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光明掲示板・伝統・第一

 

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(三月)の法語・言葉 (502)
日時:2015年03月01日 (日) 02時48分
名前:伝統

このスレッドでは、(三月)の言葉・法語として、次の著書等から紹介して参ります。
ただし、要点のみの紹介になりますので、全文については、それぞれの著書等において、
ご確認くださいますようお願いいたします。


(1)『 光明法語<道の巻> 』
    (三月の法語「神は愛なり」)〜一部抜粋部を紹介

(2)『 生命の實相 』第三十七巻幸福篇
    (三月「弥々生うるいのち」)〜一部抜粋部を紹介

(3)『 光明道中記 』(三月「万物めぐむ」)〜「タイトル」部分を紹介

(4)『 生長の家 』  昭和二十三年三月号 
            〜 ”明鏡 さま”のブログより一部抜粋部を紹介
              (http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13096845.html

(5)『 生長の家 』 昭和四十年三月号
            〜 「谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の壱」へリンク
              (http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121)  

・・・

    <「光明道中記」弥生・万物めぐむ〜はじめの言葉 より>

『美的価値と行』

人間は宇宙の生命が咲き出た美花である。
それに気着かぬ人が多いのは悲しむべきことである。

人間自身が花であると云うことに気が着いたならば、
人間はただ美しく生きることに懸命になれるに相違ないのである。

人間の価値には、美的価値と、道徳的価値と、経済的価値がある。

経済的価値とは物の生産と消費との関係に於ける価値である。
経済的価値を生産のみにあると思うのは間違である。
生産と消費との調和に価値が生まれるのである。

道徳的価値とは人間の心に生じたるものを行為に表すところの価値である。
経済的価値も、道徳的価値も、行(ぎょう)を通してのみ、その価値を成就する。

美的価値は離れて観る価値であるから、行と最も縁遠いところの価値であるが如く思われる。
併し、「美」もまた行を離れて存在し得ない。

「美」は紋理(もんり)であり、相(すがた)であるが、
相(すがた)もコトバの振動によって展開するから、行(ぎょう)なくんば美もまたないのである。


・・・

【一日の法語・言葉(3月1日)】

(1)《今、目前の仕事にサービスせよ》

   若し諸君に職業が見つからぬならば、金を得る仕事だけを職業だと思うな。
   諸君の前に偶然あるところの何の仕事にでも(便所掃除でも、カド掃きでも、
   障子硝子拭きでも)報いを求めることなしに奉仕せよ。

   これが無条件に与えると云うことである。
   やがて其処から諸君に最も必要にして適切なる仕事を得る
   緒(いとぐち)が得られるであろう。


・・・

(2)《啓示》

   人間は小宇宙である。
   大宇宙の力すなわち神が万物を創造したがように、われわれも万物を創造する。

   第一の創造は神の「世界および人間創造」である。

   神はすでに世界を創造し給うたのである。それは常に現在完了である。
   すでに完全であり、過去も、今も、未来も常に現在完了である。

   しかして常に善である。
   すべてのものはなはだ善しである。

   人間に病気はない。


・・・

(3)《栄光を見る日》

   【われわれを神が造った。神と呼ぶのが嫌やな者は生命と言っても好い。
                              (『生命の實相』第七巻)】


・・・

(4)《人生の問題は向上の段階》

   人生の問題はエスカレーター見たいなものである。
   それに乗る事によって人間の魂は進歩する。
   それを避ける事によっては人間は一層高き段階に上る事が出来ない。

   併し人間は完全な自由を許されているから、
   みずから進んで其のエスカレーターに乗らない事も可能である。
   併し問題を避ける事によっては人間は進歩しない。

   問題は 人間を一層高い世界へ誘う招待状みたいなものである。
   問題の解決は 唯 上昇の足場に過ぎない。
   いかにそれを扱うかの心境に魂の進歩がある。


   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13096845.html

・・・

(5)《神を金融業者と間違えてはならない》

   誤った信仰に向っている人たちのうちには、神の方向に振り向いて
   「祈り」という形の説得法によって、神を説き服(ふ)せれば、

   神が動かされて 神が何らかの功徳を与えて下さるかの如く錯覚している人が
   あるけれども、神は高利貸でも、銀行屋でもないから、上手に説き服せたら
   金を貸して下さるというような方ではないのである。

   キリストが説いたように「 人は二人の主(しゅ)につかえることはできない 」のである。

   私たちは「 物質の幸福 」を求めている限りに於いて、
   霊的な主につかえることはできないのである。

   (以下 略)


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


           <感謝合掌 平成27年3月1日 頓首再拝>

【二日の法語・言葉(3月2日)】 (515)
日時:2015年03月02日 (月) 04時09分
名前:伝統

(1)《自己の使命感を生かせ》

   (或る有名な音楽家は、訪ねてきた娘に)答えた。

   「どんな天才でもそのような気持ちで天才を伸ばすことは出来ません。
   歌手が歌手として成功するためにはどんな苦労をしてでも歌を立派に歌いたいう
   と云うような一念にならねばなりません。

   かくて其の一念不動の決意によって音楽が自分自身をさえも
   魅するような上手さに達した時他の人々をも魅することが出来るのである」と。


・・・

(2)《啓示の第二》

   《真実の人間》はどうしてもエデンの楽園から追放され難きものである。

   もし神の造り給いし実在の国土に、エデンの楽園以外のごとき不完全な世界があると
   予想するならば神を冒涜するものである。神を涜(けが)すものである。

   ―― この実相(ほんとのすがた)に目覚めよ。


・・・

(3)《神聖受胎の日》

   【受胎当初の卵細胞の直径は125分の1吋(インチ)であり、
    出時の胎児の身長は18寸半である。
    その生長は身長だけを見ても実に2312倍である。 (『女性読本』)】


・・・

(4)《同じ問題でも受け方で魂の向上が異う》

   かりに或る人が泥棒に着物をとられたとする。

   甲は それに対して嘆き かなしみ失望し落胆する。

   併し乙は それに発奮して、
   とられた以上のものを稼ぎ出そうとして 大いに仕事に努力する。

   丙は 俺もとられた、だから取り返してやれと思って自分も泥棒になる。

   丁は 自分の不注意に気付いて今後の生活をもっと慎重にする。

   戊は 自分の不注意に気づいて一層 謙遜になる。


   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13098489.html

・・・

(5)《霊か、物質か、いずれを選ぶか》

   祈りさえすれば物質的な利益や、肉体的な快楽の功徳を
   神が与えたまうものだと考えてはならないのである。

   神はただ霊の賜物(たまもの)のみを与えたまうのである。

   「 神は霊なれば拝する者も霊と真(まこと)とをもて拝すべきなり 」
   (『ヨハネ伝』第四章二四節)とイエスは教えていられるのである。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


           <感謝合掌 平成27年3月2日 頓首再拝>

【三日の法語・言葉(3月3日)】 (526)
日時:2015年03月03日 (火) 04時48分
名前:伝統

(1)《使命感と天分を目的とせよ》

   名声や金儲けを目的にしているのは本道(ほんみち)ではない。
   それは天分のない証拠だと言えるのである。


・・・

(2)《現象を否定し、実相を肯定せよ》

   否定が完全の極に達したら肉体が変化を起こす。
   境遇が変化を起こす。
   周囲の人々の自分に対する冷淡が熱意に変ずる。

   慈悲とは抜苦与楽すなわち「苦の否定」と「楽の肯定」である。
   苦を否定したならば次には楽を肯定すべしである。

   真に肯定して立ち上がるものには、
   すでに病気は《なく》、苦しみは《なく》、不幸は《ない》。
   アリと見たのは自分の信念の錯覚であったことがわかるだろう。

   無いものは無いのだ。
   この言葉を百篇心の中で唱え、いかに悪しきものがアルがごとく見えようとも
   断乎として心の力で否定し去れ。


・・・

(3)《陰陽調和の日》

   【性的結合は、霊魂が地上の世界へ招かれるための信号旗である ―― その最も
    明瞭にして緊要な条件は、精虫が卵子を貫穿(かんせん)するという事である。
                            (『生命の實相』第五巻)】


・・・

(4)《祈りの実現には時間的要素がいる》

   祈りは必ず成就するのである。

   併しそれは永久に生えないのではない。
   性急では いかぬのである。

   花を求めているのに、嫩葉(ふたば)が出たからとて
   祈りが きかれぬのではない。

   嫩葉は 花のもとである。


   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13102172.html

・・・

(5)《天国を地上に実現するには》

   天国が地上にあらわれるためには、人間自身が一変して、地的な欲望を去り
   天的にならなければならないのである。

   (中略)

   神は霊であるから、神を愛するならば、もっぱら霊を愛しなければならないのである。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


           <感謝合掌 平成27年3月3日 頓首再拝>

【四日の法語・言葉(3月4日)】 (539)
日時:2015年03月04日 (水) 04時09分
名前:伝統

(1)《成功の秘訣はサービスに在り》

   不平を言うこと勿れ。
   感謝しつつ、報恩の気持ちで自己の能力を捧げよ。  
   其処から道がひらかれる。


・・・

(2)《三界唯心の理》

   無いものがなぜアルかのごとく現れて見えるのであるか。
   これは釈迦の説いた三界唯心の理による。
   簡単にいえば「思うとおりに現われる」のである。


   物心本来一如にしても、心が先であり、物は心の変形であるのは、無限は先であり、
   有限は無限の中に包摂せられる一部分であるという意味において当然のことである。

   心が物を作る ―― 三界唯心である。


・・・

(3)《善きものを芽ぐむ日》

   【胎児期の教育は却って一層その親によって直接教育せられる。
    親そのものの中に直接生活していて、その精神波動の影響を受けている。
                                (『女性読本』)】


・・・

(4)《花を求めて果実を与えらる》

   大抵の人は自分自身の与えらるべき、
   そして成しとげ得べき能力を自覚していないので、
   それより小さいものを求めがちである。

   然も最初に与えられるのは、
   自分の求めたものより小さいのである。

   それは花を求めて 嫩葉(ふたば)を与えられた如きである。

   併し神は花以上に、更に吾らに大いなる美味なる果実を与えるべく
   嫩葉を先ず用意せられたのである。

   祈りが成就しないのではなく、祈りは成就しつつあるのである。

   それなのに ただ自分が性急な為に成就しないと見誤るのである。

 
   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13105196.html

・・・

(5)《戦争は 「 心の状態 」 の投影である》

   人間自身が一変しないでいて、ただ物質的平和や幸福を祈ってみても、
   それが実現しないことは世界の歴史を見ても容易にわかるのである。

   何人も戦争を止(や)めたくて仕方がない。この悲惨を見るにつけ、宗教家の多くは、
   「 どうぞ平和が来りますように、人類互いに殺傷いたしませぬように、
   戦争を止(や)めて下さいますように 」 と神に対し祈って来たのである。

