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[2989] ヘーゲルの即自と対自の論理が日本および人類を救う
愚按亭主 - 2019年01月08日 (火) 08時54分

 韓国の、火器管制レーダー照射という自らの過ちを、ねつ造画像を世界中にばらまくという印象操作や、被害国日本に謝罪要求するという逆ギレ攻撃によって、うやむやにしようとする姿勢は、石平氏が、「宗族と械闘」の中で説明している「宗族」の内容そのものです。つまり、支那と朝鮮は精神構造が全く同じレベルだということです。他民族に支配され続けた支那の宗族と、支那とその傀儡に支配され続けた朝鮮の民衆とが同じ性質を持つことは、むしろ必然といえましょう。

 では、具体的に石平氏はどう説明しているかと云いますと、「宗族」は、宗族の一員が犯罪を犯した場合、何が正しいかとか何が真実かとか関係なく、どんな手を使っても全力でその一員を守ろうとする、という内容でした。まさに今回の韓国の行動そのものですね!これを、ヘーゲル流に捉え返しますと、即自のみで対自が全くない、と云えると思います。

 では、韓国や支那の認識に、対自が全くない原因は何か?と云いますと、国家が自分たちの外側のものであったこと、そしてそこからくる具体的な内容として、対自的な法に対する歪んだ感情、すなわち、韓国や支那は、法があっても守ろうとしないで、都合の悪い法や約束は平気で無視し、破ります。この即自的感情オンリーが、自分たちが権力を握っても、そのまま変わらないで、国民不信で弾圧するか、対自としての自覚がないために、国民の即自的感情に迎合してしまうのです。

 そして、もう一面考えられることは、対自的な学問がない、学問的体験を持たない、ということだと思います。その結果、即自的感情に左右されない客観的真理に対する憧憬がなく、それを無視すると現実から手痛いしっぺ返しを喰らうという畏怖もなく、学問は作るより盗んだ方が早い、となってしまうのです。だから、公の場で、堂々と嘘をつけるのであり、慰安婦像や南京虐殺記念館を作って、みんなに信じ込ませた方が勝ちだ、と厚顔無恥な行動がとれるのです。

 世界の中で、日本以外の国々は、その言語構造にもある通り、支那や韓国と同様に、基本的に利己的な即自中心の精神構造を持っていますが、西洋諸国は、その文化圏に学問が発達したおかげで、それなりに対自の権威が定着したので、大人になることができました。しかし、その西洋の憲法のはじまりは、対自と云えるような代物ではなく、王権を制限するという、国家を私物化する国王の即自と貴族の即自との即自同士の妥協の産物でしかありませんでした。したがって、それはまだ石平氏の説く支那における「械闘」とさほど変わるものではなかったということです。その「械闘」」というのは、宗族間の争いのことで、興味深いことは、そこに皆殺し愛にならないような、即自同士の妥協的ルールができていることでした。余談ですが、その械闘の時は、宗族の女性も食事を創って戦う男たちを送り出して、まるでお祭りだそうです。

 そんな西洋において、即自的な国家が、何とか対自らしき体裁を持つようになったのは、岡田・宮脇ご夫妻が説かれているように、民主主義的な国民国家ができてからのようです。それはどうしてかと云いますと、絶対王政の王と違って、国民国家の国家は、個人ではないので即自になりにくく、はっきりと国家が、形式上、個人の即自と切り離されたからです。それでも、権力を握ると私物化しようとする輩は後を絶ちませんが・・・・

 その原因は、二つあります。マルクスによって、ヘーゲルの本物の学問が破壊され、対自的な観念論哲学が否定され、学問界が即自的な唯物論的科学オリーにされてしまった結果として、人類全体の認識において、即自が優位になって対自が形骸化されてしまったことです。折角ヘーゲルが「法の哲学」の中で、国家の本質は、人倫的な客観精神であり、その普遍的な人倫精神の国家理念を憲法として国創りをすべきであり、その国家理念の象徴・体現者がすなわち天皇である、ということを述べていたのに、それがマルクスによってかき消されてしまったのです。また、そう言う国家の国民に関しても、ヘーゲルは、自然的人間は対自的な国家の普遍的人倫精神を教育され、即自と対自とが統一されるように教育されて、初めて真の国民になれる、とも述べております。つまり、多様な即自性は、普遍的な対自性との統一があって、はじめて国家が認める多様性となれるのです。ですから、即自的感情のみで「同性魂を認めなかったから賠償金を払え」などというのは、己の本分をわきまえない身勝手な主張というべきです。

 もう一つの原因は、折角ヘーゲルが、運動を止めた「あれかこれか」の形而上学の死んだ論理学を、見事に換骨奪胎して「あれとこれ」とを統一して、生きた運動体の論理学を完成させたのに、マルクスがそれもぶっ壊して、「あれかこれか」の死んだ論理学に引き戻してしまったことです。これによって人類は、即自と対自が統一できず、国家と国民がバラバラのまま、混乱のるつぼに巻き込まれることになってしまったのです。

 じつは、人類の歴史上、その統一を見事に成し遂げた唯一の国が日本です。日本は、「カタカムナ」の昔から、対自的な本質の世界と、即自的な現象の世界との、世界の二重構造を自覚していました。つまり、日本人は、即自ばかりでなく対自的な認識も、早くから持っていたということです。だから、共存共栄の精神が育まれたのです。そして、その精神を国家理念として、憲法として国創りが行われたのです。それが17条憲法に他なりません。だから日本人の精神構造の普遍性は、武士道に代表されるように、対自と即自が一体なのです。これは、ヘーゲルが理想的な人間像として説いた、まさにそのものなのです。これは本当に凄いことです。日本は、そのヘーゲルの学問を実現して見せた世界で唯一の国なのです。そして、この日本精神の普遍性が、後々まで、敗戦後解体され崩されるまで連綿と続いて、日本の見事な歴史を創ってきたのです。

 ですから、日本の再興・再建は、学問立国を宣言して、ヘーゲルの学問に依拠しながら、学問的に日本精神の普遍性を取り戻して、ヘーゲルの説く理想的な世界創造の先頭に立って、人類を先導していくことが、人類を救うことになることを、今回の韓国のレーダー照射問題は示唆してくれていると思います。

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