小さい頃は 小さすぎて母の記憶が
あんまり無い
小学生の前半は 母の働く背中しか
知らない
小学生の後半から高校まで 母と離れて暮らす日々・・
16才からの6年間だけが 唯一母と暮らした思い出が残る
なんというか、その高校生の頃 反抗期でねーー・・ あんまり母を理解できないお子様だったんよー アホだ。。
働くようになって大人になると 母から姑の愚痴を毎日聞かされてた 嫁としての母の姿は少しわかった
23歳に親から離れたくて島を出る決意 就職は諦め お嫁に来た
あーあ それがねー離れてわかるふるさとだー 答志島の良さが身に染みて・・
私がお産の時。。つらい事もあったが 母がいて良かったと思った。 親のありがたさ。。
今 認知の母に笑顔で会えるのは お産の時のお世話になった母があったからかな・・
覚えてるのは・・ 男女差別・・ ひどかったな・・ 優しい母なのに なんだったのかな・・ それが心に傷を作ってた・・今も傷がうずく。。
親孝行が半分しかしてない・・ 親孝行が半分しかできない・・私・・
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