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光明掲示板・伝統・第一

 

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《青年を祝福する》 (45)
日時:2015年01月20日 (火) 04時57分
名前:伝統

*光明掲示板・第三「《青年を祝福する》」からの継続です。
 → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=540

 この光明掲示板・第三「《青年を祝福する》」には、”童子 さま”により
 谷口清超先生の『限りなく青年を愛す』というご文章も紹介されております。

   (1)青年よ、大志を抱け。 
   (2)青年よ、希望を失うな。
   (3)青年よ、愛を行なえ。

   (4)青年よ、祖国を愛し、祖先の意志に忠実であれ。 

   (5)青年よ、知識をひろめよ。 
      智慧なき勇者であるな。 

   (6)青年よ、努力せよ。 
      努力することを忘れた者は、もはや青年ではない。

   (7)青年よ、正しく信ぜよ。
      青年が信仰を忘れるとき、青年の力は失われる。

   (8)私は青年を信頼する。
      青年達は決して弱々しくはない。
      青年は大望をもつ。
    
 ・・・

《人間復興の選士たれ》

            *「第二青年の書」より

現代の多くの人々は、自分の内にやどる永遠なる存在、実相、理想ー久遠なるもの、
悠久なるもの、眞に美しきものを見失って、肉體的なるもの、物質的なるもの、
須臾(しゅゆ)にして消えるものを追求している。

彼らは本当の悦楽というものを知らないのだ。
本当の幸福というものを知らないのだ。

彼らは、たとえばヒロポンの注射による一時的興奮による快感類似のものを
本当の快感だとしてそれを追求しているうちに、ついに中毒症に陥って人格喪失者と
なってしまうように、実相の悦びを喪失してしまっている。


青年よ!、

せめて諸君は、真の人間復興の選士として、人間の内にやどる理想であり
「実相」であるものを傷つけることなく、勇敢に、たくましく、

肉体や物質の誘惑に対して闘い勝って、「人類よ、本当の幸福は此處にあるぞ」と、
迷える人類に対して、真の幸福への道を、真の歓喜への道を指し示してくれなければ
ならないのである。


人間復興 ―― 何という素晴らしい諸君の使命であろう。

いかに堕落しているように見えても真の人間は傷つけられてはいないのだ、
なぜなら真の人間は霊であるから傷つけられはしない。

併し、気の毒にもその霊なる完全なる人間は、不幸にも、
人類の長くそして執拗なる唯物論的迷妄によって蔽(おお)い隠されて、
その殆ど全てがあらわれていないのである。


青年よ、諸君が人類の先頭に立って、
この蔽いを取除く役目をしないで、誰がそれを爲し得るか。

諸君は若いのだ。
新鮮なのだ。
まだ塵埃に蔽われていないのだ。

古き執拗なる蔽いを取り除いて、人類の真の実相をあらわし、
真の魂の悦びを知らしてやるのは、諸君を除いてほかにはないのだ。


人間の実相は完全なるかな。
魂の蔽いを除れ。
そして人間の実相を直視するのだ。

まず自分の完全さを凝視するのだ。
その凝視からあなたの完全な実相があらわれる。
これが神想観である。

神想観によって自己内在の完全な実相をあらわすことがまず第一だ。
「観る」ことは「つくる」ことであり、「あらわす」ことである。

常に神想観によって自己の霊なる悠久にして雄大、完全にして円満なる実相を見よ、
併してそれを顕現せよ。同時にすべての隣人に對して、その真理を教えよ。
それが真の愛行である。

観と愛行と、車の両輪の如く、それが打ち揃って
覚行円満なる菩薩となることを得るのである。


青年よ、あなたは菩薩中の菩薩である。


<参考Web:光明掲示板・第三「次代を担う若者に今、伝えたいこと (2256)」
       (”明鏡 さま”のご投稿のもの)
       → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=450 >

           <感謝合掌 平成27年1月20日 頓首再拝>

《久坂玄瑞の名言》 (103)
日時:2015年01月27日 (火) 04時42分
名前:伝統

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」に久坂玄瑞が登場しております。
(→ http://matome.naver.jp/odai/2140793586209682701 )

