【広告】楽天市場からスーパーセール9月11日まで開催

 

光明掲示板・伝統・第一

 

本流宣言掲示板」「光明掲示板・第一」「光明掲示板・第二」「光明掲示板・第三」「光明掲示板・伝統・第二」「谷口雅春先生に帰りましょう・第一」「谷口雅春先生に帰りましょう・第二

ご投稿は「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」へ

「光明掲示板・伝統・第一」の目的

「光明掲示板・伝統・第一」のルール

「光明掲示板・伝統・第一」の利用法

重要リンク

必ずお読みくださるようお願いします

Página de topo/Top page トップページ

 

(二月)の法語・言葉 (150)
日時:2015年02月01日 (日) 04時44分
名前:伝統

このスレッドでは、(二月)の言葉・法語として、次の著書等から紹介して参ります。
ただし、要点のみの紹介になりますので、全文については、それぞれの著書等において、
ご確認くださいますようお願いいたします。


(1)『 光明法語<道の巻> 』
    (二月の法語「神は今ここに」)〜一部抜粋部を紹介

(2)『 生命の實相 』第三十七巻幸福篇
    (二月「衣を更えて」)〜一部抜粋部を紹介

(3)『 光明道中記 』(二月「天地そろう」)〜「タイトル」部分を紹介

(4)『 生長の家 』  昭和二十四年二月号 
            〜 ”明鏡 さま”のブログより一部抜粋部を紹介
              (http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12879012.html


(5)『 生長の家 』 昭和二十五年二月号
            〜 「谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐」へリンク


・・・

    <「光明道中記」如月・天地そろう〜はじめの言葉 より>

吾々の『生長の家』は毎号、諸君自身の内に宿る力を指示するために発行されるのである。

他に依頼心を持つ者は躓くであろうが、
自己の内に埋蔵されたる宝庫へ幸いに振向く人は救われるであろう。

救いの力は諸君自身の内にあるばかりであって、
わたしはその在(あ)り所(か)を指示するだけである。

吾々の光明思想になった結果病気が治ると云うのも、
諸君自身がそう云う思想になった結果であってわたしはただ指(ゆびさ)すのみである。

文章の力による指し方は可也り上手であるので、
文章の力で病気を治したとも謂い得るが、
精(くわ)しく言えば文章の力は、よく諸君の心を振向けただけである。

そこに自己内在の無限の力を見出すのは
諸君自身の力であって私の力ではないのである。

光栄は諸君自身の「内」にこそ帰せられるべきものであって、
私は喇叭(らっぱ)であり、指南車である。

指を月と間違え私の書いた符号を本物と間違える者は
実相を見ることが出来ないでああろう。

私はただ諸君を振向かすために文章で叫ぶだけに過ぎないのである。

私を尊敬せずに真理をこそ尊敬せられたい。


・・・

【一日の法語・言葉(2月1日)】

(1)《感謝は恩恵の流れに対してスイッチを捻る事である》

   吾らはすべての恩恵を与えられているのであるが、
   それは先ず自分が恩恵に向かって感謝することによってのみ、
   その恩恵がわがものになるのである。

   感謝すると云うことはスイッチを捻(ひね)る事に当る。


・・・

(2)《眼はその人の心と運命を現している》

   人に逢うて何かなつかしく、いつまでもその人と話していたいと思える人と、
   そうでない人がある。

   眼の光のなごやかな人と、鋭い人と、温かい人と、冷たい人と、なんとなく凄い人と、
   狡(ずる)そうに見える人と、人間にもいろいろあるものだ。

   濁りに染まない幼児の眼のような心になりたいものだ。

   いろいろの眼の光のあるうちで、一番わたしの好きでない眼は狡い光の眼である。

   隠し心のある眼、正面(しょうめん)を真正面(まとも)に見られない眼、
   下を向いていて上眼(うわめ)づかいで見る眼、顔の向かぬ方を盗み視(み)する眼
    ―― およそ狡(ずる)い眼の光はこういう眼の種類である。

   ぱっちりと打ち開いた愛くるしい隠しのない眼の光で相手を見る人は必ず好運である。
   形は心の影である。
   眼の形、眼の光、そのとおりの形のものがあなたの運命をあらわしている。


・・・

(3)《賞め讃える日》

   【真に幸福になろうと思うものは、既に自分が幸福であることを知らねばならぬ
                             (『生命の實相』第一巻)】


・・・

(4)《霊とは自覚原理である》

   霊とは意識すなわち心のはたらきがあるところの
   眼に見えざる霊妙なる存在を呼んで云うのである。
   これを称して 「 自覚原理 」 と呼ぶことも出来る。

   みずから“ある”ことを自覚している原理であり、
   みずから計画し設計するところの原理である。
   だからそれを 「 自己創造原理 」 とも呼ぶことが出来る。

   (http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12879012.html


・・・

(5)《報い求めぬ愛は尊し》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58


           <感謝合掌 平成27年2月1日 頓首再拝>

【二日の法語・言葉(2月2日)】 (160)
日時:2015年02月02日 (月) 02時51分
名前:伝統

(1)《与えることによってのみ受けられる》

   太陽の温かさを受けようと思えば先ず一歩日向(ひなた)に向って
   「歩み出し」を与えることが必要である。

   日向にむかって「歩み出し」を与えないでいて
   太陽の温かさをうけることは出来ない。


・・・

(2)《自分の心のとおりの世界》

   あらゆるものを愛していたい。
   愛する心のみが愛される心である。

   この世界は自分の心のとおりの世界である。

   腹の立ったとき、夫に腹の立ったとき、妻に腹の立ったとき、子に腹の立ったとき、
   親に腹の立ったとき、そんな時には相手の顔が小面(こずら)憎く見えるであろう。

   相手の顔はあなたを慰めないであろう。
   相手の顔が不快なのは、こちらの腹の立っている心が移入しているのである。
   相手の顔が悪いのではない。

   慰められる心は慰める心のみが味わいうるのである。

   相手は自分の心のとおりのものである。
   これをリップスは感情の移入と言い、釈迦は三界は唯心の所現と言う。

・・・

(3)《健康増進の日》

   【食事にうんと歓びのお菜を附けて食べよ。どんな粗食でも最上の栄養に変わる
                            (『生命の實相』第八巻)】

・・・

(4)《絶対者としての霊》

   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12882363.html

・・・

(5)《憎んでいる者を一層愛さねばならぬ》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58

           <感謝合掌 平成27年2月2日 頓首再拝>

【三日の法語・言葉(2月3日)】 (172)
日時:2015年02月03日 (火) 03時14分
名前:伝統

(1)《気が短いのでは可(い)かぬ》

   麦は一夜にしては実らない。卵も一夜にしては孵化しない。

   すべての形の世界に現れるのは時間を通して現れる。

   気が短いようなことでは可(い)かぬ。

・・・

(2)《赦し、仲よく、日の丸の心を持つ》

   争っていた者が仲よしのなることほど嬉しいことはない。
   仲直りぐらいありがたいことはない、喜ばしいものはない。

   『生命の實相』の巻頭に「汝ら天地一切のものと和解せよ」とある一句を忘れていて
   病気が治らないとかこっている人はないか。

   まんまるい、まんまるい、あのお月様のような心こそすべての病を治す心である。

   なんじの心の中の羊をしらべてみることが大切である。
   亡(うしな)われたる羊はないか。
   あなたを憎んで去った人はなかったか。

   誤解があったならば誤解を互いにほどくこと。
   憎んでいたならば赦すこと。
   恨んでいたならば恨みを解(と)くこと。

   心の思いと、物の負債とにかかわらず、借りものがあったら利息をつけて返すこと。

   わたしたちは人を赦すほかに仕方がないのである。

   ただわたしたちが、人を赦したときのみ神に赦されるのである。
   ただ人と仲よしになったときのみ
   わたしたちは神と仲よしになることができるのである。

   謙虚、《へりくだり》の心持は正直に事物をまともに見る心である。
   まちがっていたと気づいたら素直にあやまれる心である。

   放たねばならぬ物は素直に放つ心である。

   隔てのない心。角のない心。仲のよい心。○(まる)い心。
   ○(まる)はいっさいを包んでいる。
   隔てもなければ、角もない、実に実に仲のよい心が日の丸の心である。


