カウンター ミトコンドリアの増設は細胞の多細胞化を可能とする一大革命だったー細胞内共生説批判 - 談論サロン天珠道

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[2008] ミトコンドリアの増設は細胞の多細胞化を可能とする一大革命だったー細胞内共生説批判
愚按亭主 - 2016年02月26日 (金) 20時38分

 貧血の問題から端を発して、なにゆえ病原菌はそれほど鉄を欲するのかという疑問が高じて、それを追及してみると、とうとう現代生物学のミトコンドリア細胞内共生説批判にまでたどり着くことになってしまいました。そればかりでなく、原始の生命体が自らの排泄物による危機を逆手にとって一大飛躍するというたくましい姿が浮き彫りにされました。それを是非とも知っていただこうと、これから詳しく説明していこうと思います。

 病原菌類がなぜ鉄をほしがるのかと言えば、それはその病原菌の中のミトコンドリアが強烈に鉄を欲しがるからです。では何故ミトコンドリアが鉄を欲しがるのかといいますと、ミトコンドリアは酸素を使ってATPというエネルギーを造りだすのですが、その酸素を取り込むのに鉄が必須だからです。要するに酸素という危険な物質を処理するために鉄の助けをかりて安全に運ぶ必要があったということです。これは、人間で言えば、呼吸で得た酸素というやっかいだけど力が途方もなくある奴を、細胞にまで運ぶには鉄製の赤血球という特別車両でなければできないのと同じことです。つまり、それほど鉄は特別に大事なものだということです。だから、病原菌もわざわざ鉄を取り込む物質を造ってまで鉄を奪おうとするのです。

 この事実をもとに、生命の歴史の論理の光をあてて想像してみますと、まず水とともに誕生した原始の生命が、水を通して差し込んでくる太陽の光を使って光合成を営みます。そして、その結果として酸素を老廃物として排泄します。こういうことがあちこちで行われますと、水の中は次第にその生命体の老廃物である酸素によって汚染されていきます。この酸素は、活性化すると細胞を壊してしまうとても危険なものですので、これが増えることは、じつは生命体にとって命にかかわるとても危機的な状況なのです。

 この生命の危機に対して、逃げることによって生きのびたのが現在の嫌気性菌です。その一方で、逃げずにその危機に立ち向かって見事克服して生命の進化につなげたものたちもいました。そのおかげで私たちがこうして存在できているその英雄たちは、どうやって克服したのでしょうか?その手がかりが、現在の生命体の細胞のほとんどにミトコンドリアという酸素を処理する専門の器官が存在していることです。この問題について、現代の生物学の有力な説はミトコンドリアの細胞内共生説です。まずは、これがどのようなものかから見ていきましょう。これを分かりやすく物語風に説明したものがありますので、それを紹介しましょう。

    *             *

    ミトコンドリアの誕生
                          吉富信長
 ミトコンドリアは(一部を除き)ほとんどの細胞の中に存在し、細胞の中で呼吸をしてエネルギーを生産する小器官です。ミトコンドリアはある意味、共生菌とも言われています。太古の地球において、ある細菌同士の出会いと融合により、真核細胞が現れ、のちに多くの生命を生むことになったのです。

 太古の地球では光合成によってエネルギーを産生する光合成細菌が登場し、これがシアノバクテリアといわれる細菌に進化しました。シアノバクテリアの登場により、今までほとんどなかった酸素が地球上に多く振りまかれたのでした。

 地球における酸素上昇により、αプロテオバクテリアという光合成細菌から派生した細菌が登場します。これはのちのミトコンドリアです。αプロテオバクテリアは酸素を好み、海の浅瀬で有機物を食べながら生きていました。

 深海では、酸素を嫌う、嫌気性細菌のアーキア(古細菌)がいました。しかし、海中にも酸素濃度上昇が及び、海底の硫酸塩の濃度も上昇してしまいます。これにともない、硫酸塩を還元する細菌種にアーキアは追いやられてしまい、ついに海の表層まで移動しました。

 ここで、αプロテオバクテリアはアーキアと出会い、アーキアが取り込んだ栄養を少しずつ横取りしていくのです。アーキアはこれに抵抗しませんでした。なぜなら、嫌気性のアーキアは酸素が苦手であり、酸素好きのαプロテオバクテリアがこの酸素を利用・除去してくれるという、お互いの共生関係が一致したからです。

 そして、ついに、アーキアはαプロテオバクテリアを取り込むことになり、αプロテオバクテリアはアーキアの共生菌としてミトコンドリアとして進化したのです。これは約二十億年前に起きたと言われており、その後の地球史を大きく変えた、運命的な出会いと言われています。さらにαプロテオバクテリアは自分の遺伝子の大部分をアーキアに渡しました。

