カウンター 南郷先生の錯覚にもとづく壮大なる徒労 - 談論サロン天珠道
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[2924] 南郷先生の錯覚にもとづく壮大なる徒労
愚按亭主 - 2018年09月21日 (金) 08時31分

 南郷先生は、ヘーゲルの志だけ受け継いで、肝心のヘーゲルの学問体系を捨ててしまいました。なんでこのようなバカげたことになってしまったのか、と云いますと。ヘーゲルの哲学には学問体系がない、と錯覚・勘違いしてしまったからです。そこで、無いのなら自分が創るしかない、と悲愴な決意をされて、何もないと思い込んだ哲学の歴史をまじめに学ぼうとしないで、自信を持っている認識論および空手の体系化の経験をもとに、新たな学問体系を一から創っていこうとしているわけです。

 つまり、南郷先生は、ヘーゲルを受け継ぐと云いながら、ヘーゲルの志だけ受け継いで、肝心のヘーゲルの学問の方を捨ててしまって、受け継いでいないのです。結果として、人類の学問の歴史を無視して作った学問もどきの、歴史に残ることのないあだ花を一生懸命作っている、という壮大なる徒労(骨折り損)をしているわけです。私は随分前からこうなるから、軌道修正してほしいと訴え続けてきましたが、受け入れられることはなく、とうとうここまで来てしまいました。

 それなのに、南郷先生と南郷学派の皆さんは、自分たちはヘーゲルが説こうとして説けなかったものを作っているんだと、ヘーゲルを受け継いでいる、否、それどころか超えているつもりでいるのです。

 瀬江先生は次のように述べています。
「南郷継正が『人類の認識の最高の発展形態を正統に受け継ぎ』と書いたが、それは結果としてそのように言えるということである。すなわち南郷継正は、アリストテレスにしても、ヘーゲルにしても、決してまともに書物としては学んでいない。」(「哲学・論理学原論〔新世紀編〕」瀬江千史著、P24)

 あまり自慢にはできないのですが、じつは、これは私も同じです。断片を知って後は自力で論理展開しているのです。ところが、不思議なことに、ヘーゲルの書を一生懸命まじめに研究しているどの人よりも、ヘーゲルの云わんとしていることが分かるようなのです。それは事実として、この談論サロンで展開してきた内容を読んでもらえば了解してもらえると思います。

 その元・土台となったのが、ヘーゲルとは関係なしに、自力で、唯物論の<相対的真理>根本論を大転回して、絶対的真理を根本として相対的真理をその構造とする真理論へと変えたことです。その後に、ヘーゲルも同じことを云っていることを知ったので、その真理論に基いて論理を展開していくと、みなヘーゲルと一致するのです。ですから、ヘーゲルが言っていないことまでも、ヘーゲルならこういうだろうということが分かるようになったのです。

 これに対して、南郷先生は、ヘーゲルと同じ志を持ちながら、ヘーゲルがせっかく運動体の弁証法を創って唯物論と観念論とを統一したのに、ヘーゲルを裏切ってあれかこれかの古い形而上学的弁証法に引き戻して観念論を否定した、マルクスの、学問は科学的な唯物論の立場で作らなければならないという言葉の方を信じて、唯物論に固執してしまったために、ヘーゲルの言っていることが見えなくなってしまって、結果として、ヘーゲルの哲学には学問体系が存在しないとなって、無ければ自分で作るしかない、と自己流の学問もどきを作り始めたのです。まさに唯物論の弊害恐るべしです。

 これによって、ヘーゲルの学問で使われている用語と、南郷先生が独自に創った学問なるものに使われている用語とが、全く別物になってしまったので、どう違うのかについて、具体的に検討していきたいと思います。

〔概念の労苦〕
 まず、南郷学派は、ヘーゲルの「概念の労苦」について、

「ヘーゲルの論説はすべて概念そのもの、いわば用法(用いられ方)に留まっているだけであり、肝心の概念の『労苦』についての論理学的説明は無きに等しい、すなわち、論理学上の一大『概念』であるべき『概念』についての労苦的説明は全く『無』なのである。つまり、この頃のヘーゲルの学的実力は、学問形成にかかわっての概念形成の必要性・必然性はしっかりと理解できて説いてはいるものの、肝心の『概念』そのものの立体性というより立体的構造すなわち、概念の体系性なるものに関しては未だに把握できていなかった(概念規定を概念化できる途上であった)のだといってよい」(「哲学・論理学原論〔新世紀編〕」南郷作正著)

 以上のように批判・評価して、その根拠となるヘーゲルの文章を「精神現象学から引用しています。

「しかしながら、この新たなものは、ちょうど生まれたばかり子供と同様に、完全な現実性などほとんど有していない。これは本質的なことであって、蔑ろにしてはならないことである。〔歴史の〕最初に登場してくるものは、まだ直接的なものでしかなく、それなりの〔レベルの〕概念でしかないものである。基礎〔土台〕ができたからといって建造物が完成したわけでは全くないのと同様に、全体の概念に到達したとしても、まだ全体そのもの〔としての概念をしっかり把握したわけ〕ではないのである。

 それ故学問の研究において重要なことは、概念の労苦を自らに課すことである。そこで必要なことは、概念そのものに注意を向けること、たとえば、即自的存在とか対自的存在、自己同一性などの単純な諸規定に注意を向けることである。なぜなら、これらは魂といってもよい程に、純粋に自己運動してゆくものだからである。但しそこでいう概念とは、魂よりも高次のものを表しているのではないとしてだが。表象レベルで考え続けられているような慣習(的な考え)については、それが概念によって中断されるということは、非現実的な思想の中であれこれと論証する形式的な思惟におけるのと同様に、煩わしいこととされている。

 概念づける思惟においては事情が異なる。ここでは概念が対象それ自身の自己である。この自己は対象の生成として現われる。したがって自己というのは、動かずに諸々の偶有性を具えている静止的な主体などではなく、自ら運動していき、自己の諸規定を自己の内に取り戻す概念なのである。」

 そして、南郷先生は自らの概念論を次のように展開していきます。
「概念とは、たしかに初心レベルではその対象的事物事象を具象=現象レベルで一般的に捉えた場合の言葉ではある。
 だが、一般的とは、その対象に関わっての性質を論理的に捉えた場合をいうのであるから、具象レベル、現象レベルで捉えた性質を概念化した場合の論理と、それを構造レベルで捉え返した場合の論理は、レベルが異なるだけに、同じ概念の実質・実態とはならないのである。当然に、具体の概念と現象の概念は異なり、というふうに、概念には論理としての階段(段階)があることを忘れてはならない。
 したがって概念なるものは、この(注)を記した人の解釈(というより、これは観念論的な説き方である)とは大きく違うものであることを、まず分かるべきである。端的に、概念は論理的実質・実態を称するものであり、対象の把握の仕方によってその論理の異なるだけでなく、段階が(レベルが)異なるのである。」(同上)
「論理の体系化のための論理学の重層構造すなわち論理の把持すべき一般的論理性から具体的論理性・そして現象的論理性を経ることによって論理学をも体系性として、創出できる現在となってきている。」(同上)

 まず端的に、南郷先生がヘーゲルの論理学を理解できないのは、ヘーゲルの論理学が運動体の弁証法の論理学であるのに対して、南郷先生の論理学は、形而上学的、すなわち静止体の弁証法の論理学だからです。マルクスが、ヘーゲルの運動体の弁証法をぶっ壊して、あれかこれかの、観念論か唯物論かの形而上学的弁証法にしてしまったことの、犯罪的な人類史的大大暴挙に全く気付かずに、唯物論にしがみつき、その前時代的弁証法にしがみついているからです。結果として、対象と主体をあれかこれかで絶対的に分けてしまっているために、対象と主体とを一体と見るヘーゲルの運動体の弁証法の論理学が理解できないのです。

 引用した文中で、南郷先生は、訳者の注を、自分と違う、観念論だからダメだと批判しています。ところが、私からしますと、その訳者の注の方が、ヘーゲルの言わんとするところを素直に正しくとらえているように見えます。この観念論即誤謬とする形而上学的な硬直したアタマが、ヘーゲルの理解を妨げている元凶です。引用されたヘーゲルの言葉は、全て非常によく分かります。そこからはヘーゲルが論理のレベルの違いをしっかりと分かっていることが読みとれますが、南郷先生にはそれが見えなかったようです。だから、釈迦に説法のようなことを滔々と自慢げに、さもヘーゲルが論理を分かっていないから教えてやるとでも言いたげに説いています。

 南郷先生が最も分かるべきは、学問の体系化には<学問の冠石>が必須だということです。ところが、南郷学派の論理学には、<学問の冠石>がありません。だから、ヘーゲルの説く概念が分からないのです。もっとも、南郷学派では、<学問の冠石>は闘論で培われる論理的な素養だそうですから、分からないのも無理もないことです。