・・・

(3)《微笑する日》

   【諧謔(じょうだん)は塩のようなものである。適当の諧謔は人生に味を添え、
    余りに諧謔が過ぎれば人生は味を失う。        (『生命の實相』第八巻)】


・・・

(4)《自覚原理なる神は》
   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12887805.html


・・・

(5)《愛は現象を見ないで実相を見る》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58


           <感謝合掌 平成27年2月3日 頓首再拝>

【四日の法語・言葉(2月4日)】 (183)
日時:2015年02月04日 (水) 03時20分
名前:伝統

(1)《悦びは創造の力である》

   神は萬物を悦びによって創造したのである。
   悦びこそが神の本性である。

   悦びが創造の力である。
   神は悦びの感情によって自然にその生命が動いて萬物の創造となったのである。

   愛は悦びの変形である。
   創造されたるものと創造したものとの自他一體の感情が愛である。


・・・

(2)《大同団結の心》

   一度でも逢った人には別れたくない。
   切る心は切られる心である。
   つながれた縁(えにし)は離したくない。

   逢う心、離れぬ心、つながり合う心、結び合う心、
   共同精神は真に○(まる)い心、日の丸の心である。
   人間はどうして大同団結しないのか不思議である。


・・・

(3)《腹の立たぬ日》

   【小善を軽蔑するな。小善を積むことが却って難しい。
    小善の出来るようなものでないと本当の大善は出来ない。(『生命の實相』第十一巻)】


・・・

(4)《抵抗の自己選択》
   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12891627.html

・・・

(5)《行為の価は内的動機で高下する》
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58


           <感謝合掌 平成27年2月4日 頓首再拝>

【五日の法語・言葉(2月5日)】 (195)
日時:2015年02月05日 (木) 04時47分
名前:伝統

(1)《自分の立場を捨てること》

   人には色々の立場があり、その立場に立って思い、考え、
   感じ、悲しみ、苦しみ、喜んでいるのである。

   愛とは自分の立場に立たず、彼の立場に立って、彼のために考えてやることである。

   「汝みずからの如く汝の隣人を愛せよ」とのイエスの聖訓はまさにこの事に他ならない。

   『甘露の法雨』を読んでも神想観をしても治らぬ病人で
   「自分の立場を捨てよ、頑固に自分を主張する心を捨てよ」と
   教えられて治った人もある。


・・・

(2)《牛後に喜んで活動しうる人》

   自分の方が優っているといって崇拝を自分の方へ集めようとする者がある。
   牛後(ぎゅうご)となるより鶏口(けいこう)となれという小才子(こざいし)が
   多いからこの世は乱れるのである。人間はなぜ大同団結をしないのだろう。

   30年黙って一つの団体の牛後(ぎゅうご)に喜んで活動しうる人は、
   ついにその団体で押しも押されぬ人物になることができるのである。

   明智光秀のような才子はいくら多くとも世が乱れるばかりである。
   ついに天下をとったものは徳川家康であったことを知らねばならない。


・・・

(3)《強くなる日》

   【救われねばならぬような弱者なる人間は、この世に存在しないと云う思想が光明思想である。
                               (『生命の實相』第十三巻)】


・・・

(4)《生命の存在自覚がコトバである》

   「 我れあり 」 の自覚そのものが、“ 生命の振動 ” であるがゆえに、
   存在の自覚そのものが コトバなのである。

   これが即ち
   「 太初(はじめ)にコトバあり、コトバは神と偕にあり、コトバは神なりき 」である。

   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12896232.html


・・・

(5)《神に与える事によって 神から与えられる》

   神の愛を行ぜよ。それは神に与える行為であるのである。

   すべての人間から来る賞讃や利益を目的とせず、
   神の愛を、神のために実現せんとして行われたる行為は、
   自分の内に 魂の賞讃を湧(わ)きたたすのである。

   それは自己に宿る神の賞讃の声なのである。

   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58


           <感謝合掌 平成27年2月5日 頓首再拝>

【六日の法語・言葉(2月6日)】 (208)
日時:2015年02月06日 (金) 04時55分
名前:伝統

(1)《愛は全身を相手にまかせる》

   キリストは『我が誡(いまし)めをききて守る者は吾を愛するなり』と言っていられる。
   ここに言葉をききて素直に守ることが『愛すること』である事が表されているのである。

   父を愛すればその子は父の言葉を守るであろう。
   良人を愛すれば妻はその言葉を守るであろう。

   本当に愛する相手に対しては何を求められても無条件に従いたくなるのである。


・・・

(2)《神が養う》

   世界は孤立してはいない。
   子供が生まれて来れば必ずその子供の衣食住を天が与えるのである。

   人は人を養うことはできない。
   ただ神のみ人を養いうるのである。
   人はただその媒介となるだけである。


・・・

(3)《一切に感謝謝する日》

   【天気に小言を言うな。すべてについて小言を言うな。小言はすべて暗い気分を招く。
   暗い気分は病気と不景気のもとだ。(『生命の實相』第十一巻)】


・・・

(4)《此処(ここ)に生きているのは神が生きている事である》

   「 我れあり 」 の絶対者 ( 神 ) の自覚が一切の創造の本源である。

   創造は徹頭徹尾、自己を表現するのであって、
   創造とは 或る材料に働きかけて何物かを製造又は制作するのではない。
   自己が 「 自己 」 より創造するのである。

   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12900742.html


・・・

(5)《人に奉仕する事は 神に奉仕することになる 》

   すべての人に神が宿っているということを知るならば、
   すべての人の幸福のために奉仕するということは
   神に奉仕していることになる。

   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58


           <感謝合掌 平成27年2月6日 頓首再拝>

【七日の法語・言葉(2月7日)】 (220)
日時:2015年02月07日 (土) 03時37分
名前:伝統

(1)《80歳なお若年である》

   機会は余所(よそ)にあるのではなく、自分の心の中にあるのである。
   心が若ければ人間は青年と同じように常に機会がある。

   30歳で若死にする青年のことを思えば70歳になっても、
   尚、百歳を生きる自覚をもっておればまだまだ機会はあるのである。

   私の老母は80歳になっても山に柿の種子を植えて『この柿の實るのを楽しむ』と言われた。

・・・

(2)《人・時・処の三相応》

   智恵と力とがいくら多くあっても人望を集めえない者は《天の時》を得ることができない。
   天の時は人望から来るのである。
   人望は人の和すなわち調和から来る。

   何をしなくとも大いに働いている人がある。
   「無為にして化す」という言葉にあてはまる人はそんな人である。
   あの人がいてくれるので、ただいてくれるだけでこの団体に重みがある
   というような人はそういう人である。

   無為人とは何もしない人ではない。そのままで大いに為している人である。
   一家の心柱(しんばしら)であり礎石(そせき)である。


   栄えるためには人(ひと)・時(とき)・処(ところ)の三相応が備わらなければならない。
   人・時・処の三相応といっても大調和のほかに何もない。
   人に相応し、時に相応し、位置に相応して調和してゆかなければならない。