 ところが、一つだけ課題がありました。それはαプロテオバクテリア(=ミトコンドリア)は副産物として活性酸素を生成してしまうことです。アーキア(=細胞)はこの活性酸素の被害を避けるために、遺伝子情報を守るスペースが必要となりました。そして、アーキアはこの遺伝子を核というスペースに移動させたのです。こうして、細胞核にDNAが登場し、さらにミトコンドリアも少量のDNAを持っていると考えられています。

 以上の流れにより、真核細胞がスタートし、ミトコンドリアはエネルギー通貨であるATPを産生する細胞内小器官として働いているのです。

        *          *

 この細胞内共生説は、現代の生物学の説にそったもので、物語風にしていてとても分かり易く書かれています。ですから、これから行う批判はこの方の説への批判というより、現代の生物学の説に対する批判として見ていただきたいと思います。

 まず、私が言いたいことは、細胞内共生説自体にそもそも無理があり、疑問が残ります。それはまず、異物が体内に入って拒絶反応は起きないのか、という問題です。原始的でまだ未熟だったから起きなかったという説明が予想されますが、むしろ未熟であればあるほど難しいと思います。物語ではずいぶんと大人な対応で描かれておりますが、人間が勝手に妄想して作られたストーリーです。現実はそんなものではないはずです。

 これは、人間がいろいろな実験でいじくりまわしているので、そういう感覚のまま原始の時代の生命の在り方を考えるのでこうなってしまうのです。人間以前の生命は、本能に忠実ですからこういうでたらめは絶対にしません。生命の統一性・一貫性を乱すようなことはしないのです。

 また、このような細胞内共生説が何故生まれたかのもう一つの理由は、ミトコンドリアが本体とは別個に独自のDNAをもっているという事実を、生命の論理にしたがってうまく説明できないためです。なぜ説明ができないかと言いますと、学問の基本である弁証法の論理学を勉強していないからです。だから、他の問題でも同じように、隕石という外的要因によって生命の誕生がもたらされたとか、恐竜が絶滅した、と説明したがるのです。このように説明が難しい案件に遭遇すると、その物自体の論理性・体系性を無視して、すぐに安易なご都合主義の説明に走ってしまうのです。

 しかし、現実の;生命は実に弁証法的です。〈生命〉を脅かす否定的媒介としての〈酸素〉に直面した時に、その対立を統体的に止揚・統一して、さらに一段上の発展を実現しました。すなわち、その当時ちょうど生まれたばかりの〈酸素〉と〈鉄〉の両者を媒介して互いに結合しあう性質を造り上げつつ、ミトコンドリアという全体から隔離的に独立した専門の処理する器官を造って(二重構造化して)その有害な〈酸素〉を莫大なエネルギーをもたらす起爆剤に変えて、新たな発展の大きな原動力にしてしまったのです。余談ながら金属の中で何故鉄が錆びやすいのかは、このような事情があったからなのです。

 しかし、このミトコンドリアという特別な施設を造って危機を飛躍のバネにしたことは、本当に凄いことだったのです。これがあったからこそ、その後の生命の人間にまでいたる発展が可能となった、と言っても過言でないほどの大革命だったのです。それを物語るものが、現在の生命体のほとんどの細胞にミトコンドリアが存在しているという事実です。

 したがって、何故ミトコンドリアに独自のDNAがあるのかという謎は、酸素という危険物質を処理するために本体から隔離する一室を設ける必要性が生じて、そこを本体から相対的に独立した器官として、ある程度独自の発展ができるようにした結果としてミトコンドリア独自の経験の集積をするためのDNAが置かれたというわけなのです。つまり、現場の自主性に任せるということです。しかしながら、それはあくまでもその細胞の核による全体的な統括という範囲を逸脱するものではなく、あくまでも全体の一部としての主体性ということです。

 また、あたかも活性酸素から守るために核ができたかのような説明になっているのも、同じように、DNAの組織化・専門分化という内的必然性によって説明しようとせず、外的要因によってできたかのような説明になっていますが、これも正しくないと思います。つまり、細胞が本体とミトコンドリアとの二重構造体になったために、その複雑な統括をしなければならないので、核という専用の指令室を設けたのであって、活性酸素から守るために核シェルターが造られたのではないと思います。


Pass

[2009] この単細胞における二重構造化の革命的意義をあらためて考える
愚按亭主 - 2016年02月28日 (日) 21時01分

 細胞の中にミトコンドリアができたことの意義は、生命にとって危険だった酸素を含んだ環境が、生命にとってとても生きやすい基本的な環境に大転換したことです。これは、その後の生命のすべてが好気性となり、古い嫌気性の生命が、深海や地中の奥底・片隅に隠れ棲むようにひっそりと生きている現実を見れば、一目瞭然ではないかと思います。

