カウンター 南郷先生の「哲学・論理学原論(新世紀編ん)」」を論ず - 談論サロン天珠道
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[2716] 南郷先生の「哲学・論理学原論(新世紀編ん)」」を論ず
愚按亭主 - 2017年11月16日 (木) 09時43分

 しばらくヘーゲルの「大論理学」の勉強に専念していたので、知りませんでしたが。ふと現代社のサイトを覗いてみると南郷先生が新著「哲学・論理学原論(新世紀編)」を出されていました。早速注文しましたが、まだ読んではいません。しかし、目次は紹介されていますので見 ることは可能です。そこで、その目次を見て本文を読む前の感想を認めておきたいと思います。目次だけ見た段階の私の予想が、どの程度的を射ていたかをチェックできるからです。

 では早速、その目次を見ての感想を述べたいと思います。まず目次を一覧してみて、さすがの論理構成力だな、とうなりました。これが第一印象です。しかし、その仔細をよく見てみますと、私の批判を意識してか、以前のものよりも格段に隙がなくなって、完成度がいや増していますが、私の批判を唯物論のレベルで取り入れようとしているために、残念ながら私の批判を克服・凌駕するものとはなっていないように感じました。つまり、これまで行ってきた批判がそのまま批判としてまだ生きているということです。

 具体的に、今度の目次の批判点を挙げるならば、もっともらしい内容が羅列されていますが、中身がない、つまり具体性が何もないと感じました。たとえば、学問の二重構造としての真理論における絶対的真理の系譜と相対的真理の系譜との否定の否定的な弁証法的な発展の構造が説かれていない点がまず挙げられます。したがって、「 哲学者になるには哲学の形成過程の歴史を辿らなければならない」も「 哲学の歴史を繰り返すとは、歴史上の人物に頭脳の働きとしてなりきることである」も空虚な言葉に過ぎなくなります。とりわけ後者の「歴史上の人物の頭脳の働きとしてなりきる」は認識論の学びとしてはともかくも哲学・弁証法・論理学の学びとしては、ナンセンスです。ここはヘーゲルが云うように、また南郷先生ご自身が生命史観を措定する時になさったように、個人の頭脳ではなく絶対的本質の認識の発展、すなわち本流の流れとして論理的にたどることこそが重要なのです。それがヘーゲルの「哲学史」に他なりません。それが南郷先生はお分かりになっていないのです。

 次に、弁証法の歴史的発展の弁証法的構造について、静止体の弁証法から運動体の弁証法への発展が、ギリシャ哲学において既にその両者の萌芽が存在し、それがいったん否定されてまずは静止体の弁証法の方が開花し、やがてその発展からそれが再び否定されて、運動体の弁証法が開花するという形で弁証法が完成する、という弁証的な過程が説かれる気配が微塵も感じられないとこです。

 また、それに呼応する形で、論理学も形而上学的な運動性のない論理学から、運動性のある概念の弁証法の論理学へと発展していった、という過程をたどって発展したというのが歴史的事実であり、論理学の発展の構造なのですが、それも出てきません。

 南郷先生は、「大論理学」には体系がないとしていますが、それは南郷先生が考える現象論・構造論・本質論の形がない、とりわけ構造論がないというだけの話すぎないと想像していますが、それは逆から言いますと、南郷先生は、有論・本質論・概念論というヘーゲルの哲学(絶対的本質)が「学問の総括であり、かつ統括」する体系が分かっていないということでもあります。つまり、南郷先生が云う体系は、唯物論的な普通の論理学の体系であって、ヘーゲルの説く体系から見ると、いまだ次元の低い体系に過ぎないということが分かっていないのです。ですから南郷先生は「概念は生成発展する対象の構造をふまえるとできあがる」という静的な単純な構造ではなく、もっとダイナミンクな不断にその構造を取り込んで発展していく成的・動的なものなのです。、

 ですから「 哲学、論理学は、学的レベルではまだ端緒についただけである」どころか、すでに完成しているのであり、それをきっちり受け継いで、発展させなければならないのは後進としての我々の責務なのです。それを「 まだ端緒についただけである」と勘違いして見当違いな浪費をして、学問の発展を遅らせるのは、愚の骨頂と言わねばなりません。

 そのためには、唯物論を一旦捨てて、自由になって哲学の歴史を自分のものとしなければなりません。弁証法の学びも、まずは唯物論を捨てて、先達の学問の歴史の学びから始めなければならないということです。

 

Pass

[2717] あらためて「哲学・論理学原論(新世紀編)」を読んで
愚按亭主 - 2017年11月17日 (金) 21時08分

 「哲学・論理学原論(新世紀編)」が届いたのでザァ〜と目を通しました。読んでみての実感は、やはり南郷先生はヘーゲルが分かっていない、と思いました。そしてその原因も、やはりこれまで指摘してきたとおり、唯物論信仰にあります。また、自然の二重構造→自然と社会の相互規定・相互浸透→社会と精神の相互規定・相互浸透はどんな進展があったのか期待・興味がありましたが、何の進展もなく、前半部分の発展が少しも反映されておらず、大いに失望しました。

 ですから、本文を読む前に目次だけ見て行った批判は、何ら変更する必要もないほど当たっていたと感じました。ここで、その本文を踏まえて、より詳細な批判を展開していきたいと思います。

1、学的な世界観とは何か
 まず最初に論ずべきは、土台ともいえる学問的立場とは何かを明らかにする世界観の問題でしょう。南郷先生は学問を志すためには唯物論が分からなければならないとして、その根拠を次のように述べています。
「唯物論を分かるには、まず『モノとは何か』が分からなければならない。しかしそこが諸氏の大半にはどうしてもわからない。たしかに、仕方のない面もある。なぜならば諸氏は学生時代から、ビッグ・バン説でアタマが創られているのだから、いわゆるビッグ・バン説が虚構である、つまり学的唯物論の否定であるということは、何十年も前から説いている」

 つまり、南郷先生は、現在の学界を支配しているビッグ・バン説は虚構であり観念論である。だから学問を志す者は学的唯物論に立たなければならないとしているようです。

 しかしながら、これははっきり言っていささかも学的ではなく、逃げであり誤魔化しでしかありません。本当の意味で唯物論の正統性を学問的に立証しようとするのであれば、真の学問とは無縁の者たちを持ち出すのではなく、観念論だとして批判しているヘーゲルの言葉を取り上げて反論すべきです。

 ヘーゲルは、「大論理学」上巻の1の有論のはじめのところで、学の始元について論及しています。この「始元」とは、世界の始元でもあり、学の始元でもあり、それは結局のところ、世界の原理すなわち基本構造そのものを意味すると述べています。そして、それは、あくまでもそのもの自身の、つまり内的な構造として究明すべきもので、外から持ってくるような外的規定であってはならないと、厳しく戒めています。ヘーゲルは、いろいろな角度から幾重にも始元について検討した後で、結論的に次のような始元についての分析を行っています。曰く

「(1)まだ何もない〔無がある〕が、何かが生ずべきである始元は純粋な無ではなくて、何かがそこから発生するはずの無である。それ故に有もすでに始元の中に含まれている。それ故に始元は有と無との両者を含んでおり、有と無との統一である。――云いかえると始元は同時に有であるところの非有である。また同時に非有であるところの有である。

(2)次にまた、有と無とは始元においては区別されたもの〔ちがったもの〕として存在する。というのは、始元は〔それ自身すでに〕何か他のものを暗示しているものだからである。――始元は或る他のものである有に関係しているところの非有である。始まりつつあるものは、まだない。それは、まず、有を目がけて進む。それ故に始元は非有に別れを告げ、非有を止揚するものであるような有を、非有に対立するような有を含んでいる。

(3)しかし更にまた、始まるところのものはすでに存在するとともに、それはまた存在しない。それ故に有と非有という対立するものは、この始まりの中でそのまま合一している。云いかえると、始元は両者区別のない統一である。

 こういうわけで、始元の分析から得られるものは、有と非有との統一の概念〔即ち一種の有〕――もっと反省的な形式で云えば、区別のあるものと区別のないものとの統一、或いは同一性と非同一性との同一性の概念だと云ってよい。この概念は絶対者に関する最初の最も純粋な、即ち最も抽象的な定義と見てよいもので――一般に絶対者の定義の形式とか、名称とかが問題になるとすれば、実際この概念こそそれだといってよかろう。この意味で、この抽象的な概念が絶対者の最初の定義であるように、すべての更に進んだ規定や展開は、、ただこの絶対者の一層規定的な、また一層内実的な定義に過ぎないものと見られよう。」(大論理学上巻の一より)

