
「今まで何をしていたんだ?」

その答えが明らかにされたのは意外にも早く、僅か3日後だった。退院したヴァルターの元を訪れると、彼はまるでムスカが来るのを待っていたかのように上機嫌だった。珍しい様子にムスカが戸惑っていると、彼がニコニコと笑いながら白衣のポケットから何かを取り出し机に置いた。
「ご覧。」
青い石が2つ。両方とも正八面体の形をしている。しかし明らかにその二つは違うものであることが見てとれた。1辺が1mm程度の小さいものは机上にあるが、1cm程度のものは机から20cm程度上に浮かんでいる。
驚きで目を見開いたムスカに満足したのか、ヴァルターは実に楽しそうに説明を始めた。
「飛行石の結晶だよ。」
彼は小さな方を「親石」、大きな方を「子石」と呼んだ。何故小さな方が「親」なのかと尋ねると、ヴァルターは子石を指で弾いてムスカの方へと寄越した。
「これを部屋の隅へ。そうだね、あの角がいい。」
ムスカが指示通りに席を立つと、ヴァルターが暗幕を引き始めた。部屋の隅に向かって歩きながら、何をする気だと尋ねようとした時だ。あたりが暗くなったことによって浮かび上がる事実があった。
「これは!」
掌の上に浮かぶ石が光っている。暗幕を引かねば気付かない程度の微弱な光ではあるが、石そのものが発光しているのだ。驚いてヴァルターを見たが、彼は早く部屋の隅へ向かえとばかりに手を振るだけだ。やがてヴァルターが器具を手に何やら動かしていたかと思うと、突然発生した眩しい光に目を覆う。
「特定のパルスを与えるとね、親石が子石に向けて光るんだ。」
ヴァルターの掌から、針のように細く青い光がムスカの掌の上に向かっていた。ヴァルターがその光を手で遮る。
「ね?」
遮っていた手を下ろすと、また光がムスカの掌の上を指す。ムスカはその光に目を奪われたまま、呆然と立ち尽くしていた。これは、まるで―――!

「そんなに驚いた?」
気が付くと部屋は明るく戻り、ヴァルターは椅子に腰掛けていた。掌の上で浮かぶ石は発光しているのだろうが、外光を受けてしまえば目立たない。注意深くそれを掌で包むと、ヴァルターの前に浮かべた。ヴァルターの前に置かれた親石からは、真上に向けて細い光が伸びている。
「この石は地球の磁力を受けて微弱な電流を帯びている。そして子石が光るのは親石の干渉を受けるからなんだ。」
ヴァルターは手近にあった紙を引き寄せると図式を書きながら、それがこちらを親石と呼ぶ理由だなどと説明を続けた。初期・中期の精製段階では1つの塊として存在するが、後期精製でようやく2つに分かれるものらしい。そしてその際に反応するパルスが決まるため、石によってそのパルスは異なるようだ。パルスを決める条件はまだ不明とのことだった。
「この石の微弱電流を使えば、随分簡単な装置でパルスを発生させられるね。」
しかしスイッチを押すだけでは面白味がないと呟いているうち、妙案を見つけたらしく口角が上がる。
「決められた音声を起動スイッチにするというのはどうだろう。」
ヴァルターの一言がで、ムスカは硬直した。古文書の内容を思い出す。

“鍵となる石に「秘密の呪文」を唱えれば、聖なる光がラピュタへ導く”

まさにそのことだ。古文書の通りだ。
「大体この親石で3kmくらい先の子石を探し出せるようだね。この光は1時間程度で消えるよ。」
示す方角は確かだけれど、流石に弱くて子石の側からはその光を見ることは出来ない筈だよ、とヴァルターが笑う。その隣で、ムスカは鳥肌の立つような興奮に包まれていた。
「石の大きさに比例するんだ。探せる距離も、光る時間も。」
結晶を何度も作り変えては実験を繰り返したのだという。ヴァルターは電子がどうのと計算式をこねまわしながらまだ何やら呟いていたが、ムスカはそれを聞き理解できる状態ではなかった。震えそうになる手を握り締め、椅子から立ち上がる。ヴァルターから離れた場所で、深呼吸した。戸棚を開けて器具を取り出し、ゆっくり、できるだけゆっくりとコーヒーを淹れる。二つのカップを置いて、注ぎ分ける。最後の一滴が落ちたのを見届け、ムスカは大きく息を吸った。
「コーヒーを淹れたのだが、飲むかね?」
振り向いたヴァルターが、何かを言おうとして口を開いた。
「どうかしたのか?」
珍しい反応に首を傾げたが、彼は何も言わないまま首を振ると、コーヒーを受け取るべく手を伸ばした。いつものようにコーヒーを冷まそうとする彼の横顔がなぜか微笑んでいるように見えて、ムスカは怪訝な顔をした。