 ではその<学問の冠石>とは何か?ズバリ、体系の頭の部分です。頭は全体を統括するので全体なのですが、それ自体は部分に過ぎません。だから、ヘーゲルは次のように説いたのです。

「この新たなものは、ちょうど生まれたばかり子供と同様に、完全な現実性などほとんど有していない。これは本質的なことであって、蔑ろにしてはならないことである。最初に登場してくるものは、まだ直接的なものでしかなく、それなりの概念でしかないものである。基礎ができたからといって建造物が完成したわけでは全くないのと同様に、全体の概念に到達したとしても、まだ全体そのものではないのである。」

 これがすなわち<学問の冠石>であり、概念の原基形態なのです。この引用文は、南郷先生がつけた邪魔な〔〕を取っ払うと、実に分かり易くなると思います。そして、この概念そのものすなわち<学問の冠石>が、学問体系つまり全体そのものになるために「重要なことは、概念の労苦を自らに課すことである。」だそうです。つまり、「概念の労苦」とは、南郷先生の云うような単なる論理化の労苦などではなく、<学問の冠石>が身体の部分との統体止揚を通じて体系を創り上げる実践をいうのです。

 じつは、「学城」17号の中にその「概念の労苦」実例が書かれていました。それは、悠季真理先生の「哲学・論理学研究余滴(七)」の中の次の一節です。

「この『自然学』全体の展開が、エレア派の『すべてのあるものは一つであり不変不動である』との説に対しての、アリストテレスの解答にになていくといったらよいのか、アリストテレスは、このエレア派のいわんとするところ、この文言の本当の意味は何なのかを問い求めていく、そういう展開になっているように思えてきたことである。」
「そこでは、アリストテレスがこれまで形而下の世界で扱てきたありとあらゆるもの、天体から大地における生きとし生けるもの、そして人間の諸々の活動をも全て含めて、これまでの知見を総動員していきながら、運動とは何なのかを考えていく、事実レベルではなくて論理のレベルでエレア派の説を捉え返していこうとする、いわゆる形而下の世界から形而上の世界へと這い上がっていこうとする、そういう頭脳の段階である」

 悠季真理先生は、唯物論の悪弊ですべて論理は事実から順番に這い上がっていくものとの思い込みから、このような解釈をしているのですが、これは全く違います。アリストテレスは、まさに自ら創り上げた<学問の冠石>つまり形而上学から「概念の労苦」を通して、事実的論理との相互浸透を図って時代の学問を創り上げていった、その過程を歩んでいたという事実を、この叙述は物語っているのです。

 ヘーゲルは、それをギリシャ哲学の三側面として論理化しています。

<抽象的悟性>→<否定的理性(弁証法)>→<肯定的理性(統体思弁)>

 解説しますと、抽象的悟性は形而下の世界の事実的論理であり、否定的理性はエレア派のパルメニデスやゼノンの世界全体の論理であり、統体思弁の肯定的理性は、その両者を概念の労苦によって統体止揚して一体化して体系づけることを云います。アリストテレスは、まさにその作業をしていたわけなのです。ところが、そういう事実を前にしても、ヘーゲルを否定して、唯物論にアタマが囚われてしまっているから、このような恣意的な誤った解釈をしてしまうのです。、


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[2925] 南郷学派は概念を自分たちの生命史観を活かすことができない
愚按亭主 - 2018年09月22日 (土) 08時36分

 前の記事で、アリストテレスの「概念の労苦」の実践について取り上げましたが、この事実は、パルメニデスやゼノンをカケラレベルに矮小化する、南郷学派に対する強烈な反証に他なりません。つまり、パルメニデスやゼノンの論理は、カケラどころか、アリストテレスの哲学の原点・起点・基点という重要な存在であったことを、物語る事実だということです。

 では、そんなに大事なパルメニデスやゼノンを、どうして南郷学派はカケラと捉えてしまうのか?その理由として考えられるのは、次の二点になると思います。一つは、生命の誕生における現れては消えるのくり返しの量質転化の類推としてイメージしたのであろうと想像できること。もう一つは、自分たちの弁証法誕生のプロセスの中に位置づけられなかったために、カケラとして処理するしかなかった、という場当たり的な対応を取ったためであろうと考えられることです。

 まず、一番目の生命史観の応用とおぼしき点について述べるならば、これは、はっきりと応用のしかたの誤りだと指摘できます。なぜそういえるのかと云いますと、これは現象論的なアイロニーになっていて、その中身の論理性を全く見ていない、つまり、生命と認識との違いが分かっていないということです。私は、前々から生命史観的な方法は、人類史には通用しないと警告を発していたのですが、まさに危惧していた通りの誤謬が展開されてしまいました。

 その私の警告というのは、生命の歴史は唯物論でも通用するが、人類の歴史の場合は通用しない、というものでした。そのことを物語る典型的な例証が、次の二番目の理由です。

 どういうことかと云いますと、唯物論は絶対的真理を認めないから、観念論的な絶対的真理の系譜・潮流を、そもそも認めるわけにはいかないので、カケラとして扱うしかなかった、ということです。さらに言えば、合宿での闘論とか、本読み奴隷の量質転化が、弁証法的な論理能力を作ったという物質的原因ばかりに注目して、肝心の観念の中身自体の発展を見ようとしない、という唯物論的な方法論の欠陥が作り上げたその弁証法形成の歴史過程論に、パルメニデスとゼノンを位置づけられなかった結果ともいえます。だから、カケラとして扱うしかなかった、ということだと思います。つまり、南郷学派の弁証法形成の歴史過程論は、現実とあっていないということをこの事実は示しています。

 ところで、一番目の、生命史観の応用の仕方が間違っている、という問題に関してさらに付け加えて言いますと、せっかく生命の歴史を論理的に措定できたのに、もっと言うならば、遺伝子の体系性を解明できたというのに、それを少しも活かそうとしないで、生命の歴史を措定したことをもって、ヘーゲルを超えたつもりに浸っているのを見ると、情けないと云わざるを得ません。

 と云いますのは、細かい生命の歴史の論理までは究明していなかったにもかかわらず、ヘーゲルは、<生命ー認識―学問>という弁証法的な三項の発展の論理を見事に措定しているからです。これが如何に見事かは、後世の南郷学派の生命の歴史論の発展を、自らの構造と化して発展できる発展性を持っている点に在ります。具体的に云いますと、生命の遺伝子の体系性に支えられた本能が、一旦否定されて、発展性のある認識に置き換えられ、その認識の発展によって、即自的な遺伝子の体系性が、認識の発展を通じて対自的な体系性を持つ概念となって、「概念の労苦」を積み重ねていった結果として、学問の体系化が完成して、即自的な絶対精神が、対自的な絶対理念へと発展すると直接に自らに回帰する、という具合にその構造がどんどん進化してく見事さなのです。


 これこそが、生命の歴史の成果の真の応用なのです。ところが、生命の歴史の措定に成功したと自慢する当の南郷学派が、その自分たちの生命史観を活かすことができず、概念を生命の歴史的に捉えることができないでいるのに、我々はヘーゲルから学ぶものは何もないと豪語するという何とも滑稽な図は、最早、笑えない喜劇と言わざるを得ません。それは、生命の歴史を、唯物論の呪縛にさえぎられて、絶対的真理の系譜から対自的に捉え返すという作業ができないからなのです。

Pass

[2928] 「概念の労苦」によって「精神の王国は更新・発展する
愚按亭主 - 2018年09月23日 (日) 19時46分

 いきなりの閑話休題ですが、何か誤解されているようですが、私は唯物論を否定してはいません。観念論を否定して唯物論だけで学問を創ろうとしていることに対して、異を唱えているだけです。そして、それが如何に間違いかを証明するために、唯物論だけだとこのように学問の歴史を正しくとらえられず、歪めてしまうことになる、という南郷学派が実際に犯している誤謬を指摘したのです。

 では、話を本題に戻しまして、〔2924〕の記事の中で、私は、「ヘーゲルが言っていないことまでも、ヘーゲルならこういうだろうということが分かるようになったのです。」と述べました。たとえば、日本の江戸時代は、ヘーゲルの人倫的国家第一主義を見事に実現したものであるという評価は、私が独自に行ったものですが、もしヘーゲルが存命していたならば、かならずや同意してくれたはずだと確信しております。

 ところが、滝村先生も、南郷学派も、幕末に日本を訪れた西洋人の多くが、その当時の日本のことを「これは我々とは異質なもう一つの文明だ」と感嘆してその不思議な文明が、西洋文明によって壊されていくことを惜しんでいた、という事実の意味するものが分かっていないようです。否、滝村先生は、海によって隔離された結果として、まわりの文明から取り残されたガラパゴス文明というような評価をしているようです。

