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祝、立教86年 (503)
日時:2015年03月01日 (日) 02時55分
名前:夕刻版

立教86年をお祝い申し上げます。

           ・・・

生長の家は、昭和4年12月13日に

谷口雅春先生に「今起て!」の啓示が天降り

人類光明化運動として出発しましたが、

谷口雅春先生はその数年前までは大本教をやめて
著述家としての道を歩んでおられたのでした。

ところがその道を絶たれる事象が起こりました。

それが「関東大震災」だったのです。
家を焼かれ、収入の道も断たれ、臨月のお腹を抱えた輝子先生と、
このまま東京にとどまることは不可能となりました。

そこで輝子先生の郷里・高岡(富山県)へ行かれて1ヶ月後に恵美子先生が誕生なさるのです。
そしてその2ヶ月後に谷口雅春先生の養父母の家(神戸市夢野)に移られ、
その後は住吉村の「藤棚の家」に住まわれることになりました。

そこで谷口雅春先生は、本住吉神社に毎朝参拝し、
住吉大神から神啓を受けられて生長の家が始まりました。

谷口雅春先生は、2回泥棒に入られ現象的には厳しい状況だったのですが、
力強く次のように「人類光明化運動発信の宣言」をされました。

・・・・・

《『生長の家』出現の精神(「生長の家」創刊号)》

自分はいま生長の火をかざして人類の前に起つ。
起たざるを得なくなったのである。

友よ助けよ。同志よ吾に投ぜよ。人類は今危機に頻している。
生活苦が色々の形で押し寄せて人類は将に波にさらわれて
覆没しようとしている小船の如き観はないか。

自分は幾度も躊躇した。起つことを躊躇した。
自分は中心者として増上慢のそしりを受けることを恐れていたのだった。

一求道者としていつまでも謙遜でいたかった。
併し今は謙遜でありたいと言うことが自分にとっては安易を貪る
一つの誘惑と感じられる。

自分は此の誘惑に打ち克って人類を救わねばならない。

自分の有っている限りの火で人類を救わねばならない。
自分の火は小さくとも人類の行くべき道を照らさずにはおかないだろう。
 
此の火は天上から天降った生長の火である。

火だ! 自分に触れよ。自分は必ず触れる者に火を点ずる。
生長の火を彼に移す。

自分は今覚悟して起ち上がった。

見よ!自分の身体が燃え尽くすまで、蝋燭のようにみづからを焼きつつ
人類の行くべき道を照射する。


自分のかざす火は人類の福音の火、生長の火である。
自分は此の火によって人類が如何にせば幸福になり得るかを
示そうとするのだ。

如何にせば境遇の桎梏から抜け出し得るか、
如何にせば運命を支配し得るか、
如何にせば一切の病気を征服し得るか、

また、如何にせば貧困の真因を絶滅し得るか、
如何にせば家庭苦の悩みより脱し得るか・・・等々。

今人類の悩みは多い。人類は阿鼻地獄のように苦しみもがきあせっている。
あらゆる苦難を癒す救いと薬を求めている。

しかし彼らは悩みに眼がくらんでいはしないか。
方向を過っていはしないか。
探しても見出されない方向に救いを求めていはしないか。

自分は今彼らの行手を照す火を有って立つ。


 → Web:https://www.youtube.com/watch?v=D3ri_SAKTDE


・・・

《「生長の家」三大使命(「現代を預言する古事記」より)》〜三つの桃の實(「生命の實相」)

(1)「日本天皇の生命の實相」〜天皇陛下の生命の実相顕現

(2)「日本国の生命の實相」〜日本国家の生命の実相顕現(真理国家・日本の建設)
               「国家」の救済(成仏)

(3)「人間の生命の實相」〜生命礼拝による人類生活光明化、すなわち
              「個人」の救済(成仏)・個々人の生命の実相の顕現

・・・

<参考Web>

(1)立教84年 (光明掲示板・第一)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1278

   (立教83年、立教85年のWebについては、既に消滅いたしております)

(2)理念の「生長の家」(光明掲示板・第一)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1099     

(4)理念の日本国、理念の日本人(光明掲示板・第一)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1119     

(5)「生長の家」創刊号(谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=66

           <感謝合掌 平成27年3月1日 頓首再拝>

谷口雅春先生のご活躍(立教〜終戦) (513)
日時:2015年03月02日 (月) 03時51分
名前:伝統

            *「光明掲示板・第二」からの転写です。
            
谷口雅春先生年譜一覧表-4 (10486)
日時:2014年07月27日 (日) 16時52分
名前:山ちゃん1952


昭和4年12月13日  二回目の盗難後「今起て!」の神啓を受け、
         会社退出後の夜間に『生長の家』誌の執筆を始める。

執筆後間もなく、住吉村字八甲田690(藤棚の家)に移転。

昭和4年12月31日  『生長の家』誌創刊号1千部が印刷完了し納本される。

昭和5年1月     『生長の家』創刊号の無代進呈を開始する。

          3月1日 『生長の家』創刊号発行日として奥付に記載された日。
         (後に生長の家立教の記念日となる)

昭和5年7月    「生長の家の神想観に就いて」を発表。

昭和5年11月    「生長の家家族の祈願及修養」「神想観実修歌四首(神招歌)」を発表。

昭和5年12月    「生長の家の食事」(神示)11.04
          「甘露の法雨」を発表。生長の家の歌と題して
          『甘露の法雨』“神”“霊”“物質”の項を発表。
          (『生長の家』第一輯第十号)

          尚翌年『甘露の法雨』と題して“実在”“智慧”“無明”“罪”“人間”の
          項を発表。(『生長の家』第二輯第二号)

昭和6年1月     「完成の燈台の神示」1.15

昭和6年4月    「万教帰一の神示」4.05
昭和6年5月    「新天新地の神示」5.06
         「“心の法則”と“平和への道”の神示」5.30

昭和6年5月    大阪堂ビル清交社にて「ひとりでに健康になる話」と題して講演

昭和6年6月    「帰幽の神示」6.26

昭和6年9月    「生死の教」(神示)9.05

昭和6年9月    「大調和の神示」9.27

昭和6年9月    「“最後の審判”に就いての神示」9.28

昭和6年11月1日   五銭本『生きとほし』(『生命の實相』の抜粋)を発刊。

昭和6年12月    「信仰生活の神示」12.05


昭和7年1月     『生長の家』合本第一巻『生命の實相』
          (総黒革表紙・三方金1千四十頁)を出版。

昭和7年1月     「声字即実相の神示」1.11

昭和7年2月     「天使の言葉」を発表。「甘露の法雨」と題して“生長の家”の項を発表。
          (『生長の家』第三輯第二号)
           後に「天使の言葉」となる。

昭和7年2月     「自他一体の神示」(報恩行に就いての神示)2.04

昭和7年2月     「上求菩提・下化衆生の神示」2.09

昭和7年3月     『生長の家』第3輯第3号より表紙画が1月5日に霊象に現れた神姿の図案となる。

昭和7年3月     「いのちのゆにはの神示」3.14

昭和7年3月     「使命邁進の神示」3.15

昭和7年4月     「生長の家見真道場の設立」を提唱。

昭和7年4月     「無相円相一切相の神示」4.10

昭和7年5月     このころ、住吉村八甲田659の2に移転。(境目川(さいめがわ)の家

昭和7年5月     「無限供給の神示」5.05

昭和7年5月     「久遠天上理想国実現の神示」5.27

昭和7年7月     「万教包容の神示」7.07
           ヴァキュ−ム・オイル・カンパニ−を退職。
          8月1日より全生涯を人類光明化運動に捧ぐ。

昭和7年8月     「懺悔の神示」8.12

昭和7年9月     「實相金剛身の神示」9.02

昭和7年10月     「生長の家経済連盟の提唱」を発表

昭和7年11月     「無病常楽の神示」11.10

昭和7年11月     「本来生、不滅の神示」11.25

昭和8年1月     「梅の花の神示」1.06

昭和8年1月8日    東京雑司ヶ谷「友の家会館」にて「中心(すめろぎ)に帰一する道」を講演

昭和8年1月     「自然流通の神示」1.25

昭和8年3月10日   「生長の家新聞」(4頁)を発刊。同誌に「生命の芸術について」発表。
           また「非常時日本に日本精神を発揮せよ」を掲載。生長の家出版部の印刷所

昭和8年3月     「至上者の自覚の神示」3.16

昭和8年6月     「實相を観ずる歌」を発表。

昭和8年8月     「本当の信仰に就いての神示」8.05
           『生長の家新聞』を廃刊し、『生命の芸術』を創刊。

昭和8年9月     「霊魂進化の神示」9.15

昭和8年12月     『生長の家』合本第二巻『久遠の實在』を出版。

昭和9年1月      最初の講演旅行のため、盛岡、東京、七尾へ出発。(21日帰着)

昭和9年1月12日    県社桜山神社で一般の人対象に開催「生命の無限生長の道」
           と題して講演。『岩手日報』では当日写真入りで
           「生長の家の開祖、谷口雅春氏来盛す」と写真入りで報道。

昭和9年1月14日    東京・浅草・富士小学校にて講演会(148名)

昭和9年1月15日    愛の幼稚園(賀川豊彦氏経営)にて誌友会(30人)

昭和9年1月16日    山根八春氏邸で誌友会(58名)東京・目黒

昭和9年1月17日    立仙淳三氏邸(70名)(立仙氏は後程、家庭光明寮塾長)

昭和9年1月18日    松本肇氏邸(80人)(前年の東京の初めての講演会のお世話役)

昭和9年1月19日・20日   石川県七尾 講演会(19日、20日)

昭和9年5月     「われ山頂より雲を招ぶ」(自他?富の真宗教の一機能として、
           その弘道機関として株式会社「聖典普及会」を提唱したもの)を発表。

昭和9年8月22日    上京にあたり住吉での最後の誌友会が御影ホテルで開催される。
           (参会者120名)

昭和9年8月29日・30日  29日住吉を出発し、翌30日入京。

昭和9年9月       東京にて最初の誌友会を開く(これ以降赤坂本部できるまで
            谷口先生宅にて誌友会)

昭和9年11月       第一回人類光明化運動講演会を有楽町報知講堂で開催。
             株式会社光明普及会の発足

昭和10年1月      『生命の實相』全集第一巻を発刊。

昭和10年2月      「生長の家」家族の微章を発表。

昭和10年5月      『主婦の友』5月号に「奇蹟的な精神療法の真相を探る」
            -話を聞くだけで難病が全治するといふ
            『生命の實相』とは何か?-と題して生長の家特集が掲載される。

            生長の家教育部を創設。

昭和10年6月      このころ、京都支部より折本型聖経『甘露の法雨』を発表。

昭和10年8月      『生命の教育』創刊。
           赤坂本部(旧山脇高等女学校を譲受)

昭和10年11月      本部に花嫁学校「生長の家家庭光明寮」を開寮。
           (総裁・谷口雅春先生 寮長・谷口輝子先生)

昭和10年11月      第一回生長の家指導者講習会を開催し、「古事記」を講義。

昭和10年12月      「生長の家宗教連盟の提唱」を発表。
           谷口雅春先生作『釈迦と維摩詰』が早稲田大学大隈記念講堂において
           上演される。
           『生命の實相』全集全12巻出版完了する。

昭和11年1月      教化団体「生長の家」を設立

昭和11年2月      白鳩会を結成。(総裁・谷口雅春先生・輝子先生)
           二月号から「新しき生命の佛教」の連載が始まる。
           二・二六事件の直前に「大調和の歌」を発表。

昭和11年3月      光明思念歌「天照らす御親の神の大調和の生命射照らし宇宙静かなり」を
            発表。『生長の家』誌3月13日発行に昭和人類光明思念の放送」を提唱。
           『生長の家』誌4月号より「『古事記」の講義』を連載。