吉田松陰から四天王の一人として、高く評価されたのが「久坂玄瑞」でした。

そこで、今回は、その「久坂玄瑞」が遺した言葉の数々を、
青年の皆々様へお贈りいたします。



(1)「世のよし悪しはともかくも、誠の道を踏むがよい、踏むがよい」

(2)「大名や公家はあてにならない。
   本当に力を発揮するのは草莽の志士の連中だけだ」

(3)「私の志は、夜明けに輝く月のほかに知る人はいない」


(4)「花をみてさきにほふ花をみてだにしのぶかな雲ゐの風の今日はいかにと」

(5)「けふもまたしられぬ露のいのちもて千とせも照らす月をみるかな」

(6)「取り佩ける太刀の光はもののふの常に見れどもいやめづらしも」


(7)「いくそたびくりかへしつつわが君のみことし讀めば涙しこぼるも」

(8)「あなたなる峯の白雲夕ぐれに見ればかなしも世の事思ふに」

(9)「時なればせんすべもなしもののふのあはれ吾が君もおもちちもおきて」


(10)「あづさ弓春も来にけりもののふの引き返さじと出づる旅路に」

(11)「富士の御山は崩るとも、心岩金砕けやせぬ、これ、砕けやせぬ。」

(12)「時鳥血爾奈く声盤有明能月与り他爾知る人ぞ那起」


(13)「ほととぎす血に泣く聲は有明の月より他に知る人もなき」

            (http://kenplanning.sakura.ne.jp/www/?p=2174

           <感謝合掌 平成27年1月27日 頓首再拝>

私の養成したい人間 (221)
日時:2015年02月07日 (土) 03時42分
名前:伝統

         *「青年の書 第18章 青年のための抜粋」(P200〜202)より

(1)豊富な生活力のある人間である。

(2)心性明朗にしていかなる見せかけの困難に出逢おうとも憂鬱にならない人間である。

   困難は人を鍛える百錬の鉄槌である。

(3)包容力の偉大なる人間である。
   万物と克(よ)く調和する人間である。

(4)叡智ある人間である。

   叡智とは、時に応じ機に臨んで流れ出で湧き出でて止まるところを知らない智慧である。
   常に、神われに在りて成さしめ給うと、功を神に帰する謙遜なる智慧である。

(5)どんなことがあっても人を憎まない、人を呪わない人間である。

   憎みや呪詛の感情が自己自身を破壊しないことはあり得ない。
   汝を憎む者のために祈り得る大愛の人間こそ私は養成したと思う。

(6)どんなに踏みつけにせられても笑っているような鈍重の人間ではなく、
   「峻厳なる大愛」でなければならない。

   峻厳なる大愛のみ、厳冬の後に芳(かんば)しき白梅(はくばい)を
   咲かせることができるのである。

(まとめ)

   いかなる時にも赦しならが、いかなる時にも、包容しながら。
   いかなる時にも、心に莞爾(かんじ)と微笑しながら、
   無限に豊富なる生活力と、明朗なる心境と、偉大なる包容力を失わず、

   それでいて時には雲を呼び、風を招き、雷霆(らいてい)を轟かし、
   地震を震(ゆ)り動かし、天地全体を革命して、
   人類を本当の意味に於いて救い得る偉大なる人物である。

           <感謝合掌 平成27年2月7日 頓首再拝>

青年のための「聖歌」 (351)
日時:2015年02月17日 (火) 04時52分
名前:伝統

生長の家ジュニア友の会の歌 〜 谷口雅春先生作詞

(一)

よろず生物 神やどす
禽獣(きんじゅう)さえも 徳を具(ぐ)す
されど秀でて "神の子"の
神の世嗣(よつぎ)の 全徳を
表現せんと 今学ぶ
ジュニアの吾ら "神の子"ぞ


(二)

人みな天賦(てんぷ)の 徳宿す
されど天賦の 万徳は
磨かざるとき 光り無し
学ぶに従い 光り出で
神徳あまねく 世を照らす
ジュニアの吾ら"神の子"ぞ


(三)

道を明らめ 徳を樹つ(たつ)
忠孝倫理の 道を知り
大義を知りて 小技棄て(しょうぎすて)
国の柱と 成るべしと
志立て 道はげむ
ジュニアの吾ら"神の子"ぞ


(四)

"神の子"立ちて 道はげむ
正大の気 友を呼ぶ
雲と集まる 同志たち
血の盟(ちかい)たて 結び合う
ここに不滅の 集団と
なりしジュニアの友の会
金剛不壊(こんごうふえ)の 集団と
なりしジュニアの友の会

・・・

生長の家高校生連盟の歌 〜 谷口雅春先生作詞

(一)

日出ずるくに たぐいなき
六合を兼ね 連邦の
みやこをひらき 八紘(はっこう)は
兄弟なりと 宣言し
神武建国 三千年


(二)

この国日本 高ひかる
やまとの国に 生を享け
大和の理想の 実現に
精進せんと 溌溂(はつらつ)の
わかきいのちの 高校生


(三)

正大の気を 神に享け(うけ)
大和の理想 国に享け
愛国の情 父に享け
人類愛を 母に享け
光明思想を 師に学び


(四)

われら青年 けがれざる
わかきいのちを 純粋に
民族の使命 実現に
邁進(まいしん)せんと 集まれる
聖愛の使徒 高校生


(五)

われら日本に うまれたる
民族の使命 わすれずに
正をやしない 皇国(すめくに)に
身を献(ささ)げんと ちかいたる
愛国の使徒 高校生


(六)

おお日のもとに 生を享け
みことの自覚を 祖神(みおや)より
承け嗣ぎ(うけつぎ)来たりし 悦びを
宣べ伝う(のべつとう)べき 選士たち
真理の御子われ 高校生


(七)

