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光明掲示板・伝統・第一

 

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楽観歓喜 (446)
日時:2015年02月24日 (火) 18時09分
名前:夕刻版

【うれしい、たのしいを見つける】

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年02月24日)」より

   (中村天風師の心に響く言葉より…)

   古い日本の歌に、「おもしろき事もなき世を、おもしろく住みなすものは心なりける」
   というのがあります。

   さらに西洋の哲学者オリヴァ・インデス・ホルムスの言葉に、

   「およそ楽観歓喜の観念は、神が人間の生命をより新しく甦(よみがえ)らせるために
   与えた霊液(れいえき)とも言うべきもの。

   これに反して憂愁(ゆうしゅう)、煩悶(はんもん)、恐怖、憤怒(ふんど)、悲観、
   苦労というような消極的観念こそは、命を腐らす毒錆(どくさび)のようなものである」

   というのがあります。


   つらつらとこの歌とこの言葉を照らし合わせるとき、
   そこに相通ずる人生哲学と人生科学とを発見するのであります。

   わかりやすく言えば、たのしい、おもしろい、嬉しい、という思いが心の中に生じた時ほど、
   朗(ほが)らかな生きがいを人生に感じられる、ということなんです。

   そして、それがどんなに健康にも運命にも、
   はかりしれない大きな効果を与えるかわからない、ということに思いいたるとき、
   よりいっそうの貴い価値を感じるのです。

   どんな名医や名薬といえども、たのしい、おもしろい、嬉しい、
   というものにまさる効果は絶対にないんです。

   これ、私は私の長年の経験で断言いたします。


   わかりやすく言うとね、朝おきた。

   頭が痛い。

   普段なら「やれ薬だ、医者だ」、なんて騒いでるのに、そこへ好きな人がひょっこり来た。
   そうすると頭が痛いのもなにもかも忘れて、そりゃもう夢中になって
   べらべらおしゃべりしたり、抱きついたり…。(笑)


   嬉しくて楽しいもんだから、頭が痛いのすっかり忘れて治っちゃってますよ、その間。

   これ、どんな名医や名薬にもまねできない芸当です。


   これ観念の作用です。

   あなた方が、「ああ、たのしい」「ああ、嬉しい」って思ってると、
   もう、イキイキと生き甲斐のある人生に生きていられるんですよ。

   病なんかも忘れて。

   逆に「ああ、いやだな」「ああ、つまんないな」なんて思って生きてると、
   熱はでるは頭は痛くなるわ、もうだんぜん、生き甲斐のない人生になってしまうんです。


   もうおわりでしょう。


   人生は心であり、観念であります。
   これこそが、あなた方の人生を極楽にもし、また地獄にもすることができうる、
   唯一のものなんです。


   いいですか、よくお考えください。

   「極楽だ、地獄だ」と感じているのは、あなた方の心でしょう。

   あなた方の心が地獄だと感じれば地獄になってしまうんですよ、あなた方の人生が。
   ですから何かがあれば、「ああ、たのしいな」「ああ、うれしいなあ」って
   思うようにすればいいんですよ。

        <『君に成功を贈る』日本経営合理化協会出版局>

              ・・・

毎日、そんなに面白いことや楽しいことなどそうそうあるものではない、という人は多い。

しかし、「面白いことなどめったにない、つまらないことの方が多い」と言うなら、
その通りになっていく。

なぜなら、心はその言葉に従がって、つまらないことを探すようになるからだ。


同様に、今より若い頃や学生の頃の方が断然楽しかった、
できれば昔に戻りたい、という人がいる。

今が一番楽しいと思えない人は、
日ごろ、楽しいことや面白いことを見つける習慣のなかった人だ。


どんな逆境の中でも、それを楽しんだり、面白がったりできる人はいる。

「極楽だ、地獄だ」と感じるのは自分の心。


どんなときも、「うれしい」「たのしい」「おもしろい」を見つけられる人でありたい。



・・・


幕末の歌人「橘曙覧」の歌集に、「独楽吟」があります。

橘曙覧(たちばなのあけみ)は江戸時代後期の国学者であり愛国者である歌人で、
正岡子規が激賞し知られるようになったのですが
その後、忘れられている中、クリントン大統領のエピソードでまた知られるようになりました。

1994年、今上天皇がアメリカを訪れたとき、
時のクリントン大統領は歓迎の挨拶の中で独楽吟の中の一首を紹介したそうです。

そのときの歌とは、

「たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時」

さらに続けて、大統領はこう締めくくりました。

「この歌は100年以上も前に詠まれたものでありますが、
その伝えることは時代を超えたものであります。

一日一日新たな人ともに確実に新しい花が咲き、ものごとが進歩し、
日米両国民の間の友好をはぐくむものです。(中略)
合衆国にお迎えできて誠に光栄です。ありがとうございました。」

