カウンター 国家論から見る民主主義と天皇の関係 - 談論サロン天珠道
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談論サロン天寿道

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[2817] 国家論から見る民主主義と天皇の関係
愚按亭主 - 2018年04月23日 (月) 21時52分

 日本の自立という問題を真剣に討論する場で、民主主義と天皇の関係についての意見が分かれて平行線となっているのを拝見しました。一方は、形式的には相容れないという立場で、もう一方は、そもそも日本の歴史的な国体において両者は両立していたというものでした。しかし、時間がなかったため平行線のまま終わってしまいました。ただ、時間があったとしても、それ以上の進展は望めなかったのではないかと思いました。

 その理由として、国家とは何か、の学問的な国家論の共有がないことが挙げられます。この学問的な国家論の本質は、すでにヘーゲルによって概念化されているのですが、その学問的な価値が理解されていないのが現状ですので、これは致し方のないことではあると思います。しかし、そういう現状を肯定していたのでは、いつまでも日本の真の自立はおぼつかないと思いますので、それを理解できた者として、その立場から、この問題について検討してみたいと思います。

 西洋の民主主義は、王権に対してその王権を制限する形での憲法を媒介として、国民が権利を徐々に獲得していって、最終的に国民主権を樹立する形で生まれました。したがって、王権は、国民に現実的な権力の座を奪取されて滅亡したか、あるいは妥協的に譲る形で、棚上げされ、神棚に飾られて国家の統合の象徴の地位に就くという形で残ったわけです。つまり、対立関係は正しく解決されて解消されたわけではないということです。その意味で、、王権と国民主権とは、権力関係としてはあれかこれかの関係のままで、相いれないものだという主張は、西洋の民主主義に限って言えば、その通りだと言えます。

 だから、西洋においては、民主主義と全体主義とは、あれかこれかの対立した関係と受け止められています。これには、ナチズムやファシズムが民主主義を否定する形で生まれた、という歴史的事実がありますので、なおさらのこと強固に信じられているという事情があります。

 また、日本においても、前川元文科省事務次官が、道徳教育について、個人の利益よりも国家の利益の方が優先される恐れがある、と批判していたそうですが、このように国家と国民を対立させてとらえるのは、西洋民主主義だけでなく、前川元次官の信奉するマルクス主義においてもそうであり、そのマルクス主義のペキンテルンのプロバガンダ、すなわち軍国主義と日本国民とを分断し、軍国主義のみを否定するという形で国家と国民を対立させる構図が、いろいろな形で教育されてきました。青山繁晴氏によると、昔、共同通信では、国益という言葉は禁句だったそうです。

 ところが、日本の軍国主義の実際は、国民と一体であったのであり、国民がその自由意志で主体的に国家のために自分の人生を捧げていたのです。じつはこれが、学問的な国家論としては、全く正当であり、まともな在り方なのです。

 日本の自立のための討論の中で、聖徳太子の時代から日本は民主主義であったとの指摘があったように、日本はそもそもの国の成り立ちのはじめから「和を以て貴しとなす」話し合いで物事が決せられる民主主義の伝統が培われていったのです。そして、国民は「大御宝(オオミタカラ)」と呼ばれてとても大事にされ、形式的にも内容的にも民主主義が徹底されていたのです。人倫的理念の化身である天皇と大御宝とがまさに一体の国体を創り上げてきたのが、日本国なのです。

 だから、鎌倉時代の御成敗式目には、自由とは道理のことである、ということが書かれてあるそうです。じつは、これとまったく同じことが、人類最高の学者であるヘーゲルの「法の哲学」の中に書いてあるのです。曰く「自由とは必然性の洞察である」つまり、日本の人倫国家が説く自由と、ヘーゲルの学問的な人倫国家論の説く自由とは、全く同一だということです。この自由の学問的構造は、即自の自由と対自の学問との統一ということであり、即且対自の自由ということです。

 これに対して、西洋的民主主義の自由とは、国民の即自の欲求の自由だけでしかありません。つまり、対自(国家)がないのです。だから、国家と国民とは常に対立・抗争することになってしまうのです。ただ、西洋の民主主義は、人倫国家日本との戦いに勝利して、自分たちの人種差別的悪行の濡れ衣を日本に被せた手前上、自分たちは人倫国家然としなければならなくなったので、露骨な即自は表面上は控えるようになりました。とはいえ、中身は全く変わったわけではありません。つまり、本当の意味での、人倫国家を実現できた国は、西洋諸国の中にはまだ存在しないということです。
 
 一方、本物の人倫国家であった日本は、西洋から民主主義を輸入しましたが、もともと本物の民主主義の内実を持っておりましたから、何らの不都合もなく取り入れることができました。しかも、その日本が創り上げた民主主義こそが、本物の対自即自の民主主義だったわけです。だから、大日本帝国は強かったのであり、敗戦後も自発的にアジア諸国の独立戦争に身を投じていくものが多かったのです。

 ところが、敗戦後は、その本物の人倫国家解体キャンペーンが、自虐史観教育の徹底と憲法九条の押し付けという形で強力に押し進められた結果、日本の麗しき誇り高き対自がかき消され、即自だけの日本人が大量に作られることになって、日本の民主主義も、西洋レベル以下に矮小化されることになってしまいました。その70年間の積み重ねの結果が、現在の日本の、国家の大事をそっちのけで、即自の感情のみで森そば・かけそばに熱中して国会を占拠する低レベルの民主主義のありさまなのです。

 また、現在の日本で吹き荒れているme tooなどのセクハラ・パワハラ撲滅・ジェンダーフリーキャンペーンの本質は、人倫国家の最小単位である家族を、女性を奴隷状態にする家内奴隷制と見立てるマルクス主義の、家族を解体して、人倫国家を解体することによって、社会そのものをガタガタにしようとするマルクス主義の策謀の一環に他なりません。これによって社会が良くなることは、絶対にありません。それどころか、社会は、これによって活力を失い、滅亡への道をひた走るばかりとなってしまいます。

 では、これらの問題の根本的解決はどうすべきでしょうか?それは、女性が土俵の上に登れるようにすることでもありませんし、そういう言語を知ってそれを使わないようにすることでもありません。かつての日本がそうだったように、人倫的理念の誇り高き対自を、即自的な国民一人一人が自分のものとして、対自即自の立派な日本国民となることであり、それによって互に尊敬し合い、ともに立派な日本国家・社会を創る同志として、男性も女性も協力し合うようにすることこそが、本当の意味での解決になることだと思います。

 
 

 

 

Pass

[2818]
質問者 - 2018年04月24日 (火) 14時33分

愚按亭主のように滔々と言葉を操ることが出来たなら、さぞかし多くの聴衆の耳目を集めることが出来るでしょうにと羨ましく思っています。

残念ながら私は刺激的なセリフで大衆をアジりたいなどという欲求を持ち合わせていませんので学術的な真意はどこにあるのだろう?という辺りを探っていこうかと考えておりますが…。

愚按亭主が説いている「聖徳太子の時代から日本は民主主義だった」なんて主張は愚按亭主の個人的なトンでも話でもなく、いわゆる「識者」とされている人間にもそう主張してるのがいると知りましたから、ある意味トレンディな話なんだと認識を新たにしましたけど。キャスターだった櫻井よし子さんなんかも言ってるみたいですしね。

まあ、私は石井公成さんのように時代に合わせて聖徳太子のイメージが変えられてきたので、聖徳太子=日本の民主主義の祖たるイメージも敗戦後の今だからという考えに賛成ですけれど。

それで、愚按亭主が列記していた封建時代以前の日本の良いエピソードを読んで「そういえば…」と故・青雲さんのブログで引用されていた『逝きし世の面影』を買ったんですね。

それで、実際に渡辺京二さんの文章を読んで気づいたことが「文明」というキーワードが使われていることなんです。この『逝きし世の面影』が出されたのが1998年ですけれど、1991年にソヴィエト連邦が崩壊した後の1995年に石井規衛先生が『文明としてのソ連』を出してますね。

つまりは「国家」とは区別されたものとして「文明」を評価していこうという「文明論」の文脈というものがありましてね、『逝きし世の面影』で渡辺さんも江戸時代以前の日本が専制国家であったことを認めながらも庶民の暮らしの中の文明が素晴らしきものであったことを説き、明治維新後にその日本で培われてきた「文明」が滅亡させられてしまったと嘆いています。

私は、こうした「国家と文明との区別と連関」という思考は大事ではないかと思うわけで、愚按亭主のように「すべてを国家に還元する=国家主義」的な考えでは、確かに「思想の自由、学問の自由」とは言いつつも、「中世日本の庶民が優しかった=そこに理想の国家があった」などと短絡させる現実に至ってるわけですから、私たちが先祖代々受け継いできた「文明」と「国家の統治形態」とは分けて考えるべきではありませんか?