 このように、ヘーゲルにおいては唯物論か観念論かの対立は止揚され、それらを超越した絶対的本質(南郷先生でいうならば)モノ自体が統括する学問体系があるのです。ですから、南郷先生が説いている中身は、ヘーゲルが説いているものの焼き直しでしかありません。ところが、南郷先生は、自分はヘーゲルが言っていないことを、はじめて述べたと思い込んでいるのです。南郷先生曰く

「学問としてのモノは、日常生活で使うモノという意味とは大きく違うのである。森羅万象を総括して万物といい、その万物を一つに統括したものが、学問としてのモノである。つまり、万物を一つに体系化すべくモノ自体として抽象化したものが、学問としてのモノなのである。しかしこういうことは、ヘーゲルには分かっていなかったといってよい。だから、ヘーゲルは学問が完成できなかったのである。」

 南郷先生がどうしてヘーゲルが分かっていなかったとできるのか不思議です。そう言い切るならば、言い切れるだけの根拠となるヘーゲルの言葉を示すべきですが、それがありません。ここに書かれていることは、ヘーゲルにあっては当たり前のことでしかありません。それを、南郷先生が初めて発見したかのように感じるのは、唯物論のせいでヘーゲルの言っていることが正しくアタマの中に入ってこないからです。

 たしかに、唯物論の立場でそこまで到達した人はいません。それは、唯物論を否定して初めて到達できる境地なのです。ですから、南郷先生がそこまで到達できたということは、じつは、南郷先生は自ら気づかないうちに唯物論を否定しているのです。ところが、それをあくまでも唯物論だと言い張るのは、そのことに気づかないか、自分を誤魔化しているのです。それを認めると唯物論を否定しなければならないから、そこから逃げて自分を誤魔化しているのです。これが弁証法的な唯物論なのだと・・・。これも唯物論信仰のなせる業なのです。

 ヘーゲルは絶対的本質を主体として絶対的本質が、唯物論と観念論との対立を統一してすべてを統括するとしています。南郷先生がこれが本当の唯物論だとして展開した内容は、まさにそのヘーゲルの絶対的観念論と同じことを述べたのです。「大論理学」の中にそのことが書かれているのに、どうしてそのことが分からないのか不思議でなりません。

2、ヘーゲルの学問の体系化・概念について南郷先生は何が分かっていないのか
 

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[2718] 真の学問の体系化への道とは
愚按亭主 - 2017年11月18日 (土) 14時02分

 学問の体系化の問題に入る前に、世界観の問題について若干の補足をしたいと思います。前の記事の中で私は、南郷先生の「森羅万象を総括して万物といい、その万物を一つに統括したものが、学問としてのモノである。」という文章に対して、次のように述べました。
「それは、唯物論を否定して初めて到達できる境地なのです。ですから、南郷先生がそこまで到達できたということは、じつは、南郷先生は自ら気づかないうちに唯物論を否定しているのです。」

 しかし、これだけでは納得できない方がほとんどだと思いますので、少し説明したいと思います。ヘーゲルは唯物論者の有限の事物の集合体であるモノ(南郷先生の言うところの森羅万象を総括した万物)は中身のない有限物に過ぎないと否定しています。これに対して、南郷先生が「その万物を一つに統括したものが、学問としてのモノである。」とした「モノ」はパルメニデスが「世界は一にして不動」として以来哲学が観念論の立場から追究してきた絶対者・絶対的本質に他ならず、前者の「万物」とは天と地ほどの違いがあるものなのです。ですから、なぜ唯物論なのかの説明に、南郷先生が唐突に「モノ」を持ち出したことに、違和感を持った方が少なからずいたはずです。

 それは、唯物論はあくまでも有限の事実を起点・基点とするものであるのに対し、観念論は論理を起点・基点とするものであるからです。その両者の統一こそが真の弁証法であるのに、それが唯物論だと強弁するのは、詐欺であり誤魔化しです。

 こう言うと、ヘーゲルだって絶対観念論と言っているではないか、という反論が予想されますが、こちらは、これで良いのです。なぜなら、学問とは体系化された論理であり、弁証法とは絶対的本質すなわち概念の運動に他ならないからです。つまり、論理を基点とする観念論は、学問のあり方として正当だからです。しかも、ヘーゲルの絶対観念論は、唯物論と観念論を統体止揚すなわち内部構造として構造化した絶対的本質を基点とするものですから、それは、学問の体系の構造そのものであり、直接的同一性と言えるものだからです。

 ではこれに対して、唯物論とすることが何故まずいのかと言いますと、唯物論は事実を起点としていますので、無限性を謳いながらその内実は即自的悟性であり有限性にすぎず、したがって、その無限性も有限と交わらない悪無限、すなわち微分積分的な近似的無限にすぎないのです。
 これと正反対なのが、ヘーゲル以前の主観的観念論です。こちらは唯物論とは裏腹に世界の有限性を謳いながら、その内実は対自的な純粋理性の絶対性・無限性の悪無限です。つまり、その無限性は、即自的な有限の経験的悟性とは城壁という障壁によって画然と分けられた、決して有限と交わることのできない無限性なのだということです。

 ところで、このカントによる対自的な理性と即自的な悟性とをはっきりと分けて論理化したことは、学問の発展史上における偉大な功績なのですが、残念ながら「哲学・論理学原論(新世紀編)」の中の認識論には即自的悟性の解析しかなく、対自的理性の学問的な検討が皆無です。観念論だからとして排除して対象にすらなっていないようです。これで本当に学問と言えるでしょうか?

 話を戻して、以上のようにこの両者は同じ土俵の上に立って互いに相手を排除しあう「滅ぼし合う対立」関係にあったのですが、この両者を統一して、絶対的本質の統括の下に、事実を起点とする唯物論と論理を基点とする観念論とが、相互規定的・相互浸透的に協力し合い統体止揚されて学問の体系化を目指すという本来の形にしたのが、ヘーゲルでした。

 ところが、それを壊して元の滅ぼし合うだけの対立に戻してしまったのが、マルクスであり、三浦さんも滝村先生も南郷先生も、それをそのまま何の疑問も持とうとしないで踏襲し、受け継いでしまっているのです。だからヘーゲルの真価・凄さが分からないで見当違いの批判をしているわけです。

 南郷先生はさすがに学問の体系を自分で作ろうと努力されていたために、唯物論を信仰しながらも、実質それを超越して、絶対観念論的な生命史観やモノ自体論の域に踏み込むことができたのですが、それを反省的に自覚できていないために、一番の癌となっている唯物論の絶対的信仰を何時までも卒業できず、皆中途半端に終わってしまっているのは、とても残念なことです。

2、真の学問の体系化の道とは
 この問題に関しては、すでにヘーゲルが「大論理学」の中で見事に展開しているのですが、それを誰も理解できないようですので、少し解説してみたいと思います。南郷先生は、この「大論理学」の中に学問の体系がないと決めつけています。その理由は、私が想像していた通り、構造論がないということでした。これに対する反論は、そこでしておきましたのでそれで充分なのですが、読者のためにもう少し構造に立ち入って解説しておきましょう。

 南郷先生が「大論理学」に体系がないと感じたのは、南郷先生の学問体系の像が、運動性のない静止体の弁証法の、(ヘーゲルが批判している)死んだ普通の論理学の像だったために、ヘーゲルの新し運動性に満ちた概念の弁証法の論理学の学問体系の像と合わなかったために、つまり、その運動が早すぎて捉えられなかったために、ないと思ってしまったということです。

 でも本当にヘーゲルの体系には構造論がないではないか!と思われる方が必ずいると思います。それに対しては、南郷先生が描いているような硬直した形では存在しませんが、確かに構造論は存在しているのです。ヘーゲルの論理学では、普遍ー特殊ー個別の内の特殊は、普遍と個別とをとなぐ媒介項として位置づけられております。つまり、普遍に対するところの特殊として、また個別の中の特殊として両者を橋渡ししているのです。この特殊こそが構造論に他なりません。

