カウンター なぜ今ヘーゲルの復権なのかを再確認  - 談論サロン天珠道
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[2857] なぜ今ヘーゲルの復権なのかを再確認 
愚按亭主 - 2018年06月01日 (金) 09時21分

 今の人類にとって、ヘーゲルの復権がどれほど重要であるか、がなかなかに分かってもらえないようですので、そのことが分かってもらえるように、ここでまとめてみたいと思います。

1、人類の使命とは何か
 ヘーゲルは、絶対精神の自己運動として、すなわち、絶対的本質の発展の道筋を描いた全体像を、学問が学問として完成するために必須な<学問の冠石>として創り上げました。このことは、人類とは何か、絶対的本質としての本流であることを自覚した人類が、本流として歩むべき道を明確に示してくれたことになります。

 そこでヘーゲルが説いた最も重要なことは、人間自身が<神>になるべきだ、としたことです。この主張は、敬虔なキリスト教社会であったその当時の西洋社会においては、猛烈な反発を招くことになりました。その筆頭がキルケゴールです。

 また、一方で、当時の西洋社会は、台頭する科学と、それまでの精神世界を支配してきたキリスト教との対立が顕著になっていた時期でもありますが、ヘーゲルは、この観念論的な宗教と、唯物論的な科学との対立を、絶対観念論の立場から学問的に統体止揚し、その解決の道を示していたのにもかかわらず、マルクスはそれが理解できず、同じ観念論だとして葬ってはならない<ヘーゲルの学問>の方を葬ってしまったのです。結果として、宗教は、己の進むべき道を閉ざされて、いつまでもはびこることになってしまって、人類に害を与え続ける存在になってしまっているのです。

 では、ヘーゲルの説く解決の道とは、どういうものであったかと云いますと、哲学と宗教とは、同じ観念論の立場に立って、同じく絶対性を追究するものですが、その絶対性を、宗教は、その中身をすでにあるものとして問わない形で、絶対性を外部に求め、一方、哲学は、世界そのもののうちに絶対性が存在するとして、その中身を問う形で絶対性を内部に求めて追究していきました。

 その結果はどうなったかと云いますと、初めの方こそ哲学と宗教は互いに影響し合い、協力し合って発展していきましたが、ある程度形が整いますと、宗教は、発展することを止め(というよりそれ以上の発展は不可能となり)、もっぱら現世の人間の支配の方に力を注ぎ、学問は真摯にその絶対性を追究していき、ついに絶対的真理にまで至ることができました。それがヘーゲル哲学だったのです。

 そして、ヘーゲルは、学問は、宗教の必然性とその長所・短所とをすべて分かった上で、自らの内部にそれを構造化するものであると説いています。そして、宗教は、絶対性への信仰を外部に向けるのではなく、己自身の内部にある絶対性に対する絶対的信仰という正しい姿に改めることによって、その信仰の下で行う修行によって自らを高め、自らを神としての主体性を確立することによって、真の人間として自立するという、人類の歩むべき道を説いたのです。これによって、宗教が人間の主体性の確立・自立の道を阻んでいるという深刻な偽らざる現実を、根本的に解決できる道を示したのです。これこそが、現在世界中で頻発している、最早合理性を喪失している昔の相対的真理を神格化(絶対化)している、あるいは自分たちの邪悪な意図を、神の威を借りて正当化する形で行われている理不尽を、根本的に解決できる道が切り拓かれることになります。それこそが、宗教を構造化できる真の学問の使命なのです。

 かくしてヘーゲルの説く<人類の使命>とは、この世界の絶対的本質の自己運動の結果として、絶対的本質たる己自身を自覚しうる最高の発展形態として生まれた人類が、学問の研鑽によってそのことを自覚して、目的意識的に学問を完成して、自ら<絶対理念=神>となって、あらまほしき世界創造をして、世界の発展を牽引していくということです。そういう世界創造を担う本流としての人類とは、すなわち国家に他なりません。したがって、そう云う事が学問的に明らかにされた暁には、国家は、学問的・目的意識的に、これを、国家の理念・普遍性とすべきなのです。ですから、日本国はそういう理念を憲法化すべきであるし、日本国民もそういう日本国の国民としてふさわしい国民となるべく努めなければならない、ということなのです。

2、マルクスが終焉させた哲学の歴史は、本来の輝きを取り戻さなければならない!
 この問題の答は、なぜ人類が誕生したのか?という根源的な問題を解くことによって、明らかになります。すなわち、そもそも人類がなぜ誕生したかといえば、それは、それまでの動物的な遺伝子の論理能力に基づく本能の限界を、根本的に乗り越えるためだったのであり、より大局的な観点から云えば、絶体的本質が絶対的本質である己自身の姿を堂々と現わす形で己自身に回帰するため(できるようになるため)だったのです。これだけでは、何のことかわからない人が殆どであろうと思いますので、もっと具体的且つ詳しく説明しましょう。

 人類が、自らの基盤としながらも、その限界性を根本的に克服しようとしたものは、動物的な遺伝子の相対的真理レベルの事実にもとづく論理能力の限界性です。つまり、即自的・局所的な事実の論理の限界性です。これに対して、人類が誕生してから発達した唯物論的な科学的な事実の論理に基づく方法論は、、たしかに動物的な限界性を乗り越えて一定の発展性を示すものではありますが、それはあくまでも動物的な相対的真理レベルの事実の論理能力の延長線上の発展に過ぎないものであって、本当の意味で、<人類が誕生する必然性の核心>をなすほどのものではないのです。

 では、その核心をなすほどのものとは一体何か?といいますと、局所性・即自性の限界を根本的に克服できるのは、全体性・対自性です。その全体性・対自性を獲得するためには、一旦即自性を否定し、局所性から離れる必要がありました。だから動物的な遺伝子・本能は止揚されなければならなかったのです。それによって、生まれたのが、即自性と対自性とに二重構造化した人間の認識です。

 そして、その人間の認識の対自性が創り上げた最たるものが、全体性の究極の論理である<絶対的真理>を追究する哲学です。その<絶対的真理>を追究する全体性の論理を扱うのが思惟であり、思惟能力です。この思惟能力は、動物的な遺伝子の論理能力とは、まったく異次元のものであり、新たに創り上げなければ、絶対に手に入れることのできない、人間にだけ可能な、許されたものなのです。ですから、これを手に入れるために人類は人間になった、と言っても過言ではないほどのものなのです。したがって、その全体性の論理を扱う思惟能力の鍛錬・技化は、人類が真の人間になるために、必ず行わなければならないとても重要で必須な、必然的な過程なのです。