・・・

(3)《深切を与える日》

   【常に他に与えたいと思っている者は他から愛され、常に他から与えられたいと
    思っているものは他から嫌われる。 (『生命の實相』第十一巻)】


・・・

(4)《自己限定による自己創造》

   唯一者なる霊は、自己を限定して、
   陰陽に分って、それを結び合わすことによって事物を創造すること
   恰も画筆と画布とが結び合うことによって、表現が完成するが如くである。

   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12906340.html


・・・

(5)《自分の中(うち)に神が実現することが尊い》

   自分の中に 神が実現したかどうかということがもっとも大切なことであるのである。

   愛の行いは、それ自身に於いて尊いのであって、
   功利的な目的が達し得られると達し得られないとに拘(かか)わらず、
   その値打が減るということはないのである。

   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58


           <感謝合掌 平成27年2月7日 頓首再拝>

【八日の法語・言葉(2月8日)】 (234)
日時:2015年02月08日 (日) 04時45分
名前:伝統

(1)《神が此処にいる》

   神が此処にいる。
   そしてそれは全能であり、吾々の父であり、永遠に吾々の味方である。

   この事を銘記せよ。

   何も恐るることはない。
   神を思い出さなかったことを恐れよ。

   神は吾らを忘れ給わないが、こちらが波長を合わす事が必要である。


・・・

(2)《感恩の念(ねん)》

   恩を感ずるとき、わたしたちは苦しみの中にも喜んで飛び込むことができるのは、
   恩の感じは苦しみを「歓喜(かんき)」にかえる念(こころ)であるからである。
   恩を感じるとき実際苦しみは歓びに変わるのである。

   皇恩に感謝せよ、汝の父母に感謝せよ、汝の夫または妻に感謝せよ、汝の子に感謝せよ。
   汝の召使に感謝せよ。天地の万物(すべてのもの)に感謝せよ。
   その感謝の念のうちにこそ汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろうと
   『生命の實相』の巻頭にある

   ―― 生長の家の教えを要約すれば、ただこの数句に尽きていると言ってもよいくらいである。


・・・

(3)《家族互いに赦す日》

   【地獄の家庭では、主人が「怒っても好い権利」を捨てぬし、
    細君は河豚(ふぐ)のように「ふくれても好い権利」を主張する。
                               (『生命の實相』第四巻)】


・・・

(4)《自己秩序が生命の特徴である》

   自己創造は 自己限定によって行われるが、
   その限定は 他から限定されるのではなく自分で自分を限定するのである。
  
   自己統制は 自己秩序だとも云い得る。
   自己秩序によって生物は生まれるのである。

   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12909834.html


・・・

(5)《神想観を怠ってはならない 》

   吾々は実相世界に波長を合わす方法に四つある。

   その一つは 想(おも)いを凝らして、実相を観ずること。
   その二は よき言葉を使うこと。
   その三は、 「 甘露の法雨 」 の読誦。
   その四は 愛を行ずることである。

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58

           <感謝合掌 平成27年2月8日 頓首再拝>

【九日の法語・言葉(2月9日)】 (249)
日時:2015年02月09日 (月) 04時48分
名前:伝統

(1)《隠れたる処で人を賞めよ》

   与えれば与えられるのが法則である。
   人に深切丁寧にすれば、人から深切丁寧にせられる。
   何の恩恵を受けたことのない人にも深切丁寧をつくすべきである。

   彼自身の知らないところで彼を賞めよ。


・・・

(2)《感恩の心》

   物を与えるならば、《心もち》を添えて贈らなければならぬ。
   人間は心もちによって生かされているのである。

   機械的な「与え」の前には感恩の心は起こるものではない。
   感恩の心は機械的になるとしだいに薄れてくるのである。

   われわれは毎日空気を吸っているが、機械的に空気を供給されているがゆえに
   ありがた味を感じない。われわれは太陽がなくては生きられない人間でありながら、
   太陽は機械的に毎朝地平線から顔を出すから太陽のありがた味をさほど感じない。

   しかし、これでよいだろうか。

   目ざめて立て! 

   わたしたちはあらゆる恩恵のうちに生きているのである。


・・・

(3)《陰を見ぬ日》

   【陰を見るな。光明方面を見よ。見た方面が強くあらわれる。(『生命の實相』十一巻)】


・・・

(4)《秩序は智慧と法則の実現》

   秩序は智慧の産物であり、不秩序は智慧の崩壊を示すのである。

   智慧は 秩序であり、秩序は 法則によって、維持せられる。
   法則の守られたる状態が秩序なのである。

   法則は、神の自己実現の 「 道 」 であり、
   神は 「 法則 」 と云う 「 働き手 」 を通して自己を実現したまうのである。

   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12913684.html


・・・

(5)《仏性の名に於いて行いをなせ》

   愛の実相に於いて 何事でもなすということである。

   常に自己に宿るキリストを自覚して、又 仏性を自覚して、何事をも なす時は、
   その人の行いは 自(おのず)から浄(きよま)ったものになるのである。

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58


           <感謝合掌 平成27年2月9日 頓首再拝>

【十日の法語・言葉(2月10日)】 (262)
日時:2015年02月10日 (火) 04時31分
名前:伝統

(1)《一寸でも愛に反(そむ)く行為をするな》

   ベージル・キング氏はその著書のなかで、人の見ないところでも一寸でも不深切な行為をする
   ことを全然やめた時に、自分の資産が著しく増加することになったと云う事を書いている。

   キング氏は「神と自分との間にある通路は、實に何でもないとおろそかにする小事によって
   塞がれてしまうことがある。一寸したズルい行為。一寸した不深切な嘲笑。一寸した世間話。
   一寸した酷評。すべて一寸した愛にそむく行為によって」と言っている。


・・・

(2)《打つ心は打たれる心である》

   打つ心は打たれる心である。
   打つことを心に描けば、その念(こころ)は形と表れて相手を打つ。
   相手の気魄が強ければ、それはかえって自分自身に還ってきて自分自身を打つのである。