 そして、ヘーゲルの体系の中の本質論が普遍性に相当し、有論は非本質的部分、すなわち個別性であり現象論となります。しかし、この有論は非本質的部分ですから、その個別性には当然特殊性も含まれています。また一方、本質は、当然個別性にも特殊性にも含まれているものですから、有論と本質論が統一されて概念が生成されるとき、特殊性すなわち構造論が活躍して統一が果たされて、概念の生成が行われることになります。

 ですから、ヘーゲルの論理学では、有論の叙述の始元の次に、、運動体の基本的論理の叙述が行われているのです。ところが、「大論理学」を批判する南郷先生の「哲学・論理学原論(新世紀編)」」の中には、この論理を人類史上初めて説いたヘラクレイトスが、全く登場しません。パルメニデス・ゼノンもカケラとしてしか扱っておりません。私は学問の黎明期のギリシャ哲学における弁証法の萌芽(カケラではなく)としてとらえています。以下は私のゼミのテキストからの引用です。

         *       *

具体的にはギリシャ哲学のパルメニデスの無を否定した「有論=世界は一にして不動」から、ヘラクレイトスの「有と無との統一としての成=萬有すなわち成」論へが「学の始元」だということです。

第二節 有論の有とは運動体としての有である
 有論が取り扱うのは、学的対象の非本質的な部分です。しかしながら、学問の始元が有からはじまるように、学問はまず有論から説きはじめます。それは、無媒介の直接態としての純粋有なしには如何なる媒介(規定)も生じえないからです。非本質的な部分としての有とは、本質が現象として具体化したものを言います。したがって、有は、本質にはない(本質においては捨象された)様々な非本質的規定をまとって立ち現れてきます。

そして、この現象論的な有も弁証法的な運動をする有ですから、無規定の直接的な全体である有が、さまざまな規定をまとって現象し(第一の否定すなわち全体の否定=部分化・特殊化)、それが定着・固定化すると定有としての素材が出来上がると、自らを確定・完成させるために素材としての自分を一旦否定して、全体としての自分に立ち返ってそこから素材として固まった自分と全体としての自分との統体止揚をはかって、即自的な定有を対自有として完成させるのです。これが有論の否定の否定の弁証法的な運動の一般的な行程です。

 では、その運動体としての有が運動できるようになったところの最も基本的な論理を、(これはとても重要なのでしっかりと頭に焼き付けていただきたい)ヘーゲルの言葉でお浚いしておきましょう。この論理は、ヘーゲルが、カントの命題間矛盾を、判断破壊という強硬手段を通じて劇的に命題内矛盾に創り変えた、という偉大な歴史的功績の結果として生み出されたものであることを、肝に銘じながら心に刻んでいただきたいものです。

「A〔有〕純粋有――それ以上の一切の規定をもたないもの。有はその無規定的な直接性の中にあるものとしてただ自分自身と同等であるにすぎず、他のものに対する不等ということでさえもなくて、自分の内でもまた外に対しても差異というものをもたない。もしも、そこに何らかの規定があるとすれば、或いはその有を区別するような内容、云いかえると有が他のものと区別されたものとして立てられるような内容があるとすれば、有の純粋性は失われるのであろう。むしろ有は純粋の無規定性であり、空虚である。――ここに直観さるべき何ものもない。むしろ有はこの純粋な、空虚な直観そのものである。同様にまた有の中には、思惟さるべき何かがあるのでもなく、むしろ有は、この空虚な思惟にすぎない。だからこの有、無規定的な直接的のものは実は無であって無以上のものでも無以下のものでもない。

B〔無〕無は自分自身との単純な同等性であり、完全な空虚性であり、全くの没規定性と没内容性である。即ち自分自身の中における無区別性である。――ここで直観または思惟
されるか、それとも何ものも直観または思惟されないかということは区別と見られる。それ故に何ものにも直観または思惟しないということは一つの意味をもっている。二つのこと(何かを直観または思惟することと何ものをも直観または思惟しないこと)が区別される以上、無もまたわれわれの直観または思惟の中にある(現実的に存在する)のである。云いかえると、無はむしろ空虚な直観または思惟そのものである。また無は純粋有と同じ空虚な直観または思惟である。――この意味で、無は純粋有と同一の規定であり、というよりも純粋有と同一の没規定性であって、従って一般に純粋有と同一のものである。

C〔成〕−有と無との統一
 それ故に純粋有と純粋無とは同じものである。真理であるところのものは有でもなければ無でもなくて、有が無に、また無が有に――推移することではなくて――推移してしまっていることである。けれども同様にまた、真理は両者の区別のないことではなくて、むしろ両者が同一のものではないということ、両者は絶対に区別されるがしかしまた分離しないものであり、不可分のものであって、各々はそのままその反対の中に消滅するものだということである。それ故に、両者の真理はこういう一方が他方の中でそのまま消滅するという運動、即ち成である。云いかえるとこの運動は、そこでは区別されているがしかしまたそのまま解消してしまっているというような区別を通して行われるところの運動である。」(「大論理学」上巻の一「有論」より)




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[2719] ヘーゲルの言う概念とは
愚按亭主 - 2017年11月18日 (土) 19時12分

 南郷先生は、「ヘーゲルは概念の労苦を説いたが概念は論じきれていない」と批判していますが、その中身を見ますと、ヘーゲルの言う「概念の労苦」も「概念」そのものも分かっていないのは、南郷先生の方です。それは、ヘーゲルが概念の弁証法レベルで説いている「概念」を、南郷先生は唯物論の立場から、自らが築き上げた認識論から、この「概念」を解こうとしているからです。つまり、ヘーゲルの概念の弁証法が分かっていないのに、その核心である「概念」の本当の意味が分かろうはずもないということです。

 そのことを端的に示すのは、南郷先生がヘーゲルの絶対精神の自己運動における「概念」や「絶対理念」を、ヘーゲルの論理体系から解こうとするのではなく、修辞学的に翻訳の問題にして誤魔化してしまっていることです。つまり、この問題はヘーゲルの体系の核心ともいえる重要な問題であるにも関わらず、それを明確にしようとする学的作業を怠り、あいまいな形にして誤魔化しているからです。ではなぜ誤魔化そうとするのか?それは、すなわち南郷先生はヘーゲルの言う「概念」、もっと言えば絶対精神の自己運動を観念論創作だからとて真面目に解こうという気がないからです。にも拘らず、どうしてヘーゲルは「概念」を論じ切れていないと断ずることができるのでしょうか?それは、自分がヘーゲルの「概念」が分かっていないということが分かっていない、否、見切ったと錯覚しているからに他なりません。

 ヘーゲルの弁証法における「概念」は、南郷先生の言うところの自然の二重構造の物理的世界から化学的世界(生命的自然の誕生)へと移行したときに誕生します。このことは「概念論」の中に明記されています。これは一体どういうことかと言いますと、物理的世界の段階においても、たしかに論理(本質論)と現象(有論)との二重構造は存在していましたが、それはまだ静止体の弁証法レベルの段階であって、その両者の対立は、対立のまま置かれていた段階です。

 ではそれが化学的世界すなわち生命的世界になると、どうして概念が誕生するのかと言いますと、それまで静止的であった論理性が主体性・能動性をもって現象・有を造り出すという本質論と有論との統一が図られて、そこに主体性・能動性をもった概念が誕生することになったからです。その概念が、実体化したものがすなわち遺伝子なのです。この遺伝子はさまざまな現象を総括して論理化する能力を持つものでしたから、生命は系統的に発展することができたのです。

 したがって、その生命の段階に到りますと、それまで本流をなしていた絶対精神は、概念と化して、その概念が世界の発展をけん引していくことになります。だからヘーゲルは、この概念論以降の段階を<生命ー認識ー学問>と規定したのです。

 この動物段階の概念である遺伝子は、本能的・内在的に規定されたものでしたので、即自的悟性という限界をもったものでした。それが人類の誕生によって生まれた外在的な認識は、それまで内在的な遺伝子が行っていた過程を二重構造化して、事実をありのままに捉える感性的認識と、その事実の論理性をとらえる理性的認識とに分化しただけでなく、現実の自分のままの即自の認識と、その即自の自分から離れて自由に運動できるようになった対自の認識とに分化したのです。この重層的な二重構造化は、何のために起きたのかといいますと、動物的な即自的悟性の限界を超えては天できるようにするためでした。もっというならば、この世界全体の本質を知って、本流たる自分自身を自覚して、絶対的本質たる己自身が、己自身を目的意識的に体系化して絶対理念と化して、新たな世界創造をするためのものだったのです。

