カウンター 弁証法の基本とはーなぜエンゲルスの弁証法では駄目なのか? - 談論サロン天珠道
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[2776] 弁証法の基本とはーなぜエンゲルスの弁証法では駄目なのか?
愚按亭主 - 2018年02月24日 (土) 09時09分

 ヘーゲルは、それまでのあれかこれかの静止体の弁証法の論理学の判断破壊を通じて、あれもこれもの運動体の弁証法を創り上げましたた。そして私は、これまで、そのあれもこれもの矛盾の論理こそが弁証法の基本だ、との主張してきました。これに対しては、当然次のような反論が予想されます。

 「弁証法はどういう科学か」にも、あれもこれもの直接性の説明があるではないか!それが無いというのならともかくも、あるのにどうして無いかのように批判するのか?それは、誤解に基づく見当違いの批判ではないのか!

 この批判は、たしかにもっともな批判であり、その気持ちもよく分かります。ただ、云わせてもらいますと、まさにこの批判こそが、ヘーゲルの弁証法が全く分かっていないことを示す証だと云えます。と云いますのは、ヘーゲルは「真理が手につかみ得るものであるかのように考える考え方を斥ける必要がある。」と述べているからです。ですから真理としての弁証法の基本は、事実から相対的に独立した思惟の運動として、技化しなければならないのです。このことは、南郷先生ご自身が、かつて空手の基本技の修得上の秘訣として、空手の基本技は、真剣勝負から相対的に独立した形で、最高の技を創りうる環境にて行わなければならない、と力説されていたのとまったく同一の論理に他なりません。だからゼノンの詭弁と称されている論理を事実レベルで考えてはならないのです。

 ところが「弁証法はどういう科学か」の中で説かれている、あれもこれもの直接性の説明は、事実レベルの論理でしかありません。ですから、当然、南郷先生はその論理を事実で考えて自分のものにせよと指導しています。たとえば、その中で例として挙げられている、歯車と回転とが、あれもこれもの直接性だとする論理で、どうして運動が生じるでしょうか?ありえないことです。これは、運動しているという現象の単なる説明でしかないからです。これが、南郷学派が説くあれもこれもの実態なのです。

 これに対して、ヘーゲルの説くあれもこれもの直接性は、事実レベルでは決してなく、全体性・普遍性の論理レベル、すなわち思惟レベルで有と無の矛盾、動と止の直接性、つまり、、有即無や動即止が運動の、矛盾の論理構造だとして説いてあるのです。実際、そこのところをヘーゲルは、どのように説いているのかを見てみましょう。

「(1)まだ何もない〔無がある〕が、何かが生ずべきである始元は純粋な無ではなくて、何かがそこから発生するはずの無である。それ故に有もすでに始元の中に含まれている。それ故に始元は有と無との両者を含んでおり、有と無との統一である。――云いかえると始元は同時に有であるところの非有である。また同時に非有であるところの有である。

(2)次にまた、有と無とは始元においては区別されたもの〔ちがったもの〕として存在する。というのは、始元は〔それ自身すでに〕何か他のものを暗示しているものだからである。――始元は或る他のものである有に関係しているところの非有である。始まりつつあるものは、まだない。それは、まず、有を目がけて進む。それ故に始元は非有に別れを告げ、非有を止揚するものであるような有を、非有に対立するような有を含んでいる。

(3)しかし更にまた、始まるところのものはすでに存在するとともに、それはまた存在しない。それ故に有と非有という対立するものは、この始まりの中でそのまま合一している。云いかえると、始元は両者の区別のない統一である。

 こういうわけで、始元の分析から得られるものは、有と非有との統一の概念〔即ち一種の有〕――もっと反省的な形式で云えば、区別のあるものと区別のないものとの統一、或いは同一性と非同一性との同一性の概念だと云ってよい。この概念は絶対者に関する最初の最も純粋な、即ち最も抽象的な定義と見てよいもので――一般に絶対者の定義の形式とか、名称とかが問題になるとすれば、実際この概念こそそれだといってよかろう。この意味で、この抽象的な概念が絶対者の最初の定義であるように、すべての更に進んだ規定や展開は、ただこの絶対者の一層規定的な、また一層内実的な定義に過ぎないものと見られよう。」(大論理学上巻の一より)

 このように物質の運動の始元の矛盾・論理を説くことこそが、弁証法の基本でなければならないのに、「弁証法はどういう科学」では、この始元の問題を、有のみの物質の永遠性を主張する唯物論と、絶対無から観念の力によって有が生み出されたとする観念論とに、始元における運動の基本的矛盾構造を解体・破壊し、あれかこれかの対立構造に分断した上で、唯物論のみが真理だとえこひいきしているのです。このような非弁証法的な死んだ論理学を、どうして弁証法の基本とできるのでしょうか?

