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光明掲示板・伝統・第一

 

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「祈年祭」 (345)
日時:2015年02月16日 (月) 18時32分
名前:夕刻版

明日、伊勢神宮や皇居では、「祈年祭」が行なわれます。

「祈年祭」は「としごいのまつり」ともいい、
毎年二月十七日に全国の神社で行われるお祭りです。

近世までは毎年陰暦2月12日に、現在は2月17日に行われます。

ただし、実施日が特に統一されているわけではなく、
北国には3月や4月の春祭りと併せて行う神社もあります。


ちなみに「年」とは稲を意味し、稲穂を蒔(ま)く季節の初めにあたって、
その豊穣(ほうじょう)を祈願するわけですから、いいかえれば
人間の生命の糧(かて)を恵んでくださるようにとお祈りするお祭りといえるでしょう。

したがって、一粒の米にも神さまの御霊(みたま)が宿ると考えられているのです。

祈年祭では、稲だけでなく五穀の豊穣と国の繁栄、
そして皇室の安泰や国民の幸福なども祈願されます。

この日は、宮中の賢所(かしこどころ)においても祭典が行われ、
天皇が御親拝になられるということです。


「祈年祭」は、11月23日に行われる、
1年の収穫を感謝する新嘗祭(にいなめさい)と対になる祭祀です。

その起源は律令時代以前に遡り、
本来は農民が行う田の神への春の予祝儀礼(その年の豊作を
祈って行う前祝の行事)の祭りであったとされます。

五穀豊穣をもたらす山の神は、春には山から降りてきて田の神となり、農作業を見守り、
秋の収穫が終わるとまた山に帰っていく神様であり、

この春の祭りには、山の神の神迎えの神事を行い、
それと対をなす秋の祭りには、田の神の神送りの神事を行います。

祈年祭とは、年を祈る祭りであり、その年とは 年に1回稔ることから稲(=米)を
はじめとする穀物(五穀)の稔りを意味し、稲穂を蒔く年の初めにあたり、
五穀豊穣と国家安泰、天皇弥栄(すめらぎ いやさか)、産業振興、国民の幸福などを祈願する、
日本古来より受け継がれてきた重儀な神社の祭祀です。


・・・

《五穀豊穣(ごこくほうじょう)の祈り》 〜 谷口雅春先生


   われ今、五官の世界を去って実相の世界に入(い)る。
   あゝ神の創造(つく)り給いし実相世界の妙(たえ)なるかな。

    ( 讚歎と驚異の念を起して実相の世界を見渡している気持を起す )

   神の恵み 天に満ち、地に満つ、
   気候和順にして、適当なる日照と適当なる雨の霑(うるお)いあり、
   
   雨は 空中の窒素を適当に固定して肥料を雨ふらし、
   台風は 我が国のすべての田畑を襲うことなく 害虫 病害 等 あることなし。

   この実相世界の豊穣なる有様をわれ一心に観じて、
   わが心の波長を豊穣無限供給の有様に合わすがゆえに、
   実相豊穣の有様、わが国のすべての田畑に現実化するのである。

   神は 常にわが心を護り給いて、
   わが心が自動的に実相世界の豊穣無限供給に波長を合わすように
   わが心を調節したまうのである。

   既にわが国のすべての田畑が
   豊かに稔りを得たることを感謝します。

   ( わが国のすべての田畑の豊作の状況をハッキリと心に描いてじっと凝視し、
    再び “ あゝ神の創造り給いし実相世界の妙なるかな ”
    ・・・こう幾回も繰り返し念ずる )


   *谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の壱 より転写しました。
      → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=74

           <感謝合掌 平成27年2月16日 頓首再拝>

祈年祭。 (355)
日時:2015年02月17日 (火) 20時07分
名前:伝統

祈年祭。

「神祗令義解」には、謂ふ、祈は猶ほ祷の如し、歳災作らず、時令を順度ならしめむと
欲して、即ち神祗官に於て祭る、故に祈年と曰ふ、と記されている。

班幣を重視した祭祀で、六月・十二月の次祭や十一月の新嘗祭とともに
重要な国家的祭祀であった。

『古語拾遣』で祈年祭の起源について、大地主神が御歳神の祟りを恐れて、
穀物の豊饒を祈った話を伝えている。

古来より日本は稲作を中心とした農耕生活を基盤に成立しており、
五穀の豊かな稔りを神祗に願う儀礼が律令国家の確立とともに制度化したと考えられている。

7世紀後半の天武天皇の時代にはすでに行われていた記録があり、
日本古来の春の農耕儀礼に支那の大祀祈殻の要素を取り入れたものと考えられている。

延喜四時祭式によると、
当初は神名帳記載の全ての神社(3132座:2861社)が祈願の対象であった。

平安時代初期には祭儀が形骸化し、神祗官の内部でのみ行われる祭祀となった。
桓武天皇の延暦17(798)年には、それまで総て神祗官が直接幣帛を班っていたものを、
従来どおり神祗官が直接班つ神社(官幣社)と、神祗官に代って国司が班つ神社(国幣社)
とに分別された。

平安時代中頃になると、天照大御神を主に祀る祭祀であると認識が変化しはじめ、
院政期にはその傾向がさらに強くなり、祈年祭は天照大御神を奉祀する天皇の祭祀
として厳修されるようになった。

13世紀初め、鎌倉時代初頭の順徳天皇の『禁秘抄』では、
祈年祭は伊勢神宮関係の祭祀であると明記されている。

室町時代後半の戦乱期には、他の祭祀と同様に宮中での祈年祭も廃絶し、
神祗官の伯を世襲してきた白川家が行うようになった。

江戸時代に入り、元禄年間に宮中での祈年祭の復興が企画されたが為らず、
明治時代の神祗官復興に至ってようやく再開された。

旧制に倣って2月4日に班幣式、同17日に宮中三殿にて天皇の御親拝のある祭典を
行うとともに、神宮に勅使を遣わして大祭による祭典を執行、官国幣社以下
全国の神社においても、幣帛供進使が参向して大祭による祭典が行われた。

第二次世界大戦後に日本の国家神道が解体されると、
祈年祭から国家的祭祀としての性格は消え、宮中では天皇家の私的な祭祀として、
他の神社でも通常の祭祀の一つとして斎行している。

 (http://www.7key.jp/data/thought/shintou/norito/toshigoi.html

<参考>

祈年祭の祝詞


延喜式祝詞(祈年祭1)
http://ameblo.jp/shinkawa-koutai/entry-10806206733.html

延喜式祝詞(祈年祭2)
http://ameblo.jp/shinkawa-koutai/entry-10807253745.html

延喜式祝詞(祈年祭3)
http://ameblo.jp/shinkawa-koutai/entry-10808382843.html


           <感謝合掌 平成27年2月17日 頓首再拝>



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