 つまり、このミトコンドリアを自分の力で造って自らを二重構造化したことは、その後の生命の運命を劇的に変える一大革命だったわけです。せっかくのこのような生命の偉大な営みを、異種の生命が細胞の中に入り込んで共生を始めるなどという病的な歪んだ現象のように解釈して矮小化することは、生命の歴史を汚し冒涜するものに他ならないと思います。もし私がその当事者でしたら、血のにじむような必死の思いで造り上げたものを、あたかも他人に造ってもらったかのように言われたら、人を愚弄するにもほどがある、とカンカンになったことでしょう。

 先に私は「細胞内共生説が何故生まれたかのもう一つの理由」として「ミトコンドリアが本体とは別個に独自のDNAをもっているという事実を、生命の論理にしたがってうまく説明できないためです。なぜ説明ができないかと言いますと、学問の基本である弁証法の論理学を勉強していないからです。だから、他の問題でも同じように、隕石という外的要因によって生命の誕生がもたらされたとか、恐竜が絶滅した、と説明したがるのです。このように説明が難しい案件に遭遇すると、その物自体の論理性・体系性を無視して、すぐに安易なご都合主義の説明に走ってしまうのです。」と述べておきました。

 偉そうな口をきいたからには、この問題をその論理性・体系性にしたがって弁証法的に説いてみせなければ、口だけで中身が何もないと軽蔑されることになりましょうから、名誉をかけてチャレンジしてみようと思います。

 まず、弁証法というのはこの世界(宇宙)の本流の流れを二重構造的に解いていくものですから、その流れの中に今回の単細胞における二重構造化を、その論理性・体系性にしたがって正しく位置づけることができれば、その革命的な意義がより明確になると思いますので、それを説いていくことにします。

 まず、私たちがいるこの宇宙は二重構造になっていることをご存知ですか?どういう二重構造化といいますと、前宇宙的物質と現宇宙的物質の二重構造になっています。だから、力学も前宇宙的物質のすなわち素粒子の量子力学と、ニュートン力学をベースにした原子や星などの現宇宙的物質の力学との二重構造になっているのです。

 その現宇宙の中の我々に関わる太陽系も二重構造になっています。どういう二重構造かといいますと、太陽の爆発によって太陽から飛び出して鉄などの比重の想い物質で構成された惑星(水星・金星・地球・火星)と、自ら星になる渦巻き運動をしながら太陽に引き寄せられていく途中で太陽の爆発が起きてそこで太陽の周りの軌道を回るようになった惑星(木星・土星などの太陽と同じ水素ヘリウムで構成されて多くの衛星を伴う)との二重構造です。

 そしてその太陽系の中で、月という他の星では見られない兄弟星といえるほどの大きな衛星との二重構造的な運動している特異な星が地球です。これもまた二重構造と言えるものです。何故なら、この二重構造のおかげで生命の誕生という革命的な出来事が起きたからです。つまり、この地球と月の二重構造が、生命の誕生をもたらしたということです。

 そしてこの生命の誕生、すなわち生命の地球からの相対的独立化は、すなわち地球が二重構造化したことを意味します。そして、その原始の生命であった単細胞が、自らの排泄物であった酸素によってその命を脅かされたとき、その酸素という危険物質を生命の発展に役立てられる有益なエネルギーに変えることのできるミトコンドリアという独自のDNAを持った独立性を持った専門器官を造るという形で、自らを二重構造化してその危機を乗り切ったのです。

 これは、後に森林の火事などで命を脅かした火を、人類が有効利用して料理などの文化を著しく発展させたのと同じ構造をもつものでした。つまり、酸素は、以後の生命にとってなくてはならない大切なものになったということです。ですから、生命は、その後、二酸化炭素を取り込んで酸素を吐き出す生命すなわち植物と、その酸素を消費して二酸化炭素を吐き出す生命すなわち動物とに二重構造化していったのです。

 そして、その動物の発展によって、ついに人類が登場して、それまでの生命の本能による一元的な統括の在り方が、本能による統括の上に、認識(アタマとココロ)による全体の統括が覆うという二重権力的な二重構造が生まれました。つまり、人類の身体は、それまでの動物にはなかった生物体と生活体との二重構造体になった、つまり二重構造化したということです。

 また、その人類の内部ではそれまで全体を統括していた本能の一部であった認識が本能的な部分と本能的でない部分とに二重構造化し、新たに誕生した本能的でない認識が次第に実力をつけていって本能に代わって全体を統括するようになるというクーデター・脳内革命を起こしたのです。

 この事の意味・意義について、もう少し考えてみましょう。本能は、地球と生命の双方にまだ内在的な発展力があった時代に、その双方の発展力の相互浸透の結晶として、相手の性質を自らの性質として一体的に創り上げられたものです。だから本能は、自らを育んでくれた環境にピッタリ合った合理的な統括をするのです。しかし、それは内在的なものであり受動的なものであり、その環境にしか適応できないという固定的なものである結果としてほとんど発展性がないという欠点を持っておりました。このことを指して私は本能を相対的真理と呼んでいるのです。だから、生命と地球の内在的な発展力が衰えた時代を迎えた時に、この発展性のない本能は無力でした。

