カウンター 「学城」18号批判ー相も変わらず地獄への道をひた走ろ南郷学派 - 談論サロン天珠道
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[3047] 「学城」18号批判ー相も変わらず地獄への道をひた走ろ南郷学派
愚按亭主 - 2019年07月26日 (金) 08時17分

 久しぶりに「学城」18号が出ました。長らく間を置いただけ、渾身の内容であることはよく分かります。しあし、肝心のヘーゲルの誤解は相変わらずで、その必死の努力も、地獄への道は善意の敷石で敷き詰められている感は否めません。

 まえがきを読むと、南郷先生は、ドイツ国立図書館から、以前私が批判しておいた書「哲学・論理学原論ー新世紀編」を、寄贈してほしいとの依頼があった、ということで非常に意を強くしておられるようです。私は、あんな誤ったヘーゲル論を寄贈して大丈夫かな、後世に恥を残すことにならないか?と心配になります。

 南郷先生は、そうして意を強くした結果、ヘーゲルが批判的に克服したシェリングの、今まで読んでいなかった部分を読んで、自分と同じ考えであることにますます意を強くして、ヘーゲルによって学的に葬られた、シェリングこそ最高の観念論哲学者だと持ち上げて、遠回しにヘーゲルをこき下ろしていました。もはやつける薬は無いのか、と悲しくなりました。

1、南郷先生の、サルから人間への脳の発達の過程的構造論に欠けたるもの
 南郷先生は、ドイツの図書館に評価されたことで意を強くしたのか、「原論」をこれまで書こうとしても書けずに欠番となっていた待望の全集第三巻に、格上げして「ヘーゲル哲学・論理学〔学の体系講義―新世紀編〕−哲学・論理学への招待」に改題するようです。本当にこれで良いのか?早まらない方が良い!と私は思います。

 それで、この突然の変更によって、予告していたものへの影響のお詫びとして、余禄として、サルから人間への脳の発達の過程的構造論が熱く展開されました。

 そのテーマに、とても興味を惹かれて読んだのですが、いつもながら思わせぶりばかりで、、丁寧に説いているつまりは分かりますが、それが反って冗長何時まで経っても聞きたい論理展開に到らずイライラさせられどおしで分かりにくく、靴下掻痒感が否めず、昔のようなワクワク感が乏しい感じがしました。そんな中で特に感じたのは、哺乳類から人間の生理構造で、人間の脳の発達に結びつく決定的な影響を及ぼしたはずの生理構造について、全く説かれていない点でした。

 この生理構造は、南郷学派がかつて説いていたものですが、その後の発展が見当たらず、私のみが独自に発展させてきたものなのです。しかし、南国学派も密かに発展させているのではないかと思っていましたが、どうやら、全くそれができていないということが、この論文で改めて確認できました。

 それとは何か?それは、交感神経論です。南郷学派は、交感神経と副交感神経とは生まれた時代も異なるので、ワンセットではないというところまでは、説いておりますが、それからの発展が全く無いようです。ところが、この交感神経の問題は、このテーマにとって、欠かすことのできない重要なファクターであるにもかかわらず、全く触れられておりません。

 南郷先生は、哺乳類が陸上に進出したことが、どれほど脳に複雑な統括を強いることになったのか、を論文の中で強調しておりました。そして、それで一杯いっぱいになっていた脳が、サルが木に登ることによって、足的な使い方を手的な使い方に変えたことによる脳の発達と同時に、四足を二足に変えたことによる二足分の空いた領域が人間への脳の発達を可能にしたと説きそうな雰囲気を匂わせて、(続く)としていました。

 しかし、これには無理があります。サルから人間への脳の巨大な進歩はそのような領域のみで賄えるものではありません。それを可能とするものがあったはずです。その答えは、私の交感神経論にあります。これは、南郷先生に倣って、今回は、匂わせるだけに止めておきます。

2、瀬江先生のひどいヘーゲルの誤解
 南郷学派のヘーゲルの誤解の最大のものは、マルクス以来の伝統で、絶対的真理を否定し、ヘーゲルの云う絶対精神を「タワケタ」ものとして、否定してしまっていることです。これは滝村先生も同様でした。しかし、自分たちが創り上げた生命史観では、「本流」の発展の論理として説いているのですが、その「本流」こそが、すなわち「絶対精神」なのだということにどうして気づかないのか?本当に不思議です。

 絶対精神が自然の事物に化体して人間にまで発展する、というのは即ちそういうことなのだ、同じ論理なのだ!とどうしてわからないのか?