 ヘーゲルは、その運動の基本的な矛盾である、有即無から生成と消滅の論理構造までをも引き出し、発展させてくれているのです。曰く。

「2、成の二契機〔生起と消滅〕
 成、即ち生起と消滅とは有と無との非分離である。それは有と無とを捨象する統一ではない。むしろ、それは有と無との統一として、こういう規定的な統一であり、云いかえると、その中には有も無も共にあるような統一である。しかし、有と無との各々がその他者と非分離のものである以上、そこには有も無もない。つまり、両者がこの統一の中に有るにしても、消失するものとしてあるのであり、止揚されたものとしてあるにすぎない。両者は、はじめに両者がもっと考えられた独立性から契機に、即ちいまもまた互に区別されてはいるが、しかし同時に止揚〔否定〕されているような二契機に落とされる。

 この両契機の区別という点から見ると、各々の契機はこの区別の中にありながら他方のものとの統一という形である。それ故に成は、有と無との各々がそれぞれ有と無との統一であるような二つの統一として、有と無とをその中に含んでいる。一方の統一は直接的なものとしての有であり、他方の統一も直接的なものとしての無であるとともに、また有に対する関係としての統一である。その意味で、二つの規定は共にこういう統一でありながら、不等な価値をもっている。

 成はこうして二重の規定をもつ。一方の規定においては無が直接的なものとしてあり、
即ちこの規定は無から始まり、この無が有に関係する。即ち無から有に推移する。これに反して他方の規定においては有が直接的なものとしてあり、即ち規定は有から始まり、その有が無に推移する。――即ちそれは生起と消滅である。

 この両者は同じもの、即ち成であるが、またこのような互にちがった方向を取るものとして互に浸透しあい、相殺しあう。一方の方向は消滅であって、有が無に推移するが、しかしまた無は自分自身の反対であり、有への推移であって、即ち生起である。それで、この生起は反対の方向を取るものであって、ここでは無が有に推移するが、しかし有はまた自分自身を止揚するのであって、むしろ無への推移、即ち消滅である。――両者は単に相互的に相手側を、即ち一方が外面的に他方を止揚するのではない。むしろ各々はそれ自身の中で〔即自的に〕自分を止揚するのであり、しかもそれ自身において〔対他的には〕自分の反対となるのである。」(「大論理学」第一巻の上、有論より)

 このように有と無との統一としての成にも二重構造があって、その循環によって生起から消滅へ、また消滅から生起への無限的循環の論理が存在することを、ヘーゲルの学問的思惟がつきとめてくれているのです。したがって、われわれはこの見事な思惟の働かせ方を、真の弁証法の基本として学び、これを観念的な技として徹底的に技化して、自らの思惟力としなければなりません。現実との格闘は、その基本技が自分のものとなってから取り組むべきです。

Pass

[2781] 南郷先生の弁証法の現象論的な修得法の無茶苦茶さを論ず
愚按亭主 - 2018年03月13日 (火) 22時57分

 南郷先生は、弁証法をモノにする方法を、「学城16号」の中で以下のように具体的に論じて、ヘーゲルはこれを真面目にやらなかったからダメだったのだ!と自信たっぷりに断言しています。

「ゼノンの弁証法を単に知識として知ることではなく、この内実はアリストテレスの文言によってこそ、学びうるだけに、ここを実地に実践しえた後に、プラトンの弁証法たる合宿生活レベルの闘論を飽くことなく修練し、そしてそこからアリストテレスの弁証法の実際を原典の事例の一つ一つを理解すべく説き続ける実力を把持した後に、中世のトマス・アクィナスなどの、いわゆる弁証法の学習たる『哲学的証明法(討論法)』の長所・短所をふまえる学習をなすという、以上の学的弁証法の成立過程を論理的に学びとっていくことが必須だからである。
 だが、である。この大切なことを大ヘーゲルはどういうわけか、簡単に通過するだけで、論文として表現することがなかったのである。」(「学城16号」まえがきより)

