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光明掲示板・伝統・第一

 

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神への全托 (81)
日時:2015年01月24日 (土) 04時57分
名前:伝統

*光明掲示板・第一「神に全托」からの継続です。
 → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1562

・・・

《神に一切を献(ささ)ぐること》

          *『幸福を招く365章』(P77)より

貴方は今日一日何事も神に委(ゆだ)ねて争わず、
はからわず、まかせきりの其の儘の心になる稽古をするのである。

無我全托(まかせきり)になったとき神の智慧が貴方に流れ込んで
最もよき導きをして下さるのである。

神は倒れたる者を起き上がらせ、萎えたる者に活力を与え、行詰った扉をひらき給う。
貴方は今日決して自分の我を出さないのである。

今日一日を聖別して、神に献納したと思え。
献納したものを取戻してはならないのである。

神にあなたの一日を献げたとき、その一日は神聖なものとなる。

            <感謝合掌 平成27年1月24日 頓首再拝>

神に全托して愉快に楽しく勇敢に (185)
日時:2015年02月04日 (水) 03時32分
名前:伝統

          *「幸福を招く365章」(P146)より

神は「重荷を負える者よ、われに来れ。われ汝らを休ません」と云い給うているのであります。
重荷を自己に背負う必要はないのであります。
それなら何もしなくても好いかと云うとそうではありません。

責任を神に負わせて、自分は神の子として自由に神の導きのままに活動すれば好いので
あります。重荷をもって重圧される感じで生活するのは、神様のみ心ではないのであります。

「空の鳥を見よ。つとめず、倉にたくわえず・・・云々」とイエスは教えていますが、
勤勉であるなとか、必要な時のために貯えるなと云う意味ではありません。
空の鳥のように無邪気に神にまかせ切って、囀るような楽しきで生きよと云う意味であります。

あなたはあなたとしての仕事を楽しく愉快にやれば好いのです。
責任は神が持ち給う。
神に全托して愉快に楽しく勇敢に。

            <感謝合掌 平成27年2月4日 頓首再拝>

神に問題を全托すること (336)
日時:2015年02月16日 (月) 04時31分
名前:伝統

           *「真理」第九巻生活篇(P281〜282)より

祈る時には神に任せよ。
自分の「我」の考えを放棄して、神が自由に何物にも束縛されないで、
働き得る機会を与えなければならない。

神は「戸の外に来たりて」吾らが心の扉を開くのを待ってい給うのである。

神は我らに完全なる自由を与え給うているのであるから、
人間自身が扉を開くことを好まない限りは神は強制的に扉の内に入り
我らを指導し給う事はないのである。

祈りは我らが神に対して扉をひらくことに当たるのである。

「神よ、吾が問題に立ち入りてこれを解決したまえ」といのるとき、
我らはその問題について扉をひらいたのであり、
神はその問題に招かれて立ち入り給うたのである。

そのとき、神に真心から感謝の言葉を述べなければならないし、
完全にその問題の処理を神にまで明け渡してしまわねばならないのである。
時々、我見を加えて神の処置を修正しようと思ってはならない。

            <感謝合掌 平成27年2月16日 頓首再拝>

治病の秘訣は全托の心境にあり (453)
日時:2015年02月25日 (水) 04時32分
名前:伝統

         *「人生の秘訣365章」(P227)より


子供が病気に罹った時、あまりに子供を愛するために、
子供の病気を心配しすぎてその病気の進行を予測して恐怖してはならないのである。

親や、側近にいる看護者の精神状態や恐怖の感情は、
直ちに、その子供に感応して症状を増悪する結果となるのである。

大病院では「完全看護」と称して、家族などの看護を拒絶して、
家族的愛情のつながりのない看護婦だけに看護させているところが多いが、

これは執着の愛情から、病気の前途を恐怖し心配する感情や想念が
病人そのものに感応して症状を増悪することを防ぐために
適当な精神科学的処置であるということができるのである。