 それから、ヘーゲルの学問的立場が、唯物論と観念論とを統一した絶対観念論なのだ、ということがどうして分からないのか?それがヘーゲルの弁証法なのに、自分たちが観念論か唯物論かの形而上学のアタマのまま唯物論こそが学問的立場だと思い込み、ヘーゲルのが観念論なのにどうして唯物論的なのか?訳が分からないなどと、自分の反省もなく袋小路に迷い込んで、これでどうして学問の体系化ができるのか?ヘーゲルの学問体系が分かるのか?そんな頭でヘーゲルを批判することがどれほど滑稽なことなのかが全く分かっていないようです。

 本当に嘆かわしいことです。また医療実践論でも、前回私が批判した通り、スジのネットワーク論がないために、全く実践的な議論にもなり得ていません。障害者教育論でも、栄養学の検討がないことは、致命的欠陥であることが分っていないようです。栄養不良による障害は、まず栄養を整えて障害をどこまで治すことができるのか、その上での教育論でなければならないと思います。

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[3048] 人間の脳が人間の脳にまでは天できた発展することができた理由
愚按亭主 - 2019年07月30日 (火) 15時51分

 前回の「学城18号」批判の中で、南郷先生が、人間の脳が人間の脳にまで発展できた理由を説こうとする試みには、重大な欠陥が存在することを示唆しておきました。

 南郷先生は、四つ足哺乳類とサルのアタマの位置の違いからくる、反映の違い、および四つ足から四つ手、あるいは二つ手・二つ足への生理機能の変化による脳への刺激、さらには重力上の問題から脳をより大きく発展させ得る構造上の有利性から、サルの段階において著しく脳が発達しえたことが、語られようとしているようです。

 しかし、この論考には、その基礎となる部分において欠落している構造上の重大問題が潜んでいることを、前回、私は示唆したわけです。そして、それが交感神経の問題であることも示唆しておきました。そこで、今回はシェリングの問題は後回しにして、まずは、この問題から説いていきたいと思います。

 まず、結論から云いますと、四つ足哺乳類の脳が、サルの脳へ、さらには人間の脳へと発展することができたのは、一番厄介で複雑な生理的統括を、交感神経幹に丸投げして、脳に認識的発展する余地を確保できたから可能となった、ということです。

 生命が上陸し哺乳類段階にとうたつしたころの地球は、天変地異の連続で、そういう中で生命を維持するための恒常性を維持することはとても複雑な統括を必要としておりましたので、それに合わせて生まれたのが、<交感神経ー副腎系>の新統括システムでした。驚くべきことに、その中枢は脳内にあるのではなく、背骨の両脇にある交感神経幹でした。これは一体どういうことでしょうか?

 この時代は、いわば非常事態戒厳令下のような緊急性の統括を必要としていたために、運動を担う脊髄の近くや、内臓の統括にも都合の良い背骨の近辺が、現地総合指令本部として最適だったのだと思われます。つまり、身体の全体的統括は、ここで行われるようになった、ということです。しかし、全体の統括の最終責任者は、あくまでも脳が行うことには変わりはなく、脳はいわは実際の仕事の大部分は、この交感神経幹に丸投げしたような格好になったわけです。

 たとえて言えば、三国志の劉備玄徳が、闘っては負けて逃げする中で、優秀な軍師がいなければ勝てないことを悟って、諸葛孔明を三顧の礼をもって迎え入れ、丞相として全体の実際の統括を任せた、という話の丞相がすなわち交感神経幹です。

 実際、交感神経幹は、防衛(国境警備・警察・軍事)、循環(国内経済)、恒常性の維持(治政)を一括して統括する、まさに丞相のような働きをしているのです。

 

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[3049] シェリングはすでにヘーゲルによって完璧に論破されている
愚按亭主 - 2019年08月01日 (金) 16時59分

南郷先生が共感したシェリングの文章を読んでみようと都立中央図書館に行きましたが、あいにく休刊日でした。そこでやむなくインターネットで検索したところ、おおよその内容が把握dきた上に、それをヘーゲルが、「精神現象学序論」において、そのシェリングの思想を完ぺきに論破していることも確認できましたので、説いて見ることにしました。そして、なぜ南郷先生が共感できたのかも、分かったので、それもついでに説いておくことにします。参考にし引用するのは、
「シェリングの思想とは」(https://www.bing.com/search?q=%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0&form=EDNTHT&mkt=jajp&httpsmsn=1&refig=a8dc2167223c49e88d38be647b63c8d1&sp=-1&p「q=%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0&sc=8-5&qs=n&sk=&cvid=a8dc2167223c49e88d38be647b63c8d1)の説明です