昭和11年6月      初心者のための月刊誌『光の泉』を創刊。

昭和11年7月      『生長の家』誌七月号に「新しき生命の佛教」(六)において
            初めて『華厳経』を解釈される。

昭和11年8月      白鳩会機関誌『白鳩』を創刊。

昭和11年9月     『生長の家』9月号より、「近況通信」が始まる。
           (戦後、「明窓浄机」となる)

昭和11年9月      万教帰一連盟なる。発起人として倉田百三・杉山元治郎・千家尊建・
           ラス・ビハリ。ポ−ズ・加藤一夫/
            賛成人として井上哲次郎・今竣聴(今東光)・本壮可宗

昭和11年11月      最初の比叡山夏季講習会が開催される。

           『生命の芸術』を改題し、綜合雑誌『いのち』を創刊。
           『生命の實相』大聖典を刊行。

昭和12年2月      『いのち』二月号において「久遠を流るるいのち」を発表。

昭和12年3月      『耶蘇伝』を日比谷公会堂において上演。
            尾上菊五郎の養成する日本俳優学校劇団によって公演。

昭和12年9月      『いのち』時局文芸思想大講演会を九段軍人会館で開催。
            講演者、武者小路実篤、杉森孝次郎、本荘可宗、
            中河與一、萩原朔太郎、倉田百三各氏のあとを受け
            谷口雅春先生「白馬に跨る基督」と題して講演。
            (その他、この『いのち』の文筆者は当時の名立たる人でした
           (長與善郎、片山敏彦、谷川徹三、伊藤正徳
           、保田與重郎、齋藤?、小島威彦、浅野晃、難波田春夫、亀井勝一郎等

昭和12年11月      『實相體驗集成』第一輯を発行。

昭和14年1月      『生命の教育』1月号より「無門關講義」の連載始まる。
昭和14年3月      「いのち」を改題して『行』として求道実践のための雑誌とする。

昭和14年5月      東亜同和会の設立(対満州、支那の教化)本部を
            大阪市天王寺区東高津南之町に置く

昭和14年11月      『生長の家』東亜同和版を発行。(2年間継続刊行される。)

昭和15年4月      宗教団体法の実施に伴い、教化団体生長の家から宗教結社生長の家となる。

昭和15年6月8日    同和会の計画部長・中林政吉氏が満州国駐在を命じられる。

昭和15年8月     初めての野外講演会を京都円山公園音楽堂において開催、聴衆1万4千名。

昭和15年9月     「天皇信仰」を発表。『生命の教育』9月号の巻頭言に発表。

昭和15年10月     大政翼賛生長の家青年会(後、皇運扶翼生長の家青年会と改める)が結成

昭和15年11月     東京から山口悌治講師。青島に在った新田潔講師を
           満州開拓青少年義勇隊の訓練所へ派遣要請


昭和15年末      皇紀2600年を記念して蓼科高原に記念塔を建造。
           (この中に『生命の實相』や神誌などが納入。100年後に開かれる。

昭和16年1月     「大日本神国観」を発表。

昭和16年4月     宗教結社生長の家の設立
          『谷口雅春選集』(潮文閣)を発刊。

昭和16年10月     『生長の家』東亜同和版、『光の泉』、『生命の教育』、『行』が
           10月号をもって終刊となる。

昭和17年2月     愛国機献納運動

昭和17年6月     満州建国10周年慶祝講演会のために、朝鮮・満州各地を御巡錫。

昭和18年8月     谷口雅春先生、「言葉の力と国民歌の選択」を発表し
          「海ゆかば」を歌うことを批判。

昭和18年9月8日    第二回朝鮮・満州御巡錫。

昭和18年11月     「続々甘露の法雨」を発表。
            光明図書貸出機関の設立(通称「光明書籍文庫」)

昭和18年12月     『生長の家』12月号において「出版決戦体制に応ずるため誌友諸氏に告ぐ」
           を発表

昭和19年3月     「日々読誦三十章経」を発表。

昭和19年4月     皇道大学寮を開設

昭和19年6月     本部建物を第一師団司令部に献納し、本部仮事務所を原宿の学生寮に移す。
          「皇国神力発動の根本をなすもの」を発表し、軍及び政府の政策を批判。

昭和19年10月     用紙配給杜絶のため、10月号をもって『生長の家』『白鳩』の発行不能となる。
           谷口雅春先生、江蘇省兵団長小林信男中将の招聘により渡支。
           上海、北京、天津、青島にて講演。
           北京においては支那派遣軍総司令官岡村寧次大将と会談。
           和紙短冊30万入手『皇軍必勝』と御揮毫。
           8月1日以後は新加入の人に『生長の家家族』と御揮毫

昭和20年5月25日     本部の消失。学生寮や明治神宮も消失。
            空襲が厳しくなる。山間の平和な処の信徒から疎開の進めがあったが
            「陛下が東京におわします限り、一歩も東京は出られません。
            折角の御好意ですけれどご辞退いたします。もしお世話になるとしたら、
            50人の家族ですから…」と帝都守護の固い決意をもらされた。

          (http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2008

           <感謝合掌 平成27年3月2日 頓首再拝>

創刊当時の思い出〜谷口輝子先生 (524)
日時:2015年03月03日 (火) 04時44分
名前:伝統

         *光明掲示板・第二「立教85年」(消滅しておりますが)からの転写。

創刊当時の思い出NEW (6011)
日時:2014年03月01日 (土) 09時54分
名前:童子


 谷口輝子先生著 『めざめゆく魂』 65頁〜


前年の昭和四年に、二度目の泥棒にはいられたのを転機として、
夫は 「今起てよ、今起たん」 との決意のもとに 『生長の家』 の創刊にとりかかった。 

余裕の少ないサラリーマンとして、雑誌の発行は大きな冒険であった。 
私の心の中には一抹の不安があった。 そして口に出して夫にも言ったものであった。 

けれども夫の決意はもうどうにもならないほど強固なものであった。 
よしそれほどまでお心ならば、私も全霊をかたむけて協力しようと、
身の引きしまる思いをして誓ったのであった。

ヴァキューム・オイル・カンパニーから帰宅されて、夕食をすまし、
それからがいよいよ執筆である。 

体のあまり丈夫でなかった夫は、一日の精神労働でふらふらになって家庭に帰って来るのであった。
けれども家庭に於いてくつろぐ暇もなく、夜半にかけての執筆であった。 
それは来る日も来る夜もきびしい寒夜の連続であった。

全身が凍えてくるので、夫は寝床に腹這いになって徹夜して書きつづけられる日も
たびたびであった。 インスピレーションを感じてくると、
寒さも空腹も明日の勤めのことも忘れて、ひたすらに筆を走らせていられるのであった。

翌朝はかならず五時には起床して近所の銭湯へ行かれる。 
その留守の間に、私はお掃除と炊事をして待つのであった。 

八歳の一人っ子の恵美子と、親子三人きりの朝食をすますと、
夫は阪神電車へと急ぐのであった。

一冊分の原稿がまとまった時の夫の喜ばしそうな顔は、妻にとっても同じ喜びと安心とであった。 
有効社印刷所の小林為兄さんが校正刷りを持って来て下さる。 

お台所を片づけたばかりの冷たい手で、夫の眼を通した校正刷りを取上げて
私も赤インクのペンを運ばすのであった。 
夫も妻も、一日の仕事の疲れも忘れてハリ切っていた。


出来上って来た創刊号一千部、ああ何という喜びであろう。 
純白の紙、ハッキリとした印刷、表紙に描かれた筋肉隆々とした裸身の男の立姿、
その手に高々とかざす灯(あかり)の光よ。その表紙絵こそ内容にふさわしいものであった。 

一文一字、真理の言葉に輝いていた。

この誌を読む人の上に魂の喜びあれ。 この誌を読む人々の生活に光明あれ、
と祈る夫の願いを、神よみそなわし給えと深く祈るのであった。 ・・・・・・

           <感謝合掌 平成27年3月3日 頓首再拝>

「生長の家」発祥当時  (536)
日時:2015年03月04日 (水) 03時59分
名前:伝統

           *谷口恵美子先生・著「こころの旅路」(P26〜30) より

(1)父が毎朝身を浄め、本住吉神社で神想観中に啓示を受けて、
   「生長の家」を始められたのは私が小学校2年の時でした。


(2)父は、その当時のことを次のように回想しています。

   私が『生長の家』誌を自分の手で発行してゐたころには、印刷物が前夜に出て来ると、
   一時でも一分でも早く読者にそれを喜んで頂きたいものだと、当時、御影郵便局の
   第一番の速達便が御前5時〆切であるので、その時間に間に合わせるために、

   夜を徹してみづから発送封筒に入れ、それを午前5時の第一便に間に合ふやうにと、
   乳母車に堆(うず)高く積んで幾回も運んだものである。(『生長』昭和28年5月号)


(3)母も当時のことを次のように書いています。

   一人でも二人でも三人でもいい、この書を読んで魂が救われたとか、家庭が調和した
   とか、病気が治ったとか言って来て下さる時、私たち夫婦の生甲斐は大きく深く、
   幾日徹夜しても厭わない、人々の喜びのために、人々のお役に立つためにと奮い立つ
   のであった。   (『めざめゆく魂』)


   創刊してまだ五ヶ月、誌数は少ないが月々に増加して行って、私の押し行く乳母車の
   重さの加わる喜ばしさ、親子3人のささやかな生活に、ようやく夢ならぬ春が訪れて
   来たのであった。

   さまざまな苦難の歩みをつづけつつ、私たちはようやく希望の彼岸に辿りついた、
   眞(まこと)の神を心に有たなかった両親(ふたおや)の影として、子供は生れ落ちる
   と幾年(いくとせ)も病弱のために、両親の心を痛ませしめたものであったが、
   今私たちの家庭には永遠(とわ)の春が甦って来たのであった。

    (中略)

   私たちは黎明に起き出でて、良人は祈りとともに執筆し、勤めのために会社に出かけ、
   私は家事一切を自分の手で修め、書類の校正、記帳、発送、通信を受け持った。

   夫婦二人の眼まぐるしい日課のうち、寸暇を見出しては庭に花を植え野菜を作った。
   私の手は荒れ果てていたが、魂は喜びに溢れていた。
   庭には薔薇は四季に匂い、トマトは赤々と熟れていた。(『師と仰ぎ 夫と仰ぎて』)

           <感謝合掌 平成27年3月4日 頓首再拝>

生長の家発祥当時のお住まい「藤棚の家」 (550)
日時:2015年03月05日 (木) 06時07分
名前:伝統

        *藤棚の家〜谷口輝子先生・著『めざめゆく魂』より

 ささやかな藤棚の家、訪えばすぐ奥の部屋の見えるような萱葺の家ではあったが、
 庭には四季に花が咲き、家の中は、これから伸び拡がって行こうとする活気に
 満ち溢れていた。

 夫と妻と子とはしっかり一つの心で結ばれて足並を揃えて歩いて行った。

 人々は私たちを求めているのだ。人々は私たちに光を求めているのだ。
 人々は私たちに平安を求めているのだ。私たちはそれらに応えて、人々の前に進んで行こう。

 私たちは自分の使命の大いさ尊さに魂を奮い立たせつつ、朝は未明に起きいで、
 夜は夜半まで働きつづけていた。思えば今もなお魂を揺り動かされるその頃の追憶である。

 その頃のお庭の景色をうたった夫の詩は『生命の實相』の中に見出されるが、
 その一つを次に掲げて置こう。


 『花園にて』

 ほのかにも匂ふ
 朝の香り
 紫の香り
 さがりふぢ
 あがりふぢ

 藤棚に
 もくもくと葉が栄えて
 藤蔓は天に向ふ、
 わたしは伸びるほかは知らないと云ふやうに
 藤蔓は渦巻きて天に向ふ。

 花びらが地に落ちてゐる。
 真赤な花びらだ。
 真黒な土の上に
 血のやうな赤さの花だ。
 落ちてもなほ生きてゐる生命だ。

 雛菊が
 花園で呼吸をしてゐる。
 太陽を思ふさまあびて
 友達の色々の草花と
 ゆらゆらと
 一斉に揺れてゐる。
 生命の歓喜だ。
 太陽の讃歌だ。

・・・

<参考Web:藤棚の家(発祥道場)
       → http://www.sakaerukai.com/hyogo/seichi/fujidana.html >

