カウンター 学城16号を読んでーなぜわかってくれないのか?! - 談論サロン天珠道
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[2769] 学城16号を読んでーなぜわかってくれないのか?!
愚按亭主 - 2018年02月08日 (木) 22時55分

 「学城16号」が送られてきましたので、早速読みました。それによると、ドイツではヘーゲルの見直しが始まっているようです。日本にもその支部のような日本ヘーゲル学会なるものが存在して活動しているようです。どうやらヘーゲルの復権は世の趨勢になりそうですね。心強いことです。しかし、折角ヘーゲルを復権しようと思っても、唯物論オンリーでは絶対にヘーゲルを正しく理解できないことだけは、断言できます。

 私がなぜそうなのかを丁寧に説いてきたにもかかわらず、南郷学派は相も変わらず、唯物論に固着してそこから自由になろうとしていません。その反省がなければ、どんなに威勢の良いことを並べ立てても、砂上の楼閣・蜃気楼にすぎません。つまり、骨折り損のくたびれ儲けにしかならないことは目に見えています。

 南郷先生は「学城16号」の中で、「『精神現象学序論』の具体的体系化こそが学問の道であるー日本ヘーゲル学会へのあいさつに代えて」という論稿を載せています。この中で南郷先生は、ヘーゲルを批判して、体系がない、大論理学をさきに書いたから以後のヘーゲルは学的認識・弁証法の発展がみられず、駄目になった、と述べています。そして、その原因として、まともな討論の相手がいなかった、弟子が育っていない、自分で体系的な書を書かなかった、ということを挙げています。

 この南郷先生の批判は、ヘーゲルの学問が完成しなかった、という南郷先生の思い込みを前提にして立論されていますが、そもそもヘーゲルの学問が完成しなかったという南郷先生の認識自体が誤りであるとするならば、全てが瓦解してしまう代物でしかありません。そして、その南郷先生がヘーゲルの学問体系が理解できなかったということは紛れもない事実なのです。これについてはすでに何度も説いてきていることです。 

 じつは、なぜ理解できなかったのかの謎を解くカギが、今回の論稿の中にあります。それは次の行です。
「『私の弁証法というものは、これまでの弁証法とは違うのだ』というようなことは説いても、それが今までのとどう違うのかを説くことができないでいるからである。つまり『私の弁証法は違うんだ』と宣言しているだけで、その違うという中身をヘーゲルは十分に説くことはなかった(できなかった)のである。(「『精神現象学序論』の具体的体系化こそが学問の道であるー日本ヘーゲル学会へのあいさつに代えて」「学城16号」)

 私はこれを読んで、「えっまさか嘘だろう!」と本当に思いました。ヘーゲルの言う新しい弁証法とは、カントの二律背反の命題間矛盾を、形而上学(=静止体の弁証法)的判断の破壊を通じて、命題内矛盾へと質的転換させることを通じて、これまで死んだ矛盾でしかなかったものを、その矛盾自体が生きて運動し始めた運動体の弁証法のことである、だからヘーゲルは古い弁証法のことを死んだ論理学と称していたのだ、ということがヘーゲルの書の中から読み取れないとは、南郷先生のお言葉とは思えなかったからです。

 というのは、南郷先生は、この文中で「「大ヘーゲルの文体を弁証法的に、すなわち、私の説く『背後霊』的に、もっと説けば、道筋ではなく筋道的にしっかりと説く、つまり論理体系性で文体を並び替えていくこと」である、と述べているからです。これは私自身もやってきていることであり、私自身はこれによって限りなくヘーゲルに近づいていき、南郷先生はこれによって、ますますヘーゲルから遠ざかっているのです。それは何故かと云えば、学問的立場およびその真理論において、私はヘーゲルとまったく同一の論理体系性で説いているからであり、これに対して南郷先生は学問的立場も唯物論オンリーであり、真理論も相対的真理オンリーの論理性だから、遠ざかって行ってしまう必然性があるからです。その結果が、ヘーゲルの説く運動体の弁証法が全く見えないという現象なのです。まさに、げに恐ろしきは論理性です。その論理性を徹底すればするほど、ますます大きく遠ざかってしまうことになるのです。ところが、それをヘーゲルを遠く超えたと錯覚してしまったのが、現在の南郷学派の実態なのです。