あらためて読んでみると故・青雲さんの『逝きし世の面影』に関する論考も「国家と文明との区別」という観点はありませんから漠然と「昔の日本はこんなに良かったんだ」と綴っているだけで論理の構成はありませんが、「鳥の目、虫の目」とも言われるように愚按亭主のように日本人としての感情のみから国家主義的な考えを述べるばかりてなく高所から俯瞰して「要するにどういうことなのか?」を概括してみることも必要ではないかと思う次第です。

ま、好きなものしか目に映らないというのも人情ですから、今は「国家」しか見れども見えずなのも無理もないわけですが、自分が憧れた人物に成りきって「私には何でも分かってしまう、ぐふふふ」と悦に入っていても、浦和あたりで隠棲している人間ならば世間の笑い者になることも回避できるでしょうが、広尾で堂々と治療院の看板だしてる愚按亭主ではそうもいかないという条件の違いを考慮すべきだと思われますが…

Pass

[2819]
質問者 - 2018年04月24日 (火) 15時10分

ある現象をみたときに、それを如何なる概念まで収斂させるか、そして収斂させた概念と概念との関係を問うていくというのも哲学としては重要なところだと思うんですよね。

今までの事例でいえば「国家」だとか「文明」だとかなわけですが。

そうした収斂させた概念と概念との関係を扱うことをヘーゲルやら滝村が説いていたのかは改めて彼らの著述を確認してみないと判断できませんけどね。

私自身が「そうか!」と気づいて滝村の本を確認してみたら滝村は逆に全然ダメな見本であって裏切られたような気分になったこともありましたし…

Pass

[2820] 日本に来た西洋人が、もう一つの異質の文明と感じたその中身
愚按亭主 - 2018年04月24日 (火) 20時41分

 日本以外の世界の文明は、弱肉強食の敗者奴隷化の文明です。これに対して、世界の中で日本のみが、その生い立ちから共存共栄の文明だったということです。その文明の違いが、両者の基本的な言語構造の違いとして現象しています。日本以外の外国語の基本的な言語構造は、まず敵か味方を見分ける言語構造であり、日本語のみが、まず内容となる異質の言語構造だという違いです。

 次に、日本の憲法は、日本国家建国時の604年に、憲法の本来のあり方である人倫的な国家理念としての「和をもって貴しとなす」を顕したものとして制定されました。これに対して西洋の憲法は、1215年に、国家の理念としてではなく、王権を制限する内容の憲法すなわち「マグナカルタ」が制定されたのがその最初です。これが西洋の文明と、日本の文明との違いを端的に表すものと云えるでしょう。

 そして、それ以来日本国は天皇を頂点とする国体を、現在に至るまで一貫して維持し続けているのです。ところが、これに対して日本以外の外国は、弱肉強食の国家同士の争いを続けて、次々に覇者が変わっていくという歴史を繰り返してきたのです。これが、日本がもう一つの別の異質な文明だと西洋人が感じた中身です。

Pass

[2821]
質問者 - 2018年04月26日 (木) 10時45分

日本が共存共栄の文明だったという愚按亭主のコメントからは「共存共栄」ということに正の価値を感じて「そうあるべき」との意志が読み取れますから、そこは私と共感できるところかと思います。

ですが「日本だけが」「他国は違う」との蔑視の表現が、「確かに共存共栄という言葉を使ってはいるけれど、この人は本当に共存共栄しようなんて考えを持っているのだろうか?」との疑問を生じさせるようにも思われます。

というのも他者と協調して上手くやっていこうとしたときに「俺が俺が」の過度の自己顕示は概して好まれないのではないかと思われるからです。

日本にも古来から「謙譲の美徳」なるものがありますし、昨日はモンテーニュを読んでいたのですがフランス人であるモンテーニュも「謙虚と服従」を美徳としてるんですね。

それで、愚按亭主の言う弱肉強食の奴隷化の文明ということであれば例えば中世ヨーロッパの農奴なんてのはそうかも知れませんが、日本の寄生地主なんかのやっていた小作経営なんかも似たようなものでしょう?

そんな「似た者同士」だと互いに理解し合えることも日本人と西洋人とが「共存共栄」を実現するために必要な「感情的な納得」となるのではないでしょうか?

その上で、やはりヨーロッパの辿ってきた歴史や文化と私たち日本人が辿ってきた歴史や文化にはハッキリと異なるところがあることを知っていくことも必要では?

私はこのところ「弁証法の核心は法則性だとか特定のテーゼではなく他者性だ」と思っているのですが、だから自問自答ばかりではダメなんだと思っています。それで愚按亭主と対話することがなかったなら絶対に読むこともなかったであろう吉本隆明や梅原猛の『日本人は思想したか』を読んでいますが、そこで日本人は先ずはヨーロッパ的でない、ヘーゲル的でないんです。

吉本隆明はヘーゲルの影響を受けて『共同幻想論』を書いたと述べているんですが、梅原猛や中沢新一に促されてヘーゲルのヨーロッパ中心主義から離れていきます。

私は今後、日本人である自分を確認するために梅原猛や中沢新一の縄文文化論なんかに学んでみようと思っておりますが…


Pass

[2822] 国家とは何か?
愚按亭主 - 2018年04月26日 (木) 18時23分

>「日本だけが」「他国は違う」との蔑視の表現が、「確かに共存共栄という言葉を使ってはいるけれど、この人は本当に共存共栄しようなんて考えを持っているのだろうか?」との疑問を生じさせるようにも思われます。

 私が主張していることは、「日本の常識は世界の非常識」と一般に云われているその中身が、一体何によるものなのか?を歴史的事実と学問的論理から照らして観て、日本の国家のもつ、世界の国々にない特異性こそが、じつは人類が、その本流としての国家が持つべき本質的普遍性そのものである、という客観的且つ主観的真理であるということです。

 そのことを示す客観的証拠の一つが、日本語と他の国の言語構造の違いです。言語構造は、その言語を創った民族の精神構造の反映であり、言語構造は、簡単にねつ造できるものではありませんので、何よりの確実な証拠となり得ます。したがって、その言語構造の違いは、日本と、日本以外の外国との精神構造の違い、すなわち、共存共栄の精神構造と、弱肉強食の精神構造との違いを示していると云っても過言ではないはずです。

 そして、実際にその違いは、その歴史的な歩みの違いとなって表れています。日本は、蘇我馬子の聖徳太子による建国以来17条憲法という<共存共栄>の国家理念のもとに、ずっと統一国家の体制を維持し続けた世界で唯一の国家です。ですから、たとえその内部に封建的な領主による小国家が乱立した戦国時代においても、天皇が頂点にありつづけただけでなく、その内部の構造においても、下剋上と云う一見無法状態のように見える現象の中に、しかりと共存共栄の国家を第一に考えての、無能な領主に任せていたのではこの領国は駄目になるからと、有能な家老が決然と立ってその領国の発展を図るための主体的な愛国的行動だったのです。そして、その戦国時代の切磋琢磨が、安定的な徳川政権による共存共栄の、西洋文明にも勝るとも劣らない日本文明の開化へと結実していくことになるのです。

 一方、では海外の方はどうかと云いますと、弱肉強食の殺し合い、強者による奴隷化、つぶし合い、文化の破壊の繰り返しの歴史が展開されました。その中で唯一の例外は、アレキサンダー大王による世界統一でした。皆殺し・奴隷化が当たり前の時代に、皆殺しもせず、奴隷化もしないで、自分の文化と現地の文化の融合を積極的に図っていったのです。それが共存共栄のヘレニズム文明です。ところが、南郷先生は、このアレキサンダー大王の世界統一を、侵略したいから侵略したなどと、唯物論的な認識論から規定しています。

 しかし、観念論的な観点から云いますと、アレキサンダー大王は、師であるアリストテレスが学問を統一したように、自らもその師の学問をもって現実の世界を世界統一しようと、対自即自的理性からの目的意識的にもとづいて侵略したのであって、即自的に侵略したいから侵略したのではないと断言できます。ただ侵略したいだけならば、適当な所で切り上げて自分の領地に戻っていたはずです。学問による世界統一という高邁な理念を掲げて戦ったからこそ、兵士が音を上げるほど、自らの人生が尽きるまで徹底して世界を征服し続けたのです。そして、アリストテレスの学問をその地に定着させたのです。そのおかげで、私たちは現在、学問の恩恵を受けることができているのです。

 現在世界は、相変わらず弱肉強食の覇権争いを続けていますが、そんな殺伐とした世界にも、二度だけ、より高次の共存共栄の世界へ飛躍するチャンスがありました。一つは、学問の世界において、ヘーゲルが共存共栄の和の運動体の弁証法を完成して一世を風靡した瞬間です。しかし、それは、すぐにマルクスによって否定され、マルクス主義にとって代わられてしましました。そして、人類は、その弱肉強食の権化のようなマルクス主義によって、億万もの自国民が虐殺され、社会自体も悲惨な状態に追いやられることになってしまいました。