           <感謝合掌 平成27年3月5日 頓首再拝>

藤棚のある家から広い家へ  (575)
日時:2015年03月07日 (土) 04時40分
名前:伝統

       *「こころの旅路」(P−32〜33)より
       *(3)項は、「私の玉手箱」(P181)より


(1)藤棚のある家には、毎日道を求める人が増えて入り切れなくなり、
   誌友会の出来る広い家<境目川(サイメガワ)の家>に引越しました。(昭和7年5月)

(2)その頃のことを母は次のように書いています。

   八甲田の家に移ってから喜ばしかったことの一つは、夫の養父である石津又一郎様が、
   神戸の夢野の家から八甲田の家に、誌友会を楽しみにしばしば訪ねて来るように
   なられたことであった。

   その頃65歳くらいになっておられた石津の父は、『生命の實相』を何十ぺんと云う
   ほど読まれ、日に日に教えを深く体得するようになられ、強い性格の人だったが、
   仏様のように穏やかな表情となられ、有難い有難いと言いつづける人に変わって行かれた。

   父がやって来られると、私はその父の好物ばかりを御献立に考えて喜んで貰った。

   険悪な養父母と私たちの間柄は昔の夢となってしまい、逢うとただほほえみ交し、
   真理を語るお互いとなっていた。       (『師と仰ぎ 夫と仰ぎて』)

(3)私の父は、若い頃には養父母である両親となかなか意見が合わなかった時期もあった
   ようですが、私が覚えている頃には、その祖父母は父に向かって、

   「あんたのおかげです。ありがとうございます」
   と合掌される姿になっていました。

   そして祖父はよく父の講演を聴いてくださり、父のことをいつも
   「先生、先生」と言われ合掌してついてこられたのでした。

(4)昭和9年、生長の家は日ましに盛んとなり、東京の誌友の熱望により私が小学校5年生の
   時、私たち一家は後に 「お山」 と呼ばれるようになった東京の渋谷へ居を移すことに
   なりました。

           <感謝合掌 平成27年3月7日 頓首再拝>

昭和8年に『久遠の實在』が刊行されました。 (585)
日時:2015年03月07日 (土) 17時40分
名前:伝統

       *谷口恵美子先生・著「わたしの玉手箱」(P82〜85)より

生長の家は、はじめは宗教として出発したのではなく、人類光明化運動という名において
兵庫県の住吉村八甲田の自宅を開放して始まったのでした。

自宅へ尋ねてくる人々に指導したり祈ってあげるだけでなく、
病める人ありと聞けばその人の家に訪れて話をしてあげていた父でした。

その忙しい時間の合間に原稿を書き、一人で校正をして「生長の家」という雑誌を発行し、
母は発送係でした。

この分厚い『久遠の實在』の校正も一人でしているため、発行日に間に合いそうもなくなり、
講演の予定を替えたりしているうちに、思いがけなく霊界篇が加わったということです。

その霊界篇の第二章に、霊媒を使って心霊現象の実験をした記録がのっています。
それは昭和8年2月28日の夜のことです。私は当時10歳でしたが、その時のことを
はっきりと記憶しています。

10歳位の記憶などというものは、ほとんどのものが消えてしまっているのに、このときの
幽かな息づかいまで思い出せるのは、幼い心に相当な衝撃があったからでしょう。

   *「生命の實相」頭注版第10巻霊界篇(下)第3章として収録されている部分が該当。

           <感謝合掌 平成27年3月7日 頓首再拝>

昭和8年1月8日、「中心に帰一する道」を講演 (601)
日時:2015年03月08日 (日) 19時18分
名前:伝統

昭和七年五月二十七日に煥発せられた神示、即ち「久遠天上理想国実現の神示」が
発表になったのは同年の『生長の家』誌第八号であった。
この神示は「高天原」の秘儀を示されたものであった。

     ・・・

       *「秘められたる神示」(神示講義 秘の巻)より


『生長の家』の因縁を書き置く。
『生長の家』とは人間が附けた名ではない。
神がつけさせたのである。

『生長の家』とはタカアマハラのことである。

|(たて)に無限に生(の)びることを『生(せい)』と言ひ、
一(よこ)に無限に長(の)びることを『長(ちょう)』と言ひ、
|(たて)と―(よこ)とが十字に交叉した中心を息叉(いへ)(家<いへ>)と言ふ、

|(たて)の生命(せいめい)と―(よこ)の生命とが交叉した中心が『家(いへ)』である。

(以下、略)


                  (昭和七年五月二十七日神示)

     ・・・


この神示が発表になった翌年、即ち昭和八年の一月八日、
谷口雅春先生は東京支部の招きに応えて上京され、雑司ケ谷の″友の家会館″で
講演をなさったのである。

当時、東京支部のお世話をしていたのは支部長の春木新三郎氏や松本肇氏などであった。
その日は午前十時より午後九時まで、講演、座談会、質疑応答などが行なわれたのであるが、
この時、谷口雅春先生は「中心(すめろぎ)に帰一する道」と題される
極めて重大なお話をなさったのである。


神示にもとづく「高天原」の奥義を解明され、
宇宙の中心の主たる神「天之御中主天皇」の実相を説かれたのであった。


       *本流宣言掲示板「「中心に帰一する道」の奥義の解明 (7979)」
         → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1895

           <感謝合掌 平成27年3月8日 頓首再拝>

昭和9年5月、「われ山頂より雲を招ぶ」を発表。 (637)
日時:2015年03月12日 (木) 17時32分
名前:伝統

昭和9年、谷口雅春先生は「われ山頂より雲を招ぶ」を発表。
(自他到富の真宗教の一機能として、その弘道機関として株式会社「聖典普及会」
 を提唱したもの)


以下に、”童子 さま”による『われ山頂より雲を招ぶ』を再掲しておきます。
(”童子 さま”のお許しをお願いいたします)


『われ山頂より雲を招ぶ』 (4391)
日時:2011年09月10日 (土) 21時36分
名前:童子

 中島代表の講話(第3回東京靖国一日見真会時)にありました
 谷口雅春先生の『われ山頂より雲を招ぶ』(昭和9年5月号)の一部文ですが・・。

『・・・・・大宇宙は無尽蔵であって、心に従ってよく金でも物資でも無尽蔵に顕れて来る
 のでありますから、本部も富むと共に誌友全体が富み、誌友全体が富むと共に人類全体が
 富む事業を私は茲に皆さんの前に発起して見ようと思うのであります。

 それは光明思想普及、地上天国建設事業と言う聖業であります。

 『生長の家』は声字即実相の原理により、文章の力、言葉の力によりまして、ただ聖典、
 神誌を読むだけで、此の自分自身を生かして下さっている力の本体を悟らせ、その生かして
 下さっている力の救いを、百パーセント受けることを得させて、現実には病気が治り貧乏が
 消滅し、魂には根本的安心を得させてくれるのであります。

 それで私が皆様に提唱して御賛同を得たい事業と申しますのは、こんなに善い教えを、
 魂の根本的安心を得させ、生命の自由を得させて、病気も貧乏も存在しない地上天国を建設
 する運動を、皆さんに協力して貰って、もっと早く、もっと大きく、弘めるように努力
 したいと思うのであります。・・・・・・

 今は実に人類の非常時であります。

 凡ての宗教は真理の山巓を目蒐けて登る登山道であります。
 登山道によってその展望は異る。
 登山道の各々の展望が異るともいずれも不二の山巓に至る登山口であることに相違はない。

 各宗教相争うな。相争うは各登山道の風光相異を語るに過ぎないのである。

 ひとり”生長の家”は山頂より俯瞰して、一切の宗教を、そのままの真理に於て改宗を
 強いずして、一望の下に包容するのであります。

 色々の宗教は形を祭るが、”生長の家”はただ真理を祭る。
 色々の宗教は石材木材等にて神殿寺塔を建立するが、生長の家はただ真理の言葉の神殿を
 建立して、その神殿(聖典)の中に真理の言葉を祭り込むのであります。

 形の神殿でありますと、仏教と神道と基督教とでは、その神殿教会堂塔伽藍の建て方が
 ちがう。その建て方を見て互いに異教徒と呼び、排他的になるのでありますが、

 ”生長の家”では形の神殿を超えて、不二の真理の山頂より俯瞰して一望の下に収め、
 あの堂塔もよい、この神社もよい、この教会もよいとして、それでいて今迄の宗教に
 活が入り入魂されるのであります。

 それは唯、山頂にいる者、不二の山頂から俯瞰する”生長の家”にして能う処であります。

 全世界にこの真理の聖典を満たせよ。

 われ今、不二の真理の山頂にいて雲を招ぶ。

 雲来りて真理の言葉をのせて、全日本に、やがては全世界に、その真理を運ぶであろう。』


    ※株式会社『光明思想普及会』は昭和9年11月に設立された。

           <感謝合掌 平成27年3月12日 頓首再拝>

昭和9年8月、住吉から東京へ(誌友の歓喜による迎え) (646)
日時:2015年03月13日 (金) 19時20分
名前:伝統

       *谷口恵美子先生・著「こころの旅路」(P37〜33)・
       「わたしの玉手箱」(P170〜171)より


昭和9年8月29日の夕刻、両親と私はなつかしい住吉をあとにし、
東京に着いたのは翌30日の正午のことでした。

この東京移住の経緯について、母は次のように書いています。

      ・・・・・・

昭和9年の8月、私たちは東京へ移住することになった。
それに先立って、現在の渋谷区稲田の宮崎家より使いが来られ、是非に上京せられて、
宮崎家のお山の家に住居して頂きたいと切望されたのであった。

これは東京の誌友の服部さんをはじめ、
松本夫妻その他、東京の誌友幹部の熱意が宮崎家を動かしたものと思われた。

夫も、首都である東京へ移ることは、
光明化運動のためには有望なことと思って居られたので、
皆様の御迎えにお応えすることにせられた。

大正12年の関東大震災で焼出されて神戸へ帰り、
住吉、御影、住吉と転々として居を移すこと11年。
住みなれたこの地を離れることは心残りでもあった。

多くのなつかしい誌友と別れることも辛かったし、気候風土は住吉の名にふさわしく、
まことに住み心地のよい土地であったし、情に於いては忍びがたきものがあったが、
教えを広く世に伝えんがためには逡巡すべき時ではなかった。 

                        (『師と仰ぎ 夫と仰ぎて』)


      ・・・・・

父をお迎えする東京の誌友のお喜びは一入(ひとしお)のようでした。
敬虔な信徒でいらっしゃった堀静さんは、この時の情景を歌にして残して居られます。


  大君の都にいでてみ光をひろげむものと師はのたまいし

  其のみことばにふるい立ちたり神の子ら東京の空ほのぼのとして

  御心に叶い給わば捧げんと宮崎氏は願い出でらる

  都にもかかる聖地ありしかと喜び給う先生奥様

  物古りしゆかしき門につつしみて宮崎夫妻迎えられける

  紋服に姿正して椅子に座し師を仰ぎたる若人ありき

  御教を東都にうつしまいらせし喜久雄青年神のかけはし


このようにして宮崎様は隠田の自宅の小高い別邸に私たちを住まわせてくださったのでした。
紋付に姿正した青年喜久雄氏は、重度の障害者で一人では何もなされない方でありましたが、
毎日の講話を熱心に聴かれ、肉体を超えたよろこびを得ていられたようでした。


