[69] 博士との話 (若博士Ver.) |
- 774 - 2007年07月08日 (日) 22時49分
「わからんだと!?わかるまで調べ続けろ!」 それがお前らの仕事だと喚き散らす政府の高官を適当にあしらいつつ、ムスカは研究員に外へ出るよう促した。
「全く分からないという訳でもないのだろう?」 廊下に出たムスカが研究員に対して尋ねると、研究員は首を振った。 「本当に、わからないんです。粘土なのか金属なのかさえも!」 普段ならわからないと言う事を一番嫌悪している立場の者だ。彼は設備が足りないだの、もう少し予算が廻してもらえればだのと不平不満を言い訳のように繰り返していたが、ふと何事かを閃いたかのように呟いた。 「あの研究所ならもしかしたら――いや、しかし。」 研究員は諦めるように首を振ったが、ムスカがそれを逃すはずはない。
軍本部の敷地内にあるというその研究所は、意外にも自分の棟から離れていなかった。 「これほど近くに、そんな施設があるとはな。」 自分の権限では接触することもできないため、特務機関権限をもって上に話を通し、勅令の形をとる必要があった。 「これだから軍人というやつは。」 手続きが面倒で困る。しかし上さえ動かせばどうにでもなる。自分もその軍に属しているという自嘲めいた笑いを噛み締めながら、ムスカは扉を開けた。
固い安物の椅子に座らされた為か、その報告が先の研究員と変わらない為 か。ムスカは次第に苛立ちを隠せなくなっていた。同様に研究員達も分析不能の悔しさの所為で激してきた。大声と机を叩く音、そしてティーカップの割れる音がした時、その人は出てきた。
「うるさいな・・・。」 汚れて皺だらけの白衣、緩すぎるスリッパ、ズリ落ちた眼鏡にボサボサの頭。 「申し訳ありません!」 老齢の研究員が立ち上がり、明らかに寝起きのその人に謝罪した。その人の方がどう見ても若いのだが、この場においては一番の格上であるらしい。 「聞いてくださいよマイスナー博士!」 若い研究員がその名を呼んだ博士は、出されたパイプ椅子に腰掛けた。 「マイスナー?ヴァルター・マイスナーか?」 ムスカの問いに、彼は眼鏡をずり上げながら顔を上げた。 「うん?確かに僕はヴァルター・マイスナーだが。」 彼の表情を見たムスカは、その先の言葉を飲み込んだ。
一緒だったのは国中の優秀児を集めたクラスで、適性ごとに所属を割り振られる前のほんの3ヶ月。たまたま寮の個室が足りなかったとかで最初の1ヶ月は彼と同室に入れられていたのだが、どうやらまるで覚えていないらしい。 無理もない。クラスを受け持った担当者がムスカに対して社交性や協調性にA評価を付ける程度のクラスだ。そこでさえヴァルターは社交性も協調性も低かったように思う。いつも一人で科学書を読んでいるか居眠りしている印象がある。そうだ、自己紹介もろくにしなかった。初対面からしてそんな態度の奴とこれから同室と思うと不安になるほどだった。彼と、まともに話したことなどあっただろうか。
「博士をご存知なんですか?」 老齢の研究員が黙り込んだムスカを覗き込んだが、名前を聞いたことがあるだけだと否定した。傍らでは若い研究員がガラス製のトレイに入れた分析依頼対象物質を見せながら何事か説明を続けており、ヴァルターはトレイを手に横から見たり下から覗き込んだりと忙しく、聞いているかは疑わしい。 「有り得ません!このような素材が実在しているなど!!」 研究員がその言葉を口にすると、ようやくヴァルターはトレイを置いた。 「ここに有る以上、有り得ないという言葉で片付けるのは科学的でない。」 穏やかなその声に、研究員が静かになった。ヴァルターがムスカを見る。 「これは僕が預かっても良いかな?どうやら興味深い物質のようだ。」 願ってもない申し出に、ムスカは勿論だと頷く。研究員達が現在進行している調査はどうするのだと尋ねると、彼は先ほど出てきた部屋を指差しながら答えた。 「大方はあそこに。後は何とかなるだろう?」 僕は早速これに取り掛かろう、などと言いながらトレイを手にした彼は、口元に笑みを浮かべて見えた。まるで新しい玩具を手にした子供のようだ。振り向きもせずにこう言った。 「うん、そうだね、ひと月でいい。」 分析に必要な期間の事だろう。彼はトレイを手に実験室へ向かっているらしい。スリッパを引き摺るようなだらしのない足音が遠のく中、研究員達が揃って彼を引き止めようと手を伸ばしかけたが、誰も何も言わないままその腕を下ろした。無駄だと分かっているらしい。その様子が堪らなく可笑しかった。