 もう一つの契機は、欧米列強による人種差別的奴隷化植民地主義に対して、ヘーゲル的な・学問的な人倫国家であった日本が、共存共栄的な植民地主義をもって、戦いを挑んだ大東亜戦争でした。この時日本が勝利していれば、世界は大きく変わることができたのですが、残念ながら、ヘーゲルの学問を壊したマルクス主義によって、またしても妨害されて、日本は負けてしまいました。

 このように、残念ながら目下のところは、世界中にはびこる弱肉強食的覇権主義を退治しなければ、世界が共存共栄の世界にはなれないのが、実情です。

>吉本隆明はヘーゲルの影響を受けて『共同幻想論』を書いたと述べているんですが、梅原猛や中沢新一に促されてヘーゲルのヨーロッパ中心主義から離れていきます。

 それは、吉本隆明がヘーゲルのことを正しく理解できていなかった、ということを示す事実です。その点、西田幾多郎はさすがです。日本において、ヘーゲルのことを一番よく分かっていたのが、西田幾多郎だと思います。

 国家を「共同幻想」などと規定すること自体が、マルクス主義から脱却したい、という吉本の企図は失敗に終わらざるを得なかった原因だと思います。その理由は、唯物史観に対して観念論的な原動力を対置したところまでは良かったのですが、あれかこれかの形而上学のままであったために、ヘーゲルの弁証法によってその両者を止揚した絶対観念論にまで到達できなかったところに、国家とは何かの本当の意味を理解できなかった原因があります。

 そもそも国家の本質である人倫的理念は、「幻想」などではなく、現実性であり、本流としての主体そのものなのです。これを幻想などととらえるのは、マルクスとまったく同じ思考回路でしかありません。また、ヘーゲルの弁証法が全く分かっていないので、対自的理性としての人倫的理念と、個人の即自的悟性および感情とを、絶対的な対立としてしかとらえられず、戦前の日本人が熱狂的・主体的に国家のために人生を捧げたことを、国家の共同幻想に個人の感情が押しつぶされたとマイナスにしか解釈できなくなってしまったのです。

 また、ヘーゲルは、ヨーロッパ中心主義などではなく、世界の本質としての絶対精神中心主義なのです。その絶対的本質が現実に立ち現れる本流がドイツに他ならないとしたことが、誤解されているようですが、これは事実だからそう言ったまでで、実際、人類の本質的必然性としての学問を完成したのが、そのドイツのヘーゲル自身だったからに他なりません。これはヨーロッパ中心主義というような特殊性ではなく、人類としての普遍性を、ヘーゲルは述べただけなのです。したがって、もしヘーゲルが生きていたならば、大東亜戦争を戦った日本を本流と認めたはずです。そういうことを、吉本隆明も梅原猛も中沢新一も、全く分かっていなかったのです。つまり、吉本はヘーゲルから離れる必要は全くなかったのです。否、離れていなければヘーゲル的な観点をもって、日本のことをより学問的に、より深く理解できたはずです。

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[2823]
質問者 - 2018年04月26日 (金) 22時13分

これは発言すべきでないと語らずにきたことなのですが、共存共栄について一つお尋ねしましょう。

愚按亭主はご自分が資格を取った柔道整復の業界や鍼灸の業界の他の仲間・同業者たちと共存共栄するための何か取り組みをしてきましたか?

簡単に考え得るのは柔道整復や鍼灸の学会に所属して会員として自己の臨床経験や治療論を仲間たちと共有することでしょう。ですが、確か愚按亭主は医療系の学会に所属した経験は無かったはずです。

ご自分の治療道を全うするための過程として鍼灸の達人?である吉田先生と関わったばかりで、それは「鶏口たるも牛後となるなかれ」そのものでしょうし、母校の花田の行き方を批判して己れのやっていることこそが真理との考えそのものが近代ヨーロッパからもたらされた「個人主義」「個人の自由の尊重」が顕現した姿でしょう。

その愚按亭主の姿は祝嶺正献の玄制流の縁の下の力持ちとして一隅を照らして共存共栄を果たさんとするのでなく、反旗を翻して自流を起こした南郷さんと瓜双子でしょう。

直接の師である祝嶺正献と縁を切って(=共存共栄できなかった)、空手界の大道団結を求めた全空連への加盟も拒否をして(共存共栄できなかった)、主体性とのお題目のもとで南郷・玄和中心主義や愚按亭主・天寿堂中心主義を説いていく姿は正に近現代の個人主義


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[2824] やっとたどり着いて見えた景色が凄かった!
愚按亭主 - 2018年04月27日 (土) 19時51分

 残念ながら、その境地に達したのはつい最近のことです。はじめは、三浦さんの「弁証法はどういう科学か」の中の真理論に疑問を呈したことがキッカケで、その真理論をひっくり返したところ、ヘーゲルの哲学がよく分かるようになり、そのヘーゲルが説く真理としての概念の自己運動が活発に展開するようになって、あれよあれよという間にこの世界の真実の姿の絶景が広がるようになった結果として、ヘーゲルの真の学問的な境地から見ると、これまで色々な所で様々な形で説かれていた日本の凄さ、のもつ普遍的な意義・価値が鮮やかな形で明らかになって、それに加えて、それまで気づかなかったその価値を裏付ける歴史的事実が次々に浮き出てくるようになって、その感動に浸っている最中であるというのが、実際のところです。

>祝嶺正献の玄制流の縁の下の力持ちとして一隅を照らして共存共栄を果たさんとするのでなく、反旗を翻して自流を起こした南郷さんと瓜双子でしょう。
 
 事実誤認があるようですから正しておきます。南郷先生は、「お前に任す」と後を託されて、それを発展させたのであって、反旗を翻したのではありません。だから、のちに祝嶺正献氏が再び一流を起こす時に、玄制流という名前を使わなかった(使えなかった)のです。同じように私も、反旗を翻したのではなく、南郷学派が学問を完成させて人類の発展に貢献するという偉大な業績を残せるようになるための問題提起をしているだけなのです。つまり、真の共存共栄の道を切り拓くためのものなのです。
 
>空手界の大道団結を求めた全空連への加盟も拒否をして(共存共栄できなかった)、主体性とのお題目のもとで南郷・玄和中心主義や愚按亭主・天寿堂中心主義を説いていく姿は正に近現代の個人主義

 この大同団結は、私の説く<共存共栄>と全く中身が異なります。共存共栄とは、己を活かし発展させるものでなければなりませんが、この大同団結は己を殺すものにしかなりませんから、そういうものに共存共栄という言葉はふさわしくありません。空手の本質を歪めるような大同団結は、共存共栄にはならないということです。私のは、即自的な個人主義ではなく、対自的な絶対的本質中心主義であり、国家第一主義であって、本質を貫き、普遍性を全うする、人類と共存共栄する、真の<共存共栄>なのです。日本が、世界から見ると特異な変わり種のように見えて、じつは唯一の真の共存共栄であり、これが世界の普遍性となるべきものだと云う事と、同じことなのです。

 ついでに共存共栄に関連して言うならば、たとえば、今、話題になっている北朝鮮と韓国との南北統一は、歪な即自的感情のかたまり同士の大同団結であって、その結果は、共倒共滅とはなりえても、共存共栄には絶対にならないと思います。たとえ現在、感情的に盛り上がっても、熱が冷め、現実に向き合った時、共存共栄になり得ない現実を、無残にも思い知らされることでしょう。

 何故、ならないと断言できるのかと云いますと、歴史を見れば分かります。せっかく日本が、ハングルと漢字とを組み合わせ・統一した、共存共栄可能な優れた言語を与えてやったのに、冷静な客観的・対自的理性の欠如した、その歪な即自的感情のかたまりのままに、自分から漢字を捨ててるという愚挙に出て、共存共栄など到底不可能であることを自ら証明して見せたからです。そのような狭い料簡で、共存共栄などできようはずがないということです。おまけに、この南北統一というのは、一方は共産主義独裁王朝で、もう一方は資本主義で、政治的には共産主義独裁王朝の方が強く、しかし、その共産主義では経済的にはうまくいかないことはすでに証明済みですから、韓国の経済に頼らざるを得ませんが、その韓国の経済も自分だけでもうまくいっていないのに、そんな厄介者を抱えて、ますますおかしくなてしまうのは必定です。つまり、混乱し破綻することは目に見えているということです。

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[2825]
質問者 - 2018年04月28日 (土) 13時13分

>南郷先生は「お前に任す」と後を託されて、それを発展させたのであって

そうですか。本山直樹さんという千葉大学の名誉教授が報じてる文章からは愚按亭主の言うようには読み取れませんでしたが…。南郷さんは流祖である祝嶺さんと仲違いして独立したとされていますよね。今ここでの話の核心は愚按亭主の言う「近代ヨーロッパ的な考えはダメで、日本古来からのものが優れている」ということを実証するための事例として挙げたというところですから、封建時代以前ならば自分の感情に任せて武家の棟梁から独立するなんてことは許されないと思いますし、武人の倫理性としても認められないことでしょう?