 しかし、この滝村先生の評価は、マルクス主義の形而上学的発展史観に囚われた、まさに物理的・物質的要因を歴史の原動力と見て肝心な点を見ようとしない、唯物論者特有の欠陥がもろに現われたものです。では、その肝心な点とは一体何か?それは、日本は、「和を以て貴しとなす」という国家理念を憲法として国創りを行った、国家の本質論に則った世界で唯一の国だということです。しかも、その憲法制定は、近代国家を世界で最初に作ったと云われている西洋の憲法制定(それも本来の憲法とは程遠いものでしかなかった)よりも六白年も早かった、というまさに異次元の凄さでした。

 天下の国家論学者ともあろう者が、このような国家論の特筆すべき事実を知っていながら、ガラパゴスなどと、あたかも歴史に取り残されたような評価のしかたをするというのは、考えられないことであり、学者生命をゆるがしかねないレベルの失態!といっても過言ではないと思います。その原因は唯物論にあります。その唯物論が、ヘーゲルを学んでも、ヘーゲルを正しく吸収できなくしてしまうからです。

 南郷学派も、その唯物論と、唯物論によってもたらされた形而上学的弁証法によって、ヘーゲルが作るべきであったのに、作ることのできなかった論理学を、今われわれが作っているのだ、と自慢げに嘯いています。しかしながら、その論理学とやらは、ヘーゲルが死んだ論理学”と揶揄し、否定していた代物に過ぎず、これを、新世紀の画期的な論理学と思い込んで、一生懸命作っている図は、笑えない滑稽な図でしかないことに、ご当人たちは全く気付いていないようです。

 私は、前々から弁証法や学問は、人類の新たなバージョンアップされた本能となるべき・すべきだと主張しておりました。だから、弁証法のテキストの題名が「人類が真の人間となるための弁証法入門」なのです。そして、ヘーゲルからの学びが進むにつれて、ヘーゲルも本当にそう思っていたに違いない、とますます確信するようになってきました。

 そう思ってヘーゲルの学問体系を見ると、非常に得心が行きます。なぜ、概念論が有論と本質論との統一なのか?なぜ。普遍性はすなわち個別性・現実性なのか?これは、あれかこれかの形而上学的論理学では、全く理解不能の次元の論理学です。普通の論理学では、高次になればなるほど、事実性・具象性が捨象され・離れて行って、論理として純化していくものだと思われているからです。

 だから、マルクスはそのヘーゲルの言葉に猛然と噛みついたのです。そんなの「根本的二元論」で、「普遍性と個別性・現実性とをつなぐ橋など永遠に存在しない」とまで言い切りました。普遍性が即個別性・現実性という言葉が、彼の論理学にはありえない悪魔の囁きに感じたのでしょう。しかし、動物の本能においては、個々の個別的な行動はつねにその動物としての普遍性と一体のものとして現われます。それは、遺伝子の体系性にもとづいた内在的なものだからです。

 このすべては一体のものとして現れるというのは、すべての事象に云えることです。ただ、唯一の例外は、本能を捨てて、一旦ご破算にして、どうにでも作れる認識を持った人間なのです。その発展性・可能性を持った認識が、「そんなの関係ねぇ〜」とばかりに普遍性を無視して即自的感情に走る個別性、あるいは普遍性に反する多様性が大事と思うことができる即自的な自由を得た結果として、人類は、それを取り締まる対自的な法が必須になったのです。

 学問も、その即自的な自由を、対自的な自由に変えるものとして生まれました。法は外側から変えるものであり、学問は内側から変えるものです。その結果として、「自由とは必然性の洞察である」という有名なヘーゲルの言葉に示された即自対自の自由の完成形となるのです。その学問は、全体からその必然性を切り出して論理として体系化したものですが、死んだ論理学すなわち形而上学は、そこで行き止まりとなります。しかし、切り出したものは、元に戻す必要があります。それを行ったのがヘーゲルの運動体の弁証法の論理学です。すると学問と個々の事象とは一体となります。これが本来の姿なのだ、とヘーゲルは主張するわけです。

 ところが、学問は学問、特別なものと信じている者には、これが学問の否定のように聞こえてしまうようです。滝村先生もその一人です。ヘーゲルの国家論を、国家論の否定だ、と批判しているからです。こういう人たちは、学問は本棚に飾っておくものだと考えているようです。これに対してヘーゲルは、自分のアタマの中に「精神の王国」として創って使うものであり、使うことが直接に精神の王国をより豊かに発展させていくという形で、どんどんバージョンアップしていくものだとしています。つまり、「精神の王国」は新たな人間の本能として人間の行動を規定するようになった時、その人間の目的意識的な個別の行動が即普遍性となりのです。これがヘーゲルの言う普遍性が直接に個別性だとする由縁なのです。


 では、ヘーゲルの説く運動体の弁証法の論理学とは、具体的にどういうものでしょうか?南郷先生は、ヘーゲルが最初に本物の事実に当たらずに「大論理学」から書き始めたのは間違いだった、と批判しています。これは、唯物論の立場からしても誤りです。唯物論でも、まず最初に仮説的な一般論を立ててから、それを目安としていつの論理を解明していくのが鉄則だからです。これは、かつて、南郷先生自身が説いていたことです。

 では、観念論からこれを見ますとどうなるかと云いますと、全体を統括する一般論=学問の冠石=概念を主体と見ますから、まず最初に、これが生まれますが、こっれはまだ中身が空っぽですので、その中身となるべき事実の論理の成熟を待ってじっと待機しています。ある程度事実の論理が成熟しますと、学問の冠石は、そろそろとそのままでは全体の一部にはなれないよと否定的な干渉をはじめます。これによって、定有が対自有へとへと変化して、全体に組み込まれる準備が整っていきます。

 一方で、論理の論理である本質論の方も、部分性の全体と全体性の部分との統一が図られて組み込まれる準備が着々と進行していくことになります。その結果として、有論の中身と本質論の中身とが統一されて概念の実質となり、構造となった時、即自的な概念は対自的な概念へと更新されバージョンアップされて、発展していくことになります。

 これが本当の「概念の労苦」なのです。つまり、これらの一連の作業は、概念の統括の下に行われるということであり、それを論ずるのが概念論なのです。つまり、概念論は、概念が、概念の労苦を通じて学問体系として発展していって、絶対理念へと至る道筋を説くものなのです。ですから、南郷先生が批判した訳者の注の方が正しいのです。参考にその訳者の注を引用してみましょう。

「ヘーゲルが『概念』という時、この言葉は非常に強い意味をもつ。事物について我々が抱いている一般観念とか、あれこれの言葉について辞書に書かれているような意味内容と言ったことにつきるのではなく、事物自身の内的本質とその関連を表わし、ほとんど、事物を構成している原理そのものと考えられる。やがて論ぜられるように、こうした概念の自己運動を把握することが、すぐれた意味での『学問』だというのである。」

 これは全くその通りです。なぜそれが分かるかといいますと、私自身その概念すなわち「精神の王国」を自らのアタマの中に創り上げることに成功したからです。すると、はじめは、直観的に捉えていたものが、その不動の骨格の下にその細部の構造が、自己運動のように概念の労苦によって、くっきりと明らかにされていくからです。これには自分でも驚きます。こういう観念論的な表現は決して間違いではないのです。否、むしろそうでなければ正しく表現できないものなのです。ヘーゲルは「大論理学」の序にそのことを書いています。つまり、まだ中身が何もないから思惟によって創られた現実性のない学問の冠石しか書けない、しかし、これが、基本的な骨格となり、これから概念の労苦によって中身が創られていくことになる、ということを述べています。

 そして、そこからヘーゲルは本物の事実を対象とする「エンチュクロペディー」へと向かっていきます。しかし、この時代の個別科学の現状は、事実の究明がまだ充分ではなく、結果としてそれは一般論の適用という約束組手的なものとなってしまったのは、時代性の限界であって、ヘーゲルの学問形成の順序の間違いでは決してありません。そして、この「エンチュクロペディー」がヘーゲルの概念の労苦の結晶なのです。

 個別科学が事実の究明を充分に明らかにしている今こそ、本当の意味での「概念の労苦」が可能な時代になっているのに、肝心の南郷学派が、「概念の労苦」は概念の論理化のことである、などと言っているようでは、何時まで経っても本物の学問の体系化など無理な話です。南郷先生は、認識学への修学なしには学問の体系化はないと豪語されていますが、概念=精神の王国も解けない認識学で果たして可能なのか?・・・

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[2929]
tada - 2018年09月24日 (木) 23時16分

天寿道さんへ 徳川幕藩体制をガラパゴス国家と 論じているのは私です。残念ながら 滝村先生はそのようなことを一言も論じてはいません。訂正し 認識を改めてください。どうも私の意見をイコール滝村隆一と思っているようですが 違いますので 気をつけてください。

南郷先生と南郷学派については もはや つける薬がないと思います。天寿道さんが言うように 彼らは根本的に弁証法を間違えています。概念があっても 弁証法はなし。弁証法があっても概念はなし。と言っておきます。