   それでも地上に戦争は絶えたことがないのである。
   一所懸命 祈ったら、神はその祈りに答えて下さりそうなものであるのに、
   何故 その祈りがきかれないで、戦争は止(や)まなかったのであろうか。

   それは人間自身が変らないからである。人間自身を変えないでいて、
   戦争と称する 「 物質的状態 」 だけを変えようと試みたからである。

   「 物質的状態 」 は 「 心の状態 」 の投影(かげ)であるから、
   「 心の状態 」 を変える祈りこそ 先ず為すべきであったのに、
   それが為されていなかったのである。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


           <感謝合掌 平成27年3月4日 頓首再拝>

【五日の法語・言葉(3月5日)】 (551)
日時:2015年03月05日 (木) 06時09分
名前:伝統

(1)《人間は環境にも遺伝にも支配されない》

   人間は自己選択の自由に与えられているのであって、如何なる環境からでも、
   自分の想念によって其の波長に合うものだけを吸収するのである。

   縦には無限の遺伝の中から、自分の想念に合うものだけを表現するのである。

   神に波長を合わせさえしたら、神の完全さが今此処に実現するのである。
   神に波長を合わすのが神想観である。


・・・

(2)《「肉体本来なし」「肉体は念(こころ)の影」》

   『生命の實相』の中に「肉体は物質である」とも「肉体は無い」とも書いてある。
   生長の家の「肉体本来なし」とは、ここに見える肉体が、
   われわれが普通考えているような意味での「物質」ではないという意味である。


   肉体とは、「生命(せいめい)」の放射線(念)の時間空間の鏡面への反映である。
   鏡面へのその反映が歪(いびつ)なく完全であれば健康なる肉体という。
   その反映が不完全であるのを不健康なる肉体という。

   このことを「肉体は念(こころ)の影」と簡単にいう。


   明るい鏡面には《そのまま》が映る。
   曇りのない鏡面には《そのまま》が映る。
   《そのまま》は完全であるほかはない。


・・・

(3)《心絶えず歓ぶ日》

   【その母氏は荒川氏反応陽性であったのであるが、此の日に限って陰性となっていた。
    そして其の日に心配事があったことを話した。(『女性読本』)】


・・・

(4)《謙遜にそして勇敢に》

   自分を高慢(たかぶ)っても可けないが、自分を買いかぶっても可けない。
   全てのみわざは神が成し給うので自分が偉いのではないから、高ぶってはならない。

   併し全ての“みわざ”は神がなし給うのであるから、
   そんな力はないなどと自分を卑(いや)しめてもならない。

   「 謙遜にそして勇敢に 」 と云うことが、神の子の標語でなければならない。

   神に泣きつくように 「 どうぞこれを成し給え 」 と祈るのは、神を信じないものである。

   魂の底深き願いが起るのは、既に内在の世界で成就しているからである。



   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13107742.html

・・・

(5)《 世界平和のための祈り》

   私たち生長の家の信徒たちは、第三次世界戦争ー恐らくそれは原水爆戦争になるで
   あろうと思われていたーが起らないように一斉に祈ることにしたのであった。

   しかし私たちは原水爆戦という物質的戦争が止むようにとは祈らなかった。
   戦争は結果であり、争闘精神が原因でありますから、戦争の根源となるべき
   争闘精神が無くなることが先ず必要なのである。

   しかし争闘精神を無くするために、心に「 争闘 」 をつかんで祈ったのでは、
   「 心につかんでいるものが形にあらわれる 」という法則によって
   益々争闘精神があらわれることになるから、

   私たち生長の家の信徒は、「 戦争がなくなりますように 」とも
   「 争闘精神がなくなりますように 」とも祈らないで、

   唯(ただ)「 神の無限の愛 われに流れ入り給いてわれに於いて光明燦然と
   輝き給い、その光 愈々輝きを増して全地上を覆い すべての人類の心に愛と
   平和の思いを以って満たし給う 」 と祈ることにしたのである。

   愛と平和の思いに満たされたら争闘精神はなくなり自然に戦争はやみ、
   平和が招来されるからである。

   この祈りの最後の句は、この“世界平和の祈り”をはじめた当初は
   「 愛と平和の思いを“起さしめ給う” 」 であったが、「 起った 」だけで
   花火線香のようにすぐ消えてしまったら何にもならないので、

   後に「 愛と平和の思いをもって“満たし給う”」 と祈りの言葉を変えることに
   したのである。

   するとアガシャの預言では一九六五年までに人類の大多数絶滅の悲惨事が
   起るような預言であったが、それが変更され「 第三次世界戦争は起らない 」という
   預言に変ってしまったのである。



   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


           <感謝合掌 平成27年3月5日 頓首再拝>

【六日の法語・言葉(3月6日)】 (564)
日時:2015年03月06日 (金) 04時17分
名前:伝統

(1)《一事を見て万事を判断してはならぬ》

   霊的の事物は霊的に理解してのみ其の真実意を汲み取ることが出来るのである。

   だから自分が霊的に発達した程度に随って、
   聖書でも仏典でも本当に理解することが出来るのである。
   生長の家の教えも同じことである。


・・・

(2)《明るい人には常に幸福がつき纏(まと)う》

   明るさはあらゆるものに喜ばれる。

   明るい人には常に幸福がつき纏(まと)い、暗い人には常に不幸がつきまとう。


・・・

(3)《苦しみ無き日》

   【お産の時の苦痛は、心の働きであって本来無いものであります。(『女性読本』)】


・・・

(4)《争い勝つ祈りはきかれない》

   神は一人の人間の親に非ず、全ての人間の親であるから、
   一人の人間のみ、又は一個の民族のみ栄えて、
   他の人 又は 他民族の栄えぬ様に祈る祈りはきかれない。

   凡(おおよ)そ、他と争うて自分が勝つ為の祈りはきかれない。

   (以下、略)


   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13111474.html


・・・

(5)《“儲け”ないで“儲かる”方がよい》

   神は霊であるから、人間が物欲にとらわれている限りに於いては、
   神の無限の愛の霊波も、無限供給の霊波も、波長が合わないのであるから、
   神として何とも致し方がないのである。

   つまり 波長の合わぬものを「 縁ななき衆生は度しがたし 」 というのである。

   このように申し上げると、「 生長の家に入信したら神から無限供給が得られ、
   裕(ゆた)かに富むことができる 」 と思って、信仰に はいったのに

   「 何じゃ物質的欲望を起したらいけないのか、詰(つま)らないな 」 などと
   考える人があるかも知れないけれども、物質的欲望を盛んに起して
   賃上げ闘争などをして恒久的に富む人はないのである。

   「 儲けよう 」 と思ってする仕事は儲からず、
   本当に、最大多数の人のためになる仕事をしようと、
   「 儲け 」( 物質的欲望 ) を度外にして、

   人類の為になる新しきアイディアに燃える人が却って儲かるのである。

   リコーの市村社長も“ 儲‘け’る事業と儲‘か’る事業 ”と ‘け’ と ‘か’の
   たった一字違いだが其処に非常な相違があることを指摘しているのである。



   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


           <感謝合掌 平成27年3月6日 頓首再拝>

【七日の法語・言葉(3月7日)】 (578)
日時:2015年03月07日 (土) 04時46分
名前:伝統

(1)《人の病気を治すには》

   人の病いを心で治そうと思ったならば、その病気を見てはならないのである。
 
   病気の存在を信ぜず、又見ざるところの人のみが病気を消滅することが出来るのである。


・・・

(2)《悪事を断ち切る道》

   幸福者とは悪事を未だ犯さなかった人のことではない。
   悪事が次に悪事を招(よ)ぶのを断ち切ることのできた人だ。

   悪事を断ち切る道は、この悪事をしているのは本当の「私」でないと知ること。
   そして本当の「私」でない者に、今日かぎり断じて加勢しないと決心することにある。


・・・

(3)《生命の神秘に驚く日》

   【物質からは生命は生まれない。生命を生むものは生命のみである。
                            (『生命の實相』第十一巻)】


・・・

(4)《人類の進歩に逆行する祈りはきかれぬ》

   凡そ人類の進歩に逆行する祈りはきかれない。
   神は地上に自己の無限内容を無限生長 又は 無限進歩の形で表現したまうのが
   現象世界の使命であるからである。

  (以下、略)


   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13115133.html

・・・

(5)《 「祈る心」と「念仏申す心」》

   神と人間との接触は、霊と霊との接触である。

   (中略)

   神は霊であるから、神は無限の救いの霊波を放送していられるけれども、
   人間の霊的部分の、而(しか)も波長の合う部分にだけ感応するのであるから、
   特に霊的に波長を合わした人だけが、神の霊波に感応して救いを受けることに
   なるのである。

   (以下、略)


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


           <感謝合掌 平成27年3月7日 頓首再拝>

【八日の法語・言葉(3月8日)】 (592)
日時:2015年03月08日 (日) 03時47分
名前:伝統

(1)《行き詰った時にはこうせよ》
 
   何事でも行き詰まったならば、
   しずかに眼をつぶって、「宇宙の本源」に帰ることである。

   言い換えれば、

   「神はすべてであり、神は調和であり、完全であるから、
   不調和な出来事は決して存在しないのである。

   この見せかけの不調和は太陽の前の雲霧のように、もう間もなく晴れるのである。
   心配はいらぬ」

   と数回思念し心を整えてから仕事を始めるのが好いのである。


・・・

(2)《自己弁護する自分は「本物の自己でない」》

   「本当の自己」は常に昭々として輝いており、弁護してかろうじて
   その尊厳の保たれるようなさもしい存在ではない。


・・・

(3)《生命を礼拝する日》

   【愈々(いよいよ)の時が来れば無限の力が出る。
    爾(なんじ)の内に宿る力を信ぜよ。 (『生命の實相』第十一巻)】


・・・

(4)《人間の職業は無限》

   手繰りの紡織機械の後に機械力の紡織機械が出現した時、
   多くの手繰りの手繰り娘や、機(はた)おり娘は失業したかの如く見えたのである。
   併し決してその失業は長く続くものではなかったのである。

   人間の進歩は無限であり、従って人間の職業の範囲も無限である。
   
   何も人間はいつまでも手繰り紡織娘である必要はないし、
   映画館の伴奏者でなければ生活出来ないと云うものではない。

   今までの職業がふさがれて来る事は、
   神が既に新たなる職域を準備していられる証拠である。


   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13118214.html

・・・

(5)《人間は肉体の自力によって救われるのではない》

   人間が救われるのは肉体の意識的努力によってではなく、
   その人間に宿っていて、まだ眠っている“神の子”なる“実相”に神が触れたまい、
   その眠りを醒まさせ給うた時に始まるのである。