 したがって、それまで本流だった動物的概念は、人類に到って認識の概念となりって、目的意識的に学問を追究して絶対理念を目指すのです。これが、ヘーゲルの絶対精神の自己運動における概念と絶対理念なのです。これが分からないということは、南郷先生は概念の弁証法が分かっていないということであり、ヘーゲルの概念を批判する資格がないということです。それが分かっていないから、なぜヘーゲルが「精神現象学」の後にすぐに「大論理学」に着手したのかもわからないのです。

 それは決して若気の至りなどではなく、ヘーゲルは、学問体系形成の王道をきちんと歩んでいたのです。このことは、マルクスをはじめとして、滝村先生も南郷先生も、みなヘーゲルの概念および概念の弁証法が分かっていなかったから、すべてをがんじがらめに同じ論理に当てはめようとして、自分自身を縛ってしまった、と見当違いな批判をしていますが、それは大きな誤りです。ヘーゲルは、学問の体系化にとても重要な対自的否定的理性をまず創ったのです。これは事実を起点として創り上げてきた即自的悟性の論理を、きちんと体系全体の中に構造化するためのものなのです。いわば、影の王国の骨格の様なものです。

 ですからヘーゲルは、即自的悟性によって事実の論理が創り上げられていく過程には一切口を挟まず、じっと見守っているだけだと言っているのです。その悟性的論理が一応の完成を見て、いざ全体の体系の中に構造化する段になって、はじめてそれを否定的に媒介して、全体の体系になじませ一体化していくように関わっていく、と言っているのです。その作業のことを、ヘーゲルは「概念の労苦」と呼んだのです。

 南郷学派は、まさにその「概念の労苦」の段階にさしかかって、苦しんでいるのです。それは何故かと言いますと、対自的否定的理性を否定して、ヘーゲルのようにまともな概念創ってこなかったから、そもそも「概念」と呼べるものが存在しないから、「労苦」のしようがないから、いつまでたっても学問の体系化が出来上がらないのです。まさにヘーゲルの「大論理学」に対する批判が、天に向かってはいた唾が自分に向かってくるように、自らを災いしているのです。その概念が存在しないことの弊害は、次の点にも現れております。

 それは、「社会と精神との相互規定・相互浸透」のところの次の行です。
「人間(人類)が、設計図を描いて行動し、新しい社会創っていくようになる。たとえば、アレクサンドロス大王は、最初はただ侵略したいから侵略したのであるが今の覇者たらんとする国家は・・・」

 アレクサンドロス大王は、師匠であったアリストテレスの時代の最高の学問をもって世界を征服し、その学問で征服地を教化していったのです。だから、今もって侵略者でありながらイスカンダルという英雄として語り継がれているのです。また、それによって新たなヘレニズム文明が生まれました。そのような侵略は、それ以前にもそれ以後にも、日本の韓国や台湾の植民地統治を除いて見あたりません。なぜその両者に共通性が存在するのかと言いますと、日本の江戸期の社会が、まさにヘーゲルの概念論を、ヘーゲル以前に見事に実践していたからに他なりません。しかしながら、南郷先生のヘーゲルを凌駕したとする社会の弁証法には、ヘーゲルの高貴な概念論の香りが全く感じられません。これこそが、南郷先生がヘーゲルの「概念」を分かっていない歴然たる証拠と言えます。

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[2720] 唯物論の絶対信仰が学問の歴史を破壊してしまう必然性
愚按亭主 - 2017年11月20日 (月) 17時51分

 南郷学派が、自らの信念を突き詰めていけば行くほど、学問の歴史を破壊していくという事態に陥っていることに、本当に真剣に憂慮しています。しかも、にもかかわらず、ご本人たちは、学問の新たな地平を切り拓いている、と心底思いこんでいて、全くその自覚がないようなので、事態は一層深刻さを増しているように思います。

 学問の歴史を破壊するとは、穏やかでない言葉ではありますが、それが決して誇張やねつ造でないことは、それまでの学問の歴史には中身が何もなくヘーゲルでやっと端緒についたところだ、だから自分たちが一から全部作っていかなければならない、と豪語していることからも、分かっていただけると思います。

 問題は、これが本当に正しいのか、であると思います。もし誤っているとしたら、それは結果として、人類の学問の歴史の発展の実像を破壊したことになってしまいます。そして、実際そうなってしまっていると思います。ギリシャ哲学の実態を問答集などで唯物論的に調べてみると、彼らの認識はまだ幼く大したことは言っていないのに、子供の絵を芸術だと高く評価する大人のように、後世は彼らを過大評価しすぎている、としていた時に感じた違和感・杞憂は、今度の「哲学・論理学原論(新世紀編)」という確定的な証拠をもって、現実のものとなってしまった、との思いを強くしています。

 これに対しては、事実に即してギリシャ哲学の実態を明らかにしてくれた、南郷学派の言うことが正しい実像ではないか、お前の方こそ、観念論者の描く美しい創作の実像が暴かれ壊されてしまうことに不快感を持っているだけなのではないか、との反駁が予想されます。

 しかし、私は、決して単なるノスタルジーで申しているのではありません。確たる根拠があって述べているので、これからそれを論証していきたいと思います。その論証は、冒頭取り上げたギリシャ哲学などの観念論によって創り上げられてきた学問・哲学の歴史が否定され無視された問題については後に回して、南郷先生の主張のメインをなす認識論について、まずはじめに取り上げていきたいと思います。

 この問題に関して、私が一番不思議に思いますのは、どうして自分たちが創り上げた生命史観から解こうとしないのか?ということです。唯物論の特徴は、即自的悟性ですから、今自分がかかわっている対象が全てとなり、それですべてを解こうとしようとすることになりかねません。それは同時に、それ以外のすべてを否定するということになります。ですから、対自的理性による否定的媒介が学問には必須なのですが、その肝心の対自的理性を唯物論は否定し体ます。当然南郷学派もしかりです。結果として、その唯物論は、弁証法性がなくなって、その認識論も、「思う」から「思弁する」までの過程および概念化の過程においても、弁証法性がいささかもなく、ただ順番に適当に当てはめただけしただけになってしまっています。これは、後で論証する予定の本当のことです。だから、この図からは、なぜヘーゲルが、思惟の運動が現象的事実を否定する形で行われなければならない、としたのかの理由を解くことが全くできません。唯物論では理解の使用もないからです。そこで、ヘーゲルの認識論はまだ未熟だったとして、自らの不明を誤魔化すしかなかったのです。

 南郷先生は「アリストテレスは形而上学を創出するにはあまりにも幼かった」しかし「思弁的であった」とするヘーゲルの評価も無視できず、その評価に四苦八苦して「表象の像形成の途上にあった」という苦し紛れの評価を下しています。なぜそれが苦し紛れの評価なのかと言いますと、一方でその歴史上におけるへーげるとならぶ巨人として評価せざるを得ないというジレンマが感じられるからです。

 しかし、そのまだ幼いとしながらもヘーゲルがどうしてその思弁を評価するのかという疑問が、南郷先生の思弁の定義の措定に大きな影響をあたえたであろうことは間違いないと思います。しかしながら、南郷先生は唯物論にこだわってしまったために、「思弁」の本当の意味を分からずに、自前の認識論でそれを解釈してしまった、結果として平板なものとなってしまったのです。

 これは一体どういうことかと言いますと、アリストテレスの事実の論理の整理の仕方が幼く見えたのには、弁証法的な必然性が存在したのですが、それが本物の弁証法が分からない南郷先生の唯物論的な認識論では分かり様がなかった、ということです。それな何故かと言いますと、観念論的な絶対的真理の系譜の認識の発展を否定し無視しているからなのです。