位置が近いこともあるが、何より軍の権力闘争と無縁なところが良い。分析依頼の経過をチェックするという大義名分ができたのを利用して、ムスカはたびたびその施設を訪れるようになっていた。意外といっては失礼だが、彼はああ見えてムスカよりも上の階級にいる。この研究所は元帥府直轄となっており、ムスカの所属する特務機関同様、他から独立した形態をとっている。所長は元帥が兼ねているので、ここにいる中ではヴァルターが一番上の地位にいるらしい。しかし管理事務は別な研究員が行っているらしかった。上も彼の能力を知っているようで、研究のみをさせるという方針であるようだ。ヴァルターに人事や経理を任せようものなら、研究所はたちどころに崩壊するだろう。
「博士はいつもここで寝ているのか?」 床には片方だけ落ちたスリッパ。仮眠室の狭いベッドからは白衣の裾と片足がはみ出している。ムスカは手近にあった毛布を掴むと、その無防備な腹に掛けた。 「ええ。官舎が用意されている筈なんですが、あまり帰られていないようで。」 家だけではない。本来は研究所内にも階級に合わせて彼専用の研究室を用意していたが、片付けないくせに他人が片付けるのを嫌うため没収されてしまったらしい。そういえば寮にいるときもベッドの上は彼の寝場所がないくらいに本が溢れかえっていた。狭い部屋に置かれた二台のベッドは殆どくっつく様に隣り合わせになっていて、狭すぎる寝床で寝返りをうった彼がムスカのベッドに侵入してくることがたびたびあったことを思い出す。
研究所で彼と会うことは少ない。実験室には入りにくいし、実験していない時の彼は仮眠室で寝ているか貪る様に資料を漁っている。そんなある日、彼が寛いでいる時に出くわした。珍しいな、と言おうとしたムスカに対し、彼の方から飲むかと声を掛けてきた。何やらわからず頷くと、手招きをされるがままにひとつの実験室へ通された。クリーンルームなどもないことから、ここは簡易な実験を行う部屋なのだろう。傍らを見れば、彼が棚から何かを取り出して奇妙なことを始めていた。フラスコに煮立った湯を漏斗へ注ぎこみ、濾過している。どうやらコーヒーを淹れているらしい。 「ん。」 大きめのビーカーから小さな2つのビーカーに注ぎ分けられ、その片方を差し出された。無愛想な勧め方だが、それ以上に気になることがある。彼は木ばさみで摘まんでビーカーを出したが、それほど熱いこのビーカーを自分はどうやって持てというのだ。いや、それ以上にその器具で入れて大丈夫なのだろうか。ここでさっきまで何の研究を行っていたのか、聞きたくない気がする。 「このビーカー、ちゃんと洗っているのか?」 「混ざったら困るじゃないか。」 当然だと言わんばかりの顔に、ムスカはそれ以上突っ込むのをやめた。彼がやったのではないだろうが、洗浄も殺菌も完璧らしい。コーヒーに薬品が混ざることよりも、次の使用時に前回の薬品が混ざる方が困る事なのだろう。言われてみれば正論だ。ムスカはハンカチーフでビーカーを包んだ。一口飲むが、あまり美味しくはない。ヴァルターは猫舌なのか息を吹きかけて冷まそうとしていた。まるで子供だ。
ふと、慌しい足音とともに引き戸が開けられた。 「博士!」 香りを嗅ぎ付けたのだろう。若い研究員が入ってきた。 「言って下されば飲用の豆で用意するとあれほど・・・!」 つまり飲用の豆ではないらしい。それを聞いてむせたムスカに研究員が振り向いた。存在に気付いていなかったようだ。彼はムスカの手にあるビーカーを見て眉を寄せた。 「あぁ、すまない。」 「いえ。」 若い彼は不機嫌さを隠しきれずに口ごもっていた。どうやらこのコーヒーは成分抽出用で、味はともかく不純物を除去している為に飲用よりも価格が高いものらしい。それに実験室へ入っていることを暗に咎めているのだろう。 「成分は同じだから問題ないだろう?」 ようやく冷ましたコーヒーを口にしている彼は、味も価格も気にならないようだ。彼らしい返事にムスカが笑うと、研究員から睨まれた。
