[2924] 南郷先生の錯覚にもとづく壮大なる徒労 |
- 愚按亭主 - 2018年09月21日 (金) 08時31分
南郷先生は、ヘーゲルの志だけ受け継いで、肝心のヘーゲルの学問体系を捨ててしまいました。なんでこのようなバカげたことになってしまったのか、と云いますと。ヘーゲルの哲学には学問体系がない、と錯覚・勘違いしてしまったからです。そこで、無いのなら自分が創るしかない、と悲愴な決意をされて、何もないと思い込んだ哲学の歴史をまじめに学ぼうとしないで、自信を持っている認識論および空手の体系化の経験をもとに、新たな学問体系を一から創っていこうとしているわけです。
つまり、南郷先生は、ヘーゲルを受け継ぐと云いながら、ヘーゲルの志だけ受け継いで、肝心のヘーゲルの学問の方を捨ててしまって、受け継いでいないのです。結果として、人類の学問の歴史を無視して作った学問もどきの、歴史に残ることのないあだ花を一生懸命作っている、という壮大なる徒労(骨折り損)をしているわけです。私は随分前からこうなるから、軌道修正してほしいと訴え続けてきましたが、受け入れられることはなく、とうとうここまで来てしまいました。
それなのに、南郷先生と南郷学派の皆さんは、自分たちはヘーゲルが説こうとして説けなかったものを作っているんだと、ヘーゲルを受け継いでいる、否、それどころか超えているつもりでいるのです。
瀬江先生は次のように述べています。 「南郷継正が『人類の認識の最高の発展形態を正統に受け継ぎ』と書いたが、それは結果としてそのように言えるということである。すなわち南郷継正は、アリストテレスにしても、ヘーゲルにしても、決してまともに書物としては学んでいない。」(「哲学・論理学原論〔新世紀編〕」瀬江千史著、P24)
あまり自慢にはできないのですが、じつは、これは私も同じです。断片を知って後は自力で論理展開しているのです。ところが、不思議なことに、ヘーゲルの書を一生懸命まじめに研究しているどの人よりも、ヘーゲルの云わんとしていることが分かるようなのです。それは事実として、この談論サロンで展開してきた内容を読んでもらえば了解してもらえると思います。
その元・土台となったのが、ヘーゲルとは関係なしに、自力で、唯物論の<相対的真理>根本論を大転回して、絶対的真理を根本として相対的真理をその構造とする真理論へと変えたことです。その後に、ヘーゲルも同じことを云っていることを知ったので、その真理論に基いて論理を展開していくと、みなヘーゲルと一致するのです。ですから、ヘーゲルが言っていないことまでも、ヘーゲルならこういうだろうということが分かるようになったのです。
これに対して、南郷先生は、ヘーゲルと同じ志を持ちながら、ヘーゲルがせっかく運動体の弁証法を創って唯物論と観念論とを統一したのに、ヘーゲルを裏切ってあれかこれかの古い形而上学的弁証法に引き戻して観念論を否定した、マルクスの、学問は科学的な唯物論の立場で作らなければならないという言葉の方を信じて、唯物論に固執してしまったために、ヘーゲルの言っていることが見えなくなってしまって、結果として、ヘーゲルの哲学には学問体系が存在しないとなって、無ければ自分で作るしかない、と自己流の学問もどきを作り始めたのです。まさに唯物論の弊害恐るべしです。
これによって、ヘーゲルの学問で使われている用語と、南郷先生が独自に創った学問なるものに使われている用語とが、全く別物になってしまったので、どう違うのかについて、具体的に検討していきたいと思います。
〔概念の労苦〕 まず、南郷学派は、ヘーゲルの「概念の労苦」について、
「ヘーゲルの論説はすべて概念そのもの、いわば用法(用いられ方)に留まっているだけであり、肝心の概念の『労苦』についての論理学的説明は無きに等しい、すなわち、論理学上の一大『概念』であるべき『概念』についての労苦的説明は全く『無』なのである。つまり、この頃のヘーゲルの学的実力は、学問形成にかかわっての概念形成の必要性・必然性はしっかりと理解できて説いてはいるものの、肝心の『概念』そのものの立体性というより立体的構造すなわち、概念の体系性なるものに関しては未だに把握できていなかった(概念規定を概念化できる途上であった)のだといってよい」(「哲学・論理学原論〔新世紀編〕」南郷作正著)