「晩年のシェリングは、存在の概念にこだわった。すでに前半期においても、カントの云う現象界を超えた物自体の世界の存在を肯定していたシェリングだが、晩年になると、この存在と言う概念に踏みこんだ思索を展開するようになった。

そこでシェリングは、存在と言うものには二種類、『本質存在(Essentia)』と『事実存在=実存(Existentia)』とがあると考えた。本質存在とは、理性によって認識の対象となりうるような存在のあり方であり、カントからヘーゲルに至るこれまでの哲学がもっぱら対象としてきたものだ。これに対して事実存在とは、理性によっては、なぜそんなものが存在するのか、説明がつかないようなものをも含めた存在のあり方を指す。ヘーゲルを含めたこれまでの哲学は、こうした事実存在については、人間の理性の手に負えないものとして、無視してきたのであるが、実はこの事実存在=実存こそが、存在の本来のあり方なのだ、と主張したのであった。

この事実存在についての哲学を、シェリングは『積極哲学』と名づけ、それに対してヘーゲル以前の哲学を『消極哲学』と呼んで批判した。木田元によれば、積極哲学の Positiv という言葉には、消極の対概念としての意味合いのほかに、実証的、事実上のというニュアンスがあり、それから、「事実存在」即「事実」についての哲学だという意味合いを持たせたのだという。

シェリングが事実存在=実存の概念にたどりついたのは、彼の生涯の動きからすれば、必然的なことだったともいえる。シェリングはフィヒテを通じてカントを学んだのだったが、そのカントは、人間の認識能力の限界を示して、物自体を認識不可能なのものとし、現象界と叡智界とを厳然と区別したのであったが、シェリングの問題意識は、こうした区別や対立を解消して、世界を統一的な視点から説明したいということだった。事実存在の概念は、そのような説明原理として、シェリングが最後にたどりついたアイディアだったのである。

最晩年に至ったシェリングは、ヘーゲルがかつて君臨していたベルリン大学に招かれた。そこで行った就任演説には、エンゲルス、バクーニン、ブルクハルト、キルケゴールなどの錚々たるメンバーが出席していたという。みなシェリングの名声を聞きつけて、わざわざ遠くの国や地方から集まってきたのであった。シェリングの思想がいかに時代の先端を行くと考えられていたか、わかろうというものである。

だが、彼らのうちには、シェリングの影響を直接に受けたものは見当たらない。ただ一人キルケゴールだけは、シェリングの「実存」という言葉に感銘を受けて、それを自分の思想のうちに取り入れていくことになる。

それでも、シェリングを実存主義の先駆者と断定するのは、すこし行き過ぎかもしれない。」


 長々と引用しましたのは、とても分かり易くまとめられていたので、全体像が把握しやすいからです。その全体像の中で、特にポイントとして押さえておくべきは、絶対理念と論理と事実との関係です。そこに関する記述をピックアップしてみましょう。


「シェリングは、存在と言うものには二種類、『本質存在(Essentia)』と『事実存在=実存(Existentia)』とがあると考えた。本質存在とは、理性によって認識の対象となりうるような存在のあり方であり、カントからヘーゲルに至るこれまでの哲学がもっぱら対象としてきたものだ。これに対して事実存在とは、理性によっては、なぜそんなものが存在するのか、説明がつかないようなものをも含めた存在のあり方を指す。ヘーゲルを含めたこれまでの哲学は、こうした事実存在については、人間の理性の手に負えないものとして、無視してきたのであるが、実はこの事実存在=実存こそが、存在の本来のあり方なのだ、と主張したのであった。この事実存在についての哲学を、シェリングは『積極哲学』と名づけ、それに対してヘーゲル以前の哲学を『消極哲学』と呼んで批判した。」

 ここに書かれていることは、シェリングは、本物の絶対理念には到達できなかったということです。結果として、事実を偏重して実存主義的に変容してしまったということです。だから、絶対的真理を否定して事実のみを偏重して学問を創ろうとしている南郷先生と親和性があるということになります。しかし、ヘーゲルは、このシェリングの欠点を早くから見抜いていました。ヘーゲルの方が先に身罷れてしまいましたが、このヘーゲルの批判は、シェリングの晩年もそのまま通用する小野と云えます。では、そのヘーゲルの批判を見てみましょう。ヘーゲルの「精神現象学序論」の中に次のように書かれています。