   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


           <感謝合掌 平成27年3月8日 頓首再拝>

【九日の法語・言葉(3月9日)】 (606)
日時:2015年03月09日 (月) 04時13分
名前:伝統

(1)《欠点を見つけるのは愛ではない》

   欠点を見つけるのはその人を真に愛していないからである。
   愛は欠点を見ないでその奥にある神性を観、実相を観る。
   愛するほど強力なものはないのである。


・・・

(2)《眼をひらけば、神の光が輝いている》

   これほど神の光が輝いているのに不幸というものがどこにあるか。
   ただなんじの心が鎖(とざ)しているからにすぎない。
   眼をひらけば、そこはすでに天国である。


・・・

(3)《父母の恩を知る日》

   【執愛は捉われている愛である。「愛の愛たるは愛に非ず」。
                          (『生命の實相』第十一巻)】


・・・

(4)《神は新陳代謝の神である》

   今までのものを掴むこと勿れ。
   過去のものは過去に意義があったのである。

   神は停滞の神ではなく、「 新陳代謝 」 の神である。

   今迄のものに別れる事によって新しいものを迎えることが出来るのである。
   と云っても 今までのものを好い加減に胡麻化して置いて、
   転々と職業を変われと云う意味ではない。

   実(み)熟せば その樹は使命を終って枯れるのである。

   今までの職業環境 ― それは自分の 「 魂の進歩 」 と云う結実を
   齎(もたら)す為の樹であったのである。
   既にその使命を終れば環境職業も変わる。



   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13121590.html



・・・

(5)《神、汝の実相に触れ給う》

   神が、吾々の内にやどる実相に触れ給い、実相が目醒めて来ることが必要なのである。
   諸君が 「 生長の家 」 を知ったのは、実は、諸君自身が知ったのではなく、
   神が諸君の実相たる“神の子”に触れ、その眠りを醒まさせられたのである。

   換言すれば 「 汝われを選びしにあらず、われ汝を選びしなり 」 と
   神は 諸君に対して呼びかけていられるのである。
   諸君はこの光栄に感激感謝しなければならないのである。

   無論 「 種子(たね) 」 の中には、発芽し、生長し、花開き、実を結ぶ
   実相が宿っている。

   しかし、その実相を具体的に目醒めしめるのは 「 水火土(しおつち)の神 」 の
   大いなる生命力に触れなければならないのである。

   水火土(しおつち)の神とは、宇宙普遍の唯一の神が 「 おしめり 」 (水)と
   「 ぬくもり 」(火)と 「 土 」 との三大原理として発現したものである。

   人間も亦(また) 「 水火土の神 」 の恩寵に触れて、その実相が目醒めてくるのである。

                  (谷口雅春著 『 秘められたる神示 』 (参照)

   一ぺんに実相が開花したと思ったら、思い上がりである。
   何人もまだ、種子(たね)の生命が目覚めたばかりである。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


           <感謝合掌 平成27年3月9日 頓首再拝>

【十日の法語・言葉(3月10日)】 (613)
日時:2015年03月10日 (火) 04時57分
名前:伝統

(1)《なろうと努力するより既によしと信ぜよ》

   愛せよ、与えよ、与えるのが愛である。
   無条件に与えよ。
   無条件に与え切るとき、自分が愛されるようになるのである。

   愛とは与えることである。放つことである。


・・・

(2)《包容精神》

   包容精神は自己偉大の自覚である。

   乞食でも親分となるほどのものは包容精神が大きいので子分から尊敬せられる。


・・・

(3)《愛と大調和の日》

   【自分の心だけの事物しか自分の運命に引き寄せることが出来ない。
                          (『生命の實相』第四巻)】


・・・

(4)《自分を与えて、他から与えられる》

   金を神に祈っても何にもならぬ。
   神の世界には 「 金 」 などは存在しないのである。

   よき生活とか、豊かなる生活とか、美しき生活とか、愛深き生活とか、
   そう云うものは 実相の世界にもあるものだから祈れば与えられる。

   しかし先ず 「 自分の全力 」 を自分から与えねばならぬ。


   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13124555.html


・・・

(5)《 肉体的自覚の外皮を脱ぎ棄てること》

   “ さとり ” というものは、結局、植物の種子( たね )の内部にある
   「 神なる生命 」 が「 種子の外殻(がいかく)」を割って出(い)で
   ついにその外殻を「 自分そのものでない 」 として棄て去って、
   生命の美しさを伸ばして行くようなものなのである。

   この場合の「 種子の外殻 」 にあたるものが、
   私たちの「 肉体としての自分の自覚 」 である。

   この「 肉体としての自分の自覚 」 を脱ぎ棄てる程度にしたがって、
   内部にある「 神なる生命 」 が愈々(いよいよ)はっきりと展開して
   益々 その実相の完全さを発揮するのである。

   宗教的修業というものは、この「 肉体としての自分の自覚 」という外皮を、
   層一層脱ぎ棄てて行く修業だといえるのである。

   それには三つの修業がある。

   (1)聖経 聖典 神誌 等を繰り返し読むことによって、「 人間は肉体ではない 」
      という真理を潜在意識の底まで畳(たた)み込むこと。

   (2)神想観を修して、肉体の感覚を蕩尽(とうじん)し、実修の上で、
      人間は「 霊的実在 」 であるという実相に 直接 触れること。
 
   (3)他(た)の人に真理をつたえ、又は愛行を人に施すことによって、
      他の人が救われる悦びを知り、物質的肉体は互いに離れて別々の存在に
      見えていても、生命は互いに一体であって、同悲同喜の感情の起る体験を
      通して人間は、単なる肉体的存在ではないということを知ること。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


           <感謝合掌 平成27年3月10日 頓首再拝>

【十一日の法語・言葉(3月11日)】 (621)
日時:2015年03月11日 (水) 03時29分
名前:伝統

(1)《相手のためになることを実践せよ》

   愛は感情である。

   美しいものを愛し、醜いものを憎む。
   美しいものに快美の感を感じ、醜いものに不快の感じを感ずる。
   これは当然のことである。

   しかし醜いものを愛するにはどうしたら好いか。
   ニイルは愛とは感情ではない。意志の力であると解した。

   しかしそれでは感情は不快そのままに続くのである。

   真の愛とは醜く見えても彼の本質は美しいと知ることである。


・・・

(2)《貧しさの理由》

   すでにあるのに、多くの人が貧しいのは、第一家庭の調和を欠いていること。
   祖先の祭祀(さいし)が足りないので祖先の守護の足りないこと。

   家族の不調和と祖先の祭祀の不足とで、その人が外に出ても自分の身辺に漂うている
   雰囲気が刺々(とげとげ)しくて、他から好意を持たれないことなどである。


・・・

(3)《随所作主(ずいしょにしゅとなる)の日》

   【自分の立場からのみ見ずに、相手の立場からも見よ。(『生命の實相』第八巻)】


・・・

(4)《より高き仕事に対する立場》

   高い仕事に対しては時としては見窄(みすぼ)らしい足場が与えられる。
   それに全力を尽すとき次なる足場が与えられる。

   現在の仕事に全力を尽し乍(なが)ら、
   その余裕で新しい仕事をやるのは好(よ)い。



   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13127396.html



・・・

(5)《神想観を繰り返して 「 自覚 」》

   神想観を実修する度毎に、その観の深浅の程度に従って、
   私たちは 次第に 人間は 「 物質的肉体 」 そのものでないことを
   知りはじめるのである。

   そして 次第に時間、空間の制約を超える存在であることを知り、
   自己の生命は暦(こよみ)の年齢によって老衰せず、如何なる外部的状態に
   よっても破壊されざる金剛不壊の存在であることを知るのである。

   涅槃経に釈尊が説いていられるように 「 月に没性(もつしょう)なく、
   月に盈欠(えいけつ)なきが如く、人間は没性なく盈欠なき存在である 」 ことを
   知るに至るのである。



   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


           <感謝合掌 平成27年3月11日 頓首再拝>

【十二日の法語・言葉(3月12日)】 (631)
日時:2015年03月12日 (木) 04時43分
名前:伝統

(1)《愛されたいのは愛している証拠》

   彼から愛されたいと思うのは既に自分が彼を愛しているからである。
   「自分は彼を愛している」と気がつく事が第一である。


・・・

(2)《幸福は内にあり》

   持ち主もなく宝物がいたるところに埋(うず)められている。
   誰もそれを掘り出さないだけだ。

   幸福になる道はただ《自分で》掘り出すことにある。



・・・

(3)《時間を大切にする日》

   【時間は心一つで長くも短くもなるもので、一定した真の存在ではない。
                          (『生命の實相』第十一巻)】


・・・

(4)《祈りは不断の生活にある》

   祈りというものは、必ずしも或る一定時間
   大声又は黙念で神に懇請する事ではない。

   病気や不幸や悩みは 常時、出来るだけ言葉に出さず、
   心に認めず、思わず、光明のみを念ぜよ。



   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13140836.html

・・・

(5)《 覆土(ふくど)を排除することによって新芽は伸びる》

   神は時間、空間を超越し、唯一の実在者であることを知るとき、
   一切の悪は非存在であるという自覚に目醒(めざ)めてくるのである。

   現象の世界を見るならば、色々の“悪の力”が存在するかのように見えるのである。

   しかし現象は“仮存在”であり、実相は“ 実在 ”であるから、実相を自覚したとき、
   現象界の“悪の力”は、その自覚者を害することはできないのである。

   それでは、神想観ばかり修して座っておれば、“現象悪”に対して
   何ら対処することなくして“現象悪”が消えてしまうかといえば、
   必ずしもそうではないのである。

   土に埋(うず)もれている種子(たね)が太陽の光熱を適当に受けるとき、
   土を排除して芽を吹き出す働きが起こるように、
   自然に“悪の力”(実相の顕現を覆うて妨礙(ぼうがい)する力)を
   排除する働きが起って来るのである。

   実相を観じていさえすれば、安保条約や軍備がなくてもよいではないか、
   憲法改正などしないでもよいではないか。ソ連からでも中共からでも、
   日本へ来たい者は自由に入国させてやればよいではないか ー などという議論は、

   「 実相の芽 」が顕われるために「覆土(ふくど)」を排除しないでもよい
   ではないかという議論に似ていて、実相の完全さと現象処理の問題とを
   混同した議論である。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


           <感謝合掌 平成27年3月12日 頓首再拝>

【十三日の法語・言葉(3月13日)】 (642)
日時:2015年03月13日 (金) 07時16分
名前:伝統

(1)《現象を見ず実相の完全を観よ》

   人間の現象の欠点を見ず、現象なしと知ってのみ
   その人間の神性を本当に愛することが出来るのである。


・・・

(2)《幸福とは心の一つの状態である》

   幸福になりたければ、まず自分が幸福になれである。

   注意すべきは、幸福とは心の一つの状態であるということである。
   金殿玉楼の中にいて、輾転(てんてん)反側して眠れない人もいれば、
   弾丸雨飛の中にいて喜びいっぱいの人もある。