 その過程を人類レベルで創り上げたのが、ギリシャ哲学からドイツ哲学にいたる哲学の歴史なのであり、その完成形態がヘーゲルの哲学に他なりません。ですから、この哲学の歴史は、人類史においてもっともっと燦然と輝いていなければなりませんが、マルクスやエンゲルスによって、「哲学の歴史はヘーゲルとともに終焉する」などと規定されて、過去の遺物扱いされてしまっているのが現状です。

 しかし、人類が、新たな人間的本能として頭の中に創像し対象化すべき、論理的に体系化された世界の全体像である<精神の王国>は、動物的・唯物論的な科学的思考能力だけでは、到底到達不可能なもので、哲学的な思惟能力があって、はじめて創り上げることが可能となるものです。したがって、その哲学を貶めるマルクス・エンゲルスの規定は、人類の真の人間への道を閉ざす大罪に値するものであり、妄言でしかありません。

3、ヘーゲルの弁証法の真骨頂をどう受け継ぐべきか?
 哲学史における思惟の発展は、無を否定し、運動を否定するすることによって獲得された、パルメニデスの「世界は一にして不動」から出発して、はじめは、その固定的な規定を矛盾することなく貫く論理が追究されることになります。それがゼノンの詭弁です。運動しているように現象している矢も一点に動かないとする論理が追究され、常識的には明らかに変化するであろう関係性も変化しない論理が追究されたのが、ゼノンの詭弁です。
 
 かくして、あれはあれ、これはこれ、というあれかこれかの固定的な形式論理学がまず創られました。これがギリシャ哲学の成果です。時が過ぎ、19世紀のドイツで、カントが、相反する正反対の論理がそれぞれに成立することを、反証の方法を用いて論理的に証明することによって「二律背反」という命題間矛盾が成立する、と問題提起をしました。しかしながら、これは、あくまでも、命題と命題との間の矛盾であって命題内部では矛盾のない、旧来型のあれかこれかの形式論理学のままですので、運動が生じようがないものでした。

 これを革命的に変えて、本当に運動の生じる矛盾の論理として、運動体の弁証法を完成させたのが、ヘーゲルです。そして、そのヒントとなったのが、ギリシャ哲学のヘラクレイトスの、有も、無も、肯定した上で、その両者の統一によって成が生じる、すなわち、運動が生じるとした論理です。ところが、ギリシャ哲学の時代においては、このヘラクレイトスの論理は、パルメニデスやゼノン以上に理解されなかったのです。プラトンも、はじめはこのヘラクレイトスの論理に注目したようですが、途中で放棄して離れていってしまい、パルメニデスやゼノンの論理を発展させる方向に向かってしまいます。つまり、第一の否定の段階では、第二の否定の論理は理解され難かったということです。ただ、その一方で、そうであるからこそ尚更のこと、ギリシャ哲学の段階で、運動体の弁証法の萌芽がすでに存在していたということは、本当に凄いことであったのです。まさに、原基形態の中にすべての要素が含まれているという箴言は、まさしく真理なのだ、ということをこの事実は示していると思います。

 このヘラクレイトスの論理を、はじめて正しく評価できたのはヘーゲルであり、ヘーゲルは、弁証法の祖を、ゼノンではなくヘラクレイトスである、と明確に述べています。そして、ヘーゲルの「大論理学」はこのヘラクレイトスの論理を基礎にして展開されているのです。実際のところ、このヘラクレイトスの論理を、本当の意味で分かるためには、形式論理学的な判断を破壊することなしには不可能です。だから、ギリシャ哲学の哲人たちはヘラクレイトスの真価を見抜くことができなかったのです。

 たとえば、有と無との関係について、有は無であると云われると、おそらくは強烈な違和感があると思います。なんで有が無なのか?有は有であって無でないから有なのに、それが無だなどと無茶苦茶だとなるはずです。こういう感覚は、形式論理学的な常識の中で創られたものですから、それを壊さなければならない、ということです。それを行ったのが、ヘーゲルの形式論理学の判断破壊です。

 これを真面目にやらなかったから、マルクス主義は、直接的同一性とかあれもこれもが存在する、と知識的には分かったつもりになっても、その実態は、あれかこれかのままだったのです。つまり、ヘーゲルの弁証法を受け継ぐためには、この過程を真面目にやって、自分自身を根本的な変える必要があるということです。マルクス主義は、これをやらなかったから、ヘーゲルを正しく理解できず、自分が理解できないのはヘーゲルの方が悪いからだ、と責任を相手に押し付けて、やらなければならなかった自らの内なる判断破壊は行わずに、やってはならないヘーゲルの正当な学問の破壊の方を、一所懸命やってしまったのです。

 結果として、現在の世界は、解決できない対立が激化するばかりで、一向に出口の見えないままになってしまっているのです。だからこそ、<ヘーゲルの復権>が、なんとしても必要なのです。なぜなら、ヘーゲルの弁証法はこれらの対立の統体止揚という解決の道を提示してくれるものからです。具体的に云いますと、民主主義と国家主義との対立の統体止揚の道、ナショナリズムとグローバリズムとの対立の統体止揚の道、学問と宗教の対立の統体止揚の道、国家と国民との対立の統体止揚の道、自由と必然性との統体止揚の道等々を切り拓いてくれるものが、ヘーゲルの学問的な弁証法だからです。

Pass

[2859]
質問者 - 2018年06月10日 (日) 15時25分

人間自身が神になるべき、という考えについて愚按亭主は賛同されるんですか?

私は、この考えも「近代」という科学が発達していく時代の中で生まれてきた「行き過ぎ」?な考えのような気がします。

ちなみに、現代の小学生の教育でも「畏敬」ということは指導されるみたいで、教育関係者が「自分以外のものを恐れ敬う」という心の育成を必要なことだと認識しているんではないでしょうかね?