この歌の英訳は

It is a pleasure
When, rising in the morning
I go outside and
Find that a flower has bloomed
That was no there yesterday

(「楽しみは -橘曙覧・独楽吟の世界-」新井満、講談社 2008年より)


このスレッドでは、以降は「橘曙覧」の歌集「独楽吟」を中心に、
「楽観歓喜」に関する話題を集めてまいります。

            <感謝合掌 平成27年2月24日 頓首再拝>

”独楽吟「第一首」” (457)
日時:2015年02月25日 (水) 17時42分
名前:伝統

         *「楽しみは」新井満(著)より

(1)独楽吟が提案する“幸せな生き方”

   独楽吟が提案する“幸せな生き方”とは次のような生き方と、
   著者は「独楽吟」の和歌を基にしてこう言い切っている。

   「お金や物や名声や地位や出世などに対する一切のこだわりを捨て去ること。

   日常生活の片隅に生まれては消えていくかすかな変化を見逃さず、
   1人を楽しみ、2人を楽しむこと。

   なおその上に家族があって、一家全員で楽しくなごやかに夕食をとることができるなら、
   これ以上の幸せはない」と。

(2)著者 新井 満氏とは

   作家、作詞作曲家、写真家、環境映像プロデューサー
   長野オリンピックの開閉会式イメージ監督や、
   「千の風になって」の作詞者として知られている。

(3)和歌の作者 橘 曙覧(あけみ)とは

   今から150年ほど昔、江戸末期に、現在の福井市に生きた歌人。
   1200首以上の和歌を残したが、とりわけ「独楽吟」と題された52首の連作は
   素晴らしいと言われている。

   「独楽吟52首」のいずれの和歌も「たのしみは・・」で始まり、
   「・・・するとき」で締められている。

   和歌の歴史の中でも、異色中の異色とされている

   彼は貧乏であった。それも超一流の貧乏であった。

   しかし、貧乏な日常生活のそこここに隠れている、小さな喜びや楽しみを発見しては、
   <ああ、生きていてよかった>と感動する、いわば“幸せさがしの天才”でもあった。

   その実体験レポートが「独楽吟」に結実している。

   国学者でもある橘曙覧は、正岡子規に

   「源実朝以来、歌人の名に値するものは橘曙覧ただ一人」

   とまで言わしめた歌人でもありました。

   その橘の歌集に『独楽吟(どくらくぎん)』というのがあり、
   天皇・皇后両陛下の訪米歓迎式典の際に当時のクリントン米大統領が引用したこと
   でも知られています。

   橘は、大河ドラマ「篤姫」に、勝海舟の後ろ盾として登場した福井藩主・
   松平慶永(よしなが)春嶽(しゅんがく)にも称揚され、
   「志濃夫廼舎(しのぶのや)」の雅号を賜った。

   明治維新を思想的に準備した国学者たちの群像の一人でもある。
   仕官せず、生涯清貧を貫いた。


(4)<紹介Web>

  @(中外日報)社説:心豊かに生きた橘曙覧の独楽吟
    http://www.chugainippoh.co.jp/NEWWEB/n-shasetu/08/0812/shasetu081220.html

  A福井市橘曙覧記念文学館
    http://www.fukui-rekimachi.jp/tachibana/



<独楽吟第一首>


 ”たのしみは 艸(くさ)の 莚(むしろ)敷き ひとりこころを 静めをる時 ”


(訳)粗末な家の中の敷物であるが、その上にひとり座り、まぶたをとじる、
   すると、波立っていた心がしだいにおさまってきて、平安で充実した時間が、
   ゆっくりと流れはじめる。

   ああ、そんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しい気分になるのは・・・。

            <感謝合掌 平成27年2月25日 頓首再拝>

<独楽吟第二首> (469)
日時:2015年02月26日 (木) 17時21分
名前:伝統

 ”たのしみは すびつのもとに うち倒(たふ)れ ゆすり起(お)こすも 知らで寝し時 ”

    (註)炭櫃:大型の、暖房・湯沸し用の火鉢。


(訳)冬の午後、火鉢に身を寄せ暖をとっていたらだんだん身体が
   暖かくなってきて、急に眠気がおそってきた。

   そのままごろんと横になると、

   「ほらほらあなた、かぜをひきますよ」 とかなんとか、

   妻は心配げにゆすり起こそうとするのだが、その声はみるみる遠ざかり、
   思わず深く寝入ってしまった。

   ああ、そんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しい気分になるのは・・・。


            <感謝合掌 平成27年2月26日 頓首再拝>

楽観と歓喜 (497)
日時:2015年02月28日 (土) 17時54分
名前:伝統

《心を楽観的に有(も)て》

        *『 生長の家 』誌(昭和24年3月6日)の法語より

すべて楽観的な人生観をもたない時には
人間は決して健康を長く持続することはできないのである。

多くの智能の優れた人達は病気であって、
その人が健康であったならば成し得た筈の半分の分量程も成し遂げ得ないで
この地上を去って行っているのは悲しい事である。

吾々の人生観が健康に影響するのは、

暗い悲しい人生観をもっている限り、その人の精神は 常に憂鬱であり、不快であり、腹立たしく、
常に焦々(いらいら)していなければならないのであり、
それが肉体全体の活力に相互作用を及ぼすのである。

