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[3016] 世界に類を見ない日本の言霊思想こそ日本が絶対精神である証
愚按亭主 - 2019年04月17日 (水) 10時19分

 戦後体制が壊れてきている今こそ、日本が自らすすんで自らを虜としてきたその呪縛を解き放って、本来の自分を取り戻す絶好のチャンスだと、青山繁晴氏が檄を飛ばしていますが、そんな時に「令和」の時代への御代替わりを迎えるということは、まさしく絶妙なる天の配剤と云うべきでしょう。

 そういう日本を取り戻す「令和」の時代を迎えるにあたって、誰もが問題にもしていないであろう問題、否、むしろ克服すべき課題として認識されている問題について、全く新たな視点からの問題提起をしてみたいと思います。それは何かと云いますと、日本の伝統的な言霊思想についてです。

 私は、この日本の言霊思想について、大方の批判的な議論に反して、これこそが、日本が、全人類の中で唯一、かのヘーゲルが羨むほどの、世界の本質である絶対精神としての歩みを、見事にしてきた国であることの証しである、と考えています。令和の出典となった「万葉集」や「古事記」に、この言霊思想が濃厚に貫かれている意味・意義は何か?それは、日本の国造りにこの言霊思想が大きく関わっていたことを物語るものです。

 ところが、この言霊思想に批判的な人々、とりわけその代表格と云える故山本七平氏や井沢元彦氏は、憲法9条を後生大事に守ろうとする日本人の心底には、この言霊思想が存在すること、臭い物に蓋をして済まそうとする心理が、自由な議論を阻んでいる、と指摘しています。

 この批判は、事実としてはこの通りであり、その事実を否定するものではありません。しかしながら、これはまだ現象論に過ぎず、問題の核心は更にもっと奥に存在するのですが、その奥の構造への切込みがないという意味で、表面的な皮相な批判でしかないと思います。なぜなら、その言霊思想が、今より支配的だった時代に、日本は強大な大国・隋に対して臆することなく対等であることを宣言し、侵略してきた元・高麗連合軍を撃退して、独立国家としての歩みを見事に守り切ったという歴史を持っているからです。

 言霊思想を説く場合は、この両者を統一して解かなければ、正しい答は得られません。言霊思想から脱皮しなければ本当の自由は得られない、という指摘は本当に正しいのか?の検証も必要になると思います。

 この問題を正しく解くためには、まず言霊思想とは何か?が正しく説かれなければなりません。では、言霊思想とは何かと云いますと、人間の精神・言葉には世界を変える力がある、という思想です。これは、自分が世界の本質であり世界を変える主体であるという思想ですから、強烈なと言って良いほどに主体的な思想です。ところが、戦後の日本人はどうでしょうか?主体性を喪失した抜け殻になってしまった日本人と云わざるを得ません。そういう主体性を喪失した日本人の言霊思想は、はたして本当の言霊思想といえるでしょうか。つまり、本物でないものを批判しても、本当に言霊思想を批判したことにはならないということです。ここは、むしろ安易に批判することよりも、本物の言霊思想を持て!と叱咤することの方が大事だと思います。

 では、本物の言霊思想とはどういうものでしょうか?それをより鮮明にするために、ここで言霊思想と、ヘーゲルの本物の学問との共通点について見ていきたいと思います。言霊思想では、「言と事」とを同一性・一体と見ます。じつは、ヘーゲルの学問も「存在と認識・精神」とを同一性・一体と見ます。西洋社会では、神はあくまでも神であって、人間は絶対に神にはなれない存在ですが、そんな西洋社会にあって、ヘーゲルは人間が神になる道を説きました。それによって、彼は、ものすごいバッシングを浴びることになったのです。

 ところが、日本では人間が神になるのです。その人間が神になる方法・道が、言霊思想です。ヘーゲルは、世界の本質である絶対精神が、現実の様々な存在になって発展していって、最終的に人間の精神となった時、絶対精神は本来の自分自身に回帰したと見ます。そしてさらに、即自的な絶対精神が、己自身を対自的な絶対的理念へと発展させて、学問的な世界創造をするようになることを、ヘーゲルは、人間が神になる、と説いてのです。

 一方、古代の日本人は、「カタカムナ」の第七首にある通り
マガタマノ・・・・本物の世界の本質=魂は
アマノミナカヌシ・・・天(全宇宙)の御中主である。その全世界の魂が
タカミムスヒ・・・・現実世界に存在する多くの神すなわち八百万の神となったり
カムミムスヒ・・・・本質の世界におわす八百万の神の大元となる神そのものに戻ったり
ミスマルノタマ・・・・その魂が、現在の現実の世界にみ住まって人間となる、つまり、人間は、世界の本質すなわち神なのだ。(人間よ神としての自覚を持て!ー稲村)

 と考えていました。そして、人間が世界の本質=魂となる方法・道としての言葉を創り上げて実践していたのが、古代の日本人だったのです。だから、全人類の中で、日本人のみが、即自の自分の利己的な自由を他人に押しつけて、皆殺しをしたり、奴隷としてこき使ったりせず、天の気(全体性=国家)と自分とを一体化して把えた自由の観念を持ていました。だから、日本人の自由観は、他と分かち合う自由、全体の中の自分を自覚した自由でした。これこそが、本当の言霊の自由であり、ヘーゲルの云う「自由とは必然性の洞察」の自由であり、すなわちこれが、「令和の自由」なのです。

 人間は、動物と違って、本質的に自分の周りの世界を変えようとする存在です。言霊によって、自らを即自的に絶対精神化した人間は、その言霊によって直接に世界を変えていきます。これに対して、対自的に自らを客観化して学問的に対象の構造を解明して、それに則って世界を大きく造り変えてきたのも、人間の別の一面でもあります。その両方の統一が、真の人間なのです。即自的な絶対精神として歩んできた日本が、学問的な技術力を持った西洋と遭遇した時に、瞬く間にそれを自分のものとすることができたのも、即自的な絶対精神と、対自的・学問的な絶対理念とは、本来同一のものだったからに他なりません。

 言霊思想とは、世界と一体化した即自の自分の整え、それを通じて世界を変える思想です。自分自身を整えるために、不吉な考え・言葉を排除するのです。それによって即自の自分が乱され、それが周りの世界にも悪影響を及ぼすことを防ぐためです。もちろん、それに影響されない方法も存在します。そのことを分かっていれば、言霊思想が問題から逃避させているという批判が、見当違いであることが分かるはずです。なぜなら、問題の解明と対策は、対自の問題だからです。言霊批判の多くは、この即自と対自の区別と連関が分かっていないのです。なぜなら、問題から逃げずに真正面から問題に対処しようとする、即自の自分の整えとしても、この言霊思想は非常に有効な方法だからです。、

 令和の時代を迎えるにあたって、日本人は日本の歴史における言霊思想の意義を、もう一度噛み締めるべきであると考えます。そして、絶対精神の道を歩んできた歴史的な日本の凄さを改めて見直し、それを受け継ぎ発展させていく覚悟を持つべきだと思います。

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