コーヒーを飲み終えたヴァルターが、満足そうに机に突っ伏しながら言った。
「飛行石はね、軽金属の層に含まれていることが多いんだ。」
飛行石を発掘できなかった所が軽金属を産出していたのはそういう理由によるものだろう。軽金属の鉱脈を狙っても、その発掘はついででしかないのがヴァルターらしい。彼は飛行石目当てに鉱山へ向かったのだ。ムスカの、そしてラピュタのために。


翌日、ムスカが研究所を訪れると、ヴァルターが何かを差し出した。
「君に貸しておくよ。」
茶色い樹脂の板に銅線らしきものを張り巡らせ、いくつかの突起物がある。何かの配線基板のようだ。手にしたそれを訝しげに観察していると、その片隅に飛行石の親石が嵌め込まれている事に気付いた。
「昨日話していた仕組みを作ったんだ。ある言葉に反応して石を光らせるパルスを発生するようにね。」
配線基板の石に釘付けになっていた視線をヴァルターに移す。何度か尋ねてみたが、彼はニコニコと笑うだけでその言葉を教えてはくれなかった。
「次は子石で試したいことがある。だからその間、それは君に貸しておくよ。」
意外な申し出に、何と言えば良いのかわからない。礼を言えば良いのか、功績を賞賛すれば良いのか、それすらもわからない。配線基板を手にしたまま立ち尽くすムスカに、ヴァルターが微笑んだ。
「親石同士でも干渉は起こるよ。その干渉というのは互いが僅かに光ることなんだ。」
つまり、近くに親石があると、この石は光る。ある考えが、ムスカの脳を貫いた。その考えを、ヴァルターの声が後押しするように響く。
「君はこれを必要とするんじゃないかな?」


もう眠れない夜などない。眠れないとすれば、それは興奮を抑えきれないだけのことだ。夢にうなされる夜など、もう過去のこと。ムスカは精力的に親石探しを始めた。すぐに見つかったそれを見て笑う。構想はヴァルターの作ったものと同じだ。ただの飾りと思われた表面の彫刻は、よく見れば通電性の良い金属で作られた複雑な電子回路だった。つまり「秘密の呪文」を唱えれば、その回路が音声をパルスに変換して石に刺激を与える仕組みなのだろう。
今の持ち主である小娘ごときには解るまい。この石の意味を、彫刻の役割を!

新たに与えられた大佐の権限を駆使して、ムスカは着実に歩を進める。これまでにないほどの手応え。今や一族の誰よりもその夢に、悲願に近づいていた。ティディスへ向かう時はヴァルターを連れて行くつもりだった。紋章型回路の埋め込まれた石とあのロボットを見せ、ゴリアテに乗せてラピュタへ連れて行くつもりだった。たとえ小娘が秘密の呪文を口にしなくても、彼さえいれば石を光らせることもできよう。
しかし、研究所に電話を入れてみるとヴァルターは不在だった。元帥府に呼び出されたらしい。彼の性質をよく知るのはムスカだけではなかったという事か。ヴァルターは元帥府から好奇心を刺激する話題を受けると、自主的に元帥府へ向かったようだった。権力の中枢といえば聞こえは良いが、元帥府とは未だに引退する気配のない醜悪な老いぼれ共が椅子にしがみ付いているだけの所だ。利用する時は便利だが、それ以外の時は存在自体が害悪でしかない。思わず叩きつけそうになる受話器を置くと、ムスカは首を振った。まもなくラピュタが手に入る。口元を弛め、ムスカは歪な笑みを漏らした。ヴァルターに見せるのは、それからでもいい。

――そう、ラピュタは近い。王として君臨した暁には、彼を直属のブレーンとして迎えよう。彼によって解明されたラピュタは、何よりも強大な力として世界を平伏させることだろう。