・・・

《愛の実践は生命の歓喜》

        *『神と偕に生きる真理365章』(P308)より

神は今此処に、あなたの内に在(いま)すのである。
あなたの内に、そしてあなたの周囲に、すべての人々の内に、神は在して、
すべての人間が互いに兄弟姉妹であり、神に於いて一体であることを示し給うのである。

その一体感が“愛”であり、その一体感にもとづいて
互い互いの生命を生かすための働きを献げ合うのが愛の実践であり、
“愛行”であるのである。

愛行を為すとき、自己に宿る神の生命があらわれて生きることになるのである。
そのとき生き甲斐が感じられ、生命の歓喜が体験され、生命が歓喜して勇躍するとき、
その人は益々健康となり、若返り、病気も癒えることになるのである。

病気に罹(かか)るのは生命の燃えあがる歓喜が失われ、
内に生命が籠(こも)って暗く埋没しているからである。

            <感謝合掌 平成27年2月28日 頓首再拝>

<独楽吟第三首> (520)
日時:2015年03月02日 (月) 19時39分
名前:伝統

 ”たのしみは 珍(めづら)しき書(ふみ) 人にかり
          始め一(ひと)ひら ひろげたる時  ”



(訳)以前から読みたい読みたいと願っていたのだが、入手困難な稀覯(きこう)本である。
   しかも高価で、私のような余裕のない人間には手も出ない。

   そんな本と貸してくれる人があらわれたのだ。

   大事にかかえて帰宅し、机の上にそっと置く。長年の夢がついにかなった。

   この胸の高鳴りをなんとしよう。

   深呼吸を一つして、おもむろに最初の一頁目を開く。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しい気分になるのは・・・。


            <感謝合掌 平成27年3月2日 頓首再拝>

<独楽吟第四首> (530)
日時:2015年03月03日 (火) 18時25分
名前:伝統

            *「楽しみは」新井満(著)、講談社(刊)より


 ”たのしみは 紙(かみ)をひろげて とる筆の
          思ひの外(ほか)に 能(よ)くかけし時  ”


(訳)机の上に紙を広げ、おもむろに筆をおろし、筆を運ぶ。
   ひたすら無欲無心に筆を走らせたせいか、すばらしいものを
   書くことができた。

   われながら、思いがけないことであった。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえずうれしく幸せな気分になるのは・・・。

            <感謝合掌 平成27年3月3日 頓首再拝>

【いいことだけを覚えている】 (555)
日時:2015年03月05日 (木) 20時16分
名前:伝統

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年02月26日)」より


   (マーティン・セリグマン氏の心に響く言葉より…)

   幸せ者=能天気という見解には根拠がある。

   プラグマティズム哲学の創始者であるC・S・パースは1878年の論文で、
   「人が何かを考えるのは問題を解決するときだ」と述べている。

   つまり私たちは、何か問題が起きるまでは、考えることも気にかけることもしない。

   とくに障害がなければ、能天気に人生というハイウェイを進むだけで、
   小石につまずいて初めて考えるのだと。

   それからちょうど100年後、私の大学院の優秀な教え子であるローレン・アロイと
   リン・アブラムソンが、ある実験でパースの学説を立証した。

   一方の学生グループにはボタン操作でライトの点滅がコントロールできる状態を、
   もう一方にはボタンの操作ではコントロールできない状態を設定して、
   それぞれのメンバーに、どの程度まで点滅をコントロールできたと思うかを
   自己申告させたのである。