自分が神であり、この世は自分が作り出したものであり、近代科学的な自然を支配し服従しようとする心からは「恐れ入ります」なんて日本語も出てきはしないように思われますが…。


Pass

[2860] 人間が神になるべきの意味とは
愚按亭主 - 2018年06月10日 (日) 19時00分

 神と独裁者を混同しているようですが、それは神にたいして失礼ではありませんか?あまりにも、神のイメージが貧困すぎます。もう一度私の文章を読み直してみてください。

「哲学と宗教とは、同じ観念論の立場に立って、同じく絶対性を追究するものですが、その絶対性を、宗教は、その中身をすでにあるものとして問わない形で、絶対性を外部に求め、一方、哲学は、世界そのもののうちに絶対性が存在するとして、その中身を問う形で絶対性を内部に求めて追究していきました。

 その結果はどうなったかと云いますと、初めの方こそ哲学と宗教は互いに影響し合い、協力し合って発展していきましたが、ある程度形が整いますと、宗教は、発展することを止め(というよりそれ以上の発展は不可能となり)、もっぱら現世の人間の支配の方に力を注ぎ、学問は真摯にその絶対性を追究していき、ついに絶対的真理にまで至ることができました。それがヘーゲル哲学だったのです。

 そして、ヘーゲルは、学問は、宗教の必然性とその長所・短所とをすべて分かった上で、自らの内部にそれを構造化するものであると説いています。そして、宗教は、絶対性への信仰を外部に向けるのではなく、己自身の内部にある絶対性に対する絶対的信仰という正しい姿に改めることによって、その信仰の下で行う修行によって自らを高め、自らを神としての主体性を確立することによって、真の人間として自立するという、人類の歩むべき道を説いたのです。これによって、宗教が人間の主体性の確立・自立の道を阻んでいるという深刻な偽らざる現実を、根本的に解決できる道を示したのです。」

 人類は何のために動物的本能を捨てたのか?それは神になるためです。だから、人類は、神を信仰するようになったのです。何のために神を信仰するのか?それは、云われているような、自分の心を安堵させるためではありません。本当は、自分自身が神になるためです。人間は、何のために学問をするのか?神になるためです。ところが、唯物論者のマルクスは、その神への道を塞いで、人間を堕落させる道しか残しませんでした。それが現在の世界の現実です。ヘーゲルを復権させるということは、人間の神への道を再び開くことを意味します。

 「人間が神になる」ということは、それまで絶対精神が歩んできた道、世界の本質の歩みとしての本流の歴史を受け継ぐということであり、それを次世代の本流に受け渡すということでもありますので、非常に重い責任を負うことを意味します。今の世界創造をしている人たちは、そういう自覚はほとんどないと思いますが、人類は、そういう自覚を持つべきだということです。

 そういうものと、恐れ入る」心とは両立しうるものです。だから、その恐れ入る心を持つ日本国民が、強大な欧米の人種差別主義的植民地奴支配国家に対して、恐れ入らずに敢然と立ち向かう独立自尊の戦いを挑み、敗れてもなお、アジア各国の独立戦争に多くの日本国民が自ら主体的に加わって、その独立獲得に貢献したのです。

 戦後においても、多くの日本国民が、アジア諸国の発展に献身的に貢献して、神のように崇められ、銅像や碑文の残されている人が大勢います。これが、日本国民の本流としての生き様です。

 日本の再生は、かつての日本が自然成長的にやってきたことを、ヘーゲルの学問を通して、その意義を自覚して、学問的・目的意識的に受け継ぐことによって果たされなければなりません。そして、それを日本国民が神になる道として、普及し、世界を導いていける日本国を創っていかなければなりません。それこそが、本来あるべき日本再生への道なのです。、

Pass

[2861]
質問者 - 2018年06月12日 (火) 14時07分

>神と独裁者を混同しているようですが、

おっしゃってる意味が理解できかねますね。私は「独裁者」のことなど全く頭に浮かべませんでした。

「また愚按亭主が訳の分からない難癖つけてきたな」とスルーしても構わないのですが、ここを単に「藁人形論法」だとか「論点のすり替え」といったレッテルを貼って悪罵するのではなく、どうして愚按亭主と私とで見解が相違して行ってしまうのかを少し丁寧に追ってみるのも一興かと考えました。

もっとも、愚按亭主が真摯に議論を進めていき妥当な結論を導こうとは考えておらず、はなから対話の場を支配しようと確信犯的に歪曲しているならば私が如何にあがこうとて愚按亭主の抽象的で裏づけのない見解を矯正することは無理でしょうけれど。

まずは愚按亭主が私のコメントから「神を独裁者と混同している」と考えた理由というか思考の筋道を教えていただけますか?

その「筋道を示す」ということが正に「論理的」だと私は考えているわけですが、愚按亭主の発言は論理、論理といいつつも全くもって論理的では無いと私には映っているわけなんです。まあ、論理的という言葉の示す意味内容が違っているわけですから仕方ないのかも知れませんけど。

私自身はその時々に閃いた論点・視点からコメントしていますので、完成された全系統性から語っているわけではありませんし、今回の「畏敬」に関するコメントも「神の全能性」という辺りから対立的に閃いたことですから、自分自身が大きくも小さくも弁証法的な対立軸を支点に思考を回転させているのを後から自覚できますし、それが近代的な帝国支配の思考からシュバイツァーなんかが考えてノーベル平和賞なんかに繋がった「畏敬」だとか「共生」という現代的な考え、つまりはアル意味での「神の否定」(また、別の表現の仕方では神性の現象とも述べ得るのかも知れませんけどね)として展開していることに興味を覚える次第ですけども。

ですので、愚按亭主の述べた「人間が神になるべき」というのがヘーゲルが何処に書いてるのか勉強不足で知らないわけなんですが、そのこと自体も私は全否定してないわけです。

例えば、君主制を合理化するために「王権神授説」なんてあったわけですが、愚按亭主の引用したヘーゲルの「人間が神になるべき」という論法でいくならば「統治者の権限は神が授けた」というのが「統治者の権限は(神になった)人間が授ける」となるわけで、そのことによってその統治者の対象が「世襲している君主」から「選挙によって選ばれた間接民主主義における代議士」と入れ替わり、現在の議員内閣制や大統領制に繋がっていくとも解釈し得ると思うわけです。

あるいは、マルクスが「宗教はアヘンである」と説いた「あきらめる必要はない」という全人類=労働者階層への励ましが、ヘーゲルの思想の応用だったのだと解釈することも可能なのかも知れません。

ですから、ヘーゲルは確かに君主制を支持し民主主義を否定したのでしょうけれど、その思想や理論は「現代」という方向に確実に向かっていたと考えることも出来るのだと思うんですけどもね。

ですが、何故か愚按亭主が「人間は神になるべき」というフレーズから連想するのは「太平洋戦争」を「独立戦争」として正当化する思考なんですよね。

これでは愚按亭主が考える「人間が神になるべき」との「神」とは「現人神としての天皇」だとか「他国を蹴散らす神風」なのではなかろうか?と、長い歴史を経て育成された現代の「共生」思想が古の昔から現実化されていたかに「和をもって尊しとなす」の文言だけで錯覚できる知ったか爺さんに対して私が苦言を呈したとしても、大方の読者の方々からは「やむを得ざる仕儀」だと了解していただけるものと考える次第です。