ただひたすら人々の幸せを願われる両親と、師を慕い、教えを大切に思われる信徒の皆様の
熱い思いが一体となって、生長の家のみ教えは大きな発展期を迎えるのですが、
当時私はまだ小学校の5年生でした。

           <感謝合掌 平成27年3月13日 頓首再拝>

教化団体から宗教結社へ (656)
日時:2015年03月14日 (土) 19時44分
名前:伝統

昭和11年1月 「教化団体生長の家」を設立。

谷口雅春先生は生長の家を教化団体として貫こうとされていましたが、
文部省の強く宗教結社となるように指導があり、昭和15年4月1日、
それまでの教化団体から宗教結社生長の家として出発することになりました。


《立教の原点を学ぶべし》

       *田舎もんのブログ(2015年01月05日)より抜粋


生長の家宗教結社届(抜粋)


教義、儀式及行事に関する事項

(1)教義の大要

「国体を明徴にして皇室の尊厳を明にし、各宗の神髄を 天皇信仰に帰一せしめ、
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を昂揚し悪平等を排して一切のものに、
人、時、処、相応の大調和を得せしめ、兼て天地一切のものに総感謝の実を挙げ、
中心帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す」

その実行目標として次の「七つの光明宣言」あり。


(2)儀式及行事に関する事項

  冠婚葬祭等―に「生長の家」特殊の儀式なく、誌友は先祖崇拝の美風を顕揚するため
  各自の先祖伝来の儀礼に則るものとす。

  但し、先祖が無信仰等にして伝来せる宗教なき場合には、臨終に際して慰霊するための
  引導文あり「久遠いのちの歌」あり又顕幽を問わず、人の霊魂の開悟のために
  聖経「甘露の法雨」「天使の言葉」等を読誦することあり。


  観行―座禅観法と祈りとを合併せる如き精神統一的行事に神想観あり
  (「生命の實相」観行篇詳細説明参照)左の4首の招神歌を誦して後、
  宇宙大生命の生命自己に流れ入ると観じて精神統一に入るものとす。


(招神歌)

生きとし生けるものを生かし給へる御祖神元津霊幸へ給へ

吾が生くるは吾が力ならず天地を貫きて生くる祖神の生命

わが業はわが為すにあらず天地を貫きて生くる祖神の権能

天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家大神守りませ


4.奉齊主神、安置佛等の称号

道場又は集会室に特に顕斎せる主斎神又は安置佛なし。

心に幽齋する主神としては宇宙大生命(みおやのかみ)(その幽之幽なる神として
天之御中主神、幽なる神として天照皇大現人神としての天皇)を禮拝す。

宇宙大生命は宏大無辺にしてその仁徳一切に及び一切を包容するが故に
各自は先祖伝来の宗教を信じ又は自宅にて如何なる斎神又は安置佛を奉するも差支えなし。

宇宙大生命(みおやのちから)の道を顕揚し、日本の国威を発揚し皇威を顕揚する
東道(みちびき)の神として心に幽齋する副神として生長の家大神(古事記日本書紀に
顕れたる住吉大神即ち後に塩椎神、

仏典に顕れたる釈迦、観世音菩薩及びその応化神基督教の黙示録第一章に顕れたる
七つの燈台の点灯者)を禮拝す宇宙大生命は宇宙生命の根本実相にして、
宗派に偏らざる哲学的表現を用うれば「生命の實相」なり。


この意味にて道場又は集会室に「生命の實相」又は単に「實相」の掛軸を掲出することあり。

    (http://blogs.yahoo.co.jp/tachiyan50/archive/2015/01/05


           <感謝合掌 平成27年3月14日 頓首再拝>

昭和9年、長期「巡錫」が始まる (674)
日時:2015年03月16日 (月) 19時06分
名前:伝統

            *谷口恵美子先生・著「こころの旅路」より


長期に亘る巡錫が始まりましたのは、昭和9年の1月からでした。

当時は、1週間又は5日間の講習会を軸にして、その他に講演会が行なわれていました。
   
講習会は主として夜に開催され、昼間は講演会が行なわれました。

この頃は、延々と汽車に乗って1週間から2週間の旅を続けられました。

いきおい家にいらっしゃる時間も少なくなりましたが、
その代わり毎日のように旅先から手紙を書いてくださいました。

ときどきお歌や絵がそえてあるのも楽しみでした。

           <感謝合掌 平成27年3月16日 頓首再拝>

昭和11年「白鳩会」創立 (691)
日時:2015年03月18日 (水) 17時54分
名前:伝統

(1)白鳩会の由来

       *谷口恵美子先生¥著「わたしの玉手箱」<P12〜P13>より。

   婦人の会を作るために名前を考えていた両親は、わが家で飼っていた純白の孔雀鳩が
   夫婦仲よく雛を育てているのを見て思いついたのでした。

   この時、私は満13歳。


(2)『白鳩』誌の創刊の辞〜谷口雅春先生

   ・・・・・・
   『白鳩』に於ては特に女性のみに読まれる女性の道を説いて行きたいと思う。

   人生は男性と女性とによって成っているから、女性の天分が発揮せられないとき、
   不幸となり暗黒となるほかはないのである。
   これを指導し補導し育てて行くことは人生光明化の偉大なる仕事である。

   この意味において吾らの婦人部白鳩会から、女性専門の『白鳩』が発行されると
   言うことは意味あることである。

   女性の天分は、愛と美と優しさと純潔とですぐれている。
   その意味に於て、『白鳩』は女性のシンボルである。

   併しこの雑誌はただの知識や教養を与える単なる雑誌としては終らせたくない。

   日本に於いて最初に起った真に女性運動の(今迄の女性運動のように男性の圧制
   に対する反動的ではない)機関として、女性的天分の愛と美と調和と平和と優しさと
   を拡大して行く実際運動の機関として連絡者として此の雑誌は使命を持つものである。

   男性の専制に対して立ち上がっても、女性は真に幸福にはならないのである。
 
   吾らの使命は女性がより多く女性であるが故に、男性が専制になろうとしても
   専制になり得ないような大調和の世界の創造にある。

   数は力であるから隣り近所のすべての婦人の参加と協力とを薦めて頂きたい。
                                (『白鳩』創刊号)

   *白鳩創刊号(昭和11年3月7日に発行)https://www.ssfk.or.jp/p/a/105229.htm


<参考Web:本流宣言掲示板「「白鳩會」宣言 (8272)」
       → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1964 >


           <感謝合掌 平成27年3月18日 頓首再拝>

生長の家、10周年(昭和15年) (701)
日時:2015年03月19日 (木) 17時46分
名前:伝統


(1)<昭和15年3月1日>生長の家の10周年 ・・・・谷口雅春先生の御文章。
   <「近況通信」(後に「明窓浄机」に改名。)より>
                
   
   愈々生長の家創刊満拾周年の三月一日がまいりました。

   創刊頃私は、自分に専用する机一脚もないのにこの仕事を始めたのでした。
   子供の専用机を子供が夜間眠っている間に借りて執筆したものです。

   寒中炭火もなくひとり起きて筆を走らすこともありました。
   尤も昼間は会社の仕事に鞅掌していたのであります。

   物資統制の今の皆さんの状態よりも、まだまだ峻しい、行だったのでした。
   それは苦行と云う意味ではありません。

   生命(いのち)が‘ひとり立つ’ところの、厳粛な訓練時代だったとも云えるでしょう。
   その中に法悦があったのでございます。・・・・

   机なく、寒夜に炭火なく、しずかに肉体を克服して
   私は肉体無の哲学を物質無の哲学を成就したのです。

   招福の呪文を誦して、軽率に百事如意を謳歌したのではございません。・・・・

   
   道を開いて五年目、東京に招かれて光明思想普及会を結成したときの
   最初の普及会の事務所は、お山下の現在の伊東種さんの邸です。

   伊東種氏の家族数人にして既に狭し。
   かくの如きが、今の生長の家兼光明思想普及の最初の事務所だったのです。

   その当時を知り、現在赤坂の生長の家本部と光明思想普及会の事務所を見るもの、
   これが五年間の発展かと屹度眼を瞠(みは)るものがあろうと存じます。

   げに無一物無尽蔵なり、この大生長の家、わがものにして、わがものに非ず、
   近く宗教法人たらんとす。

   無にして無限大なり、一物の『私』することなく、
   空手(くうしゅ)にして天地を動かす。

   米国に、和蘭に、南洋に、満州に、中北支に、
   救わるる人々数えがたきほどになろうとしています。

   一脚の机なきところより、さらに『無』より出発す。
   『無』をわすれたるとき天地倒顛せん。

   われ『無』なるが故に、わがはからいなきが故に、天地が計らうなり。
   天地が行ずる也。

   わが計らいならば行は苦行とも思われもせん。

   されど天地の計らいなるが故に、それは楽行道なり、大船に乗りたるなり。
   嬉しきなり。法悦なり。
   天地はからうが故に無尽蔵なり。無にして無尽蔵なり。


(2)谷口雅春先生の「生長の家立教10周年記念御講演(抄録)」
   
       *Web:『生命の實相』哲學に学ぶ(2014/3/1(土))より

   親鸞聖人でも南無阿弥陀仏を唱えたら救われると被仰った。 
   其の信念に依って救われるのです。 

   吾々も理窟はどうにでも、どういう風にでもつけられるかも知れませんけれども、
   吾々は日本人は今 『信』 に依って立ち上らなければならないのです。 

   『信』 に依って起ち上って、其の信念の力に依って
   日本の國を護り活かして行かなければならないのです。 

   『信』 は言葉によって発揮される。 
   真宗でも 『南無阿弥陀仏』 ととなえれば救われると云う。 
   これは名号(ことば)の力によって信が喚起されるからなのです。 

   今吾々は 『日本は神国だ』 と云う。 是は言葉の力なんです。 
   言葉の力に依って国民に健康を吹き込み、
   日本國體の尊厳を明徴にしなければならない。

   此の時代に、吾々は宗教争いをするとか、そんな事は一番悪い事であります。 
   国内の精神的流れが混乱するからです。 

   生長の家はそういう宗教争いなどというものを悉く捨ててしまって、
   宗教と謂うものは皆兄弟であるのだ、皆一つの真理の救いの放射の光線が、
   そういうように別れているのは、

   色で謂えば、紫とか黄色とか紅とか、色々に別れて来たけれども、
   それは一つの太陽光線が七種の虹に別れて居るようなもので、
   一寸見ると赤い色と黄色い色と別だと見えるけれども、そうじゃないのだ。 

   同じ救いの光が別れて居るのだ。 
   凡ゆる宗教は皆手を繋がなければならないという主張に依って
   凡ゆる宗派を超越している運動を起して居る訳であります。

   そうして此の生長の家の第一の信条になって居るのは何であるかというと、 
   『汝等天地一切のものと和解せよ』  
   換言すれば皆仲良しになれという事なのであります。 

   是は又何も生長の家が始めた訳ではない、日本の国の日本精神、
   是が本来大和(だいわ)の精神であり、
   八絋一宇の精神であり、皆手を繋ぐ精神である。

   聖徳太子の憲法一箇条の一番始めに書いてあるのは、
    『以和為貴』 と謂う言葉であります。

   皆仲良しになるところに其処に神様の本当の救の力と謂うものが
   出て来るのであります。 
   之と同じ事が 『生命の實相』 の第一頁にも書いてあるのであります。 

   『汝ら天地一切のものと和解せよ』 其の和解というのは怺え合ったり
   自分が我慢をして居るのでは和解して居るのではない。 
   『感謝せよ』 とハッキリ書いてあります。 

   そして 『皇恩に感謝せよ、汝の父母に感謝せよ。 
   汝の夫、又は妻に感謝せよ。 汝の子に感謝せよ。 召使に感謝せよ。 
   天地一切のものに感謝せよ』 斯う書いてあるのです。 