 ここをもう少し詳しく説明しますと、ヘーゲルが「かえって諸部分はばらばらに並列しているように見えるのであるが、それでもなおそれらの諸部分は本質的に思弁的な哲学の総体性を成している。」(「哲学史」)と述べたものを、南郷先生は、ヘーゲルの像のレベルではなく、自ら創り上げた認識論の像のレベルで解釈し分かったつもりになっています。ですから、「思弁の端緒についた」という意味も、じつはその中身が全く異なるのです。

 ヘーゲルがここで述べていることは、世界全体の論理を追究するパルメニデス・ゼノンおよびプラトンにみられるような対自的否定的弁証法的理性と、現象的事実の論理を形成する即自的な抽象的悟性との弁証法的対立を、統体止揚して即自対自の肯定的弁証法的理性として創り上げようとするアリストテレスの思弁とその実践を、そのように評価したのです。ただこの時代の人類の学問的認識の発展段階では、まだ即自的悟性による事実の論理化が無きに等しかったために、アリストテレス自らそれに取り組んだということです。つまり、即自的悟性と対自的理性との対立を意図的・思惟的に創りだすという弁証法を思惟が駆使してその両者を統体止揚して一つにまとめようとする思惟の運動が、本当の「思弁」の意味であり、人類史上初めてそれに取り組んで一応の完成を成し遂げたのがアリストテレスだったので、ヘーゲルは彼を「思弁の端緒」としたわけです。

 したがって、アリストテレスは思惟の運動によって対自的理性としての形而上学は完成させた上で、自らが創り上げた対自的理性としての形而上学をあえて一旦否定して、即自的悟性による事実の整理・論理化に取り組んだのです。ところが思惟の対象である天上の全体性の論理と違って、地上の事実の論理はいろいろな要素が複雑に絡み合っているために、その整理・分類・論理化が非常に難しかったために、アリストテレスの論理能力をもってしても、完成的には整理しきれなかった実態があったことを、ヘーゲルは描写したわけです。しかしながら、そのアリストテレスの試みの総体を正しくと理解していた、ヘーゲルは、それでもそれは「本質的に思弁的な哲学の総体性を成している。」(「哲学史」)と評価したのです。

 ところが、このヘーゲルの言葉の意味を真面目に考えようとしないで、自分の都合の良いように解釈してしまった南郷先生は、アリストテレスの論理能力はまだ幼く形而上学を創り上げられるレベルではなかったと断言し、この解釈を基に「思弁とは論理的に体系化しようとする」ことだと頓珍漢な規定してしまったのです。

 上の私の理解と、舌の南郷先生の解釈とを比べてみて、どう思いましたか?私の説明の方が納得できた方が多いのではないかと思います。そうです、はっきり言って、南郷先生はアリストテレスの論理能力を正しく評価できていません。つまり、誤解しています。アリストテレスは形而上学を創り上げることができています。これは歴史的事実です。だからこそ、南郷先生が評価するトーマスアクィナスは、それを基に「神学大全」を書き上げることができたのです。にもかかわらず、南郷先生は、自信をもってアリストテレスの形而上学を否定しています。こういうスジの通らないところがあちこちで見られます。その否定の根拠を見てみますと、アリストテレスが形をもった実体をうまく整理できなかったからのようです。ところが、南郷先生が大きく勘違いしているのは、形を捨象した論理から出発して創られた形而上学と、事実から出発して創られる形あるものの学すなわち個別科学とは、次元が異なりしたがって、その論理性も全く違うということです。

 このことは、なぜ学問は観念論的な形而上学から創られたのか、なぜ唯物論的な形のある対象を扱う個別科学の発達がそれよりも遅れて発達したのか?という問題を解くための重要なカギとなるものですです。それは、普遍的な全体性の論理は単純構造であるのに対し、現象する個別的な事実の論理は、いろいろな論理が複雑に絡み合っているものから、からんだ糸の塊を解きほぐすようにとても難しいので、人類の事実の論理像がしっかりと形成されるようになるのには非常に多くの時間を要したからです。それが南郷学派が取り組んでいる事実の論理像の形成過程なのです。南郷学派はその特殊性をもって全体を強引に解釈しよとするので、おかしくなってしまうのです。その大本としてそうさせるものが、唯物論の絶対信仰なのです。その唯物論の絶対信仰が、観念論を排除しようとするために、学問の歴史も歪んで見えてしまい、弁証法性のある学問的認識の発展の姿が、その偏光プリズムによって、観念論的な思惟や思弁、悟性や理性といった認識の発展もみな消えてしまって、残された異物としての語句が唯物論的に創られた論理的な像の形成過程の像に適当に振り分けられた観を呈するようになったのです。

 だから、「思弁」という語句は、本来、弁証法的な対立関係にある両者を統体止揚して一つにまとめるというように、弁証法を完成に導く認識の働きをいうものですが、南郷先生はそれを論理を体系化するものとしたわけです。そして、これをヘーゲルもできなかった新し発見であるかのように豪語しています。その結果、ヘーゲルはアリストテレスが初めて(静止体の)弁証法を完成させたという意味で「思弁の端緒」としたものを、南郷先生は体系化のスタートラインにやっと立てたという意味で「思弁の端緒」を解釈したのです。これも、一つの学問の歴史の重大な破壊と言えると思います。

 さて、ここで冒頭の私の、折角の生命史観を使おうとしていない、という問題提起に移りたいと思いますが、少々長くなってしまったので、このテーマに関しては次回に譲ることにいたします。

 

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[2721] 南郷先生の弁証法もはやりマルクスと同じ静止体の弁証法(形而上学)
愚按亭主 - 2017年11月21日 (火) 11時16分

 この論考について私は、せっかく生命史観を措定しておきながらそれが生かされていないという観点からの反論を行います、と予告しておきましたが、もう少し南郷学派の認識論の問題点について検討したいと思います。

 南郷先生は「(4)思弁的像を止めて言葉にしたのが概念で、概念の創出・駆使には弁証法を必要とする」の中で次のように書いています。

「ヘーゲルは思弁能力は大きく培ったけれども、概念能力は未だしだったのである。
 たしかに思弁して思惟能力は培われ、そうすることによって、概念を構築する実力が培われていくのである。だが、である。概念というのは、一般性であって、決して個別性ではない。つまり個別性がないのである。思弁というのは、自分が対象を一生懸命研究して、研究した対称の内容の論理性引きだして、その論理性でもって対象を考える、という否定の否定が入っていることを分かってほしい。」

 この南郷先生の概念論は、マルクスがヘーゲルを「根本的二元論」だとして批判したのとまったく一緒で、ヘーゲルの「概念」「運動体の弁証法」が全く理解できていない、見当違いの批判です。本当に「大論理学」を真面目に読んだのか?と言いたくなります。おそらく、批判できそうなところを探すという邪心を抱きながら読んだのではないか、」だからヘーゲルの言わんとすることが伝わらなかったのではないかという気がします。何故なら、謙虚な気持ちで読んだのなら、概念論の冒頭という見逃しようがないほど目立つところに「概念論は本質論(一般性ー亭主)と有論(個別性ー亭主)の統一である」と書いてあるからです。

 つまり、そもそもヘーゲルの「概念」とは、一般性と個別性との思弁による統一・統体止揚によって形成され、「概念の労苦」によって不断にその体系を豊潤にしながら発展していく生命力あふれる運動体であって、決して死んだ静止体ではないからです。このことはヘーゲルが「大論理学」の中で運動性のない死んだ普通の論理学を徹底的に批判していることからも明らかです。

 ところがマルクスも南郷先生も静止体の弁証法の実力しかないので、ヘーゲルが一般性は個別性であって現実的だ、つまり、国家は国民であり、国民は国家であって現実的だというと、一般性は個別性ではない、国家は国民ではないと否定しにかかるのです。南郷先生がヘーゲルの運動体の弁証法に進化できなかった理由は、学んだエンゲルスや三浦さんの弁証法自体が静止体の弁証法だっただけでなく、自力で学問を創ろうと取り組んだヘーゲルの「大論理学」のはじめに出てくる弁証法の基礎中の基礎の論理・思惟の運動規定となるヘラクレイトスの<有―無ー成>をヘーゲルが、懇切丁寧に詳しく、その思惟の働かせ方について解説しているところを、まじめに勉強しなかったからであろうと思います。このことは、「哲学・論理学原論(新世紀編)」の中に、ヘラクレイトスや彼の論理が影も形もないことからも立証できます。ですから、世界は過程の複合体だ、動と静の統一だと、ヘーゲルが云ったことを言葉だけで繰り返しても、その中身がともなっていないために、いつまでたっても常識的な静止体の弁証法から進化できないのです。だから、唯物論に固執する、という非弁証法的な態度を平気で取ることができるのです。