こころあかるく 身を清く
悦びを宣べ 世を照らし
光輪卍字 十字架の
万教帰一の旗のもと
平和の真理を 宣べんかな
平和の真理を 宣べんかな


・・・・・

生長の家学生会全国総連合の歌 

   ―生学連使命曲―

        谷口雅春先生作詞

(一)

ひんがしの 日のいずるくに
日のもとの ひじりのくにに
世のけがれ きよめんとして
すみのえの おおかみここに 
立ちたまう 立ちたまう


(二)

いざなみの ゆいぶつろんの
やみのくに 死のくに文化
ひろまりて 今やせかいは
ぶんれつし せんそう闘争
絶え間なし 絶え間なし


(三)

いざなみの 唯物論の
死の兵器 黄泉軍(よもついくさ)を
ひきつれて 生命(いのち)の国に
せまりくる 危機救わんと
われら起つ われら起つ


(四)

ひのもとの 実相のくに
生のくに いざなぎのくに
死の神に いまや追われて
暗と昼の(やみとひの)峠 比良坂(ひらさか)
危機せまる 危機せまる


(五)

いざなぎの おおかみ此のとき
桃の実を 三つとりたまい
死の神に なげ撃ちまう
死の神は やぶれてあとに
しりぞけり しりぞけり


(六)

桃の実は 生命の実の
象徴ぞ 東方朔(とうほうさく)の
右の手に にぎれる果実
不老の実 いのちの樹の実
あらわれぬ あらわれぬ


(七)

ひのもとの 生命の実の
てつがくを 此の世にひろめ
やみくにを ひかりのくにに
なさんとて いまやわれ起つ
使徒われら 使徒われら


(八)

いざなぎの 大神、簾(みす)を
巻きあげて い覗き(いのぞき)ませば
いざなみの 神のみからだ
うじたかり 水爆原爆
無慚(むざん)なり 無慚なり


(九)

あなしこめ しこめきくにの
文化かな ここに宇宙の
大祖神(だいそしん)御国(みくに)きよむと
たちはなの あはぎの原に
みそぎます みそぎます


(十)

たちはなの おとの言葉の
ちからにて 最後のきよめ
なさんため すみのえのかみ
今立ちぬ その使徒われら
大学生 大学生


(十一)

宇宙きよめの 神の子ら
その神の子の 中核体
われら選ばれ 団結し
生学連を 結成し
宇宙浄むと 起ちあがる
宇宙浄むと 起ちあがる
使命大なり 生学連
使命大なり 生学連

新版 生長の家 聖歌歌詞 平成十四年六月一日 初版発行

・・・

生長の家女子年の歌 〜 谷口雅春先生作詩 

(一)

釋尊うまれて 三千年
キリスト出でて 二千年
末の世きたり 人類は
おほむね滅ぶと 預言せし
原水爆の 危機迫る


(二)

現象界は 闇の世ぞ
闇の世てらし 救はんと
ここに吾らは 天界ゆ
使命さづかり 天降り
眞理の燈とぼす 女子年


(三)

眞理の光を ほどこせば
與へて殖える 無盡燈
盡きざる眞理の ひかりもて
世を照らすべき 使命受け
あまくだり來し 女子年


(四)

心に悟りの 燈をもせば
三界唯心 闇は無し
心に闇の 消ゆるとき
世界の平和 此處にあり
平和の天使 女子年


(五)

善人すゝんで 為さざれば
闇はひろがり 人類は
原水爆に 消え失せん
團結こそは 力なり
蹶起(けっき)す吾ら 女子年

(昭和41年11月25日初版発行)


・・・・・


年會の歌 〜 谷口雅春先生作詩 

(一)

ひのもとの 若き生命(いのち)は
神の子の さきはへうけて
神國(かみくに)を あまつかなたの
はるかなる 夢のくにより
このよなる うつしのくにに
美しき 神の構圖(こうず)を
もちきたす 使命うけきて
雄々しくも 今立ち上がりぬ


(二)

大いなる みてに抱かれ
悦びに 胸打ちふるへ
若人の いやすゝみゆく
ゆくさきは 唯光のみ
若人の いやすゝみゆく
ゆくさきは 闇はきえゆく
ひのもとは たたゞ光のみ
ひのもとは たたゞ光のみ


(三)

燃えあがる 光の如く
もえさかる 若葉の如く
ひたぶるに わかき生命(いのち)は
神の子の 御智慧(みちえ)今うけ
神の子の 力いまうけ
風はらむ 帆舟(ほぶね)のごとく
國おこす いしずゑとして
今たちぬ 生長の家年會   


           <感謝合掌 平成27年2月17日 頓首再拝>

多面的に学ぶ (464)
日時:2015年02月26日 (木) 04時41分
名前:伝統

             *「運命を開く」安岡正篤・著より

青年に大切な心がけの一つは、人生の物事を浅薄軽率に割り切らないことです。

人生というものは、非常に複雑な因縁果報の網で、変化極まりないものであります。
人間がこれを軽々しく独断することは、
とんでもない愚昧であり、危険であると言わねばなりません。

