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光明掲示板・伝統・第一

 

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肉体はこころの影 (56)
日時:2015年01月22日 (木) 04時36分
名前:伝統

*光明掲示板・第三「心身の癒やし (1999)」からの継続です。
 → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=399

・・・

《肉体は想念(こころ)の影》

            *『生命の實相』第一巻實相篇上(P61〜64)より

人は心であり、物質は心に思い浮べた想念(おもい)が形に化したものでありますから、
人の肉体は心で思うとおりになるのであります。

心が感じ、はたらき、または、はたらきを停止するのであって、

胃が悪いとか、胃が消化不良であるとかいっても、実は胃という物質が悪いのではなく、
胃をはたらかせている心が、何かの機会たとえば食い過ぎたとかお腹が冷えたとか
いうことを感じ、

それでは消化が悪くなるだろうと思い、その心のはたらきが胃の活動を鈍くし、
消化液の分泌を悪くしたので、最初は心に起こった「感じ」なり「思い」なりが
肉体が実際病気になるまでにまず病気になって肉体の活力を止めてしまうので、

昔から病気とは気を病むということだといわれているのはこういう意味であります。


ところがたいてい誰でも胃が悪いといえば、
もともと心が病んでいるのだということを忘れて、

「昨日何々を食べたので」とか、「ついお腹を冷したもので」とかいって
物質的方面に原因を求め、その治療にも物質的方法を用いようとするのであります。

こうしますと、それでたとい病気が一時回復しましても、おおむねそのため
将来において病気にかかりやすい素地を養成します。

なぜなら、物質的方法によって病気が治ったということから出発して、
生命は物質によって生かしも殺しもできるものだという誤れる暗示を受けることになり、
自己の生命の霊妙さの自覚が失われてしまうからであります。

そのため、常に生活が衛生法にかない、
医者よ薬よといっている家庭には病人が絶えないのであります。

(中略)

 
薬物や衛生の奴隷になっているものは、生命の力をますます萎縮させてしまうのであります。
薬を用いると、一時は薬に対する信仰から病気がよくなっても、
結局はわれわれは大損害をする。

すなわち自己の霊的生命の自存力(じぶんでたつちから)をますます弱くし、
われわれの修養の根本目的たるものからいよいよ遠ざかってしまうことになるのであります。
これは実に惜しみてもなお余りあることであります。

         <感謝合掌 平成27年1月22日 頓首再拝>

《肺のトラブル》 (57)
日時:2015年01月22日 (木) 04時39分
名前:伝統

(1)胸

      *「<からだ>の声を聞きなさい」リズ・ブルボー・著(P134)より

   他者に対して厳し過ぎる時、
   あるいはあまりにも権威的に振舞う時に起こることがあります。

   そういった態度は良くない結果をもたらします。


(2)肺のトラブル

      *「自分を愛して」リズ・ブルボー・著(P231〜232)より

  @感情的なレベル

   肺は、生きる欲求、良く生きる能力、つまり生命力と直接関係のある器官です。
   肺は、酸素、つまり「生命」を人間のからだに供給する器官なのです。

   ですから、肺にトラブルがあるということは、その人が、生きることに
   困難を覚えて苦しんでいる、ということを示しています。

   つまり、悲しみを感じているということなのです。
   失望や絶望を感じているのかもしれません。

   あるいは、生きる意欲を失い、ある状況やある人が原因となって、
   息が詰まるような思いをしているのかもしれません。

   そのために、思うように呼吸ができない
   〈つまり、「生命」を取り込むことができない〉のです。

   動くための空間がないと感じているために、
   今の状況から抜け出せないのかもしれません。

   自分が死ぬことへの恐怖、自分が苦しむことへの恐れ、
   また、他の人が苦しむことへの恐れがあると、
   肺の機能が大幅に低下します。

   こんなふうに生きているよりも死んだほうがましだと考えると、
   〈感情体〉の基本的な燃料である〈欲求〉がなくなってしまうのです。

   呼吸は、独立、自由の象徴です。
   生まれて初めての呼吸は、私たちを母親から独立させ、自由にします。

   ですから、呼吸がうまくできていないということは、
   母親から自分を切り離し、未知に向かっていくことができていない、
   つまり、まだ自立することができていない、