   気分が落ちこんでいる学生の調査結果は予想のとおりだった。
   彼らはコントロールできたかできないかの判断を正確に申告した。


   ところが、ハッピーな学生の調査結果は予想外だった。

   コントロールできたときの判断は正確だが、まったくコントロールできなかったときでも、
   35%の学生はコントロールできたと判断したのだ。

   つまり、気分が落ちこんでいる学生はハッピーな学生よりも、
   失敗の経験を冷静に記憶し学習するというわけだ。


   ハッピーな人は、良いことは実際に経験した以上に覚えているが、
   悪いことはすぐに忘れる。

   成功と失敗の評価は平等ではない。

   成功したら、それを最後まで何もかも上手に遂行し、
   失敗してもさっさとあきらめて、大したことではなかったと考える。


   ところがうつ状態の人は、成功と失敗を平等に評価し、
   良いことも悪いことも正確に覚えてしまう。

   幸せな人が能天気に見えるのはこのためだ。

           <『世界でひとつだけの幸せ』アスペクト>

              ・・・

明るく楽しい人は、軽い。
だが、暗くてつまらない人は、重い。

いつも楽しそうにしている人には、軽さがある。
だから、軽く見られてしまい、能天気にも見られる。


能天気という言葉は、通常、あまりいい意味では使われないが、
軽いからこそ行動が俊敏(しゅんびん)になる。

フットワークが軽い人は、楽天的で、前向きだ。


「ハッピーな人は、良いことは実際に経験した以上に覚えているが、悪いことはすぐに忘れる」

いつも、明るいこと、楽しいことに目を向ける人でありたい。

            <感謝合掌 平成27年3月5日 頓首再拝>

<独楽吟第五首> (567)
日時:2015年03月06日 (金) 17時29分
名前:伝統

            *「楽しみは」新井満(著)、講談社(刊)より


 ”たのしみは 百日(ももか)ひねれど 成(な)らぬ歌の
                   ふとおもしろく 出(い)できぬる時  ”


(訳)幾日も幾日も苦吟してきたが、満足のゆく歌がどうしてもできない。
   やれやれ。ところがふとした拍子に、自分でもびっくりするような
   上出来の歌ができてしまった。

   おもしろいものだねえ。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しい気分になるのは・・・。


            <感謝合掌 平成27年3月6日 頓首再拝>

<独楽吟第六首> (581)
日時:2015年03月07日 (土) 17時30分
名前:伝統

            *「楽しみは」新井満(著)、講談社(刊)より


 ”たのしみは 妻子(めこ)むつまじく うちつどひ
               頭(かしら)ならべて 物(もの)をくふ時 ”



(訳)「いただきまあす!」妻子たちが一人も欠けることなく、
   一家全員が寄り集まり、仲よく頭を並べて箸をとり、食事
   が始まる。話がはずむ、笑いがこぼれる。

   うれしいねえ、ありがたいねえ、質素な夕餉(ゆうげ)で
   はあるが、一家団欒の風景である。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しく幸せな気分になるのは・・・。

・・・

<参考Web:本流宣言掲示板「「心を込めて『いただきます』」
      → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=111 >


            <感謝合掌 平成27年3月7日 頓首再拝>

【楽天的な人】 (597)
日時:2015年03月08日 (日) 19時08分
名前:伝統

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年09月21日)」より

   (島地勝彦氏の心に響く言葉より… )

   「本物の楽天主義が本物の幸運を運んでくる」

   人によっては、すべてのことを最悪に考えるタイプがいる。
   そういう考え方をすると、どんどん気持ちが暗くなり、
   物事が悲観的なベクトルに動いていく。

   どんなトラブルに巻き込まれようと楽天的に考えると、
   向こうに明るい光が見えてくる。


   中学校を2回も退学させられた今東光僧正は、悲劇のどん底に落とされても、
   「失望するなかれ」と奈落(ならく)の底から這い上がった。

   類(たぐ)い稀(まれ)な明るさと岩をも砕く情熱と、
   ときに自分をも笑い飛ばせるユーモアのセンスで、
   79年間の生涯を見事に明るく生き抜いた。

   亡くなる直前、わたしがいただいた書には
   「遊戯三昧(ゆげざんまい)」と書いてあった。

   遊びのなかにこそ真実があるという意味である。


   明るい性格の人は幸運をまわりにまき散らす。


   長距離ランナーの英雄ザトペックは軍靴を履いて女房を背負って森の中を走って鍛えた。
   “人間機関車”はオリンピックのマラソンで見事金メダルを勝ち取った。
   後年、ソ連がプラハに侵入してきてザトペックにいった。


   「ソ連に同調するならスポーツ大臣にしてやる。
   さもなくばウラン鉱の便所掃除をしろ」

   生来の楽天家のザトペックは喜んでトイレ掃除を選んだ。

   これが一瞬プラハの春がきたかにみえたチェコスロバキアの現実であった。

   ソ連に屈服せずあえてトイレ掃除を選んだザトペックこそ真の英雄である。

   人間は欲望の塊である。
   困難な道を選ぶよりも楽な道を選ぶのが普通の人間のやる決断であるのだが、
   ザトペックは喜んで楽天的に困難が道を選択した。

   オリンピックのマラソンの金メダルは、だからますます輝き真の英雄になった。

     <『はじめに言葉ありき 終わりに言葉ありき』二見書房 >

              ・・・

今東光僧正は、流行作家として世に出たが、のちに反逆して文壇を離れ、
天台宗の僧侶となり、参議院議員などもつとめた。

作家の瀬戸内寂聴は弟子。

「人生は、冥土までの暇つぶし」

とは、今東光僧正の言葉。


困難に出会ったとき、「人生は、暇つぶし」、と思えるなら、
もう半ば問題は解決したようなものだ。

楽天的な考え方は心を軽くしてくれる。


楽天的な人は、軽くて、とらわれず、飄々(ひょうひょう)としている。

「軽さ」は、無類の「明るさ」に通じる。


楽天的な人は、まわりを明るくする。

            <感謝合掌 平成27年3月8日 頓首再拝>

楽しいことを探し出す人 (655)
日時:2015年03月14日 (土) 19時42分
名前:伝統


<独楽吟第七首>

 ”たのしみは 物をかかせて 善(よ)き価(あたひ)
           惜(を)しみげもなく 人のくれし時  ”