ですが、近現代の価値観でいえば個個人の自由を求める権利があるわけですから、独立して自流を起こしたことは何ら非難されるものではありません。現に円満に独立した流儀も喧嘩別れした流儀も今の日本には無数にありますから。

ただ、「お前に任す」と言われた相手への信頼に答えることが別の名前の流儀を立ち上げて、それまで自分の師の流儀だったものを根回しで自分の新流儀に鞍替えさせることだとは思えないんですよね。期待に答えることは師の「玄制流」という流儀の名前そのままで団体を大きくすることじゃなかろうか?と思うわけです。愚按亭主の言う封建時代以前の日本の国体で考えたなら。

まあ、古き日本のあり方ならば男は何よりも跡継ぎを作って家督を相続するのが務めだったでしょうから、跡継ぎの実子がいないだけで軽蔑されたんだと思いますが、近現代の価値観ならば個々人の価値観や生き方は多様で構わないわけですから、嫁も子供もいなくとも、また親と違う職業をやっていたって非難される筋合いはないわけで多くの人が救われると思いますよ。

まあ、愚按亭主ももう古稀だと思いますから、何も私が「また知ったかぶりしおってからに」などと老人イビリするのも人道的にどうかと思われますし、独り身の老人の密やかな楽しみとして語っていることを否定することなく聞いてあげるのが良いのかも知れませんが…。

愚按亭主も確信犯ということもないのだとは信じたいのですが、戦後の日本で生まれて近現代的な自由な環境を満喫してきた愚按亭主が古稀を迎えて後はお迎えを待つばかりといった時期に封建時代の不自由さを後進に勧めるが如きは自分ばかりが美味しいところをもっていきたいと狙っているのかと疑いたくもなりますね。

それから、愚按亭主ご自身はヘーゲルについて大発見したかのように説いてますけれど、読んでいるこちらには全く理解できないということは頭の片隅に置いといたほうが良いですよ。

他者を納得させられるということを、ご自身の理解が本物かを判断するためのモノサシにすることも必要でしょう。



Pass

[2826]
質問者 - 2018年04月28日 (土) 13時34分

>共存共栄とは、己を活かし発展させるものでなければなりませんが

だから、それが近現代の「国民を中心にした国家」で、愚按亭主は国民国家や国民主権を否定していたわけですから、「己(個)が活きるための全体」なんて必要なかったわけでしょう?愚按亭主には。国民でも己れでも良いですがかな区人から切り離された国家・全体が第一というのが愚按亭主の考えだったわけですから、己れ(個人)が活きるとか発展できるとかは二の次、三の次で先ずは国家という全体的な集まりを形成せよという話をしてたんですよ、愚按亭主は。

これまで「何か考えるのに必ず具体例で考える必要はない」なんて逃げの布石を打ってきて、私のほうでも容認していますから愚按亭主の抽象的な言葉だけを繋いでいく全く系統性のない話も誤謬を顕にさせずに済んできましたが、一人語りで文字を綴っているなら気がつかないものでも他者と対話のやりとりをしようとしたならば、全く系統性がなく抽象的命題が断片的に語られていることが明らかになります。

まあ、愚按亭主にそんな学者のような学力があるはずもありませんから、そんなことよりネットで古稀のプレゼントを検索すると色んな楽しい商品があるもんですよ。

ご本人の名前を使ってポエムを書いた色紙だとか、名前が書かれた湯飲みだとか、似顔絵いりの置き時計だとか。

そんなものを眺めてるほうが幸せ感が湧いてくるんじゃないですか?

Pass

[2827] 発展性・歴史性について
愚按亭主 - 2018年04月28日 (土) 20時02分

 人類の歴史を見ますと、ものすごい勢いで変化・発展してきて、現在、その勢いは、ますます激しくなっていることを見て取ることができます。これは一体何を意味するかと云いますと、人類が、現在の段階における本流に他ならないということです。ところが、目下のところ、この発展は、対自即自の学問によって全的に統括されておらず、即自によって部分的に統括された歪な発展を呈してしまっている実情があります。それだけに、早急に学問全体を統括する学問の冠石の復活が望まれます。つまり、ヘーゲルの復権が、人類にとって何よりも焦眉の急だ、ということです。

 このように発展性は、人類の本質なのですが、それは本来的には絶対理念の発展性でなければならないのです。つまり学問に則った発展性が望ましいということです。ですから、学問的に発展してきた日本の歴史は以下のような形而上学的な、硬直した発展はしておりません。

>封建時代以前ならば自分の感情に任せて武家の棟梁から独立するなんてことは許されないと思いますし、武人の倫理性としても認められないことでしょう?

 前にも述べておいた通り、とりわけ戦国時代おいては、御国のために無能な領主に代わって有能な家臣が舵を取るようになるということが多発したから、下剋上と呼ばれたのです。これは決して自分の即自的感情からのものではなく、御国のためという対自即自の感情から発せられたものなのです。

 同様に南郷先生の場合も、というより南郷先生の場合は、南郷先生の学問的な指導に多くの弟子たちが傾倒していくことに、いらざる危機感を募らせた祝嶺氏が、南郷先生の追い出しを図ろうとしたところ、ほとんどの弟子たちが南郷先生の側についたために、追い出しを図った祝嶺氏の方が「あとはお前に任せる」と虚勢を張って出ていく破目になった、というのが実情だったのです。したがってまた、後を任された南郷先生が、己のやり方・思想性に合わせて名前を発展させたのは、合理的な必然性のあることなのです。そして、その後、南郷先生は、まさしく空手を学問的に個別科学として確立したのです。

 私の場合も、健康腺療法の三代目の歴史的使命として、天才的技能としての健康腺療法を、誰もが学べる学問的な一般的技術に創り変えて、人類の文化遺産として残すにふさわしい名称である天珠療法へと発展させたことは、合理的な必然性にもとづくものでした。

>それが近現代の「国民を中心にした国家」で、愚按亭主は国民国家や国民主権を否定していたわけですから、「己(個)が活きるための全体」なんて必要なかったわけでしょう?愚按亭主には。国民でも己れでも良いですがかな区人から切り離された国家・全体が第一というのが愚按亭主の考えだったわけですから、己れ(個人)が活きるとか発展できるとかは二の次、三の次で先ずは国家という全体的な集まりを形成せよという話をしてたんですよ、

 それは、とんだ誤解です。私は、この問題を弁証法的に説いております。国民国家と絶対王政との対立物の統一・統体止揚としての人倫的理念の国家第一主義を主張していたのです。だから、その国家における自由は、国民国家のような即自の自由などではなく、人倫的理念の国家第一主義の即自対自・対自即自の自由こそが、真の自由だと主張していたのです。

 これを歴史的・過程的に云えば、西洋の絶対王政(国民は奴隷状態)を否定する形で国民国家が生まれ、その過程で個人の覚醒と人権の定着が進行し(=第一の否定)、これを再び否定的に媒介・統体止揚(第二の否定)することによって、共存共栄の人倫的理念の国家第一主義国家が誕生するということです。これをヘーゲルは「法の哲学」の中で説いていたわけです。

 ところが、日本の場合は、不思議なことに、初めから共存共栄の人倫的理念の国家第一主義の国体が出来上がっていて、その構造が様々な形で発展していくという極めて特異な形での発展を辿ってきたのです。これは本当に凄いことです。

>愚按亭主の抽象的な言葉だけを繋いでいく全く系統性のない話も誤謬を顕にさせずに済んできましたが、一人語りで文字を綴っているなら気がつかないものでも他者と対話のやりとりをしようとしたならば、全く系統性がなく抽象的命題が断片的に語られていることが明らかになります。

 そうですか?そう思うのなら、そう思ってもう一度じっくり読んでもらいたいものです。私の主張は、一分の隙もなく、乱れもない形で、論理的・系統的に説かれてあることに、気づく、気づいてくれるはずですから・・・。

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[2828]
質問者 - 2018年04月30日 (月) 07時58分

せっかくのゴールデンウィークの始まりでしたが、自分の今の体力の程度を超えた鍛錬をしたせいで体を壊してしまいました。

しばらく稽古ができなくなったのをキッカケとして昨日は浦和の古本市に行ってきましたが…。ネットで手軽に古書を検索し購入できるようになってから実際に店頭へ足を運ぶ機会は極端に減りましたが、それでも年に数度は神田や浦和などの主だった古本市や古書店に出向きます。結構、掘り出し物が購入できるものですから。