「ある時点において 概念として 論理は形成される。絶対精神が直接的に概念弁証法になるものではない。」(原論p130)

「概念とは、たしかに初心レベルではその対象的事物事象を具象=現象レベルで一般的に捉えた場合の言葉ではある。
 だが、一般的とは、その対象に関わっての性質を論理的に捉えた場合をいうのであるから、具象レベル、現象レベルで捉えた性質を概念化した場合の論理と、それを構造レベルで捉え返した場合の論理は、レベルが異なるだけに、同じ概念の実質・実態とはならないのである。当然に、具体の概念と現象の概念は異なり、というふうに、概念には論理としての階段(段階)があることを忘れてはならない。
 したがって概念なるものは、この(注)を記した人の解釈(というより、これは観念論的な説き方である)とは大きく違うものであることを、まず分かるべきである。端的に、概念は論理的実質・実態を称するものであり、対象の把握の仕方によってその論理の異なるだけでなく、段階が(レベルが)異なるのである」(原論p409)

エンゲルスの弁証法を中心にすえてしまったので ヘーゲルの概念弁証法を理解できない。そのために ヘーゲル概念論が誤読になっていますね。概念弁証法とは 全体と部分を内在化するものですから 南郷先生のように 概念がある時点でなったものとか 段階的概念ではなく 普遍―特殊―個別として弁証法で統一されているものが ヘーゲルの概念弁証法なのです。

南郷先生は学問の論理構造を武道の科学化でマスターしていますので そこからなぜ 概念弁証法を類推することができなかったのは 不思議なことです。「原論」p234・p228に学問の論理構造の説明がありますが これこそ ヘーゲルの概念弁証法と同じ構造なのです。

南郷弁証法について2点指摘をしておきます。「生命史観」は抽象度の高いエンゲルスの弁証法を具体性にむけて発展させたものです。滝村国家論でいう「社会構成理論」および「世界史の方法」に対応する方法論とみていいものですが 南郷学派に概念弁証法がないために「世界歴史」と呼ぶ 社会の一般論がいまだに構築できない、まとめられない状態 つまり 概念が統一できない状態のままなのです。逆に統一できれば 滝村先生の「社会構成理論」および「世界史の方法」に近くなるはずなので それも困ったことになるはずですが。(学城6号の加藤・村田論文参照)

今一つとしては 一般論の 取り扱いがあくなき普遍性の追求であって 特殊性まで降りてこられない 専門的で詳細な部分を拒否する弁証法であることから 特殊性・構造論を軽視してしまうところです。(「原論」p309)ここにまた 概念弁証法でない欠陥が露呈しているのです。

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[2930]
質問者 - 2018年09月27日 (木) 11時08分

滔々と書き込みつづっていく能力は凄いものだと嘆息していますけど…。

ですが、愚按亭主の説いていることを真面目に受け取ってその通りにしようとしたならば大変な事態に陥ってしまうような、そんな怖さも感じ始めています。

というのも南郷学派の本田さんの袴田事件での鑑定が覆ったということを本当に最近知ったものですから。

検察官であった郷原信郎さんなんかが本田さんのDNA鑑定を「全く科学的根拠に乏しく非合理的」だと書いていて「STAP細胞の研究不正と共通している」とまで述べていますね。

私は以前から南郷学派の全く論理的でない論述を本田さんのような列記とした大学教授が在籍していることで包み隠して、「大学教授が在籍しているのだから」と信用性を確保していた面に対して、本田さんや瀬江さんなんかの高学歴の人たちは南郷さんらの非合理的な論述を理解していながらも本の収入のような経済的理由か若しくは人間関係から目をつぶってるんだろうなと想像していたんです。

でも、一般人が書いた疑似科学の本なんかよりも大学人には研究不正の厳しい目にさらされるから大丈夫なのかな?という心配はあったんですが、袴田事件のDNA鑑定の記事を読むと本田さんは上辺だけ南郷さんに付いてきたわけでなく心底信じていたみたいですね。南郷さんの知性というものを。

それが「学城」なんかでの執筆協力に留まらずに本職のDNA鑑定まで侵食されてしまったんでしょうね、南郷さんの駄説に。

愚按亭主も気をつけたほうがいいと思いますが、パルメニデスだとかゼノン、カントやヘーゲルといった哲学の古典を学ぶことは大いに結構なことだと思いますし、私自身も興味あるのですが、それが自分の専門分野の治療だとか医療に新たな真理をもたらしてくれるなどという変な期待を夢想すべきじゃないと思いますよ。

菅野さんなんかも真っ当な古典研究者であったものを、南郷学派に道を迷わされておかしなことになってるみたいで。

このままだと、南郷さんの息のかかった人間はアカデミックな世界からは抹殺されてしまいかねない事態になってきてる怖さがありますね。




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[2931] 滝村先生のヘーゲルの国家論は失敗作という批判への批判
愚按亭主 - 2018年09月28日 (金) 17時51分

 滝村先生は、ヘーゲル以前の形而上学的哲学者たちの国家論を、理想国家ばかりを論じて、現実の歴史的社会を見ていない、と批判した後、ヘーゲルをその歴史的社会を見た初めてにして唯一の哲学者と持ち上げた後、そのヘーゲルの国家論を失敗作だと批判しています。

 その具体的な中身は、まず、「<国家>の<歴史的起源と形成>の、実質的無視をもたらした、<国家永遠存続>論の錯誤」(大綱二巻)と批判しています。

 そしてその批判と関連する形で、「<国家>が<人倫的理念の現実化>という以上、そもそも、この<神的概念>自体が<永遠・不死・不滅>にして<生成・消滅>しないからである。」(大綱二巻)と自論を展開しています。

 しかし、私から見ますと、滝村先生の方こそ明らかな錯誤です。ヘーゲルの<国家>の<人倫的理念の現実性>という規定を、はじめから観念論と決めつけているように<神的概念>だとして、歪んだ形で批判しているからです。つまり、根拠としたものが、それこそ観念論的な決めつけに過ぎないものでしかなく、その色眼鏡で、ヘーゲルの国家論に対して見当違いな批判をしているからです。実際、滝村先生がヘーゲルの国家の歴史的起源に関わるとみられる文章として引用したものを見てみますと、滝村先生の批判が当を得ていないことが分かります。、

「人倫的な諸関係における実体的なもの、例えば所有・婚姻・君主及び国家の防衛、並びに全体のためになすべき事柄についての主観性に委されている最後的決意など、これらのことは完成した国家においても未開の社会においても同様に現存しており、ただこの実体的なものの規定せられた形式がその発展の程度に応じて異なるだけのことである。」(木場訳「宗教哲学上巻」岩波書店、九七頁)


 これは明らかに国家の原基形態についても説いていて、無視などしていないことが分かるからです。だから、滝村先生は、無視とは言い切れずに、「実質的無視」という言葉でお茶を濁しているのです。さらに言えば、その根底にあるとしている「国家永遠存続」論なるものも、滝村先生が勝手に作ったものに過ぎず、何らも根拠となりうるものではありません。つまり、ヘーゲルはそんなこと言っていない、ということです。

 永遠に存続するものは、国家ではなく、絶対的本質としての絶対精神であり、国家は、その絶対精神の、国家として現われる段階になった時に初めて姿を現すもので、永遠に存続するものではないことはヘーゲルを少し学んだ者には分かるはずです。滝村先生のこのおかしな論は、明らかに観念論に対する観念論的な偏見を持って決めつけている滝村先生らしからぬ論理展開です。この観念論に対するおかしな偏見が、ヘーゲルを正しく理解できなかった原因だと思います。その報いは次の点に現れています。

 滝村先生は、日本の天皇が萬世一系として長く続いているのに対して、中国の皇帝は、なぜ長く続かず次々に代わっていくのか?という問題を解くために、日本の天皇と中国の皇帝との違いについて、次のように説いています。日本の天皇は、現人神つまり神そのものであるのに対して、中国の皇帝は神の代理人に過ぎないから、徳が失われれば易姓革命で次々に代わっていくことになる、と。

 そしてその流れで、側近政治について触れているところで、中国の場合はほとんど「私的側近政治」になるのに対して、日本の場合は必ず「公的側近政治」なる理由についてあれこれ説いております。しかしながら、一番肝心な点について一言も触れられていません。これが、滝村先生の国家論の根本的・本質的欠陥なのです。

 それは何かと云いますと、ヘーゲルの、国家とは人倫的現実性論を、観念論的な神的概念だとして否定してしまったことです。

 だから、蘇我馬子の17条憲法の意義を正しく評価できず、人倫的理念を憲法として国創りを行った日本の偉大性、国家論的正統性を理解できないがために、先の問題を正しく解けなかったのです。

