理解と、寛容 (296) |
- 日時:2015年02月13日 (金) 04時24分
名前:伝統
*「人を動かす」デール・カーネギー・著(P17〜18)より
死ぬまで他人に恨まれたい方は、人を辛辣に批評してさえおればよろしい。 その批評が当っておればおるほど、効果はてきめんだ。
およそ人を扱う場合には、相手を論理の動物だと思ってはならない。 相手は感情の動物であり、しかも偏見に満ち、自尊心と虚栄心によって行動する ということをよく心得ておかなければならない。
英文字に光彩を添えたトマス・ハーディが小説を書かなくなったのは、 心ない批評のせいであり、 英国の天才詩人トマス・チャタトンを自殺に追いやったのも批評であった。
若い時は人づき合いが下手で有名だったベンジャミン・フランクリンは、 後年、非常に外交的な技術を身につけ、人が扱うのがうまくなり、 ついに、駐在米大使に任命された。彼の成功の秘訣は
「人の悪口は決していわず、長所をほめること」だと、みずからいっている。
人を批評したり、非難したり、小言をいったりすることは、どんな馬鹿者でもできる。 そして馬鹿にかぎって、それをしたがるものだ。
理解と、寛容は、すぐれた品性と克己心をそなえた人にして初めて持ちうる徳である。
英国の思想家カーライルによれば、「偉人は、小人物の扱い方によった、その偉大さを示す」 ものだという。
人を非難するかわりに、相手を理解するように努めようではないか。 どういうわけで、相手がそんなことを仕出かすに至ったか、よく考えてみようではないか。 そのほうがよほど得策であり、また、面白くもある。
そうすれば、同情、寛容、好意も、おのずと生まれ出て来る。 すべてを知れば、すべてをゆるすことになる。
英国の偉大な文学者ドクター・ジョンソンの言によると
「神様でさえ、人を裁くには、その人の死後までお待ちになる」
まして、われわれが、それまで待てないはずはない。
<感謝合掌 平成27年2月13日 頓首再拝>
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