・・・

(3)《軌道に乗る日》

   【人生は神の永遠の生命が五官に触れる形式に現わされたものでなければならぬ。
                             (『生命の實相』第七巻)】



・・・

(4)《朝の祈りは斯くせよ》

   朝起きた時、眠いのに面倒だとか寒いのに辛いとか思うな。
   すぐ思いを神に転ぜよ。そして

   「 神よ、わが眠りのうちにも呼吸せしめ給い、
   血液を循環せしめ給い、消化と栄養と休養とを与え給いて、
   新しき今日の生活に準備せしめ給いし事を感謝します。

   是は皆神の創り給いし霊的法則によって行われたのでございます。

   夜中 安全に守られ 祝福せられました如く、
   今日も亦 安全に吾等を祝福し給いて家業(又は営業)にいそしましめ給え。
   神様 あなたの守りに感謝致します。」

   と 祈れ。

   → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13143699.html


・・・

(5)《 何故、現象界の処置が必要であるか 》

   神のみが唯一の力であり、神は善であり、神は無敵であるから、
   神を信ずる限り、「 実相の完全さ 」を神想観で念ずる限り、

   中共が核兵器をもとうとも、神の力に敵するものはないから、
   それに対抗する日米安保態勢など不要ではないかというような議論が
   往々行われるけれども、

   それは実相と現象との区別をわすれて、
   現象界に於ける適当の処置をなおざりにするものである。

   「 実相の完全さ 」を念ずるとき、その「 完全さ 」があらわれるための
   現象的処置が自然に出来て来るのである。

   インフルエンザ・ヴィールスが侵入して身体(からだ)に熱があるときには、
   寒気(さむけ)がして、自然に温かい衣料で身体を覆いたくなるように、
   内部の「 神の力 」( 生命力 )が催して来るのである。

   中共の核兵器が近くにあるのは
   ヴィールスが皮膚面に迫って来つつあるのにも似ている。

   何かそれに対して危険を感ずるのは、カゼ引きのとき、
   悪寒(おかん)がするのに似ている。

   「 温かい衣料で覆う 」ことは充分の軍備で自国を覆うか、
   日米安保条約の外套(がいとう)で自分の身体を包むのに似ているのである。

   神は無敵であるということは、何もしないで外敵に身をさらすということではない。
   時と処と相手に応じて、神が適当な処置をとらせ給うて、
   自然的過程を通じて敵と見えたものが害をしなくなるということである。



   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


           <感謝合掌 平成27年3月13日 頓首再拝>

【十四日の法語・言葉(3月14日)】 (651)
日時:2015年03月14日 (土) 04時43分
名前:伝統

(1)《智慧は愛に先行する》

   完全なる神、その創造の完全さ、その創造されたる人間の完全さ、
   その創造されたる世界の完全さ、それを先ず信ぜよ。

   先ず汝の心のうちに「完全なる世界」と「完全なる人間」とを確立せよ。

   それは智慧の働きである。
   この場合、智慧は愛に先行する。


・・・

(2)《時節に乗ることが大切》

   現象界においては時節が事を成就する。
   時節に乗ると乗らぬとは、成敗(せいはい)の基(もとい)である。

   時節に乗る秘訣は神に一致すること。
   神に一致するには、《今ある》状態をまずありがたいと享受して、
   そこで百%を行ずること。


・・・

(3)《自然を拝む日》

   【不健康は自然の生命の流れが何かの不自然で塞がれたことである。(『百事如意』)】


・・・

(4)《顔を洗う時の祈り》

   顔を洗う時にも、神に感謝せよ。
   和解するとは感謝することである。
   先ず神に和解しなければならない。

   洗面の水を汲んでは、

   「 神よ、あなたの創造(つく)り給いし水に感謝致します。
   わが顔を洗う事は、過去に過ちて人を憤り 憎み 恨みたりし 不快な思いを
   悉(ことごと)く洗い流して、新しく悦びに満ちた生活を始める象徴として感謝します。

   水は 神の愛の現(あらわ)れであります。
   この愛に浴せしめたまいて わが生活を浄め給え。
   この水によって わが皮膚が美しく清らかに保たれます事を感謝致します。」



   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13146472.html

・・・

(5)《 実相の顕現としての幸福生活 》

   本当に永遠にくだけない不滅の幸福生活というものは、
   外面的の操作や懸引(かけひ)きや、真心のない外交手段によって得られるものでは
   ないのである。

   それは自己の生命の深層に横たわる普遍なる神(実相)から汲みだされて来て
   あらわれて来るものなのである。

   生命の深層から汲み出された神の智慧によって行われる“行為”も、
   迷いの現在意識が、とつ追いつ やり繰りをして行われる“行為”も、
   それはいずれも行為であるから、

   外見からみれば、現象にあらわれた行為として
   同じレヴェルにあるように見えるかも知れぬけれども、
   その結果に於いて著しい相違を来たすのである。

   行為は結果であり、結果は更に結果を生むが、
   その行為が、実相の発動が原因としてなされているか、
   迷いの蠢動(しゅんどう)が原因としてあらわれているかによって、

   結果に於いて幸と不幸の相違や、繁栄や衰微の相異を来すことになるのである。
   だからキリストは『 果実を見て、その樹(き)の善悪を知れ 』 と教えたのである。



   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


           <感謝合掌 平成27年3月14日 頓首再拝>

【十五日の法語・言葉(3月15日)】 (660)
日時:2015年03月15日 (日) 04時22分
名前:伝統

(1)《神がすべてなりと観ぜよ》

   毎日毎日神想観を行じ、神がすべてであり、
   神と、神の創造せられたる世界と人間との
   完全にして美しく妙なることを念想せよ。

   その時次第に(時としては忽然)その人の周囲は光明が輝きはじめ、
   健康は回復し、すべての人は自分に好意を示しはじめるのである。


・・・

(2)《あたりまえのことができるものが大賢人》

   心をしっかりと持つこと。

   上の者を尊敬すること。
   下の者をかわいがること。
   夫婦仲良くすること。

   腹を立てぬこと。
   悲しまぬこと。
   取越し苦労せぬこと。

   あたりまえのことだと馬鹿にせぬこと。
   あたりまえのことができるものが大賢人である。


・・・

(3)《待人来る日》

   【類は類を招(よ)ぶ。類でないものは反発する。
    此(この)法則で運命が形成される。   (『生命の實相』第一巻)】



・・・

(4)《》

   (昭和二十三年三月号十五日の法語を見つけることができないため、
    紹介できませんことをお許しください) 


・・・

(5)《 脚下にしっかりと実相を踏んまえて 》

   神想観中には、人を観るな。
   事件を観るな。
   外界の一切を見るな。
   現象を観るな。

   実相ばかりを観よ。
   実相を観ずることに徹底せよ。

   而して、観(かん)終りて
   現象界を見、人を見、事件を見、
   そして内部から催して来る智慧によって外界に向って行動せよ。

   問題があれば、それは自然に解決する行動がとれることになるのである。
   それが「 果実を見てその樹の善悪を知れ。その樹が善ければ必ず善き果(み)を結ぶ 」
   ということである。




   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


           <感謝合掌 平成27年3月15日 頓首再拝>

顔を剃(そ)るときにも( 『生長の家』昭和23年3月15日法語)  (665)
日時:2015年03月15日 (日) 20時31分
名前:明鏡



顔を剃る時もその剃刀(かみそり)に感謝せよ。

「 この剃刀は神の愛と智慧との表れでございます。

之によって わが容貌が美しく保たれ清々(すがすが)しい気持を

蘇生(よみがえ)らせて頂きます。

この剃刀の切れ味は、神の智慧の現れでございます。

顔に‘ふき’出物もなく美しく滑かなる皮膚は神の愛の現れでございます。」


眼を洗っては

「 この眼は 神様の光を見る眼でございます。

もっと多く神様の光を拝ませて頂く様に心の眼を開かしめ給え。

如何なる複雑なる物の奥にも 神の愛が満ちている事を見せしめ給え。」


『 生長の家 』 誌 昭和二十三年三月号

 十五日の法語  谷 口 雅 春 先 生


http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13817365.html



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伝統様へ


ブログへの法語の謹写が漏れてしまい、申し訳ございませんでした。

( お慕い掲示板の 『 顔を洗う時の祈り 』 の三つの祈りの中に含まれております。)


http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=15


                       明鏡 拝



【十六日の法語・言葉(3月16日)】 (669)
日時:2015年03月16日 (月) 06時25分
名前:伝統

”明鏡 さま” いつもありがとうございます。

この度は、フォローをしていただき心より感謝申し上げます。

心の底では、”明鏡 さま”が閲覧しておられれば、との期待感がありましたので、
この度のフォローには、小生の小さな心が喜びで爆発しております。


(感謝満杯、光縦横溢・・・)



・・・

【十六日の法語・言葉(3月16日)】

(1)《愛は繁昌の基(もとい)である》

   愛はすべての繁昌の基である。
   愛は人をひきつける磁力である。
   愛のある店には人がひきつけられる。

   愛によって育てられる子供は健康の育つ、けれども愛とは執着することではない。
   愛は相手の神性を拝むのである。

   愛は相手を弱き者としていたわることではないのである。
   相手を完全なものとして、其のまま放つのである。


・・・

(2)《幸福は無我の中にある》

   幸福は無我の中にある。従うことの中にある。

   幸福が我欲の中や、強情我漫の中にあると思っている間は、
   その人の心に悪魔が忍び込んでいるのである。

   無いものを「有る」と主張する嘘つきが悪魔である。


・・・

(3)《「寂(さ)び」を知る日》

   【教育とは本人の内に宿る天分を引き出すことである。(『生命の實相』第七巻)】


・・・

(4)《食事の時の祈り》

   食事の時の祈り方は 『 生命の實相 』 地の巻の巻頭にある。
   併し必ずしも一字一句あの通り祈らなければならぬと云うのではない。

   起床でも、洗面でも、髭剃りでも、食事でも、
   それを機会に神様の徳を讚え、神様に感謝する念を起すが好いのである。

   「 宇宙の大気と光線と土壌とから、
   この美しく美味なる食物をつくり出し給いし
   神の不思議な力に感謝致します。

   種子、太陽、土壌、雨、農人、悉く神の愛の現れでございます。
   神とこの食事を造りたまいし人々に感謝致します。」


   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13158902.html


・・・

(5)《 悪しき存在はすべて迷いの影である 》

   何故、他の人の悪を見て、それを咎めようとするのであるか。
   それは、あなたが生長の家で説いている真理を、その時ド忘れしているからである。

   此の世界は、善なる神の創造せる世界であり、
   神のみが唯(ただ)一(ひと)つの存在の根源であり、
   人間は、善なる “ 神の子 ” であるから、
   悪なる存在もなければ、悪なる人間もないのである。