 
 長い寄り道となってしまいましたが、本稿の主題に入りましょう。私が抱いた疑問は、どうして生命史観的観点がないのか?ということでしたが、これは、その生命史観が、即自的悟性に対する対自的理性による否定的媒介となって、そのひとりよがりな真理もどきを、誰もが認めるところの真理へと転成させる重要な契機となるからです。それがないために、南郷学派は、独りよがりな善意で地獄への道をひた走ることになってしまうのです。だからこれまで私は、生命史観ではありませんが、私のヘーゲル論からの批判をつづけてきたわけです。つまり、その私の批判も、対自的理性による否定的媒介となるものでしたが、目下のところ地獄への道の肥やしにしかなっていないようですが、極限にまで行かないと転機は訪れなさそうです。今度の「哲学・論理学原論(新世紀編)」が、もしかしたらその転機になるかもしれないと思い、批判を強めている次第です、といってもこれまで主張してきたものばかりですが・・・

 絶対精神が概念化した生命の歴史、という大きな観点から人類の誕生の意味を見てみますと、自分の存在している場所に規定された認識から離れて、自由に運動できるようになった認識の誕生、というところに大きな意味があると思います。ですからその認識こそが人間性の最たるものと言えます。さらにまた、そのことはそればかりでなく、人間が神を目指す、最初はあこがれ(宗教)として、学問の発展という概念の運動を通じて己自身を、自らを完全に論理体系として自覚した絶対的本質としての絶対理念となって、真の意味で自由な世界創造をはじめるようになる、つまり、人類の誕生の意義は、その本質的必然性にこそあるということです。

 だから、その自由に運動できるようになった認識が、世界全体を見まわしてそこから、遺伝子の論理化能力という先験的素材の潜在能力を開花させる形で、全体の論理性を見事に抽出する者(パルメニデス・ヘラクレイトス)が現れると、それを土台にしての思惟の運動による全体的論理の発展が起こるようになります。これが論理を基点とした観念論哲学の発展に他なりません。これはこれで、認識論的に追究されなければならないことだと思いますが、それを南郷学派は、観念論だとして問題にしようともしていません。昔は人類の学問的な認識の発展を措定するのが認識論の仕事だと、しっかりと射程に入れておいたのですが、いつのまにか、像の生成に焦点を合わせすぎて、認識の重層構造の追究がおろそかになって、結果として弁証法的に説けなくなってしまっているように思います。

 あれほど重層構造・儒層構造と自慢していたのに、本当に不思議な現象です。その重層構造を解くためには、カントが論理化した悟性と理性の区別と連関を認識論的に解かなければなりませんが、それもやっていないようです。人類の学問的認識の発展を認識論的に解くと豪語していたはずなのに、この人類の学問の歴史における歴史的事実であるこの問題を全く解こうとしていないのは解せません。自分たちの解きたいところだけ解いて、解かなければならないところを解こうとしないというのは、学問をするものの態度ではないと思います。

 この悟性と理性の論理の問題は、まさに人類の学問の発展史に刻まれている消すことのできない事実であり、それを抜きに学問および学問の発展史は語れないほど重要な論理です。何故なら、即自的悟性と対自的理性の絡み合いが、すなわち学問の歴史に他ならないからです。

 ところが、南郷学派はその対自的理性を否定して、即自的悟性だけで学問を創ろうとしているので、学問の歴史をまともに語れないのです。それでも無理に語ろうとすると、これまでの学問の歴史を壊す形でしか語れないのです。それが「何もないから自分たちで作っていくしかない」の中身なのです。


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[2722] 結論としてやはり唯物論に固執すると学問は完成できない
愚按亭主 - 2017年11月23日 (木) 11時21分

 私はもともと学問を完成させるのは南郷先生だと思っていました。その当時は私も、学問は唯物論の立場に立って創られなければならないと本気で思っていました。しかし、唯物論の真理論である相対的真理を根本とする見方に疑念を抱き、本当は絶対的真理こそが根本で相対的真理はその構造を成すのではないかと思うに至り、以来目から鱗が落ちるように、真実の姿が見えるようになっていきました。

 そして何よりも、そのことによってヘーゲルの凄さがはっきりと分かるようになりました。ヘーゲルの影の王国(それは実体の王国と同一)における物質の本流としての人類の、たどるべき道の青写真としての絶対精神から概念を経て絶対理念へいたるという道筋が、本当に人類が真剣になって、それに基づいて目的意識的に自らの目的意識を創るべき本物の地図・青写真である、ということが分かってきました。

 そして、そのヘーゲルの<運動体の弁証法>こそが本物の弁証法であり、他方、大方が本物だと思い込んでいる、(学問的立場になり得ない)唯物論を冠にした弁証法の方は、じつはそのもの自体がすでにいささかも弁証法的でなく、まがい物の弁証法にすぎないことが明確になってきました。それだけにヘーゲルの復権が、人類全体にとっても、学問にとっても、急がれなければならない重要な課題だと思います。

 ところが、不思議なことに、ヘーゲルと同じ学問の創造を志しているはずの南郷先生には、このヘーゲルの偉業が、本当に分からないようです。否、それどころか、認識論を極めたとし、生命史観を創ることによって、ヘーゲルに欠ていた社会の弁証法の道筋を掴んだとして、ご自身が大きくヘーゲルを凌駕したとまで豪語しています。しかしながら、「哲学・論理学原論(新世紀編)」を見る限り、それは真実とは言えないようです。どうやらそれは、唯物論(観念論は誤りだとする)という学問の歴史の真理が見えなくなる偏光眼鏡のおかげで、ヘーゲルの真の偉大さが見えないために、凌駕したと錯覚できたにすぎないようです。

 つまり、ヘーゲルを越えたとしながら、ヘーゲルがつかんでいた人類の本流が何かを決定する本質的必然性が、南郷先生には見えていないようなのです。そのことが露呈したのが、アレキサンドロス大王の評価でした。どういうことかと言いますと、南郷先生の人類の本流としての評価には、学問が含まれていないということが分かったということです。これも唯物論の物質偏重の悪弊だと思います。つまり、唯物論では人類の本流の発展の歴史・精神の発展の歴史は説けないということです。そのことがはっきりとした形として現れることになったのが「哲学・論理学原論(新世紀編)」に他なりません。

 それは、南郷学派が、私の諫言・忠告を無視して突っ走ってくれたおかげであり、唯物論に立脚して学問を創ろうとするとどうなるか、をはっきりと示してくれました。これまで一貫して主張し続け、警告を発し続けてきましたが、こんなにはっきりした形で表れてくるとは、正直思っておりませんでした。本当に唯物論だけではダメなのだな、ということをあらためて確信をもって実感いたしました。その意味で感謝すべきなのでしょうか、じつは複雑な思いです。 

 唯物論は、事実の論理を起点とするものですが、どうやら南郷学派にあっては、その事実は物質の精神を除いた実体的な事実に限られるようです。というのは、人類の学問の歴史は、まず観念論的な哲学によって弁証法が創られたという歴史的な、物質の一機能である精神的事実として存在しているのに、その事実は科学的でない観念論によるものだからと無視されて、そこから論理性が抽出されませんでした。

 ではどうしたかと言うと、南郷学派は、事実に関わる認識において人間のアタマの中の論理の像がどのように形成されていくかに焦点を絞って、それに関わる事実だけをあらためて収集して論理化したたものを、これまで誰も説けていなかった本物の学問的な認識・弁証法の形成過程だとしたのです。結果として、観念論的な哲学によって創られた初期の学問の歴史および弁証法の本体といえるものが形成された、という歴史的事実が完全に否定されてしまったのです。

 こういうやり方は、果たして正しいと言えるでしょうか。自分の誤った思い込みで事実を取捨選択して、そこから導き出された論理は、一方に偏った歪んだものになることは必定です。実際その通りに、そこから導き出された論理像は、これでどうして体系化ができるのかと思えるほど、一大欠陥の存在する歪んだ論理像です。それはヘーゲルの体系化の可能な論理体系と比較して見ますと、一目瞭然です。