 ヘーゲルは運動体の弁証法の萌芽を、ギリシャ哲学のヘラクレイトスに見て、彼を高く評価しています。だから、大論理学の基礎となる論理は、ヘラクレイトスの「有」と「無」との統一としての「成」です。しかし、南郷先生の説く弁証法の歴史には、ヘラクレイトスのヘの字も出てきません。私は、このことをずっと不思議に思っていましたが、ようやくその謎が解けました。これが、論理性のなせるわざです。

 ヘーゲルは先に挙げたヘラクレイトスの運動体の弁証法の基礎的な論理を、「大論理学」において次のように発展させています。

「成はこうして二重の規定をもつ。一方の規定においては無が直接的なものとしてあり、
即ちこの規定は無から始まり、この無が有に関係する。即ち無から有に推移する。これに反して他方の規定においては有が直接的なものとしてあり、即ち規定は有から始まり、その有が無に推移する。――即ちそれは生起と消滅である。

 この両者は同じもの、即ち成であるが、またこのような互にちがった方向を取るものとして互に浸透しあい、相殺しあう。一方の方向は消滅であって、有が無に推移するが、しかしまた無は自分自身の反対であり、有への推移であって、即ち生起である。それで、この生起は反対の方向を取るものであって、ここでは無が有に推移するが、しかし有はまた自分自身を止揚するのであって、むしろ無への推移、即ち消滅である。――両者は単に相互的に相手側を、即ち一方が外面的に他方を止揚するのではない。むしろ各々はそれ自身の中で〔即自的に〕自分を止揚するのであり、しかもそれ自身において〔対他的には〕自分の反対となるのである。」(「大論理学」第一巻の上、有論より)

 このようにヘーゲルは非常に明確にかつ懇切丁寧に新しい弁証法の中身を、その基礎的論理を説いてくれているのに、どうして「『私の弁証法は違うんだ』と宣言しているだけで、その違うという中身をヘーゲルは十分に説くことはなかった(できなかった)のである。」などと言えるのでしょうか?その神経がどうしても理解できません。こんな論稿を、ヘーゲル学会にあいさつとして本当に送り付けたとしたら、それこそ恥をかくのは南郷先生の方だと思います。どうかヘーゲル学会の人たちの目につかないことを願うのみです。

 唯物論の論理性の筋道にのると、途端にヘーゲルの学問体系が見えなくなり、その学問体系の発展も見えなくなってしまうという事実を、南郷先生ご自身が身をもって教えて下さっています。これは学の発展にとって、とても貴重なことです。南郷先生は、ヘーゲルの弁証法を単層構造だと批判していますが、じつは単層構造なのは南郷先生の弁証法の方なのです。それが重層構造のように見えるのは、事実という対象自体が持つ重層構造なのであって、南郷先生の弁証法自体の重層構造ではないのです。そのことが分かっていないから、南郷先生が説く弁証法の歴史は単層構造になってしまうのです。つまり、これは何を意味するかと言いますと、南郷先生の唯物弁証法が単層構造だということです。その対象の構造に規定されて、南郷先生の説く弁証法の歴史は否応なく単層構造になってしまうのです、そのほかの対象を解くときは、重層構造になっているのに、何故、弁証法の歴史を説くと単層構造になってしまうのかの理由は、これなのです。

 そのことは、学問の体系化や、「概念の労苦」の理解にも大きな影響を及ぼすことになります。南郷先生は、ヘーゲルには学問の体系がない、結果として大論理学以降学的発展は見られなくなったと決めつけて、次のように言っています。「ヘーゲル自身の言葉でいえば、『概念の自己運動ができていない』ということである。」と。

 私には、どうしてそういう結論になるのかさっぱり分かりませんが、南郷先生の弁証法が唯物論的な単層構造でしかない、ということが分かると、な〜んだそういうことか、と納得できます。どういうことかと言いますと、南郷先生の概念は、悟性的な部分的事実の相対的真理の単層構造しかない論理学の概念ですので、それをいくらかき集めても、有限な部分的な概念にしかなり得ず、したがって、無限の一般的概念にはなりえないということを、ヘーゲルは明確に述べています。

 これに対して、ヘーゲルの説く概念は、無限の全体性の絶対的真理の絶対的本質の概念と、部分的な相対的真理の概念との二重構造になっています。だから、ヘーゲルの運動体の弁証法の基本構造は(三重構造的)二重構造なのです。これが、南郷先生の弁証法にはないのです。だから、ヘーゲルの概念が理解できず、したがって、「概念の労苦」も勝手に大いなる勘違いをして、単層の平板な論理化でしかないものを、ヘーゲルを超えて世界ではじめて自分が解いて新世紀を切り拓いた一大論理、と思いこんでしまったのです。