   ということを表しているのです。


  A精神的なレベル

   肺は、生命に直接関わる器官のうちでも、最も重要な器官の一つです。

   肺のトラブルが深刻であればあるほど、
   そこから送られてくるメッセージは緊急の度合いを高めます。

   からだからあなたへのメッセージはこうです。

   「『生命』を肺いっぱいに吸い込んでください。
   そして、生きることをもっと大切にし、生きる意欲を育むのです。

   あなたが許可しない限り、あなた以外のどんな人も、どんな状況も、
   あなたを息苦しくさせたり、あなたを閉じ込めたりすることができません。

   いたずらに状況を大げさにするのでなく、
   時間をかけて人生の良い面や幸福を作り出すことができるのは、
   あなただけなのです。

   どうか、あなたの考え方、物の見方を変えてください。

   あなたは、また、社会生活の面でも、人々との交流を取り戻さなくてはなりません。

   毎日、気が向く、向かないにかかわらず、良い呼吸を実践してください。

   そうすれば、〈感情体〉レベル、〈精神体〉のレベルで、
   生命力を取り込むことが可能となるでしょう」


・・・

        *「生命の医学大事典」橋本徹馬・著(P758〜760)より

(1)肺炎

  @この病気は気分の転換を教えているものと考える。

  A対策として、気分の転換を計る。
   毎夜早く寝て十分に睡眠をとり、毎朝早く起きて日の出を拝む。

(2)肺がん

  @その人の個人的或いは公人的なことで解けきれぬ念の持続が原因である。
   タバコを多く喫うのは、そのような気分をまぎらすためであるから、
   タバコは」原因ではなく、タバコ以前に原因があり、タバコはその結果である。

  A八十八ケ所の霊場をゆっくり廻りつつ、その気分を転換することによって、
   余命三ヶ月と診断された方が元気になったという事例がある。

(3)肺結核

  @その原因の第一は親不幸先祖不幸である。(親先祖の供養を怠り、墓参をしない)
   第二は母方がつぶれている。
   第三は憂うつである。

   第四は肺病で死亡した者の供養を怠っている。
   第五は潔癖、あまりに潔癖なのも不徳のうちである。

   その他として、
   ヒドク人を攻撃する者、
   赤(共産主義)にカブれた者(これは祖国に反逆するのを祖先が喜ばぬのである)

   なお、不正な財産を蓄えて出さぬ家には、永く肺を患って金銭を取られねば治らぬ
   者ができる。

  A原因はなかなか複雑であるが、その原因を知って、
   心から反省すれば治りやすい病気である。


・・・

(1)『生命の實相』第15巻・人生問答篇(P64〜68)より

   よく肺病になる人などを見ると、たいてい気の“小さい”善人が多いのであります。

   そんな善人は善であることにおいて天地の道にかなっているけれども、
   “気の小さい”こと、一つの小事に引っかかっていて、凝りすぎていて
   心の自由を失っていることなどにおいて天地の道に背いているのです。

   何よりも“気の小さい”ということは悪い。
   気が小さいということは、言い換えれば神を本当に信じないということです。

   自分の力一つで生きねばならぬと、小さく力んでいる人で、
   “天地を貫いて生き通す力に押し流されて生きるような人でない”。

   それゆえに気の小さい善人は肺病に罹ったり、失業したりすることがあるのです。


(2)谷口雅春先生光明テープ「希望の泉〜2」より(「結核患者」について)

  @結核患者には善人が多い。全て善人であると言ってもよい。
   しかし、その善たるや非常に狭い善を握っている。
   そして自分が善であると思ったこと以外の善を認めない。