 ヘーゲルはシェリングの絶対観念を次のように批判しています。「すべてを絶対理念に服させ、その結果、絶対理念がすべてのもののなかに認められて、学に広められ、充実したものになっているかのように見える。だがこのひろがりをもっと詳しく考えてみると、それは、同じものが自己自身に異なった形を与えたために、成し遂げられたことではなく、同じものが形もなく繰り返されたためであることがわかる。この同じものは、異なった素材に外から適用されており、ただ異なっているという外退屈な外観をもっているにすぎない。展開が同じ決まり文句のこういう繰り返しのなで行われるのであれか行われるのであれば、それ自身ではもちろん真なる理念も実際にはいつもその初まりに止まっているにすぎない。」

「この形式主義は、この単調と抽象的な普遍とを絶対者であると主張する。つまり、この単調に満足できないのは絶対的な立場をわがものとし、そこにしっかりと止まる能力がないからだと断言する。」

 結果として、シェリングは、本質と事実との統一によって絶対的なものを目指して、真の統一を果たすことができず、それが故に絶対的立場を維持できなくなって、論理からこぼれるものの存在する事実こそが実存するものだと、絶対的真理を否定して、事実を偏重する実存主義の礎を作って、これを知った南郷先生をして、私と同じだ!と、感激させることになったのです。
[ヘーゲルを含めたこれまでの哲学は、こうした事実存在については、人間の理性の手に負えないものとして、無視してきたのであるが、実はこの事実存在=実存こそが、存在の本来のあり方なのだ、と主張したのであった。」

 シェリングは、本質・論理と事実との都の統一から零れ落ちた事実を、ヘーゲルがまるで無視しているかのように説いていますが、ヘーゲルが創り上げた運動体の弁証法を自分が理解できなかったために、自分が問題にしている零れ落ちた事実について、ヘーゲルが問題としないのは無視しているからだと、自分の不明を棚に上げて、見当違いな批判をしているだけなのです。

 ヘーゲルは、スピノザ・カント・フィヒテ・シェリング、そして結果として、マルクス、南郷先生そして滝村先生をも、時代遅れの死んだ論理学(形式論理学)に囚われた者たちとして痛烈に批判しているのです。


「かつて神を唯一の実体と考えるという規定がなされた(スピノザ)ため、その時代の人びとが憤慨したことがあった。その理由は、一方では、そう考えると自己意識が捨てられることになってしまい、維持されないと本能的に感じたからである。が、他方では思惟を思惟として固定させるという、それとは反対の考え(カント、フィヒテ)も、普遍性そのもの、前の規定と同じような単純性、言いかえれば区別のない動かない実体性に陥っている。そこで第三に思惟が実体と一つになり、直接態すなわち直観をそのまま思惟と考える(シェリング)ならば、その場合にもなお、このような知的直観は再び惰性的な単純性に落ちこみ、現実そのものは、非現実的な仕方で表現されることになりはしないか、ということが問題になる。」

 その通りに、シェリングはその陥穽落ちこみ、本質・論理を非現実性だとして、事実が現実そのものだとして、普遍性を否定し実存主義に陥ってしまったのです。この観念論哲学の落ちこぼれを、南郷先生は、観念論的哲学の完成者だと、手放しで持ち上げているのです。また、マルクスも、ヘーゲルが、普遍性は現実性である、といったことに対して、「根本的二元論」だと非難して、自ら運動体の弁証法が全く理解できていない無様な姿をさらしているのです。そして自らは、その根本的二元論を統一するのではなく、あれかこれかの死んだ論理学から、観念論を切り捨てて唯物論オンリーにしてしまって、ヘーゲルが折角切り拓いた学問体系化への道を閉ざしてしまったのです。

 ヘーゲルはさらに続けて
「生きた実体は、実際には主観(体)であるような存在である。同じことになるが、実体は、自己自身を措定する運動」、自己が他者となることを自己自身と媒介するはたらきである限りでのみ、実際に現実であるような存在である。実体は主観(体)としては純粋で単純な否定性である。であるからこそ、単純なものを二つに引きはなす。つまり対立させて二重なものとする。この二重作用が二つのものの無関心なちがいと対立を更に否定する。真理とは、このように自己を回復する相等性もしくは他在において自己自身へと復帰(反照)することにほかならないのであって、本源的な統一そのもの、つまり、直接的な統一そのものではない。」