 すなわち、日本の天皇が萬世一系と云われるように連綿と続いたのは、本質的には宗教の問題などではなく、天皇自体が人倫的理念そのものだったからであり、側近政治が必ず「公的側近政治」になっていたのは、日本の国家が人倫的理念の現実性だったからに他ならない、というこを、国家論学者として説くべきだったのです。

 また、ひどい国家も国家には変わりがないという問題に関して、人間お礼で病人も人間であることには変わりはないのと同じだ、という話がありました。そこで説かれるべきだったことは、共存共栄の人倫国家日本は、国家としてまともな国家ですが、人種差別的奴隷主義国家のような歪んだ病んだ国家も一応国家と言える、という問題に流れていくべきだったと思いました。

 そうすれば、そういう病んだ国家に、私的側近政治がはびこるという話にも発展できたはずだからです。しかしながら、滝村先生の国家論には、どういう国家が国家としてまともなのかの基準がないために、日本を正しく評価できないでいるようです。

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[2932] ヘーゲルの概念は運動体の弁証法の論理学がなければ理解できない
愚按亭主 - 2018年09月29日 (土) 12時33分

 南郷先生は、学問の体系化を目指して哲学とは何か・論理とは何かを自分のアタマで一生懸命自分なりの像を創り出して、そこからヘーゲルを解釈し、評価しています。一方で、滝村先生は、ヘーゲルの書籍を徹底的に学んで、そのヘーゲルの論理で自らの国家論の体系を再構築しようと努力されました。

 ところが、残念なことに、その両者の試みは失敗に終わりつつありまるようです。南郷先生は、その自らの学問体系を唯物論の範囲内で、そのできうる極限にまで至ったさすがと云えるものですが、やはり、唯物論の限界を乗り越えることができないで結果として失敗の運命にあるようです。。

 滝村先生の方は、マルクスと同じように、ヘーゲルの学問とりわけ概念の弁証法を唯物論的に創り変えようとして、肝心な点を受け継ぐことができませんでした。つまり、概念の弁証法を云々しながら、肝心の概念そのものの意味するものが分かっていなかったのです。結果として、自らの国家論も完成させるに至りませんでした。


 tadaさんが示してくれた南郷先生の次の言葉について検討して見ましょう。
「ある時点において 概念として 論理は形成される。絶対精神が直接的に概念弁証法になるものではない。」(原論p130)

 この文章は、南郷先生が、ヘーゲルの説く概念を、まるで分っていないことを示しています。なぜなら、絶対精神が直接に概念になる、とヘーゲルは言っているかであり、それが真実だからです。おそらく南郷先生は、ヘーゲルが形而上学のことを「死んだ論理学」と批判した、その中身が分かっていないと思います。だから、一生懸命、その死んだ論理学である形而上学を、ヘーゲルを超える画期的論理学だ、と信じて作ろうとしているのです。

 滝村先生は、その形而上学を批判して、ヘーゲルの概念の弁証法を、唯物論の立場から批判的に作り変えて継承しようとするのですが、<普遍ー特殊ー個別>の三項の論理は一体だとする形だけもらって、魂の方を観念論だと捨ててしまったために、肝心の概念が分からずじまいに終わってしまったのです。

 では、ヘーゲルの言う「生きた論理学」とはどういうものかと云いますと、ヘーゲルは、「概念論」は化学的過程から始まるとしています。この化学的過程とは、すなわち生命の段階ということであります。これは一体どういうことかと云いますと、その生命の段階において、それまでの絶対精神が、直接に<概念>へと進化するということです。もっと具体的に申しますと、生命の段階では、体系的論理性を持った遺伝子が、生命の進化を主導するということです。つまり、<概念>となった絶対精神が、遺伝子としてその論理的な統括力で、生命の危機に際して、新たな環境との統体止揚を図って、生命の進化を実現していくということです。


 そして、この構図は、否定の否定という否定的媒介を通じて、人類の学問の体系的論理性という<対自的概念>による世界創造へとバージョンアップされた形で受け継がれていくことになるのです。具体的に云いますと、人類の段階になると、動物時代の遺伝子の内在的な体系的論理性が造り出した、本能による局所的・固定的発展は、その限界性を乗り越えるために、一旦否定されて本能に囚われない人類の認識が誕生します。この認識は、それを生み出す脳細胞の遺伝子の内在的体系的的論理性を潜在的可能態として持ちながら、固定性を廃棄するためにあえてその体系的論理性を否定する形でゼロから出発して、試行錯誤を繰り返しながら自力で外在的な形で論理を創っていくものとして誕生いたしました。

 認識は初め、動物時代の局所的論理の延長線上で、それなりの発展性を示しておりましたが、ギリシャ哲学によって、全体性の論理である<学問の冠石>が追究されるようになるところから、本格的な<対自的な概念>の歩み、すなわち<学問・絶対理念>へ向けての歩みが始まります。その過程において、<概念>が<精神の王国>として技化し、しっかりと確立すると、その<概念>は、遺伝子のように、主体性をもって、自己運動を始めるようになります。これは、私自身の体験からはっきりと断言できることで、これが、すなわちヘーゲルの言うところの<生きた論理学>であり、生きて自己運動を始める<概念>なのです。つまり、<概念>は、本能化すると、本当に自己運動を始めるのです。だから、明け方など、意識がもうろうとしている時ほど、冴えわたった凄いひらめきが起きるのです。

 滝村先生も、南郷先生も、この生きて自己運動する<概念>が分からないから、滝村先生は、概念の弁証法を説いても、概念の弁証法となることはできなかったのであり、南郷先生も、学問の体系化を志しても、学問の体系化を果たすことができないのです。その最大の原因は、<概念>の原基形態と言える、ヘーゲルが「論理の体系は精神の王国であり、あらゆる感性的な具体性から解き放たれた、単純な本質性の世界である。この学問の修学、この精神の王国に滞在し研究に携わることは、意識を絶対定なものとして形成し、養成することなのである。」(原書P223)と述べたところの<学問の冠石>の軽視または無視だと思います。最近分かったことですが、その南郷先生の<学問の冠石>の無視乃至軽視の原因は、個別科学の一般論と、学問全体の一般論との次元の違いが分かっていないことです。その結果として、学問全体の一般論を、個別科学の一般論と同列に軽く見てしまって、「大論理学」など書くべきではなかった、まず事実に当たるべきだった、と批判しているのです。

 では、南郷先生が最初に創り上げるべき一般論をどう見ているのか、具体的に見てみましょう。
「理論体系を創りあげたいと思うなら、最初は一般論というものを素朴ながらにも持って、始めなければならないのである。
 たとえば、一般論とは世界とはこのようなものだ、太陽とはこのようなものだ、太陽系の生成発展とはこのようなものだ、地球とはこのようなものだ、というレベルの一般的な思いを把持して、つまり全体の姿を適当でもよいから把持して諸々のものを見ていく、地球の中身というものを思い描いて尋ねていかねばならない、ということである。」(原論P227)

 この南郷先生の説く一般論は、世界全体ではなく部分的な個別科学レベルの一般論です。だから、いい加減でもよい程度の軽い認識になるのです。個別科学においては、大事なことは事実の論理の方だからです。本当はそうであってはいけないのですが、個別科学はそれでも通用してしまうということなのです。これはまさに、唯物論的な個別科学の方法論であり、発想です。南郷先生は、そういう目で、ヘーゲルを見てしまうから、見当違いな批判をしてしまうのです。人類の学問史における世界全体の論理の追究は、こんないい加減なものではありませんでした。そして、そこでまずはじめに追究されたのは、南郷先生が挙げているような、具体的な事物の論理ではありませんでした。絶対的真理の追究という志の下に、有か無かの存在論の論理的追究から始まり、無を否定することによって、「世界は一にして不動」という絶対的真理の原点・基点とも言える論理が措定されたのです。これが、世界全体の論理の出発点でした。ここから発した論理だから、その論理は、絶対的真理と言えるのです。そして、これこそが人類の論理的認識を創り上げる過程だった、という認識論上の重大事に、南郷学派の唯物論的認識論は、その観念論否定の色眼鏡のせいで気づくことが出kない、という個別科学レベルでの障害もみられるのです。

 この哲学の歴史を、南郷先生は、軽視して「カントはこの能力(論理の体系化に必要なー愚按)について、感性、悟性、理性などと単純に分けて説明しているが、この論理学の成立過程が可能となりうるためには、当然にそのための歴史性を持った頭脳活動の訓練、修学過程が要求されることになる。この過程に応じられるものの一つが、カントやヘーゲルが長い長い時間をかけて学びとることになった古代弁証法の創立過程への学び、すなわちゼノンからソクラテスを経てプラトンまでの弁証法の生成発展の過程そのものである。そうやって成立できた弁証法と認識論を用いて、ようやくのことに論理学の過程性が歴史上に上ってくることになる。」(原論P226)

