[52] 博士との話 (老博士Ver.) |
- 774 - 2007年06月25日 (月) 01時46分
まだ幼かったムスカは一人の先生に出会った。代理で来たという割には歳をとっていて、子供には理解のできないような話ばかりする困り者だった。従来のつまらない授業に飽いていたムスカにとっては面白いものの、他の子供は何も理解できずにペンを投げた。その奇人、ガドリン先生はたまにムスカを指名するとこう尋ねる。 「ムスカ君、君はこの答えがわかるかね?」 難問は多いが奇問は出さない。まるでこちらの力量を調べるかのような問題だった。日に日に難しくなる問題を楽しみにすら感じ始めている頃、事件は起こった。
「お前、まだそんな昔話を信じているのかよ!子供だな!」 クラスの虐めっ子を中心に、ムスカをからかう輪ができた。ラピュタ伝説とは、この地域に住む子供なら一度は聞いた有名な昔話だ。それをいつまで信じるのかが、大人と子供の分かれ道とも言われている。虐めの原因は単純だ。先生の質問に一人だけ答えられるムスカに嫉妬しているだけなのだ。 「ラピュタは存在する。」 自論を曲げず立ち向かったムスカに、体格の良い子供が飛びかかった。服を、髪を掴んで殴り合いの喧嘩が始まる。事情を察した若い体育教師が二人を捕まえ引き離した。虐めっ子達が去ったその場で彼が言う。 「ラピュタか。夢があって良いよな。先生も信じているよ。」 子供らしくないと思っていたムスカが夢を語るなど可愛いではないか。彼は心底そう思っていた。明るく笑った彼の顔に憎しみさえ感じながらムスカが睨む。相手ははラピュタなど信じていない。気休めも良いところだ。そう感じているムスカの気も知らず、体育教師が頭を撫でた。 「君が見つけたら良いじゃないか。」 前向きな意見で慰めたつもりだろうか。脳まで筋肉で出来たお前に何が理解できる。捕まえられた筋肉質な腕に嫌悪感を隠せなくなる頃、ガドリン先生の声がした。 「君はもういい。ムスカ君、こちらへ来なさい。お茶でもどうかね?」 体育教師を追い払い、先生がムスカに向かって手招きをした。部屋に入ると芳しい紅茶の香りが鼻をくすぐる。甘い菓子を振舞われながら、先生はこう尋ねた。 「何故君はラピュタがあると推測するのかね?」 想像ではなく推測。ムスカはこの先生になら話せる気がした。王族ということは言わなかったが、自分の家に伝わる古文書やそこに書かれた文字、その解読結果などについて延々と話した。ようやく話し終わったムスカの頭に手が載せられる。 「ワシも、信じておる。」 皺がれたその手の温もりを感じながら、ムスカは先生を見た。あの教師と同じことを言っているのに、信じられる気がした。 「ガドリン先生は何故ラピュタを信じているのです?」 真っ直ぐな目で先生を見た。先生は軽く頷き、頭を撫でていた手を下ろすと机に乗せて軽く組んだ。 「昔、空からロボットが降ってきた。まだ若かったワシは、ワシの先生と一緒にそのロボットを調べた。」 先生は訥々と話し始めた。 至急の命を受けてティディス要塞へ向かったものの、そのロボットはわからないことばかりだった。何で出来ているのかも、どうやって動かしていたのかも、何もわからなかったという。結局それは世間に発表されることはなく、ラピュタ探索の為に特務機関の中に新しい部隊が立ち上げられたと噂に聞いた。 「特務、機関?」 「ああ。……まさか、とは思った。しかしラピュタ無しは説明できなかったのだ。」 ガドリン先生の先生は、要塞から戻っても混ざらない筈の物質が混ざっていると言っては研究を続けていたが、高齢の為に志半ばで亡くなってしまった。 「だからワシはラピュタを信じておる。」 ラピュタが存在するのならあれに説明がつく。先生は昔を思い出して目を細めた。もしあのロボットの調査が上手くいっていれば、教授は失意のまま死なずに済んだのではないか。自分だってこのような役割など受けず、研究に没頭できたのではないか。今となっては昔の話だが、風化できない過去だった。ふと気が付くと、じっとムスカに見つめられていた。 「すまなかったな。昔の話につき合わせてしまった。」 いつの間にか日の暮れた校庭を眺めながら、彼はムスカを撫でると微笑んだ。
全国の優秀児報告を受けた学校に出向き、その素質を見極める役割。通称「人攫い」こそ、この彼だ。彼は早速本部にムスカの合格を伝えると本業である研究機関の一研究員へと戻り、また次なる優秀児の報告を受けるとその学校へと派遣されるのであった。
「先生、ヨハン・ガドリン先生?」 廊下で急に名前を呼ばれて立ち止まると、色眼鏡を掛けた背の高い男が立っていた。男が眼鏡を取ると、特徴的な金の瞳が現れる。 「ああ、君か。」 20年振りに再会したムスカは特務機関の一員となっていた。その遣り口がここまで聞こえてくるほどだ。少し強引過ぎやしないかと思っていたところでもある。しかし彼ほどの頭脳を持てば、そういう手段をとってでも上を目指したくなるのも無理はない。上に行って初めて能力を発揮することができる世の中だ。彼ならばそれに値する程度のものを持っているだろう。そのための制度だ。そのための「人攫い」なのだ。ガドリンはそのシステムによって引き上げられた若き天才に目を細めた。 「聞いているよ。例の機関に入ったそうじゃないか。」 黒服の部下を引き連れたムスカは、もう彼の権限ではそうそう会うこともできないほどの地位にいる。本来ならば言葉遣いを選ばねばならないはずだが、博士はいつもの口調のままで続けた。 「何の用事かは知らんがね。上を目指すのならば、このような場所にいてはいかんよ。」 進まない研究、通らない予算。たまに呼び出されては、あの「人攫い」を命じられる日々。ここは出世に縁のない者達の終の棲家だ。もっと良い設備、優秀な人材の揃った研究所位、いくらでもある。本部にあるとはいえ底辺に近いこの研究所など、彼のような人間が来る所ではない。しかしムスカはまたお会いしましょうと言い残して立ち去った。何が楽しいのかは判らない。
その夜、官舎へ戻ったガドリンは、思い出したように一冊のノートを引っ張り出した。埃を払ってそれを開くと、ムスカの調査記録が綴られている。本部に提出した報告書には無い「ラピュタ」の記述に辿り着くと、彼はノートを置いて目を閉じた。 食うには困らないが、研究を続けるには全く足りない。昔は研究をするために「人攫い」で得た報酬を費やしていた。しかし今ではその熱意さえ薄れかけていた。もう「人攫い」の依頼さえ来ない。かつての博士のような、熱意のある者が率先して行くからだ。ムスカに会って思い出したラピュタのロボットのことも、遠い過去でしかない。師が失脚したのと対照的に、対立勢力が出世していくのを横目で見てきた。もしもあのロボットの調査が彼らに依頼されていたら。もしも自分達にまわってさえこなければ。その時は自分達があの地位にいたのではないのか。少なくとも師は、優れた研究者だったのだから。 「詮無きこと、だ。」 博士は深く息を漏らすと、首を振った。師はとうに亡くなり、自分も老いた。上から命じられた調査をこなし、日々の糧を得るだけの暮らしだ。諦めるには既に充分な時間が経っていた。
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