(訳)依頼にこたえて書を書いてやったら、その人は、私の書に
   よほど芸術性をみとめてくれたのであろう。惜しむ様子も
   なく、おどろくほどたくさんんの揮毫料を払ってくれた。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえずありがたく幸せな気分になるのは・・・。

             ・・・


<独楽吟第八首>

 ” たのしみは 空暖(あたた)かに うち晴(は)れし
       春秋(はるあき)の日に 出(い)でありく時  ”


(訳)春や秋の、雲ひとつなく空があたたかく晴れわたった天気
   の良い日には、外に出て、野山をあちらこちら歩きまわる。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しく幸せな気分になるのは・・・。




・・・

【楽しいことを探し出す人】

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年03月13日)」より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   車内に交通安全のお守りをたくさんぶら下げている車ほど、事故に遭いやすい、
   という統計があります。

   心配すればするほどその現象を引き寄せるのです。

   もちろん、単に視界がさえぎられたり、目の前にブラブラしているものがあるため
   飛び出し等に敏感に対処できなくなるわけで、三次元的にも損なことですが。

   要するにお守りとは、事故に遭うことを怖れ、心配しているから持つのであって、
   それが運転中視界に入ることは、自分の潜在意識に訴えることとなり、
   ドライブを楽しむどころか、まさに恐れていた通りの事故に遭うことになる。


   心配することは損なのです。


   右肩、右腰、右ひざの3箇所に痛みを持っている人がいました。

   その人が、このメッセージを聞いて、

   「いままで、痛いところにばかり関心がいっていた。痛くないところに関心を持ち、
   痛くないからありがたい、とそこに関心を持っていったら、痛くなくなるのかも
   しれない」と思ったそうです。

   その方は気功師だったので、体の部品の名前全てを挙げてみた。

   なんと300も挙げられたそうです。

   それを全部書き出し、ここも痛くない、ありがとう、と全てに言っていたら、
   言い終わったときに、なんと3箇所の痛みが消えていた。



   「私の周りには感じのいい人ばかりが集まっている」と思ったとする。

   そういう人の見方をしていれば、今後も実際にその人の周りには
   「感じのいい人」が多く集まってくる。

   反対に、目の前の人に対して「この人は感じ悪い」とあらさがしをしながら
   人を見ている人というのは、意識がそっちのほうに行ってしまっているので、
   自分の周りに集まってくる人が、そいう方向に偏ることになるらしい。


   鏡を見るとき、自分の顔を見ながら、
   「ここもシワがよっている、ここも老化している」と、

   老化しているところを見い出していると、老化しているところに意識が集まるので、
   老化という「意識の密度=現象の密度」となる。

   つまり、その結果として老化の進行度合いが早まるということです。

   「ここも若々しい、あそこも若々しい」と言っていくと、
   若々しいところに意識が偏ったので、現象として、
   体全体が若々しくなるということです。


   このように、この事実はあらゆることに応用できることがわかります。

   自分にとって楽しいほうのことについて、喜びを感じ、それを表現すると、
   どうも宇宙はそれを感じ取るみたいで、

   「あなたがそういうことが好きで、喜ぶんだったら、もっとやってあげよう」
   ということになるみたいです。

   そして、「あれが気に入らない、これが嫌だ」ということばかりに関心を持って
   注目していると、今後もそのような現象しか起きてこないようですよ、
   ということがわかってきたのです。

         <『究極の損得勘定』宝来社>

             ・・・

「今が一番楽しい」と思っている人には、楽しいことがもっとくる。

しかし、「あの頃が一番楽しかった」と言う人には、
あの頃以上の楽しい日々はこれからもやってこない。

今が一番楽しいと思っている人は、楽しいこと、面白いことに関心があり、
意識がそちらにあるからだ。


生きていれば、辛いことも悲しいことも嫌なこともたくさんある。

しかし、どんな状況でも、その中から、楽しいこと面白いこと、
素敵なことばかりを探し出そうとする人には楽しい人生が待っている。


心配ばかりしている人には、心配するようなことがやってくる。

なぜなら、神さまも、この人は心配事が好きな人なんだ、と思うから。


どんなときも、楽しいことや素敵なことを探し出す人でありたい。

            <感謝合掌 平成27年3月14日 頓首再拝>

人生を、おもしろ、おかしく (699)
日時:2015年03月19日 (木) 17時40分
名前:伝統

<独楽吟第九首>

 ”たのしみは 朝おきいでて 昨日(きのふ)まで
               無(な)かりし花の 咲ける見る時 ”