   私たちは 「 悪なる存在 」 と戦う必要もなければ、
   「 悪なる人間 」 を咎める必要もないのである。

   「 悪 」 に見えるもの、又は人が、あらわれて見えるならば、
   神想観によって、その 「 悪しき存在 」 又は 「 悪しき人 」 は
   五官意識の迷いの産物であるとしてそれを否定し、
   善なる実相のみ実在であることを強く強く観ずるがよい。

   しかして神想観 終って、自然に内より催す如く “ 行動する ” がよいのである。
   これが 「 先ず神の国と神の義を求めよ。その余のものは汝らに加えらるべし 」
    である。

   行動は結果として生ずる 「 その余のもの 」 である。

   そしてその行動は、その時、処、相手に従って千差万別であって
   第三者から見て批判すべきものではないのである。




   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


           <感謝合掌 平成27年3月16日 頓首再拝>

【十七日の法語・言葉(3月17日)】 (678)
日時:2015年03月17日 (火) 03時33分
名前:伝統

(1)《人間は無限力》

   人間は無限力であるから疲れることはないのである。
   こう信じておれば疲労は少なくて済む。

   人間は物質面から見れば有限であるから、
   その有限面に無限力の内容から精力が補給される間中、
   一時働く力が減退したように現われる事もあるが、それは一時的である。

 
・・・

(2)《他を喜ばす心がけ》

   皆様を喜ばす心がけが中心となる。技巧に走れば虚飾になる。



・・・

(3)《人(ひと)相応(そうおう)を知る日》

   【教育とは引き出すこと。(『生命の實相』第七巻)】


・・・

(4)《凡ゆる機会に祈ること》

   出勤の時、電車に乗っても 其の電車に感謝するのである。
   かくの如く凡ゆる機会を 神に対する感謝の機会とするのである。
   かくて、その人の生活全体が 「 祈り 」 となり 「 念仏申す心 」 となるのである。

   「 この電車は 神の愛と、智慧と、吾々を生かしたまう力との表現(あらわれ)で
   ございます。神の法則がこの電流の中に行われ、それによって電車が動いているのです。
   私がこの電車に乗ることによって、私は神の智慧と愛と生命とに直接接触しているのです。
   この電車を動かす偉大なる力は私の中にも流れているのです。」



   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13161387.html


・・・

(5)《馬を“宝の車”の後ろにつなぐ勿(なか)れ 》

   「 先ず神の国と神の義を求めよ。その余のものは汝らに加えらるべし 」 が
   正しき順序であるのである。

   多くの人たちは 「 その余のもの 」 (現象存在)を先ず求めて、
   それが沢山整うたら「神の国」ができ上がるように思っているけれども、

   「 神の国 」 がまず自覚されて現象界にあらわれて来たところの 「 地上天国 」
   でない限りは、本当にくだけない 「 幸福の世界 」 はあり得ないのである。

   或る人は肉体の健康を求め、肉体の健康が得られたら幸福になれるように思い、
   また或る人は現象の富を求め、現象の富さえ裕(ゆた)かに得たら幸福になれる
   ように思っているが、

   健康な人でも、そして裕かに富をもっている人で、
   本当に何らの不安なく、恐怖なく、摩擦のない天国的生活を送っている人が
   幾人あるだろうか?

   富も健康もそれを 「 顕われ 」 から見れば、
   「 実相 」 からあらわれた“ それ ”と
   「 迷妄 」 からあらわれたそれと区別がつかないようであるが、

   実相の投影としてあらわれたそれには
   不安も 恐怖も 争いも 魂の悩みもないのである。




   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


           <感謝合掌 平成27年3月17日 頓首再拝>

【十八日の法語・言葉(3月18日)】 (684)
日時:2015年03月18日 (水) 03時08分
名前:伝統

(1)《人間が疲れないためには》

   疲れたと思ったときには、しばらく眼を瞑(と)じ、

   「神は無限力であり、自分は神の子である。
   今神の無限力が滾々(こんこん)と流れ入って、自分は無限の精力を回復しつつある」

   と数回念ずれば、その疲労は須臾(しばらく)のうちに回復するものである。


・・・

(2)《人生を値切るなかれ!》

   人生は値切ってはなりませぬ。

   対手(あいて)を値切るものは自分自身をも値切られる。


・・・

(3)《環境も大切である。環境を選ぶ日》

   【欠点と自分と四つに組んでは欠点は直らぬ。(『生命の實相』第九巻)】


・・・

(4)《車中の群衆に祈ること》

   車中の群衆に もまれながらも祈れ。

   「 これらの群衆は皆神の子であり、吾々の兄弟である。
   その一人一人は神から与えられた尊き使命を果さんがために
   今 此の車中にいるのである。

   ある人は人類に驚くべき祥福を与えるための使命をもって行く途中である。

   神よ 此等の人々を祝福したまえ。
   此等の人々が皆 無事で幸福に目的地に達することが出来ますように。
   また この電車に故障がありませんように。

   これらの人々の家に残っている家族たちが皆な幸福で健康でありますように、
   神よ 彼らに祝福を与えたまえ。 」


   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13216454.html


・・・

(5)《 私たちは自己の運命の主人公である 》

   人間が、自己を単なる肉体的存在とみとめ、
   肉体の意識によって生活している限りに於いて、

   彼が健康であったり、病弱であったり、運が好かったり、運が悪かったりするのは、
   それは偶然のめぐり合わせであって、彼自身に責任がないかのように見えるのである。

   しかしながら、現象世界が、実は、「 生活する人 」 自身の
   “ 心の状態の顕われ ” であることを知るとき、

   その人は自分の心を支配することを通して、
   病気をはじめとして人生の諸問題を自己の欲する方向に変化する事ができるのである。

   毎日々々の吾々自身の起す想念が、将来起る吾々自身の運命の原型を
   形成しつつあるのである。

   私たちは 「 想念 」 の種子(たね)を蒔いて、それが現象としてあらわれたのを
   自己の運命として獲(と)りつつあるのである。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


           <感謝合掌 平成27年3月18日 頓首再拝>

【十九日の法語・言葉(3月19日)】 (695)
日時:2015年03月19日 (木) 04時10分
名前:伝統

(1)《生命の純粋波動を現せ》

   肉体は念波の振動が物質化して姿をあらわしたものである。
   その姿の奥に生命の純粋波動があるのである。

   生命の純粋波動の世界には病気もなければ、疲労もない。


・・・

(2)《人生を花をもって飾り、讃えましょう》

   人生を花をもって飾りましょう。
   縮かんでしまってはなりません。

   元気にその日その日を生き、元気に人生を讃(たた)えましょう。


・・・

(3)《人格完成の日》

   【教育の目的は完全なる人格の養成にある。(『生命の實相』第十三巻)】


・・・

(4)《蒔いた種子だけ生える》

   普通の人間の望むところは、健康と富と幸福感とである。

   幸福感のうちには自分の能力の生長感や、世間や家族から感謝尊敬せられたい念や、
   事業の繁栄伸展や、よい考えが浮かぶと云う事や、
   愛されている感じ、愛している感じ、創造にともなう幸福感などがある。

   それを得るにはどうしたら好いか。

   愛されたければ先ず愛することである。
   尊敬されたければ先ず他を尊敬することである。

   家族を尊敬する家長は 家族から尊敬せられ、
   工員を尊敬する工場主は 工員から尊敬せられる。

   蒔いた種子のみ生えるのである。


   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13221451.html

・・・

(5)《 自己の自覚の程度の投影としてのその人の現実生活 》

   若し人間が、本当に 「 実相 」 の完全さを自覚して、
   更に心が本当にその完全さにのみ集注することができるならば、
   病気も無くなり、悪癖、悪習慣もなくなり、貧乏もなくなり、
   一切の不調和は消えてしまうことになるのである。

   一切の不調和がまだその人の運命、境遇、環境、家庭等から消えないのは、
   その人が本当に「 実相 」の完全さを自覚していないか、
   たとい自覚していても、心が「 実相 」の完全さにのみ集注しないで
   道草を食っているからである。

   私たちは「 実相 」以外のものに、「 神の国 」以外のものに、
   心を止めて道草を食ってはならないのである。

   「 神の国 」( 実相 )以外のものに心を止めて道草をくっているものは、
   「 先ず神の国と神の義を求めよ。その余のものは汝らに加えらるべし 」 という
   訓(おし)えを守っていないことになるのである。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


           <感謝合掌 平成27年3月19日 頓首再拝>

【二十日の法語・言葉(3月20日)】 (707)
日時:2015年03月20日 (金) 04時57分
名前:伝統

(1)《神想観と感謝行》

   (神想観により)「既に完全なる状態がある」と観じ、
   常住それを感謝する念を起こすことである。


・・・

(2)《無限供給の宝はあなたの足下にある》

   小さな損得を気にする者はついに命(いのち)を磨(す)り減らす。

   無限供給の宝はあなたの足下(あしもと)に踏まれているのに気がつかない。

   どんなものでも羨(うらや)ましいとは思うな。


・・・

(3)《根気の良くなる日》

   【陰陽結ばれた所に生かす力が湧いて来る。(『生命の實相』第六巻)】


・・・

(4)《天地一切のものに感謝せよ》

   神に乞食の様に頼みこまねばならぬことはない。
   卑屈や賄賂で動かれ給う神ではないからである。

   金光教祖も云われた様に
   「 頼まないでもお蔭はやってある 」 と
   神様は仰せられる。

   吾々は皆神の子であるからである。

   吾々が祈るのは 「 既に与えられている実相の恩寵 」 に
   如何にして波長を合わすかの問題である。

   乞食の様に卑屈に頼み込むよりも、
   既に与えられている恩寵(めぐみ)に感謝する事が
   最も完全な波長を合わす道である。

   神と、神の被造物(周囲の一切のもの)に感謝せよ。

 
   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13221520.html


・・・

(5)《誰かの役に立つ事をしましょう 》

   今日、誰かに必ず役に立つ仕事をしよう。
   大いなる仕事が見つからなかったら、目の前にある瑣細(ささい)な愛行や、
   深切な言葉や、奉仕や、清掃などの仕事でもよい。

   何か誰かに悦ばれる事を必ずするがよいのである。
   
   他の人の自由や財産を侵して自分が利益を得たり、権力を得ようと思ってはならない。

   このようにあなたの日常生活を浄めることによって、
   あなたは神の霊波と波長が合うことになるのである。

   その時、「 その余のものは 汝等に加えらるべし 」 であるから、
   日常生活に必要なものは自然に整うことになるのである。



   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


           <感謝合掌 平成27年3月20日 頓首再拝>

【二十一日の法語・言葉(3月21日)】 (715)
日時:2015年03月21日 (土) 04時06分
名前:伝統

(1)《人間を物質だと思うな》

   人間を物質だと思っている
    ―― その信念の程度に随って人間は物質の法則に支配され易くなり、
   物質と同様に疲労と老衰と病気とに曝(さら)されるのである。

