カウンター 本当に「歴史上弁証法の全体像を提示できた学者はいない」のか? - 談論サロン天珠道
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[2641] 本当に「歴史上弁証法の全体像を提示できた学者はいない」のか?
愚按亭主 - 2017年06月21日 (水) 10時27分

 南ク先生は、夢講義3巻の、第二章 講義録「弁証法の上達の構造を説く、の第四節歴史上弁証法の全体像を提示できた学者はいない、の中で「かのヘーゲルも『私の弁証法は』と声高にこの言葉を用いてはいるのである。でも、彼らの誰一人として、弁証法の正体(全体像)を示してくれた御仁はいない!のである。」と断じています。はたしてそうでしょうか?私は、そうは思いません。なぜなら、ヘーゲルはそれを論理的にも具体的にも見事に提示してくれているからです。世界の絶対的本質である絶対精神が絶対理念へと至る発展過程論として弁証法の全体像を提示しているだけでなく、その運動体の弁証法の論理学までをも有論・本質論・概念論という形で体系的にきちんと提示しています。そしてそればかりでなく、その学的弁証法の上達の構造論までも、南ク先生の技の上達論よりも百年も前に、見事に提示してくれているからです。

 ところが、なぜか南ク先生には、それが見えていないようです。つまり、見れども見えず、となってしまっているようなのです。その原因は、観念論を否定しているために、絶対精神や概念論を頭から誤りだとして、非科学的な先入見のままにそれらを除外して対象外としてしまっているためです。その結果、南ク先生の視野の中には「歴史上弁証法の全体像を提示できた学者はいな」くなってしまったのだと考えられます。そして、その反面、南ク先生がこのように豪語する裏には、自分ならできるという自負・自信があるのだと思われますが、目下のところ、残念ながら他の著作を含めてどこにも、それが提示されてはいないようです。生命史観も、ヘーゲルの弁証法の全体像の一部でしかありません。おそらくは、全集第三巻にそれが展開される予定だと思いますが、これまでの取り組みを見ますと、それに大苦戦して、迷走している現状では、それが出来上がる可能性は限りなく薄いと言わざるを得ません。否、それどころか、確実に失敗するだろう道筋の方ばかりが、ますますはっきりとしてきています。

{南ク学派の弁証法の実態・実像}
 南ク先生は、自信満々に自らの頭脳が実体的にも機能的にも弁証法的に技化していることを誇って、次のように述べておられます。

「脳のはたらきである認識が,弁証法を駆使できるレベルを超して,認識そのものが弁証法性を帯びて,あたかも認識が弁証法的認識であるかのように,(観念的に)実体化していく状態を通過するなかで,それが相互浸透されて脳の実体そのものが,脳として,つまり脳の認識を創りだす能力そのものの機能が,弁証法化するという事態にまで発展していけるのである。
 すなわち,認識が弁証法的に考えようと思わなくても,勝手に弁証法的に考えてしまっている,すなわち,弁証法的な考えかたを自分で意図的に止めないかぎりは,必ず弁証法的に認識を創りだし,弁証法的な認識を創りだす,そういう脳の実体に量質転化化しているのである。」(pp.173-174)

 これを受けて京都の皆さんが弁証法の技化のために自分たちがどうしたらよいかについて、つぎのように述べています。
「そのような弁証法的頭脳活動が可能となるためには,どのようにすればよいか。それは,本書でも説かれていたとおり,弁証法の基本的な頭の働かせ方を意識して,それをくり返しくり返し辿り返すことであろう。具体的には,弁証法の基本書としての三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』を,改めて原点として設定し,そこに戻って,またそこから学び直すとともに,南郷継正の『“夢”講義』シリーズも,くり返しくり返し読み込んでいく必要があるだろう。」{「弁証法が技化した頭脳活動を味わう――一会員による『“夢”講義(3)』の感想(5/5)」}

 ところが、南ク先生が「夢講義(3)」の中で推奨している弁証法の技化の重要なポイントは、
「弁証法の学びも、教習所の運転コースから市街地へでていき、そこから郊外の道を走り、やがては高速道路へと、そこを経たら、いうなれば山道、がけっぷちの道、といったあらゆる道路を易から難へと訓練しつづけてようやくにして一人前のドライバーとなることができる(一人前の弁証法者となることができる)ものである。」(pp.172-173)