(訳)朝起きて庭に出てみると、おや?
   昨日まで咲いていなかった朝顔が大きく見事に咲いている
   ではないか。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえずうれしく幸せな気分になるのは・・・。

               ・・・


<独楽吟第十首>

 ”たのしみは 心にうかぶ はかなごと
              思ひつづけて 煙艸(たばこ)すふとき  ”


(訳)ぷかあ、ぷかあと煙草をふかす。
   心の鏡に様々な思いが、浮かんでは消えてゆく。

   あんなこともあった、こんなこともあった。
   たわいもないことをとりとめもなく思い浮かべながら
   煙草をふかす。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しい気分になるのは・・・。


・・・

《人生をおもしろくする》コツ

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年12月07日)」より

   (吉沢久子氏の心に響く言葉より…)

   たとえば、一泊二日の旅行が決まったとき、
   「そんなに短いと、どこもまわれない」とグチをいうのか、
   あるいは短い旅でも行けると決まったら「やったあ」と
   張り切って旅の準備にかかるのか。

   ここが人生をおもしろくするかどうかの分かれ目だといえるかもしれません。


   ささいなことでもたのしめる知恵をもった人を、
   私は「たのしみ上手」と呼んでいます。

   この例でいえば、後者のたのしみ上手の人は、旅の前にいろいろと調べるから、
   そこから知識も増えて好奇心がいやがうえにも高まり、
   旅先でもさまざまな発見があることでしょう。

   かたや、たのしむことを放棄してしぶしぶ旅に出た人は、
   何を見ても興味がわかず、時間だけがたって心も体も消耗するばかり。


   同じ旅でも、その質がまったく違ってきます。

   とくに年をとったら人生をたのしむことがいちばん。

   どのみち、もうすべてを請け負う体力も気力もないのですから、
   嫌なことは放っておいてもよいのではないでしょうか。

   とはいえ、世の中にたのしいことなんてそう転がっているものではありません。
   だから、たのしみを自分でつくるのです。
   それはゼロから何かを生みだすということでなくていい。

   肝心なのは、目の前のことをたのしいと思えるかどうか。
   そういった意味でも、いろいろなものに興味をもつことは有効です。

   たとえば編みものが好きな人は、それが嫌いな人の知らない快楽を知っています。
   関心を寄せる対象が多いほど、人生をたのしむチャンスは多くなるともいえるでしょう。

   また、あれもしたい、これもしたいという好奇心があると、
   すごく若々しく生きられると、脳の専門家の方がいっていました。

   とくに女性は、たのしく生きる知恵をもたなければソンだと私は思っています。

          <『人間、最後はひとり。』さくら舎>

              ・・・

人間、生まれたときもひとりなら、この世から去るときもひとり。

しかしつい、人間は一人一人が、自立した個の「ひとり」であることを忘れてしまう。

いつも、まわりに家族や友人、仕事仲間がいるから、つい間違えてしまう。


何かあったとき、人やまわりのせいにすることがそれだ。

最近楽しいことがない、などとまわりにグチをいう。

しかし、人生において、何かおもしろいことや楽しいことが、
向こうからひとりでにやってくる、などということはまずない。


たのしそうにしている人は、自ら努力してそうしている。
たのしみは自分でつくっていくもの。

目の前のさもないできごとをおもしろがれるか、つまらなく感じるか、で人生は変わる。


「たのしみ上手」

人生を、おもしろおかしく暮らしたい。

            <感謝合掌 平成27年3月19日 頓首再拝>

《プラスに転換する思考》 (739)
日時:2015年03月23日 (月) 18時53分
名前:伝統

<独楽吟第十一首>

 ”たのしみは 意(こころ)にかなふ

        山水(やまみづ(さんすい))の

             あたりしづかに 見てありくとき ”



(訳)気にいった山や河あど、美しい景観を求めて、
   大自然の中をひとり静かに見てまわる。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しい気分になるのは・・・。

               ・・・


<独楽吟第十二首>

 ”たのしみは 尋常(よのつね)ならぬ 書(ふみ)に画(ゑ)に

                   うちひろげつつ 見もてゆく時 ”


(訳)非凡な芸術家たちの傑出した書や絵画作品を
部屋いっぱいに広げ、無我夢中になって見つづける。
   我を忘れ、時間のたつのを忘れて見つづける。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しく幸せな気分になるのは・・・。



・・・

《プラスに転換する思考》

*メルマガ「人の心に灯をともす(2015年03月19日」より


    (ヴァージン航空ができたわけ)

   (スティヴ・ギルマン氏の心に響く言葉より…)

   億万長者リチャード・ブランソンは、ピンチをチャンスに変えたときの話をしています。

   彼が妻とヴァージン諸島に行ったときのことです。
   ふたりの乗る予定のプエルトリコ行きの飛行機が急にキャンセルになり、
   次のフライトまで長い時間待たされるはめに陥りました。