[75] 博士との話 (若博士Ver.)4
774 - 2007年07月13日 (金) 12時21分

草で覆われた大地と青い空が見えた。遠くに波の音が聞こえる。
「ここは、どこだ?」
空を見る。雲から太陽が覗き始め、その刺すような眩しさに、ムスカは慌てて目を閉じた。
「何故、生きている。」
小さな島のようだが、漂着した様子はない。
夢と言い切るには鮮烈過ぎる記憶。そう、夢などではない。自分はラピュタにいたのだ。あの高さから落ちておきながら、無傷でいられる筈がない。しかし身体に痛いところはなかった。服が少し乱れ、頬と手の甲に軽い掠り傷があるだけだ。眼鏡がないのが唯一痛いところだが、それでも難なく立ち上がることができた。大地に激突した様子など、体中のどこにもない。
「何故、だ。」
膝を付く。ラピュタ無き今、自分が何をすべきなのかわからない。あの高さから落ちて■ない自分を呪いたくなる。殺してくれ。■なせてくれ。懐に手を入れたが、そこにあるべきエンフィールドはない。代わりに、小さな包みが指に触れた。取り出して広げる。出てきたものを目にした途端、涙が溢れた。
掌で開かれたハンカチーフ。その中央にあるのは無骨な基板に嵌め込まれた小さな小さな青い石。
「何故!」
飛行石の結晶体だった。無傷でここへ落ちることができたのは、この飛行石が自分にかかる重力を打ち消したためだろう。
ムスカは搾り出すように嗚咽した。そして、思い出す。

「ある特定のパルスを与えれば、親石が砕ける。その時、石は強すぎる電磁波を発生するんだ。」
基板を受け取った日、ヴァルターは言った。研究中に何度となく電子機器の全てを狂わされたと笑っていた。だから石にそのパルスを与えないよう制御することが望ましいとも言っていた。しかし、どのパルスが石を砕くのかはわからない。わかる時が石の砕ける時だからだ。そのため、彼の作った基盤は1種類のパルスしか発生できないように作られている。砕ければまた親石と子石を混ぜて再結晶するところからスタートしなくてはならない。一度砕けた親石の破片では反応が悪いのだという。しかし再結晶すれば子石を探すあのパルスも変わってしまう。彼はもう少し石が集まれば、反応するパルス決定の仕組みを解析するのも楽になるだろうと言っていた。そうすれば、石を砕かずともそのパルスがわかるようになるかもしれないと。

先へ進む興奮で我を忘れ、ヴァルターのその話を聞き流してはいなかったか。彼の言葉を笑い飛ばしはしなかったか。たとえそのパルスがわかっていたとしても、石を砕くメリットなどない。だからそのパルスを発生させるような仕組みは持たないはずだと、そう思ってはいなかったか。
油断していた。だからその虚を衝かれた。石が砕けるときに発生する電磁波が、電子制御されたラピュタの中枢を全て狂わせた。そして、中枢は壊れた。維持できなくなった城の下部が、砕けるかのように散ってしまうのを見た。

たとえもう一度ラピュタへ行けたとしても、そこはもう廃墟でしかない。いや、最早行くことさえ叶わない。ラピュタの方角を示す石はもう無いのだから。それなのに。
「どうして私を■なせてくれない!ヴァルター!!」
自分はまだ、生きている。


  * * *


「博士、調査員の方がお見えです。」
「ん。」
廊下には緊張した面持ちで研究員達が並んでいた。特務機関に所属していたムスカ大佐に関連する全ての機関に査察が入り、その一人一人の思想に至るまでが取調べの対象とされていた。若い研究員に連れられて、ヴァルターが応接室へ入る。階級を考慮されてか、彼への待遇は破格のものであるようだ。若い研究員はそれに少し安堵しながらも、強張った面持ちのまま同席することにした。

「マイスナー博士、本日はお忙しいところを申し訳ありません。」
一番恰幅の良い男が握手を求めてきた。彼が一番の責任者らしい。形だけの握手を済ませるとソファを勧め、互いに腰掛ける。手早く終わらせたいので早速質問に入らせてもらうと前置きした後、調査員はいきなり本題へと斬り込んできた。
「博士はムスカという人物と親交があったそうですね?」
イエスとしか答えないことを想定したその問いに、博士は予想外の答えを返した。
「それ、誰?」
慌てた研究員が、博士は人の顔や名前を覚えるのが苦手でして、と苦しい説明を始めたが退室を命じられた。
「軍法を犯し、国に多大なる損害を与えた反逆者ですよ。」
ふーん、と鼻から抜ける声は明らかに興味が無さそうで、調査員達を鼻白ませた。一人の調査員が猫撫で声でヴァルターの研究を褒め称えたが、ますます興味を失わせただけだ。ヴァルターは用意されたコーヒーを冷ましながら退屈そうな顔で窓の外を眺めている。
それまでずっと黙っていた調査員が口を開いた。
「マイスナー博士。博士はラピュタが存在するものだと思いますか?」
調査員が土地に伝わるというラピュタの伝説を話し始めた。つまらなそうに聞いていた彼であったが、やがてコーヒーのカップを置いた。話の途中に差し掛かった頃、不意に目が合う。
「そんなに大きな結晶、作るのにはどれだけの石を使ったんだろうね。」
ようやく反応らしきものが返ってきたことに、調査員が色めき立った。
「前に無重力下における精製を行ったね。その時の試料だけど、君、今どこに置いているか知らない?」
改良したい点を思いついたんだ、と言うと博士が子供のように目を輝かせて調査員を見た。ラピュタの伝説を口にした調査員は精神科の医師だ。どうやら彼が白衣を着ていたために研究員の一人と思われてしまったらしい。何年も研究や生活を共にしていた研究員でさえこの扱いだ。彼がムスカの名を知らないのは嘘でないのだろう。それから彼は新素材らしき構想について延々と図式を書きめぐらせては何事かを呟いていたが、一段落したのを機に退室を許可された。そうでなくては部下と思われたまま、研究が終わるまで手伝わされたに違いない。