   純情で、正しく清らかであるけれど、排斥する心が多い。
   つまり胸が狭い。だいたいそういう人は生まれつき胸が狭い。

   結核患者は、頭がよくて批判精神が非常に鋭い。
   自分をも自己批判するとともに、他をも批判する。
   そして切り裁く。

  A心のすがたが変わると、こころの通りに全細胞が運動し変化する。

   対策として、

   すべてのものを許してやる、すべてのものを受容れてやる。
   自分だけの立場だけを守るのでなく、他人の立場をも考えてやる。
   広々とした心になる。清濁併せ呑むという心になる。

   すべての人が神の子である、
   あの人も正しいのである、この人も正しいのであると観て、
   すべての人に対して好意を送り、感謝する。

   そうすると、自ずから症状は消えてしまう。

         <感謝合掌 平成27年1月22日 頓首再拝>

《痔》 (206)
日時:2015年02月06日 (金) 04時42分
名前:伝統

(1)「肛門のトラブル」

           *『自分を愛して!』リズ・ブルボー(著)(P125)より

  @感情的なレベル

   肛門は「終点」であることから、ある考え方の終わり、ある関係の終わり、
   何らかのプロセスの終わりを表します。

   もし肛門に痛みが生じたとしたら、それは、あなたが、何かを終わらせようとしている
   ことに対して、強い罪悪感をもっている、ということを表しています。

   つまり、あなたは、何かを重視することをやめて、その上に平然と座ろうとしている
   自分に対して、罪悪感を持っているのです。だからこそ、あなたは、肛門の痛みによって
   座ることができないという事態に直面しているわけです。

   肛門にかゆみが生じるのは、あなたが何かを終らせたいのに、なかなかそれをうまく
   おわらせることができないということを表わします。

   肛門に膿瘍(のうよう)ができた場合には、「膿瘍」の項を参照してください。
   ただし、それは「何かを終わらせる」ことに関係している、
   ということを忘れないようにしましょう。

   肛門から出血した場合は、「膿瘍」ができた場合とほぽ同じです。
   ただし、そこに、さらに次の要因が加わっていることを知ってください。
   つまり、あなたは、怒りやフラストレーションが原因で、生きる意欲を失っている、
   ということです。


  A精神的なレベル

   大切なのは、過去にしがみつくのをもうやめて、何かを終わらせ、次の段階に進むことです。
   ただし、苦しみながらそうするのではなく、愛、歓び、調和とともにそうしましょう。

   また、あなたが決意する時に、他人に依存する必要は全くない、
   ということも知る必要があるでしょう。

   あなたに自信を無くさせようとするエゴの声に対して、次のように言ってください。
   「私はもう自分のことは自分でできるようになりました。もう自分のことは自分で決められます。
   なぜなら、どんな結果が出ても、それを引き受ける覚悟ができたからです。」

・・・

(2)痔

        *「<からだ>の声を聞きなさい」リズ・ブルボー・著より

   @痔は、プレッシャー、息苦しさ、重圧、恨みなどに原因がある。

   A痔は、期限を恐れる、過去に対する怒り、手放すのが怖い、負担を感じる心にある。

・・・

(3)《痔核》(いぼ痔)

           *『自分を愛して!』リズ・ブルボー(著)(P133)より

   @その人が、恐れやその他のネガティブな感情をたくさん持っており、
    しかもそれらを表現したり、それについて話したりしないために、
    心の内圧が上がっている、ということです。

   A心の中の不安が増大すればするほど、痔核の症状は上げしくなります。
    物事がうまくいかなくなるとおしりに火がついたように感じるわけです。

   Bあなたは、こだわりを手放して、自分を信じ、
    自分が感じたことを素直に表現するといいでしょう。

・・・

(4)《痔》

        *「生命の医学大事典」橋本徹馬・著(P374〜375)より

   @痔を病む人は、あせりすぎる人、居たたまらぬ境遇にある人、
    落ちつけぬ心境にある人等である。

    これではいかん、これではいかんといつもあせっている人。
    家庭で落ちついて居れぬ人。
    勤務先で、いつやめさせられるかも知れぬのを苦にしている人。

   A落ちついて写経をして、心の持ち方を改めると、自然によくなる。

・・・

(5)《痔病》

         *本流宣言掲示板「谷口雅春先生御講話の“落穂拾い” <第二話> (3000)」より

   @「肛門。出し渋り、薄情、欲張り」

   A痔病は、イライラしない。
    <自我>が<ない>のはハイの心、素直な心、人を言葉で切らぬこと、
    <自我>ない、<痔が>ない。

       (http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=587

・・・

(6)《脱肛痔》
          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(P36〜37)より