 ヘーゲルの体系は、常に全体から部分へ、部分から全体への繰り返しの中で体系化されるようになっています。たおえば、有論でも、純粋有(全体)→定有(部分)→対自有(全体)となっています。また本質論においても、対自的理性(全体)→抽象的悟性(部分の集合体)→即自対自的理性(全体)という形で発展して行くのですが、さらにこのように発展する有論と本質論が統一されて概念論が形成されるのです。したがって、ヘーゲルの体系にあっては、概念は静止しているものではなく、常に生きて運動し発展していく運動体なのです。その運動する概念の体系的発展の営みが、すなわち「概念の労苦」なのです。

 これに対して、南郷先生の概念は、静止体であることを自ら明確に規定しています。そしてその体系は「形而上学」であるとも、自ら堂々と公言しています。これには正直驚きました。私もこれまでマルクスや南郷先生の弁証法は静止体の弁証法であり、形而上学的弁証法であるとしてきましたが、まさかご自身で、それを認め公言するとは思っていなかったからです。事実は小説よりも奇なりとは、、まさにこのことだと言えます。このことは逆から言えば、マルクスがヘーゲルの運動体の弁証法を壊して静止体の弁証法に引き戻してしまったとこれまで主張してきた、私の説が見事に証明されたといえると思います。

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[2723] 南郷先生が無視した過程こそが重要な基本技の形成過程
愚按亭主 - 2017年11月25日 (土) 13時04分

 前回の記事で最後にしようと思いましたが、書きたいと思っていた需要な点を書き落としましたので、補足したいと思います。その肝心な点とは何かと言いますと、地上に密着した唯物論だけではだめだということの裏返しとして、天上からの観念論的な本質・本流の観点がなぜ必要なのか、について論じたいということです。

 それを明らかにすることが何故重要なのかといいますと、そこにこそ人類が誕生した意義があるからであり、またその観念論にこそ、物質の本流が生命を経て人間に到ったときの本流性を受け継ぐ本命性があるからです。と、このように抽象的な言辞だけではいったい何を言っているのかわからないと思いますので、具体的な事実から説明していきましょう。

 まず南郷先生は、「哲学・論理学原論(新世紀編)」の中で、アリストテレスを人類の論理化の端緒としています。しかし、これには重大な過程の見落とし・意図的な無視があります。それは何かと言いますと、アリストテレスには、観念論的な思惟の運動によって形而上学・形式論理学を創り上げたという過程があり、これが事実の論理的な措定をなそうとするアタマの働きの基本技を形成していたであろう事実の見落としです。ですから、アリストテレスの事実の論理化におけるそれなりの不細工は、技の使用の過程における基本技の修得過程にはなかった現象的事実の複雑性という全く新しい対象に遭遇したとまどい・不慣れによるものであり、人類最初の試み故の必然的現象だったといえるものです。しかし、アリストテレスが経験した観念論的な思惟の論理的な訓練なしには、人類は事実の論理化は不可能だったと極限できるほどのイガイガあったのであり、これがその後の個別科学における法則の発見に結びついていったことは間違いのないことです。

 もっと言うならば、南郷先生ご自身の個別科学の体系化への弁証法の適用は人類最初の試みであり、それが可能となったのは、ヘーゲルが観念論的な思惟の営みによって弁証法の基本型を完成してくれたおかげであり、その基本技が真っ当な形で受け継がれなかったとはいえ、それがあったからこそ、南郷先生が喧嘩拳法的に事実から弁証法性を引き出して個別科学の体系化に成功したといえるのです。ですから、ヘーゲル以前も個別科学を会計化しようとするものは現れていないし、現在もそれをやろうとしているのは南郷先生お一人のみです。これ自体凄いことなのですが、それはヘーゲルによる観念論的な弁証法の基本技の形成過程があったからこそ可能となったものであり、個別科学から学問全体の体系化の過程においては、それまでのようなヘーゲルもどきでは通用せず、本物のヘーゲルの弁証法の基本技が必須となっているのに、南郷先生にはその自覚がなく、そのために基本技であるヘーゲルの弁証法を軽視し、喧嘩拳法的に創った自らの弁証法で充分過信して、学問全体の体系化に挑んだ結果が、現在の体たらくなのです。そのことに気づかせないように邪魔しているのが唯物論の絶対信仰です。

 この排他的な唯物論絶対信仰が、事実から相対的に独立した観念論的な思惟の運動による弁証法の基本技の形成過程を、観念論だとして否定=無視する大本なのです。しかしながら、この唯物論絶対信仰が排除した、この観念論的な思惟の運動による弁証法の基本技の形成過程は、天上からの観方に属するものですが、この天上からの観方で、人類の誕生の意味を観ますと、人類は、この天上からの対自的な観方を得るために、動物的本能による生き方をすてて人間になったといえるのです。だから、本能から自由に運動できる認識が生まれたのです。これに対して、唯物論は、従来の地上からの動物的な見方の延長線上の観方ですが、観念論は、新たに生まれた認識の働きによる天上からの人間的な見方と言えるものです。この両者の統一が現実の人間の観方になるわけです。

 たとえば、大金持ちになった観念論的な未来の自分の像と、貧乏な現実の自分の唯物論的な像との統一が、その矛盾・ギャップが、何としても大金持ちになるぞという目的・意志を生み出し、現実の活動を規定するというようにです。これは人間の活動の普遍性です。したがって、観念論と唯物論との統一こそが人間性の普遍性であって、学問だけ特別に唯物論だけでやるべきだとはならないのです。実際の学問の歴史を観ますと、観念論の潮流と、唯物論の潮流とが絡み合いながら発展してきた歴史が事実として実在していました。

 そして、ヘーゲルは絶対的本質の統括の下に両者が統一される絶対観念論が学問の立場であるべきだとしています。これは先に挙げた個人の目的意識の形成においても同様に、世界全体の本質的必然性、つまり本流の流れを踏まえて個人の目的意識を創り上げるべきであることを、「法の哲学」の中で説いています。曰く、この「必然性の洞察」がすなわち真の自由である、と。

 このことを、もう少し大きな観点である天上からの観念論的な観方で見てみますと、そもそも人類が動物的な本能に基いた生き方を捨てた理由は、その動物的な本能の相対的真理としては合理的ではあるが固定的であるがゆえに環境の変化に対応できない限界を克服するためでした。そしてその本能の限界を克服する道には二つの道がありました。

 一つは、本能独特の先天的な規定性を否定して、後天的に新たなプログラミングを自力で行って、変化に対応できるものを創り出して対応し、また変化をを意図的に創りだせるようにして克服したのです。

 もう一つの方法は、、相対的真理そのものの限界性を根本的に否定して、絶対性を希求したことです。これが宗教であり、個別科学に止まらない学問としての絶対理念です。つまり、人類は、弁証法を求めて、絶対理念の統括する学問を求めて、固定的な相対的真理の本能を捨てたのです。

 このような観方は、唯物論からは出てきません。なぜなら、唯物論は、地上の動物的な観方だからです。だから、南郷先生はヘーゲルの概念・絶対理念が分からす、否定したのです。まさにこれが、唯物論では学問ができない理由に他なりません。

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[2724] 南郷先生は唯物論を貫こうとして自分の創った偉大な論理を捨ててしまった
愚按亭主 - 2017年11月26日 (日) 15時02分

 これまで説いてきたことを総括してみたところ、大事な論理が浮かび上がってきましたので、追加的に補足したいと思います。その論理とは、表題に掲げた「南郷先生は唯物論を貫こうとして自分の創った偉大な論理を捨ててしまった」です。ところが、肝心の南郷先生ご自身は、どうもその自覚がないようで、むしろ学問的に大発展を遂げていると思ていらっしゃるようです。

 そこで具体的に自分の創った論理にどう反しているか見ていくことにしましょう。
1、自らがが創り上げた技論の否定
 南郷先生は直接的には空手の技を中心とした武道の技を研究する中から、技は真剣勝負の場から離れた最高の技を創ることができる環境下において基本技を創り、しかる後にその基本技を使用する過程に入るという論理を創り上げました。その後、この論理は人間の技一般に通づる普遍性をもつものである、という形で発展させました。ということは、この技の論理は、当然にも人間の観念的な技である論理化能力についても言えるはずです。