   そうして総てのものを拝むようになって 『本当に有難うございます』 
   と感謝の心になった時に、其処に神の救いが現れる、斯う書いてあるのです。

   神は彼処に見よ、此処に見よと云って、斯んな格好をして居るとか、
   大仏さんみたいな格好をして居るとか、石仏、金仏で立って居るのではない。 

   神は、吾々が感謝の心を起した時に、其処に現れる。 

   自分が感謝の心を起して居る、其の心の中に其処に神の心がある。 
   拝んでいるときそこに神の心がある。 
   合掌しているとき自分が仏になって居る、また神になって居る。 

   病気が治るというのも其処から出て来るのだ。 
   神や仏が病気をする筈がない。 
   実に不思議に病気が治って居る実例もあるのです。

           (http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/18100614.html


           <感謝合掌 平成27年3月19日 頓首再拝>

昭和15年9月「天皇信仰」を発表。 (711)
日時:2015年03月20日 (金) 18時25分
名前:伝統

『生命の教育』9月号の巻頭言に発表。


以下は、『生長の家五十年史』324頁〜325頁 より


天皇への帰一の道すなはち忠なり
。忠は、天皇より出でて天皇に帰るなり。
天皇は一なり。ハジメなり。一切のもの、
天皇より流れ出て、天皇に帰るなり。

わが『忠』、わたくしの『忠』、我輩の『忠』などと言ひて、
『我』を鼻に掛ける『忠』はニセモノなり。

私なきが『忠』なり。
 天皇は、天照大御神と一体なり。
天照大御神は、天之御中主神と一体なり。

斯くして、天皇はすべての渾てにまします。
『忠』の本源は天之御中主神の『御中』の理念より発して
再び天之御中主神に復帰するなり。

天皇を仰ぎ、天皇に帰一し、私なきが『忠』なり。
わが『忠』と誇るとき、もうそれは『忠』にあらず
、『我』となるなり。全ての宗教は、天皇に帰一する
ための前提として存在の意義があるなり。

すべての宗教が、『我』を捨つるを説き、
『無我』を説き、富を捨つるを説き、
『無所有』を説くは、
『この世は何も無いものだから諦めよ』
と云ふ意味に非ず。すべてのものは、天皇の一元より
発現することを教へたるなり。

すべての森羅万象、天皇の大御いのちの
顕現ならざるはなきなり。
天皇を説かず、仰がず、『無』のみを説く宗教は
準備時代の宗教に過ぎず。

 わたくしの『生命』を愛護すること勿れ。
『生命』が尊きは、天皇の大御いのちの流れであり、
岐れであるが故に尊きなり。
寸時も、『天皇のみたまのふゆ』なることを忘るべからず。

『天皇のみたまのふゆ』なることを忘れるとき、
人は悪逆無道の迷妄の徒となるなり。
 愈々日本も政治新体制の曙は近づけり。
一切の政党は解党せり。
新たに党を結ばんがための解党にては意味を成さず、
この事肝に銘ずべきなり。
挙国一党なりとも、党のある限りは、『無我』に非ざるなり。
大みごころあるのみなり。
大みごころへの無我随順あるのみなり。

若し新党を樹つるとも、新政体を建つるとも
一点の『我』ありて、大みごころを晦ますとき、
天皇の御徳を遮して、自分の都合をはかる
無道の徒となり了るなり。

 無道とは、道の無きことなり。
道は宇宙にミチてあれども、『我』のあるところには、
道は遮られてあらはれぬなり。
大海原に海水は満ちたれども
岩石の固まりたるところには海水は満ちをること
能はざるが如きなり。

『我』がなくなりて、
はじめて『道』は生きるなり。私の『善』、私の『道』、
私の『宗教』などと言ふものあるべからざることなり。
 すべて宗教は、天皇より発するなり。
大日如来も、釈迦牟尼仏も、
イエスキリストも、天皇より発する也。
ただ一つの光源より七色の虹が発する如きなり。

各宗の本尊のみを礼拝して、
天皇を礼拝せざるは、虹のみを礼拝して
、太陽を知らざる徒なり。すべてのもの、
太陽にて生くるが如く、すべてのもの、
天皇の大御いのちにて生くるなり。

 生長の家が、一宗一派を樹てざるは、
宗派と言ひて党を樹て、閥に籠りて
、相争ふことが『忠』に非ることを知る故なり。
特に『一宗一派に非ず』と言ふことを

教義の『七つの光明宣言』に記入して、
宗教であることを許されしは、
文部当局の賢明なる処置なり。
文部当局が一宗一派にあらざる
宗教をみとめたるなり。

宗教が正しくなりたるなり。
すべての宗教は私のものにあらざるなり。
すべてを、天皇に帰一し、
天皇に奉還し奉る宗教なり。

 宗はオホモトなり。天皇なり。
すべての教も則も範も矩も規も法も、
悉くスメラミコトより発するなり。

宗教は宗派と言ふものに立ち籠りて、
宗祖と言ふ一人の国民に過ぎざる
人間を尊崇するは邪道なり。
されば我は夙に喇叭に過ぎずと言ひたるなり。
すべての宗祖は喇叭に過ぎざるなり。

宇宙の大教祖は、天皇にてあらせられるなり。
ミチとノリとは悉く、スメラミコトより出づればなり。
 釈迦在世のとき、金波羅華を拈じて衆に示すに、
迦葉のみ微笑す。

金波羅華は『空』の象徴に非ず、
宇宙がコスモスであり、中心帰一である象徴なり。
日本国体の象徴也。迦葉のみ微笑す、
とは悲しいかな。
他の大弟子皆解せざる也。今の仏教者は
いかほど金波羅華の秘密を解せりや。
仏教を以て『空』を説くとなす者、
百尺竿頭に坐する底の者なり。
百尺竿頭に達せざる者よりは優れり。
されど『空』の百尺竿頭より進一歩して、
中心帰一世界を見ざるものは、
外道の仏教にして、日本仏教にあらざるなり。

 東大寺の大仏は中心帰一の蓮華蔵世界を
彫刻にあらはせるなり。中心座にましますは、
光明遍照者(ヴェーローシャナ)にましまして、
それを守護し奉るために、千葉(せんよう)の
蓮華その御足の下にありて、各々の蓮華に、
悉く釈迦牟尼仏ゐまして、

光明遍照者(ヴェーローシャナ)の御徳を讚ふるなり。
ヴェーローシャナと言ふ梵語をば、
大日如来などと、仏教が如来の如く
訳したるは誤謬にはあらざれども、
人をして外国の仏様の如く誤解せしめたるや久し。

 ヴェーローシャナとは、
単に『光明遍照』の意なり。
宇宙の中心座に在す『光明遍照』なり。

畏くも天照大御神にましますなり。
天皇は天照大御神と一身にましますが故に、
釈迦は、天皇信仰を教へたるなり。
それを知らずして、迦葉のみ微笑す。
善い哉。迦葉微笑せり
。今は日本人悉くが微笑せざるべからざる時なり。
天皇信仰を知らざるべからざる時なり。
今はすべての宗教が天照大御神を礼拝すべき時なり。
そのほかに宗教ある筈はなきなり。


谷口雅春先生編著『天皇絶対論とその影響』に収録されている
同じ「天皇信仰」の全文については、

谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐「[93] 大日本真理国家」にて、
確認することができます。

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=20

           <感謝合掌 平成27年3月20日 頓首再拝>

昭和16年1月 「大日本神国観」を発表。 (722)
日時:2015年03月21日 (土) 17時29分
名前:伝統


大日本神国観
(正座、瞑目、合掌)

1.招神歌(かみよびうた)・気合い

  生きとし生けるものを生かし給える御祖神(みおやがみ)
   元津霊(もとつみたま)ゆ幸(さきは)え給え。

  吾が生くるは吾が力ならず天地(あめつち)を
   貫きて生くる祖神(みおや)の生命(いのち)。

  わが業(わざ)はわが為すにあらず天地(あめつち)を
   貫きて生くる祖神(みおや)の権能(ちから)。

  天地(あめつち)の祖神(みおや)の道を伝えんと顕(あ)れましし
   生長の家大神(せいちょうのいえのおおかみ)守(まも)りませ。

 
  イユゥー(気合い)。


2.念ずる言葉

(1)「吾れ今五官の世界を去って実相の世界に入(居)る」

   (ここが実相世界、神の世界、神霊満ちみつる世界である)と観ずる。

(2)遥々(はるばる)と目路(めじ)の限り眺むるに十方世界ことごとく神なり。
   吾れ十方世界を礼拝す。

   (と念じ、十方世界の一切のものがことごとく神霊の示現である)と観じ、

(3)天よ、ありがとう。地よ、ありがとう。空気よ、ありがとう。
   火よ、水よ、温かみよ、冷たさよ、
   天地一切のもの神の顕れであります。ありがとうございます。

   (と念じつつ、神の恵みの満ち足りて、光り輝く実相の世界を静かに観じて、
    その円満完全光明遍照の大宇宙が、十方花弁の金色の蓮華の花の姿にて、
    その中央座に スメラミコト の玉座あり)と観じ、

(4)中央に すめらみことの 御座あり、
   すめらみこと 高御座(たかみくら)に坐し給う。
   皇祖皇宗の御神霊ともなり。

   (と念じ、玉座に背後上方に、天主・天之御中主大神・・・・、  
    天祖・天照大御神・・・、天孫・瓊瓊芸命<ににぎのみこと>・・・を始め、
    神武天皇より百二十四代の聖天子を中心とし、皇祖皇宗の御神霊が、秩序整然、
    威儀端然と≪千光仏の如く≫大光明を放ちて顕現し給う荘厳無比の光景を観ずる。)

(5)これをめぐりて百官もろもろの司あり。
   すめらみこと に向いて礼拝し奉行し奉る。

   (と念じ、その有様を観じ、眼のうちに百官綺羅星の如く、
    玉座を中心に至誠をもって職域に奉行しつつある実情実相を心に描いて観ずる。)

(6)十方に八百万の神々あり、護国の英霊あり、
   十方の諸仏あり、諸天あり、すめらみこと に向いて礼拝し守護し奉る。

   (と念じ、大宇宙の地平線の彼方やや高きところに光明燦然と輝く星の如き神々と
    十方諸仏、諸天、恭しく すめらみこと に礼拝し守護し給える荘厳なるありさま
    一心に描きて)

(7)すめらみこと の御座より御光さし出でてあまねく六合に照り徹(とお)らせり。

   (と念じて、天皇<すめらみこと>の御座より、
    金色<こんじき>の光まばゆきばかりさし出でて、光華明彩(ひかりうるわしく)、
    六合に照徹せる相を観じ、)

(8)六合照徹光明遍照、六合照徹光明遍照・・・・

   (と幾回も繰り返し念じつつ、すめらみこと の御光があたかも太陽の光が
    全宇宙に光被するがごとく照り徹り一切にいのちをふり濯ぎ、これを生かし
    これを愛護し給う光明遍照なる実相の世界を心をもって諦視する。

    しかして、すめらみこと の大御生命(おおみいのち)に生かされる
    一切の生物に心を転じて)

(9)すべての生きとし生けるもの、すべての青人草 すめらみこと を仰ぎ見て礼拝し
   讚嘆し感謝し奉る。

   (と、地上にみちみちているすべての人々が天皇の御徳を讚嘆し、
    感謝し奉る有様を心に見つめつつ、自己もそのうちの一人として
    感謝の念を深く起して、次の如く念ずる)

(10)天皇陛下、ありがとうございます。ありがとうございます。

   皇祖皇宗の御神霊ありがとうございます、ありがとうございます。

   百官もろもろの司様ありがとうございます。

   十方、八百万の神々様、護国の英霊様、
   ありがとうございます、ありがとうございます。

   十方の諸仏・諸天様ありがとうございます。

   (かく念じつつ光明遍照の調和せる荘厳なる実相世界を心に描きつつ、)