 この時に人類の脳内で起きたクーデター・革命の意義は、その限界を乗り越えるために、一旦その柔軟性のない本能的合理性(相対的真理)を否定して(第一の否定)、発展性のある認識となって自らの力で試行錯誤を繰り返しながらも着々と実力を養っていき、やがてこの世界の発展の全論理体系を、自分の認識の中に創り上げて、どんな変化にも対応できる柔軟な弁証法的合理性(絶対的真理)を獲得する(第二の否定)ためのものであったと把えるべきものだと思います。

〔弁証法を獲得するための認識の二重構造化〕
 そして、この時に生まれた認識の二重構造化について、もう少し掘り下げてみますと、本能的の一部であった認識をそのまま受け継いだ認識は、体内外からの反映と直接に結びついた現実の自分の生の感性的な認識であり、これを即自的認識と呼ぶことにします。これは、本能的認識を受け継いでいるだけに、相対的真理の系統の認識であり、それ故唯物論的な認識であると言うことができると思います。

 他方、人類がまだサルであった時代に、木に登ったことがキッカケとなって新たに生まれたところの現実に縛られないで自由に運動できる認識の方は、対象の内部に入りこんで論理的認識を創り上げたり、外から自分を眺めて自分を客観視したり、未来の自分の像を創像(想像)してそこへ向かおうとする意志を喚起したり、高い位置から世界を俯瞰して大局的見地を養ったりできる理性的な認識です。これが絶対的真理の系統の認識であり、それ故観念論的な認識であると言うことができると思います。

 このように考えますと、認識の二重構造化自体に、すでに地球と生命が逢着する限界を乗り越えるものに発展していく本質的な必然性が存在していたということができると思います。つまり、人類は絶対的真理を獲得するために認識を二重構造化したといえるということです。

〔弁証法の本能化の構造〕
 しかし、何よりも重要なことは、ここから先にあります。すなわち、相対的真理の系統の認識と絶対的真理の系統の認識とが、感性的認識と理性的認識とが、唯物論的認識と観念論的認識とが、互いに相互浸透し合って、各々が各々として自らを完成するとともに自らを他のものとして完成させるという統一をはたすことです。より具体的に言えば、前者が相対的真理の感性的弁証法として自らを完成し、後者は後者で自らを絶対的真理の理性的弁証法として完成するだけでなく、前者は自らを理性的弁証法としても、後者は自らを感性的弁証法としても完成させるという形で統体的に止揚・統一して一体化させることです。これがすなわち、弁証法の本能化であり、動物的本能を捨てた真の目的の達成なのです


 このように世界・生命・認識はつねに二重構造化を繰り返しながら発展してきたのです。このような見方からするならば、単細胞自身が自分の力でミトコンドリアを造りだして自ら二重構造化したと考えるのが世界の発展の流れとして自然なことであり、その論理性・体系性にそったものであるといえると思います。しかも、それはただミトコンドリアを造りだして酸素を使えるようにしただけでなく、生まれたての鉄の性質が固まる過程で酸化しやすくさびやすいという鉄の性質までも造り上げてしまったのですから、凄いとしか言いようがありません。

Pass

[2010] ミトコンドリア細胞共生説批判の続編です
愚按亭主 - 2016年03月03日 (木) 17時32分

 先にミトコンドリア細胞内共生説を展開するきっかけを作ってもらった方が、さらに興味深い事実を紹介してくれていますので、それに対する解釈もまた面白かったので、取り上げてみたいと思います。ついでにそこで使われていた図も併せて拝借します。

      *            *

      ミトコンドリアの母性遺伝

 ミトコンドリアの母性遺伝は有名ですが、簡単にまとめておきます。有性生殖における受精では、男性は悲しい運命を辿ります。なぜなら、精子が卵子に受精するとすぐに、精子中のミトコンドリア遺伝子は全て排除されるからです。ミトコンドリアの視点から見れば、男性は所詮、女性の命を継承していくための生き物といえます。

そもそも、ミトコンドリア遺伝子において精子側が消去されてしまうことには理由があります。ミトコンドリアはあくまで宿主である私たちの細胞の寄生細菌であるために、私たちの細胞はミトコンドリアが雌雄の遺伝子を交雑させることを許さなかったからです。もし、許してしまえば、ミトコンドリアが雌雄の遺伝子を交換したために、私たちの宿主の細胞を脅かす強力な生物へと進化してしまい、従属関係が成り立たなくなるからです。

 もうひとつの理由としては、卵子に結合する前の精子はその競争によってミトコンドリアに活性酸素が大量に産生され、これによって遺伝子が損傷している可能性があるからです。こうした損傷伝子を迎え入れるわけにはいかないからでしょう。