 ところが「哲学・論理学原論(新世紀編)」にある論理的な像の形成過程論を見てみますと、それがとても曖昧ではっきりしません。かと言って、その論理の強引な当てはめは当然にも唯物論に反しますので、できるわけがありませんから、これが精いっぱいの論理化であることは容易に推察できます。ところが、唯物論と観念論との統一した観点から人類の論理的な認識の形成過程を見てみますと、無理やり当てはめようとしないでも、対象自身から見事にくっきりとその論理像が浮かび上がってきて、さすが南郷先生が措定した技論は凄いものだと感動ものとして感じるはずです。

 また、この技論に加えて、南郷先生は人間に認識の発達過程の論理として、まず全体を全体としてとらえる全体的な認識から徐々に部分に焦点が絞られていく部分的認識へと発展していくという認識論的論理を説いていらっしゃいました。この論理は当然学問的な人思惟の発展過程にも貫かれている論理だと思います。この南郷先生が措定した二つの偉大な論理をからませながら、人類の学問的な人氏kの発展の歴史を眺めてみますと、ものの見事に鮮やかにそれらの論理が輝きを放って、真の現実の姿を浮かび上がらせてくれます。

 それが以下の現実です。ギリシャ哲学においてエレア派のパルメニデスが、世界全体を全体としてとらえて、現実の細かな事実から離れたところで単純化されたその論理性に着目した思惟の積み重ねの結果として、無を否定して有のみにする形で、世界の運動を止めて「世界は一にして不動」という原理を措定しました。以後ギリシャ哲学はこの原理を起点・基点として思惟の運動が活発に起こりプラトンを経てアリストテレスが形而上学(形式論理学)を創り上げました。これがすなわち静止体の弁証法の完成です。

 しかし、アリストテレスはそれに飽き足らず、イデアの観念的世界と現実の現象的世界との思弁的統一によって学問を完成させようと、基本技の使い方に相当する現象的世界の論理化という神経勝負に挑んだのです。しかし、多様な現象的世界は、思惟の対象である全体性の論理の世界とは違って、複雑ですぐにはうまくいきませんでした。それが、その論理亜が統一性がなくバラバラだという酷評につながり、南郷先生をしてまだ論理化の端緒についたばかりだという評価となったわけです。

 この南郷先生の評価は、現象的には当たっているけれども、本質的には当たっているとは言えません。なぜなら、南郷先生は基本技の修得過程を見ていませんし、その技の使い方の過程としてその現象をとらえていないからです。もっと言えば、基本和あの修得がなければ、人類に事実の論理の論理化は起きようがなかったといえるからです。

 では南郷先生の専門と言えるこの技の創って使うの弁証法的過程が、どうして南郷先生には見えないのか?観念論を認めないで唯物論的な事実の論理の修得過程の事実ばかりを拾い出そうとしていたからです。結果として自らが創りだした代名詞ともいえる偉大な論理も見えなくなり、使えなくなってしまったのです。

2、個々の細胞をいくら集めても生命体にはならない論の否定
 南郷学派はかつてウィルヒョウの細胞論を「個々の細胞をいくら集めても一個の生命体にはならない」と批判していました。全くその通りだと思います。ところが今、南郷学派はかつて自分たちが批判したウィルヒョウと同じことをやろうとしています。個別科学をたくさんより集めて総括すれば体系ができて学問が出来上がると信じているようです。これはすでにヘーゲルが否定していることなのですが、かつての自分たちも表題のように批判していたことなのです。

 どうしてこういうことが起きるのでしょうか?それは、彼らの信奉する唯物論が観念論を否定し、全体性を否定しているから、部分をよせ集めてやるしかないからです。では、その全体性とは何でしょうか?それは絶対的本質のことなのです。南郷学派は、生命の本流の歴史を見事に論理的に措定しました。この時本流の歴史であることを明言し自覚していました。これは本当にすごいことです。ですから私はこれをバネに南郷学派が本物の学問の完成者になることを本当に期待しました。というのは、本流の歴史とはすなわち絶対的本質の発展史と同一だからです。これで唯物論オンリー主義を克服してくれると期待したのですが、「哲学・論理学原論(新世紀編)」を見ますと、空振りだったようです。自らが措定した生命史観の論理すらもが最早忘れ去られたように、素朴な唯物論の論理になってしまっているかのような感じがします。一時盛んにヘーゲルの弁証法の単層構造に対して、発展的な重層構造を豪語していましたが、それはいったいどこへ行ってしまったのでしょうか?

 絶対的本質の体系的統括下における論理の構造化、定有の対自有化がないからこういうことになるのです。つまり、個々の細胞の寄せ集めだから一貫性がなく、概念の体系的発展がないから、その場だけの短髪になってしまうのです。観念論を否定することがこれほど大きな影響を及ぼすとは正直私も予想していませんでしたが、本当に凄いものです。

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[2725] 思惟の本当の意味・意義とは何か
愚按亭主 - 2017年11月27日 (月) 10時14分

 南郷先生は「思惟」について次のように過程的に規定しています。
@集めた膨大な知識に道筋がつけられる知識の集積が進む
A知識の集積と思考する実力の醸成される二重性で視てとることができるようになる(現実の世界と観念の世界)
B“思惟する”道筋を道筋にしようとする現実の世界の論理化

 唯物論だけで、事実の論理だけで「思惟」を解釈しようとするとこれが精いっぱいなのだと思いますが、しかし、これでは@の膨大な知識の集積がなければ「思惟」は生まれようがありませんが、現実の学問の発展史の史実は、事実の知識の充分な集積の前に、しっかりと「思惟」が生まれ、その「思惟」によって形而上学が完成していました。ところが南郷先生は、形而上学を形而下学と混同し一緒くたにして、アリストテレスには形而上学を創る実力はなかったとし、まだその端緒についたばかりだったと断定したのでした。なぜ南郷先生がそう断定するにいたったかは、上に挙げた南郷先生の「思惟」の三つの過程の規定を見れば容易に了解できます。事実の論理オンリーの唯物論からすると、まず形而下学があってしかる後に形而上学が創られるという順序になるので、その形而下学での論理的整序に一貫性を持たせるまでには至らなかったアリストテレスには、形而上学を創るだけの実力が備わっていなかった、と早合点してしまうのも無理もありません。

 しかし、ヘーゲルは「思惟」について事実で理解しようとする動きについて、明確に批判し否定しているのです。これはたとえて言えば、ゼノンの詭弁を事実で考えてはならないということです。つまり、「思惟」は、事実および事実の論理とは相対的独立において行われる、論理を論理のみでもってする論理的思考であり、人類にはこの過程が必須だったということです。すなわち、人類はその学問の曙において観念論的な哲学の歴史において、この思惟の運動を創り出す過程をもったからこそ、本格的な論理的な思考ができるようになったのです。それまでももっぱら感性的な抒情詩的認識が大勢を占めていたのが現実です。

 しかし、この問題についての追究を、これだけで満足してしまったのでは、中途半端な定有のままに終わってしまうので、それを対自有として、抽象的悟性を対自的理性にまで引き上げておかなければ、本当の体系化には結び付きませんので、さらにその観点からの検討を進めたいと思います。

 それはどういうことかと言いますと、この「思惟」を物質の絶対的本質の自己運動、すなわち本流の発展過程の一過程として、否定的媒介において捉え返したときに、どういう姿が見えてくるかという問題となります。

 具体的に言いますと、本来物質は、即自的な有(現象)と、対自的な本質(論理)との二重性を持っておりますが、それが生命の段階に到りますと、この有(現象)と本質(論理)とが活発な相互規定・相互浸透の運動をはじめ、その論理性が遺伝子として実体化して能動的・主体的な運動を始めて生命の進化的発展を主導するようになっていきます。

 それが人間の段階に到りますと、その本流としての発展を主導する認識が生まれ、その認識に論理的な遺伝子を受け継ぐ対自的な理性的認識と、即自的な有(現象)をとらえる感性的認識とが生まれました。このうちの対自的な理性的認識の運動(それ自体を創りだしかつ使用する)がすなわち「思惟」なのです。そして、絶対的本質の本流としての思惟の運動はすなわち弁証法そのものに他なりません。

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