 まずはじめにはっきりと断言しておきます。この南郷先生の学習法では、何年たっても本物の弁証法はものにならず、骨折り損のくたびれ儲けに終わることは目に見えております。南郷先生は「以上の学的弁証法の成立過程を論理的に学びとっていく」とありますが、南郷先生がここで書かれている内容は、いささかも論理的ではなく、事実論・現象論的に学べと言っているにすぎません。

 ここに書かれているのは、空手にたとえて言えば、昔の個性的達人の技を全部できるようにせよ、といっているようなものです。たしかに基本技は、それらの達人の技に貫かれている一般性をもっと最高の技の形として限定的に一つ設定して、それを基本技として修練するというものです。これは南郷先生ご自身が創り上げた論理だったはずです。

 ところが、その南郷先生が、過程的に存在した多彩で個性豊かな達人の技群を、一々全部事実的・経験的に体得してしてできるようにしなければ、本物の達人にはなれないと宣っているのです。だからそれには長い期間を要することになると、たしかにこれでは時間がかかるはずです。ところが、これではいくら時間をかけても、はたして本物の技ができ上るのかどうか疑問です。

 その南郷先生も、「学城5号」の瀬江先生による「南郷継正〔武道哲学講義〕のヘーゲル論は何を説くのかー主題は学問構築のための過程的構造論である」の中で紹介されているように、はじめは至極まともで正当な学問の体系化論・上達論を述べていらっしゃいました。

「だからこそ、まずは一般性的論理能力としての実力、すなわち弁証法的実力なのでありさらにそこから具体性たる対象の構造に分け入るための、弁証法的実力の養成が必要なのである。ここで二つの弁証法がでてくるのを、不思議に思う諸君もいるかもしれないが、多数の諸君にとってはこれは常識のはずである。一般静的論理能力としての弁証法の実力と、構造性的論理能力としての弁証法のことだと、誰にでもわかって良いはずだからである。つまり、二つの弁証法の実力が、学問とか理論とかには不可欠なのである。」(「全集第一巻」南郷継正著)

 そして、瀬江先生はこれに対する注釈として次のように述べております。
「ここで『一般性的論理能力としての弁証法の実力』と、『構造性的論理能力としての弁証法の実力』が、学問構築に必須であると説かれているのであるが、これは、『学問としての弁証法の学びの過程では、細かな事実にとらわれては駄目になる』との見出しd展開された内容をふまえてのものである。・・・(中略)・・・
 つまり、古代ギリシャの哲学者達が対象とした事実とは、、現代の中学校の教科書が扱っている事実にはるかに及ばないものであったのであり、しかもその構造形態に分け入る実力はなく、現象形態を見てとる実力しかなかったのであり、その一般性レベルを上限とした弁証法の実力であったのである。逆からいえば、古代ギリシャにおいては、そのように現象している確かな事実のみを対象としたからこそ、その一般性レベルを、正しく把握することができたのである。・・・(中略)・・・
 それなのに我々は、対象の事実の一般性をみてとる実力のないうちから、実力にあまる細かな事実をかかえこんでしまうので、一般性を把握する実力、すなわち弁証法の実力がいつまでたってもつかないということになってしまうのである。
 そこで本講義には、次のような文句が記されている。

『だからこそ、学問レベルでの弁証法を学びとろうとする諸君のばあい、弁証法とは、アバウトなもの、おおよそのもの、すなわち一般性のものであり、ほとんど具体性のないものとして学びはじめることが大切なのだと、十分に納得してかからなければならないのである。したがって、弁証法を学ぶときには、細かいものをやってはならないのであり、その学びに適当なもの〔具体的な事実レベル〕を勉強しなければならないことになる。』」(「学城5号」瀬江論文)

 これはおおむね正しいといえます。しかし、南郷先生はここで止まってはならなかったのです。ここから、なぜ細かな事実でなく大まかに事実でなければならなかったのか?お得意の認識論で、その意味をよく考えてみるべきでした。そうしたならば、古代ギリシャの哲学の学びと近代における哲学の学びの違いの意味が良く分かったはずであり、『その学びに適当なもの〔具体的な事実レベル〕を勉強しなければならないことになる。』とはならなかったはずだからです。