(11)既に大宇宙の救済は成就せり。
   金波羅華実相の完全円満の相(すがた)、地上に隈なく反映し実現して
   中心帰一、万物調和の永久平和の世界今現ず。

   一切の生物ところを得て争う者なく、相食(は)むものなく、病むものなく、
   苦しむものなく、乏しきものなし。

   実相・現象渾然一体、実相・現象渾然一体・・・・・(繰り返す)

   みこころの天に成る世界、既に地に成就せり、
   ありがとうございます。ありがとうございます。


・・・以下は、光明掲示板・第一における”山ちゃん1952 さま”による
   資料の転写です。



「大日本神国観」 (9967)
日時:2013年07月20日 (土) 13時04分
名前:山ちゃん1952


昭和41年3月号『生長の家』誌 明窓浄机に

『大日本神国観』を公表されたことについて雅春先生は

「肉眼で見る地球上の日本国は小さいけれども、
実相は、釈尊の示し給える金波羅華の世界であり、極大無限の國である。

その大日本の実相を観ずるのであるから、大日本神国観であるのである。

『実相はあれども観じなければ顕れない。観ずれば顕れる』という原理にしたがって、
日本国の荘厳なる実相を現実界に顕現しようと希う者は、
ぜひこの神想観を実修さられたいものである。」


そしてこの神想観のすみやかな普及徹底を期するため、
昭和41年5月、「大日本神国観」という折本テキストを日本教文社より刊行、
世界聖典普及協会を通じて頒布されています。(定価50円、送料20円)

日本人中の日本人である生長の家全聖徒は一人も洩れなく、
ぜひ「大日本神国観」の一本を常に携帯し、まずは本文を暗誦するように努力し
反復実修していただきたい。

特に幹部の方々は徹底習熟して多くの指導者を養成してこの祈りを速やかに
全国に普及徹底し、もって一時も早く「日本国の実相開顕」に絶大の貢献を
願いたいのであります。


*Web:光明掲示板・第一『養心健體法』と『大調和』 (9965)
     → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1905

           <感謝合掌 平成27年3月21日 頓首再拝>

昭和13年7月号『生長の家』より (741)
日時:2015年03月23日 (月) 18時58分
名前:伝統

(少しさかのぼって、昭和13年7月号『生長の家』より)

(1)巻頭言より

   哲学とは現象《あらはれ》と實在《ほんとにある》との究極根拠を探求し一切の事実を
   其の究極根拠の上に立ってその實相《ほんとのすがた》を把握する学である。
   そう云う意味に於て『生長の家』は哲学だと云うことが出来るのである。

   生長の家ほど實在と現象とを明瞭に区別し、現象の流れに生きつつ、
   實在を把握することを学的に研究している宗教はない。

   暫く、他の人が宗教とこれを認めている考えに従って茲に宗教と云う語を用う。
   此の意味に於て我等は、生長の家を宗教と称いたい。

   併し、哲学は現象と實在との究極根拠を知的に頭脳的に探求するのであって、
   従ってそれは知識の遊戯に陥り易い。此処に哲学の危険がある。

   従って、現代に要求せられるのは、知識の遊戯として要求せられるところの哲学ではなく、
   実践し得る哲学でなければならないのである。

   如何に實在そのままの圓相に於て現象界に顕現するか
    ― 實相そのまま生きる道は如何 ― 
   これをハッキリ教えているのが生長の家である。

   従って生長の家は哲学であると同時に道徳であるのである。

(2)『神は全ての全て・・・・・・』

   眼を瞑ってかく念ぜよ。
   繰返し念じつつ自分の周囲に、そして宇宙に、そして自分のうちに、
   あらゆる一切のもののうちに、神は満ちていますと云う思いをもって心を満たせよ。

   他に何物をも思念の中に求めるには及ばない。
   神はすべてであり、一切であるからである。

   まず神を把握せよ。その人は一切を把握するであろう。

   『神は全ての全て・・・・・・神は全き生命』と瞑目して繰返し繰返し念ぜよ。

   かく念じつつ、神の生命が、宇宙全体に、すべてのものの内に、一切のものの内に、
   そして『自分の内にも充ち満ち、その〈全き神のいのち〉にすっかり包み込まれ、
   それに生かされている』との深い実感のうちに、三十分間を浸り切ることは
   極めて尊き神想観である。

   病ある者は速やかに癒されるであろう。

   観中、『病を癒す』などの念を起す必要はない。
   神の生命の中に没入している限りに於いて、そこに病は無いのであるから。


   瞑目精神を統一して、『神は全ての全て・・・・神は全き叡智』と繰返し繰返し念ぜよ。

   そして宇宙全体に、すべてのもののうち、更に自分自身のうちにも、
   神の智慧充満せりと観じ、神の智慧の中に溶け込んで了うのである。

   神は全てであり、全てに行亙って存在する智慧であるならば、
   その智慧の中に没入するとき、吾等は知らないものは一つもないのである。

   現在意識が何も知らなくとも、吾等は恐れることな要らないのである。
   現在意識は『脳髄』と云う個別的反射鏡の上に投光された普遍意識(すべてに満ちて
   行き亙れる智慧)の一部が反射し出されたる反射光に過ぎない。

   反射光が何を知っていようとも、又、何を知らずにいようとも、
   自分の中に宿り給う普遍意識はすべてを知っているのであるから、
   吾等は此の普遍意識の中に没入し、普遍の智慧と一つになるとき、
   知らず識らず萬事が都合よく行くのである。

   『何でも都合よく行く』と云う人は、
   普遍の智慧を知らず識らず我がものとしている人である。

   普遍意識は自分のうちにも宿ると同時に、他の中にも宿るが故に、自分自身のみならず。
   他をも知らず識らずに動かしつつ、
   萬事都合のよい配合にまで一切を動かして行くのである。


         神は光である。
         わが室の窓の外に、
         神の光は待つてゐるのである、
         倦まず撓まず。

         私はいつまで神が其処に居ることに気がつかなかつたらう。
         神は私が窓を開くのを待つてゐるのだ。
         神はゐないのではない。
         私が心の窓を開かなかつたのだ。
          ― 光は私の内にある

         誰かが戸を叩いてゐる。
         神が私の家の門口に来て戸を叩いてゐるのだ。
         私は神を求めなかつたのに、
         神は私を求めてゐ給うたのだ。
         私は何と云ふ親不孝者だつたのだらう。
         私が神の膝に跳び付きさへすれば全ては与へられてゐるのだ。

         神のないところに生命はない、
         神のないところに美はない、
         神のないところに智慧はない、
         神のないところに愛はない、
         其処に生命があり、美があり、智慧があり、愛があると云ふことは、
         其処に神が在すと云ふことである。

         斯くて私は凡ゆるところに神を見出す。
         すべてのものに、自分の外に、自分の内に。
         まことにも神詰ります世界である。

         神のない快楽は、根を切つた切花のやうなものである。
         やがてそれは打萎れ、
         どす黒い苦い苦しみに変つて行くものである。


    *”童子 さま”のブログより拝借いたしました。


           <感謝合掌 平成27年3月23日 頓首再拝>

昭和16年4月〜 『谷口雅春選集』(潮文閣)を発刊。 (751)
日時:2015年03月24日 (火) 18時44分
名前:伝統

精神文化全集第12巻(谷口雅春)

大東亜戦争前に、戦前の日本の思想家24人をピックアップし、
潮文閣(出版社)が、全24巻を刊行しております。

その全24巻の中で、、「精神文化全集第12巻」として、
『谷口雅春選集』(昭和16年、潮文閣)が刊行されました。

以下に、その序文を紹介させていただきます。



自序(谷口雅春)

私が『生命の實相』哲学を発表し始めてからもう12年になる。

最初は微々たる自費出版であったが、読んだ人が次から次へと讃嘆して伝えてくれるので、
いつまで経ってもすたれるどころか発行部数が増加している事実は、
この哲学の価値への無言の証左である。

『生命の實相』が迷信臭く言い伝えられるのは、
それを読んで病気が治る人々が続出したからであるが、

白隠禅師も悟道によって病気が治ったのだから、
悟道によって人間が健康になっても不思議ではない。

と云って、これは単なる健康書ではない。
そんなら何かと云うと読んで貰うほかはない。
すると、『生命の實相』はあまりに大部すぎる。

一冊位で生長の家の光明哲学の体系がハッキリするような、
圧縮されたものがあったら読んで見たいという人があるそうである。

簡単に謂えば、生命の實相の哲学は、禅家が不立文字、教化別伝、言詮不及と云ったところの
人間の生命の實相を、また山川草木国土悉皆成仏の實相を、言詮により、文字を立てて示そうと
したものであり、それは或る程度まで成功したらしく、

多くの人たちが数十年の禅宗の修行でも得られなかった境地に達したと云って、大変喜んで
下さるのであるが、それが偖(さ)て、そう云う性質の本であるか、縦横無尽四方八方から
説いてあるから、その一部だけを読んで下さると、

或いは極端な観念論だと誤解したり、唯心論だと誤解したり、
『肉体は無い』と云うところだけを読んで『余りに奇矯である』と評されたりするので、

そう云う誤解を解くためにはどうしても、
『生命の實相』を全十五巻を行き渉って読んで頂きたいのである。

が、暇のない人にはそうも出来ないないから、
何とかもっと簡単に圧縮して貰いたいと云う要求も無理はないと思う。

そこで、此の要求に応ずるために、新たに書き下ろしたものに加うるに、概ね『生命の實相全集』
以後の著作になる単行本の中から、その主要な一章づつを選出して、成るべく近代の科学的頭脳
を有った人にも、此の肉体無、物質無の哲学が判るように工夫して、最近の新興物理学の解釈
からも物質無の自覚へ入れるように、各章を工夫連絡せしめたものが此の一巻である。

『生命の實相全集』中よりは採録しなかったのであるから、在来の全集読者には重複には
ならないで、それ以後の単行本の代表篇を読むことにもなるので、本書を読む人が
『生命の實相全集』を読んでも重複しないことになるよう心掛けて編纂した。


この一巻を読んで下さる人に、生命の實相哲学の解し方の目標について茲に示唆を与えて置く
ことは無駄でないと思う。

生命の實相の哲学は物質無・肉体無と云うが、必ずしも唯心論ではない。
それは全機の哲学である。
『全機』哲学を説く人にも唯物論的『全機』を考えている人がある。

水素と酸素とが結合して水になると云うのは、それは、水素だけの機(はたらき)によるのでは
なく、酸素だけの機(はたらき)によるのでもない。どちらが先でも後でもなく、
水素と酸素とが『全機』として作用して水となるものである。

人間の発生も、卵子と**とが結合して、卵子のみの働きでもなく、**だけの働きでもなく、
近寄る物と近寄られる物との『一つ』であるところの『全機』から人間が発生したと云えば、
如何にも生命の全機哲学のようであるけれども、

この哲学には、相寄る水素と酸素との結合の以前までは『水』が存在しなかったし、
水素とか酸素とか分離したら、もう『水』は存在しない。

それと同じように『人間』と云うものも、卵子と**とが相寄る以前までは存在しなかったし、
またこれらの組成要素が解体してしまったら『人間』は存在しなくなると云う『人間』の
『因縁仮和合生成論』に過ぎない。

こう云う哲学で『全機』と云うのは、『因縁仮和合の原理』(因縁の理)を指しているので
あるから、これでは生長の家の説く『久遠人間』の理念は出てこないのである。
ただ肯定されるものは因縁仮和合の理のみとなる。

『久遠人間』の理念が無ければ萬世一系の国体と云う金剛不壊の存在はあり得ないことになる。
国土も民族もその他一切の事物もただ因縁により変化する。その変化の理のみが実在だと云う
ことでは国体無窮も臣道無窮も確立しない。