   阿難が釈尊に対(むか)って人を憎んだ心を相手が受けなかったら、
   その憎んだ心はどこへ行きますかと尋ねたときに、

   釈尊は「お前は贈り物を人に持っていった時に相手がそれを受け取らなかったら
   その贈り物は誰のものになるか」と問い返された。

   阿難は「それは贈った人に返ってきます」と答えた。
   釈尊は「人を憎む心もそのとおりだ」とおっしゃった。


・・・

(3)《困難を超えて向上する日》

   【困難があるので魂は向上する。軌道に摩擦があるので汽車は進行する。
                                 (『生命の實相』十一巻)】


・・・

(4)《法則に従うのが神を実現する道》

   神とコトバと法則とは同時存在である。

   神の働き給うところ必ず法則があり、
   神に従うことは法則に従うと云うことであり、
   法則に従うとき神が必ず実現し給うのである。

   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12921195.html


・・・

(5)《利己の程度が減るほど人間は清くなる》

   利己的動機からでも、愛を行ずるのは愛を行じないよりは 尊いのである。

   然(しか)し 利己的動機がなくなれば なくなる程
   その行為は 清らかなものとなり、
   天に於いて 神のほめ給(たま)う所のものとなるのである。

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58


           <感謝合掌 平成27年2月10日 頓首再拝>

【十一日の法語・言葉(2月11日)】 (274)
日時:2015年02月11日 (水) 04時12分
名前:伝統

(1)《悪評は盗罪、嘲笑は殺人》

   「人の悪評をつたえるのは、人からその名声を奪う盗罪である。
   人を嘲笑するのは人の尊敬の念を殺す殺人である」と
   ガードナー・ハンチング氏は言っている。

   誌友会が段々衰微して来るのは、いつも所謂る常連ばかりが集って
   真理の話はもうすでに言い飽きたと云うので、人の噂話ばかりを始めるからである。

   人の噂をするよりは神を讃めたたえる話をせよ。


・・・

(2)《日本の建国・肇国と東道(みちびき)の神「塩椎神」》

   ⇒ スレッド「皇紀2675年」にて、ご確認ください。


・・・

(3)《責任を喜ぶ日》

   【罪を他に帰するは、自分を土偶(でく)人形にすることである。(『生命の實相』第二巻)】


・・・

(4)《「 生命 」 は 目に視(み)えざる実質》

   吾々の 「 生命 」 というものは目に見えざる実質の如きものであって、
   その中に無限の力を蔵している。

   然(しか)しその無限の力は、そのまま静かなるままでは現れない。

   吾々の 「 生命 」 が 波動となり想念となった時、始めてその力を現(あら)わす。

   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12924646.html


・・・

(5)《道は直く簡単である》

   各人自身 「 吾は 道なり 」 である。
   その道は 真直(まっすぐ)であって、正しき所に導いてくれる良心の囁(ささや)きである。

   この道は すなおに自分の良心に従うものには 必ず示されるのである。
   「 夫婦は 仲よくすればよい 」 「 借金は 払えばよい 」 ・・・ の如(ごと)く
   頗(すこぶ)る 簡単明瞭(めいりょう)である。

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58


           <感謝合掌 平成27年2月11日 頓首再拝>

【十二日の法語・言葉(2月12日)】 (287)
日時:2015年02月12日 (木) 04時48分
名前:伝統

(1)《後ろから卑怯に斬るな》

   本人のいない前で悪口を言うのは実に卑怯な行為である。
   若し相手が悪いのならば本人に直言すべきである。

   本人のいないところで悪口言うのは後方からバッサリ斬るのと同じことだ。
   そんな行為は常に自分と神との間を遮断するものなのである。
   そんなことは愛深き神の波長と会わないのである。

   幸福になろうとする者は人の美点を賞めることから始めよ。


・・・

(2)《水火津霊(シホツチ)の神》

   塩土神とは水火津霊(シホツチ)の神である。
   水の霊(陰の原理)と火の霊(陽の原理)とを津なぎ結びて、
   一切を生み出す「生みの神」である。

   塩土神(住吉神社・塩釜神社に奉斎)は古来安産の神として称せられ、
   生長の家の教えを聞いてそのとおりに守るものは無痛分娩であるのはそのためである。

   塩釜大神(しおがまのおおかみ)とは水火醸神(しおかみのかみ)として
   陰陽交叉(いんようかみあ)いて生み出す神という意味である。


・・・

(3)《神一元を悟る日》

   【托鉢は物を乞うかわりに、相手に惻隠の心、憐れみの心、慈悲の心を起させる。
    即ちそれは仏性を施したことになるのである。(『生命の實相』第九巻)】
 

・・・

(4)《生命が波動して想念となる》

   「生命」の波動を称して「想念」という。

   「生命」は目に見えざる無限の力の貯蔵所のようなものであって、
   その貯蔵所の門を開いて、その貯蔵されている力を導き出してくるのが想念の働きである。

   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12928124.html


・・・

(5)《道が行詰るのは正路でないから》

   我の道は けわしい難路である。
   神の道は 坦々(たんたん)として楽道である。

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58


           <感謝合掌 平成27年2月12日 頓首再拝>

【十三日の法語・言葉(2月13日)】 (299)
日時:2015年02月13日 (金) 04時32分
名前:伝統

(1)《自己の不運をかこつな》

   神は愛であるから、神の愛にそむく一切の行は神と波長が合わないのである。

   吾々が人の悪を決して云わないことに決心し、
   更に自分の不運をかこたぬことにしたら一層運が向くだろう。

   他人の不運(悪口)を呟くのも、どちらも神の子をけがす罪なのである。

   キリストはすべての罪は赦されるけれども聖霊をけがす罪は赦されないと言っている。
   聖霊の出生である人間の悪口を言ってはならぬ。


・・・

(2)《人間は死なない》

   「本当の人間」は物質なる肉体が死んだと見えているときにも、死んではいないのであって、
   彼が《生きた》程度に従って、より自由に生き通ししていることを知るのである。

   人間は死なない。
   ことに公のために殉じた者はいっそう高く生きているのである。
   
   陛下のために、国家のために、全国民のために、
   何か捧げて死することができるならば光栄これに過ぐるものはないではないか。


・・・

(3)《人に物を施す日》

   【誰にでも基督の心、釈迦の心はある。それを出すとき彼の心は天地にひろがる。
                            (『生命の實相』第六巻)】


・・・

(4)《想念の具象化に必要な意志の力》

   「 自分 」 というものが 「 個生命 」 という生命の磁場から力を引き出して来るのには、
   「 想念 」 を使うのであるが、

   「 想念 」 の具象化に必要なる一定の時間だけ一定想念を持続するのは、
   「 意志 」 の力である。


   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12932147.html


・・・

(5)《愛は一切を癒すのである》

   キリストは 愛である。
   愛は 一切の問題を解決する道である。
   愛は 自己の病いを癒し 人の病いを癒す。

   病める者よ。汝は愛にそむいていないか。
   誰(たれ)か 憎んでいないか。本当に赦(ゆる)しているか。
   かえりみて本当の愛に立ちかえれば癒されるのである。

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58


           <感謝合掌 平成27年2月13日 頓首再拝>

【十四日の法語・言葉(2月14日)】 (312)
日時:2015年02月14日 (土) 04時04分
名前:伝統

(1)《他人に対して寛大なれ》

   他に寛大なるものは、神からも寛大に取り扱われるであろう。

   人を赦すものは神からも赦されるのである。
   人を審判(さば)く者は法則によって審判(さば)かれるのである。

   神につかえる道は人につかえることにあるのである。
   神からの報いも人を通して与えられるのである。
   突如として天から降って来る訳ではない。
 

・・・

(2)《素直に飛びつく者は愛される》

   素直に飛びついて来る子供はかわいがられる。
   素直に舅 姑の懐にとびついて来る嫁はかわいがられる。
   素直に先生の懐に飛びついてくる生徒はかわいがらる。

   神のみふところに飛びつく者は神に愛される。


・・・

(3)《報い求めぬ愛の日》

   【これだけで、もう自分は誠(まこと)を尽くし切ったと思うな。
   誠は尽くることのなきものである。出せば出すほど無限に湧き出る。
                               (『生命の實相』第十一巻)】


・・・

(4)《想念は造形的力である》

   それは生命の貯蔵庫にある力を一定の形を通して
   流出せしめるパイプのような働きをする。

   そのパイプの形の通りに宇宙の実質は流れ出て来て、
   これが現象的な形にまで現れて来るのには写真の焼付の如く或る時間の経過を要する。


   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12936434.html


・・・

(5)《明るい健康な言葉を使え 》

   「 私は病気だ 」 といいながら健康な人は ないのである。
   「 私は不幸だ 」 といいながら幸福な人は ないのである。

   されば言葉によって自分を高め上げよ。

   「 吾は神の子である。吾は生命である。吾は健康である。吾は幸福である。
   吾は喜びにみたされている。 」 などの言葉を 常に繰り返して 心に念ずる時には
   その通りに現われて来るのである。