 南郷先生は、ヘーゲルの「精神現象学序論」の中の弁証法的思惟の修得過程に関する文章を二つ取り上げて、論評しておりますので、どういっているのか見てみましょう。

「古代のおける学習の仕方と近代におけるそれとは、次の点で異なっている。前者は、自然物的意識を本来の意味で形成してゆき、教養をまっとうすることであった。自然的意識は、自分のあらゆる部分にかんして、ことさらに自分を試み出会うものすべてについて哲学することによって、徹頭徹尾、実地にきたえられた一般性へと自分を作り上げていった。」
「教養とは、精神が、実体的な生活の直接性から脱し、形成されてゆくことである。それが何にはじまるかといえば、一般的な原理や観点についての知識を獲得し、まず、ことがら一般の思想という場面へ自分を引き上げることである。そして、それらのものを支持するにも、反対するのにも理由をあげ、具体的で豊かな内容の充実に対し、それを明確に規定してとらえ、それにかんする整った報告とまじめな判断を与えうるようにならなければならない。教養のはじめは、いつもこれらのことに置かれるべきであろう。しかし、この最初の段階は、次にはやがて、充実した生の厳しさに席をゆずり、ことがらのそのものの経験へ引き入れられることになる。そして、そこへさらに、ことがらの深みに徹する概念的把握のきびしさが加わってきたとき、さきのような知識や評価は、議論のなかで、それぞれ適当な位置をもつことになるであろう。」

 このヘーゲルの二つの文章に対する南郷先生の論評は次の通りです。
「ヘーゲルは『教養とは、精神が、実体的な生活の直接性から脱し、形成されてゆくことである』というが、これはどういうことかというと、日常生活のなかで普通の人間が獲得していく人格であり、実力であり、教養のありかたである。
 それにたいして、その次の『一般的な原理や観点についての知識を獲得し、まず、ことがら一般の思想という場面へ自分を引き上げることである』というのはレベルが違うということがわかるであろう。だからヘーゲルは、古代ギリシャ時代の学問形成過程が前者であり、そこを起点として、現代ドイツでは一般性レベルではなく、こういう思想性の高みまでもっていかなければならない、といっているのである。
 その勉強の中身とは、現代における学的発展のすべてを自分の実力にしなければならない、と説くのである。」

 この南郷先生の誤りは二点あります。一つは、南郷先生は近代の学び方として後者の引用を挙げていますが、比較として挙げられている近代の学び方は、古代の学び方の直後に続いて説かれているのですが全く無視されています。じつは、ここに挙げられているものは、全く別物の、学び方から使用過程そして最終的に概念の労苦にまで至る全過程を説いたものです。

 次に二つ目の誤りは、「教養とは、精神が、実体的な生活の直接性から脱し、形成されてゆくことである。それが何にはじまるかといえば、一般的な原理や観点についての知識を獲得し、まず、ことがら一般の思想という場面へ自分を引き上げることである。」をレベルの違う二つの過程に分けて、前者をギリシャ哲学の過程、後者をドイツ哲学の過程としたことです。しかし、それは南郷先生の思い込みで、ヘーゲルはそんなことは言っておりません。

 この南郷先生の説明に、弟子たちは本当に納得したのであろうか?瀬江先生の論調を見ると全く疑問を感じていないどころか、もの画期的な説明だと思い込んでいるフシが見受けられます。この南郷先生の説明だとヘーゲルの説く「教養」とは「日常生活のなかで普通の人間が獲得していく人格」だそうです。この教養論は一般の常識的な教養論にも及ばないほどの駄論です。そんな教養論を学問の最高峰のヘーゲルが言うはずがない、とどうして思わないのか?不思議です。

 なぜ駄論になってしまったかと云いますと、ヘーゲルの言う「直接性から脱し」の意味が全く分かっていないために素通りして、肝心なその部分を無視して解釈してしまったからに他なりません。この「直接性」とは、実体的な生活の直接性と云うことですから即自ということです。その即自から脱して・離れて媒介的な対自へと移行して形成するものとは、対自的理性であり、具体的にはギリシャ哲学のパルメニデスの「世界は一にして不動」を起点とする絶対的真理を追究する哲学の思惟の発展過程の歴史を論理的に追体験すると直接に、その思惟能力を自分のものとすることが、すなわち教養の中身なのです。

 ヘーゲルはそのように一般的に説いておいて、その構造を次に説明しているだけなのです。だから「それが何にはじまるかといえば」と構造論の説明となる導入の句を続けているのです。つまり、前者も後者も同じものだということです。ヘーゲルが近代の学び方として前の引用に続けて説いているものは以下の通りです。