Pass

[2862]
愚按亭主 - 2018年06月12日 (火) 19時33分

 私が、どうして貴兄の神のイメージが独裁者的だと思ったかと云いますと、次の文章からです。

>自分が神であり、この世は自分が作り出したものであり、近代科学的な自然を支配し服従しよう(させようか?ー愚按)とする心

 自分では意識してはいないようですが、この中身は、まさに独裁者そのものではありませんか?ヘーゲルや私の神のイメージは全く違います。ヘーゲルは、学問の統括者としての絶対的真理について、即自的な相対的真理が自らの論理を自ら浮かび上がらせて来るまで、じっと忍耐強く、辛抱強く待って、その論理が明確に浮上してきて初めて、相対的真理と絶対的倫理との統体止揚に着手すると述べています。つまり、即自的な相対的真理の自主性・自由を尊重すると言っているのです。

 ですから、ヘーゲルの立憲君主制は、君主制と民主主義との融合体なのです。それが分からない、マルクス主義者も、普通の民主主義者も、みなヘーゲルの弁証法が理解できない、あれかこれかの時代遅れの死んだ論理学である、形式論理学に囚われた頭の持ち主だということです。人類は、一日も早くそのレベルを卒業しなければ、現在の混乱は、続くばかりだということです。

>愚按亭主の引用したヘーゲルの「人間が神になるべき」という論法でいくならば「統治者の権限は神が授けた」というのが「統治者の権限は(神になった)人間が授ける」となるわけで、そのことによってその統治者の対象が「世襲している君主」から「選挙によって選ばれた間接民主主義における代議士」と入れ替わり、現在の議員内閣制や大統領制に繋がっていくとも解釈し得ると思うわけです。

 この論理のどこが間違っているかといえば、ヘーゲルの弁証法が全く分かっていないということです。硬直した形式論理学の三段論法で、君主制から民主主義の流れを説明できたと思っているようですが、これは、ヘーゲルが批判した社会契約説に基づく国民国家論と何ら変わりがないもので、国家論として欠陥をもつものです。それは、社会契約説の場合は、自然権という何の根拠もない概念を外部から唐突に導入しているという欠陥ですが、この説の場合も、人間=神という概念をいきなり何の脈絡もなしに外部から導入している、という同じ欠陥があります。

 ヘーゲルの弁証法においては、絶対精神の自己運動の過程で、人類が生まれ、その人類の認識の即自と対自の二重構造的運動性の中で、己自身の本質である絶対的真理を把握するに至った精神が、絶対精神に回帰する、すなわち神となるということであって、国民一人一人は、その域に到達できるように努力すべき存在であって、国民即神ではないということです。このことについて、ヘーゲルは次のように述べています。以前そのことについて解説しておりますので、併せて復習としてお読みください。


「しかし国家は個人に対して全く別の関係をもつ。国家は客観的精神であるがゆえに、個人自身は、ただ国家の一員であるときにのみ、客観性・真理・人倫をもつ。諸個人の統合そのものが国家の真なる内容および目的であって、個人の規定は、普遍的生活を営むことである。個人のその他の特殊的満足、活動、ふるまい方は、この実体的なもの、普遍妥当するものをその出発点とするとともに成果とする。――理性的であることは、これを抽象的に見れば、一般に普遍性と個別性との浸透し合う統一のうちにあり、これを具体的に見れば、内容の点では、客観的自由すなわち普遍的実体的意志と、個人的知識としてのまた特殊的目的を求める個人意志としての主観的自由との統一のうちにあり、――したがって、形式の点では、思惟された、すなわち、普遍的な法的に永遠にして必然的な存在である。」(「法の哲学」より)

 ここに何が書いてあるかと云いますと、国家は客観的精神、すなわち対自的理性、つまりその民族その国家が歴史的に創り下てきた普遍的理性である。したがって、その対自的な理性・普遍性を、個人が自分のものにしなければ、即自だけでは国民とはいえないということです。したがって、国民主権というときのその国民も、本来は、即自且対自の統一体として自分を創らなければ国家の一員にはなれないのですから、税金を払っているからというだけで主権者だ、などということはできないのです。その即自且対自の統一体として国民を、世界の中で唯一見事に実現したのが、日本であり日本国民だったのです。ですから、即自的な人権ばかりゴリ押すような人物の云う事を、国家は聞く必要はないということです。したがって、国家は、個人が立派に国民となれるように、その民族その国家が歴史的に創り上げてきた普遍的理性を教育する責任があるので、その大事な教育を、対自的理性をもたない教育委員会などに任せてはならないのです。

 念のために断っておきますが、その対自的な普遍性・一般性を個人に押し付けることは、決して個人の自由を圧殺することにも、個性を摘むことにもならないどころか、かえって真の自由・豊かな個性を育むことになるのです。なぜなら、その民族その国家が歴史的に積み上げてきた真理の高みを、個人に植え付けることになるのですから、その方が個人は立派な国民となって、国家のため己のために縦横に自由と個性をはぐくみ発揮できるようになるのです。

 ヘーゲルは、国家の理想形を立憲君主制としています。そして、その構造は、即自的な国民と対自的な法や国家機関との両者の上に国家理念・憲法およびその実体化としての君主をのせて、国家全体が調和的に一つになる構造になっています。そして、ヘーゲルは、君主は国家理念の実体化したものとして、その両者は一体であらねばならないと説いています。そうでなければ、国家はその高みを維持できず、堕落していくことになると釘を刺してもいます。これがすなわち、ヘーゲルの説く国家第一主義なのです。これはまさに、戦前の日本の国家そのものです。日本は「世界精神」たるべき内実を兼ね備えていたから、世界のいたるところで尊敬されたのです。ですから、私は、日本の再生は、ヘーゲルの学問的な国家第一主義をもってなすべき、であると主張しているのです。

>マルクスが「宗教はアヘンである」と説いた「あきらめる必要はない」という全人類=労働者階層への励ましが、ヘーゲルの思想の応用だったのだと解釈することも可能なのかも知れません。