 ヘーゲルの言う「概念の労苦」の概念とは、絶対的本質の概念であって、それが部分的事実の論理・構造化された論理を、自らの体系に次々に取り込んでいって学問体系として発展していくことをいうのです。ですから「大論理学」の有論や本質論にはその「概念の労苦」を視野に入れた論理化が周到に準備されているのです。その一つが「対自有」なのです。

 ですから、「大論理学」以降のヘーゲルの学的歩みは、この「概念の労苦」が円滑に進んで行けるように、悟性的論理(事実の論理)に対して否定的媒介の主体となる対自的理性を整備していったのであって、それは学問の体系化の一環としてきちんとした歩みを続けていたことを意味します。

 その一例が国家論の本質論としての「法の哲学」です。ところが、マルクスも滝村先生も、そのことが分からずに見当違いの批判をしてしまっています。学的発展が何もないというところを見ると、おそらく南郷先生も理解できていないと思います。これでは、南郷学派の国家論は学的な国家論にはなり得ないということが、目に見えています。

 最後に、同じ「学城」の中の悠季真理先生の「研究余滴」の中の一節について、一言。その一節とは、

「結論から言うならば、これはシェーヴェーグラーなどの言うような、すべての議論に先立っての絶対的な前提とか、全ての物事の根本原理である、アリストテレス自身は考えていたわけでは決してない、ということである。
 アリストテレスとしては、ああでもないこうでもあり――と、対象とするものの事実をしっかりと見続けて考えていきながら、これはこういうものである。ということが見えてくるまで、努力して究明していかなければならないのだ、ということを主張しているように思えるのである。」(「研究余滴」)

 これは以前アリストテレスの「自然学」の中の叙述が充分整理できていないという事実から、アリストテレスの論理能力はまだ未熟であり、形而上学を著す実力はまだなかった、としていた部分に対するものです。これに対して、私は厳しく批判しておきましたが、この「余滴」は、その私の批判を裏付けるものといえます。つまり、前の南郷学派のアリストテレスに対する評価は、改められなければならないということにならなければなりません。

 以前私は、「南郷先生の『哲学・論理学原論(新世紀編ん)』を論ず」の中の[2720] 唯物論の絶対信仰が学問の歴史を破壊してしまう必然性、で次のように述べておきました。これを読むと、悠季先生が何故そう思ったのかがよく分かると思います。

「アリストテレスは思惟の運動によって対自的理性としての形而上学は完成させた上で、自らが創り上げた対自的理性としての形而上学をあえて一旦否定して、即自的悟性による事実の整理・論理化に取り組んだのです。ところが思惟の対象である天上の全体性の論理と違って、地上の事実の論理はいろいろな要素が複雑に絡み合っているために、その整理・分類・論理化が非常に難しかったために、アリストテレスの論理能力をもってしても、完成的には整理しきれなかった実態があったことを、ヘーゲルは描写したわけです。しかしながら、そのアリストテレスの試みの総体を正しく理解していた、ヘーゲルは、それでもそれは『本質的に思弁的な哲学の総体性を成している。』(「哲学史」)と評価したのです。

 ところが、このヘーゲルの言葉の意味を真面目に考えようとしないで、自分の都合の良いように解釈してしまった南郷先生は、アリストテレスの論理能力はまだ幼く形而上学を創り上げられるレベルではなかったと断言し、この解釈を基に『思弁とは論理的に体系化しようとする』ことだと頓珍漢な規定してしまったのです。」