 と、シェリングを批判しながら、生きた運動体の弁証法による事実と論理・本質との真の統一の道を明らかにしたのです。南郷先生は、ヘーゲルのこの「序論」を高く評価するとしながら、このことを全く理解できていなかったようです。

 

Pass

[3050]
質問者 - 2019年08月02日 (土) 18時48分

私も南郷氏のシェリングに関する記述には引っかかりがあって『学問論』を取り寄せて読んでみました。
そこで「なるほど!」と感じさせられる手応えを感じられてヘーゲルを持ち上げたい南郷氏がヘーゲル支持の姿勢を保ったままシェリングを取り上げるために数有るシェリングの著作の中から『学問論』を計画的に取り上げた意味が解ったように思えました。

Pass

[3051]
質問者 - 2019年08月04日 (日) 09時46分

私の勝手な解釈なんですがシェリングというのは本当に天才と呼んで構わない哲学者だったのだと思います。
南郷氏が称賛している『学問論』というのはシェリングの前期の思想である「同一哲学」として分類されているようですが、その「すべてのものが同一、無差別」なる発想はまあ有機物が鉱物化した琥珀だとか石油だとかの知識からもたらされた面もあったとは思いますけど、やはり何よりも「フランス革命」で第三身分の者が王公貴族をぶっ殺して統治権を奪ったところからのインスピレーションはあったと思われます。
そこから「王公貴族も平民も変わらない、同一なんだ」というのが無機物から進化して平民が国家元首となるというシェリングが描いた哲学体系だったのではないかと思うわけです。ヘーゲルはシェリングの弟子として真似したわけですよね。
ですが、その「平民が国家を統治する」という革命が行われたのはフランスであってシェリングやヘーゲルが住んでいたドイツじゃなかったわけです。
その他所の国の事件でもって「平民が国家を統治できる」と豪語するには、自分の国がそうなっていない事実はシェリングには我慢できなかった、そこから中・後期の「積極哲学」なるものが展開されていく。
その初めに考察されたのが「悪の起源」ですから、王公貴族を断頭台でぶっ殺すなんて「悪魔のごとき所業」のできたフランス人は自由を手に入れて、神聖ローマ帝国の倫理性の中で従僕のごとく大人しくしていたドイツ人は自由を手に入れられなかった。
「自由」の問題は同じ時代にフランス革命に熱狂した氏ぅリングにもヘーゲルにも大きな関心事でしたが、ヘーゲルは『精神現象学』で「自由の実現が世界史」だと述べたが、ではなぜフランスでは革命が起きたのにドイツでは起きないの?というのがシェリングの哲学だったのではないかと思いますね。

Pass

[3052] 分かり易く整理しましょう
愚按亭主 - 2019年08月05日 (月) 18時55分

 前回の説明では分かりにくかったと思いますので、もう少し分かり易く整理し直しましょう。シェリングとヘーゲルとの違いは、端的には何かと云いますと、

 シェリングは、ヘーゲルが「死んだ論理学」と批判した静止体の弁証法すなわち形而上学(形式論理学)のままであったのに対して、ヘーゲルは手柘植区の歴史を総括する形で運動体の弁証法の論理学を学問史上初めて創り上げ完成して使っていた点です。この運動体の弁証法の論理学は、ヘーゲルが創り上げ完成させたものですから、初めシェリングがそれを使っていなかったことは、当然といえば当然です。しかし、ヘーゲルの死後もシェリングは、生き続けていたのですから、その価値を認めそれを万で自分のものにしようと思えばできないことはなかったわけです。

 しかし、彼はそれをしなかった、結果としてかれは、学問的な観念論哲学から、唯物論的な観念論である実存主義に陥ってしまったのです。こう云うと、ヘーゲルだって唯物論的な観念論と云われるが、どこが違うのか?という疑問がわいてくると思います。

 これはとっても鋭い質問です。たしかに混同しやすいと思いますが、決定的に違う点があります。ヘーゲルの場合は、唯物論と観念論とが、体系的に整理され有機的に統一されているのですが、シェリングやマルクス・南郷先生の場合は、無自覚で、本人は湯物論のつもりでいながら、その実質観念論になっている、と云うようにです。

 静止体の弁証法も、弁証法ですからそれ自体は運動性はないにもかかわらず、弁証法的な運動をします。つまり、極限に到ると反対物に転化して、唯物論が観念論になります。しかし、その場合でも唯物論は唯物論であって観念論ではなく両立しているわけではないのです。現在のリベラルと呼ばれるマルクス主義者が、みなガチガチの頭の悪い観念論者になりさがっている理由はそこにあります。