 このあと南郷先生は、もしかすると私に対してか、東洋医学を引き合いに出して、構造論のない現象論に対する批判を展開しています。つまり、認識論的な論理の構造が分かっていないとでも言いたげな様子です。しかし、私から言わせてもらうと、南郷先生の方こそ、生命史観的な認識の構造論のない、弁証法性もない、形而上学的な構造的欠陥を持った論理学でしかない、と指摘できます。というのは、南郷先生は、カントの規定した感性・悟性・理性を、バカにしたように「などと」や「単純化」などと捉えて、真面目にその意味を考えようとも、追究しようともせず、その中に含まれている学問の論理化・体系化に必須な生命史観的な認識の二重構造が、まるで分っていないようです。ここには、絶対的真理の系譜・潮流と相対的真理の系譜・潮流という弁証法・学問の構造を解くために不可欠な構造が存在しているのに、全く問題にしようともせず、それ以上触れようともしていません。だから、南郷学派の説く弁証法の成立過程は、いささかも弁証法的でなく平板なのです。

 このような構造的欠陥があるために、人類の学問史上において哲学の歴史が創り上げた、学問全体を統括する<学問の冠石>の主体性・その意義が分からず、自分が知っている個別科学の素朴な一般論レベルのものと同等のもの程度に錯覚・矮小化して、軽視・無視してしまっているために、<学問の冠石>が、ヘーゲルの言う<精神の王国>あるいは<概念>の原基形態であり、<概念の労苦>によって発展していって<絶対理念>へと進化して、<体系的に完成した学問>そのものになっていくことが分からないのです。

 だから、ヘーゲルがまずはじめに「大論理学」を書いたその真意が分からず、見当違いの批判を展開してしまったのです。ヘーゲルは「大論理学」を書くことによって、まずその<概念>の原基形態を創り上げ、確定したたのです。そして次に書いた「エンチュクロペディー」が、「大論理学」の意識的適用になっているのは、<概念>が<概念の労苦>を行えるようになるための、いわば約束組手の過程だったからです。これはヘーゲル自身が、しっかりと、上達論として論理化している通りなのです。このあと、一旦その基本技として出来上がった<概念>から離れて、事実との真剣勝負・自由組手を通して即自的な事実の論理と概念との統体止揚をして体系化していく<概念の労苦>が待っているという、ヘーゲルの上達論が展開されています。ここの部分は、かつて、瀬江先生が南郷学派張りの上達論に驚愕して引用していたところにありますので、確認しておいてほしい者です。つまり、ヘーゲルは、自らの上達論・学問形成論に基づいて、目的意識的に過程を踏んでいたのであって、決して順番を間違えたなどということはないのです。

 この<生きた論理学>とは、すなわち、ヘーゲルの<運動体の弁証法の論理学>に他なりません。それが無いために、滝村先生も、南郷先生も、ヘーゲルの説く<概念>の本当の意味も、<概念の労苦>の本当の意味も分からないのです。、
 
 
 

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[2933]
質問者 - 2018年10月03日 (水) 12時26分

素朴に考えたなら、アリストテレスもヘーゲルも書物でシッカリと学んでいないのならば、それは「アリストテレスの考え」でもなければ「ヘーゲルの考え」でもなく「南郷さんの考え」であり「愚按亭主の考え」なんじゃないでしょうかね?それこそ、論理的に考えても。

それを「ヘーゲルの考え」だとして喧伝するには何か別の理由があるはずだと思いますよ。それは、例えば自分の師匠がヘーゲルに傾倒していて、その師のヘーゲル論を聞き齧って他者に知ったかぶって話すわけだから当然に「ヘーゲル」という名前は出てくるわけですけれど、実際のヘーゲルは難解かつ膨大ですから自分ではまともに読んだことが無い、だとか。

あるいは、「大学者」とされている人物の名前を出して在野である自分の立場を補完しようと考えた、だとか。まあ、こちらのほうは現代におけるヘーゲル哲学の扱いが「ほぼ古典としての価値」としかされていませんから該当しないかとは思いますけど。

実際のところ、現代人としてマルクス主義に傾倒した人間はそのルーツとしてヘーゲルにも行くのが多いようですから、そちらの類いなんだろうと思いますけど。

私としては愚按亭主が書いていることは難解かつ具体的な事実の裏づけがない話ですから、それに対して真っ向から自己の結論を出そうと取り組むことはしていませんで、斜め読みして気になったキーワードをチラリホラリと調べたりしてるような次第でしてね。

まあ、愚按亭主が挙げた興味深い例え話に寄り添うならば、そうした私の思考の進め方こそが「武道の技を作る過程」とやらに相当するんじゃないかと思うわけです。

それは抽象度が高いというか概括レベルの論述であるがゆえに内容を十分に理解できないものを、その内容をシッカリと調べて初めの概括レベル・高い抽象度の話と繋げていこうとするわけですから。そうした過程で初めの概括が深く理解されもするし、場合によって初めの概括が不適当なものだと否定されもするでしょう。

ですが、それは「たった一つの事実、具体例にのみ対応させた」という意味で「自由組手」的ではないわけです。実際には相手も自分も動き回り、間合いも出す技も時々刻々変わっていくわけですから、一定の立ち位置で同じ所を突き続ける乃至は蹴り続けるような「基本稽古」とは違ってくるわけですよね?

それって、例えば円の面積を計算で出せるようになっても、それを応用して別の問題に解答を出すことが出来ないのに似ているのかも知れませんね。

ところが、愚按亭主の場合は「技を作る」=「論理的な思考を作る」というのは中身の無い抽象論を事実と突き合わせることなく「純粋に思考する」=「純粋理性」だというわけです。

最近、某所で尊敬する哲学者の一人である「N先生」がカントの純粋理性批判は「純粋理性を批判してる本」だと述べていて「我が意を得たり」の心境になったんです。「純粋理性批判」というタイトルだけだと「純粋理性を」批判してるのか「純粋理性で」批判してるのか判断できませんからね。で、やっぱりカントは純粋理性批判で合理論の経験論との統一の必要を述べたらしいと理解して納得しましたけどね。

そういう意味では、私はパルメニデスなんかの思想もプラトンへの影響といった面、哲学史という文脈だけで見るのではなく、色々と検討しなおせるんじゃないかと感じましたね。

というのも、例えばパルメニデスはエレア派といってイタリア半島の都市にいたわけじゃないですか?イタリア半島だということはギリシャ本土とは場所が違っていたわけで、ギリシャの植民地だったらしいですよ。そんな「ギリシャの植民地」なんて私も述べてみたわけなんですが、当時はアテナイとスパルタは別のポリス(都市国家)でギリシャという一つの国じゃなかったみたいなんですね。そうした違ったポリス(都市国家)がそれぞれ別の植民地を持っていたとしたなら、いえ私もそこらは勉強不足で知らないのですが、支配国(支配都市国家)の違う植民地同士の関係もまた複雑なものじゃなかろうかと想像したわけです。

要するに、ミレトス派だというターレスなんかとエレア派だというパルメニデスなんかの関係の違いというかなんですが、パルメニデスの「有るものは有り、無いものは無い」というのはターレスだとかのミレトス派の「アルケー(始元)」という思想へのアンチテーゼだと思うんですが、パルメニデスが何故にターレスだとかを否定したのかという根本的理由が既述した国家関係下での「感情、情動」なのではなかろうか?というのが私の考えなんです。

そうした意味で、確かにパルメニデスは一面的には「論理学の父」というか「矛盾律の祖」のようなところがあって、それがソクラテスの「定義の祖」というか「それは何か?」という問いへの回答を「あれでは無い、これでも無い」との否定する形で出そうとした思考に繋がるようにも思うわけです。南郷さんでいったら『武道修行の道』だかで空手を定義しようとして「柔道じゃない、合気道とも違う、剣道でも無い」なんてやってるのが正にソクラテス的な思考だと思います。もっと前に、武道を定義するに「スポーツじゃない」という否定を入れてもいましたっけ。

でも、これってユークリッド原論なんかの都合よく思考して計算するための相対化の方法で、点を線でも面でも無いと規定したり面を線でも点でも無いと規定したりするのと一緒ですよね。でも、実際の外界の「点」と指示された対象は長さも面積も持っているという、武道を「スポーツでは無いもの」だと規定することの困難さに直面して、思考の仕方を根本から考え直さないといけないのでは?となったわけだと思うんです、西洋哲学では。

そんなわけで、パルメニデスもプラトンへの影響の大きさという観点以外の見方ができると思い、それこそ現代哲学的な「分析」だとか「現象」の考えを導入して「パルメニデスに一体何が立ち現れたのか?」と問うてみて、パルメニデスの「純粋理性」ならざるところを浮き彫りにできるように思いました。

逆に言えば歴史に残るような哲学思考というのは正に「純粋理性」では有り得ない、人間の思考の一般性・普遍性と言ってしまって良いのか分かりませんが、必ず現存した個体としての環境下で思索してると考えます。