Pass

[2770] 南郷学派の弁証法の修得過程に欠けたるものとは?
愚按亭主 - 2018年02月10日 (土) 20時13分

 南郷先生は、マルクスがどうしてヘーゲルを受け継ぐことができなかったのかについて、次のように述べています。
「大ヘーゲルの学問力を軽く見すぎて、そこを大ヘーゲルの欠陥なるものと断定して、あろうことか二十代末までに彼ヘーゲルに学ぶことをやめたために、この二人の学問力の発展が大きく阻害されていったのだ、といってよい。端的に学問力というものは、いかなる英才であっても二十代では単なる知識力の見事な発達のみであり、三十代にして、ようやく世界の状態を大きく丸ごと識ることになっていくものである。
 これは認識論としての頭脳発達論をまともに知れば、分かってくることである。だが、マルクス、エンゲルスの若さすなわち、二人の暴走的知的能力はそれを許さなかったのだと思える。
 端的には、単に資本主義社会の厳しい収奪的現実を知っただけで、「共産党宣言」と宣うことになったからである。いまだ世界の歴史を十分に学ばずして、現代を知り始めたばかりで、それで世界を識ったという錯覚に陥っていったのである。すなわち、現代(当時)の社会の欠陥のみを大きく見つめるのみで、資本主義の世界歴史レベルでの必然性の偉大さを分かる努力を少しもなすことなく共産主義万歳となっていったからである。
 そしてこの程度の実力レベルでもって、ヘーゲル哲学と『さよなら』することを決意しているからである。」
「マルクスも晩年になってようやく、大ヘーゲルの偉大さに気づくことになったものの、もはやどうにもならなかったといってよい。『だから私は、・・・・媚を呈しさえした』との次の引用文に。しっかりと目を止めてほしい。
『だから私は、私がかの偉大な思想家の弟子であることを公言して、価値理論のここかしこでは彼独自の表現形式に媚を呈しさえした。弁証法がヘーゲルの手で蒙っている神秘化は、彼が弁証法の一般的な運動諸形態を初めて包括的かつ意識的な仕方で叙述したということを、けっして妨げない。弁証法は、彼にあっては逆立ちしている。ひとは、合理的核心を神秘的外被のうちに発見するためには、それ【ヘーゲルの弁証法】をひっくり返さなければならぬ。』」(「資本論(1)」「第1版へのあとがき」)

 この中にはいくつか論ずべき問題点がありますが、総じていえることは、晩年のマルクス自身も、そして南郷先生も、一体何が原因で、マルクスはヘーゲルを正しく受け継ぐことができなかったのかについて、分かっていないということが云えると思います。それを一言で言いますと、マルクスも南郷先生も、ヘーゲルの弁証法を鼻から真面目に学ぶ気などなかったということです。

 マルクスは、ヘーゲルの弁証法があまりに高度すぎて分からなかったために、それを神秘的と称して観念論のせいにしてして、使えそうだと思ったところだけをつまみ食いして、それを逆立ちを正したと思い込み、南郷先生はそうして歪められた弁証法を学んで、それを自力で事実に適用しようとしても役に立たず苦労した挙句、やっと自分なりの弁証法的技を創り上げたのですが、それはヘーゲルの弁証法の基本技とは似ても似つかない、事実に造られた喧嘩拳法的な弁証法でしかありませんでした。

 そうだから、南郷先生がヘーゲルを読んでも、ヘーゲルの基本の弁証法が、自分の弁証法とは似ても似つかないものなので、ヘーゲルの本は全編その弁証法で説かれていることが全く理解できませんでしたが、南郷先生は自分の弁証法に途方もない自信を持っていたために、理解できなかったことを相手のせいにして、ヘーゲルの弁証法には中身が「無いためだ」という断定にすり替えてしまって、ヘーゲルは自分の弁証法を「その違うという中身を」「十分に説くことはなかった(できなかった)のである」などという、世界に大恥をさらしてしまうような、とんでもない結論を公言してしまったのです。

 では、マルクスの言うように、ヘーゲルの弁証法をひっくり返したらどうなるでしょうか?意外なことに、全く変わりません。ヘーゲルの弁証法は運動体の弁証法ですから運動性があるので、絶対的本質が上に来ようが下に潜ろうが、同じなのです。ですから、ひっくり返せば唯物弁証法になると思っていること自体が、マルクスはヘーゲルの弁証法が全く分かっていなかったことの証明なのです。なぜなら、そもそもヘーゲルの弁証法は、事実の論理である唯物論と、論理の論理である観念論との融合体としての絶対観念論の運動そのものなので、ひっくり返せば唯物論だけがポンと出てくるような代物ではないからです。

 では、どうしたらそういうヘーゲルの弁証法を、ものにすることができるのでしょうか?南郷先生は、マルクスがヘーゲルの弁証法をものにできなかった理由を、二十代で見切りをつけてヘーゲルから学ぶことを止めてしまったからだとしています。そして、それは人間の脳と認識の発達の一般性から言えることである、と自信満々に述べています。