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58


           <感謝合掌 平成27年2月14日 頓首再拝>

【十五日の法語・言葉(2月15日)】 (325)
日時:2015年02月15日 (日) 04時41分
名前:伝統

(1)《希望は悦びの源泉である》

   希望こそは人生の悦びの源泉である。
   希望のあるものは老いないのである。
   何故なら、希望は創造的感情であるからである。

   希望は未来を創造する。
   真に未来を創造するものは希望である。


・・・

(2)《とげとげしい心を捨てるには》

   人に嫌われるのは心に棘があるからである。

   とげとげしい眼、とげとげしい言葉、とげとげしい行動、
   その一つ一つを抑えようとしてもなかなか直るものではない。

   まずとげとげしい心を捨てなければならぬ。

   とげとげしい心が自分にあると気づいたら、その反対を持って来るのである。
   「自分は優しい優しい人間であって、とげとげしいところはちょっともない」と、
   その反対の念を自分自身にいって聞かせればよいのである。


・・・

(3)《卑怯を捨てる日》

   【自己弁護したい心は卑怯なる潜在意識の作用であって、多くの人を病気にしている。
                               (『生命の實相』第四巻)】
 

・・・

(4)《自分の念(こころ)は隠せない》

   あらゆる現象は自分自身の言葉の通りに現れたものである。
   諸君の健康も貧富も境遇も悉く 「 言葉 」 即ち 「 想念 」 の具象化である。

   その人の肉体及び環境の状態をみれば
   念(こころ)の種子が何であるかわかってしまうのである。


   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12954870.html


・・・

(5)《肉体を軽蔑(けいべつ)してはならない》

   肉体は神の生命の地上に於ける自己実現である。
   其儘(そのまま)に神の生命である。

   即(すなわ)ち即身成仏なのである。
   そのまま み仏なのである。

   魂が本当に喜べると、その表現体である肉体も喜ぶのである。
   自然 健康となるのである。

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58


           <感謝合掌 平成27年2月15日 頓首再拝>

【十六日の法語・言葉(2月16日)】 (338)
日時:2015年02月16日 (月) 04時36分
名前:伝統

(1)《人間は何であるか》

   人間とは何であるか、人間とは生命である。
   『生きる力』であり、『愛する力』であり、『思考する力』である。

   本当の人間は、想念し考えるところの本体なのである。

   
・・・

(2)《常に毎日新しくなれないものは死につつあるものである》

   常に新しくなるものは老いない。
   老いるとは常に新しくなれないことの別名である。
   老衰死の原因は常にわれらが新しくなれないということが原因である。

   常に毎日新しくなれないものは死につつあるものである。
   陳びつつあるものである。


・・・

(3)《自己の尺度を捨てる日》

   【他(ひと)を自分の尺度で測って善ならしめようとすれば、
    相手を害(そこな)い、自分を害う。 (『生命の實相』第七巻)】


・・・

(4)《人間の運命は想念のハンドルの把(にぎ)り方で極(き)まる》

   「 自我 」 は 「 個生命 」 と云う磁場の中心にいて、
   心の法則によって、 「 想念 」 と云うハンドルを動かして
   自分の想念する所のすべてのものを造るのである。

   すべてのものは想念によって形を定められるのであるから、
   想念を如何に動かすかがその人の運命を決定する。


   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12954985.html


・・・

(5)《此(この)世界は 愛行の実践で支えられている 》

   この世界は神の働きによって 維持されているのである。
   その如く この世界は吾々の愛行によって維持されるのである。

   愛は これを隣人に実践する時
   それは本当の力となるのである。

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58


           <感謝合掌 平成27年2月16日 頓首再拝>

【十七日の法語・言葉(2月17日)】 (350)
日時:2015年02月17日 (火) 04時50分
名前:伝統

(1)《自己自身を善たらしめよ》

   常に「善」を以って自己の心を満たすべし、然らば汝は健康とならん。
   神は「善」であり、「美」であり、健康なる「生命」である。

   しかもその「善」と「美」と健康なる「生命」とは
   神の切り離された断片ではなく、神そのものの3つの面であるから、
   「善」がそこに實現すれば、「美」も「健康」も實現するのである。


・・・

(2)《新芽には力がある》

   ぼつぼつ樹木に新しい芽が出る。
   開き切った葉よりもまだ開かない新芽の方に力がある。

   生命は久遠であるが、現象界のものは何物でも
   まだ完全に開き切らないものには底力(そこぢから)がこもっている。


・・・

(3)《自在を得る日》
 
   【一つのものにでも執(しゅう)したら、苦しみは其処から始まる。
                            (『生命の實相』第十一巻)】 


・・・

(4)《宗派は 権力意志に基づく排他運動》

   神をいたずらに定義するな。
   凡そ宗教の宗派なるものは、神が人間を救済し給うための計画の中にはない。

   それは人間自身が、自分の地盤を作り、
   自分の勢力を張ろうとする権力意志に基づく排他運動である。


   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12959618.html


・・・

(5)《愛は享(う)けるだけでは可(い)かぬ》

   与えられたものは、ただ受けるだけでは いけないのである。
   必ず 与え返さなければならない。
   与え返した時 それが多くの実を結んで 更に返って来るのである。

   与えられた愛を 表現すれば、愛行となるのである。
   愛行を実践する時、多くの実を結ぶのである。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58


           <感謝合掌 平成27年2月17日 頓首再拝>

【十八日の法語・言葉(2月18日)】 (362)
日時:2015年02月18日 (水) 04時11分
名前:伝統

(1)《繁栄の根源は人類に幸福を与えるにある》

   幸福も繁栄も同様に神の他の二つの面である。
   
   『悪』を犯して幸福になろうとしても幸福は来たらないのである。
   『悪』を犯して繁栄しようと思っても、一時は栄えるように見えても
   結局は栄えることは出来ないのである。

   ロックフェラーや、ヘンリー・フオードが億万長者になり得たのは、
   人類に必要なものを出来るだけ広く与えたからである。


・・・

(2)《わがままとは自己虐待・自己限定である》

   人間を不幸にするものは《わがまま》である。
   精神分析的に見れば《わがまま》とは自己虐待の変形である。
   彼は誰かに迷惑をかけるために自己虐待をしているのである。

   《わがまま》を別語でいえば、「我(が)を出す」または「我(が)が強い」という。
   
   「本当の自分」は天地にひろがるひろびろとした大いなる存在であるのに、
   《これだけ》の部分だけが自分だと自己限定するのが、
   「我(が)を出す」ということである。