「これとちがって近代になると個人は、抽象的形式がすでにできあがっていることを目の前に見ている。この形式をつかんで自己のものとしようとする努力は、内的なものをそのまま駆り立てることであり、普遍的なものをそのまま切りとってとり出すことであって、具体的なものから、多様な定在から一般的なものが出現することではない。
 そこで今われわれがすべき仕事は、個人を直接的な感覚的な在り方から純化し、思惟された実体、思惟する実体にするという点に在るのではなく、むしろそれとは反対の点に、つまり、固定し規定された思想を止揚して一般的なものを実現し、一般的なものに精気を与える点に在るのである。」

 と、このように、古代ギリシャの哲学者のやったのと同じことをやれという南郷先生の云う事を、きっぱりと否定しているのです。つまり、基本技が確定した後は、基本技の生成過程から繰り返す必要はなく、出来上がった基本技に魂を吹き込むことに専念せよ、というのです。どちらが、南郷式技の上達法の理にかなっているのでしょうか?私はヘーゲルの方に軍配を上げたいと思います。


 余談ですが、日本の歴史において教養熱が沸騰したのは、西洋の学問・文化の吸収期であった大正時代です。その時代にはやった言葉が「デカンショー」だったそうです。これは、デカルト・カント・ショーペンハウエルの略語だそうです。また、その時代にマルクス主義も大流行します。では、ヘーゲルはどうしたと思われるかもしれませんが、しっかりと研究されておりました。その成果が、西田幾多郎の西田哲学です。これはヘーゲルの哲学を自分の言葉で叙述したものですが、なかなかのレベルにあると思います。自分の言葉になっているところが凄いと思います。たとえば、

「いずれの国家民族も、それぞれの歴史的地盤に成立し、それぞれの世界史的使命を有するのであり、そこに各国家民族が各自の歴史的生命を有するのである。

 各国家民族が自己に即しながら自己を越えて一つの世界的世界を構成すると云うことは、各自自己を越えて、それぞれの地域伝統に従って、先ず一つの特殊的世界を構成することでなければならない。『グローバルな世界』への扉を開く鍵は『ローカルな世界』の中に隠されている 」(「西田幾多郎哲学論集V」論文『絶対矛盾的自己同一』より)

 これはまさに現代の問題を喝破したような凄い内容です。なんでこれがもっと注目されないのか、と思います。

 

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[2782] 南郷先生の志の成就を阻み論理の崩れをもたらしたものは何か
愚按亭主 - 2018年03月14日 (水) 18時07分

 私は前の論稿で、「学城5号」の南郷先生の文章を引用して、次のように述べておきました。すなわち

「だからこそ、まずは一般性的論理能力としての実力、すなわち弁証法的実力なのでありさらにそこから具体性たる対象の構造に分け入るための、弁証法的実力の養成が必要なのである。ここで二つの弁証法がでてくるのを、不思議に思う諸君もいるかもしれないが、多数の諸君にとってはこれは常識のはずである。一般性的論理能力としての弁証法の実力と、構造性的論理能力としての弁証法のことだと、誰にでもわかって良いはずだからである。つまり、二つの弁証法の実力が、学問とか理論とかには不可欠なのである。」(「全集第一巻」南郷継正著)

>これはおおむね正しいといえます。しかし、南郷先生はここで止まってはならなかったのです。ここから、なぜ細かな事実でなく大まかに事実でなければならなかったのか?お得意の認識論で、その意味をよく考えてみるべきでした。

 これはどういうことかと云いますと、「一般性的論理能力としての弁証法」とは、全体性としての本質的論理の絶対的真理の弁証法のことであり、「構造性的論理能力としての弁証法」とは、部分性としての事実の論理の相対的真理の弁証法のことだということです。したがって、全体性としての本質的論理を導き出すためには細かな事実ではなく大まかな事実によって、絶対確実な元となる本質的な論理をしかり創ることが重要で、それをなしたのが古代ギリシャ哲学であり、一旦それが出来上がると、その本質的な論理を基点として、思惟による観念論的な全体性の論理の発展がはかられることになります。これが19世紀のドイツ哲学までの哲学の歴史となります。