   いくらと定(さだ)めた自動車賃をこちらから進んで余計出した時には実に気持ちがよい。
   なんだか自分が大きくなったような気がする。
   そのくせ自分は出しただけ余計に減っているのである。

   この事実はなにを語るか、物質的にかえって減りながらも、かって「自分」というものが
   いっそう大きくなった実感がするという事実を考えてみるとおもしろい。

   この事実は「自分」というものが「物質」でないことの証拠である。
   「上衣(うわぎ)を着る者には下衣(したぎ)をも与えよ。
   一里の公役を強いられなば二里を行け」と言ったイエスの言葉には、
   人間が「物」でないという実感がたたえられている。


   この話をわたしが堂ビルの清交社で講演したとき、
   脱肛痔が治ったといって礼にわざわざ来られた人がある。

   それは岩村○太郎という人であった。
   夫人が津田学塾出身のクリスチャンで、常に良人に戒律を強制していた。
   こうしていつも圧迫されつつ岩村さんは、いたたまらない気持でいたのである。

   脱肛痔はいたたまらない気持から起こる。

   奥様が一里の公役を強いる時には二里を行くというような、気前のよい心になったとき、
   いたたまらない家庭の感じが解消されるのだと思う。

         <感謝合掌 平成27年2月6日 頓首再拝>

排泄という肛門の機能 (335)
日時:2015年02月16日 (月) 04時27分
名前:伝統

(上の記事「《痔》 (206)」に関連し、Web上に以下の資料がありましたので、
参考として紹介いたします。)




つまり、排泄ですね、肛門の機能というのは。
排泄ができないということはどういうことか。

まあ、別の言葉で言えば、糞切りが悪いなどとよく言いますね。
あるいは、なかに蓄えて出てこない。糞づまりです。こういうものがあります。
いずれにせよ、どうも排泄というものがうまくいかないわけです。

人間は、どうも口に取り入れることばかりを気にしているけれども、
出すことをよく忘れています。

毎日毎日、きちっと排泄できる、これは幸せなことですね。
毎日きちっと出るものが出るからこそ、入ってくるものが嬉しい。

ですから、肛門が悪い、要するに、痔になったり、便秘もそうですが、
こういう人というのは、感謝の念が足りないですね。これがひとつです。

排便というようなこういう一番汚いと思われているようなもののなかに、
つまり、こういうことが毎日あるから自分は幸せなんだ、
毎日幸せに生きていけるんだ、と。

排便が一週間出なければ、人間は死んでしまいます。
こうした一番汚らしいことのなかにも、感謝の種はあるんのです。

ですから、つまらないことをつまらないとするのではなくて、
つまらないことが自分の人生を支えてくれているのだという気持ちですね。

こういう下積みの人たち、あるいは、自分を支えている、
そういう一見つまらなくみえるものに対する感謝です。

社会で言えば、下積みになっている人への感謝、
会社で上役になっておれば、平社員たちへの感謝、
こうしたものがないと、痔になってくる。

下積みの者への感謝です。
つまらないと一見思えるものへの感謝、
もちろん食べるものへの感謝も持たなくてはならない。

ところが、痔になるような人は、食物に対して、あまり感謝する気持ちがありません。
つまり、盲点ですね。痔の部分というのは、人生に盲点のある人です。


痔になる人の二番目の原因、
これは、要するに、ひとつひとつのことを処理していけない性格です。
これもあります。

つまり、区切りができない人ですね。あることを片づけないままに、次のことにかかる。
それをやりながら、また次のことに気が移る。
こういう人は、肛門の病気になりやすいです。