応接室に通されソファに腰掛けると、研究員が淹れた飲用のコーヒーを出された。特に美味しいという訳ではないが、飲用でカップに入っているだけでも大丈夫だという気になってしまう。ムスカの隣には、金属製のマグカップが置かれていた。カップを良く割る彼の為に、若い研究員が探して買ってきたものらしい。 「博士、これならもう割れませんよ。」 得意気に言う彼とは裏腹に、ヴァルターはムスカの飲みかけを取り上げてしまった。 「それはもう、違うものだよ。」 飲みかけをフウフウと冷ましながら、彼は不機嫌そうに言った。疑問に思ったムスカが金属マグのコーヒーを口にすると、微かながらも金属の味を感じた。それでも味は抽出用のコーヒーよりは幾分マシだと思うのだが、彼にとってはそうでないらしい。喉の奥でくつくつと笑いながら、ムスカはマグカップを置いた。
機嫌を損ねた研究員が出て行った頃、ヴァルターは冷め切ったコーヒーを飲み干した。ふと再会から二週間が経つことに気付く。約束の期間の半分だ。ムスカは話を切り出した。 「分析はどうなっている?」 顔を上げたヴァルターの表情は芳しくない。 「素材の見当はついたんだが、どうやって作るのかがまだわからない。」 彼とは逆に、ムスカは口元を緩めた。今までの奴等とは偉く違う答えだ。 「複数の珪素化合物と微量の金属、問題はそれをどうやって均一に固めるかだ。」 ガシガシと頭を掻きながら彼が言う。ムスカは前の分析結果で粘土か金属かさえ分からないと言っていた事を思い出した。彼はその両方を混ぜたものだと言っているらしい。未だ独り言のように何事かを呟いている彼を見たムスカは、彼ならば真実に辿り着ける気がした。 「素晴らしいではないか。素材がわかったんだろう?ならば――」 励ましの言葉と差し出そうとした腕は遮られた。 「再現性のないものを科学とは言わない。」 静かだが揺ぎないその言葉。そこに、彼の全てが現れていた。 「そうか、そうだな。ハハハ、それでこそ君らしい。」 ムスカは彼を見つめ、眼鏡を外す。金色の瞳を眩しげに細めた。俯いて組んだ手に視線を遣っていたヴァルターが顔を上げた。眼鏡の奥にある灰色の瞳が一際大きく開かれる。 「ラピュタ。」 何の前振りもないままに、彼が“正解”を口にした。ムスカにとっては時が止まって感じられたが、ヴァルターにとっては時が動き始めた瞬間だったらしい。 「そうだ、無重力ならば冷却時でも分離しない。」 ソファから立ち上がり、何事かを呟きながらヴァルターは歩き始めた。早い。彼にはもうムスカなど見えていない。応接室を出ようとしたその腕を掴み、引き止めた。 「何故わかった!?」 振り向いた彼はこう言った。 「君が言っていた事じゃないか。ラピュタは存在するって。」 ムスカが腕を放すと、彼は研究員を呼び集めながら方針を伝えていた。その進みが加速する。止まらない。先へ、もっと先へと加速する。行ってしまう。皆が沸く中で一人、焦りすら感じていた。行ってしまう。私の手の届かない所へ。 気球か飛空挺を用意するよう叫ぶが聞こえた時、ムスカは自分が手配しようと名乗りをあげていた。
それから二週間経った約束の日。 ヴァルターのもとを訪れると、ムスカは掌に小さな破片を載せられた。 「できたよ。」 空から降ってきたロボットの素材が、地上で再現された瞬間だった。
* * *
「ラピュタって、何?」 同居人から初めて掛けられた言葉がそれだった。消灯の時刻を過ぎ、眠ろうと毛布を手にした時のことだ。何故それを自分に尋ねるのかと思っているムスカは、月明かりに照らされたヴァルターの姿を見た。いつの間にか身を乗り出してムスカのベッドに手を置いている。この珍妙な同居人が自分に対して興味を露わにする姿は初めてだった。 「いつも寝言で言っているから。」 見開いた瞳が月明かりを帯びて金に輝く。寝言を聞かれた恥ずかしさもあるが、ラピュタに興味を持たれた喜びのような感情が上回る。同居人は違う地方の出身なのか、その伝説を耳にしたことはないようだった。 その夜ムスカは自分の知るラピュタの全てを滔々と語った。巨大な飛行石の結晶を擁して天空に浮かぶその城を、驚くべき力を、科学力を。 「ラピュタは存在する。私はいつかそれを見つけて――」 語ることに熱くなりすぎて気付くのが遅れたが、同居人はいつの間にか眠り込んでいた。眠るのは良いが、せめて自分のベッドで寝て欲しい。ムスカは彼を隣のベッドへと転がそうとしたが、そこは本が雪崩を起こして無理だった。そうこうしているうちに、寝返りをうった彼はとうとうムスカのベッドを占領していたのだった。
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