 以上の母性遺伝は、一般的に、同じ種どうしで交雑した種内雑種の話です。実は、受精後に父性ミトコンドリア遺伝子が排除されないモデルが存在することがわかりました。このモデルは種内雑種では見つからず、種間雑種といって異なる種が交雑して生まれた個体で見つかったのです。同じ種ではないのですが、受精した場合にぎりぎりに妊性がある異種の個体どうしです。たとえば、ライオンとタイガーのハイブリット動物であるライガーなどと思ってください。こういった受精においては、希少な確率ではありますが、父性のミトコンドリア遺伝子が見つかることがあります。種内雑種では父性ミトコンドリアを認識するものがありますが、種間雑種ではその認識がうまく働かないからだと言われています。

 いずれにしても、こういった種間雑種におけるハイブリット動物では、一代限りであり、父性ミトコンドリア遺伝子は次の世代までには伝わることはないそうです。

 当然ですが、細胞の核にある遺伝子は父方も母方もから半分ずつ受け継がれますので、ミトコンドリア遺伝子とはごちゃごちゃにならないようにしてください。

      *          *

 ここには大変興味深い事実が提示されています。しかし、その事実に対する解釈は、いただけません。ミトコンドリアは寄生細菌だという一般論から解釈するとこういう説明になるということは、よく分かります。ですから、そもそものその一般論から疑ってかかる必要があります。その一般論よりもより高度な一般論、すなわち〈生命とは何か〉から、その一般論を検証しなければならない、ということです。

 生命とは、不断に変化することによって自分として変化しないという運動形態を造り上げた物質を言います。たとえば、私たちが何日も食事をとらないでいると餓死して自分が消滅してしまうという変化を起こしてしまいます。また、結婚して子供を造るという世代交代という変化を持たなければ人類は滅亡してしまうという変化に見舞われることになってしまいます。

 その世代交代にしても、クローンのように同じ遺伝子で何代も継続しようとすると必ず劣化を起こして絶滅してしまうというように、世代的にも変化しなければ、種として変化せずに維持することは不可能なのが生命の特質なのです。だから、生命の発展の過程において、両性に分かれて違う者同士の交配・止揚・統一という世代的変化が必然性となっていったのです。

 しかしながら、この両性はもともと一つであったものが分かれて二重構造化したものであることは生命の歴史を見ればすぐに分かることです。したがって、細胞内共生のように別々のものが一つになったのではありません。現象としては似ていても全く中身が違うのです。片方は受精という必然性のある現象ですが、もう一方には必然性はありません。にもかかわらずもしあるとすれば、それは冬虫夏草のように病的現象です。しかし、冬虫夏草は寄生ではあっても共生ではありません。また、腸内細菌はたしかに共生ですが、腸内は体内ではあっても実質体外です。

 かくして両性がめでたく合体して新たな生命が誕生するに際して、両性の核内の遺伝子は融合一体化するのに対して、ミトコンドリアの遺伝子は、そういうことはなく大抵は精子の側のミトコンドリアは分解・消滅させられてしまう運命になっているのはどうしてか、というのが今回のテーマです。

 ミトコンドリア細胞内共生説では、この事実を、もともとミトコンドリアは寄生細菌で危険だから雌雄の遺伝子を合体させないためのものだ、と説明しています。しかしながら、この説明は、以前の説明を否定する内容が含まれているという意味でスジが通りません。それはどういうことかといいますと、次のように説明しているからです。

「αプロテオバクテリアはアーキアの共生菌としてミトコンドリアとして進化したのです。これは約二十億年前に起きたと言われており、その後の地球史を大きく変えた、運命的な出会いと言われています。さらにαプロテオバクテリアは自分の遺伝子の大部分をアーキアに渡しました。」

 つまり、この寄生細菌は共生するにあたって、宿主に自分の遺伝子の大部分を人質として渡しているのだそうです。ならば、ミトコンドリア内の残りかすの遺伝子が両性合体しようが、それが細胞本体を脅かす異種生物になる可能性はないはずです。このように、この説明は残念ながら前の説明と統一して考えるとスジの通ったものではありません。

 ならば、お前ならどう説明するのかと詰め寄られそうですね。分かりました。説明しましょう。これは簡単です。両性の遺伝子が止揚・統一されて新たな生命として生まれた受精細胞において、ミトコンドリアの遺伝子が核の遺伝子のようにならない理由は、その新たな生命の個性を統括・表現するのは核の遺伝子のみだからです。ミトコンドリアは呼吸によるエネルギーを生み出す器官にすぎないので、それ専門の遺伝子にそんな余計な手間をかける必要はないということです。無用な混乱をもたらすようなことをしないで、その仕事に慣れているどちらか一方を採用した方が効率的だということです。ちなみに、たいていは母性の方すなわち卵子のミトコンドリアの方が使われて、精子のミトコンドリアはみな破壊されるようです。(図参照)