であるはずであるのに、あえて京都の皆さんがここではなく、教習所の運転コースをしっかりとやろうと結論付けたのは、自分たちはまだそのレベルだとの謙虚な自覚があるせいなのだろうと、推察されます。しかし、南ク先生は、自分の経験上から、、それではだめだ生の事実と格闘しなければ本物の弁証法は身につかないということを力説したのが、この「夢講義(3)」だと思います。

 さて、どちらが正しいでしょうか?その答えはズバリ、どちらも正解とも言えるものの、不正解とも言える不完全で中途半端な代物に過ぎないということです。京都の皆さんの思いは、まず基本技をしっかりと学びたいという思いは正しいと思います。しかし、その肝心の挙げられている基本技が基本技としてふさわしいものとは言えない代物だということです。つまり、京都の皆さんが挙げている「弁証法の基本書としての三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』を,改めて原点として設定し,そこに戻って,またそこから学び直すとともに,南郷継正の『“夢”講義』シリーズも,くり返しくり返し読み込んでいく必要があるだろう」が間違いなのです。では、それらの弁証法の何が拙いのかと言いますと、それらは絶対的真理の弁証法ではないからです。どういうことかと言いますと全体性の論理の弁証法ではないということです。極端なことを言えば、幹の弁証法ではなく、枝葉末節の論理の弁証法だということです。ですから、それは弁証法の基本技とはなりえないということです。それが証拠に、それを技化した南ク先生の論理的一貫性のなさ体系性のなさが、それをものの見事に証明しています。ここで取り上げている技の上達論を筆頭に、かつての自分自身がものにした論理を、次々と自分で破壊していっているという事実、しかもそのことに全く気付かないでいるという事実こそ、基本技であるべき全体性の弁証法ではなく、部分性の弁証法、使い方の弁証法のなせる業であり、欠陥であることを物語っていると思います。

 では、南ク先生の上達のコツの方はどうかと言いますと、弁証法を真の意味で完成させるためには、その過程は必須だという意味で正しいと言えますが、南ク先生の弁証法の上達の過程的構造には、弁証法の基本技とは何かや、その修得過程のありよう(本来その過程は事実から隔離されなければならないはずです)が明示されていないのは大問題です。はっきり言って「ない」と断じても過言でないほどです。それはなぜかと言いますと、不幸なことに南ク先生は弁証法の本物の基本技に出会う幸運に恵まれずに、分かりやすい三浦さんの枝葉の弁証法を本物の弁証法と錯覚して、しかし、それは実際にはあまり役に立たず、自力で事実から弁証法性を引き出すことによって弁証法の実力をつけたという経緯があり、そうして身につけた弁証法と三浦さんの弁証法とが同じレベルで基本技のありがたみがなく、しかも重層構造の自分の弁証法の方が数段複雑で素晴らしいものに思えたために、次第に基本技を軽視するようになっていって、ほとんど無視するするところにまでつき進んで行ってしまって、弁証法は事実から学ぶのが一番だという結論に達したのだと思われます。。

 南ク先生が、このように事実との格闘の中で、部分的な枝葉の弁証法を喧嘩拳法的に技化してしまったことからくる欠陥は、次のような形で表れています。それは、自分の経験に自信を持つあまり、対自的に全体に筋を通すということをおろそかにするようになって、あちこちに論理的に筋の通らない誤りを平気でで犯すようになってしまったことです。これができるということは、本物の弁証法の基本技を技化していない・してこなかったことの結果なのです。つまり、部分的な枝葉の弁証法だから、全体に筋を通す必要性を感じないから、そういうことが可能になるのです。もし、全体性の弁証法の基本技が本当に技化されていたならば、それが感情化されていたならば、天地がひっくり返っても決してそういうことは起こり得ない話なのです。ですから、これだけでも、南郷先生の弁証法には、弁証法の基本技がないか、あるいは崩れてしまっている、ということが言えるのです。つまり、一から多へ展開するばかりで、一へと戻る・収斂しない弁証法だということです。