そこで、ひとつひとつに区切りをつけていく。
人生にピリオドをひとつひとつ打っていく。

こうした区切りのある整然とした日常生活、これが肛門を活していく。
こういうことが肝心です。

         <感謝合掌 平成27年2月16日 頓首再拝>

事故とケガの背景にある心の象徴 (477)
日時:2015年02月27日 (金) 03時40分
名前:伝統

       *「超医療セラピー」クローディア・ランヴィル(著)(P32〜34)より

私が11歳の時に経験したことをお話しましょう。

ある夏の一日、姉が私に、これから年上の友だち(リュシー)と
サイクリングに行くところだと言いました。
私は母のところに飛んでいって、私も行かせてほしいと頼みました。

すると母はこう言いました。
「だめだめ、おまえはまだ小さすぎるからサイクリングは無理よ」
私には、母の言ったことが理不尽に聞こえました。なぜなら、姉は私よりたった1歳しか
年上でなかったからです。私は、頭でそんなふうに考えました。

そこで、私は母に見つからないように、
そっと自分の自転車に乗り、姉たちのあとを追いました。
行きはすべてうまくいきました。問題は帰りでした。

途中で雨が降り始めたのです。
突然、私の自転車のチェーンが外れてしまいました。

リュシーは、私に自分の新品の自転車を渡して
「先に行ってて、私はチェーンを治してすぐに追いつくから」
と言いました。

私と姉は二人で縦列になって車道の脇を走っていきました。
ところが、路面をスリップした車が私にぶつかってきたのです。
私は宙返りしながら数メートル飛ばされて、車道の路面に落ちました。

リュシーの新しい自転車は壊れ、私は足首を捻挫し、軽い脳しんとうを起こし、
お尻の筋肉を傷めたのです。でも、幸い、1週間の入院ですみました。


ではどうして、その車は、私の姉、または他の友だちにぶつからなかったのでしょうか?
どうして、私は、他の箇所ではなく、足首やお尻を痛めたのでしょうか?

今から振り返ってみると、その時、私が母の言いつけにそみいてサイクリングに行った
ことで罪悪感を持っていた、ということが事故の原因になったのがよくわかります。

私は<頭>で判断して出かけました。
ゆえに頭をぶつけて<脳しんとう>起こしたのです。

私は母のいうことを聞かないで<海岸>(=陸地の端)に行きました。
ゆえに<足首>(=体の端)を捻挫したのです。

また、当時、私は兄から罰としてお尻をぶたれることがありました。
したがって、私はお尻を痛めることでみずからに罰を与え、罪悪感のつぐないをしたのです。


では、自転車のテーンが外れたのはなぜでしょうか?
チェーンが外れたためにそれ以上走れなくなったのですから、
それは私の罪悪感の最初の具体化だったのかもしれません。


では、なぜ私の自転車ではなくてリュシーの自転車が壊れたのでしょうか?
私たちが古くてオンボロの自転車に乗っていたのに対し、リュシーは新品の、それも高価な
自転車に乗っていたので、もしかするとそこことで彼女は罪悪感を感じていたのかも
しれません。もちろん、今となっては確かめようがないのですが、
でも、私はそんな感じがしています。


   この世の中には
   偶然というものはない

(中略)

体が使う<象徴言語>を読み解くことができるようになれば、
事故が起こる前に私たちが感じていたことと事故のあいだに存在する
結びつきを発見することができます。


(この書「超医療セラピー」の巻末には、体が使う<象徴言語>について、
 身体の部所や症状に関する鍵が示めされております。P373〜382)


         <感謝合掌 平成27年2月27日 頓首再拝>

 (528)
日時:2015年03月03日 (火) 06時09分
名前:伝統

今日は、3月3日、耳の日です。
今日の話題は、耳に関するものです。


        *『自分を愛して!』リズ・ブルボー(著)より

《耳》

耳は聴力を意味します。

耳を患うのは、たいてい耳を塞ぎたくなるようなことが周りで起こっているからです。

耳痛は、聞いたことに対する怒りを示しているのでしょう。
耳痛にかかる子供はたくさんいます。

家庭内で聞きたくもないことを聞かなければならないからです。
子供は怒ってはいけないと決めている家庭が結構ありますが、
子供は無力ですから、耳痛になります。

難聴は長年にわたって誰にも耳を傾けたくなかったから生じたのです。

耳を患っている人の隣には おしゃべりな相手がいるのを知っていましたか?