 マルクスの「宗教はアヘンである」は、ヘーゲルの応用ではなく自分勝手な誤用に過ぎません。ヘーゲルは、本来人類が歩むべき、主体性の確立のために自ら絶対性を追究する道(自ら神になる道)を、外的な神を信仰することによって良い気持ちになって、その道を歩む努力をしなくなることを指して「宗教はアヘン」だとしたのです。
 これに対して、マルクスの「宗教はアヘン」は、権力を悪と決めつけて、その権力と闘って自由を勝ち取ることがすなわち解放だとして、宗教はその権力と闘う心を奪ってしまうからアヘンだとしたのです。

 人類の歴史において、そのマルクス主義が、無事権力を勝ち取った例が、これまでいくつかありましたが、はたして人類は解放されたでしょうか?答えは否です。むしろ、そのすべては、人類史上例をみないほどの残酷な地獄に落とされ、不幸になるばかりだったという現実があります。それは何故かと云いますと、マルクスが「宗教はアヘンだ」というヘーゲルの言葉を正しく理解せず、自分の都合のように矮小化して、間違って使うような認識だったからです。つまり、人類の解放について、大いなる誤謬を侵していたからです。もっと言えば、ヘーゲルの「人間が神になる」の意味が分からなかったからです。じつは、「人間が神になる」ことこそが、正真正銘の人類の解放なのだ、ということが全く分かっていなかったということです。


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[2863]
質問者 - 2018年06月13日 (水) 12時54分

[2862]のコメントにもお伺いしたい点がいくつもありますが…。

それは後々あらためてお伺いすることとして、閑話休題で愚按亭主の治療家としての沿革をお訊ねしたいと思います。


他の所で発表されている情報では愚按亭主は高校を卒業して上京してから南郷さんの奨めで柔道整復の学校に行ったとあります。ということは十代後半もしくは二十代前半から治療道に入ったということになりますね。

その五十年前後の治療道において、現在のように「天寿堂」の看板を掲げて広尾で開業するまでには紆余曲折あったのではありませんか?

天寿堂を名乗る前はどういった名前の治療院をやってらしたのですか?

また、柔道整復の仕事から療術的な仕事へ移行していくキッカケのようなものがあったのでしょうか?

Pass

[2864] 目的意識的でなかった私の人生。せめて今からは・・・
愚按亭主 - 2018年06月14日 (木) 18時37分

 私は、高校二年生の冬休みに一念発起してマルクスの「資本論第一巻」を読み通して、漠然とマルクスを超えるぞ!と思いましたが、その後の私の人生は、大谷翔平君のように、それを現実化するための目標達成カードをつくって、大目的に向かって目的意識的に人生を歩んできたわけではなく、むしろ、流され流されて漂流に次ぐ漂流の結果として、気がついたら、マルクスをある面で超える境地にまでたどり着いていた、というのが正直なところです。

 たとえば、私がこの治療の世界に入るきっかけとなったのは、南郷先生から、お前は空手で食べていけないから、壊す方から治す方へまわれ、という落ちこぼれ宣告でした。そして、その南郷先生から、お前の指圧は食べ物の指圧だ、薬の指圧を覚えなさい、とのご指導がありましたが、不詳の弟子であった私は、それを目的意識的に追究しないまま、南郷一門の外に飛び出してしまったわけです。

 一人になった私が、浅草に開業したのが尚玄治整復院です。その時の患者さんから聞いた粟島先生の後援会を聴きにいって粟島先生と角田先生にお会いして、粟島先生の弟子になったわけです。その粟島先生の講義の中にあった「長寿から天寿へ」という命題に魅かれて天寿堂整復院へと改名したのです。

 私の、野中豪策先生の健康腺療法との出会いは、これまた主体的・目的意識的な薬の指圧を求めての取り組みの結果ではありませんでした。それどころか、患者さんの熱心な働きかけ抜きには、とうてい実現しなかった、というとても後ろ向きな姿勢だったのです。どういうことかと云いますと、私の患者さんから、六本木にとても素晴らしい鍼の先生がいるから、是非会ってみませんか?という誘いがありましたが、当時、自分の指圧に天狗になっていた私は、鍼の先生なんかどうせ大したことはないだろうと、真面目に取り合いませんでした。ところが、その患者さんが、あまりにしつこく、執念深く度々誘うものですから、とうとう私も根負けして、そんなに言うなら会うだけあってみよう、という気になって、連れられて吉田先生の治療院に行ったのが、私と健康腺療法との出会いだったのです。

 吉田先生との出会いは、衝撃的でした。どうせ大したことはないだろうと、高を括っていたのが、嘘のように、治療室に入った瞬間に私の目に飛び込んできたのは、後光がさしていた吉田先生の姿でした。その瞬間、私はこの先生は本物だと直感ました。

 そして無事入門が許され、その時、鍼の資格を持っていなかった私は、すぐに取るように言われて、急いで準備して入学試験を受けて、無事に鍼灸学校に入ることができました。

 その吉田先生から、健康腺療法の手ほどきを受けた後、私が吉田先生の指圧をして(これが私を熱心に吉田先生に引き合わせようとした患者さんの目的でした)いる時に、吉田先生から次のように云われました。

「お前の指圧は、一流一派を起こせる指圧だ。しかし、病気は治せない、だから健康腺療法を一生懸命勉強しなさい」

 これを聞いた瞬間、私の脳裏に南郷先生のあの言葉が浮かびました。南郷先生の云う薬の指圧”とは健康腺療法のことだったのだ!、とこの偶然の出会いに本当に感動しました。

 この感動の後、私の実践は変わったのかと云いますと、じつは、相変わらずのマイペースのままでした。つまり、不詳の弟子のままだったということです。ですから、吉田先生が病にお倒れになった時に、先輩たちが代診をするのを手伝うことしかできないという、情けない体たらくでした。そんな私を、病気療養中の吉田先生は、自宅や病院に呼び寄せて、ご指導くださいました。中でも印象に残っているのは、お亡くなりになる直前に、今日は具合が悪いので、重症患者のやり方をやろうとおっしゃって、腕の一点を探り出してここを圧しなさい、と指示されて、そこをしばらく圧していると、あぁ楽になった!仰って下さいました。先生はその日の午後急変し、帰らぬ人となられてしまいました。私は、この吉田先生のお亡くなりになる間際においてもご指導くださった、その魂になんとしても報いるために、健康腺療法を世に残そうと、生まれて初めて、自発的・主体的に決意して、講習会を始めたのです。