心配して廊下で待っていた若い研究員が無事を尋ねると、頭を掻く音がした。
「いつものと違う。」
彼はカップを持ったまま出てきたらしい。飲み残したカップを押し付けると、そのままスリッパを引き摺りながら廊下の先へと消えてしまった。コーヒーは研究所に常在するものを淹れただけだ。これまでヴァルターが不味いと言ったことはない。しかし。
「博士は、彼のことを覚えているんですね。」
研究員は説明のつかない思いに歯噛みしながらカップを握り締めた。あの男が差し入れているコーヒーは、さぞかし高級なものだったことだろうが、博士は美味い不味いを言っているのではない。ただ、コーヒーという認識が、ムスカの差し入れたものに変わってしまっただけのことだ。
部屋に戻った博士はきっと今頃、以前作った精製物を引っ張り出しては嬉々としている筈だった。

[76] 博士との話 (若博士Ver.)5
774 - 2007年07月13日 (金) 12時22分

後年軍籍を離れ、大学の研究所で名を成したマイスター博士は、コーヒーを飲まない人だと言われていた。ある時取材にきた新聞記者がコーヒーは嫌いなのかと尋ねたが、さあ、と彼は首を傾げた。インタビューを受ける間、窓の外ばかりを見ていた博士。実った小麦が夕日に照らされ黄金に染まる。
「あぁ、コーヒーが飲みたいな。」
記者はそれを天才の気まぐれと評することにしたらしい。瞳に映したその色に、彼は何を思い出すのか。秘書に出されたコーヒーを冷ましながら、彼は何やら常人に理解できない話を始めてしまった。広げられた紙にはいくつかの図形と複雑な計算式が並べられ、嬉々としながらその説明をしている。ようやく聞き取れたいくつかの単語から、重力についての話をしているようだと秘書は思った。

新聞に掲載されたのは、灰色の瞳を子供のように輝かせ、景色にじっと見とれる写真。
それを見て、古い友人が研究室を訪れるのはいつの日か。


美味しいコーヒーを飲むときは、ラピュタの話と金色の瞳。
「コーヒーを淹れたのだが、飲むかね?」
きっとその一言が、あの石の鍵。

[77] 補足
774 - 2007年07月13日 (金) 12時44分

・珪素化合物と金属を均一に固めたもの
 セラミック(陶磁器等)と金属の複合体。
 材料の溶融および冷却固化を無重力環境下で行う。
 ちなみに原作のロボットは「形状記憶弾性セラミック製」。
 これはさすがに無重力下でも作れない。

・博士の階級(枠では二番目)
 …>大将>中将>少将>大佐>中佐>少佐>…
 日本陸軍の技術部より。技術部の最高位は陸軍技術中将。

・コーヒーのカフェイン除去
 デカフェ。香りの成分も多く失われてしまう。(今回は無視。)

・ボーキサイト
 アルミニウムの原料。
 名前はフランスの地名、レ・ボー・ド・プロヴァンスに由来。

・Al2024
 ジュラルミンの一種。主にアルミニウムと銅の合金。
 飛行船等、航空用資材として用いられる。

・パルス
 短時間の間に急峻な変化をする信号の総称。
 電子回路の分野では一定の幅を持った矩形波の事。
 (今回は後者。)
 (注)「バルス」と見えることを気にしてはいけない。

・エンフィールド
 中折れ式拳銃、エンフィールドNo.2。
 ムスカの銃のモデルといわれている。

参照元は主にWikipedia

趣味に走りすぎだよ自分…orz



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