   物質は大生命より発した波動のうちで最も粗雑低級な波動であるから、
   霊の無限、無消耗性をあらわすことは出来ないのである。


・・・

(2)《寛容は大なる美徳》

   すべての人間はその本質は神の子であり、
   すべての人間の表現は、時間空間の立場に従ってことごとく異なる。

   一つの立場を測る尺度で他の人間を測って批評してはならない。

   正しさは美徳であるが、寛容はより大なる美徳である。
   寛容を失うとき正しさは悪に変わる。



・・・

(3)《実相展(ひら)いて現象整う日》

   【心が交わらないなら、肉体が交じり合って何の夫婦のまじわりでありましょうぞ。
                           (『生命の實相』第二十巻)】


・・・

(4)《仕事中には斯く祈れ》

   仕事をしている時には 机に、机の上の帳簿に、ペンに、カードに、インキに感謝せよ。
   インキやメモや雑用紙をもって来てくれる給仕や下役に感謝せよ。
   勿論上役にも感謝せよ。

   仕事の合い間、合い間に
   「 この仕事は、私と私の家族とを祝福する為の祈りである。
   この仕事を与え給いし事を感謝致します 」 と念ぜよ。

   感謝と幸福感との中で行われる仕事は
   能率も上り、品質も精巧であり、疲労も少ない。

   上役に感謝すれば、念は通ずるから其の人は間もなく上役から認められる。


   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13221566.html


・・・

(5)《 あなたの生活を天国生活にするには》

   小我(しょうが)に仕えるか、大我(たいが)に仕えるかだ。
   肉体の欲望や権勢欲や名誉欲に仕えるか、
   それとも唯、神に“のみ”仕えるかである。

   それによって、その人の生活が地獄にもなり、極楽にもなるのである。

   財産もあり名誉もあり国家の権力者になっている人たちが、内心に顧(かえり)みて、
   本当に私の魂は平安である、私は神に悦ばれる生活をしている、魂の底から
   「お前はよくやった」という讃辞をきくことが出来るという人が幾人あるであろうか。

   彼らの大多数は、魂の不安、地位からの顛落(てんらく)の恐怖に悩まされ、
   心に敵を描いて常に闘争の精神にみたされて、心は修羅(しゅら)の如くであるのである。

   もっと人間は神に悦ばれる者と“先ず”ならなければならないのである。

   それが「先ず神の国と神の義を求めよ。その余のものは汝らに加えらるべし」
   であるのである。



   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


           <感謝合掌 平成27年3月21日 頓首再拝>

【二十二日の法語・言葉(3月22日)】 (726)
日時:2015年03月22日 (日) 03時36分
名前:伝統

(1)《わが内に宿る神》

   『マタイ伝』第六章六には、『なんじ祈るとき、己(おの)が部屋にいり、
   戸を閉じて、隠れたるに在(いま)す汝の父に祈れ』
   とイエスが教えている。

   『己が部屋にいる』とは自分の心の中に深く沈潜することである。
   すると自分の内に『隠れたるに在す汝の父』がい給うのである。

   わが内よりこそ無限の生命も無限の供給も得られるのである。


・・・

(2)《憎み、悪口は、殺人に等しい》

   人を心で憎むことと、人の悪口(わるぐち)を言うこととは、
   短刀をもってその人を刺し貫くに等しい。

   善人だという人の中に、そういう人が多いというのは驚くべきことである。
   善人よ、みずから省みよ。


・・・

(3)《注意ぶかき日》

   【殺す者は死に、生かす者は生きる。(『生命の實相』第六巻)】


・・・

(4)《感謝は周囲を光明化す》

   斯くして一切のものに対する感謝が実践せられるとき、
   周囲が、環境が、仕事が、断然今までとは別様の姿を呈するのである。

   今までは不快の念が、一切の周囲の事物と人とを塗りつぶしていたから、
   一切が暗黒に自分に好意を有(も)たぬものに見えたが、

   今度は、一切の周囲の事物と人とを感謝の念で塗りつぶすのであるから、
   一切の周囲の事物と人々とは光明に輝いて見えるのである。

   感謝の波長が実相の完全な姿と波長をあわす祈りとなったために、
   そこに実現するのは実相の光明 輝く姿のみとなるのである。


   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13224919.html


・・・

(5)《祈りの方法及び意義について 》

   神は無限の善であり、無限に完全なる智慧であり、無限に完全なる生命であり、
   無限に完全なる供給であり、無限に完全なる調和であり、
   一切処(いっさいしょ)に充ち満ちていられる遍在者であるならば、
   その神は“ 各人の内 ”にも遍在してい給うことは明らかであるのである。

   神の恵みは遍在して既に“ 各人の内に ”あるのに、
   殊更(ことさら)に祈り求めなければならないというのは何故であろうか?

   神の恵みは譬(たと)えばラジオの放送電波のように、
   何処にも、空間いたるところに充ちているのである。

   しかし放送はあり、電波は自分の体の中までも達しているのに、
   それでもそれを受信し得ない人があるのは何故だろうか。


   自分のラジオ・セットを放送電波に波長を合わせないからである。
   それと同じく、神は既にあらゆる恵みを遍在的に放送していられるのに
   私たちが霊的に波長を合わさないときは、それを受信することができないのである。

   祈りは、自分の心のひびきを調律して神に波長を合わせる方法であり、
   神に懇請(こんせい)、懇願(こんがん)して、神を説得する方法ではないのである。

   だから 既に与えられている恵みに感謝の念を起す神想観が最も正しい祈りである。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


           <感謝合掌 平成27年3月22日 頓首再拝>

【二十三日の法語・言葉(3月23日)】 (733)
日時:2015年03月23日 (月) 04時44分
名前:伝統

(1)《人の罪をゆるせ》

   人の過失(あやまち)を見る心(過失<あやまち>は本来無であるから)
   そのものの實相の隠蔽(包み ―― 罪)であるから、人の過失(あやまち)を見ず、
   その奥に輝く彼の神性を観るとき罪がなくなるのである。


・・・

(2)《本当の希望を見出す》

   人生において最も恐るべき敵は恐怖であり、
   人生の中で最も助けとなる味方は希望である。

   しかしいっさいの浮世の希望が打ちくだかれた時に、
   人間は本当の希望を見出すのである。


・・・

(3)《人に深切をする日》

   【世話をする人も世話される人も皆一つの神から出ている。(『生命の實相』第八巻)】


・・・

(4)《人を呪わば穴二つ》

   すべての正直な仕事、人類のためになる仕事は、
   それが感謝の念をもって行われるときそれは尊き祈りであり、
   その祈りによって彼自身の運命も祝福せられるのである。

   自己のみに利益が得られ、それによって他の者が損害を受けるような仕事は、
   一時その人の運命がよくなるように見えても、結局はその人自身の運命を
   目に見えぬ世界から毀して行きつつあるようなものである。



   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13227795.html

・・・

(5)《天国を地上にあらわすためにあなたの心を調律しましょう 》

   テレビの把子(つまみ)をひねって放送局の波長に合わすと、
   放送中の番組が具体的に肉眼に見えるようにあらわれて来るのである。

   それと同じく神様の霊波(心の波長)に人間の心の波長を合わすと、
   神様の世界(実相世界)に実在する状態が肉眼に見えるように
   自分の周囲にあらわれて来る。即ち地上に天国が実現するのである。

   これは神様に「天国を地上にあらわしめ給え」といくら懇願しても懇請しても、
   自分の心が争いの念に充ち満ちていては天国が地上にあらわれて来ないのである。

   テレビのチャンネルを間違ったところへやりながら、
   NHKのテレビ番組をこのテレビ・セットにあらわし給えといくら祈っても、
   その番組が出て来ないのと同じである。

   「 祈り 」というものは 懇請や“泣き付き”ではなく、
   自分の心を調和した状態にすることである。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


           <感謝合掌 平成27年3月23日 頓首再拝>

【二十四日の法語・言葉(3月24日)】 (746)
日時:2015年03月24日 (火) 04時27分
名前:伝統

(1)《神の愛の霊波を受けるには》

   神が吾々に働きたまうのは自己「内在の神」の波長を通してである。
   だから人を愛したまう神の念波は、
   人間が「愛」の念波を起こしたときのみに受け得るのである。

   汝ら互いに相愛せよ。


・・・

(2)《わたしは道であり、花びらであり、太陽であり、宝庫である》

   わたしの行くところに道がひらかれる。
   わたしは道である。

   わたしの行くところに花びらが撒かれる。
   わたしは花びらである。

   わたしの行くところに太陽が照り輝く、わたしは太陽である。

   わたしの行くところに必ず宝庫が開かれる。
   わたしは宝庫である。



・・・

(3)《小事大切の日》

   【目前の小事をゆるがせにしてはならぬ。(『生命の實相』第十一巻)】


・・・

(4)《感謝は休息の本質である》

   感謝のない休息は、本当の休息とはならない。
   感謝のない安眠は、本当の安眠とはならないものである。

   時々刻々の感謝は、時々刻々の休息となる。
   休憩したら「ありがとうございます」と感謝すること。

   安眠の直前に神に感謝し、会社、官庁又は家族の各員に感謝し、

   「 有りがとうございます 」 と心の中で念じつつ、
   その 「 有りがとうございます 」 の言葉が

   呼吸と共に全身に爪先まで満つる様な気持で就寝すれば、
   その眠りは安らかであり、

   病気があっても速やかに癒えるのである。


   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13230320.html


・・・

(5)《 神が唯一の創造者である》

   生物学が進歩し、人体の生理活動の機構が分析され、研究され、
   いかに肉体の機構が組み立てられていて、それが作動するかが明瞭となり、

   肉体の成分が精密に分析されて、いかなる栄養素が如何に組み合わされているかが
   明らかになったとしても、なお 其処(そこ)には 科学ではどうしても
   説明できない或る点に達するのである。

   誰がそのように精巧なる人体機構を案出し、
   どの成分をどのように排列(はいれつ)することによって
   「人間」という驚くべき装置(比喩的に謂う)を発明したのであるかということである。

   その「誰が」を見た人はないのである。その発明者を見たことはないのである。

   人体だけではなく、一木(もく)の植物を考えてみても、そ
   の最初の発生のもとになった「種子(たね)」は
   誰が考案したのであるか。誰が発明したのであるか。

   その発明者が「 神 」 であるのであり、 「 神 」 が、それを考案したのである。
   「 考案する 」 とは霊の世界に於いて 「 想念を用いる 」 ということである。