 次に、「構造性的論理能力としての弁証法」すなわち「部分性としての事実の論理の相対的真理の弁証法」の場合は、細かい事実にぴったりと寄り添って、その中身を良く知っていないと、複雑な要素が絡み合った事実に誤魔化されてしまいかねませんので、唯物論の立場に立って先入見を排して、事実そのものの中から論理を浮かび上がらせる論理能力が要求されることになります。歴史的に見て、この構造性的論理能力としての弁証法は、観念論的な一般性的論理能力としての弁証法が完成した後に、その応用として構造論の分野に浸透していったもので、それは南郷先生によって開拓されたといっても過言でゃないと思います。

 そして南郷先生は「『ヘーゲルの目標(学問の体系化ー筆者)の高み』をほぼ達成できるところまできた現在、ヘーゲルがめざした学問とはいったいなんであったのか、なぜヘーゲルはそれをなしとげることができなかったのか、そしてそこをふまえて、私たちが学問を体系化するとはいかなることなのかを、『精神現象学 序論』を読みとくことによって、明らかにしていきたい、ということである。」と述べて、体系化に取り組んでいますが、今のままではまず不可能です。

 それは何故かと云いますと、観念論を否定しているからです。南郷先生は、観念論を否定しているために、ヘーゲルの絶対理念がなんであるのかを説くことができず、ヘーゲルの学問体系も見えず、自分自身が規定した一般性的論理能力としての弁証法の実態も分からず、それこそが弁証法の基本技であるということにも気づいていないのです。

 南郷先生は「弁証法的唯物論と唯物論的弁証法から『絶対精神』の構造は解かれなければならない」と唯物論を強調していますが、瀬江先生は、その理由を「ヘーゲルが絶対精神の自己運動としてとらえようとした学問体系は、まさしく観念論の立場に立ったものであるからである」と述べています。

 しかしながら、なぜ観念論では駄目なのかについてまともには説けていないのです。挙げられているのは、ヘーゲルの就任演説において精神の偉大さに扉を開かないものはないと、南郷先生の大志と教育の重要性を説いた論文との比較で、教育によって認識が発展する構造がない観念論は間違っているという指摘。
 次に、認識を唯物論では像と捉えるが、観念論では実体と捉えるという違いがあり、唯物論の方が正しいという指摘。
 最後に、学問とはについて、南郷先生が唯物論的な規定と、ヘーゲルの立場に立っての観念論的な規定を比較すると唯物論的な規定の方が正しいとする指摘があります。

 しかしながら、この指摘は、ヘーゲルの唯物論と観念論との統一としての絶対観念論の立場に立ってみますと、皆ひっくり返ってしまう程度のものでしかありません。
 たとえば、ヘーゲルの就任演説に関して言えば、人間の精神が、この世界の絶対的本質がその姿を現したものにほかならないが故に、全てのものを知り尽くすことができる、ということを強調することの方が、より本質的であり、大志をもって学習することの大切さを説く構造論的な説明よりも、心に訴えるものが全然違ってきます。

 また、観念論は像を実体と見るという問題について云いますと、そもそも人間の論理的認識の前身である遺伝子は、その論理性を現実性・実体性として表現していたものですが、人間の認識はその遺伝子が像化したものにほかならず、像か実体かの区別は、大きな観点から見ますと、あまり意味をなしません。直接性と媒介性とは同一だということです。像を主体として見れば、その像は実体化しますし、像を客体として見れば、影ということになります。そのように条件によって融通無碍に使いこなすことこそが、対象を深くとらえる学問にふさわしい立場と言えましょう。

 最後の学問とは何かについての文章は、具体的に提示してから論じていきます。
「学問というものは、自然・社会・精神として存在している現実の世界の歴史性、体系性を観念的な実体の論理性として構築し、その内実の歴史的構造性を理論レベルで体系化することである。・・・南郷継正

 学問とは、客観的精神の実体レベルでの発展形態である自然から社会へ、そして社会から精神への歩みを、主観的精神の絶対精神から絶対理念までの発展的自己運動としてとらえ返して体系化することにある。(へーげるが哲学を完成していたら書いたであろう概念規定)」