   本当の自分が、天地にひろがる広々とした存在であることに気がついた時には、
   人間は誰とも大調和するものである。

   大調和の心は《神のまま》の心である。
   神のままは自然を縛らない心、わがままは自然を縛る心。


・・・

(3)《万(よろず)円満大調和の日》
 
   【言葉の円味(まろみ)は家庭の重要な要素である(『生命の實相』第八巻)】
 

・・・

(4)《宗派宗教の弊害の一つは恐怖を唆(そそ)るにある》

   宗派にたてこもって、自己の宗派を維持し拡大しようと企(たく)む
   既成 宗教家によって計画されたる運動は先ず人心に神罰の恐怖を植えた。

   幼児の心の中に刻みつけられたる神罰の観念は成人になってからも
   その潜在意識中に抜け難き恐怖となって存在し、
   人生を明るい目を以て見ることができず、

   常に恐怖の念を以て見るが故に、その人の住む人生は
   その恐怖の念の反映として暗澹(あんたん)たるものとなり、
   不幸災禍がつきまとうものとなる。


   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12964084.html


・・・

(5)《使わない水は腐る》

   常に汲(く)んでいる水は 清らかであるように、
   常に捧(ささ)げられている生命は 腐ることなく健康である。

   ただ吾々は与えてさえいれば好(よ)いのである。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58


           <感謝合掌 平成27年2月18日 頓首再拝>

【十九日の法語・言葉(2月19日)】 (375)
日時:2015年02月19日 (木) 03時51分
名前:伝統

(1)《無意識の心的影響》

   吾々の人々に与うる影響は、意識的に与うる影響よりも、
   無意識的に与えている影響の方が強いのである。

   世間によくある姑を恐れつつ、しかも形の上では丁寧慇懃をきわめながらも、
   却ってギコチない感じを姑にあたえて、姑からいじめられている嫁の如きはそれである。


・・・

(2)《”ぐずぐず”するな、今、行動せよ!》

   時間を大切にするということは、《いのち》を大切にするということである。
   時間を大切にしないものは酔生夢死する。

   時間を大切にする最も有効なる秘訣は何事もすぐ実行に取りかかるということである。
   ぐずぐずの習慣ほど愚かしきものはない。

   「超時の今」を生きる者は常に生きるものである。
   ぐずぐずの生活を生きる者は常に死につつあるものである。

   *光明掲示板・伝統・第一「今が時なり (54)」
     → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=35


・・・

(3)《無礙無縛の日》

   【善にでも引っかると悪になる。心が停滞すると心の影として
    血液循環が一箇所に停滞し 病気を引起す。(『生命の實相』第三巻)】

 

・・・

(4)《神罰は愛の神にはない》

   神罰の迷信を排除し、想念が現象界の運命を決定することを知らしめ、
   過去の人々が恐れていた恐怖をなくし、

   全人類が常に神の造り給える円満完全なる実相の世界に
   既に 今 いる と云うことを知らしめれば、
   其の想念で幸福なる天国を地上に実現することができる。


   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12965908.html


・・・

(5)《艱難(かんなん)の時には 先(ま)ず心を静かにせよ》

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58


           <感謝合掌 平成27年2月19日 頓首再拝>

【二十日の法語・言葉(2月20日)】 (386)
日時:2015年02月20日 (金) 04時55分
名前:伝統

(1)《子供は無意識の中で教育される》

   無意識の心的影響は、親が子供に対して教育する場合には特に著しくあらわれる。

   親がうちの子は間違いないと信じていると間違いない子供になる。
   うちの子供は虚弱であると信じていると、実際虚弱になってしまう。

   しかし信ずると云うことは捨てて置くことではない。
   信じて好(よ)き機会を与えることである。
 

・・・

(2)《凋落の兆し》

   伸びることを忘れた時に凋落が始まる。樹木を見て、その真理を悟れ。


・・・

(3)《雪が融ける日》

   【他が自分に対して薄情である場合は、自分自身に何か暗い冷たさがある思え。
                              (『生命の實相』第四巻)】
 

・・・

(4)《意思は運命を選択することが出来る》

   意思は 又 選択力である。

   それは 吾々を機械的な 「 本能 」 の支配から、
   自分自身を解放して、
   自己自身の生活を 自分の自由になさしめる。


   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12972591.html


・・・

(5)《人を赦(ゆる)したとき自分が赦される》


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58


           <感謝合掌 平成27年2月20日 頓首再拝>

【二十一日の法語・言葉(2月21日)】 (401)
日時:2015年02月21日 (土) 04時00分
名前:伝統

(1)《悪と云うものはない》

   世の中に絶対悪と云うものはない。
   悪い様に見えてもそれは必ず善くなるのもである。

   そう信じて、その与えられた立場、境遇による一切を悦び受けて、
   感謝しながら全力を盡すときそうなるのである。


・・・

(2)《『人間死んでも死なぬ』》

   今日は記念すべき本が出る。
   わたしの『人間死んでも死なぬ』という本。

   今『人間死んでも死なぬ』と題する本として出したのは、
   戦死した軍人の遺族への贈り物としてである。

   この書を戦死者の遺族に、また戦死者でなくても、良人を、妻を、子を、親類縁者を
   失える悲しめる遺族たちに贈ることは大いなる意義と慰めとを与うるものであると思う。


   今度出る『人間死んでも死なぬ』の本の中に自殺者の霊魂が霊界に移行しても
   自殺の時の行為そのままの状態で、たとえば短刀を腹に刺した状態で永らく
   苦悶を継続しているのだというような霊界通信の実例が書いてあるのであった。

   しかもこの書に収められている霊界通信の中には、
   欧州大戦中砲弾の破片にあたって戦死した兵士の霊魂が、
   少しも傷つかずに自分の遺骸を眺めながら歩いていたという通信もある。

   我執で死ぬのと、国家に献(ささ)げて死するのとは、
   死の意義の異なるのがこれでも分かる。
   戦死を悲惨だと思うのはまちがいである。

   このまちがいの中から反戦思想が生まれ、戦後の国家擾乱運動がはぐくまれる。
   霊界の消息を知るとき、戦死は実に光栄であり、霊魂の高揚であるのだ。

              ・・・

<参考Web:光明掲示板・第一「自殺者の霊魂について (1281)」
       → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=291


       光明掲示板・第一「聖典書籍の廣告惹句文章集 〔戦前篇〕 (837)」
       内の子記事『人間死んでも死なぬ』 (994)
       → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=208


       日時:2012年09月03日 (月) 02時12分
       名前:童子

       戦死者は生きている。

       亡き近親・愛人も尽く生きている。人間の実体とは斯くの如く
       久遠に生き通すもの、この地上生活とはより高次生活へのただなる
       一部と直解したら?

       愛する者の肉体死への悲哀や痛惜の心は直ちに大いなる慰めと変り、
       吾らの地上生活はその侭に本来の意義を取り戻し、本来の浄さと歓びと
       明るさとに立還えらざるにはいないでしょう。

       而も吾らの今日の文明は既に漸くその大半を行き尽そうとしています。

       来るべき人間観・宇宙観とは?

       本書は吾々地上人間の慰めの書と同時に又新しき問題の書として
       茲に多くの生彩ある実証や示唆を含んでいます。

        隣人知人に是非この稀有の一冊をお勧め下さい。


       (13年 定価 一円三十銭)

              ・・・
・・・

(3)《躓かざる日》

   【他(ひと)が怒ったら、ことの善悪にかかわらず
    相手の心をかき乱して済まなかったと思え。(生命の實相第十一巻)】 


・・・

(4)《法則と協調することにより人間は幸福になる》

   人間の意思は、可変的であって、常に変わるが、
   神の意思は 「 法則 」 となって変わらない。

   吾々がその法則を正しく使いさえすれば、
   幸福になるように法則は与えられているのである。

   神は拝み倒しておいたからといって、
   法則にそむく人に幸福を与えるということはないのである。


   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12976519.html

・・・

(5)《暗(やみ)が現われて来るのは 光を拒絶したから 》

   神は光である。
   光を拒絶する時 暗が現われて来るのである。

   何か不完全が自分の周囲に現われて来た時には、
   何か自分の心の中に、光を拒絶し、神にそむくような
   何ものかがあったのだとして反省せよ。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58


