[3012] 「真実・真理についての一考察」 |
- 鹿山徹 - 2019年04月04日 (木) 22時35分
何がしかの全ての全和が真実の真理なのでは無いでしょう。全和以前から直接全和に依らずとも存在する、全和以後も確かに全無産で全無力で全非所有で全無因果の全非順序の全無境界で存在する、直接つかまぬ全和自体=つかまぬ全て自体=全左(0差)自体からこそが、全穴(0)自体からこそが真実の存在する全てで一切でしょうから。 なぜ無力が全てなのかというと、力に依って存在の不動=つかまぬ全存在自体の不動なのでは無くて、無力の不動でなければおかしいのであります。もし力に依って不動なら、力を失えば勝手に無に運動してしまう力を持っている事になって自己矛盾しているからです。なぜ全0重類なのかも、そこにこそ存在の自明の0自体から無に出来無い本質があるからでしょう。必然的に何かを動かせる全てなど持たない、自明で全無境界の、手放しても手放し様が無い、つかまぬ全てからさへも直接つかまぬ全て自体の存在する、つかんでも変わらずつかまぬ全てで一切と言えましょうか。これが直接つかんでもつかまぬ全ての真実で一切でしょうから。
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