論理学者に言わせると、
「plurality of causes and mixture of effects,ー 原因の複雑と、結果の交錯」です。
それが実在で、その中から著しいあるものを取り出して結びつけ、
これが原因、これが結果と決めるのです。

胃が痛む。何の原因かと思う。
実際は、胃が痛いという内容は限りなく複雑で、原因も多々あるわけです。

暑さで体がだれておったのも原因、前夜遅くまで勉強したとか、
酒を飲んだとかいうのも作用しておる。
  
面白くないことがあって、いらいらしておったということもある。
そこへ、何か悪いものを食った、飲んだ。こういうように原因は無数にある。

そして胃ばかりでなく、他にもいろいろな結果を生じておるのであるが、
そのうち特に著しいのは胃が痛いということ、悪いものを食ったということである。

そこで、一方を原因、一方を結果とする、こうせぬと割り切れぬ。
  
しかし、そう単純に割り切るばかりでは危ないのです。

単純に因果の論理を進めてゆく間には、多くの内容が棄てられてしまう。
その棄てられるものの中に、意外に重大なものがあるかもしれない。

人生社会の現実問題となると、因果関係が非常に複雑で、何がどういう縁で、
どういう果を生み、どうはね返ってくるか(報)、測るべからざるものがあります。


法華経に説く「十如是」ー如是相ー如是性ー如是体ー如是力ー如是作ー如是因ー
如是緑ー如是果ー如是報ー如是本末究竟等。
因果の循環関係を十種に説いたものです。

我々が直接経験するそのままの世界、これは「相」です。
これは定まったものではなく、変化極まりがない。これを無相という。

仏教は、いずれの宗派を問わず、皆まずこの現相を打破し、無相を覚るのです。
これらの相は単なる表面だけの世界ではなくて、その中に相を相たらしめる働きがある。
それを「性」という。その性の本源が「体」であります。

この体は「力」である。科学的に言えは、エネルギーとも言える。
単に抽象的なものでなくて、いろいろの作用を営む働きである。
これを「作」という。これは、いろいろの現象の「因」となる。

ところが、その因が不思議な「緑」(接触)によって、いろいろの「果」を生ずる。
だから縁から起こるとして「縁起」という。

果はまた一つの因で、あるチャレンジです。
challenge があれば response がある。

歴史哲学者のトインビーがこれを説いている。
トインビーを待つまでもなく、あらゆる道の学者がこの関係を説明しております。
これを「報」という。すべて異なって、しかも皆同一です。

この如是相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本未究竟等は、
その故に十如是、百如是、万如是、万有世界になります。

世の中は、人間というものは、何がどういう関係を持つか計り知れません。
私は銀行員である。だから金融事業が専門である。その他のものは専門外である。

そこで銀行関係者とは付き合うが、金融に関する本なら読むが、
その他の人間とは別に用はない、本も読む必要はない。
こう断定することは、最もものを知らない、道のわからぬ人間です。

たとえば、自分は事業界に入つた。製鉄会社である。
だから鉄関係の人々には交際する、鉄関係の書物なら読む。事業には金融が必要である。
金融業者との交際ならよかろう。その他の人間にはあまり用事がない。

畑違いの本は読まない。ーこんな考えの人間が多いものです。
こういうのを浅見というのです。
人世の因果の微妙複雑なことが分からない浅はかな人間です。

金融のために銀行に行って、いくら頼んでも金は貸さない。
百計尽きておる際、ひょっこり昔の友人に逢つた。

「おう!珍しい。どうしている?」
「実はこんな始末だ」

「そうか、君なら何でもやりとげられる人物だ。(こう見込まれる自分であることが
何よりたいせつだ)僕の親友にOOがおる。彼は話がわかる。一つ紹介しよう」 

こういうことから意外な道が開けることが、しばしばあるのです。

人生の出来事というものも、たとえば何が幸いであり、何が禍であるかは、容易に分らぬ。
凡俗の浅薄な考えで、これは幸福だ、これは禍だとすぐ決めるが、人生・自然・天・神の
世界の真実・理法は、そんな単純な、あるいはいい加減なものではない。

「人間万事塞翁が馬」という諺もあります。

平生から、およそ善い物・善い人・真理・善い教え・善い書物、
何でも善いもの・勝れているもの・尊いものには、できるだけ緑を結んでおくことです。
これを「勝因」といい、「善縁」といいます。

とにかく、せっかく善い人に会い、善い書を見、善い話の席につらなりながら、
キョトンとしたり、欠伸をしたり、そっぽを向いたりしている人間はだめであります。
うつけ者です。

