[2904] 人権概念の議論の処替え |
- 質問者 - 2018年08月27日 (月) 09時46分
書きたいことは山ほど湧いてきている今日この頃なんですが、私が滝村先生の本を買った10代の青春期に難しくて丸で理解できなかった「国家の始まりは戦争」「共同体・即・国家の他の共同体との対峙、征服」の件は「国家の最高権力者は誰だったのか?」という実証史的なところに繋がっていく話だと思うんですね。
まあ、事実とは切り離されていて事実とは結び付かないがゆえに高い価値がある「純粋理性の極み」とやらを有り難がる愚按亭主にはそんな系統性だとか体系性だとかは理解できないかも知れませんけど…
「国家の始まりは戦争、他の共同体との対峙」という考えはエンゲルスの『家族、私有財産、国家の起源』に書かれているのかも知れませんから確認しておく必要がありますが、「共同体・即・国家」が国家の始まりだとしたら国家の最高権力者は軍事機能のトップだということになるはずですよね?将軍だとか司令官だとかの。
それで、古代ギリシャなんかはそんな事実があったようなんですね。ペリクレスだとかアレキサンダー大王だとかの軍事のトップが国の最高権力者で。
ですが、日本の天皇って武官でなくてシャーマン、宗教家でしょう?地鎮祭なんてのもありますけど、神道の祈りも自然環境の神の怒りを鎮め平和に暮らしていくための多くの民の共通した願いなんだと思いますね。そんなシャーマン「あめのしたしろしめすおおきみ」を最高権力者として武官の軍事的機能は国家の部分的なところに位置付けられていたのだと考えます。
ですから、「征服」だとか「戦争」を国家の本質的な中心に位置付けることはペリクレスだとかアレクサンドロスの頃に限っては正しいのかも知れませんけど、日本を含めた国々には当てはまらない。それは古代エジプトを専門とした実証史家なんかも古代エジプト帝国が周辺国を征服して大きくなったとは考えられないと述べているが如くです。
滝村先生はエンゲルスを継承した20代の頃の「国家=共同体・即・国家」論を、その後のアジア的国家の研究を通して克服したんじゃないかと思いますね。
ですが、滝村先生と仲が良かったらしい寺沢薫さんという考古学者さんは『王権誕生』という1980年の自著で『マルクス主義国家論』の「国家=征服」論を下敷きにして日本の国家誕生は戦争が始まった弥生時代だとしています。
これを滝村先生との友情と考えてよいのか学者の仕事としては難しいところですが、誤った原理(特殊な時代の不当な普遍化、一般化)から志向され構成された過去の再現は道を誤るという典型例ではないかと思うわけです。
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