[26] 大佐のことを心配する大尉と親戚兄さん (1/3 : 大尉と大佐) |
- 七梨子 - 2007年06月06日 (水) 22時57分
配属先で頭角を現し始めた時期と前後して、ムスカについての無責任な噂話がささやかれていた。彼の異例なスピード出世の対するやっかみだろう。私の周囲でも、私自身が彼に嫌われていると思われていたためか、あからさまな話をされることもよくあった。
―普段済ました顔をして、裏では何をやっているのやら― ―最近また訳の分からないプロジェクトを通したのも上層部へ媚びを売ったお陰だろう― ―目的の為には手段を選ばない、冷酷で、人間らしさの欠片もない男だ―
中には聞くに堪えない程の悪意に満ちた誹謗も少なくなかった。これらの内容を本人も知らない筈はないのだが、全く気にかける様子もない。そういうところが却って反感をかうことにもなっているのだろう。
資料保管室に人影が見えた。誰も顧みないが捨てるわけにも行かない形ばかりの報告書がストックされており、可燃ごみ置き場などと揶揄されているような場所なのに珍しいことだ。見ると棚の陰にあたる席に沈鬱な様子のムスカの姿を見つけた。誰に何を言われようと、何処か見下したような不遜な態度でいる普段の様子とは明らかに違う。
「勝手に、何とでもいうがいい…」
恐らく本人も気付かずに小さくつぶやいているのが微かに聞き取れた。
「誰だ!」
直後、こちらに気付き、警戒心をあらわにする。
「隠れているつもりは無かったんですが、驚かせましたか。」
今はもう、彼の方が上官だ。新人の頃の彼を知っている為か、今の姿には何処か無理をして痛々しい印象を受ける。人影の正体が私であると知ってほんの少しだけ緊張がとかれたような気がしたのは、自惚れだろうか。
「…こんなことを言える立場ではないですが、今の状態が貴方にとって最良だとは思えない。―自身を大切にすることも時には必要なのでは…」
「全くもって余計なお世話だ。」
叩きつけるようにそう言い放った表情は、かつての少年の面影の残るそれではなく冷酷に任務を追行する特務部隊の幹部のそれであった。しかし彼の思考や行動が任務第一に訓練されきった故のものではない。あるべき姿であろうと務める強固な意志によるものであることは先ほどの苦悩の様子からも明らかだ。 自制心の強さが仇となりかえって自身を苦しめている。まるで泣きながら強がりを言う子供の姿を見ているようだ。 そんなことを考えているうちに、こちらを睨み付けるその頬に無意識に手を伸ばした。その手が触れるか触れないかの距離に近づいた時、彼は電流でも触れたかのように身をすくませ、私の手は払いのけられてしまった。それは想像もしていない過剰な反応だった。
―しまった―
互いに気まずさを感じた。彼にとっても取り乱したその行動を他人に見せたことは失敗だったのだろう。目もあわせないまま無言で立ち去っていった。
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