大体、そういう人間なら、諸君は決して事をともにしてはいけない。
そういう人間を友にしてはいけない。

むしろ何でもないようなことでも、耳を傾けたり、眼を光らせる人であったら、
何か見どころのある人間なのです。

もちろん、形骸は眠つておるようでも魂が輝いておる人もおりまして、
凡眼ではなかなか見分けがつきません。

伊藤仁斎のところへ、山科に閑居しておった大石内蔵助が聴講に出かけるが、
よく居眠りをする。同席の者が肝に障えて、仁斎先生に
「どうもあの男、居眠っておっていけませんが・・・・・」と注意した。

仁斎先生は「いや、気にかけなさるな。眠ってはおるが、あの人は出来ておる」
と言ったという、うますぎるような話があります。

似たような例は、佐藤一斎にもあります。これは事実です。
  
一斎先生の塾で一同これから寝るという段となると、
決まって二人の若者が猛烈に議論を始める。
それで塾生が困って、一斎先生のところへ訴えて出た。

「どうも夜になると、議論を始める二人がおりまして、うるさくて寝られません。
なんとかお叱りください」

「誰だ」

「佐久間と山田です」。佐久間象山と山田方谷のことです。

なるほど、これなら議論しそうだ。一斎先生は「そうか! 」
としばらく考えておられたが、「うん。あの二人ならやらせておけ!我慢せい! 」。

しかしこれらは例外です。

たいてい常則がありますから、心がけ一つで見分けがつくものです。

そして、常に虚心坦懐で、農婦や漁夫にも学ぶ心がけが必要です。

学問の仕方も同じです。

たとえば、漢学者だから漢籍しか読まぬというようでは、
どうも目ざしの干物みたいな人間になりがちです。

英文学をやっておるので、英文学書ばかり読んでおると、
どうも鼻もちのならぬ気障な人間になりやすい。
  
法律家だとて法律の本ばかり読んでおると、昔、一高の寮歌にあった
「法科の頭を叩いてみれば、権利権利の音がする」というような
法律条文の化け物みたいになりかねません。

万物は多くの異質なものの微妙な統一調和からできております。
  
そういう意味で漢学者もできるだけ西洋の哲学・文学に気をつけ、信仰・宗教にも心を潜める。
西洋文学をやる者は、一面厳しい哲学や倫理の書物を読む、歴史に学ぶ。

こういうように、多面性・万華性が欲しいものです。
ただし、雑学になってはいけません。こなさねばなりません。
  
それは心の問題です。必要とか興味とかの問題でなく、
純な内面的要求に従ってやれば、決して雑学になどなりません。

           <感謝合掌 平成27年2月26日 頓首再拝>

”花燃ゆ”でも登場した、高杉晋作の言葉 (574)
日時:2015年03月07日 (土) 04時37分
名前:伝統

            *Webより

(1)「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」

(2)「苦しいという言葉だけは、どんなことがあっても、言わないでよそうじゃないか。」

(3)「負けて退く人をよわしと思うなよ。知恵の力の強きゆえなり。」

(4)「人は旧を忘れざるが義の初め。」

(5)「心すでに感ずれば、すなわち、口に発して声となる。」

(6)「友の信を見るには、死、急、難の三事をもって知れ候。」

(7)「これよりは長州男児の腕前お目に懸け申すべく」

(8)「人は人 吾は吾なり 山の奥に棲みてこそ知れ 世の浮沈」

(9)「戦いは一日早ければ一日の利益がある。まず飛びだすことだ。思案はそれからでいい。」

(10)「天賦のかんによって、その場その場で絵をかいてゆけばよい。」

(11)「人間、窮地におちいるのはよい。意外な方角に活路が見出せるからだ。
   しかし、死地におちいれば、それでおしまいだ。だから、おれは困ったの一言は吐かない。」

(12)「(自分の)死後に墓前にて芸妓御集め三弦など御鳴らし御祭りくだされ」

(13)「いまの場合、一里行けば一里の忠を尽くし、二里行けば二里の義をあらわす。
   尊王の臣子たるもの一日として安閑としている場合ではない。」

(14)「苦労する身は厭わねど、苦労し甲斐のあるように」

(15)「翼あらば 千里の外も飛めぐり よろづの国を 見んとぞおもふ」

(16)「まさにこれ邦家(日本)存亡の秋(とき)。まさに回天回運の策を立てんとす」

(17)「死んだなら 釈迦や孔子に 追いつきて 道の奥義を 尋ねんとこそ思へ」

(18)「(仲間の死に)後れても 後れてもまた 後れても 誓ひしことを 豈忘れめや」

(19)「おもしろき こともなき世を おもしろく」辞世の句

   (高杉晋作の考えや人柄がわかる、言葉。
          http://bakumatsu.org/wremarks/view/19 )


<関連Web:本流宣言掲示板「高杉晋作 (5221)」
       → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1104 >