医者にかかる位ならば、医者に完全に全托して、素人の分別を用いないがよい。

全托してまかせ切り、一切の憂慮や、悪の予想を起さないことが病気を治すに
必須な根本的な心の態度なのである。

悪を予想して思い煩うこと勿れ。

イエス言い給えり、「汝ら思い煩うとも、いのち寸陰を延べ得んや」と。

            <感謝合掌 平成27年2月25日 頓首再拝>

主権を神に返せ (594)
日時:2015年03月08日 (日) 03時55分
名前:伝統

             *「生活の智慧365章」(P133)より


神に完全に無条件降伏せよ。神は全ての癒す力を持ち給うのである。

神は戦争に於ける占領軍のように、こちらに抵抗の心があるのに無理に暴力をもって
進駐して来られる云うことはないのである。

神は一切のものの生みの親として、また創造(つく)り主として、
吾等の人事に潜在主権をもち給うのである。

しかし、吾々自身が「我」の仮主権を握って頑張っている限りは、
その仮主権を排除してまで、神の潜在主権を実行に移し給うことはないのである。

神の全能の完全なる機能を、わが身体及び人事、事業等に於て実現しようと
思ったならば、完全に神に主権を返還して、神の叡智によって、
自分の一挙手一投足を支配せしめるようにしなければならないのである。

神に主権を返還するなどと言えば、
自分以外の「神」に自分の主権を奪われるかのように錯覚する人があるかも知れぬが、
「神」と云うのは、自己の霊なる“本当の自分”なのである。

“肉体の自我”の主権を“霊の自我”の主権に譲り渡すことなのである。

            <感謝合掌 平成27年3月8日 頓首再拝>

解決を神の方法に委(まか)せ切れ (668)
日時:2015年03月16日 (月) 06時22分
名前:伝統

            *「生活と人間の再建」(P179)より

もし吾々があらゆる方面に行きつまって何事も思うようにいかないというような
状態が信仰を得た後に、毎日祈ってるのに拘わらず現われたとしたならば、
吾々は喜ばねばならないのである。

それは大地が割れる程の大きなものが下から芽をふきつつあるのである。
地面が動き出したからといって、その地面の動きを征服しようと戦ってはならないのである。
またその地面を平らかにしようと鍬(くわ)や鋤(すき)を加えてはならない。

吾々は驚いたり騒いだりしてはならないのである。
吾々は神に全托しなければならない。
神は「神’の’方法’に’よって’」吾が祈りにこたえ給うのである。

自分の我の心で《神の方法》を批判してはならない。

かかるときに於いて我らの祈るべき言葉は、

「神よ、あなたの無限の智慧を以って吾を導き給え。
神よ、この解決を貴方の方法にお任せ致します。
今起こっている事件の意義を知り得る智慧を与えたまえ、
そしてこの試みに耐えて吾が魂の発達致しますように」

というようでなければならないのである。

もし吾々が、祈りにも拘わらずそこに現れた不完全な状態と見えるものに対して、
恐れおののき、或いは周章狼狽し、我の心でその状態を変化しようと努力するならば、

折角「神よあなたの方法にお任せします」と祈ったその祈りを、
取り消してしまうことになり、神の智慧に逆(そむ)いて我の智慧を行使することになり、
結局、祈った事物の実現を遅らしてしまうことになるのである。

祈りは我々が神の御心に対して完全に任せきり、
「神の方法」に逆らわなくなった時に、もっともなめらかに実現するのである。
然しこれは時として甚だ難しいことがあるかもしれない。

ある場合には、今までかくも愛し、かくも恩恵を与えてきた相手が自分に反抗して立ち、
自分に矛を向けて小さな欠点を鵜の目鷹の目で探し出し、恩を仇で返すような
仕打ちをしてくることがあるかも知れない。

そのような時に、普通なら吾々は彼を憎み、自己を弁護するするために、
彼と同じように彼の欠点を数え上げて相手を傷つけたくなるだろう。

しかしそれでは決して神のみ心にかなうやり方ではないのである。
かかる状態が自分の前に現れたということは、自分の魂がそれによって磨かれて、
かかる敵をすらも愛する力を、わが魂に実現せんがための、神の摂理であるのである。

            <感謝合掌 平成27年3月16日 頓首再拝>

神に全托(ぜんたく)すれば最も善いものが来る (767)
日時:2015年03月26日 (木) 03時12分
名前:伝統

        *『 生長の家 』(昭和25年1月20日の法語)より

「 私の意志が 神様にきかれますように」と祈るよりも、
「 神さまの意志が、み心の通りに私の中に行われますように 」 と

祈る方が正しき祈りであるのである。


自分の欲するものが その祈りの結果として実現して来なくとも、
それは 却(かえ)っていいことなのである。


自分の意志よりも、神さまの み心の方が、
何が一そう善いかということをよりよく知り給うからである。

神への無条件降伏は 宗教の極致であり、幸福の源泉であるのである。

無条件降伏が無条件幸福である。

            <感謝合掌 平成27年3月26日 頓首再拝>



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