 そして、健康腺療法を人類の文化遺産として世に残すためには、その担い手のアタマが、最高の文化のレベルに達していなければ、文化遺産として残すことはできないと思って、弁証法ゼミを始めたのです。その弁証法ゼミは、当初は三浦つとむさんの「弁証法はどういう科学か」をテキストとしておりましたが、その中の絶対的真理を実質否定して、相対的真理しかないような真理論に、大いなる疑問を感じました。この疑問を端緒として、その真理論を、独力で、絶対的真理こそが根本であるという真理論に大転回させて、ヘーゲル哲学への道を歩み始めることになりました。その結果、ヘーゲルを知れば知るほどに、マルクスの誤り、それも人類に途方もない巨大な損害を、現在もなお与え続けているという真実の姿に開眼して、これは何としても、ヘーゲルを復権して、未だ絶大なる権威として君臨しているマルクスの誤りを根底からひっくり返さないと、人類は大変なことになるという重大事が見えてくるようになった、というのが現在の境地です。

 こうやって、これまでの自分の歩みを振り返ってみますと、大谷翔平君に比べて、私は、いかに主体的・目的意識的に自分の人生を切り拓いてこなかったか、ということをつくづく思い知らされます。自分の意志ではなく、周りに流され流されながら、奇跡的に、不思議に現在の境地にたどり着いた、という感じです。よくぞここまでたどり着けたものよ、しみじみ思います。それまでの自分を振り返ってみますと、やはり、即自が強く対自が弱かったと思います。その弱かった対自を、本当の意味で、私である自分に対峙(自)する他人が、その不足を補って、本来私が歩むべき道を、何とか歩ませてくれた、という感じです。本当に感謝しなければならないと思います。

 しかし、ヘーゲルに出会えた後は、まともな対自の創り方が分かってきましたので、現在はこの世界のダイナミックな運動性あふれる地図を対自的認識としてアタマの中に構築中ですので、これからは、本当の意味で人間らしく、残り少ない自分の人生を、主体的・目的意識的に本流たる精神として生きていきたいと思っております。そして、でき得るならば、絶対理念たる神の境地にまで辿り着くことができましたならば、この上もない本望であります。

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[2865]
質問者 - 2018年06月15日 (金) 11時10分

「目的意識的でなかった私の人生」なんて随分とご謙遜されますね。人から聞いた話では高校卒業して治療の専門学校に進学したような若者は、いまだ社会をよく知らないがゆえに選択した治療家への道であったがゆえに在学中もしくは卒業後に別の分野に進路を変えるものも珍しくはないということですから、50年も治療の道ひとすじに歩んでこられた姿は立派としか言いようがないでしょう。

大谷翔平くんが高校生のときに作った目標設定は、私も愚按亭主に言われて調べてみましたけど、「球速を160kmにする」とか私では到底思いもつかない目標設定ですね。

「よし、100mを9秒台で走れるようにしよう」なんて試みれば出来る類いのものではありませんからね。

大谷くんの場合は甲子園、プロ野球、大リーグとその道の才能があれば所属し存在していく業界が社会的に確立していたことも大きいと思いますよ。

ですが、愚按亭主が夢みた?「マルクスを超える」なんてのは全然異色の夢幻のように思われますね。そのとき、愚按亭主がマルクスの何が凄いと思ったのか?どうして超えたいと思ったのか?など若者特有の夢かも知れませんけど不可解ですものね。

理論家として学問を極めたいと感じたのならば、おそらくは大学、大学院へと進学したのでしょうけれど、そうでもなかったようですし。

まあ、「食事の指圧と薬の指圧」というアナロジ〜は分かりにくいから止めたほうが良いのでは?と私は思います。

「食事と薬」って要するに「正常を維持するのと異常を治すことの違い」を想定してるのかも知れませんけれど、一つは巷の常識では「手技療法」と「薬物投与」とは違うこととして通っているからなんです。

薬物投与というのは血液を通して細胞に吸収されるという面では食事と共通性があるのでしょうけれど、手技療法って体外から骨、筋肉、神経といった運動器に働きかけるものだと思いますからね。

それで、薬が食事と大きく違うと思うのは感染症なんかで理解しやすいですけど「栄養」でなく「毒」だというあたりじゃないですか?例えば「肺炎」なんかの原因は「肺炎菌」という微生物らしいですが、肺炎を治すには原因となっている病原菌・微生物を殺すことで、そのために服用する薬というのは人間は死なないけれど病原菌は死ぬぐらいの量の毒みたいなんですね。

それで、「食事」と「薬」と「指圧」って明確に異なる視覚的イメージ、表象をもってる言葉を「薬の指圧」なんてヤヤこしい言葉を出してくるのは混乱の元だと思います。

それに、指圧って薬のような治癒効果があるんでしょうか?私、著名な芹澤勝助さんの弟子筋の人から「指圧では治療は出来ない」と聞いたことがありますけども。

私も浪越徳治郎さんや増永静人さんなんかの『図解、指圧療法』なんか持ってますけど、それらの本に指圧の適応症だと書かれている疾患が現在でも適応症だと認識されているかは甚だ怪しいと思います。

南郷さんは医者の弟子が沢山いるのでしょうから、「お前の指圧を薬物投与と同じ効果のものにせよ!」なんてことは言う必要もなく、「それは医者に任せれば良い」と言えば済んだと思いますが…。


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[2866]
愚按亭主 - 2018年06月16日 (土) 17時01分

>「目的意識的でなかった私の人生」なんて随分とご謙遜されますね。

 これは謙遜などでなく、事実ですから仕方ありません。

>愚按亭主が夢みた?「マルクスを超える」なんてのは全然異色の夢幻のように思われますね。そのとき、愚按亭主がマルクスの何が凄いと思ったのか?どうして超えたいと思ったのか?など若者特有の夢かも知れませんけど不可解ですものね。
 理論家として学問を極めたいと感じたのならば、おそらくは大学、大学院へと進学したのでしょうけれど、そうでもなかったようですし。

 忘れていましたけど、私は私なりにやろうとしていたのですね。当時は、東大の安田講堂の攻防戦をテレビで見ていたものですから、今の大学へ行っても学問はできないから、本の一杯ある図書館の司書になって自分で勉強しようと、東横線の学芸大学駅の近くの図書館短期大学(今は筑波に移転しています)に入りました。ところが、そこで世間ではおさまったはずの大学紛争が起きてしまい、男が少なかったものですから、目立って処分をされ、処分撤回闘争も起きて、とうとう退学になってしまいました。そこから、新左翼のセクトに加入して三里塚闘争で捕まって、いろいろ取り調べを受ける羽目になりました。

 その時の体験から、自分の弱さを自覚して強くなろうと思いました。それで、空手を学ぼうとして「空手に弁証法を適用」という南郷先生の本と出合ったわけです。幸いなことに私は、そこで私の弁証法の土台となった、後に否定することになる南郷先生の弁証法を学ぶことになったわけです。

>「食事の指圧と薬の指圧」というアナロジ〜は分かりにくいから止めたほうが良いのでは?と私は思います。

 これは南郷先生が使ったものですが、私は逆にとても分かり易くて良いと思います。食事は体を創るもので、薬は病気を治すものですから、端的にその本質をイメージさせる言葉として、とても優れていると思います。あえて違う点をさがそうという邪な意図をもってするのではなく、共通する点をさがそうとすれば、直ぐに分かることです。

 天珠療法の本質は、病気を治すための指圧だということです。

>指圧って薬のような治癒効果があるんでしょうか?