              ・・・

《耳痛》

(1)身体からのメッセージ

   怒り、聞きたくない。収拾のつかない混乱。両親の言い争い。

(2)新しい思考パターン

   まわりとうまくいっている。嬉しいこと、良いことは熱心に聞く。
   私はそのものなのだから。

              ・・・

《難聴》

(1)身体からのメッセージ

   拒絶、依怙地、孤立。
   何に耳を貸したくないのか。
   私の邪魔をしないでくれ。

(2)新しい思考パターン

   神のみの言葉に歓喜する。
   私はあらゆるものと気持が通じている。




・・・

          *「ライフヒーリング」ルイーズ・L・ヘイ(著)より

《耳》

聴力を意味。
耳を患うのはたいてい耳を塞ぎたくなるようなことがまわりで起こっている。

              ・・・

《難聴》

拒絶、意固地、孤立。何に耳を貸したくないのか。
私の邪魔をしないでくれ。

 → 私はあらゆるものと気持ちが通じている。

              ・・・

《耳痛》

怒り。聞きたくない。収拾のつかない混乱。
両親の言い争い。

 → まわりとうまくいっている。
   嬉しいこと、良いことは熱心に聞く。

              ・・・

《耳鳴り》

聞きたくない。心の声を聞いていない。頑固。

 → 高尚なる自己を信じる。心の声は熱心に聞き入る。
   愛のはたらきと無縁のものはなくす。



・・・

        *「生命の医学大事典」橋本徹馬・著(P595〜597)より

《耳》

すべて耳に関する病気は、耳を本来の正しい意味に使わないことから起こるのであります。
耳は人の云うことや、自然の声などを聞いて、そこから深い意味を発見し、
人との関係をよくし、人々と共に栄える道に役立たすべきものである。

              ・・・

《中耳炎(耳だれ)》

ある夫人が、主人の甘言にだまされまいとして、主人の言うことに耳を塞ぐようになり、
それが高じて遂に中耳炎になり、耳が遠くなった。

さとりの上からいえば、この夫人には、そのような夫の言葉を聞かねばならぬ前生からの
因果がある。それゆえにこそ、そのような夫と夫婦になったのである。

この場合、夫の甘言に欺かれるごとに、夫を恨まずして、
わが前世からの因果の深さを省み、反省して現世で償いをしなければならぬことを考え、
そうして夫の善性を疑わぬようにするのである。

そうすると夫は次第に、甘言で夫人を欺くことをやめることになる。
その時夫人の前世からの悪因が切れたのである。

その夫人は、立派に悪因を解消して、清浄身になったのである。

              ・・・

        *「生命の医学大事典」橋本徹馬・著(P687〜688)より

《難聴》

原因は人の言うことを聞かなかった因果によるのであり、その程度に応じて、耳が少し遠いから、
聾者(つんぼ)といわれるまで、それぞれの難聴になるのである。

(1)生まれつきの難聴は、前生からの因果が深いので、一代では治りにくい。

(2)子供の時代に耳が聞えなくなったのは、その親が誰かの言うことを聞かぬようにした
   因果によって、聞えなくなったのである。

     → 親が心の持ち方を反省すべきです。

   20才の長男が、8年前に右の耳が突然聞えなくなり、絶えず耳鳴りがしているとの相談。

     8年前といえば12、3才の頃ですね。

     その子が長男ならば主として父親の因果を受け、
     次男以下ならば主として母親の因果を受けます。
     (妊娠中絶児がある場合、長男が本当の長男であるか分からない場合がある)

     子供の諸病は親の因果の現われであり、その子の難聴は、右の耳であるから、
     女性(恐らくは母親または祖母)の言うことを、御主人か貴女がよく聞かなかった、
     因果によると思います。