 しかし、この理由は、現象論でしかなく、本質的原因とは言い難いものでしかありません。なぜなら、たとえ早くから自力でやることになったとしても、ヘーゲルの弁証法の基本をきちんと正しく学んでいたならば、「資本論」を自力で措定できたほどの魂と頭脳を持ち合わせていたマルクスのことですから、ヘーゲルを受け継ぐだけの実力を身につけることができた可能性は、充分にあると考えられるからです。

 マルクスがヘーゲルの学問を受け継げなかった本質的な要因は、第一に、学問の一部分でしかない科学の究明に役立つ方法的立場でしかない唯物論を、学問全体の立場であるかのように錯覚し、その錯覚を絶対的に信仰して、師のヘーゲルがその書の中で、有限な唯物論では本物の真理には到達することはできない、ということを、再三にわたって説いていたにもかかわらず、その師の本物の学問の立場である絶対観念論を、宗教的な観念論と同一視して、頭から否定してしまったことです。
 第二に、ヘーゲルの弁証法の要の論理といえるほど重要な、否定的媒介による統体止揚を否定してしまった結果として、運動体の弁証法の運動性を喪失させて、解決できな対立の固定化としての死んだ静止体の弁証法にしてしまったことです。

 したがって、マルクスが「現代(当時)の社会の欠陥のみを大きく見つめるのみで、資本主義の世界歴史レベルでの必然性の偉大さを分かる努力を少しもなすことなく共産主義万歳となっていった」のは、ヘーゲルを受け継げなかった理由ではなく、ここで挙げた本質的原因の結果的必然性なのであって、むしろそれが、ヘーゲルを受け継げなかったという事実を意味するものなのです。

 この論稿の中で南郷先生は、マルクスがヘーゲルを受け継げなかった理由を、現象論的に説明するばかりで、少しも本質的な原因を説こうとはしていません。しかし、にもかかわらず南郷先生ご自身は、おそらくは誰も説いたことのない形で、事実にもとづく認識論的な説明が史上はじめてできたものと考えているのではないかと思います。ところが私に言わせれば、残念ながらそれは、何度も言うように現象論でしかありません。南郷先生は肝心なことが分かっていないようです。ですから、南郷先生が説く弁証法をものにする道にも、肝心なものが欠けてしまっているのです。では具体的に、南郷先生はどのようにその修得過程を説いているのか見てみましょう。

 「大ヘーゲルが獲得できた学問としての実果を『わがもの』にする方法について、簡単にでも説いておきたい。これは可能ならば、『日本ヘーゲル学会』の方々の一助にでもなれば、との思いからでもある。
 大ヘーゲルの説く『学問の体系化』を成しうるには(加えて、誰もが成すことは当然、為すことすら実践しえていない。学問の初歩にとって大事な『概念の労苦』なるものを為しうるには)、つとに説いているように、十数年もの学的弁証法の実力の養成期間が必須である。
 だが、である。学的弁証法の修学には四重もの研鑽を必要とすると『学城』十三号、『学城』十四号、『学城』十五号にはっきりと説いているように、これは『学ぶは易く、為すは難行、成るはそれ以上に苦行』である。それ故、この四重の修学をはたせた人は、世界レベルで眺めてみてもまだ僅か、である。」

 ではその四重の研鑽とは具体的にどういうものかを「学城」十三号の巻頭言から引用してみましょう。

「学問の体系化を果たすには、まず第一に弁証法的な論理能力が必須となるが、そもそも弁証法的な論理をモノにできる頭脳の働きが可能となるには、次の四重もの研鑽をしっかりと積んでいく必要があることを知ってほしい。
 一は、とにかく弁証法なるものを知識としてでも、きちんと段階を踏んで学ぶことから始めることが大事である。
 その知識修得の順序としては、まずは、エンゲルス・三浦つとむ流の科学的とされる(本当は科学ではなく、法則レベルなのであるが・・・)弁証法に関わるいわゆる三法則なるものをしっかりと一つずつ理解していくことがまともなルートとなる。
 二は、この修得できた三法則なるものをそれぞれに、自らの専門的事実ではっきり分かる努力を続けることが大切なのだが、これにはおよそ、毎日続けても、三年から五年くらいの日数がかかることを知っておくべきであろう。
 三は、この三法則なるものが自分の専門的事実で何とか駆使できるようになったならば、次には、この三法則なるものの相互規定的レベルでの構造的変化(簡単な例では、良質転化と相互浸透の相互規定性を学ぶこと)をしっかりと分かる努力をなし続けることを、絶対に怠らないことである。
 四は、これら三法則なるものの相互規定的変動(構造的変化)が、いついかなる場合でも可能になるように努め、そこから、三法則なるものがエンゲルスの説く、いわゆる『弁証法とは、自然、社会、精神の一般的運動(変化)に関する法則(学)』との連関的運用が自然に(無意識的に)可能となる努力を、これまた必死になし続けることである。」