           <感謝合掌 平成27年3月7日 頓首再拝>

20代で大切にしたいこと (647)
日時:2015年03月14日 (土) 04時33分
名前:伝統

        *『20代で大切にしたい80のこと:悲惨な世の中でくじけないために』
         千田琢哉・著より

(1)どんなことでもわかりやすく説明できる人に人は集まる。
   相手を中心に話をする。

(2)メールは「まめ」に、「短く」「読みやすく」。
  1件のメールの長さと、その人の年収は反比例する。

(3)すべて素早く決断していくから、
   物事が具体的に超スピードで進んで次々に夢が実現されていく。

(4)実践しないと進化しない。

(5)厚さ1ミリの画用紙を38回折ると月に届く。
   このように日常と宇宙の構造はつながっている。
   超マクロと超ミクロは同じなのだ。

   ミクロで行き詰ったらマクロの視点を、マクロで行き詰ったらミクロの視点を。

(6)感謝をすると、見えないものが見えてくる。
   空が落ちてこないのは、ありがたいこと。

(7)遺伝するのは知能指数ではなく、学ぶことへの敬意。

   「勉強ができる人はすごいね・・」
   と子どもとの普段の会話で何気なくささやけばいいのだ。

(8)人生、大勝負は一度だけ。
   織田信長は、非常に神経質で用意周到な人だった。

(9)バカなフリをしている人が、本当のバカだと思ったら大間違い。
   真のリーダーはバカのふりをして夢を実現している。
   大物ほど、ボケたふりをしている。

(10)1500円のコーヒーは高いか安いか。
   時間があればぜひ、高級ホテルのラウンジでコーヒーを飲んで欲しい。
   一流の研修を受けに行こう。

(11)オンよりオフに頭を使う。
   プロは、オンよりオフに頭を使っている。
   オンとオフの境目をなくそう。

(12)演奏会で仕事の気づきを得る。
   異なる職業だからこそ、学ぶことが多い。

(13)天才とは熱意の塊。
   常軌を逸する熱意をもつ。

(14)地味な部分の蓄積を大切にしよう。
   リレーのバトンタッチで勝敗は決まる。

(15)200%の準備で緊張を味方にする。
   とことん準備して、肩の力を抜こう。

(15)目をつむって大丈夫まで、やり込む。

(16)配布資料は一枚でも少なく。

(17)最後の詰めはいつもアナログ。
   デジタルの時代こそアナログ付加価値が上昇する。

(18)コピー機の性能がどんなに進化しても、
   紙詰まりとトナー交換という超アナログ問題には、人間の助けが必要。

(19)出されたお茶には、必ず口をつける。

(20)企画書は、カツ丼。
   企画書を仕上げるまでの時間と、その評価は反比例する。
   相手に「ハフハフ」言わせる企画をつくる。

           <感謝合掌 平成27年3月14日 頓首再拝>

スティーブ・ジョブス 伝説の卒業式スピーチ (742)
日時:2015年03月24日 (火) 04時09分
名前:伝統

(卒業式のシーズンです。今回は、2005年米国スタンフォード大学での卒業式での
スティーブ・ジョブス氏による卒業生へのスピーチの紹介です)

   ・・・

本日は、私の人生から3つの話をします。
それだけです。たった3つの話です。


(1)「点」を繋げる

   最初の話は、『点を繋げる』という話です。
   私はReed大学を半年で退学したのですが、その後18ヶ月は、同じく受講していました。

   では、なぜ辞めたのか? それは生まれる前にさかのぼります。

   私の生みの母は未婚の大学生で、私を養子に出すことを決めていました。
   彼女は私を「大学出の方に」と強く思っており、弁護士夫婦へ引き取られることが
   決まっていたのです。

   もし私の誕生の直前になって、
   彼らが「女の子が欲しい」と決めることがなかったならば。

   そして夜中にリスト待ちしていた、私の親の電話が鳴ったのです。
   「予定外の子がいますが、欲しいですか?」。
   両親は「もちろん」と答えました。

   のちほど判ったのですが、
   私の母親は大学を出ておらず、父親は高校も出ていませんでした。
   生みの母親はサインを拒みましたが、大学に入れると約束することで、折れました。

   こうして私の人生はスタートしました。

   17年後、大学に行くことになりました。が、何も考えず高い大学を選んだので、
   両親の蓄えは大学の授業料に費やされました。

   半年経つと、私は大学に価値を見出せなくなりました。
   自分が何をしたいのかも、大学がその役に立つのかも、わからなかった。
   そして私は、両親の蓄えのすべてを使っている。

   だから退学を決めたんです。「すべてうまくいく」と信じることにして。

   そのときはとても恐かった。でも振り返ってみると、最良の決断でした。
   退学した瞬間から、興味のない科目を勉強する必要がなくなり、
   面白そうな科目を受け始めました。

   すべてロマンチックとはいきませんでした。
   寮がないので友達の部屋の床で寝たり、コーラ瓶を換金して、食べ物を買いました。
   毎週日曜の夜は、7マイル歩いて、寺院でご馳走にありついたりしました。