 野中先生の直弟子で、92歳でお亡くなりになる直前まで、治療させていただいた松山栄子先生は、まだ習いたての頃、疎開していた大宮で、お母上が黄疸を発症する病気で病院に罹っていた時に、医者から同じ症状の患者を何人も診たが、皆亡くなってしまった。これは手遅れで治せない、と医者から見放された母親を、松山先生は、習い覚えた健康腺療法で一生懸命治療していたのだそうです。

 ところが、なかなかに良くなっていかないので、野中先生に往診をお願いしたところ、こころよく引き受けていただいて、来ていただいたそうです。そして、野中先生は、肝臓の活点を指して、ここをやっているか?とお聞きになって、松山先生が、いいえ、やっておりません、と答えると、野中先生は「健康腺をやっていたので悪くはなってはいないが、ここをやっていなかったので、良くなっていかなかったのだろう。ここをやれば、必ず良くなるから」と仰って、治療もしないで帰ってしまわれたそうです。

 お母上は、何もしてくれなかったので松山先生にさんざん文句を言われたそうですが、松山先生は、野中先生に云われた通りに治療を続けていると、本当に治ってしまわれたそうです。そして、散歩しているお母上を見た、あの見放した医者はビックリ仰天して、本当に足があるか見直したそうです。

 私も化学物質アレルギーの患者さんを、この肝の活点で、それまでは農薬に敏感に反応していたのに、農薬を被っても反応しなくなったり、背中の肝のデルマトーム上の皮膚の異常感覚が消えた、という実績を持っています。

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[2867]
質問者 - 2018年06月16日 (土) 20時54分

邪な意図はどちらなのかな?とだけ述べて去りたいと思います。

愚按亭主の意図は明々白々だと思います。

愚按亭主は吉田先生と会う前に既に鍼灸の資格を持っていた。その愚按亭主の鍼の下手くそさにお客さんが名人を紹介したく思った。

吉田先生の治療を愚按亭主にさせようというのが吉田先生を愚按亭主に紹介したお客さんの意図だというのは愚按亭主の独り善がりの思い込みでしょうね。

吉田先生にはお弟子さんが何人もいて、愚按亭主なんかいなくても一番弟子、二番弟子、三番弟子と吉田先生をメンテナンスして治療する環境は整っていました。

愚按亭主は、一番弟子の◯先生や、二番弟子の∇先生よりも自分の施術を吉田先生が必要としていたと言えますかね?

そればかりでなく、吉田先生の門下の先生方が弟子として入門を認めてから段階的に教授していた手技の知見を、自分を治療するなどと称して兄弟子に相談もなく自分勝手に講習会という形で垂れ流しにして、吉田先生が「お前はお前の健康腺療法をやれ」と言ったとか、自分(愚按)中心のやり方を進めてきて。

それで、いいように美味しいところだけシャブリ尽くされた挙げ句に「理論はどうでも良い、というのは違うよな」と京都のグループに使い捨てにされて。

それでも、師や兄弟子との共有の財産を自分勝手に湯水のように垂れ流しにしてしまったという自覚は皆無、俺が習ったものなのたから俺個人の所有物だ、とばかりに吉田門下の知見や技術を使い捨て。

それで、何が「国家第一主義だ?」と。

国家は医療を資格制にしてるのに、無資格の民間療法である野中豪策のアソカ療法を採用するところが「国家第一主義」でなく「自分(愚按)第一主義」なのは明らか。

民間療法は癌を治したとか腎臓病を治したとか、嘘八百いっても生き延びようとするゴキブリのような存在。

いくらでも嘘を言うよ。

健康のための情報は国家的に発せられているから、例えば指圧だとかなら「慰安の指圧と治療の指圧」といった区別を施術家として学びお客さんに伝えることが「食事の指圧と薬の指圧」というテメエ個人の個性的な分かりにくい「バカ丸出しの」言語情報を伝えるより大事でしょう。

健康という面での「食事」といったなら私が既述した「正常を維持する」という面ばかりでなく「免疫力を高めて異常を修復する」という面にも関わってくる。

そこから言えるのは、正常を維持するとは別に「異常を治す」という面に「食事と薬」という両者が関わるという関係。

「病を治すための食事」に対応するのが「治療のための指圧」だとしたならば「病を治すための薬」に対応するのは指圧以外の何か?という、南郷さんが何も理解できてないことが明らかになっただけ。

それよりも何よりも、国を挙げて取り組まれている医療情報の「慰安の指圧と治療の指圧」という概念を使わずに、「食事の指圧と薬の指圧」なんてテメエ勝手な概念を持ち出してくるのは、「国家第一主義」では全くなく「愚按(テメエ)第一主義」だろう、と稲村正治という人間の信用性の無さを明白にしたと思います。

おそらく、愚按亭主は私からのコメントが面白いということばかりに意識がいって、自分自身が相手からどう見られているかを全く考慮しないのでしょうね。

吉田先生だろうが、何先生だろうが、所詮は鍼灸で出来ることは鍼灸でしかなく、誰も神格化などしていないということを、愚按亭主はご存知ない。

それよりも、



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[2868] 優れた文化・学問・技術は全人類の宝
愚按亭主 - 2018年06月16日 (土) 22時58分

 やはり、邪念がありましたね。そうだろうと思っていました。ただ、事実と違う云いがかりだけは訂正する必要がありますので、述べておきます。

>愚按亭主は吉田先生と会う前に既に鍼灸の資格を持っていた。その愚按亭主の鍼の下手くそさにお客さんが名人を紹介したく思った。

 私は本当にその時は鍼の資格を持っておりませんでした。だから、直ぐに鍼の資格を取りなさいと云われて、慌てて準備したのです。その時に吉田先生から勧められたのは、東洋鍼灸の方でしたが、先に受験した花田学園の方が合格して、しかも入学手続きは、東洋鍼灸の受験日よりも前に終わらせなければならなかったので、もし東洋鍼灸の方が落ちたら困ると思って、やむを得ず花田学園の方に行ったのです。花田の方が近くて通いやすかったという面もありましたが・・・・

>吉田先生の治療を愚按亭主にさせようというのが吉田先生を愚按亭主に紹介したお客さんの意図だというのは愚按亭主の独り善がりの思い込みでしょうね。吉田先生にはお弟子さんが何人もいて、愚按亭主なんかいなくても一番弟子、二番弟子、三番弟子と吉田先生をメンテナンスして治療する環境は整っていました。愚按亭主は、一番弟子の◯先生や、二番弟子の∇先生よりも自分の施術を吉田先生が必要としていたと言えますかね?