愚按亭主の数々のコメントは本当に私の思考のある種の舵取りのような働きを担ってくれてると実感しますね。現在の無数の情報が容易く手に入る環境であっても、何を求めてどちらにアンテナを向けるかで入ってくる情報は全く違ってきますから。

浦和の古本屋では主に縄文文化だとか聖徳太子に絡んだ本を買ったわけなんですが、それらを読んでいると愚按亭主のコメントが正しいか間違っているかということは些末なことのように思えてきて、いえね、正誤の別で言ったなら勿論のこと愚按亭主のコメントはデタラメなんですが、日本の史実の深い意味合いと、それとはまた別の愚按亭主のデタラメの意義深さなんかが複雑に心に反映してくるんです。

私は基本的に理系の人間でしたから、幼少期は数学なんかに偏った思考をしていましたし、歴史の授業が苦手で頭の中に入って来ませんでしたが、中年になってから改めて学ぶ日本史は衝撃的な感覚を私に与えてくれますね。

私、愚按亭主の「日本だけが昔から共存共栄の国だった」という見解は過去の史実を辿ると違うことが解りましたし、まあ、改めて史実をたどるまでもなく自分が生きて生活している中で身につけた「良識」だけでも「同じ人間でそんなに違うはずはない」と過去の日本の諍いが予想できたわけですが、先ずは今の小学生も学校で教わっているかも知れない「丁未の乱」を知らなかったんですね。

聖徳太子は17条憲法を定める前に蘇我馬子らと結託して物部一族を皆殺しにしてるんです。敵対してる相手を皆殺しにしてから出された「和をもって尊しとなす」との宣言は、勿論のこと仏教を反対していた物部守屋への勝利宣言とも受けとれますし、他の者に「刃向かってくるな」との威嚇とも受けとれます。当然にそれまでの神道と新たな仏教とを合わせるという意味での「和」であったかも知れませんね。

ですが、対立側を皆殺しにしてからの平和宣言って、何だか太平洋戦争で原爆落として日本を滅茶苦茶にしてから定められた第9条の平和主義にも似て複雑なる心情を湧き上がらせますね。

私、聖徳太子こと厩戸皇子のこと、かつての一万円札の人ぐらいにしか知らなかったんですが、あらためて調べると用明天皇の次男で皇位継承権のある人物だったんですね。ですが、史実のとおり厩戸皇子は実際には天皇にならずに48歳で死んでいます。

というのも皇位継承権のあったのは聖徳太子=厩戸皇子だけじゃなかったわけです。

この聖徳太子や蘇我馬子らと物部守屋一族との殺し合いである「丁未の乱」が起きた理由は単に仏教と神道との神仏闘争でなく複数いた皇位継承権者の権力闘争だという見解を昨日は読んでいたわけです。

物部守屋というのは欽明天皇の子供で皇位継承権のあった穴穂部皇子を擁立して政権を握ろうと企てていたわけですが、同じく欽明天皇の娘だった後の推古天皇と結託していた蘇我馬子に殺されてしまうわけですから。

昨日買った本の中には聖徳太子=厩戸皇子は鉄鉱山を領地として持っていた関係で刀剣のような武器はもとより農具のようなものも調達できたとありましたが…。

そこから考え得るのは「武道」だとか「武」の道というのは「国家の建設、そして維持」という人間行為の過程で形成されていった「宿禰」の技だったという史実ではないでしょうか?

やはり聖徳太子=厩戸皇子や蘇我馬子らは共存共栄というよりも支配者だったのだと思います。それが端的に現れているのが蘇我馬子による崇峻天皇の暗殺やら大化の改新での蘇我入鹿の暗殺でしょう。

敵対者は簡単に殺してきたのが洋の東西を問わず中世以前の人間の現実なのでしょうね。

それで、私が愚按亭主のデタラメにも有意義な面があると感じたのは愚按亭主の「聖徳太子=蘇我馬子」という創作に似た「聖徳太子=蘇我入鹿」説を発表している関裕二さんという人の作品を知ったからなんですね。この関裕二さんの本は真摯な史学研究者からは全く根拠のないものとして顧みらないものらしいんですが、とにかく売れているらしいんです。

だから購入するイワユル「大衆」には「真実か否か」よりも「面白いか否か」が重要で、関裕二さんの本はとにかく真摯な歴史研究者以外の人間には面白いらしいんですね。

それを知ったおりに坂口安吾の「娯楽奉仕の心構え」なんてのを読みましてね。そこに「人間は真面目に働くばかりでなく休養が必要だ。だから文学にも戯作性が必要だ。」と説いているのを読んだりしまして。

そういえば亡くなった青雲さんが「源義経=成吉思汗説を思想性の高みから検証する」なんてのを書いていましたね。もう削除されていて読むことあたわずですが。そうした史実とはかけ離れた青雲さんや愚按亭主の創作も、「またやってるな」とクスリと笑ってあげるのが戯作というか洒落というか、江戸=東京人の粋(いき)というものかも知れないな、なんてことを考えてみましたが。

まあ、もっとも身内の南郷さんを美化するために師の師であった祝嶺さんを悪く脚色するのは頂けませんけど。南郷さんが新流儀を立ち上げて去った後で宗家の祝嶺さんが直々に教えにきていたと千葉大学の名誉教授が書いていますし。「男は黙ってサッポロビール」のほうが好ましいのでは?




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[2829] 現象と論理の違い
愚按亭主 - 2018年04月30日 (月) 22時14分

>私、愚按亭主の「日本だけが昔から共存共栄の国だった」という見解は過去の史実を辿ると違うことが解りましたし、まあ、改めて史実をたどるまでもなく自分が生きて生活している中で身につけた「良識」だけでも「同じ人間でそんなに違うはずはない」と過去の日本の諍いが予想できたわけですが、先ずは今の小学生も学校で教わっているかも知れない「丁未の乱」を知らなかったんですね。

 残念ながら現象的事実と論理とは相対的独立であり、事実は論理が現象したものであり、反対に論理はその現象的事実に貫かれている本質・一般性を掴み取ったものであって、両者は同一ではありません。だから、ヘーゲルは有論と本質論とに分けているのです。

 私は、その内の本質論的に論理として、日本を世界から区別する本質として<共存共栄>と規定したのですが、それが分からないから、個別的事実を挙げて、違うデタラメだと批判しているわけです。その批判の仕方も、共存共栄だから戦うことがあってはならない、皆殺しもあるはずがないと決めつけているわけです。この硬直した教条主義・形而上学的思考では、現実を正しくとらえることはできません。

 論理としてとらえるということは、具体的にはどういうことかと云いますと、すでに挙げているように、言語の構造に投影されている精神構造の一般性が、日本の共存共栄の一般的精神構造と、他の外国に一般的な自己中心的な精神構造というように、明確に分けることができます。これはまさに論理的な違いなのです。

 また、「アンダープロトコル」の猫組長さんが云っていましたが、日本と外国の契約書の厚さの違いも、両者の一般的な精神構造の違いによるものです。つまり、共存共栄の日本の互に信頼し合える社会の契約書は、非常に薄いのに対して、外国の契約書はとても厚いのだそうです。それは、みな自己中心的で隙あらばだまし取ろうとするものばかりで信用できないので、細かく規定しなければ正常な取引が成立しないからなのだそうです。これも、精神構造の違いの一例です。

 また、日本のお手伝いさんと外国のメイドさんとの違いもその一例と言えます。と云うのは、日本のお手伝いさんは人間扱いされるので、日本のお手伝いさんを経験したことのあるメイドは使いものにならないという苦情が寄せられるのだそうです。つまり、外国のメイドは、奴隷のように人間扱いしないのが当たり前だからなのだそうです。

>聖徳太子こと厩戸皇子のこと、かつての一万円札の人ぐらいにしか知らなかったんですが、あらためて調べると用明天皇の次男で皇位継承権のある人物だったんですね。ですが、史実のとおり厩戸皇子は実際には天皇にならずに48歳で死んでいます。

 実際に天皇を使い始めたのは、天武天皇からが正しいのです。その天武天皇が日本書紀を編纂して、天皇家の歴史を創造したわけです。その際に、自分の血筋の英雄で、実際は中央集権的な統一国家日本を創り上げた蘇我馬子を何らかの形で残したいということで創られたのが聖徳太子です。だから、太子でありながら天皇のように、隋の煬帝に対して自分のことを「日出処の天子」と呼んだというスジの通らないことまかり通っているのです。それは、さすがに蘇我馬子を天皇家の歴史の中の天皇にするのがはばかられたからです。また、蘇我馬子が大王だったということ示す物証は、存在します。それはかつて大羽弘道という在野の研究家が銅鐸の絵文字を解読して、蘇我馬子が大王だったことが書かれている事実を明らかにしているからです。
 