   あれは良かった。そして、好奇心と直感に従って得た多くのものが、
   後になって貴重な価値のあるものになったのです。

   一例を紹介しましょう。
   当時Reed大学は、国内で最高のカリグラフィ(装飾文字)教育を行っていました。
   キャンパスすべてのポスターやラベルまで、美しいカリグラフィがなされてました。

   私は退学して、通常のクラスの必要もなく、技法を学ぶため、
   カリグラフィ・クラスに出ることにしました。セリフとサンセリフ書体、字間の調整、
   素晴らしいタイポブラフィなどを学びました。

   それは美しく、歴史があり、芸術的に巧妙で、科学では捕らえられないものでした。

   そして、私は夢中になりました。
   どれもが人生に何ら役に立ちそうにないものばかりです。

   しかし10年後に、最初のMacintoshをデザインするときに、
   すべてがよみがえってきました。
   そして、そのすべてをMacに組み込むことが出来たんです。

   それが美しいタイポグラフィを持った、最初のコンピューターだったのです。

   あのクラスに出なかったら、Macに複数のフォントやプロポーショナル・フォントは
   入らなかった。そして、WindowsはMacの単なるコピーだから、それらの機能を持つ
   パソコンはなかったことになります。

   退学していなければ、カリグラフィ・クラスに出なかっただろうし、
   パソコンは、美しいタイポグラフィを持たなかったでしょう。

   もちろん、大学時代に先を見て『点を繋げる』ということは不可能でした。
   しかし、10年後に振り返ってみると、実ははっきりとしているのです。

   繰り返します。先を見て『点を繋げる』ことはできない。
   できるのは、過去を振り返って『点を繋げる』ことだけなんです。

   だから将来、その点が繋がることを信じなくてはならない。
   根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから信じること。
   「点が繋がって道となる」と信じることで、心に確信が持てるんです。

   たとえ人と違う道を歩むことになっても。
   信じることで、すべてのことは、間違いなく変わるのです。



(2)「愛と喪失」について

   2つ目の話は、「愛と喪失」についてです。
   私は幸運でした。若くして、本当に好きなことを見つけました。

   20才のときに、私は、Wozと両親の車庫でAppleを始めました。
   10年間懸命に働いて、ガレージで2人の会社が、
   社員4千人の20億ドル企業に成長しました。
   そして、Macintoshという最高の製品を出した1年後、
   私は30才になり、クビになりました。

   どうしたら、起業した会社でクビになるのでしょう? 
   会社が成長し、共に運営する優秀な経営者を雇いました。
   1年ほどは、うまくいったんです。

   しかし、ビジョンの相違から崩れました。
   取締役会が彼の側に立ち、30才にして辞職したのです。
   とても有名な辞職でした。

   私の人生の焦点がなくなり、破滅的でもありました。
   数ヶ月は何をしていいのか、わかりませんでした。

   私は、それまでの起業家の地位を落とした、
   渡されたバトンを落としたんだ、と感じました。

   私はDavid PackardとBob Noyceに会って、台無しにしたことを詫びようとしました。
   有名な落伍者になったので、シリコンバレーから去ることも考えました。

   しかし、私には少しずつわかったのです、
   「これまでの仕事がまだ好きだ」ということが。

   Appleでの事件は、そのことを少しも変えなかった。
   拒絶されても、なお好きでした。
   そして、また始めてみようと決めたのです。

   そのときはわからなかったのですが、Appleをクビになったことが、
   最良のことだとわかったのです。
   成功の重みが、すべてにおいて再び、ビギナーの軽さになりました。

   このことで、最もクリエイティブな期間のひとつに入ることができました。

   続く5年間で、NeXT社とPixar社を始め、妻となる素晴らしい女性と恋に落ちました。
   Pixarは、「Toy Story」という世界初のコンピューター・アニメーション映画を作り、
   今や世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。

   思いがけずAppleがNeXTを買収し、私はAppleに戻りました。
   NeXTで開発した技術は、現在のApple再生の中心です。
   そしてLoreneと私は、すばらしい家庭を築いています。

   「Appleをクビになっていなければ、こうはならなかった」と断言できます。
   ひどい味の薬でしたが、患者には必要だったのでしょう。

   人生ではレンガで殴られるようなことが、起こることがあります。
   信念を失ってはいけない。
   私は自分がやったことを愛せたから、続けてこられたんです。

   皆さんも自分の好きなことを見つけなければいけない。
   それは仕事でも恋人でも同じです。

   人生で仕事が大きなパートを占めていくだろうけど、
   本当に満足する唯一の方法は、素晴らしいと信じる仕事をすることです。

   偉大な仕事をする唯一の方法は、あなたのする仕事を愛することです。
   まだ見つかっていないから、探し続けること、止まらないこと。

   心の問題と同じで、見つけたときはわかります。
   そして、素晴らしい関係のように、年を重ねるごとによくなっていきます。
   だから、見つかるまで探し続けること。止まってはいけない。