 これは直接にその方から聞いた話ですので、間違いありません。その方の目的は、吉田先生に一日でも長く長生きてもらうために、指圧の上手な私に治療してもらいたい、という目的と、私に吉田先生の技術を受け継いでもらいたいという目的があったそうです。

 そして、実際に吉田先生を治療していたのは、たぶん私と山藤先輩だけだったのではないかと思います。というのは、私と山藤先輩は、別々の日に先生のところに通っていたからです。私が行く日に他の先輩が一緒に見学・手伝いをすることもありましたが、吉田先生から指導を受けた後、吉田先生を治療するのは、もっぱら私の役割でした。山藤先輩もそのことを聞いて、私の治療を受けに私の治療室に来たことがあります。私の腕がどんなものか知りたかったのでしょう。

>吉田先生の門下の先生方が弟子として入門を認めてから段階的に教授していた手技の知見を、自分を治療するなどと称して兄弟子に相談もなく自分勝手に講習会という形で垂れ流しにして、吉田先生が「お前はお前の健康腺療法をやれ」と言ったとか、自分(愚按)中心のやり方を進めてきて。

 これは全く意味不明で、何のことやら見当がつきませんが、講習会を始めたのは、吉田先生がお亡くなりになったあとのことです。先生の死後、山藤先輩と何としても健康腺療法を世に残そうと相談して始める予定でしたが、山藤先輩が病気で亡くなってしまいました。生前、山藤先輩から「お前しかいないからな。後を頼むぞ!」と云われていたので、何としても講習会はやり抜かねばと思っていました。

 吉田先生がご存命の時に、受け継ぎに関して「受け継ぎというのは、どうしても受け継いだ者の個性や受け継ぐ工夫があって初めて受け継がれるものだ、それで良いのだよ。お前はお前の健康腺療法をやれば、それで良い」と仰っていた時のことだと思いますが、それは本当に吉田先生の仰る通りだと思います。私は、それを自らを三代目と自認して、三代目の使命として、健康腺療法を、学問的に再措定して、人類の文化遺産にたる内容とそれにふさわしい天珠療法へと改名して、普及するのが自分の使命であると思っています。

>「理論はどうでも良い、というのは違うよな」と京都のグループに使い捨てにされて。

 これは、正確には現代医学を批判する交感神経論を、天珠療法の中核に据えての理論と実技の私の方針が、京都の人たちにとっては、ついてこれなかったのであろうと、総括しております。しかしそれは、双方にとってやむを得なかったことだと思っております。何よりそれは、私自身も引くことのできない重要な問題だったからです。

>師や兄弟子との共有の財産を自分勝手に湯水のように垂れ流しにしてしまったという自覚は皆無、俺が習ったものなのたから俺個人の所有物だ、とばかりに吉田門下の知見や技術を使い捨て。それで、何が「国家第一主義だ?」と。

 ヘーゲルの国家第一主義は、世界の本質である絶対精神の現れとしての本流であるべき国家が、学問を通してそのことを自覚して世界の発展を牽引していくものです。同じように、私が受け継いだ人類を救うための健康腺療法を、学問的な技術として措定し直して論理化したのは、世界の本流たるべき日本国国民たる私が、その使命を自覚した上で為したることです。

 <産後の歪み一切奇妙>も<辛苦(心苦)の歪み一切奇妙>なども、はじめて正式に名づけたのは、日本国国民たるこの私です。勿論<皮膚病一切奇妙>や<眼病一切奇妙>は受け継いだものですが、<土台の歪み一切奇妙>は私自身の純然たるオリジナルな工夫で誕生したものであり、名づけたものです。それを一般に普及することは、人類のためであり、人類の宝をより多くの人たちに普及することが、三代目としての私の使命だと思っているからです。

>愚按亭主は私からのコメントが面白いということばかりに意識がいって、自分自身が相手からどう見られているかを全く考慮しないのでしょうね。

 私は常に、この支離滅裂なコメントに対して、自らの学問的な体系をより豊かにするように、論理的な一貫性を貫き通す形でコメントを返すとともに、頭の中にしっかりとした「精神の王国」を創り上げると、いつも同じ一貫した論理で展開でき、それが少しずつでも確実に発展していけるものであることを、相手に示して、論理的な一貫性のないごった煮のアタマを、一刻も早くまともな人間らしい「精神の王国」にアタマの中をを創り変えることの大事さに、気づいてもらおうという姿勢で、相手してきました。勿論、そのおかげで、私自身は、だいぶ理論的な発展を遂げることができました。

 残念なことに、私の論理的に筋の通った反論に対して、常に云いっぱなしで、その論理を発展させるような、まともな反論なり返答なりが全くないために、結果として、理論的な発展ができているのは、私の方ばかりとなってしまいました。そして、それは、最後まで変わることがありませんでした。こうして、自分のアタマを革命的に向上させるチャンスを、自分から放棄してしまったことを、大変残念に思います。

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[2869]
質問者 - 2018年06月17日 (日) 05時44分

確か愚按亭主は「もう一つの経絡論」で自分が学んだのは増永静人の経絡指圧に類似したものだったと述べていましたよね?

ということは、愚按亭主は柔整と鍼灸以外に按摩指圧マッサージの資格は持っていないのですか?

愚按亭主が学んだ指圧というのは、ズバリどういう流派の指圧なんですか?

確か経絡指圧の増永さんは元々が浪越の一期生ですから、徳治郎さんの系列の指圧を学んだ後に独自に東洋医学的・漢方的に理論づけていったんでしょう。逆に徳治郎さんのほうは西洋医学的に理論構成していって。

南郷さんの奨めで柔整に進んだ愚按亭主が使えるのは指圧ではなく柔整手技療法じゃないんですか?





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