   万物は霊の世界に於いて神の想念によって創造され、
   それが時間空間の「認識の形式」を通して現象界に転現して、
   吾々はそれを見ているのである。



   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


           <感謝合掌 平成27年3月24日 頓首再拝>

【二十五日の法語・言葉(3月25日)】 (755)
日時:2015年03月25日 (水) 04時49分
名前:伝統


(1)《徒らに祈りを反復するな》

   イエスは『祈るとき、徒(いたず)らに言(ことば)を反覆すな。
   彼らは言多きによりて聴かれんと思うなり』と教えている。

   言葉多く執濃(しつこ)くからみつくように懇請するから
   神がききたもうと思うのは間違いである。

   念佛三萬遍でも好いし、臨終の一念佛でも好い。

   思念の言葉を反覆するのは、自分の心の波長を調整する為である。


・・・

(2)《幸福の秘訣》

   胸を広くして待っていること。

   ここに幸福の秘訣がある。


・・・

(3)《断じて心を動揺させぬ日》

   【人が如何なる罪を犯そうとも、わが怒ることはそれにも優(まさ)る悪徳である。
                             (『生命の實相』第四巻)】


・・・

(4)《先ず神の国を求めよ》

   「 神と富とに兼ねつかうること能わず 」 と云う聖書の言葉を誤解して、
   富めば神様にきらわれるように思い、

   「 富める者の神の国に入ることの難きこと駱駝の針の孔を通るが如し 」 と云う言葉を
   貧乏にならねば神の国に入れぬと解釈して、
   いつも貧乏の生活を青年時代にしていたのは私であった。

   今は神の国に入れば無限の豊富さが
   自然に備わっていることを知るようになったのである。

   「 富 」 を神の国の外に求めるから、 「 神と富とに兼ね仕えること 」 になるのだが、
   先ず「 神の国を求めよ、富は自ずから汝に随い来るのである。」


   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13233937.html


・・・

(5)《 如何にして現象界に不調和があらわれるか》

   「 霊の世界 」に於ける「 神の想念 」による創造は、
   純粋無雑に、ただ神によって創造せられているが故に、
   それは至美(しび)至善(しぜん)妙楽(みょうらく)完全円満の世界である。

   その完全の世界が「実相世界」である。

   イエスが「 御心(みこころ)の天に成るが如く地にもならせ給え 」と祈ったときの
   「 既に天に成る完全世界 」(神の国)である。

   しかし、それは「天国」であり、「霊の世界」であるがゆえに、肉眼には見えないので、
   恰(あたか)もテレビ装置に於いて肉眼に視(み)えない放送電波を
   ブラウン管という「認識のための形式」の面に於いて、肉眼に視える形にあらわすのと
   同じように、

   私たちの生命は時間空間という「 認識の形式 」を“ 心でつくって ”、
   その形式面上に具象化して見るのである。

   そのような「 認識の形式 」を通して見る其(そ)の途上に於いて、
   あらわれる形に歪(ゆが)みがでて来たのが、色々の現象界にあらわれる
   擾乱(じょうらん)であり、混乱であり、病気であり、災害である。

   それは恰もテレビに故障を生ずると、画像が歪んで崩れてくるのと同じである。

   心でつくった「認識の形式」であるから、その画像(現象界の出来事)の歪みを
   直すには、心を直して、神からの放送電波に波長を合わすほかはないのである。

   受像のチャンネルを直さないで歪んだ画像を正しくしようと、
   いくらテレビ・セットに祈ってみても、何の効果もないのである。



   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121

           <感謝合掌 平成27年3月25日 頓首再拝>

【二十六日の法語・言葉(3月26日)】 (768)
日時:2015年03月26日 (木) 03時17分
名前:伝統

(1)《神と波長を合わすには》

   「神の国は汝の内にあり」とイエスの言った如く、
   わが祈りの密室は《自己の内》にあるのである。
   この至聖所(しせいしょ)に吾々が入るならば、
   どれだけでも無尽蔵の豊富な生命、智慧、愛の供給があるのである。

   先ず神を愛することである。
   隣人を愛することである。


・・・

(2)《恐れず、行動せよ!》

   まず恐れないで虎穴(こけつ)に降りて行かなければならない。
   恐ろしいものは何も出て来ない。

   もし恐ろしい者に出くわしたら、
   それはただ仮面を被っているだけだから恐れるにはおよばない。
   まずそいつと取っ組んで征服し、その仮面を剥いでやるのだ。

   すると本当はそのお化けの正体は「幸福」というものであったことがわかるであろう。


・・・

(3)《感謝生活の日》

   【憤怒、憎悪、恐怖、罵詈(ばり)―― 其の他すべての悪徳は自分を傷つける。
                            (『生命の實相』第十一巻)】


・・・

(4)《富とは一切の豊富さである》
  
   人間が貧しいのは、何処か心の持ち方が間違っているからだ。

   富が決して悪いのではない。
   富が若し悪いものならば、
   無限の富者である神は、無限の悪の所有者だと云わなければならない。

   然るに本当は、全ての豊富と云うことは美徳であり、
   素寒貧である事は悪徳又は劣徳であるのである。

   富とは必ずしも金の事ではない。
   金があっても富んでいない人が沢山ある。

   富とは、よき考え、よき家族、よき師、よき弟子、よき雑誌、
   よき性質、よき能力、それを表現する機関・・・等々。


   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13237011.html


・・・

(5)《 神の智慧のままに生活する者は幸いなるかな》

   率直な心で神の智慧を受ければ、
   自然に何時(いつ)、如何になすべきかが示されるのである。

   イエスは「 空の鳥を見よ、播(ま)かず、刈(か)らず、倉に収めず、
   然るに 天の父はこれを養いたまう 」といっている。

   彼らは自然な心をもっているから、自然に「 内部の啓示 」を受けて、
   その時その場に適当な処置をとり得るという意味であって、
   小鳥は懶(なま)けているという意味ではないのである。

   渡り鳥のうちには 南米から北米へと驚くべき長距離を季節にしたがって
   移動する智慧をもっているのがあるという。

   或る海亀は 干潮(かんちょう)の夜 海浜(かいひん)の砂の中に産卵に来て、
   それから一定の日数を経ると、それが孵化(ふか)して海に帰る恰度(ちょうど)
   その日に大潮が満ちて来て、孵化した亀の幼児を海に搬んでくれるように、

   その海亀は天文学も気象学も学んだこともないのに、
   潮の満干(みちひ)の周期を知っているのである。

   蝶はその卵が孵化して幼虫になった時に食物となる樹(き)を選んで産卵する。

   驚くべき智慧が宇宙には満ちており、季節と自分、海水と自分、鉱物と自分、
   植物と自分の間にも相互関係があり、互いに相手の動きを知る智慧があるのである。

   これによっても宇宙の万物ことごとく
   「 一つの智慧 」によって支配されていることが分かるのである。

   その「一つの智慧」が「神」である。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


           <感謝合掌 平成27年3月26日 頓首再拝>

【二十七日の法語・言葉(3月27日)】 (777)
日時:2015年03月27日 (金) 04時42分
名前:伝統

(1)《心の眼をひらいて実相を見よ》

   心の眼をもって自己内部の実相円満なることを照らし出(い)だせば
   全身は明るくなり、健康となるのである。

   全身が健康になるばかりでなく環境・境遇が調和し、
   豊かなる供給が集まり来るのである。


・・・

(2)《真理とともに立つ》

   ひとがなんとおん身を批評しようとも、
   おん身は毅然として真理とともに立たねばならぬ。

   おん身は真理がいっさいのよろこびの源泉であることを知らねばならぬ。

   一等悪いことは眼先の他の批評に捉えられて、
   真理の永遠の評価の前で無価値になってしまうことである。


・・・

(3)《生長の喜びの日》

   【与える時はただ与える喜びの為に与えよ。自分は与える程生長する。
                           (『生命の實相』第四巻)】


・・・

(4)《金を愛するな》

   富を愛することが悪いのではなく、金‘のみ’を愛することが悪いのである。
   金で‘もの’云わそうと云う根性が悪いのである。

   金はある程度まで人間の欲する物を与える。
   そのために人は、人間の欲するものの代表として
   「 金 」 そのものを愛する様になり勝ちである。

   併し金で買えないものがある。
   人間の愛であり誠である。

   人間の愛と誠とは、こちらが愛と誠とをもってしなければ購うことは出来ない。
   貨幣でツラをはろうと思っても、本当の愛と誠のある人は金では自由にはならない。


   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13239072.html


・・・

(5)《 我みずからにては何事をも成し得ず 》

   イエスは「 我みずからにては何事をも為し得ず、天の父われに在して
   御業(みわざ)をなさしめ給うなり 」 と訓(おし)えている。

   諸君は、自分が生まれて来ようと努力して、母親の胎内でその栄養分を自分で整理し
   排列して自分の人体を造ったのではないのである。

   「 われみずからにては何事をも為し得ず、天の父われにいまして、
   この人体を造り給うたのである。」

   それならば、私たちが母親の胎内から出て来てからも
   「 われみずからにては何事をも為し得ず」であって、

   自分の力では胃液を製造することも、各種のホルモンを製造することも、
   そのホルモンの精妙なバランスを得させることもできないし、自分の力では
   腎臓で不浄物を択(よ)り分けて排泄(はいせつ)することもできないのである。

   これらの働きは悉く神授のものであるのである。

   この真理が理解できるならば、私たちが病に罹(かか)ったとき、
   自己の内に宿っているこの無限の智慧の御(おん)はたらきに全托して

   「 神よ、み心の如くならしめ給え 」と、人間的心配を棄て去ったとき、
   神癒の力がこんこんと内部より湧き出でて速やかに癒される理由が
   わかると思うのである。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


           <感謝合掌 平成27年3月27日 頓首再拝>

【二十八日の法語・言葉(3月28日)】 (788)
日時:2015年03月28日 (土) 04時26分
名前:伝統

(1)《内在の神性に委せ切れ》

   イエスは凡ゆるものを、自己の健康も、供給も、ただ神に全面的にまかせ切ったとき
   完全になると云うことを説いたのである。

   内在の神にまかせ切るとき、労せず、思い煩わずして自然の導きが、
   「内」と「外」とから起るのである。

   この「導き」に従うとき、自然に健康はよくなり、運命は好転する。


・・・

(2)《心配事など取るに足らぬ》

   人間が心配していることは、すべて小さな重要でないことについてである。
   真に重要なことの前には人間はかえって大胆に勇敢になるものである。

   心配していることそのことが、おん身の考えている事柄が
   じつに小さな採るに足らぬことであることの証拠である。


・・・

(3)《無我従順の日》

   【その日その日が宗教生活である。自己を生かす事が宗教生活である。
                         (『生命の實相』第十一巻)】


・・・

(4)《金を儲ける秘訣》

   金を儲けるのも、金は本来物質ではなく、
   神の生命と愛との表現が、人間の経済制度を通して
   かくの如き姿に現れたものであるから、

   「 金々々 」 とそれを求めても、大いに得る事は出来ない。

   グレン・クラーク教授は、ある人が神様に 「 金を与え 」 と祈ったら、

   愛深き神様は直に天の使いに命じて、
   神様の世界に在りと凡ゆる倉庫を調べさせて
   若し金があれば其の人に与える様に命じたけれども、

   結局そのような金と云うものは神様の世界にはなかったと
   譬喩を以って書いている。


   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13243154.html


・・・

(5)《 自己に宿り給う神を悦ばすこと 》

   人間は土を耕(たが)やし植物に肥料を与え水を灌(そそ)ぐ。

   けれども、植物が本当に生する力は植物の内部にある「 生命力 」であって、
   「 生命力 」がなくなってしまった植物にどんな肥料をやっても、
   水をかけても生長しないのである。

