[2991] 吉田流 |
- 質問者 - 2019年02月05日 (火) 13時14分
吉田先生がお亡くなりになって天寿堂さんが大きく宣伝したせいで「健康腺療法」の名は随分と広まったように思われます。私見では吉田先生のお弟子さんで天寿堂さんの先輩筋の先生も以前は健康腺療法という名を前面に出していくことが無かったものを「私の師は吉田禎克で健康腺療法を学んだ」と唱えだしたのも天寿堂さんの活動で認知度が高まってからだと見ています。
ですが、私には野中豪策からの健康腺療法の流れを汲む野中→吉田→稲村という道筋は昭和堂で芸能人や関取などが集まってきた吉田先生の治療の本質ではないように近年とくに思うようになっています。
天寿堂さんは「手の健康腺療法」「鍼の健康腺療法」などと呼んでましたが、私にはこの「鍼と手技」という違いは決定的なものだと思われるようになってきましたし、天寿堂さんが一番弟子の先生と道を違えてから松山先生という野中豪策のお弟子さんというルートに行ったのにも考えさせられるところがあります。
ぶっちゃけてお聞きしますが天寿堂さんは吉田先生がご卒業された鍼の学校がどこだかご存知ですか?そして東京で主流だった経絡治療の方向に行かなかった理由をお聞きになったことがありますか?
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