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[3055] 今の人類が最も必要とするものは何か
愚按亭主 - 2019年09月02日 (月) 21時55分

 マルクスが人類に対して行った重大な犯罪は、ヘーゲルの学問を壊してしまったこと、否、壊しただけでなく、そのヘーゲルの学問の輝きを盗みとって加工し、人類を騙すという詐欺をおこなって、人類を、はてしない地獄への道へと彷徨い込ませてしまったことです。

 そのマルクスの犯した人類への散財の中で、最も基本的かつ重要な罪は、ヘーゲルが、論理学の歴史を踏まえて創り上げた、画期的な生きた論理学を壊して、前の時代の論理学である死んだ論理学、すなわちあれかこれかの形式論理学に戻して、人類の歩みを後退させてしまったことです。

 ところが当の本人は、唯物弁証法はヘーゲルの弁証法を前進させたものであると思い込んで、いい気になっていたようです。それが如何に嘘であったかは、その後の歴史が証明しています。事実から出発する唯物論の立場に立つとしながら、実際には、事実を無視して未熟な観念を現実に押しつけて、現実からしっぺ返しを受けて、大勢のマルクスを信奉する人民を飢え死にさせたという、社会主義の輝かしい実績があるからです。また、習近平も、そうした歴史的に実証された誤った社会主義の独裁、を性懲りもなく実践しようとして、本来社会主義の主体であるはずの労働者を信用せずに、弾圧の対象として監視する体制を社会主義と嘯いています。これがマルクスの云う唯物弁証法の実態であり、独裁か民主かのあれかこれかの形而上学的でしかない実体なのです。

 しかし、この発想は、習近平に限らず、現在の人類の共通してみられる、今の人類の論理学の現実なのです。つまり、現在の人類には、ヘーゲルの生きた論理学は、残念ながら見あたらないという実態だということです。これは、偏にマルクスの罪であり、マルクスが行ったことは、人類に対する重大な犯罪だったということです。

 このような人類の論理学の現状だから、ほとんどの者が、理念と現実とを統合できず、理念を主張する者は、現実を無視する傾向が強く、現実を主張するものは単視眼的になって、本質的な議論ができにくいという現実となっているのです。ところが、ヘーゲルは、彼の生きた論理学から、普遍性は現実性である、と理念と現実を統合した見方を示しました。すると、すかさず、マルクスは、これを根本的二元論だ、と批判しました。しかし実際は、あれかこれかの二元論は、マルクスの方で、ヘーゲルはその根本的論理を統合した結果として、普遍性は現実性であると主張したのです。

 先日、「これでいいのか文科省」という討論番組を見ました。教育の現場で現実と真摯に取り組んでいる人が集まって、鋭い問題提起がされていました。その中で、理念を現実に押しつけて現実を見ようとしないことに対する批判も出されておりました。その一方で、国家像の必要性が指摘されてはいましたが、そもそも「教育は何のためにあるのか?」という本質的な問題に対する正しい解答を出せずに、苦慮しているようにも見えました。

 こうした議論が、結局のところで行き詰ってしまうのは、民主主義と国家主義・全体主義とを、あっれかこれかという形で相容れない対極のものと固定化して捉える、死んだ論理学に囚われているからに他なりません。だから、国家主義的な観方をすることが、民主主義に反するものとして憚られ、自主規制されて、本質的な議論をできなくしてしまっているように思います。

 ヘーゲルは、全体と部分、国家と国民とは、互いに否定的媒介を通じて一体化して捉えることが、まともな学問的なとらえ方である、としています。普遍性は現実性であり現実性は普遍性であるとは、国家は国民であるということであり、国民は国家であるということです。だから、この普遍性を現実性化するために、教育は存在するのです。つまり、教育とは、その国家の普遍性・歴史性を、その国の子供たちにしっかりと学ばせて、その国の国民として立派に育っていけるようにして、そういう国民に支えられて、その国が国家としてまともに発展していけるようにするためのものです。

 決して、抽象的個人が、人権を盾として、それぞれ自分勝手に自分の好きなことをして生きていけるようにするためのものではありません。日本の国家が戦前に比べて劣化し、日本人もそれにもまして劣化している現実は、そのような教育がずっと行われてきたからに他なりません。

 また、その議論の中で、特に気になったことは、「国語の論理学」なる授業が行われているそうで、そこでは、契約書等を正確に認識できるようにすることが、論理学なのだそうです。ここでいう論理学とは、まさにAはAであってBでない、という形式論理学そのものであって、今の教育の実態は、それすらもままならないほどに、論理的認識が育っていない現実があることが話されていました。したがって、その必要性に異論はなさそうでした。しかし、本当に人類に必要な論理学、今の子供たちが学ばなければならない論理学は、そんなものであってはならないはずです。

 なぜなら、それでは人類は、まともな発展を創り出すことはできないからです。本当に学ぶべきは、人類史・人類の学問の発展史における、論理学の発展の歴史を学ぶとともに、かつて人類が到達した最高峰、すなわちヘーゲルが成し遂げた、生きた論理学、つまり運動体の弁証法の論理学の内実を学び、それがマルクスによって破壊された結果として、人類の発展は大きく歪められてしまったこと、その中で、かつての日本は、そのヘーゲルの生きた論理学を自然成長的に実践してきた世界で唯一の国であることを、しっかりと教えるべきです。

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