   乗客たちはみながっかりして、ただ何もせずラウンジの椅子に座って待っていました。
   次のフライトまで待つよりほかなかったのですから。

   しかし、ブランソンはこの事態を別の角度からとらえました。

   すぐに、ほかにできることはないかと考えはじめたのです。

   まもなく、待機している飛行機を探し、プエルトリコまで
   一機チャーターすると片道いくらになるか尋ねました。

   2000ドルという答えが返ってきました。

   彼はラウンジで待っている乗客を見回し、素早く計算しました。

   そして小さな黒板をみつけてくると、そこに
   「ヴァージン・エアウェイズ、プエルトリコまで片道39ドル」
   とチョークで書いたのです。


   ただちに52人が申し込み、彼は少々利益を得たのでした。

   「ヴァージン・アトランティック・エアウェイズ」の会社を立ち上げたのは
   この出来事があってしばらくしてからですが、ほかでもないこのときのことが
   インスピレーションとなったのでした。


   ピンチのときはチャンスにもなるよい例です。

   このときの経験が大手エアライン会社を立ち上げるきっかけとなったのでした
   …ブランソンはその場の状況に前向きに対応しただけなのです。


   リチャード・ワイズマンは、幸運な人たちは運が悪くても
   それを幸運に変える方法をいくつも持っていることを発見しました。

   たとえば、彼らは、自分が最悪の状況にいて、まるで希望もないような挫折感を
   味わっているときも、その感覚を取りのぞくために、もっと悪い状況を
   想像することができるようです。

   また、挫折感を取りのぞくために何をすればいいかを考察し、
   明らかになるとそのことに集中します。


      <『いますぐ「ラッキー!な人」になれる』サンマーク出版>

               ・・・

マイナスのことをプラスに転換する思考を持っている人は、
どんなときでもハッピーでいられる。

最悪だと思ったことの中に、チャンスは眠っていることは多いからだ。

だからこそ、「クレームは宝の山」と言われる。


またそれとは反対に、感動したり、感激したりした中にもチャンスは眠っている。

例えば、小売業や飲食業で、繁盛店の店舗視察に行った後、
「素晴らしかった」とただ感動だけして帰ってくる人は多いが、
その繁盛の要因を自分にあてはめ、モノにしてしまうような人だ。

ひとりのお客として感動したり、楽しんだりして終わってしまうなら、
そこにあるチャンスを見落としてしまう。


「ピンチはチャンス」

どんなところにもチャンスは転がっている。

チャンスを見逃さない人でありたい。

            <感謝合掌 平成27年3月23日 頓首再拝>

同じ一生なら、楽しく笑って暮らす人生を歩もう (771)
日時:2015年03月26日 (木) 18時44分
名前:伝統


<独楽吟第十三首>

 ” たのしみは 常(つね)に見なれぬ 鳥の来て
  軒(のき)遠からぬ 樹(き)に鳴きしとき  ”


(訳)ふだんはめったに見かけない珍しい鳥が飛んできて、
   我が家の軒からほど遠くない所にある樹の枝にとまり、
   さかんに鳴いている。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しい気分になるのは・・・。


               ・・・

<独楽吟第十四首>

 ” たのしみは あき米(こめ)櫃(びつ)に 米いでき
         今一月(ひとつき)は よしといふとき  ”

(訳)米櫃に入れておいた米が、全くなくなってしまった。
   これでは一家五人とも、ひあがってしまう。
   さあ、困った。どうしよう。

   思案していていると、いつも応援してくれている知人が
   折り良く、米をもってきてくれた。

   助かった。
   これだけあれば、あと一ヵ月くらいはなんとか
   食べていけそうだ。

   ああ、こんな時なのだよ。
   ありがたく幸せな気分になるのは・・・。



・・・

同じ一生なら、楽しく笑って暮らす人生を歩もう

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年06月20日)」より

【笑って暮らすも一生】

   (北尾吉孝氏の心に響く言葉より… )

   人生においてもっとも重要なのは、楽しく有意義な時間を
   どれだけ過ごすことができるかではないでしょうか。

   もちろん、人生は楽しいことばかりではありません。

   目指す目標、すなわち「大義」が高いところにあればあるほど、
   その道のりは険しいものになるでしょう。

   しかし、視点を換えれば、
   私にはそれが楽しいことだったのではないかと思えてくるのです。
   楽しかったから、好きだったから、ここまでやってこられたのではないかと。

   ところで、若い頃には職業の選択で迷いがちです。

   では迷ったときに、どうすればいいのか?