           <感謝合掌 平成27年2月21日 頓首再拝>

【二十二日の法語・言葉(2月22日)】 (413)
日時:2015年02月22日 (日) 04時27分
名前:伝統

(1)《すべては神の導きである》

   どんな事でも神の導きと思えば感謝出来るのである。

   何よりも大切なのは常に神を信ずること。神に祈ること。
   どんな紛糾した複雑な問題でも解決せられないと云うことはない。


・・・

(2)《医薬は服みてもよし、廃めてもよし》

   『生命の實相』読んで薬を廃めて病気の治る人もある。
   薬を廃めないで治る人もある。

   またかえって薬を拝んで服むようになり、
   心境の一変とともに病勢とみに減ずる人もある。

   これはその人のひとりひとりの心の悟りである。

   『生命の實相』は現に医薬を服用していない者に「医薬を服め」とは勧めていないが、
   「《病人にして医薬を服用する者あらんには》・・・かくかくの心持にて
   《服(の)め》」と書いてあるのであって、
   「《服むな》」とか「その服用を廃せよ」とは書いてはいない。

   しかるに『生命の實相』を読んで、薬を廃(や)める者があるのは、
   仏教的真理「色即是空」(物質本来無し)、
   または諸方皆空(現象本来無し)の思想に目覚めた結果、

   自己内在の生命の自然療能力に頼ることを重んじて
   物質的薬剤に頼ることを軽視するようになるからである。


・・・

(3)《天の倉に貯える日》

   【有(も)たざる者は尚奪われ、有てる者は尚与えらる。(「生命の實相」第十三巻)】

・・・

(4)《何教であるからとて運命に特別の保護はない》

   法則は 宗教の差別なく万人に同様に適合される。
   そしてどの位置に自分がいるかということは心の法則によって定まる。

   その人の心の波長がその人が自然に行きたくなる位置を決定する。
   それは 「 類の心は類を呼ぶ 」 という心の法則による。


   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12984530.html


・・・

(5)《先(ま)ず心の目を開いて 身辺にある恵みに感謝せよ》

   天地にどんなに多くの恵みがみちているか、
   自分がどんなに多くの恵みに生かされているか、
   それを知らず それに感謝しないものは 光をみないのである。

   まず心の目を開いて、身辺にあるどんな小さい恵みからでも感謝し始めることである。
   今与えられている小さな恵みに感謝するとき、次の大いなる恵みが与えられる。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58


           <感謝合掌 平成27年2月22日 頓首再拝>

【二十三日の法語・言葉(2月23日)】 (427)
日時:2015年02月23日 (月) 03時51分
名前:伝統

(1)《神の祝福は又別の処から入(い)り来(きた)る 》

   他に恩恵を施しても、その相手その人から恩返しを期待してはならぬ。
   宇宙は一体であるから、与えた相手から直接返還が来なくとも、
   他から必ず返還が来るのである。

   出すところで出してさえ置けば、
   入るところから却って美味しいものが入って来るのである。


・・・

(2)《できるだけ善いことを喋る》

   懺悔でも、悪いことをあまり喋りつづける者は、ついに人の信用を墜すものである。
   言葉は力であるからできるだけ善いことを喋らねばならぬ。

   光を引き立たす陰影(かげ)は濃く、ただし少量でなければならむ。  


・・・

(3)《淡々妙味の日》

   【当り前のことが当り前である。噛みしめれば味がある。(「生命の實相」第十九巻)】


・・・

(4)《法則は力の動く道である》

   爆弾は自然の法則に従って爆発する。
   神は爆弾によって人間を殺す意思をもち給うのではないのである。

   爆弾の爆発力を人間を殺すように導いたのは
   人間自身の自由選択にあるのである。

   その爆発力を機械の運動に、汽車、汽船の交通に利用することも
   人間自身の自由意志であるのである。


   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13003271.html


・・・

(5)《もっと神の恵みに感謝しなければならない》

   神の恵みは 実際は無限に大きいのであるけれども、
   吾々は 概(おおむ)ね近眼鏡をかけて 近くのものをみるから小さく見えるのである。
   そして真に豊かなる恵みを 縮小してみているのである。

   吾々は もっと神の恵みに対して感謝しなければならない。
   感謝の念は 小さな恵みでも大きな喜びを生みだすのである。
   感謝の念は 恵みの拡大鏡である。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58


           <感謝合掌 平成27年2月23日 頓首再拝>

【二十四日の法語・言葉(2月24日)】 (439)
日時:2015年02月24日 (火) 03時26分
名前:伝統

(1)《心の波長を合わせるのは人間の役目》

   「先ず神の国と神の国の義とを求めよ。その余のものは汝等に加えらるべし」
   とイエスは言った。
   このことは何時までたっても真実である。

   心の波長を合わせる精神上のことは人間自身が努力をして、
   あとは神が自然の理で実現し給うのである。

   自分の心が何処(どこ)に立っているか先ず省みよ。


・・・

(2)《人時所三相応せるものが善である》

   人時所三相応せるものが善である。
   生かすことが真理である。


・・・

(3)《心の眼ひらく日》

   【大自然に心がなければ、大自然より発生した人間に心が生ずる筈がない。
                       (「生命の實相」第十九巻)】

・・・

(4)《同じ力を破壊にも建設にも使うことが出来る》

   神は決して人間の自由を、
   それが如何に善なる方向へ向おうとも、如何に悪なる方向へ向おうとも
   妨げ給うということはないのである。

   すべて吾らが自己選択して心に描く所の想念の波によって、
   宇宙の創化作用がどの方向へその法則によって動き出すかが極まるのである。


   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13039409.html


・・・

(5)《赦す者は 愛を増す》

   赦すものは 神の愛を拡大する。
   赦さないものは相手を執着の念で縛るだけではなく、
   自分自身の生命をも縛るのである。

   人を赦さないものは、結局 神を信じないものなのである。
   何故なら神の造り給うた此(こ)の世界に、
   彼は悪が存在するということを信じているからである。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58


           <感謝合掌 平成27年2月24日 頓首再拝>

【二十五日の法語・言葉(2月25日)】 (454)
日時:2015年02月25日 (水) 04時36分
名前:伝統

(1)《人のためになる事が富の本源》

   真実はお金と云うものは何か人のためになることを尽したその報いとして、
   自然に自分に廻って来るのである。

   人のためになることを余計すればするほど、その人にはお金は一層多く廻って来る。

   そしてそれは普通、種子を蒔くようなもで、
   与えたよりも余程多く与えられることになるのである。


・・・

(2)《高声、憤怒の調子を帯びた言葉で話してはならない》

   子供の(大人も同じであるが)欠点を直すために指摘する際に、
   腹立ち声を出すことはなんの益もない。
   ただ気遅れのする子供をつくるだけである。

   心理学者の実験によると、幼児は一定以上の高声または高音響に対して
   本能的に恐怖の表情を示すのである。
   そのことは学童以上の年齢になっても継続する。

   もし子供をよくしてやりたいとの親切から子供の欠点を指摘するような場合には、
   普通の話以上の高声を出したり、憤怒の調子を帯びた言葉で話してはならないことである。

   
・・・

(3)《心美しき日》
 
   【心の眼がひらかれなければ実相の国土が如何に美しくとも見ることは出来ないのだ。
   ・・・ 三界はただ見る人、見る人自身の鏡である。  (『生命の實相』第十六巻)】 

 

・・・

(4)《心の鏡としての環境及び肉体》

   想念は自由であるが、
   これを破壊的に使えば、人間自身が破壊されるのである。
   建設的にそれを使えば、人間自身が発達進歩し幸福になることができるのである。

   神は 人間を自由意志のままに置いて、
   而(しか)も自分の 「心の影なる 」 肉体及び環境を見て、それを鏡として、
   自ら省み自由意志のままに善に遷ることが出来るようにし給うたのである。

   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13042889.html


・・・

(5)《人間の働きは 神への協力である》

   あなたのすべての働きは 神にとっても 人類にとっても
   なくてはならない尊い捧(ささ)げ物である。

   何故(なぜ)なら あなたは神の自己顕現であり、神の協力者であるからである。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58