 さすが自力で事実と格闘しながら弁証法を創り上げてきた南郷先生の面目躍如たるものがある内容です。しかしながら、やはりこれでは、即自的悟性の事実レベルの喧嘩拳法的な弁証法の実力しかつかず、本来の対自的理性レベルの弁証法の実力はつかないと断言できます。それは何故かと言いますと、絶対的本質レベルの思惟能力の鍛錬過程がないからです。

 このように説くと、おそらくは次のような反論が返ってくることと思います。それは南郷先生もしっかりと説いているではないか、そこのところを良く見てみたまえ!と。では早速くその部分を見てみましょう。

「ゼノンの弁証法を単に知識として知ることではなく、この内実はアリストテレスの文言によってこそ、学びうるだけに、ここを実地に実践しえた後に、プラトンの弁証法たる合宿生活レベルの闘論を飽くことなく修練し、そしてそこからアリストテレスの弁証法の実際を原典の事例の一つ一つを理解すべく説き続ける実力を把持した後に、中世のトマス・アクィナスなどの、いわゆる弁証法の学習たる『哲学的証明法(討論法)』の長所・短所をふまえる学習をなすという、以上の学的弁証法の成立過程を論理的に学びとっていくことが必須だからである。
 だが、である。この大切なことを大ヘーゲルはどういうわけか、簡単に通過するだけで、論文として表現することがなかったのである。」

 まずはじめにはっきりと断言しておきます。この南郷先生の学習法では、何年たっても本物の弁証法はものにならず、骨折り損のくたびれ儲けに終わることは目に見えております。南郷先生は「以上の学的弁証法の成立過程を論理的に学びとっていく」とありますが、書かれていることはいささかも論理的にはなっておりません。たとえば、ゼノンの弁証法は、思惟の運動として学び取るべきもので、「実地に実践」すべきものではありません。また、プラトンの弁証法も、否定的理性として、あるいは対自的否定的弁証法的理性として学び取るべきもので、「闘論を飽くことなく修練」することなど重要なことではありません。これも現象論です。

 そもそもヘーゲルはギリシャ哲学における学的弁証法の成立過程を見事に論理化して、それを「小論理学」に書いております。私はそれを見て、自分なりの思惟によって再措定してヘーゲルの弁証法の実力を自分のモノにしたのです。ですから、私は、南郷先生への私信において、どうして南郷先生はそのヘーゲルの論理を無視するのか?と質問し、その重要性を強調した上で、その自分なりに再措定した内容を書き送りました。ところが、全く問題にもされなかったようです。それは直接に返事が来なかったのは勿論のこと、その後に出された南郷先生の本や論稿に、それが反映されているとみられるものが皆無だからです。

 この南郷先生が無視しているものこそが、本物の弁証法の修得に必須なものであり、南郷先生の修得法に欠けたる肝心なものに他ならないのです。これについては次回に詳しく論じることにします。


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[2771] 生命史観的に説く弁証法の真の意義
愚按亭主 - 2018年02月11日 (日) 19時54分

 ヘーゲルが、ギリシャ哲学の三側面として導き出した弁証法の成立過程の論理は以下の通りです。
1)抽象的悟性→否定的理性(弁証法)→肯定的理性(統体思弁)
2)即自的悟性→対自的否定的弁証法的理性→即自対自的肯定的弁証法的理性

 1)の三側面は、事実からは相対的独立に、もっぱら抽象的論理のみにて行う思惟の運動としての弁証法の成立過程を、論理的に措定したものです。

 ここから言えることは、思惟とは、ギリシャ哲学以来の哲学の分野において行われてきた、個別的事実からは相対的独立に、純粋に全体性の論理を論理的に思考するものを云います。したがって、南郷先生は「思惟」をただ単に現実世界の論理化する認識の運動というように規定しましたが、歴史的に実在した「思惟」は哲学的な全体的論理の論理化する認識の運動のことを云います。

 同様に「思弁」についても、南郷先生は思惟によって論理化された論理を体系化することだとしています。しかし、ヘーゲルが使っている「思弁」とは対立物を弁証法を使って統体止揚して統一する思惟のことをいいます。