 だから南郷先生の弁証法には、正統派の学問の歴史の香りが薄く、豪の者の強烈な独特の香りがするのです。ですから、そういう弁証法を土台として、認識論を学問的な認識学にすると豪語するのはよいのですが、実際その認識学の中に、学問の歴史においてとても重要な意義を持つ「先験的な純粋理性」とは何かについて、観念論だと否定するばかりで、認識論的な解明が一切ありませんし、その気もないようです。それらをすべて観念論的だとして否定し、自ら消しておいて、これまでの学問には見るべきものが何もないからと、なければ自分たちが、ゼロから唯物論的・認識論的に創るしかないと思っているようです。しかし、その南郷先生が否定し無視している、人類の学問における思弁哲学の歴史こそ、弁証法の基本技の形成過程に他ならないのであって、これなしに弁証法を学的に措定することなど、できようはずがありません。したがって、それを無視して創られる認識学とは、一体どのような認識学になるのか、空恐ろしくなります。

{本当の弁証法の基本技とその修得過程}
 では、本当の弁証法の基本技とは何か?一言でいえば、それはヘーゲルの概念の弁証法です。その基本技である概念の弁証法の中には、始原となるエレア派の有論すなわちパルメニデスの世界は一にして不動、から静止体の弁証法すなわち形而上学、そして運動体の弁証法という思弁哲学の歴史がすべて揚棄されて含まれていることは言うまでもないことです。つまり、「精神現象学」ならぬ、

<精神(本質)一 対 多すなわち現象(事実)>

という、この世界の普遍的構造の発展過程は、哲学の歴史において系統的に(再)措定されてきたものです。、具体的に言いますと、カントまでの静止体の弁証法の段階までは無機的物理的発展(たとえばその成果としてニュートン力学など)の論理として、さらに生命の誕生という画期的物質の有機的化学的発展の段階の措定としての運動体の弁証法が、ヘーゲルによって概念の弁証法として創り上げられたのです。この物質の発展の歩みの再措定は、論理化の能力を持つ遺伝子の外化としての理性的認識の思惟の運動のなせる技であって、それが全体性の論理を直観的に措定できる理由であり、これが経験の論理化の積み上げなしに行われるがゆえに「先験的」とされる所以なのです。ですから、これは物質の歩みの本質的必然性であり、これなしに学問は誕生できなかったと言えるほどのものなのです。したがって、これを観念論として否定することの愚かさが分かろうというものです。それは学問の歴史の否定・破壊であり、そこから学問が生まれると思うのは熱病病みの唯物論者の妄想にすぎません。

 この先験的・純粋な論理を始原とする絶対的真理(観念論)と、経験由来の事実を起点とする論理すなわち相対的真理(唯物論)とを、決して混同してはならないと峻別したプラトンとカントの、学問的認識の形成過程における功績は計り知れないものがあります。それは、アリストテレスやヘーゲルがそれぞれ静止体の弁証法・運動体の弁証法を完成させることができたのも、この過程があったからこそ、といっても過言ではないほどだからです。ところが、弁証法の基本技には必須なこの論理が、南ク学派の学的弁証法の技化の過程にはありません。これがどれほど重大なことかと言いますと、じつはこれが、弁証法の基本技の技化の中心と言えるほど重要な過程だからです。というのは、この過程は、空手の技の修得過程でいえば、戦いを否定して最高の技の形を身に刻み込む過程に相当するからです。これがすなわち、弁証法の基本技の修得において、一旦事実との格闘を否定し棚上げにしておいて、ヘーゲルの言うところの哲学の歴史の論理を観念論的に「教養」として身に着けることです。しかし、ここで注意しなければならないことは、京都の皆さんのように唯物論の立場からの上から目線で取捨選択していたのでは、絶対に教養として身につかない、すなわち真の弁証法の基本技は身につかない、ということです。残念ながら、折角哲学の歴史を真面目に学びながら、今のままでは徒労に終わってしまう可能性が非常に高いということです。つまり自由な立場で教養を学ばなければならないということです。

 「学城」五号にある瀬江千史著「南ク継正『武道哲学講義』のヘーゲル論は何を説くのかー主題は学問構築のための過程的構造論であるー」の中で、瀬江千史先生は、南ク先生が解読したヘーゲルの学問形成の過程的構造論について、ヘーゲルがそれを説いていることにまず驚き、次にその内容が南郷学派のそれと同一の内容で、自らもまさにそういう過程を踏んで現在に至っている体験的事実を踏まえての驚きを吐露しています。そこで、その部分を引用しましょう。まず、引用されているヘーゲルの言葉を見てみましょう。