 だから、マルクスは、ヘーゲルが「普遍性は現実性だ」といった時、マルクスのアタマでは両立しえないものが両立させられているのをみて、マルクスは相容れない二つのものが混じっているという意味で、「根本的二元論」だと批判したのです。

 シェリングも同じように、論理では説明できない事実があるという事実を前に、両立できない己を恥じて、そこから反省して一段次元をアップさせようとするのではなく、そういう事実こそが本当に実存している存在なのだと、己を誤魔化すために学問の正道から踏み外してしまったのです。その神秘性こそが意味のあることであり積極的主体なのだと、神秘的観念論んに陥っている自分に気づかずに、ヘーゲルを超えたと錯覚してしまったのです。そして、同じ穴の狢の南郷先生も、自分のレベルからヘーゲルを見て、理解できた部分だけを見て、理解できなかった部分、初めから理解しようとしていなかった部分は無視するという形で、ヘーゲルを極端に矮小化してしまい、結果として自分の実力を実際以上に誇大に錯覚して、過信してしまったために、同じ誤りを犯しているシェリングを見て、同士だと歓迎したわけです。

 この点に関して、ヘーゲルは糖の昔にしっかりと批判していたのにもかかわらずにです。ではそれを実施に見てみましょう。

「「すべてを絶対理念に服させ、その結果、絶対理念がすべてのもののなかに認められて、学に広められ、充実したものになっているかのように見える。だがこのひろがりをもっと詳しく考えてみると、それは、同じものが自己自身に異なった形を与えたために、成し遂げられたことではなく、同じものが形もなく繰り返されたためであることがわかる。この同じものは、異なった素材に外から適用されており、ただ異なっているという外退屈な外観をもっているにすぎない。展開が同じ決まり文句のこういう繰り返しのなで行われるのであれか行われるのであれば、それ自身ではもちろん真なる理念も実際にはいつもその初まりに止まっているにすぎない。」

「この形式主義は、この単調と抽象的な普遍とを絶対者であると主張する。つまり、この単調に満足できないのは絶対的な立場をわがものとし、そこにしっかりと止まる能力がないからだと断言する。」

「普遍性そのもの、前の規定と同じような単純性、言いかえれば区別のない動かない実体性に陥っている。そこで第三に思惟が実体と一つになり、直接態すなわち直観をそのまま思惟と考える(シェリング)ならば、その場合にもなお、このような知的直観は再び惰性的な単純性に落ちこみ、現実そのものは、非現実的な仕方で表現されることになりはしないか、ということが問題になる。」

 単純な形而上学においては、絶対性は運動性がないために、何時まで経っても入り口に止まって動かないために、現実性である個別的事実と交わらないために、非現実性のままになってしまいます。だから、晩年、シェリングは、現実性である事実の方に傾倒していってしまったのです。この問題を、ヘーゲルは見事に学問的に解決しているのですが、シェリングもマルクスも、南郷先生も全く分かっていません。仔の分かっていないという事実は、後世のマルクスや南郷先生は、ヘーゲルの運動体の弁証法の存在を知識としては分かっていても、論理としては全く分かっていなかったということを意味します。

 では、ヘーゲルは、どのようにこの問題を解決したのでしょうか?曰く

「生きた実体は、実際には主観(体)であるような存在である。同じことになるが、実体は、自己自身を措定する運動」、自己が他者となることを自己自身と媒介するはたらきである限りでのみ、実際に現実であるような存在である。実体は主観(体)としては純粋で単純な否定性である。であるからこそ、単純なものを二つに引きはなす。つまり対立させて二重なものとする。この二重作用が二つのものの無関心なちがいと対立を更に否定する。真理とは、このように自己を回復する相等性もしくは他在において自己自身へと復帰(反照)することにほかならないのであって、本源的な統一そのもの、つまり、直接的な統一そのものではない。」

 ここにどういうことが書かれているかと云いますと、生きた生命ある実体は、自分自身を措定して、人間以前ンの生命体においては、措定した遺伝子の媒介を通して不断に他者を自分自身として造り続け、人間に至ってはそれに加えて、学問的にか自己本位的にか措定した目的意識を媒介として、常に新たな他者としての自分自身を創り続ける存在です。この否定性・媒介性・運動性があってはじめて現実性が生まれるのであって、直接的統一のみでは運動性は生じえない、とシェリングを否定しているのです。



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