 そして2)の三側面の方は、1)の全体性の論理が対自的理性となったものと、即自的悟性が事実から導き出した事実の論理との、互に否定的媒介を通じた統一によって学問が完成していく、その過程的構造を論理化したものです。ですから、ギリシャ哲学においては、それを成し遂げたのがアリストテレスになるわけです。そして、ドイツ哲学においては、他ならぬヘーゲル自身になります。したがって、ヘーゲルは自分の創った論理を、自分自身で証明して見せたわけです。

 このようにヘーゲルは、弁証法の技化の論理だけでなく、そのものズバリ学問の体系化の過程的構造の論理までも、弁証法を絡めて創り上げていたのですが、南郷先生は、学問の体系化に弁証法の修得は必須だとしながら、へ―ゲルのこれらの論理については、全く無視して一言も触れていません。南郷先生のこのような言動を見ると、やはり、ヘーゲルには学問の体系も弁証法の中身も何もない、と本当に思っていると言わざるを得ません。

 このように南郷先生が意識的に無視している、対自的否定的理性こそが弁証法の基本なのです。ところが南郷先生は、それを無視して排除しているから、南郷先生の弁証法には基本が存在せず、それ故、その弁証法の修得過程には弁証法の基本の修得過程が存在していないのです。

 こういうと、そんなことはない三法則からまず学びはじめよと言っているではないか?それが基本ということではないか?との疑問・反論が寄せられることでしょう。しかし、三法則は、弁証法の基本でもなんでもありません。有論レベル・事実レベルの悟性的論理でしかないからです。強いて言えば、否定の否定だけは、理性的な本質レベルの論理と言えますが、それも悟性レベルに矮小化してしまっていますので、基本とはいいがたいのです。

 本物の弁証法における普遍的な基本技の修得は、全体性レベルでの矛盾論を哲学の歴史的発展過程を踏まえて、思惟の展開として、弁証法的な思惟能力の技化として、事実とは相対的独立に取り組まなければなりません。ヘーゲルの「大論理学」では「有論」の展開は、まずはじめに、有と無との矛盾の統一としての成の生成という矛盾論が展開されます。そしてそれが定有の生成へと発展していく形で説かれています。つまり、基本に忠実に展開されているということです。

 ところが、南郷学派の弁証法の修得過程には、その弁証法の基本である矛盾論が、全く存在しないのです。これは、弁証法の基本技とは何かが分かっていないので、無理もないのです。また、南郷学派の弁証法の修得過程には、必ず闘論が入っていますが、これは弁証法の技化に何らも必然性をもつものではありません。弁証法的思惟能力の技化は、個人が個人の責任においてなすべきものです。他人に創ってもらうものではありません。このような姿勢のもとに、一定の弁証法的思惟能力の技化がなった段階において、それなりの効能が認められる程度のものでしかありません。

 その程度のものを、南郷学派はどうして必然性レベルにまでしてしまったのでしょうか?それは、ギリシャ哲学の時代の弁証法とは闘論術のことだった、という現象論の方が、唯物論の南郷学派にとって肌があったのだと思います。そして、それが西洋の大学の一教科にもなっているという事実も、それを後押ししたのだろうと思います。

 しかし、それは何度も言うように現象論でしかなく、学的弁証法の成立過程の必然性ではないのです。では、ギリシャ哲学における「弁証法」の学問的な規定とはどういうものかと云いますと、理性的思惟による悟性的常識の否定、ということなのです。アリストテレスはこの意味で「弁証法」を使ったのです。具体的に云いますと、ゼノンの詭弁と称された論理のことを、アリストテレスは「弁証法」といったのです。だから、ヘーゲルは、ここから例のギリシャ哲学における三側面における真ん中の契機を「否定的理性」と規定し、括弧をつけて(弁証法)と補足したのです。

 このヘーゲルのギリシャ哲学における「弁証法」の規定の方が、明らかに学問的な規定であり、本質的な規定です。そして、何よりその後の弁証法の発展に、直接的に結びつき、かつ、つながっていくものだからです。

 最後に、なぜ弁証法が人類にとって必然性なのかについて、生命史観的に解いていきたいと思います。これを真面目に考えたならば、学問を唯物論でのみ創り上げようとすることの愚かしさが良く分かると思います。生命史観を創り上げた南郷学派が、どうしてこのような反省をしないのか不思議でなりません。もしそれをやっていたならば、みずから唯物論に拘泥することの愚を悟り、自主的に否定の否定をして絶対観念論に移行していたはずなのですが・・・・。