 これは、卵子の大きさと精子の大きさを比べてみれば一目瞭然だと思います。つまり、エンジンの排気量の次元が違うということです。精子の方は卵子にまで到達できれば良いレベルの排気量しかないのに対して、卵子の方は受精卵が一顧の生命体にまで成長するのに耐えうる排気量になっているはずだからです。

 また、ほとんどの生命体の基本となる細胞が、このような危うい関係の上に成り立っているというのはどう考えてもスジが通りません。寄生細菌との共生によってやっと酸素のある環境でも生き延びることができた細胞に、それ以後の爆発的な発展をもたらす力があるとは思えないのです。となると、それ以後の生命の発展をスジを通して説明できなくなります。

 ここはやはり「その原始の生命であった単細胞が、自らの排泄物であった酸素によってその命を脅かされたとき、その酸素という危険物質を生命の発展に役立てられる有益なエネルギーに変えることのできるミトコンドリアという独自のDNAを持った独立性を持った専門器官を造るという形で、自らを二重構造化してその危機を乗り切ったのです。」と把える方が生命の発展のダイナミズムを正しく把えていると思います。それが如何に凄いことだったのかは、鉄が物語っているといえます。つまり、この生命の、危険物質である酸素を無害化する事業は、ミトコンドリアを造り上げただけでなく、酸素を安全に運搬する道具として、その時身近に存在したまだ若い可塑性に富んだ元素であった鉄の性質を、酸素と結びつきやすい性質として造り上げるほどの全地球を巻き込んでの一大事業だったのです。これは、生命が、水の性質を生命が生きていける環境としての最適の性質を造り上げたのと同じようにです。

 そして、この細胞内二重構造化が、細胞外二重構造化すなわち多細胞的分業体制化へという生命の歴史における大発展の端緒を切り拓くものだったのです。こういう見方と細胞内共生説とを比較してもらえれば、ミトコンドリアを寄生細菌とみる見方が、その後の生命の発展と結びつかない、とてもおかしな見方であることか分かっていただけると思います。

 やはり、「せっかくのこのような生命の偉大な営みを、異種の生命が細胞の中に入り込んで共生を始めるなどという病的な歪んだ現象のように解釈して矮小化することは、生命の歴史を汚し冒涜するものに他ならないと思います。」とあらためて思います。


Pass

[2011] 古細菌→真正細菌を経て真核生物が誕生した
愚按亭主 - 2016年03月18日 (金) 22時25分

 ミトコンドリアの細胞内共生説を支持する人たちは、二つの大きな勘違いをしています。この勘違いは、弁証法の学びがないために犯してしまった誤りと言ってよいものだと思います。そしてこの問題を検討する中で、面白いことが分かってきました。現代生物学の常識では、核とミトコンドリアを持つにいたった真核生物は古細菌類から進化したことになっていて、真正細菌類はその系統から外れた生物ということになっています。とこるが、細胞内共生説批判を推し進めていくと、真正細菌類系統のDNAが真核生物の核内のDNAにもある、という事実につきあたりました。

 ところがこの事実を、細胞内共生説を支持する人たちは、真正細菌類は系統外という立場から解釈しようとするために、真正細菌類が真核生物内に入り込んで寄生し、そのDNAの一部を真核生物の核に譲り渡したので、その核内に系統外の真正細菌類のDNAも存在するようになった、という説明を大真面目で説いているのです。これは滑稽ですらあります。前置きはこれくらいにして、さっそくこの問題に対する検討を、以下に展開していくことにしましょう。

 まず、細胞内共生説を支持する人たちの二つの勘違いについて見ていくことから始めたいと思います。
@、細胞内共生説は、人間社会の在り方との共通性にその根拠を得ようとする勘違いです。たとえば
「古代の日本には中国や朝鮮から専門職を持った多くの帰化人が渡来し、日本の各地に住み着いた。いまでもその子孫は日本人として日本の各地に暮らしているが、彼らが帰化人の子孫であるかどうかは一見しただけでは分からないであろう。しかし、たんねんに系図を辿ってゆけば、どの国から渡来した人の子孫であるかは分かるに違いない。 
 ミトコンドリアや葉緑体は今では真核細胞内の重要な細胞内小器官と化しているが、もともとは由来の異なる真正細菌が真核生物の祖先細胞に共生したことで進化したのなら、帰化人の由来を尋ねたと基本的に同じ手法で、彼らの由来が分かるに違いない。」(宮田隆)