以上のように批判・評価して、その根拠となるヘーゲルの文章を「精神現象学から引用しています。
「しかしながら、この新たなものは、ちょうど生まれたばかり子供と同様に、完全な現実性などほとんど有していない。これは本質的なことであって、蔑ろにしてはならないことである。〔歴史の〕最初に登場してくるものは、まだ直接的なものでしかなく、それなりの〔レベルの〕概念でしかないものである。基礎〔土台〕ができたからといって建造物が完成したわけでは全くないのと同様に、全体の概念に到達したとしても、まだ全体そのもの〔としての概念をしっかり把握したわけ〕ではないのである。
それ故学問の研究において重要なことは、概念の労苦を自らに課すことである。そこで必要なことは、概念そのものに注意を向けること、たとえば、即自的存在とか対自的存在、自己同一性などの単純な諸規定に注意を向けることである。なぜなら、これらは魂といってもよい程に、純粋に自己運動してゆくものだからである。但しそこでいう概念とは、魂よりも高次のものを表しているのではないとしてだが。表象レベルで考え続けられているような慣習(的な考え)については、それが概念によって中断されるということは、非現実的な思想の中であれこれと論証する形式的な思惟におけるのと同様に、煩わしいこととされている。
概念づける思惟においては事情が異なる。ここでは概念が対象それ自身の自己である。この自己は対象の生成として現われる。したがって自己というのは、動かずに諸々の偶有性を具えている静止的な主体などではなく、自ら運動していき、自己の諸規定を自己の内に取り戻す概念なのである。」
そして、南郷先生は自らの概念論を次のように展開していきます。 「概念とは、たしかに初心レベルではその対象的事物事象を具象=現象レベルで一般的に捉えた場合の言葉ではある。 だが、一般的とは、その対象に関わっての性質を論理的に捉えた場合をいうのであるから、具象レベル、現象レベルで捉えた性質を概念化した場合の論理と、それを構造レベルで捉え返した場合の論理は、レベルが異なるだけに、同じ概念の実質・実態とはならないのである。当然に、具体の概念と現象の概念は異なり、というふうに、概念には論理としての階段(段階)があることを忘れてはならない。 したがって概念なるものは、この(注)を記した人の解釈(というより、これは観念論的な説き方である)とは大きく違うものであることを、まず分かるべきである。端的に、概念は論理的実質・実態を称するものであり、対象の把握の仕方によってその論理の異なるだけでなく、段階が(レベルが)異なるのである。」(同上) 「論理の体系化のための論理学の重層構造すなわち論理の把持すべき一般的論理性から具体的論理性・そして現象的論理性を経ることによって論理学をも体系性として、創出できる現在となってきている。」(同上)
まず端的に、南郷先生がヘーゲルの論理学を理解できないのは、ヘーゲルの論理学が運動体の弁証法の論理学であるのに対して、南郷先生の論理学は、形而上学的、すなわち静止体の弁証法の論理学だからです。マルクスが、ヘーゲルの運動体の弁証法をぶっ壊して、あれかこれかの、観念論か唯物論かの形而上学的弁証法にしてしまったことの、犯罪的な人類史的大大暴挙に全く気付かずに、唯物論にしがみつき、その前時代的弁証法にしがみついているからです。結果として、対象と主体をあれかこれかで絶対的に分けてしまっているために、対象と主体とを一体と見るヘーゲルの運動体の弁証法の論理学が理解できないのです。
引用した文中で、南郷先生は、訳者の注を、自分と違う、観念論だからダメだと批判しています。ところが、私からしますと、その訳者の注の方が、ヘーゲルの言わんとするところを素直に正しくとらえているように見えます。この観念論即誤謬とする形而上学的な硬直したアタマが、ヘーゲルの理解を妨げている元凶です。引用されたヘーゲルの言葉は、全て非常によく分かります。そこからはヘーゲルが論理のレベルの違いをしっかりと分かっていることが読みとれますが、南郷先生にはそれが見えなかったようです。だから、釈迦に説法のようなことを滔々と自慢げに、さもヘーゲルが論理を分かっていないから教えてやるとでも言いたげに説いています。