 まず、この南郷先生がヘーゲルになりきって書いたという学問の規定は、残念ながらヘーゲルの意とする肝心な点が書かれておりません。それに、南郷先生自身の唯物論的な学問の規定は、たんなる学問の構造的な説明に過ぎません。学問の本質が説かれていないということです。それを捉えるのは、唯物論では無理なのです。絶対観念論でなければ、それを捉えることは不可能だということです。では、学問の本質とは一体何でしょうか?それは、物質が己自身について対自的に論理体系として把握・自覚することであり、時代の本流としての人間の精神が、その学問をもって己自身すなわち世界を目的意識的に新たに創造していくという形で時代の発展を主導する要となるものであるということです。

 以上のように、唯物論のみでは学問体系を構築することは不可能なのです。そればかりか、ヘーゲルの学問を唯物弁証法と弁証法的唯物論をもって改造することは、折角のまともなヘーゲルの学問を壊してしまう以外の結果を得ることは難しいのです。南郷先生は、ヘーゲルは哲学とは何かを説くことから逃げた、と仰っていますが、ヘーゲルは、哲学は絶対知・絶対的真理を追究するものだと、明確に規定しております。そして、実際に「精神現象学」でそれを実行し、しっかりと絶対知・絶対的真理を掴んでいるのです。

 ところが、南郷先生も瀬江先生も「このように『自然を意識』していき、『意識を意識』していくことが、まさしくヘーゲルの立場に立った学問の体系化の過程となるのであるが、これはあくまで南郷継正が言語化したことであり、残念ながら、当のヘーゲルにはここまで明確に捉えられてはいなかったであろう。そうでなければ『精神現象学 序論』で、あれほどウダウダとわかりにくく書くはずがないからである。」と、その意味がまるで理解できていないことを吐露しているのです。だから、ヘーゲルの学問の体系がどういうものか全くわからず、結果として、ヘーゲルには体系などないという極端な結論を出さざるを得なくなってしまったのです。したがって、ここで説かれているヘーゲルの体系なるものが、ヘーゲルが実際に説いている学問の体系と全く別物であることすら分からないで、ヘーゲルが説けなかったものを代わりに説いてやった、などと嘯いていられるのです。

 ヘーゲルが「精神現象学」で行ったことは、それまでの思惟の哲学・論理学を、徹底的に批判しつくし、壊しつくすことによって、新たな運動発展する絶対知・絶対的真理の弁証法を創り上げたことです。したがって、ヘーゲルの体系は運動発展する概念の運動そのものなのです。だから、学問の体系は動かない形而上学的な体系だと思い込んでいる、南郷先生には、まさかそれが体系とは夢にも思いもよらないことであったのです。だから、南郷先生はヘーゲルには学問体系がないと錯覚してしまったのです。

 

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[2783] せっかく頂きに手をかけながら這い上がれなかった原因は自信
愚按亭主 - 2018年03月15日 (木) 19時59分

 南郷先生は、弁証法にも一般性的弁証法と構造性的弁証法との二種類あること、また、像にも感性的像と学問的像の二重構造があることを指摘しておきながら、さらには、生命の本流の発展の論理構造として生命史観を創り上げておきながら、ついに学問の頂に上ることができませんでした。これは、まさにその頂に手を置くほどのところまで来ていながら、できなかったということです。まだ終わったわけでのないのに結論を出すのが早いのではないか、と言われそうですが、今のままでは、必ずそうなるという論理的必然性があるということです。

 では何故そこまで行きながら、その頂に上ることができなかったのかと云いますと、観念論を認めることができなかったからです。これだけ観念論を認めるに足るだけの材料がそろっていながら、認めることができなかったのは、それまでの自分の実践およびそれによって創り上げた弁証法に強烈な自信があったからです。そして、その自信によって、歴史的な観念論哲学者たちを学ぶに足るほどのことはないと低く見ていたところがあったと思います。ですからそれを真面目に学ぼうとはしていなかったと思います。

 こういうと、そんなことはない南郷先生は学問の歴史を生きたとおっしゃっているではないか!と反撃されそうですが、南郷先生が生きたのは、歴史的観念論哲学者の思惟の中身ではなく、現象的な闘論を生きただけなのです。南郷先生は古代ギリシャ哲学の弁証法とは闘論のことだと思っているから、その闘論を通じて生命史観を措定したことをもって、ギリシャ哲学を卒業した、つまり生きたと思っていらっしゃるのです。つまり、徹頭徹尾、観念論を避けたということです。その結果として、唯物論の長所であるとともに欠陥でもある、存在と思惟との分離という限界を超えるキッカケをつかみ損ねてしまったのです。