 人間は、自然の在り方を目的意識的に変えることによって人間の社会を作ってきました。そういう人間の在り方を本能的・自然成長的な生命にそのまま当てはめるのはあやまりです。さらに言えば、細胞内での共生と、固体外における共生(これは自然界においても普通にみられる現象で人間の腸内細菌も実態は対外における強制です)、および集団内・国家・社会内での共生とは次元が異なる問題ですので、同列に論じることはできない問題です。その意味で二重に踏み外しを行っていることになります。

A、生物の系統樹をの在り方をそのまま生命の本流の進化の在り方と勘違いしてしまっている点です。たとえば
「最近の遺伝子の比較研究から、真正細菌に比べて、真核生物と古細菌とは互いに近い親戚であることが明らかになってきた。しかしながら、このことは真核生物の核のDNAに関してのことであり、真核生物の細胞中にあるミトコンドリアや葉緑体などの細胞内小器官の由来は別である。ミトコンドリアや葉緑体は核とは別に独自のDNAをもっており、これらは系統的には真正細菌に近いのである。このことから、これらの細胞内小器官は真正細菌が真核生物の祖先に共生して進化してきたものであることがわかる。」(長谷川政美、橋本哲男)

 生物の系統樹は、生命の本流の流れの途中で分岐して独自の発展を遂げた完成形の体系であって、生命の本流の発展の過程的構造そのものではありません。では、生命の本流の進化はどういうものかと言いますと、生命の誕生から常におとづれる環境の変化という試練に対して若いまだ未完成の可塑性に富んだ生命が、それまでの生命の営みを受け継ぎながら、人間へと至る道を連綿たる発展の連鎖として歩んでいくことです。

 近年の技術の発展によって生物の系統樹も、遺伝子の解析によってかなりその過程的なつながりがわかるようになってきているようですが、肝心のそれを使いこなす研究者の方に、学問的な教養や弁証法の素養がないために、せっかくの遺伝的な事実の解明も、宝の持ち腐れに終わっているケースが多いようです。その典型が、この細胞内共生説です。せっかく遺伝子のゲノム解析によって、真核生物の核内の遺伝子に真正細菌類の系統のDNAが存在することを突き止めながら、真正細菌類の完成形の形態が真核生物とかけ離れたものになってしまっていることから、その遺伝的な事実を無視・否定して進化的な系統関係はないとしてしまったのです。その上で、系統的な関係がないはずの真核生物の核内に真正細菌類の系統のDNAが存在するという謎を説明するために、寄生細菌の細胞内侵入という夢物語を作り上げて、共生関係を築くときにDNAの一部を真核生物側に譲り渡したために、進化的に系統関係にないはずの真正細菌類のDNAが真核生物の核内に存在するようになったという説明をするようになったのです。これができたときには、さぞうまいこと説明できたとほくそ笑んだことでしょう。

 ところが、じつはこれが学問の歴史をゆがめるようなとんでもない誤りです。生物の系統樹と生命の本流の発展史との区別と連関がわかっていないために、技術の発展による遺伝子解析のおかげで家庭的事実が明らかになって、現象論的な生物の系統樹の誤りを正す絶好の機会をつかむどころか、それをも強引なこじ付け的な解釈で糊塗してしまって、学問の発展のチャンスをぶち壊してしまったのです。

 そこで、この区別と連関を正しく統一できる弁証法で正しくこの問題を解いてみせると、真核生物の核の中に真正細菌の系統の遺伝子があるという事実は、細胞内共生説のいうような、寄生細菌であるミトコンドリアのDNAによって真核生物の核内の一部が乗っ取られたのではなく、真核生物が古細菌から真正細菌の段階を経て誕生したという生命の本流の発展の歴史が新たに明らかになるのです。つまり、現在の生物学の常識は書き改められなければならないということです。

 そのことを示す事実が、現存する最古の真核生物であるランブル鞭毛虫のミトコンドリアの相同小器官であるミトソームです。これに関連する二つの記事を紹介しましょう。

「ミトコンドリアのないランブル鞭毛虫が核DNAに移したミトコンドリア用の遺伝子、シャペロンcpn60遺伝子やバリンtRNA合成酵素(ValRS)遺伝子をなぜ失わずに保存しているのか?もともと核DNAに存在していたValRSはミトコンドリアの共生後失われ、代わってミトコンドリアDNAから移ってきたValRSを細胞質とミトコンドリアの両方で兼用することになった。すなわち、細胞質タイプのValRS遺伝子はミトコンドリアタイプの遺伝子で乗っ取られてしまったことになる。そのためミトコンドリアそのものがなくなってもValRS遺伝子が存続し続けているのは納得できる。
 ではシャペロンcpn60遺伝子はどうだろうか?ミトコンドリアで使うタンパク質は、もともとは自前のDNAにコードされていた遺伝子で作られていたのだが、細胞内共生が確立した後、多くの遺伝子は宿主の核DNAに移動してしまったため、ミトコンドリアで必要なタンパク質はまず細胞質で作られ、その後ミトコンドリアに運ばれる必要が生じてきた。その際、ミトコンドリアの膜を通して分子を運ぶ、シャペロンというエスコート役のタンパク質の介在が不可欠となる。cpn60遺伝子はそうしたエスコート役のタンパク質なのだ。その遺伝子がミトコンドリアを持たないランブル鞭毛虫に存在するということは、ミトコンドリアそのものではないにせよ、ミトコンドリアの一部を残した小器官がランブル鞭毛虫にあるのかも知れない。」(宮田隆)

