JPDA34IN大阪若年性分科会 (42) |
- 日時:2010年06月21日 (月) 00時11分
名前:やそ
全国パーキンソン病友の会(JPDA)歴史にみる若壮年患者の貢献と将来への期待
=創始者は40、50代=
JPDA34in大阪 2010(平成22)年6月15日若年分科会 JPDAの創始者は若かった(1976.11.23) 初代会長 河野正明(愛媛県・50代) 発起人 副会長 西嶋 瑛(神奈川・42歳発症19歳)発起人 同 長尾賢一(東京都・50代) 事務局長 河野 磐(東京都・43歳発症32歳)発起人 愛媛県PD友の会 1972(昭和47)年3月 神奈川県1976(昭和51)年3月 東京都 1976(昭和51)年10月 JPDA創立1976(昭和51)年11月23日
JPDA草創期の課題と成果 @1976(昭和51)年6月特定疾患対象疾患に A1977(昭和52)年JPDA調査でも就労が課題男性患者就労率 発病前 99%発病後 24.5% B1979(昭和54)年献脳運動始まる。現在のブレインバンクは「生前同意に基づくドナー登録カードの保持」という点で異なり、死後脳の献脳をご遺族に募るものだった。 C1983(昭和58)年、日米のパーキンソン病患者会が協定を交わす。相互の医療情報交換の機会とする。適宜無料で、P病の啓発に努める、会員相互の親睦、原因究明治療法開発に協力し合う。
若年性部会から若年部会に @就労を重点課題とすると 一般のPDと若年性40、50代のPDは共通問題も多い。⇒若(壮)年の問題 A若年性PDと一般性の壮年PDを合わせ「若【壮】年部」とし、一般性PDにはなかった若年性PDの人生全体に及ぶ課題があることを理解し、その解決を支援する。 ・若年性部会のブロック会議等記録集 ・2006年3月26日発行就労・生活問題体験手記号 ・2005年5月28日若年部幹部会「最終号」ほか
問題解決のプロセスを頭の働きになぞらえる 1.できる:できない= Can : Can’t 問題解決の可能・不可能を究明する ↓ 2.する:しない = Do : Don’t 解決「可能」だから実行。自然な流れに沿って、する・しないを明確にしておく。例:人・物・金・時間を、 ↓ 3.物事はそこに存在する= Being 解決過程(Can → Do→ Be)で頭を切り替える
将来展望 ATM=あかるく・楽しく・前向きに過ごしますか KKK=暗く悲しい壁を嘆いて暮らしますか どちらもご自分が選べる気持ちの選択です。 どちらの気持ちで生活するかで、将来は大きく変わって見えます。 ◎お勧めしたいのは「ATM」ですが、決して無理をして選んではなりません。病いを受け入れたとき、自然にATMな自分に気がつけば最高です。 ◎明るく楽しく前向きなあなたに、周りの人が影響を受けないはずがありません。
共にATMを広めていた人々 丹羽浩介さんこそ、ATMの創始者にふさわしい。やりたいことを明確に持ち、出来るかどうかを瞬時に判断しすぐに手をつける。まよいが一切ない方だった。 茨城県の支部長でいらした清水昇勝さんは、存在そのものが明るく楽しく前向きな方であった。腸閉塞手術後の体で車を運転し県北の講演会に出かけられ、帰り着いた玄関先で、心筋梗塞によりお亡くなりになった。 山口の支部長だった伊豆悦子さん 千葉大会で自らのDBS(脳深部電気刺激術)の術前術後をビデオに記録し紹介された。DBSはこの大会を機に全国に広がった。 先人のご功績を讃え、ご冥福をお祈りします。合掌
生活の知恵から生まれる日用品の開発 自分の使う杖、持ち歩きの薬入れ等々、日常必需品は、使い易さを考え工夫しておられるはず。 日常の私たちの暮らしの中に、一般人には考えの及ばない便利な生活補装具の開発ヒントが眠っている。 みんなでヒントを出し合えば10や20の工夫は出てくる。 月例会等の集まりのスケジュールに「工夫する時間」を用意しておき、工夫改善の習慣化していければ、患者のだれもが欲しくなるような商品開発・企画も夢ではない。 その開発企画の場面は、ATMな雰囲気に満ちた、夢実現の時間になるだろう。
第35回JPDA若年性分科会までに実現しよう。 @障害者制度改革推進会議・総合福祉部会で論議が始まった。 A障害者自立支援法の廃止が2013年と決まった。 B障害者制度改革推進会議の目的は、障害者差別禁止法の制定、障害者基本法の見直しを行い、障害者権利条約の批准条件を整備することにおかれている。
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