 というのは、ギリシャ哲学においては存在と思惟とは統一されたまま分離されていなかったからです。もし南郷先生が、そのギリシャ哲学の存在と思惟との統一を生きていたならば、唯物論の存在と思惟との分離は第一の否定の過程なのだ、ということが分かり、再び第二の否定をしなければならない必然性が見えたことでしょうが、観念論を否定してそれを避けたことが仇となって、存在と思惟は分離したままで結構となって、有限の世界で漂流することになって、学問の完成は夢のまた夢となってしまったのです。

 その結果、南郷先生の形而上学的な一般性的弁証法とは、本来ヘーゲル的な絶対的真理の運動体の弁証法にならなければならない、ということが分からずじまいに終わってしまったのです。
 そしてまた、同時に像における二重構造も、本質的論理を基点とする学問的像とは観念論的な論理像のことであり、感性的像とは事実を起点とする唯物論的像であって、その両者の統一がすなわち人類の像の一般性であるというように、像を学問的に論じる場合にも、観念論を認めなければ観念論と唯物論との統一として論じることもできなくなって、歪な学問になってしまいます。それが現在の南郷学派の学問の実態なのです。

 三番目の生命史観に関して言えば、折角生命の本流という概念にたどり着きながら、それが単発で終わって、その後それが全く生かされていない現実があります。おそらく対象の論理性に規定されて直観的に用いただけで、その本流の意味を真面目に考えなかったのだろうと思います。おそらく、一般性という意味まではたどり着いているとは思いますが、論理と存在とを分離してしまっている唯物論的な、弁証法とはいいながらその実態は形而上学でしかない唯物弁証法では、運動性がなく本流という運動性のある概念を使いこなせないでいるのです。これも観念論を否定する非弁証法的すなわち形而上学的な唯物論の弊害なのです。これが死んだ論理学とヘーゲルが批判した由縁なのです。

では本流とは一体何なのかと云いますと、じつは、これが絶対精神なのですが、観念論を否定しているので、分かり様がなかったと言えます。しかし、南郷先生は「絶対精神を唯物弁証法と弁証法的唯物論から読み解かなければならない」としていますので当然検討しているはずです。ところが、ヘーゲルの哲学・弁証法は絶対精神の自己運動なのだというだけで、読み解いたつもりになってしまって、肝心の「絶対精神とは何か」について明らかにしていません。おそらく、精神は頭の中にしかないので頭の中に戻してやろう、だから、それは学問なのだ程度には認識しているはずです。これは半分は正しいのですが、それでは充分ではありません。これが唯物論の限界なのです。

 では何が正解なのかと云いますと、絶対精神とは、すなわち絶対的本質のことです。南郷先生は、絶対精神と概念との違いを、「絶対精神に主体性をもたせたのが概念だ」としています。これは間違いではありませんが、それがどういうことかについては説明できていません。おそらくそれ以上説明できないのだと思います。ヘーゲルは、生命の段階以降をダイナミックな運動性を獲得した概念論の対象領域だと明確に規定しています。つまり、生命の段階以降は、自然意識的かつ概念的な論理性をもった遺伝子がその発展を主導し、さらにまた目的意識的かつ概念的な論理性をもった人間の精神が、その発展を主導的に担うということです。

 ですから、その絶対的本質が人間の精神となって学問を開花させることは、すなわち、その絶対的本質たる自分自身を思惟として客観的に把握すると直接に、絶対的的本質たる自分自身へと、存在としても回帰することに外ならないのです。これが絶対理念となるということです。ですから、学問として生命史観を説くとき、絶対的本質たる自分の過去の姿を叙述していることになるわけです。こういうとらえ方をヘーゲルはしているのですが、唯物論者は存在と思惟を絶対的に分離してしまっているので、自分が第三者になって他人事のように叙述するわけです。これでは、唯物論は事実と密着すると云いながら、まるで事実から遠く離れた観念論のようではないか、と皮肉を言いたくなるほどです。

 このように唯物論を徹底しようとすればするほど、結果的に現実から遠く離れていってしまうことになり、ダイナミックな学問的・本質的叙述ができなくなってしまうのです。そして、本質論がないために、統一した論理体系として構築することが難しくなって、論理としても歪み・崩れていってしまうのです。その結果として、かつて苦労して打ち立てた自分の論理・かつての栄光を、自ら破っているのにも気づかなくなってしまうという、悲惨な現実となってしまうのです。

 

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