パルメニデスの「不死、霊魂不滅」の考えだって「死への恐怖」という情動から現象学的にも再考できると思いますし、まあ古代の思想を現象学的に再考するなんてのはハイデッガー以来なされているみたいですけれど。

とにもかくにも、愚按亭主は市販されている『空手高揚』で師である馬場さんに「論理は事実で考え、事実は論理で考えよ」と指導されているにも関わらず、事実をかえりみない純粋理性が技を作ることだなんて考えているようでは、それこそ「思考の崩れ」であり「崩壊」でしょうね。

そんな愚按亭主の考えは「技を作るために間合いや相手の動きを考慮せずに繰り返し<体を動かしなさい>」という辺りを「基本は体を動かさずに頭で純粋に考えるだけ」にしてしまうが如きものですから、自由組手という多様な動きへの対応の否定ではなくて体を動かす身体運動の否定にまで行き過ぎてるというわけです。





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[2934] ヘーゲルの文章の読解の一例
愚按亭主 - 2018年10月04日 (木) 23時16分

 では、「原論」の中で、南郷先生が引用したヘーゲルの文章で、南郷先生が正しく理解できていないところを、私が正しく読解して見せましょう。

「論理学とは純粋理念の学問、すなわち思惟の抽象的要素における理念の学問である。 
 この規定に関しても、この予備概念の中に含まれる他の諸規定に関しても、哲学一般に先立って立てられる諸概念と同様のことがいえる。すなわちそれらは全体の見通しから、そしてまたその見通しに沿って汲みとられた規定だということである。
 論理学とは、思惟と思惟の諸規定と諸法則との学問である、という人もおそらくいるであろうが、しかし思惟としての思惟は、理念がそこにおいては論理的であるような普遍的規定性もしくは要素をなすものなのである。理念は形式的なものとしての思惟ではなくて、それは思惟の独自の諸規定と諸法則との自己発展的統体性なのであり、これらの規定と法則とを思惟は自己自身に与えるのであって、思惟がすでにこれらを有していて自己内でこれらを見つけ出すというのではないのである。」(『大論理学』南郷・悠季共訳)
 

 南郷先生は、自分でこのヘーゲルの文章を引用しておきながら、ヘーゲルの言わんとしていること、その真意を残念ながら少しも分かっていません。そのことは、この後の展開を見れば一目瞭然なのですが、「論理学とは、思惟と思惟の諸規定と諸法則との学問である、という人もおそらくいるであろうが」とヘーゲルが批判している論理学がどういうものか?それに対してヘーゲルが対置している論理学がどういうものかが、全然分かっていないようです。

 具体的に云いますと、南郷先生は、ヘーゲルが批判しているものが、形而上学であるということが、わかっていないようです。だから、ヘーゲルの論理学は形而上学だとする波多野氏の文章を持ち出して、自らも形而上学を作ると宣言しているからです。

 そんな調子だから、その後の「思惟の独自の諸規定と諸法則との自己発展的統体性」というヘーゲルの文章を紹介しながら、それがどういうもので、どう形而上学と違うのか、という説明もないまま、波多野氏の引用に移ってしまっています。その波多野氏も、「純粋精神即ち(ヘーゲルの言葉を用うれば)『世界創造前の神』を対象とするは論理学なり」そしてその論理学というのは「されば論理学は、ヘーゲルに於いては、又同時に形而上学たるなり」と述べています。

 この波多野氏の誤りは、ヘーゲルの論理学を形而上学的観念論としてとらえてしまっていることです。ヘーゲルの論理学は、弁証法的に運動する世界の絶対的本質=絶対精神を主体とする絶対観念論から説かれたもので、「世界創造前の神」というような形而上学的なものではなく、直接的に存在する即自的な絶対精神が、運動態として存在する論理を、世界の始元の論理として説いています。つまり、「前」ではなく運動・発展・創造と直接に存在する世界の内部の神だということなのです。したがって、その発展の結果として、人類が学問を体系化し、その精神の王国を自分のものとした時、すなわち絶対理念になった時、人類が神に回帰するということなのです。

 ですから、ヘーゲルの論理学は、形而上学ではなく、「思惟の独自の諸規定と諸法則との自己発展的統体性」をもった「生きた論理学」、すなわち運動体の弁証法の論理学なのです。

 これを理解するために、とても役立つのは、ヘーゲルの学問形成の三項の論理です。それは以下の通りです。

<即位的悟性ー対自的否定的弁証法的理性ー即自対自的肯定的弁証法的理性>

 これをヘーゲルの「大論理学」の中の学問体系の構造に置き換えてみますと、

<有論(即自的悟性)−本質論(対自的否定的弁証法的理性)−概念論(即自対自的肯定的弁証法的理性)>となります。


 学問の歴史においては、まずギリシャ哲学において、この世界の本質論すなわち対自的否定的弁証法的理性が、感性的・具象的な認識から切り離される形で形成されます。それが、「世界は一にして不動」のパルメニデス・ゼノンおよびプラトンです。そのことを、ヘーゲルは次のように述べています。

「そこで論理的なものは、修学のはじめにおいては、このような意識された力として精神の前に現れるではないとしても、精神はその修学を通して自己をあらゆる真理の中に導く力を感得しないわけはない。論理の体系は精神の王国(愚按修正ー影の王国は不適当)であり、あらゆる感性的な具体性から解き放たれた、単純な本質性の世界である。この学問の修学、この精神の王国(愚按修正)に滞在し研究に携わることは、意識を絶対的なものとして形成し、養成することとなるのである。」(『大論理学』南郷・悠季共訳)
 
 この中で、大事なポイントは、「論理の体系は精神の王国であり、あらゆる感性的な具体性から解き放たれた、単純な本質性の世界である。」のところです。ここの何処が大事なポイントなのかと云いますと、プラトンやカントが行ったように、感性的・経験的要素を否定して、純粋論理の思惟の世界を創ることです。学問の発展史上における、その意義の重大さを、南郷先生や南郷学派の人びとは、全く理解できていないのです。これでどうして認識学といえるのでしょうか?これが、学問を統括する<学問の冠石>の原石を創り上げる作業なのです。そして、これが無ければ、学問の体系化など不可能なのだということを、南郷学派は分かっていないのです。自分で引用しておきながら、その重大な意義について全く触れようとしていないことが、その無理解の証拠なのです。

 そして、ヘーゲルの論理学において最も重要な部分は、「思惟としての思惟は、理念がそこにおいては論理的であるような普遍的規定性もしくは要素をなすものなのである。理念は形式的なものとしての思惟ではなくて、それは思惟の独自の諸規定と諸法則との自己発展的統体性なのであり、これらの規定と法則とを思惟は自己自身に与えるのであって、思惟がすでにこれらを有していて自己内でこれらを見つけ出すというのではないのである。」

 じつは、これが、概念論、すなわち即自対自的肯定的弁証法的理性なのです。「理念がそこにおいては論理的であるような普遍的規定性もしくは要素をなすものなのである。」というのは、感性的な即自的悟性との統一の作業においては、「理念がそこにおいては論理的であるような普遍的規定性もしくは要素をなす」ということなのです。その結果としての「思惟の独自の諸規定と諸法則との自己発展的統体性」だというわけです。だから、即自的悟性との相互浸透の中で、思惟の独自の諸規定と諸法則とを自己自身(精神の王国)に与えていくという形で、無限に発展していく「精神の王国」になる、というのが「自己発展的統体性」の中身なのであり、これが即ち<概念の労苦>なのです。


 この「自己発展的統体性」の意味が分かっていないから、南郷先生は、「大論理学」をさきに書いたから誤りだと批判したのです。ヘーゲルは、まず<学問の冠石>として「大論理学」を書き上げて、続いて「エンチュクロペディー」で約束組手を行ってその<学問の冠石>がいつでも、即自的悟性との相互浸透・統体止揚できる準備を整えたのです。あとは即自的悟性が個別科学として発展してくるのを待つばかりにしておいたのです。そして、それは歴史的には、マルクスによるヘーゲルの否定という形で行われ、即自的悟性の時代が切り拓かれていったのです。時がたって、南郷先生によっていよいよ、即自的悟性の方も準備が整ったのにもかかわらず、ヘーゲルの真意の分からない石頭の唯物論者たちによって、第二の否定による、統体止揚がかき消されて、何時まで経ってもそれが行われなくなって、ヘーゲルの遺志は何時まで経っても達成されないという事態になているのです。しかもそれが、ヘーゲルの遺志を継ぐと公言している南郷先生たちによって、それが阻まれているという何とも皮肉な事態になってしまっているのです。

 余談ながら、ヘーゲルの説いていることと、私の日ごろの主張とが、いかに一致しているかについて、挙げるならば、
「それらは全体の見通しから、そしてまたその見通しに沿って汲みとられた規定だということである。」