   この問いかけに対して私は、
   「まずはやってみるしかない」と答えるようにしています。

   また、「天に任せる」「運に任せる」ということも大事なことで、まずはやってみる。

   そして、いくら努力しても一向にうまくいかないときに、
   初めて、天が「やめろ」といっているのだと思い、やめればいいわけです。

   そういう意味でも、天に任せるのが、もっとも自然なやり方なのだと思います。


   また、自分が間違えた、判断を失敗したと思うと、
   人は深刻な悩みに陥ってしまいがちです。

   しかし、失敗にしても「これは天が“そのほうがいい”と試練を与えてくれたのだ」
   と思えば、気が楽になって、先に進むことができるのではないでしょうか。


   失敗に無駄はありません。

   失敗から得るものも必ずあります。

   そのように思って、あとは天に任せておけばいいのです。

   「泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生」

   できるだけ後ろ向きなこと、ネガティブなことを排除して生きたほうが、
   明るく、楽しい人生を送れるに違いありません。

   そして、天というのは不思議なもので、見ていないようで見ているもの。

   因果の法則とよくいうように、
   ある原因は、それが行きつくべき結果に必ず行きつくものです。

   一生懸命に努力していれば、必ず努力した分だけの結果はついてきます。


   「これを知る者はこれを好む者に如(し)かず。
   これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」(論語)

   あることをただ知っている者よりも、それを好む者の方が優っている。

   それを好む者よりも、それを楽しむ者の方が優っている。

           <『人生の大義』講談社+α新書>

                ・・・

幕末の志士、高杉晋作の辞世の句として有名なのが、

「おもしろきこともなき世をおもしろく」


面白いことを面白がったり楽しんだりすることは誰でもできるが、
つまらないことうまくいかないことを面白がれる人は滅多にいない。

西郷隆盛は、二度島流しの刑にあっているが、
何百冊という本を持ち込み、そこで自らの精神を磨いたという。

その時の勉強が、後に日本を動かす西郷の哲学や行動規範をつくった


「禍福は糾(あざな)える縄(なわ)の如(ごと)し」のように、
たとえ「禍(わざわい)」がきたと来たとしても、
次ぎには必ず「福」がくることを、運のいい人は知っている。

福がめぐってくる人は、災難にあってはジタバタせずに、
運を天に任せ、不運を嘆かず、自らの実力を蓄える努力をする。


「泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生」

どうせ同じ一生なら、楽しく笑って暮らす人生を歩みたい。

            <感謝合掌 平成27年3月26日 頓首再拝>

何でも明るく見る心 (811)
日時:2015年03月30日 (月) 18時15分
名前:伝統

<独楽吟第十五首>

 ”たのしみは 物(もの)識人(しりびと)に
      稀(まれ)にあひて  古(いに)しへ今を 語りあふとき”



(訳)知識も教養もある物知りの人に、
   たまたま出会うことがあった。

   たちまち意気投合し、昔のこといまのことを思う存分に
   語り合い、つい時間のたつのも忘れてしまった。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しく幸せな気分になるのは・・・。

               ・・・


<独楽吟第十六首>

   ”たのしみは 門売(かどう)りありく 魚(うお)買ひて
          烹(に)る鐺(なべ)の香(か)を 鼻(はな)に嗅(か)ぐ時”



(訳)「えー、さかな、さかな」
   夕方の街角を行商する魚屋を呼び止めて、
   珍しいことだが今夜は、魚を奮発することにした。

   味付けをしながら、ことことと魚を烹(に)る。
   台所からただよい流れてくるその香りを嗅ぐと、
   ううむ、思わずのどがなる。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しく幸せな気分になるのは・・・。




・・・

ヘレンケラーの何処が偉いか

          *「人生読本」(P282〜283)より

ヘレンケラーの言った言葉に、

「何でも明るく見る心、光明主義は物事を成しとげる基である。
希望がなければ、何事も成し遂げることはできない」

というのがあります。

ヘレンケラーは3歳の時、脳膜炎という病気を患い、その結果、眼は見えなくなり、
耳は聞こえなくなり、言葉は言えなくなったということですが、

その後眼で見ず、耳で聴かずして、皮膚や指先や匂いなどによって、世の中の
凡てのことがよく判るようになり、人生の三重の苦しみを征服した聖女として
尊敬されておりますが、

それにはヘレンケラーを教えたサリヴァン先生の教え方が上手であったのにも
よりましょうけれども、ヘレンケラー自身が、盲になり、聾になり、唖になっても、
少しも失望落胆せず、心に希望を持っていたからです。

失望とは心に望みを失うことです。
落胆とは勇気を落として、気が沈んでしまうことです。

眼が見えず、耳が聞こえず、口が利けなくとも、
希望を失わず、勇気を落とさずにいたら、
人間はヘレンケラーのように偉い者なれるのです。

眼が見え、耳が聞こえ、口が利ける皆さんが希望を失わず、
勇気を失わず、自分の目的とする所へ突進して徃ったら、
どれほど優れた人になれるか、考えてみずとも判るでしょう。

            <感謝合掌 平成27年3月30日 頓首再拝>



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