南郷先生が最も分かるべきは、学問の体系化には<学問の冠石>が必須だということです。ところが、南郷学派の論理学には、<学問の冠石>がありません。だから、ヘーゲルの説く概念が分からないのです。もっとも、南郷学派では、<学問の冠石>は闘論で培われる論理的な素養だそうですから、分からないのも無理もないことです。
ではその<学問の冠石>とは何か?ズバリ、体系の頭の部分です。頭は全体を統括するので全体なのですが、それ自体は部分に過ぎません。だから、ヘーゲルは次のように説いたのです。
「この新たなものは、ちょうど生まれたばかり子供と同様に、完全な現実性などほとんど有していない。これは本質的なことであって、蔑ろにしてはならないことである。最初に登場してくるものは、まだ直接的なものでしかなく、それなりの概念でしかないものである。基礎ができたからといって建造物が完成したわけでは全くないのと同様に、全体の概念に到達したとしても、まだ全体そのものではないのである。」
これがすなわち<学問の冠石>であり、概念の原基形態なのです。この引用文は、南郷先生がつけた邪魔な〔〕を取っ払うと、実に分かり易くなると思います。そして、この概念そのものすなわち<学問の冠石>が、学問体系つまり全体そのものになるために「重要なことは、概念の労苦を自らに課すことである。」だそうです。つまり、「概念の労苦」とは、南郷先生の云うような単なる論理化の労苦などではなく、<学問の冠石>が身体の部分との統体止揚を通じて体系を創り上げる実践をいうのです。
じつは、「学城」17号の中にその「概念の労苦」実例が書かれていました。それは、悠季真理先生の「哲学・論理学研究余滴(七)」の中の次の一節です。
「この『自然学』全体の展開が、エレア派の『すべてのあるものは一つであり不変不動である』との説に対しての、アリストテレスの解答にになていくといったらよいのか、アリストテレスは、このエレア派のいわんとするところ、この文言の本当の意味は何なのかを問い求めていく、そういう展開になっているように思えてきたことである。」 「そこでは、アリストテレスがこれまで形而下の世界で扱てきたありとあらゆるもの、天体から大地における生きとし生けるもの、そして人間の諸々の活動をも全て含めて、これまでの知見を総動員していきながら、運動とは何なのかを考えていく、事実レベルではなくて論理のレベルでエレア派の説を捉え返していこうとする、いわゆる形而下の世界から形而上の世界へと這い上がっていこうとする、そういう頭脳の段階である」
悠季真理先生は、唯物論の悪弊ですべて論理は事実から順番に這い上がっていくものとの思い込みから、このような解釈をしているのですが、これは全く違います。アリストテレスは、まさに自ら創り上げた<学問の冠石>つまり形而上学から「概念の労苦」を通して、事実的論理との相互浸透を図って時代の学問を創り上げていった、その過程を歩んでいたという事実を、この叙述は物語っているのです。
ヘーゲルは、それをギリシャ哲学の三側面として論理化しています。
<抽象的悟性>→<否定的理性(弁証法)>→<肯定的理性(統体思弁)>
解説しますと、抽象的悟性は形而下の世界の事実的論理であり、否定的理性はエレア派のパルメニデスやゼノンの世界全体の論理であり、統体思弁の肯定的理性は、その両者を概念の労苦によって統体止揚して一体化して体系づけることを云います。アリストテレスは、まさにその作業をしていたわけなのです。ところが、そういう事実を前にしても、ヘーゲルを否定して、唯物論にアタマが囚われてしまっているから、このような恣意的な誤った解釈をしてしまうのです。、
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