     よく考えれば必ず思い当たられる筈ですから、親がよくお詫びをし、態度を改めれば、
     ご長男の耳は治りますが、親が改めなければ治らないのです。


(3)中年で難聴になった人は、現世で誰かの言うことを聞かぬようにした因果による。

     → そのことに気づき、反省すると、よく耳が聞えるようになった人が多くいる。

              ・・・

        *「生命の医学大事典」橋本徹馬・著(P908〜909)より

《耳鳴り》

耳鳴りは、人の話を聞かぬようにした人の病むものです。

聞きたくないと思っている相手の人の善性を信じるとともに、わが因果を省みるのです。
その人がああいう私の聞きたくないことを繰り返すのは、私の因果解消のために必要なのだと
考え、常に自分が反省しつつ、相手の言葉をよく聞くのです。

そのような心境でいると、相手の人が愚痴を繰り返すのをやめるようになります。
その時あなたの前世からの悪因が切れたのです。
ただ、うるさがって耳を塞いでいると、症状が悪化するばかりです。



・・・


聾唖(おしつんぼ)はききたくない心

         *「女性の幸福365章」(P306)より

心に思うことは、しかもそれが強い感情を伴う場合には、
速やかにその思いが具象化する力が強いのである。

だからいやしくも人を憎んだりしてはならない。
人を傷つける心を起してはならない。

人を傷つける心を起したときには、必ず、それがその相手の人の心に感応しており、
自分自身を傷つけるか、自分の子供を傷つけて病気を起こすことになるものだと
いうことを知らねばならない。



舅姑の言うことを聞きたくない。
良人の言うことを聴きたくないという嫁の念が嫁の生んだ子供に聾唖(おしつんぼ)の
不具者を生ずることがあり、

その子供の母になった彼女が後年生長の家に触れて、過去のあやまちを懺悔し、
既に他界していた姑の霊前にお詫びをして『甘露の法雨』を罪障消滅のために読誦すること
数ヶ月、生まれつきのその聾唖(ろうあ)の子供が、耳がきこえ、物を言い出した実例もある。

母親の心が子供の健康に反映することは、かくの如く、顕著なものがある。

         <感謝合掌 平成27年3月3日 頓首再拝>

耳は2つ、人の意見を2倍聴くためにある (639)
日時:2015年03月13日 (金) 07時08分
名前:伝統

(上の記事「耳 (528)」に関連し、Web上に以下の資料がありましたので、
参考として紹介いたします。)



次に、耳についてお話します。
耳が何を象徴しているかは、もう、おわかりだと思います。
まず、耳は2つあるということに注目しなければいけません。

耳が2つあって、口はひとつです。

ロがほんとうは2つあって、耳がひとつでもいいはずなんですが、
つまり、耳が頭の天辺(てっぺん)についていて、くるくると回っており、
ロも2つぐらいあると、間食用の口と、主食用の口でもあれば便利なんでしょうが、

ロはひとつしかない。
しかし、耳は2つある。
また、目も2つあります。
鼻の孔も2つある。

しかし、口はひとつしかない。
こうしたことの意味を解かねばなりません。

これは、神様が、人間はしゃべることの2倍聴きなさいと、
こういうことで耳を2つつくっておられるのです。

人間はともすれば、自分の言いたいことばかりを言いたがります。
そして、人の意見に耳を傾けません。
耳が2つに、口がひとつ。

つまり、しゃべることの二倍聴きなさい、人の意見を聴きなさい、と。こういう意味です。

ですから、耳の悪くなる人は、人の意見の聴き方が足りないということです。
だいたいにおいて、人の意見を聴きたくないと思っていると、だんだん耳が悪くなってきます。
耳が遠くなってきます。

そこで、耳が悪い人は、自分がしゃべるだけじゃなくて、自分の意見を言うだけじゃなくて、
人の意見に耳を傾けているかどうか、それをよく考えてほしいのです。

これが耳です。

         <感謝合掌 平成27年3月13日 頓首再拝>



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