(3)「死」について

   3つ目は、「死」についての話です。
   17才のとき、私はこんな文章を読みました。

   「一日一日を人生最後の日として生きよう。いずれその日が本当にやって来る」。

   強烈な印象を受けました。

   そして33年間、毎朝、鏡をみて自問自答しました。
   「今日が人生最後だとしたら、今日やることは本当にやりたいことだろうか」。
   「No」という答えが幾日も続いたら、私は何か変える必要があると知るのです。

   死を意識することは、人生において、大きな決断をする価値基準となる、
   最も大切なことです。なぜなら、ほとんど全て、外部からの期待やプライド、
   恥や失敗への恐れ、これらは死によって一切なくなるのです。

   あなたが死を意識することが、失うことを恐れない、最良の方法なのです。
   あなたたちは既にありのままなのです。
   思うままに行動しない理由はないのです。

   私は1年前にガンと診断されました。
   朝7時半にスキャンしたところ、すい臓の腫瘍がはっきり写ってたのです。
   私はすい臓が何かも知りませんでした。

   医者たちは言いました。
   「ほぼ間違いなく治療不能なガンで、余命は3ヶ月から6ヶ月でしょう」。
   主治医は家に帰って、仕事を片付けるように言いました。

   それは死の準備をするように、という意味の医者の言葉なのです。
   つまり、子供たちに伝えるべき今後10年間のことすべてを数ヶ月で伝えろ、
   ということなのです。

   家族がなるべく楽になるように、しっかり始末しなさい、ということなのです。
   家族にさよならを告げなさい、ということなのです。

   私は診断書を一日抱えて過ごし、夕方、バイオプシー(生検)をしました。
   内視鏡は、喉から胃腸に入り、すい臓から腫瘍細胞を採取しました。

   私は鎮静剤を服用してたのですが、そこにいた妻は、私に話してくれました。
   医者たちは顕微鏡で細胞を見た途端に、泣き出しそうなのです。
   手術可能な、極めてまれなすい臓ガンだとわかったからです。

   私は手術を受け、今も元気です。
   これまで私が最も死に直面した経験で、この先、何10年かはないことを望んでます。

   この経験から、私はより確信を持って、あなたたちに言えます。
   死を意識することは役に立ったが、単に頭のなかの概念でした。
   誰も死を望みませんよね、天国に行きたい、という人さえ、死を望まない。

   にも関わらず、死は、われわれが共有する最終地点なんです。
   誰も逃れることはできないのです。そして、そうあるべきなのです。

   死は、生における、最も優れた創造物なのだから。
   それは、生に変化を起こすもので、古きものを消し、新しきものへの道を作るのです。
   今、新しきは君たちです。

   しかし、そう遠くない未来に、君たちも古きものとなり、消えていきます。
   とてもドラマチックな言い方で申し訳ないですが、それは全くの真実なのです。


   ハングリーであれ。愚か者であれ。
   君たちの時間は限られている。
   だから無駄に誰かの人生を生きないこと。

   ドグマに捕らわれてはいけない。
   それは他人の考え方と共に生きる、ということだから。

   他人の意見というノイズによって、
   あなた自身の内なる声、心、直感をかき消されないようにしなさい。

   最も大事なことは、あなたの心や直感に従う勇気を持つことです。
   それら内なる声、心、直感は、どういうわけか、君が本当に何になりたいのか、
   既に知っているのです。

   それ以外のものは、二の次でいい。
   私が若いころ、「全地球カタログ」という驚くべき書籍があって、
   同世代のバイブルでした。

   それは、Stuart Brandが制作しており、
   彼の詩的な作風で、いきいきと仕上げていました。

   60年代後半で、パソコンもなく、すべてタイプライターとハサミ、
   ポラロイドカメラで作っていました。それは当時のGoogle文庫版と言えるもので、
   理念があり、使えるツールと偉大な概念であふれていました。

   Stuartたちは「全地球カタログ」を何度か出版し、
   ひと通りやり終えると、最終号を出しました。
   70年代の中頃で、私は君たちと同じ年頃でした。

   最終号の裏表紙は、早朝の田舎道の写真でした。
   冒険好きならヒッチハイクで見るだろう、田舎道。

   写真の下には、こんな言葉がありました。

   Stay hungry, Stay foolish. (ハングリーであれ。愚か者であれ。)

   それは、彼らが残した別れのメッセージでした。

   Stay hungry, Stay foolish. 常に私自身がそうでありたいと願ってます。

   そして今、卒業して新しい人生を始める君たちに、そうあってほしいと願います。

   Stay hungry, Stay foolish.

   ご清聴ありがどうございました。

   ・・・

   動画で、生前の「スティーブ・ジョブス 伝説の卒業式スピーチ(日本語字幕)」
   でも味わってください。

    → https://www.youtube.com/watch?v=RWsFs6yTiGQ

           <感謝合掌 平成27年3月24日 頓首再拝>



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