「教養とは、精神が、実体的な生活の直接性から脱し、形成されてゆくことである。それが何にはじまるかといえば、一般的な原理や観点についての知識を獲得し、まず、ことがら一般の思想という場面へ自分を引き上げることである。そして、それらのものを支持するにも、反対するのにも理由をあげ、具体的で豊かな内容の充実に対し、それを明確に規定してとらえ、それにかんする整った報告とまじめな判断を与えうるようにならなければならない。教養のはじめは、いつもこれらのことに置かれるべきであろう。しかし、この最初の段階は、次にはやがて、充実した生の厳しさに席をゆずり、ことがらのそのものの経験へ引き入れられることになる。そして、そこへさらに、ことがらの深みに徹する概念的把握のきびしさが加わってきたとき、さきのような知識や評価は、議論のなかで、それぞれ適当な位置をもつことになるであろう。」

 ここで説かれているヘーゲルの上達論は、まず「教養」という基本技のレベルに自分自身を引き上げて、その「教養」を用いていろいろな問題を解いていくことが、第一段階だとしています。この第一段階の後者は、空手でいうところの約束組手に相当します。つまり、基本技をそのままに技を用いる訓練です。これによって基本技を現実的に使える技へと仕上げていく過程です。そして、その次の段階は、生きた事実との真剣勝負の経験を積むことです。これが南ク先生の言うところの「教習所を出て」市街地へ、高速道路へ、山のがけっぷちの道へ走り出ていくことに相当します。いわゆる基本技の使い方の過程です。このヘーゲルの上達論は、まさしく「その内容が南郷学派のそれと同一の内容」といえるものです。しかしながら、弁証法の上達論に限って言えば、ヘーゲルの方は同一なのですが、肝心の本家本元の南ク学派の方は、すでに何度も指摘してきたように、同一ではない技の崩れ・論理の崩れの内容になってしまっています。その原因が、南ク学派の弁証法には、基本技といえるものがないためであることは、すでに指摘しておいた通りです。

 以上のヘーゲルの上達論の観点から言えることは、ヘーゲルの「大論理学」が基本技そのものであり、「小論理学」を含めた「エンチュクロペディー」がその約束組手すなわちその基本技のそのままの適用であるということが言えると思います。この件については、以前にその構造を分析したことがありますので、再度ここで紹介しておきましょう。

「目次を見てもらえれば分かる通り、「エンチュクロペディー」の「自然哲学」章は、三項の論理の重層構造として体系的に説かれています。すなわち、
第一部 力学(量的普遍性)
  A 空間と時間(外枠的無限的普遍性)
  B 物質と運動(内在的質的特殊性)
  C 絶対的な力学(その完成形としての統体的個別性)
第二部 物理学(質的特殊性)
  A 普遍的な個体性の物理学
  B 特殊な個体性の物理学
  C 統体的な個体性の物理学
第三部 有機的な自然学(量と質の統体的な個別性)
  A 地質的な自然学(地球としての普遍性)
  B 植物的な自然(生命的地球としての特殊性)
  C 動物的な有機体(地球から独立的な統体的個別性)」(かつての削除した記事談論サロン「学城13号批判」より)

 以上のように、基本技に忠実に〈普遍性ー特殊性ー統体的個別性)の三項の弁証法的論理で体系的に叙述されているのです。このことは、滝村先生も指摘しているとおりです。しかし、なぜヘーゲルがそうしたのかの真意は、滝村先生には伝わらなかったようです。以下にその文章を引用しておkます。
 
「ヘーゲルがここでも、余りにも徹底的に、その概念弁証法による思弁的構成に、こだわり過ぎた点にある。それは、学的国家論を、〈法ー道徳ー人倫)という法的理念の弁証法的展開による、〈法哲学〉の構成に、端的に示されている。これを裏からいうと、国家論の学的解明において、〈国家〉それ自体を学的対象として、直接正面に据える学的方法が明確に斥けられたことである。」(「国家論大綱第二巻」452P)

 ヘーゲルは、弁証法の形成過程に関する三項の論理を、二種類残しています。その一つ目は、<抽象的悟性>→<否定的理性(弁証法)>→<肯定的理性(統体思弁)>です。これは弁証の上達過程の第一段階に相当します。ですから、この過程の<否定的理性>が基本技の創出段階であり、<肯定的理性>が約束組手段階です。これが、「エンチュクロペディー」であり、「法の哲学」となります。