>もっとも身内の南郷さんを美化するために師の師であった祝嶺さんを悪く脚色するのは頂けませんけど

 脚色ではなく事実だから仕方がありません、これは、当事者から直接に聞いた話です。

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[2830]
質問者 - 2018年05月02日 (水) 11時58分

愚按亭主の言う「共存共栄」というのは事実的な意味でなく本質的で論理的だから殺しもするし盗みもする、というわけですか…(笑)。

何とも不思議な思考の仕方をするものですね(笑)。再三述べているように私は近現代的な自由の相互承認の立場から愚按亭主が如何なる考え方をしようが本人の自由として容認しています。ですから私自身の主観からは愚按亭主を批判しているつもりはないんですがね。つまりは愚按亭主がどう考えるのかは自由だが私自身としてはここは受け入れられないな、共感できないなということを申し上げてるだけで、何ら愚按亭主に発言の訂正や撤回を求めているわけではありませんからね。

それを理解していただいた上で、愚按亭主がたびたび述べる「事実と論理の違い」なるものにも私なりの考えがあるわけです。

論理(ロジック)って私が思うには文(センテンス)と文(センテンス)とを接続詞で繋いだものなんです。取り敢えず暫定的に言うと、ですがね。ですから、例えば「愚按亭主は太った」という事実というか文(センテンス)があったときに「食べ過ぎた」とか「太る遺伝的な体質だ」とかいった文(センテンス)と理由を表す接続詞で繋いで「愚按亭主は食べ過ぎたから太った」とか「愚按亭主は遺伝的に太る体質だから太った」というのも一つの論理なわけです。

それで、イワユル「科学的」とされている法則なんかを介した判断・論理というものがありますよね。例えば、理科の実験なんかで電池に抵抗つけて電流を測ったら30ミリアンペアだった、とか。それで、そうした現象を「これは、電池の出力が1.5ボルトと表示されているから抵抗値が50オームだからだな」と判断するとき、その抵抗値は実際には計測していませんから「電圧値は電流値と抵抗値の積に等しい」というオームの法則を介した論理的な判断をしてるんですよね。

それで、私は今回、愚按亭主と対話するためにヘーゲルの『法の哲学』を読んでみて気がついたのが例の「国家とか市民社会だとか家族」だとかを語るに際して「普遍と特殊」だとか「有限と無限」だとかいった現代的な感覚で?言ったら「余計なもの」が付随している点なんですね。

ここに至って私は三浦の本やエンゲルスの本にある(とされている)「形而上学的」ということを「あれか、これか」ではなく真に「形而上学的」なものとして実感できたわけです。つまりは「形而上学的」と「あれか、これか」を区別と連関として把握できたわけですが。

人間は何か考え判断する際に、その基準となる思考を介して判断します。そこに論理(ロジック)が生じてくるわけですが、例えば一人の古希の老人が身寄りもなく寂しく暮らしていたとしたならば、それを日常生活での氏の言動から「あんな偏屈な性格では誰も寄り付きゃしない」と判断するのも、社会学的な統計的な論理から推測していくのも、愚按亭主やヘーゲルのように「普遍と特殊、無限と有限」といったことから語ろうとするのも、どれも論理といったら論理なんですよ。

だから、現代の哲学なんかだと「マキシマリズム(最大限主義)とミニマリズム(最小限主義)」と分けて考えて、ヘーゲルのように全世界の普遍と特殊、無限と有限なんてマキシマリズムな考えは止めて、それを断捨離とも言うらしいですが、必要なことだけで論理構成していこう!なんて行き方するみたいなんですね。

私が今回気がついた『法の哲学』で「国家や市民社会や家族」にまとわりついてくる「普遍と特殊、無限と有限」といったあたりが愚按亭主の述べている「背後霊」かも知れないなと感じたんですけどね、ですが私の知っている守護霊だとか地縛霊だとかの背後霊の世界をヘーゲルの形而上学的付随物を例えるアナロジ〜として持ち出した感覚が良く解らないなとは思いました。端的には「センスないんじゃないの?」なんてね。

大羽弘道さんの話は良いことを教えていただきました。こういうものを如何に捉えるかを考えるのも頭の体操になりますね。基本的には「銅鐸」という考古資料への理解を深めていくということが鍵だと思いました。真理と誤謬は背中合わせなんてことを10代に学んだわけですが日常生活で忙しくしていると、そうしたことを感じる余裕もなくなっていますね。

古代史的、考古学的には弥生時代のものだとされている銅鐸を飛鳥時代の蘇我馬子に結びつける不整合さが誤りということになるんでしょうが、それとともに想起されるのが「捏造」ということに関する倫理性かも知れません。

私のように分別のついた大人ならば愚按亭主のデタラメ論理も自分が成長するためのキッカケに転化することが出来ますが、無垢な子供が信じてしまったならと背筋が寒くなりもします。以前はあったテレビの「やらせ番組」もなくなりましたし、単に面白ければいい世の中ではなくなりましたしね。

これもヘーゲルが言う「人倫」かも知れません。禁煙、分煙も人倫の問題として考えられるのでしょうね。




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[2832] 事実と論理の区別と連関について
愚按亭主 - 2018年05月03日 (木) 13時27分

 三浦さんの「弁証法はどういう科学か」の中に、事実と論理の区別と連関を説明するのに、とても理解しやすい図があります。それは、ドロボーを連行する警官の図と、その反対の形で、ドロボーが警官を連行しているように見える二つの図です。後者の図は、一見常識的にはありえないのですが、じつはドロボーのように見えるのが私服警官で、警官の服装を着ているのがニセ警官の図です。

 ここで何が言いたいのかと云いますと、現象的事実と論理は一致しない場合があるということです。事実に誤魔化される場合もあるのです。ですから、日本は共存共栄の社会だと云っておきながら、皆殺しをしている事実があるではないか、だから日本が共存共栄の社会だというのは嘘だ!デタラメだと主張するのは、見た目だけで判断するのと同じで早計だと云いたいのです。

 そのように、事実に誤魔化されないようにするためには、その裏側・深奥に存在する真理を見通す論理の目を養う必要があると、私は主張するわけです。だから私は、そのような見た目に惑わされないような、否応なしに、そこに日本人の精神構造の一般性が現れている例として、言語構造や契約書の例を挙げたのです。このようにして、まず日本人の精神構造の一般性としての共存共栄の本質を確認した上で、現象として現れた事実を見ると、事実の本当の姿が鮮やかに見えてくるようになるのです。

 つまり、警官がドロボーに捕まっているように見える現象的な事実は、警官が犯罪者を捕まえるという警官としての本質的論理が、その場その場での様々な要因が複雑に絡み合った結果として現象したものだった、ということです。同じように、蘇我馬子や織田信長の皆殺しは、西洋のような即自的な自分たちの利益のためだけの皆殺しではなく、対自的な共存共栄の国創りのために必須な皆殺しであったということが云えるのです。実際、それ以降日本の統治形態が、前者は隋に対抗できる中央集権的な法治国家へ、後者は武士による統治を脅かしていた寺社勢力を政治の世界から追い出して江戸幕府の成立に貢献するというように、日本の国家が国家として劇的に変化していくまさにそのターニングポイントとなったというその事実の意味が、そのことを如実に物語っていると云えるのです。だから、中身が全然違うのです。日本の国家としての共存共栄の理念は、いささかも揺らぐことはなかったのです。だから、外国と違って、日本においては皆殺しは一般化しなかったのです。

 ここで、事実と論理について少し整理しておきましょう。事実と云うのは、直接性として実際にあるものや、起こったことをいいます。そしてそれを、そのまま丸ごと一切の加工を加えずにとらえることを事実の認識、あるいは事実の把握といいます。これをそのまま感じ取る認識を、感性的認識といいます。たいていの事実は、形として現れますので、そうした事実のことを現象的事実と呼びます。

 これに対して、論理は、媒介性として、この現象的世界の裏側・深奥に網の目のように存在して、その中枢である本質を中心として体系的につながり合った規定性・関係性をいいます。つまり、この世界は、そういう体系的な論理性を持っているのです。それを掴み取る認識を、悟性的認識、あるいは理性的認識といいます。ですから、この論理を中心に考えますと、事実は、本質が様々な論理の絡み合いとして現象する、というふうに把えることもできますし、反対に事実から様々な論理を探り出し、その論理の体系性を通じて本質的論理にまで手繰り寄せることもできる、ということも云えます。