仏教の全機哲学が国体に適しないと云って議論されている一部の原因である。


『久遠人間』の理念が確認されたときにのみ、『久遠人間』の天降りは確立される。
そして全機総覧者としての 天孫降臨の事実を確認することが出来る 天皇に大神ましまして、
臣民は神の子である實相が確立されるのである。

内山孝一郎氏(橋田文相の秘書官)は道元の哲学者であり、生命の全機を説かれること
橋田文相と同じである。その『生命体験』なる著の序文に、
『人間の一挙手一投足が生命の全機現成なるが故に・・・』(同書第六頁)とあるのには、
幾分の疑問がさし挿まれる。

わたしたちの哲学ではどんな人間でも其の一挙手一投足が必ずしも『生命の全機現成』だとは
観ないのである。例えば共産主義者が日本国へ弓を曳く・・・そういう場合彼等の一挙手一投足
は『生命の全機現成』ではなく、『生命』がその全機を現成せしめないための迷妄の顕現である。

ある人が食餌をあやまって、これは栄養になると思って、毒物を呻いだとしたら、その一挙手
一投足は『生命の全機現成』ではない。それは『生命の全機』が発現しないから、そのような
錯誤をしたのである。

即ち生命の全機の発現しない迷妄の顕現である。ただ人間が手足を動かす時の自覚が物が動く
のでもなく心が動くのでもない。心と物とにも非ざる全体が動くのだから全機現成と云うの
だったら、真妄混淆であると謂わねばならない。

すべての一挙手一投足が、そんなに安価に生命の全機現成ならば、戦争に往って逃げ出す弱兵も、
(日本軍にはそんな人間はいないが)生命の全機現成と云うことになる。盗賊の盗みの行為も
その一挙手一投足が生命の全機現成であると云うことになる。

そんなことがどうして『生命の全機現成』であるか。

一挙手一投足が生命の全機現成になるには孔子の謂ったように、
『心の赴く処に随って矩(のり)を踰(こ)えず』底になった人のみである。
そのほかの人の一挙手一投足は真妄混淆であるのである。


私の生命の實相哲学に於ける全機は、真妄をけん別して『真』のみを肯定し、禅家の『そのまま』とか、
『平常心』とか、『全機』とか称するものの中にも、截(き)るべきは截(き)り、
捨つべきは捨て、人間生命の實相と、此の世界の荘厳きわまり實相とを確認するのである。

そこに奇蹟とも観るべき功徳が現成するが、それは奇蹟ではない。
生命の全機は本来健全なるものであるから、自然に健全が現成するのである。
健全があらわれていないのは、生命の全機が発現していない証拠である。

世界に就いて云っても、世界が今あらわれている通りが其の儘に實在世界の實相現成ではない。
真妄を截断して彼の『妄』を去り、此の『真』を顕現するとき、茲に荘厳きわまりなき理想世界が
実現するのである。實在と仮想、真象と偽象とをけん別しなければならないのである。

生命と環境との相違は全機哲学の一示標であるが、『肉体も環境も心の影』と生長の家では
簡単にそれを表現している。生命の全機が顕現するとき、諸法(もろもろの現象)はそのまま
実相円妙の相が現れ、吾等の肉体は健全となり、環境は改善し、世界には荘厳きわまり無き
中心帰一世界が実現するのである。

此の意味で此の書は国体擁護の哲学であると同時に健康の哲学、成功の哲学、必勝の哲学、
百事如意の哲学とも云えるであろう。哲学的な理論が読みづらい方々は第一篇を最後に廻して、
第二編、第三篇から先に読んでその通りに実行せられればあなたに幸福が来るであろう。

此の書が、この非常重大事局に際し、世界の思想をリードする此の光明真理出来るだけ完全に
伝え得て、多少なりとも、国家のために貢献し得れば幸いである。

この国家貢献の見地から、今迄、光明思想普及会の独占権であったところの私の著書の発行権を、
この日本新文化全集にのみ貸与せられしことを、光明思想普及会社長服部仁三郎に感謝し、
又此書の普及に骨折って下さる潮文閣主高嶋政衛氏にも謝意を表するものである。

昭和十六年三月十三日            著 者 識

・・・

精神文化全集第12巻(谷口雅春) の概要については、
光明掲示板・第一にてご確認ください。

  → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=252

           <感謝合掌 平成27年3月24日 頓首再拝>

昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 (763)
日時:2015年03月25日 (水) 17時43分
名前:伝統


昭和15年4月1日、生長の家は、宗教団体として登録されました。

昭和15年4月9日、谷口雅春先生は、名古屋市公会堂において、
宗教団体としての「生長の家」と「生長の家大神について」のご講演を行なっております。


《第一章 生長の家の本尊》

                   昭和十五年四月九日午後二時より
                   名古屋公会堂に於ける講演の速記

宗教団体としての出発

昨年議会を通過しました宗教団体法がこの四月一日から実施されることになりまして、
生長の家はこの宗教団体法によって、宗教であると認められて文部省の管轄に入ることに
なったのであります。

実は、生長の家は「教化団体生長の家」と云う名前によりまして、
もう1年半ばかり前から届書を拵えて当局の方へ出してあったのであります。

東京府を通過いたしまして、文部省へ参りましてから、文部省の見解では、
生長の家は教化団体と云うよりも宗教の団体である、

左様に見る、と云うような見解がございまして、
そこで暫くその届書が文部省で滞っておったのであります。

生長の家本部の副理事長の秋田子爵、それから係の中神学と云う人達が
文部省へ参りまして、稲田宗務課長その他の係の人たちと色々交渉したのであります。

宗教団体法によりますと、宗教と云うものには一定の「教義」がなければならない、
それから「儀礼」を行うものでなければならない、それから「本尊」がなければならない、
本尊として奉斎する神様、又は安置するところの仏がなければならない、

そう云うものがなければ宗教でないと云うようになっておりまして、
宗教団体法によるところの届書には、教義と、儀礼と、奉斎神又は安置仏と云うものを
書くべき各欄が設けてあるのであります。

ところが生長の家は、教義と云っても生長の家独特の教義がないのであります。
ないと言うとおかしいけれども、生長の家は仏教の話もする、お釈迦様は斯う云うように
被仰ったと言って、仏教は斯う云うものであると言って話もする。

またキリスト教は斯う云うものである、耶蘇はこう被仰ったと言って話もする。

また金光教の教祖は斯う言われた、天理教祖は斯う言われた、
日本の『古事記』には斯う書いてある、老子には斯う云う事が書いてある、
孔子は斯う被仰ったと云う風に、

色々の教を一つにして説いて、相手に随って自由無礙に方便自在の説教をしているので
ありますから、一定の生長の家の教と云い教義と云うたらどんなものだと言われると
困るのでありまして、生長の家独特の教義と云うようなものがないのであります。


それから儀礼と云っても、宗教的儀礼と云うような、葬式の時には斯う云うお経を唱えて
斯う云う儀式をする、そんなものはないのです。

今までの所謂る「宗教」でやっておったところの、宗教とは葬式をすることだとさえ
思われていたような、そう云う形式的なものが一つもないのであります。


このように生長の家は儀礼もない、
それから本尊と云っても、どこにもそんなものは祀ってない。

――生長の家道場へお出になると、そこには何もお祀りしてない、賽銭箱も置いてない、
礼拝の像も置いてない、神様もお祀りしてない、だから奉斎神もなければ、安置仏もない、
本尊もない、何にもない、斯う云うのが生長の家であります。

(つづく)

以降については、次の掲示板にて、順次紹介してまいります。

谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐
「 昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=70

           <感謝合掌 平成27年3月25日 頓首再拝>

『人間死んでも死なぬ』 昭和13年2月発行 (773)
日時:2015年03月26日 (木) 18時49分
名前:伝統

          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月21日)」より

今日は記念すべき本が出る。
わたしの『人間死んでも死なぬ』という本。

これがわたしが関東大震災に遭って無一物になって郷里へ帰って、
職業もなく養父母の許で居候しながら無数の心霊現象の原書を取り寄せて
そのうちから興味のある事実を取り上げ、系統づけて書きあげて、小西書店から
『心霊現象と宗教思想』と題して出した本を最近に増補改訂したものである。

類は類を招び、貧しい運命の時には、貧しさを招ぶものと見えて、
当時素寒貧のわたしに、小西書店は一銭の印税もよこさなかった。

わたしはやむをえず印税代わりに紙型(しけい)を貰っておいたのを友人鳥谷部君が
生活に困っているので、その紙型を差し上げて、原稿料も活字の組賃も不要で
鳥谷部君の生活費の幾分にでもなるように進上した。

これは『信仰革命』と題して再版まで出ているから鳥谷部君は幾分か
これで助かっているはずである。

今この本にさらに百数十ページを加えて
『人間死んでも死なぬ』と題する本として出したのは、
戦死した軍人の遺族への贈り物としてである。

人間は肉体ではないから、肉体は死んでも「人間《そのもの》」は死んではいない。
この理論と哲学とは『生命の實相』のあらゆる部分に書いてある。

しかしその実証は、死んだ人が出て来て実際に通信した無数の実話、死の刹那に霊魂の幽体が
脱離する瞬間に撮った写真、その死後の状態はそういう状態であるか
 ―― これは『生命の實相』の「霊界篇」にも出ているが、

この書に採録したのは英国心霊大学(ブリティッシュ・カレッジ・フォア・サイキカル・リサーチ)の
学長マッケンジー博士(数年前物故)が精神統一状態中の霊魂出遊現象によって
七圏に分かれている霊界を探検踏査して
そのその状態を記述した記事であって、

それには当時「哲学者グループの集まっている」霊界の第四圏にいたハーヴァード大学の
ウィリアム・ジェイムズ教授の霊が指導霊(ガイド)になったといわれている。

その記録は『生命の實相』中のヴェッテリニの霊界通信と符節を合わして
霊界存在の真実性をいっそうハッキリ確認せしむるものがある。

この書を戦死者の遺族に、また戦死者でなくても、良人を、妻を、子を、親類縁者を
失える悲しめる遺族たちに贈ることは大いなる意義と慰めとを与うるものであると思う。


先日高知の一誌友から、戦死せる婚約の青年に殉ずるために戦死の報知を受け取ると同時に
カルモチンを致死量飲んだ令嬢が医者の手当で蘇生したが、殉死を覚悟せる彼女は、
遺骨到着の日にふたたび自殺すると主張して頑として応じない、

そして「わたしは『生命の實相』の全十五卷をことごとく読みましたが、
その3分の1は運命であり、3分の1は自己の決定により、その3分の1は霊界の高級の
霊魂人(スピリット)の運命の修正により避けうるとあるあるだけで、

自殺は悪いとは『生命の實相』には書いてはないから、自殺は悪いとは思いません」と
主張するので、なんとかわたしから自殺を思い止(とど)まらす手紙を書いてくれ、
という要求を受け取った。

そのわたしからの手紙が到着しない先に遺骨が着いた。
彼女は再び遺骨の到着した日に、前回よりも大量の超致死量の薬剤を呑んだ。
しかし彼女は死ななかった。霊界から高級霊の干渉があったのであろう。

しかもさらに彼女は第3回目の自殺を考えていた。
そこへわたしからの手紙(家内に代筆をさせた)が着いた。
その手紙によってかろうじて彼女は慰められ、3回目の自殺は思い止まったのであった。

わたしの記憶のうちには、ある霊界通信に因(よ)れば、自他を超越した神の目からは、
自殺は他殺と同じく殺人であると書いてあって、そのことを『生命の實相』の本の中に
書いておいたと思って『生命の實相』の索引によって検(しら)べてきたが
見出すことができなかった。

だから、それに対する返事は記憶によって書いたのだった。

あとで気がついてみたら、それは今度出る『人間死んでも死なぬ』の本の中に自殺者の霊魂が
霊界に移行しても自殺の時の行為そのままの状態で、たとえば短刀を腹に刺した状態で永らく
苦悶を継続しているのだというような霊界通信の実例が書いてあるのであった。