 この問題について、たたき台となるものをすでにほかのところで説いてありますので、まずそれを引用してみましょう。

「本来物質は、即自的な有(現象)と、対自的な本質(論理)との二重性を持っておりますが、それが生命の段階に到りますと、この有(現象)と本質(論理)とが活発な相互規定・相互浸透の運動をはじめ、その論理性が遺伝子として実体化して能動的・主体的な運動を始めて生命の進化的発展を主導するようになっていきます。

 それが人間の段階に到りますと、その本流としての発展を主導する認識が生まれ、その認識に論理的な遺伝子を受け継ぐ対自的な理性的認識と、即自的な有(現象)をとらえる感性的認識とが生まれました。このうちの対自的な理性的認識の運動(それ自体を創りだしかつ使用する)がすなわち「思惟」なのです。そして、絶対的本質の本流としての思惟の運動は、すなわち弁証法そのものに他なりません。」([2725] 思惟の本当の意味・意義とは何か)

 以上は、ヘーゲルの<生命ー認識ー学問>を、生命史観的に解説したものですが、では何故、対自的理性の思惟の運動すなわち弁証法が人類にとって必然性なのかについて、詳しく説明したいと思います。

 そもそも人類が何故誕生したのかと云いますと、新たな本流として、動物の本能の限界を超えうるものとして誕生しました。だから、人類は、動物の本能の特性である、自分が育った環境にぴったり合った即自的悟性的合理性、而して大きな変化に対応できないという欠点をもつ固定的合理性を捨てて(一旦否定してー第一の否定)、白紙から自由にあらたな合理性を創り上げていく発展性のある認識をもつ存在として誕生したのです。

 この発展性のある人類の認識は、動物の認識と違って、サルから人間へと進化する過程で、動物の認識を引き継いだ即自的な認識と、即自から相対的独立に自由に運動できるようになった対自的な認識へと二重構造化しました。これによって、動物の本能の即自的相対的真理的合理性の限界の超え方にも二重構造が生まれることになりました。すなわち、その二重構造とは、認識の即自的悟性的側面による相対的真理自体に発展性をもたせて、唯物論的に限界を超える超克と、学問のとりわけ哲学の発展によって、認識の対自的理性による絶対的真理(全体的普遍性)の解明を通じて、観念論的に相対的真理の限界を根本的に克服する超克と、の二重構造のことです。これが学問が唯物論と観念論との統一としての絶対観念論でなければならない由縁なのです。

 その絶対性を求める後者の認識が未熟な段階では、人類はその未熟な認識で絶対性の像を創りだして、それに自らをゆだねる宗教に託して他力本願的にその限界を乗り越えようとします。しかし、やがて人類は、自力で絶対的真理をつかみ取って主体性を確立して自由に世界を創造していくことになります。その過程で必須となるものが、弁証法なのです。

 したがって、弁証法は、全体性としての絶対的真理を求める哲学において、その全体性の論理の展開力としての思惟の運動として生まれ出る必然性があるものなのです。したがって、かかる弁証法の出自を見るならば、弁証法の基本技の修得は、即自的な事実から相対的独立に、比較的単純な全体性の論理の展開力として、思惟の運動能力として、鍛錬され・養成されなければならないということが云えるのです。

 ヘーゲルの本にはまさにそれが書かれているのですが、エンゲルスによって、唯物論的な、即自的悟性によって選別された、有論レベル・現象論レベルの論理でしかない三法則を弁証法と思い込み、さらには事実との格闘によってつかみ取った喧嘩拳法的な弁証法が弁証法だ、という像しかもっていなかった、南郷先生には、そういうヘーゲルの本を読んでも何もなかった、と感じるしかなかったのだと思います。

 しかし、内在的な遺伝子の相対的真理レベルの論理化能力をもって進化してきた動物を超えるために誕生した人類は、その限界を超えるための絶対的真理レベルの論理化能力を身につけるために、認識を創りだしたといっても過言ではないだけに、遺伝子の使命、遺伝子の論理化能力をまともに継承するためにも、絶対的真理レベルの論理化能力を鍛えて弁証法的思惟の技化を、まずははかることが、その使命を全うするためにも必須である、ということが断言できます。

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