   その「 生命力 」が「 神 」であるのである。

   自己の内部に生命力をいつまでも若々しく元気に保存して置こうと思ったならば、
   自分の体から「生命力」即ち「神」が去ってしまわないようにしなければならない。

   そのためには私たちは日常生活に、
   その「 神 」を悦ばすような愛行と善行とをしなければならないのである。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


           <感謝合掌 平成27年3月28日 頓首再拝>

【二十九日の法語・言葉(3月29日)】 (796)
日時:2015年03月29日 (日) 04時44分
名前:伝統

(1)《平和なる眠りを得るには》

   吾々は原因結果の法則の世界に生きているのである。
   その原因は他から来るのではなく、自分から来るのである。

   愛は愛を呼び、憎みは憎みを呼ぶ。
   奪うものは奪われ、殺す者は殺される。

   眠るときに愛念を起して眠れ、感謝の念を起して眠れ、明日の事を神にまかせて眠れ。
   決して争いや、心配の心で眠るな。


・・・

(2)《クヨクヨ思い煩うなかれ、未来の光明を持て》

   過去の傷害についてクヨクヨ思い煩う者は生命を摩り減らす。
   クヨクヨ思い煩う暇があるならば、未来の光明について希望と空想をもつべきである。

   希望は実現の母。
   心に描いて待つものは必ず成就する。


・・・

(3)《自己を自覚する日》

   【今幸福でない者は笑いの分量が足りなくないか顧みよ。(『生命の實相』第八巻)】


・・・

(4)《富の本源は 愛と智慧とサービス》

   金と云うものは神様の世界にはないのであるから、
   金を与えたまえと神様に祈っても与えられない。

   吾々は 愛を 智慧を サービスを 与えたまえと祈って、
   自分が又 愛を 智慧を 奉仕を 世間に対して与えるとき、

   それが神の世界のそれと波長が合うから、
   神の 愛が 智慧が サービスが吾々の 愛と 奉仕に 触れて富として実現する。

   恰も太陽からの放射線が地球の圏内に入って
   光となり熱となって現れるようにである。

   地球の雰囲気がなかったら太陽の放射線も光熱とはならぬ。

   神の愛も人間の愛がなかったら富とはならぬ。



   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13244831.html


・・・

(5)《 一切万事、神より来る、唯感謝あるのみ 》

   「 神 」即ち「 生命力 」が去ったならば、
   一瞬間もあなたは立っていられないのである。
   その美しい肉体は筋肉美も皮膚の美も悉く失われてしまうのである。

   あなたが均斉(きんせい)のとれた美しい肉体、
   つやつやした美しい皮膚をしているのは
   「 神 」があなたの中に内在しているからである。

   食物(たべもの)が胃袋の中で消化されるのでも、胃袋が食物を消化するのではなく、
   神が消化したまうのである。

   私達は毎日、神によって護られ、導かれ、生かされて来たのに、
   “ 自分が ”生きているかの如く錯覚して神に感謝する事を忘れ過ぎていたのである。

   道を歩むとき、空気を吸うとき、食事のとき、仕事をするとき、何事でも気がついた時、
   神の恩恵のあまりにも裕(ゆた)かであることを想い起して感謝せよ。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121

           <感謝合掌 平成27年3月29日 頓首再拝>

【三十日の法語・言葉(3月30日)】 (805)
日時:2015年03月30日 (月) 04時39分
名前:伝統


(1)《愛の展開が天国である》

   吾々は原因結果の法則の中に生活しているのであるから、
   その法則から免(まぬが)れることは出来ないのである。

   「生長の家」の誌友名簿に登録されていても、
   愛を行じない者は天国へ行く改札口を通されないのである。

   愛とは単に天国へ行く通行券であるばかりでなく、愛の展開が天国なのである。


・・・

(2)《大地のごとく何物をも排斥しない心になれ!》

   大地はいっさいの不浄を浄化する。
   いっさいの汚物を大地の中に委ねるならば大地はその一つをも排斥しないで、
   それを肥料とし養分として効用に替えてしまうのである。

   大地のごとく何物をも排斥しない心になれ。
   すべてはなんじのうちにおいて育つであろう。


・・・

(3)《積極進展の日》

   【幼き心に少しでも歪んだ姿を、不快な姿を印象させるな。(『生命の實相』第七巻)】


・・・

(4)《致富の秘訣は二つの真理にある》

   ラッセル・H・コンウェルの「 致富講演 」 によると致富の原理は大体次の二つである。

   第一は 最大多数の人類に広く要求せられるものを与える事。
   第二は、資本や門閥やそのほかどんな力をも借りずして、
   自分で新しく其の仕事を出発せしむることである。

   先ず新しい考案が必要である。
   その新しい考案が人類的要求に応ずる事が必要なのである。

   日本でも 「 亀の子たわし 」 一つ考案して数百万円を贏(か)ち得た人もあるし、
   ビール糟(かす)をビタミン剤として数千万円を贏ち得た人もある。


   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13248280.html

・・・

(5)《すべての人種は悉く 「 神の兄弟 」 である 》

   自己の内に宿り給う神、それがあなたの生命である。
   あなたの生命は神なる大生命より来る。神は無限の叡智をもちたまい、
   必要に応じて必要なるものを準備したまう。

   赤道直下や亜熱帯地方に生まれた人種には、その強力な紫外線を防ぐために、
   皮膚に黒い暗幕をつくって紫外線の害を防いでいられるのである。これが黒人種である。

   緯度の高い、太陽光線の乏しい地域に生まれたる人種は、太陽光線が体内に吸収せられ
   やすいように皮膚を殆(ほとん)ど透明にして色素の乏しい幕を張ってあるが故に、
   これを白人人種と称し、血管が皮膚を透かして見えるが故に、概ね淡紅色(たんこう
   しょく)の顔貌(がんぼう)をしているのである。

   私たち黄色人種は 赤道直下ほどには日光は強くないし、さりとてヨーロッパの大部分の
   地域ほどには、日光の乏しい地域でもないので、適当に淡彩をほどこした皮膚の幕を
   もって全身を覆っているのである。

   皮膚の色が異るとて、その人々に宿る「 神の生命 」は本来「 一つの神 」であるから
   互いに兄弟姉妹なのである。皮膚の色に拘(かかわ)らず兄弟姉妹互いに愛し合うべし。



   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


           <感謝合掌 平成27年3月30日 頓首再拝>

【三十一日の法語・言葉(3月31日)】 (816)
日時:2015年03月31日 (火) 03時48分
名前:伝統

(1)《愛するとは實相を信ずること》

   「汝、情(こころ)をつくし精神をつくし魂をつくし、力をつくし神を愛せよ」
   と言っても、決して神を可哀相だと思えと云うことではない。

   愛するとは、相手がどんなに見えようとも、
   その實相の完全さを信じて敬(けい)することである。

   「自己を愛せよ」と言っても自己憐憫することではない。
   自己憐憫はむしろ悪徳であるが、
   自己の實相の円満完全さを信ずる自敬の念こそ本当の自己愛である。


・・・

(2)《人生と云う食膳に上り来る出来事をありがたく食する》

   必需物(なくてならのもの)はすべて与えられている。
   必需物(なくてならのもの)は一つの事物ではない。

   一つの事物にのみ執着する者は、自分の人生に流れ入って来る
   「神の与えた必需物(なくてならのもの)」を拒むものである。

   自分の人生に流れ入(い)ってくるいっさいの事件を喜んで受け、
   そのすべてから滋味を吸収し、去り行くコースには執着せず、

   新たに人生の食膳に上(のぼ)り来るものをまた新たに合掌して受け、
   食する者はついには人生の豊かなる肥満者となるのである。


・・・

(3)《平らかな心の日》

   【人間は死なない。悲しんでいるのは遺族ばかりであって、
    死んだ人は却(かえ)って吾々よりも生々と生活している
                        (『人間死んでも死なぬ』)】


・・・

(4)《人類の日常生活に奉仕せよ》

   「 諸君の富は諸君の頭の中にあるのであって何処かの銀行にはないのである 」 と
   テリル・マン氏は云っている。

   先ず頭によって人類に今あるよりも一層役に立つ考案を考えることである。

   戦争中でもアメリカ人は一個の万年筆や時計の竜頭(りゅうず)にさえも
   「 尚一層便利 」 と 「 美 」 と云うことを発明し考案して、
   人類の日常生活になお一層奉仕しようとしていたのである。

   パーカー51号の万年筆や、ネジを廻さないでも竜頭がスポンと
   脱けるようになっている懐中時計の如きは其の例である。


   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13252992.html


・・・

(5)《 天地万物 相互礼拝 相互感謝 の生活》

   鳥類は、季節が近づけばその羽根の装(よそお)いが豊かになり、
   厚い外套(がいとう)を着たように羽毛が密生するのである。

   夏近づけば夏服に着かえるかの如く、羽根の装いが軽くなり、
   厚い外套を脱いで、恰(あたか)も夏服に着かえるのである。

   植物にもこれが起る。

   同じ摂氏(せっし)十度でも、夏を過ぎて摂氏十度が近づけば、
   欅(けやき)の葉は黄色くなって落葉しはじめて冬の支度(したく)をするのである。

   ところが冬も終りに近づいて春が間近になると“知る”と、
   摂氏十度よりも寒い日があっても、前途の春をチャンと“予知して”
   欅は、新しい緑の若葉を出しはじめるのである。

   脳髄も神経組織もないかのように見えている植物も「知る」力をもっており、
   「知った事」に対して準備をする不思議な知性をもっているのである。

   その「 不思議な知性 」が植物に宿る「 神 」である。

   神は到る処に充ちていられる。釈尊はこの真理を直感せられた。
   そうして「 有情非情同時成道、山川草木国土悉皆成仏 」と讚歎せられたのである。

   それを簡単に説明するならば、「有情」即ち「情(こころ)有るもの」(動物等)も、
   「非情」即ち情(こころ)非(あら)ざるもの(鉱物、植物等)も
   「同時」即ち「超時の今」神の大生命(道)が現成(げんじょう)せるものである。

   そして山も川も草も木も国土も悉く皆、仏のいのちの現成せるものである。
   宇宙の一切悉く神なる大生命の顕現ならざるものはないという意味である。

   この覚(さと)りに立って生活するとき、
   一切を礼拝し、一切に感謝する相互礼拝、相互感謝の生活が始まるのである。


     ( 谷口雅春著『 無門関解釈 』参照 )


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121

           <感謝合掌 平成27年3月31日 頓首再拝>



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