 ただし、事実からの論理化だけでは、本当の意味でのこの世界の本質にまで、たどり着くことは不可能です。どういうことかと云いますと、唯物論的な即自的悟性による経験的事実からの論理化だけでは、つまり相対的真理の系譜だけでは、絶対的真理に到達することはできないということです。そこに限界が存在するために、論理の全体系を完成することはできません。つまり、部分的な事実の論理からだけでは、世界全体の本質的な論理までは到達できないということです。だから、人類は、それを求めて観念的に自由に運動できる認識を創り上げて人間になったのです。

 そして、その人類の悲願を達成したのが、ギリシャ哲学からドイツ哲学にいたる哲学者たちの血のにじむような営々たる思惟の営みであり、それを総括して共存共栄の和の運動体の弁証法を創り上げたヘーゲルなのです。これによって人類は、世界全体の本質的論理すなわち絶対的真理(=運動体の弁証法)を掴み取ることができたのです。それを掴み取ったのが対自的理性です。これがないと世界の論理体系化はできないのです。つまり、学問の体系化は完成しないということです。

 学問の体系化の基礎を築いたヘーゲルの学問体系は、直接性としての事実を扱う有論と、媒介性としての論理を扱う本質論、という構造論的な二大支柱があって、それを相互浸透的に統合した生きて運動・発展する生命力あふれる運動体としての概念論として展開されます。だから、ヘーゲルの学問体系においては、個別的な事実も、すべてその体系の中に包含され、精神の王国のひとつの現象・一員となっているのですから、普遍性は即現実性なのは当たり前のことなのですが、マルクスはこのことが分からずに、これを批判して普遍性と現実性は一緒ではない、それは根本的二元論だ、などと訳の分からない非難をしているのです。

 人間の使う言語の特徴は、全てを論理として表現するところにあります。したがって、事実を表現する場合も論理としてしか表現できないので、論理で表現するからと云って、その意味するところは論理とは限らず事実を意味していることもあるのです。ですから、論理として表現されたものが、事実なのか論理なのか判別する必要があるのですが、たいては混同されて、すれ違いが起きることになります。今回の場合も、私は論理として共存共栄を述べたのですが、事実レベルで受け止められて、皆殺しされた歴史的事実があるから、共存共栄というのはデタラメだ!という行き違いが生じることになります。ですから、そこは充分に注意する必要があります。

>古代史的、考古学的には弥生時代のものだとされている銅鐸を飛鳥時代の蘇我馬子に結びつける不整合さが誤りということになるんでしょうが、それとともに想起されるのが「捏造」ということに関する倫理性かも知れません。

 事実を論理的に見ることの重要性・凄さは、ここでもいかんなく発揮されることになります。大羽弘道氏の「銅鐸の謎」はもう手元にありませんので、確かめようがないのですが、論理的に考えてみますと、或る推測が浮かび上がってきます。

 三世紀以降の銅鐸が突然出土がなくなるのだそうですが、問題はこの事実をどう見るかということになるかと思います。その少し前あたりから、銅鐸の役割・性質が変化して楽器から国民に大事なことを知らしめる広報のような役割を担うようになって大型化していきます。ところが、そこで突然出土しなくなったという事実。そして、大羽弘道氏が西洋において古代文字を解読したその方法を用いて銅鐸の絵文字を解読したところ、蘇我馬子が大王になったことを知らせる内容だったと解読できたという事実。そして、聖徳太子が蘇我馬子だったとすると、そのあたりの時代の全ての歴史的事実の意味が整合性をもって一貫した筋の通ったストーリーとして展開できること。聖徳太子の話は、天武天皇が、天皇家の歴史的な正統性を裏付けるために編纂した「日本書紀」の中にあることから考えますと、次のような推測が成り立ちます。

 3世紀から6世紀にかけての銅鐸に記載された事実は、日本書紀に天皇家に都合の良いストーリーに創り変えられて「日本書紀」の中に取り入れられる一方で、その物証としての銅鐸は消滅の処理をされた。その中の一部が奇跡的に残って大羽氏の手に渡って、解読された。あるいは、天武天皇が真実の解明を後世に託すために、そのヒントとなる物証を意図的に残しておいたとも、考えられます。天武天皇はこういう仕掛けを随所でやっておりますから、ありうる話だと思います。

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[2833]
質問者 - 2018年05月03日 (木) 14時48分

愚按亭主は長い文章を書くのが得意ですね(笑)。

私の思考は一足飛びには進んでいきませんので地道な勉強を続けながら少しずつお話させていただきますね。

論理と事実の関係に関する考えは愚按亭主と私とで相当に違うことが解りましたけど、そこは一先ず置いておきます。

愚按亭主がコメントする「お題」というかテーマについて、実際には「共存共栄」なんて歴史はなかったと思っている私には「愚按亭主が何か企んでいるのだろうか?」と疑心暗鬼になる面もあったことは吐露しておきたいと思います。

それは人間、警戒心があるのが当たり前のことですし、愚按亭主にも了解していただけることだと思っておりますが、愚按亭主が「玄◯」という武道団体に所属していたことも疑わしく思う理由の一つでした。

愚按亭主の最大関心事である「国家」という範囲で考えたなら日本も他国と同様に「軍事」の面で盛んに闘い合ってきた歴史の現実があるわけです。

その「軍事」、「戦(いくさ)」でも構いませんが、そこで用いられた戦術だとか戦略だとかあるわけですが、その日本の軍事の根幹には中国からもたらされた「孫子の兵法」がありましたよね?日本に初めて「孫子」をもたらしたのは吉備真備だとされていて、その孫子の実践活用は藤原仲麻呂の乱だとされていますが、源義経が使ったの一ノ谷での鵯越の逆落としや、後に義経を尊敬していた上杉謙信が川中島の戦いで使った信玄の裏をかく戦法も孫子の敵の動きを予測して欺き裏をかく兵法でしょう?

だから、デタラメ論理でありながらも学術的な論陣をはる愚按亭主や、ひいては南◯学派も何らかの企みがあるのではないか?との警戒が消せなかったわけです。

ですが、ウィキペディアの「和の文化」や「日本人論」なんかを読んで、愚按亭主ばかりでなく日本の保守的な知識人や思想家には同じような考えを持っている人たちがいることを知りました。

「海外に対して日本人は共存共栄してきた民族であり、その代表が聖徳太子の十七条憲法だ」なんて考えをイワユル「ウ◯ク」と呼ばれる方々がお持ちなんだと知りましたけども。

これが愚按亭主独りの見解ならばアプローチも変わってくるのでしょうが、日本人の中に一群れのそうした考えの人たちがいて本も何冊も出されているとなれば、そちらに当たってみるほうが理解が早いと思いました。何しろ「源流」を辿ってみるわけですから(笑)。

私自身は梅原猛さんの「聖徳太子」論なんかで勉強させていただき始めましたけど、さすがに哲学の専門家ですから視点が鋭いんですね。非常に学ばせていただき、教えていただいてます。

一つに聖徳太子の十七条憲法は実際には「憲法」と呼べるものではなかったそうですね。それは後の律令制のように処罰の規定が無かったからのようです。

私は常に近現代の自由の相互承認の立場を愚按亭主と確認していますけど、例えば日本憲法で基本的人権が謳われ何人も自由を侵害されないと規定されていますけど、それが守られなかったならば、例えば私が愚按亭主に思想の転向を迫って強引なことをすれば「脅迫罪」なり何なりで処罰されるわけです。

ですが、十七条憲法の「和をもって尊しとなす」というのを守らずに他者と喧嘩やら戦(いくさ)やらしたからといって処罰されることはなかったようです。

これって、例えば江戸時代の禅僧で白隠というのがいて「片手の音声を聞け」なんて考案を出したらしいんですが、その元ネタの空海の「片手では音は出せないから他者とのコミュニケーションを大事にしなさい」という「有りがたいお言葉」と何が違うのだろうか?ということなんですね。

梅原さんは「政治家と宗教家との区別」といった視点を持ち出しているんですが、聖徳太子は確かに推古天皇の摂生という政治家の立場にあったんですが政治家よりは宗教家の面が強かったようなんですね。

まあ、愚按亭主の「和の文化」「日本人論」的なお考えは何らかの戦略というよりも、ただ単純にそうした見解を出している人たちを信じているといった種類のものなんだろうと当たりをつけ始めていますけど、私。

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[2834] 憲法とは何か
愚按亭主 - 2018年05月04日 (金) 18時22分

 残念ながら、私が説いていることは、まだ誰も説いていないことです。それは、日本の再生は、学問をもってすべきであり、本物の学問であるヘーゲルの復権をもって日本を再生すべき!ということです。そして、そのヘーゲルの学問から見ると、日本の人類における役割がより明確になってくる、ということでヘーゲルの国家論から日本の歩んできた歴史をとらえ返して述べてきたわけです。