 これは、私が学問の曙であるギリシャ哲学は、細かな事実は無視する形で、観念論的に、全体を全体として見た全体的論理性である絶対的真理の追究のために生まれた、という主張と一致します。それに関連して、この全体的論理性の方が、論理として措定しやすいから、論理学はまず全体的論理として生まれ発展したと主張しているのです。

 また、「精神はその修学を通して自己をあらゆる真理の中に導く力を感得しないわけはない。」とのヘーゲルの主張の根拠として、絶対精神がまず、体系的論理性を有している生命の遺伝子となり、その基礎の上にその発展形として認識を生み出したことを挙げておきました。その潜在的・内在的な論理能力をもってすれば、全体を全体として見た時にその全体的論理性を感得する力を有していたと云えるのです。

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[2935] ヘーゲルの二刀流 
tada - 2018年10月06日 (月) 16時53分

(2931) 滝村先生のヘーゲルの国家論は失敗作という批判への批判についてです。国家論大綱第2巻の該当箇所を読み直してみました。しかし 天寿道さんのような考えにはいたらず ヘーゲルの批判は至極まっとうな論説であり 滝村先生は間違っていないことを確認しました。


今回の場合 ヘーゲルが二刀流を使っていることに注意しなくてはいけません。法の哲学ではプラトンのイデア論に見られる神的理念の徹底化により 国家永遠不滅論になっています。もちろん概念レベルとしての国家です。概念弁証法的な成長する概念ではなく 理想的国家の原型という意味です。特殊的・個別的国家の軽視・無視の 普遍的国家第一と言っていいでしょう。法の哲学 §258では 学的認識に国家形成およびその外的要因は必要ないときっぱり言い切っています。ここからも 国家の始源形成論は軽視、無視 そして 国家の内在化、国家が内的必然で発展すると判定できます。

歴史哲学では 国家を神的理念と述べていますが 概念弁証法的に成長する国家観がみられます。普遍性―特殊性―個別性を通じ 世界史的国家を展開しています。当然 ヘーゲルは国家の外的諸関係の規定性を認めていますので 国家の始源形成論が未熟ながらも展開されていると判定できます。

この二刀流の違いは 法の哲学の国家論が 滝村先生言う「思弁的」で頭で作っている。つまり 抽象的であるがゆえ 概念弁証法を駆使した学的国家論ではなく 概念弁証法の形式を生かした より抽象的な国家原理論になったということです。特殊性・個別性レベルの国家論を切り捨てた 普遍性レベルの国家を念頭におく イデア的国家論なのです。


滝村先生は賛同してはくれないかもしれませんが 私は 法の哲学全体を より原理的な社会構成理論 国家ー社会(経済)ー文化(精神)の連関理論として生かせるのではないかと思っています。そういう意味で 法の哲学は学的国家論としては失敗作であるという滝村先生の評価と市民社会論の先駆として評価される現状の評価を首肯して良いと思います。


正直 江戸時代にあたる 19世紀びとのヘーゲルの国家論を 学的国家論ではないと否定する滝村先生に対して 大人げないなと思うこともあります。しかし こういったところに ヘーゲルを学匠として崇めるのではなく ヘーゲルとサシで勝負する先生の学的姿勢が現れていると思う次第です。

Pass

[2938] 唯物論者の現象論の相互浸透とヘーゲルの二刀流の否定的媒介・統体止揚との違い
愚按亭主 - 2018年10月08日 (火) 21時37分

 人間は、本質的に二刀流です。どういうことかと云いますと、人間は、動物体と人間体との、唯物論と観念論との、即自と対自との二刀流だということです。そのうち特に大事なのは、動物的・即自的な唯物論の方ではなく、人間的・対自的な観念論の方です。たとえば、、即自的な唯物論的な現実の自分に対して、対自的に観念論的な未来の自分すなわち目的を創り出して、それに向かって唯物論的な現実の自分を動かすのが、観念論的な未来・目的像だからです。

 学問においても、観念論的な全体性の絶対的真理の系譜と、唯物論的な部分性の相対的真理の系譜との二刀流の統一・統合で、はじめて学問の体系化が成るのです。その際に、その統一を主導するのは、唯物論的な事実の論理ではなく、それを使いこなす観念論的な<学問の冠石>であり、<概念>の方なのです。これがすなわち<概念の労苦>の中身なのであり、<精神の王国>の形成に他なりません。ところが、マルクスも滝村先生も、南郷先生も、それが全く理解できないのです。だから、二刀流だと批判して、自らは、観念論を否定して、唯物論至上主義の殻に閉じこもってしまうのです。これは実は、上の論理から明らかなように、人間性の否定に他なりません。なぜなら、観念の主導・目的意識性の否定だからです。人間は、観念論的な認識を創り出すことによって、はじめて人間になったのです。唯物論至上主義者は、その事実を、生命の歴史の解明によって認めていながら、何が何でも唯物論でなければならぬという観念論的思い込みがるために、できるだけそれを見ないようにして、無意識・無自覚的に二刀流を使っているのです。


 二刀流は、一刀の如く使いこなせて、初めて本物の二刀流と言えます。その境地に達することができたのは、学問史上ヘーゲルのみです。ヘーゲル以前の哲学者は、形而上学でしたから、一方を立てるときは他方を否定し、他方を立てるときは一報を否定するしかありませんでした。これが「二律背反」です。ではヘーゲル以後の唯物論者はどうかと云いますと、ヘーゲルから弁証法の形を盗んで上辺だけそれを装いながら、その中身は形而上学に過ぎませんので、その統一の相互浸透の論理も、中身の浅い現象論でしかありません。それは、常識的な「朱に交われば赤くなる」程度の内容しかない代物で、とうてい学問的論理とはいいがたいものでしかありません。

 ヘーゲルの本物の二刀流の統体止揚は、否定的媒介による、ありていに言えば、相手をぶっ壊す「滅ぼし合う対立」、つまり、本気の喧嘩・真剣勝負の結果として真の親友が得られるように、両者が一体化できるのであって、それが<概念の労苦>の中身なのです。かくして本物の学問の体系化が図られるのです。ですから、南郷学派の言う「滅ぼし合う対立」「概念の労苦」「学問の体系化」と、全くその中身の次元が違うのです。

 したがって、そうことの分からない御仁が、勝手に、ヘーゲルの哲学の中身は、プラトンの国家論やキリスト教の三位一体と同じだ、と解釈するのは勝手ですが、それはヘーゲルの生きた論理学が分かっていないことを、自ら告白しているのと同じことなのです。滝村先生が妄想だと批判する、ヘーゲルの思弁哲学が、如何に生きた論理かは、国家は人倫的理念の現実性とする、国家の本質論が、日本の国家の歴史的・学問的正統性を、見事に浮かび上がらせて、人類の未来を照らし出すものとなった、ことからも分かると思います。そして、そのヘーゲルの<概念>はその内容を自らの構造として、学問として、<精神の王国>として、その統体的発展性を発揮していくのです。

 と同時に、おさえておくべきは、これと好対照に、唯物論的な滝村先生の事実からのみ導き出された国家論や、南郷学派の生命史観的歴史観では、アレキサンダー大王の創り上げたヘレニズム文明の学問的な歴史的意義や、日本の17横憲法による国創りから江戸期の人倫国家の完成いたるプロセスの国家論的な重要な意義は、逆立ちしても説くことは不可能だった、という厳然たる事実です。

Pass

[2939]
質問者 - 2018年10月11日 (土) 05時22分

二刀流ですか…

そういえば玄和さんの大学支部で二刀流の稽古してる動画が公開されてましたね。

玄和さんの稽古は基本、秘密主義ですし、門外漢の私には知ることができませんけれど、南郷さんの著書での書きっぷりだと高野佐三郎の孫弟子に当たるかするんですよね、南郷さんは。

それで「一夜秘伝」だとか一刀流に関する記述が多かったように思うんです。一刀流といえば切り落としですから、冷やっとしたら振り落とせというアレも斬り落としの極意なんでしょうね、小説の話だとしても。

それで、その後は確か示現流に傾倒してたかと思いますが、なんで示現流なのかも興味深いですけどね。示現流といえば薩摩藩ですから、南郷さんの郷里の宮崎県との繋がりなんかもあるかも知れませんが。

そこから二刀流には直ぐには繋がりませんけど、二天一流の宮田さんが南郷さんを尊敬していると常々ラブコールを発していたのは聞いてましたし、宮田さんの支部では南郷さんの「武道とは何か」が必読書だとか聞きましたよ。

二天一流の二刀流は「刀を二本持ってる」ということでしょうけど、一刀流の一刀とは「一本の刀」のことではなく「一振り」「一刀両断」でしょうから、空手の一撃必殺にも通じるんでしょうし。

それは「ぜったいてきな真理、観念」によるものでもなく、離れて生活していた結びつかないものが、何かのキッカケで結びついて、つまりは媒介関係の発展というか、そこから観念の中身が深まっていくことを表しているように思われるんですけどね。



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