「われわれは、リボソーム上でタンパクを合成する際に関与する遺伝子(ペプチド鎖伸長因子)の解析から、ミトコンドリアをもたないこの2種の原生生物が、ミトコンドリアが共生する以前の真核生物の祖先型生物である可能性が高いことを明らかにした。さらに、赤痢アメーバよりもランブル鞭毛虫のほうが、先にほかの真核生物から分かれたものであることもわかった。したがって、ランブル鞭毛虫は、真核生物のもっとも古い系統の一つに属する可能性が高い。
ランブル鞭毛虫は、二つの同じ大きさの核をもっており、それぞれの核は一倍体である。したがって、進化の過程でもしもこの二つの核が融合したとすれば、動物、植物、菌類などのような高等真核生物のもつ二倍体の核が生じることになるわけで、この原生生物はその意味でも祖先型の真核生物であることが示唆される。」
(はせがわ・まさみ/統計数理研究所教授、はしもと・てつお/同助手)

 前者は細胞内共生説の立場から一生懸命ミトコンドリアのないランブル鞭毛虫という最古の真核生物にミトコンドリア系統のDNAが存在する事実をもともとあったものが必要がなくなって亡くなったがDNAだけが残った、と説明しようとしています。

 しかし、後者のほうは「ミトコンドリアが共生する以前の真核生物の祖先型生物である可能性が高いことを明らかにした。」としています。ところが、そうならばもっと考えるべきことがあるはずなのに、共生説を既定の事実として、思考を停止してせっかくの生物学の歴史を塗り替えるチャンスを逃しています。

 細胞内共生説という先入見がなければ、この事実を素直に見ることができて、ミトコンドリアが外から侵入したものではなく、その細胞内で徐々に造られていったことを物語るものです。また、このDNAは、真正細菌類と共通するそうですから、細胞内小器官ができ始めた段階の真正細菌の過程を経て真核生物が誕生したことを、この事実が物語っていると思います。それを物語る事実が既に存在しているのです。

「2003年ジョージ・トバーらは、ランブル鞭毛虫がミトコンドリアの相同小器官と考えられるミトソームを持っていることを明らかにし、話題になっている。生物のエネルギー源であるATPは電子伝達系を介してミトコンドリアで生産されるが、鉄?−硫黄クラスターと呼ばれる補助因子が電子伝達機能の活性中心である。鉄?−硫黄クラスターの合成は常にミトコンドリアで始まる。ところでランブル鞭毛虫にはミトコンドリアがないのに、鉄?−硫黄クラスターが存在することが知られている。では鉄?−硫黄クラスターはどこで生成されているのであろうか?これがトバーらの疑問であった。
 鉄?−硫黄クラスターの生合成に関与する、ミトコンドリアで働く遺伝子IscSとIscUがランブル鞭毛虫に存在することがすでに知られていたが、これらの特異的抗体から、彼らはランブル鞭毛虫に二重膜を持つミトコンドリア残存小器官ミトソームを発見した。通常の真核生物のミトコンドリアとは違ってランブル鞭毛虫のミトソームはATPを合成しない。むしろランブル鞭毛虫ではミトソームは鉄?−硫黄クラスターの組み立て工場として働く。そこで作られた鉄?−硫黄クラスターを使って細胞質でATPを合成するのである。」
(宮田隆)

 ここに書かれているのは、ミトコンドリアが出来上がる前の過程が、しっかりと描かれています。すなわち「ランブル鞭毛虫ではミトソームは鉄?−硫黄クラスターの組み立て工場として働く。そこで作られた鉄?−硫黄クラスターを使って細胞質でATPを合成するのである。」つまり、危険な酸素に対して生命はまず、その酸素を鉄を使って無害化する工場を造ったそれがミトソームです。そして無害化された酸素を細胞質でエネルギーにかえるということをしていたということです。やがて生命は、酸素をエネルギーに変えるための専用工場であるミトコンドリアを造り上げたわけです。

 そして、そういう専用工場を造り上げるのに、生命が真正細菌類時代に獲得したDNAが大いに役立ったということを物語っています。ということは、生命は、真正細菌類の段階をへて真核生物になったということを意味します。また、最古の真核生物に核が二つあったという事実は、そのうちの一つの核がミトコンドリアを作り出すのに活躍して細胞内二重構造化へと発展していったのではないかという気がします。
 

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