 その結果、日本の良識ある人々の主張していることと重なる部分があるので、その人々の主張が正しかったことが分かっただけでなく、その人たちが主張する日本の凄さ、人類を救えるのは日本しかないという主張を、全人類が納得できる形に学問化することが必要だと説いてきたわけです。だから、そういう良識ある人たちが大勢読んでいる宮崎正弘氏のメルマガに、数回にわたってヘーゲルの復権の必要性を説いてきたわけです。

>一つに聖徳太子の十七条憲法は実際には「憲法」と呼べるものではなかったそうですね。それは後の律令制のように処罰の規定が無かったからのようです。

 現在の憲法学者と呼ばれている人たちは、憲法とは何かが全く分かっていないようです。憲法とは権力を縛るものだ、というのは歴史的な事実に囚われた現象論でしかなく、学問的な本質論といえるしろものではありません。学問的な本質論から説く憲法とは、国家の普遍性である人倫的理念をその歴史性・現実性に即して展開するものでなければなりません。これが憲法の本質です。

 その憲法の本質から見ますと、17条憲法は、実に優れた国家の理念を見事に表した人類初の憲法です。そして何よりも、その理念は日本の国家の歴史に脈々と受け継がれてきていることが、その普遍性を見事に証明しております。

 また17条憲法は役人の心得のようなもので、一般国民向けのものではない、という意見もあるようですが、これも当たりません。何故ならその後の歴史がそれを証明しているからです。
 
17条憲法の第二条は次の内容となっています。

第二条:二にいう。あつく三宝(仏教)を信奉しなさい。3つの宝とは仏・法理・僧侶のことである。それは生命(いのち)ある者の最後のよりどころであり、すべての国の究極の規範である。どんな世の中でも、いかなる人でも、この法理をとうとばないことがあろうか。人ではなはだしくわるい者は少ない。よく教えるならば正道にしたがうものだ。ただ、それには仏の教えに依拠しなければ、何によってまがった心をただせるだろうか。

※ここは、仏教をヘーゲルの学問に置き換えて、学問・真理・学者にすれば、そのままヘーゲルの国家第一主義の土台となります。

 そして、壬申の乱から平安遷都までの間の天武系の天皇の治世では、この17条憲法の精神から、仏教の寺が全国に建立され、仏教が一般にも積極的に流布されて、大仏の建立への寄付は一般蘇民からも多く寄せられたそうです。これが、17条憲法が本物の憲法だったことの何よりの証明となるものです。

 17条憲法に処罰の規定がないことをもって、憲法でないという主張は、本末転倒です。憲法は、本来国家の理念を説くものですから、処罰の規定などあってはならないのです。そんなものは個別的・現実的な法に任せておけばよい問題です。それに、この17条憲法は、もともと日本の社会に存在していた共存共栄の精神を、国家の理念として明文化したものですから、処罰などありえないのです。罰が怖いからやらないのではなく、国民はこうあるべきだからこう生きるという道を説くのが憲法であるべきだからです。

>梅原さんは「政治家と宗教家との区別」といった視点を持ち出しているんですが、聖徳太子は確かに推古天皇の摂政という政治家の立場にあったんですが政治家よりは宗教家の面が強かったようなんですね。

 聖徳太子は、強大な軍事国家である隣国隋の煬帝に対して、「日出処の天子、日没処の天子に書を送る恙無きや」という独立自尊の気概を示して日本の独立自尊の国家としての扉を開いた偉大な大王であり政治家であって、宗教家ではありません。

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[2835]
質問者 - 2018年05月05日 (土) 15時46分

>日本の再生

そうでしたか、それが「他国よりも如何ばかりに日本が優れている」という論調の愚按亭主の発言になるわけですね。

私、日本人の誇りは個々人がどれだけ充実した日々を過ごしたかにあるように思われて、祖先が海外の人よりも優れていた、勝っていたという話からは出てこないように思われるんですね。まあ、それも私が齢を重ねてしまった中年だからかも知れませんし、自分を棚にあげて所属の組織や先輩を鼻にかけるのも見苦しく感じる慎みからかも知れませんけど。

もっとも、まだ年端もいかない幼少期の子供ならば毎日どれだけ努力したかを己に問わせるよりも所属の共同体の優秀さを聞かせ続けたほうがモチベーションが高まるのかも知れませんし、そこは私の未知の領域としてはおきたいと思います。

それで、私の聖徳太子に関する理解も学び始めたばかりで一知半解ですから、私の発言から著者の梅原猛さんの著述が誤解されないことを願います。

愚按亭主が挙げた聖徳太子の煬帝への国書を「日本の独立自尊の気概」と受け止めるのも如何なものでしょうか?確かにネット検索なんかすると他国が隋に冊封体制下に置かれたのに対して日本が、そして聖徳太子は対等の関係を求めたのだと解しているのがありますが、実際にはその後の遣隋使、遣唐使が一方的に仏教文化を摂取するばかりで隋や唐が日本に文化を学ぼうとすることは、無かったでしょう?

それで対等な外交といえるのか?と思うわけですが、隋の煬帝には新羅や百済、高句麗との和平や戦争に備えて日本との関係をどうしたいという国際的な戦略があったようなんですね。

だから聖徳太子は煬帝への親書に「菩薩天子」と書いた。独立自尊の気概をわざわざ遣隋使を派遣して煬帝に示す必要なんかないわけですし、仏教を学ばせて欲しいというお願いだったわけですから。

私、愚按亭主を初めとした「欧米を非難して日本人論を咲かせる和の文化論」に、「日本はこれこれだが欧米はこれこれ」みたいな違和感を感じて、追っていったなら出所はやはりアカデミックなところみたいなんですね。

シュペングラーの「西洋の没落」だとかルース・ベネディクトの「菊と刀」みたいな。いわゆる文化人類学だとかの「文化の型(style)」だとか「文化の類型(pattern)」だとかを問題としてる。

でも、こういうのって「歴史学」ではありませんし、例えばベネディクトのような日本人は恥の文化、欧米人は罪の文化とかいった理解で精神患者のカウンセリングだとか出来ないと思うんですね。文化人類学だとかの価値を貶めるつもりは毛頭ないんですが、適切な領域が明らかに違う、棲み分けが必要ではないか!みたいな。

だから愚按亭主のように「欧米は奴隷化の世界で日本は共存共栄の世界」とか類型化しても、そんな現実は無いわけで。確かに日本の茶道とかの「おもてなし」というか、如何に他者を思いやるかという「道」の思想は大事なんですが、それが欧米には全く存在しないかの如くデフォルメするのも如何なものかな?と。

まあ、愚按亭主の言う「国家中心主義」で「国益」ということで想像したならば、「海外とは一線を画す日本文化」という触れ込みで聖徳太子の偉大性を謳うことは関西にあり法隆寺やら正倉院だとかの世界遺産へ足を運ぶ海外の人たちを増やすことに繋がるかも知れませんし、それは観光資源の有効活用→経済活性になるやも知れませんし、日本の文化的貢献という外交面での役割をも担う話かも知れません。

ですが、なぜか愚按亭主の場合はそこから日本を離れてヘーゲルへとドイツへ行ってしまうわけですから、私が考える「日本の海外への文化的貢献」とは道を違えてしまうわけですが…。





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[2836]
質問者 - 2018年05月05日 (土) 16時19分

愚按亭主は「独立自尊の気概」だとか「主体性」といったキーワードでご自分のストーリーを構成していきたいのだという気持ちは多少なりとも私にも理解できてきたわけです。

ネット検索すると当時の隋は他国と冊封関係を構築していたなかで聖徳太子だけは「日出ずる処の天子より」と対等な関係を主張したなんて説いているものが多いですが、その後の史実から見ても日本は遣隋使や遣唐使で一方的に仏教文化を輸入してるだけで中国側が日本に文化を学びに来たことは無かったみたいなんですね。

では何故に隋の煬帝は日本の遣隋使を許可したかというと、当時の新羅や百済、高句麗なんかとの和平や戦のために日本との関係をコントロールしておきたかったからみたいなんです。

大体、愚按亭主の言うような独立自尊の気概をわざわざ他国に行って国書で示す必要はないわけで、要は「仏教文化を輸入させて下さい」とお願いしにいった親書だったわけでしょう。

今回、私も調べ始めて驚いたのが幕末から明治にかけて日本が欧米と国交を樹立するために野蛮人から文明人に飛躍することを求められたのと同様に、古代において聖徳太子らは隋と国交を樹立するために野蛮人から文明人に、国体を隋に比肩しうるものに飛躍しなければならなかってわけなんですね。

それが十七条憲法や冠位十二階だったわけで。

「主体性」や「独立自尊」というよりも、現代においてもお付き合いしようと望む相手から自分に相応しい人間になることを求められるが如き対人関係論として考えるべきものなんでしょう。




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