           <感謝合掌 平成27年2月25日 頓首再拝>

【二十六日の法語・言葉(2月26日)】 (465)
日時:2015年02月26日 (木) 04時43分
名前:伝統

(1)《広告はサービスである》

   広告をよくすれば品物が売れると云うのは、広告は一種のサービスであるからである。

   若し広告が出なければ何処にどう云う品物を売っているか気がつかないので、
   人間は無駄に処々方々を尋ねまわって所要の品を探さねばならない
   その苦労を少なくしてやる働きが広告なのである。

   お客様のためと思ってする広告こそ人を魅(ひ)きつける力がある。
 

・・・

(2)《十分合理性を持たせて事件を落着させることが大切である。》

   腹を立てることと、相手に対して悪意を抱くことは相手を殺すことになる。

   (中略〜ある人の結婚・離婚の繰返しの事例について)

   第一の約束は先取的特権として最高権威をもち、ぜひとも守られるべきものである。

   守らないくらいならば、イエス・キリストも「誓うなかれ」といったように
   約束すべきではなかったのである。

   やむをえずに約束を破らねばならぬようになったならば、
   一片の葉書などで破約すべきではない。

   先方が大調和の心持で快諾するまで十分話し合って、
   心残りのないように十分合理性を持たせて事件を落着せしむべきものである。


・・・

(3)《常に微笑する日》

   【光の行くところ暗はない。私の行くところに穢れはない。
    私が周囲の穢れで汚れるようなような者だとは思って貰いたくない。
                           (『生命の實相』第十六巻)】


・・・

(4)《希望する想念は明瞭なるを要す》

   新しき世界に就(つ)いての観方、新しい人間に就いての観方、
   生活の新しい実践法がその人に確立しない限り、

   過去の人間観、世界観、生活の仕方の惰力と云うものは、
   継続していて、それが現象界に具象化してあらわれて来ることになる。

   吾々が想念するところのものが漠然たる希望であり、
   明瞭を欠くようなことでは具象化する力は少ないのである。


   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13045874.html


・・・

(5)《神を祝福せよ、神から祝福される》

   神を祝福せよ。神の み業を祝福せよ。神の み業を讃歎(さんたん)せよ。
   神から受けることばかり考えないで まず神に与えることから考えよ。

   毎日 朝に一回 夕方に一回、神を祝福し 神をほめたたえ、神に感謝することは、
   神の恵みを拡大するよき方法である。
 

   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58


           <感謝合掌 平成27年2月26日 頓首再拝>

【二十七日の法語・言葉(2月27日)】 (478)
日時:2015年02月27日 (金) 04時19分
名前:伝統

(1)《自分を見苦しく広告してはならない》

   吾々の生活は一言一行が広告である。
   それは「此処にこんな人がいる」と云うことを広告して歩いているのだからである。

   膨れっ面は、不平な人を広告しているし、
   泣き面は悲しい心持を広告しているのである。

   何のために諸君はそんなに自分の見苦しい面ばかりを広告してあるくのか。

   それは人生を見苦しくし、諸君自身の値打を下げる。
 

・・・

(2)《理で支配されている世界で戦う人生の武器は「理論」》

   この世は理で支配されている世界なのである。
   理責めにすれば幽霊や病気でさえも消えることがある。

   『般若心経』で幽霊が消えるのは、それは高遠な哲理の表現であるからである。

   通俗医書を読んで素人が病気にかかりやすくなるのは、
   「病気が《ある》」という理論の方がその人の心の中で優勢になるからである。

   理責めのこの世界において、われわれの戦う人生の武器は「理論」であるのである。

   光明のみがこの世に存在すると理論体系「生命の実相」を
   自分の心のうちに蓄積する者は、病気を征服し、艱苦を征服し、
   ついに自己の人生を征服して光明の人生と化しうる。


・・・

(3)《人を疑わぬ日》

   【婦人に於ける病気はその原因を辿ってみると、概ね感情生活に起因する。
                                  (『百事如意』)】
 

・・・

(4)《少しでも疑念あらば成就せぬ》

   欲する事物を明瞭に心に描いて、「 宇宙の心 」 に 印象すれば、
   「 宇宙の心 」 がそれを実現して呉れるのである。

   その点 疑いが少しでもあっては 実現が不能になる。

   「 宇宙の心 」 は 無限力であるから
   如何なる念を描こうとも
   吾々がそれを求め過ぎると思ってはならないのである。


   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13058494.html


・・・

(5)《人間は法則に従うことによって一切のものを支配する》

   人間は 万物の霊長として世界の一切のものを支配する力を与えられているのである。

   然(しか)しながら それは 如何(いか)にして支配し得るかといえば、
   法則に従順に従う事によってである。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58


           <感謝合掌 平成27年2月27日 頓首再拝>

【二十八日の法語・言葉(2月28日)】 (491)
日時:2015年02月28日 (土) 04時38分
名前:伝統

(1)《自分の心持は周囲に影響する》

   人の一挙一動は無論のこと、その心持ちは必ず周囲に影響を与えるものである。

   私に議論を吹きかけようとして演壇近くやって来た聴衆が私が演壇に立って
   ただ「皆様ありがとうございます」とお辞儀をしただけで理屈がなくなり、
   生長の家が好きになった人もある。

   *光明法語<道の巻>(二月の光明法語)は
    谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐「 神は今ここに」にて確認できます。
     → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=64
 

・・・

(2)《われは、ただ喜ぶことだけ》

   よろこび、よろこぶところに喜びが集ってくる。
   昨日もよろこび、今日もよろこび、明日もよろこぶ。
   よろこぶ心で世界を見ればみんながよろこんでいる。

   心がよろこべば、太陽が万物に照ったように万物が輝いてみえる。
   心が暗くなれば、太陽が陰ったように万物が暗く見える。

   わたしの仕事はただ喜ぶことだけである。

   *「生命の實相」第37巻幸福篇上「衣を更えて(2月)」は、
    光明掲示板・第二「(如月)衣を更えて〜第37巻幸福篇上 (5115)」にて確認できます。
      → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1058

・・・

(3)《金剛不壊の日》

   【常に光を見よ。暗を見ること勿れ。常に昇り行く姿を想像し、墜落する姿を想像するな。
                                    (『向上読本』)】

   *「光明道中記」「 天地そろう(2月)」は、
    谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐「天地そろう」にて確認できます。
      → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=65


・・・

(4)《真に望むことは既に実現している》

   魂の底深く真に望む事物は、既に実相の世界に於いてそれが実現しているから、
   その実在の圧力によって思わずにはおれないから、
   自然にそれを熱望するようになって来るのである。

   希望を捨てず、常にそれを心に描け。
   その心境が 実相の実現力に一致する時期が来れば必ず成就するのである。


   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13060929.html


・・・

(5)《神の法則とは 愛の法則である》

   神の法則とは 愛の法則である。
   「 汝(なんじ)の如(ごと)く 汝の隣人を愛すべし。」
   これが神の法則であるのである。

   どんなに今 不幸の人も、病気の人も、神を愛し隣人を愛し
   まず赦(ゆる)すことから始めよ、そこから幸福が芽生えて出る。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58


           <感謝合掌 平成27年2月28日 頓首再拝>



名前
メールアドレス
スレッド名
本文
ファイル
URL
削除キー 項目の保存


Number
Pass

ThinkPadを買おう!
レンタカーの回送ドライバー
【広告】楽天市場からスーパーセール9月11日まで開催
無料で掲示板を作ろう   情報の外部送信について
このページを通報する 管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板