しかもこの書に収められている霊界通信の中には、欧州大戦中砲弾の破片にあたって戦死した
兵士の霊魂が、少しも傷つかずに自分の遺骸を眺めながら歩いていたという通信もある。

我執で死ぬのと、国家に献(ささ)げて死するのとは、死の意義の異なるのがこれでも分かる。
戦死を悲惨だと思うのはまちがいである。

このまちがいの中から反戦思想が生まれ、戦後の国家擾乱運動がはぐくまれる。
霊界の消息を知るとき、戦死は実に光栄であり、霊魂の高揚であるのだ。

・・・

以前、”童子 さま”が「何故『人間死んでも死なぬ』を書いたか」
(『生長の家』誌 13年5月号より)を先代の掲示板に掲載されておりましたが、
現時点では見当たりませんので、別の掲示板に掲載しておきたいと考えております。
      
(「谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐」
  → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=71

           <感謝合掌 平成27年3月26日 頓首再拝>

「起て、日本の女性」〜『白鳩』誌昭和14年10月号 (783)
日時:2015年03月27日 (金) 18時39分
名前:伝統

            * 『白鳩』誌  昭和14年10月号より

  をんなと云ふをんなは起ち上らねばならぬ
  起上るとき力がでる。
  神が力を出させて下さるのだ。

  いつも女性は家の中が仕事場であつた
  けれども非常時には非常時の生き方がある
  無論、家を治めることは女性の第一の仕事である。

  併し家を治める‘だけ’が女性の仕事ではない
  どれだけでも余分に力が出るのである。

  男性は働きに往つてゐるものもある、
  職場へ往つてゐるものもある、
  何のために日本は戦つてゐるか
  それを知らぬ人が多い。

  それを知らせて、日本人ひとりひとりに覚悟を与へて行くのが女性の役目だ。

  今度の戦争はそんな生やさしい戦争ではない。

  天地初まつてからの大戦争、
  天地初まつてから世の終りまで二度とない大戦争、
  ヒノモトが全世界を照らす日の本となる戦争。

  支那だけが相手ではない
  蒋介石だけが相手でもない。
  漢口を陥れただけで済むのではない。

  漢口を陥れても蒋介石を倒さなければ戦争を止めぬと云ふ人もある。

  併し蒋介石を倒しても全世界を日本の光で照らすまでは止められぬ戦争だ。

  人間だけの計画でやつてゐる戦争なら何時でも止められるが、
  人間力ではない、
  天地の初めから計画されて来た
  其の計画が今愈々果を結ばうとする戦争だ
  止めようと思つても止まる筈がない。

  甘い夢を見ては可けない。

  人類愛だとか
  戦争は愛に反するなどと言つても今度は駄目である。

  人間の戦争なら愛に反するかも知れぬが、
  これは人間がやつてゐる戦争ではない、
  吾々は長期に耐へ忍ばねばならないのだ。

  長期に耐へ忍ぶ力は
  銃後の力にある、
  女性の力にある、
  国民全体が堅めた覚悟の如何にある。

  国民全体に知らせるのは女性の力にある。

  日本のすべての女性よ、
  往き往きて此の聖戦の意義を伝へよ。


  古事記に預言された
  天鳥船、鳥巖樟船が出る、
  火夜芸速男神、
  火具槌神、
  岩柝、根柝の神々が荒れくるひ、
  やがて大国主命の国譲りが来るまではこの戦は止まないのだ。

  また黙示録に預言された如く、
  海と地とに跨りて立てる御使は
  天にむかひて右の手を挙げ、
  天および其の中にあるもの、
  地および其の中にあるもの、
  海および其の中にある物を造り給ひし
  世々限りなく生きたまふ者を指し、

  「この後、時は延ぶることなし、
  第七の御使の吹かんとする
  ラツパの声の出づる時に至りて
  その奥義は成就せらるべし」 と誓ひて云へる

  その奥義の成就せらるべきとき、
  神の国の成就せらるべき時、
  その時が近づいたのだ。

  だから此のたたかひは、
  神の計画の戦であるが故に
  恐るる事は要らないのだ。

  神が日本の味方であることを、
  日本人に神国を知らせることを、
  覚悟を持たせることを、
  生命の捨てても、
  その捨てた生命は
  神が生命拾つてくれると云ふことを、
  人間は不死であると云ふことを、
  尊い使命と共に永遠に生きると云ふ
  生長の家の啓示を、
  往き往きてすべての日本人に知らせるのが女性の役目であり、
  白鳩の役目である。

  ああ永遠なる神の計画に帰一する時
  其処に不死の途がある。

  白鳩の誌友よ、姉妹よ、結束せよ
  己を空しくして
  同志互に争ふことなく
  同つの理想に起ちあがれ。

  同つの使命に起ちあがれ。

  日本の女性よ
  いま女性の使命に目を覚ませ
  いま白鳩の使命に目を覚ませ。

  (http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/18817235.html

           <感謝合掌 平成27年3月27日 頓首再拝>

節約生活について (802)
日時:2015年03月29日 (日) 18時44分
名前:伝統


          *『慨世血の書』(昭和15年発行)より
  

  或る学校で、今は国家の非常時であるから何でも節約せねばならぬことを説いて
  ○○大臣が『自分の家も都合によっては売ろうと思っている』と云っている新聞記事に
  あった実例を挙げて『大臣でさえへも家を売るほどに節約なさるのですから、
  諸君も大いに節約せねばなりませぬ』と説明した。

  生徒たちは感心して聞いているように見えたが、
  そのうち一人が『先生、その大臣が売った家は誰が買うのですか』と手を挙げて質問した。
  先生は答えることが出来なかったと云う笑い話がある。

  感心するのは好い。見栄を切って大上段で物を言うのも好いが、
  質問されて返答が出来ないのも困ったものである。

  誰かがその大臣の邸宅を買ったとしたら、その人は贅沢だと云われることになるだろう。
  そうすれば売ろうと思っても成就しないのである。

  売って節約する事が出来るのは贅沢にも買おうとする人があるからである。
  否、そうではない。

  買ったその人はお金を大臣に渡すだけで
  そして贅沢しないためにその家に入らないのだとする。

  そうしたらその人は節約したと言うことになるだろうか。

  節約とは『使わない』と云うことだろうか。
  節約とは『生かして使う』と云うことではないだろうか。

  節約とは『すべてのものを無駄なく生かして使う』ことであると云うことを知らないで、
  ただ切り詰める事だと思っている時は、余分の爪を切っている意で、自分の指を切り、
  却って自国の経済力を鈍らせていることがあるものである。

  (http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/19713763.html

・・・

(以下は、ひかりの語録より)

○買うと云うことは、働いている者に与える行為だ。
 施しと云うことは働かざる者に与える行為だ。いづれも愛の道である。

○買うな節約せよ、とは働いている者にさえも施すな与えるな、愛するなと云うことだ。
 ケチな節約は愛の道ではない。

○働かぬ者にさえ施すのが愛の行為であるのに、
 働いている者にさえ与えない(買わない)
 ことを節約の美徳だと考えている者は愚者だ。


           <感謝合掌 平成27年3月29日 頓首再拝>

祷り (812)
日時:2015年03月30日 (月) 18時18分
名前:伝統

      *『生長の家』誌 昭和15年11月号 より


  神は愛であり給う。
  神は到る処に満ちていたまう。

  従って神の愛は到る処に満ちていられるのである。
  玄関から奥座敷に至るまで、家の隅々までも神の愛で充満している。

  私は神の愛に抱かれ包まれ護られている。
  神の愛は私のうちにも入って来ているのである。
  愛は一切のものを赦し、育て育むのである。

  神の愛は太陽が善人にも悪人にも一様に照り輝くが如く、
  また雨が善人にも悪人にも潤すが如く、
  善人をも悪人をも咎め給うことなく、
  凡ての人を愛し給うのである。

  その神の愛が私の中にも宿っているのであるから、
  私は善人をも悪人をも悉く愛し赦すのである。
  否、悪人は本来存在しないのである。

  私は今すべての人を赦したのである。
  すべての人に好意を放送するのである。

  彼の愛が今 私を取り巻いている。
  私は今神の愛の雰囲気に部厚く包まれているのである。

  愛は癒す。
  愛は浄める。

  私は今 宇宙浄めの最後の浄めに生れたもうた
  住吉大神の浄化の愛に包まれているのである。

  如何なる誤解から生じた呪いの念波も、怨みの念波も、
  憎みの念波も住吉大神の浄化の愛に浄められて、
  ただ私に達するのは愛の念波だけである。

  如何なる病気の人から送られて来る病念も悉く浄められ、
  自分に達するときにはただ生かす愛のみとなっているのである。

  (http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/17934736.html
     
            <感謝合掌 平成27年3月30日 頓首再拝>

「言葉の力と国民歌の選択」〜昭和18年8月 (822)
日時:2015年03月31日 (火) 18時03分
名前:伝統

谷口雅春先生、「言葉の力と国民歌の選択」を発表し
「海ゆかば」を歌うことを批判。
 
           *『生長の家』18年8月号(38〜40p)より

(前略)

爰に私は大東亜戦争が勃発して間もなく帝國海軍から発せられた標語
『敵を倒すまでは死ぬな』と云う言葉に深き思いを致さねばならないと思うのである。

死は易く、生は難しである。
死すべき時に死せざれば、死後まで末代の恥辱であるが、ただ『死』のみを連想して、
『死』を迅(はや)まらしむるような標語を国内に弘めることは避くべきであると思う。

 
かの大伴家持の『海ゆかば水漬かばね、山ゆかば草むす屍・・・』の歌は
大伴家持の一死 大君の大生命に帰一する純情の名歌ではるが、

これを国民歌の如くにして、全国津々浦々に唱和せしむることは『言葉の力』を知る
吾らにとっては、余りにもその影響が大なる気持もするのである。

 
『真黒けのけ』の俗歌が流行した時には大阪北区に大火があり、
『枯れすすき』の俗歌がはやったときには、関東大震災があって東都全体が
『枯れすすき』のような状態を呈したと云うことを顧みるとき、

『海ゆかば水漬く屍、山ゆかば草むす屍・・・・』の家持の歌が、
まるで国民歌の如く全国津々浦々に流行せる時、恰もアップ島の玉砕の事あり、
斯かる相関関係は偶然か否かは大いに考慮しなければならぬ大切な問題である
と思うのである。

 
あの歌は『大君の辺にこそ死なめ』の純忠の感情はあれども、屍となって倒れる
ことの方が強調されていて、『戦勝』と云う意味も、『敵に勝つ』と云う意味も
少しも言葉の中に表現せられてはおらぬ風に響く。

それは、出陣の敦盛のような、ただ悉くの者戦死も止むを得ないと
云う悲壮な感情が哀調の中に歌われているとも聞える。

 
戦争はただ悲壮な戦死を常に歌い、味方の死屍累々を心に描くばかりでは
打ち勝つことは出来ないのである。

『討ちて止まん』『敵を仆すまでは死ぬな』『敵を仆すまでは死んでも死なぬぞ』
と云う強力なる意志と、感情を想望する雄渾な歌詞をこそ
国民歌として選択すべきものと思う。

(後略)

 
・・・

『生長の家』18年8月号「言葉の力と国民歌の選択」の全文については、
以下の先代の掲示板にてご確認ください。(”童子 さま”によるご投稿です)

(1)光明掲示板・第一「『言葉の力と國民歌の選擇』 (800)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=203 

(2)光明掲示板・第二「国体とは天皇の大慈悲が国を貫いていること(安東巖先生) (284)」
   の子記事「『言葉の力と國民歌の選擇』 (291)」
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=112 )

            <感謝合掌 平成27年3月31日 頓首再拝>



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