 二つ目は、<即自的悟性>→<対自的否定的弁証法的理性>→<即自対自的肯定的弁証法的理性>で、これが、和あの使い方の過程、つまり即自的悟性すなわち事実との真剣勝負の学問の形成過程の第二段階に当たります。ヘーゲルは、残念ながら第一段階までで、ここまで到達することはできなかったようです。そのためには、創り上げた基本技を一旦否定して、事実との格闘の過程が必須となりますが、その過程を歩んだのがマルクスであり、南ク先生なのです。そして今、学問(絶対理念)の完成形としての<即自対自的肯定的弁証法的理性>に至るために、一旦唯物論を捨て<即自的悟性>を否定して、ヘーゲルの概念の弁証法を復活させなければならない段階にあるのに、それが自覚できなくて、唯物論から離れられなくて立ち往生しているのが、現在の南ク学派なのです。ところが、この過程はヘーゲルによって当に論理的に措定され、見通されている必然の過程なのですが、南ク学派は、ヘーゲルの掌で奮闘している己の姿に気づかず、ヘーゲルと超えたと錯覚しているうちは、難しいかもしれません。もっと謙虚になれば道は開けてくると思いますが・・・・・・。

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[2642] 弁証法には学問を体系化できる中身がなければならない
愚按亭主 - 2017年06月24日 (土) 17時28分

〔上達過程における約束組手と学問の冠石との相似性・区別について〕
 前の記事で、私は、ヘーゲルは弁証法の基本技の約束組手の段階まで到達していたこを述べました。しかし、空手の約束組手というと、まだレベルが低いというイメージがありますので、誤解を与えてしまうことになってしまうという危惧がどうしても生じてしまいますから、急いで補足説明をすることにしました。

 結論から言いますと、確かに上達論的には、空手における約束組手に相当する段階を経る必要がありますし、ヘーゲル自身もそう述べております。しかし、当然のことながら、ヘーゲル自身の弁証法が、その段階に止まったということでは決してありません。つまり、弁証法の基本技を創り上げ、弁証法を完ぺきにものにしたへーげが、学問の体系化に向けてその金字塔となる「エンチュクロペーディー」や「法の哲学」を著したということです。そしてその絶対的真理の弁証法の適用のあり方が、、対象を論理の形のままに斬る、もっと言えば、対象を本質的論理に従わせるという点が約束組手と相似性があり、かつまた人類の弁証法の発展における順序としても相似性があることから、私は「ヘーゲルの『大論理学』が基本技そのものであり、『小論理学』を含めた『エンチュクロペディー』がその約束組手すなわちその基本技のそのままの適用であるということが言えると思います。」と言った真意としたのですが、それが学問の体系化における学問の冠石の本姓であり、本質的必然的過程であったという点で、大きく異なるものであることは明記しておく必要があると思います。、人類の弁証法ができあがる必然的過程として、約束組手に相似の学問の冠石としてヘーゲルが著したという意味であり、その過程は、学問の体系化になくてはならない言いたかったのです。なぜなら、この絶対的真理としての、全体を一体的に統括するために必須な本姓は、のちに第二の否定としての学問の体系化の仕上げの過程において、その特性がいかんなく発揮されるものだからです。念のためつけ加えておくならば、この絶対的真理が本物の真理であるならば、必ず事実および事実の論理の方が、最終的にそれに従い自らを揚棄してその中に納まっていくものなのです。

 このことについて、私はかつて、ヘーゲルから独立に自力で、絶対的真理の弁証法と相対的真理の弁証法との対象とのかかわり方の違いについて、次のように述べています。これは、3年前に、私が書いた弁証法のテキストの中の一節です。

「先に、基本技としての絶対的真理の弁証法は、対象の側を絶対的真理の弁証法に合わせるべきものであることを述べました。これに対して、使い方としての相対的真理の弁証法は、多様性・運動性に富む対象に、相対的真理の弁証法の側を柔軟に合わせるものである、ということを述べておきましたが、ここではそのことについて、詳しく説明しましょう。

 絶対的真理の弁証法は、本質的必然性の論理ですから、如何なる対象にも必ず含まれているべきものです。ということは、その論理からは到底それを想像できない場合においても、必ず含まれているべきものですから、その対象の論理を強引にそれに合わせようとしてはじめて、その論理が浮上してくると言う場合があります。時間と空間の概念がそれです。対象そのものの論理から、この時間と空間の概念は直接に浮上してくることはありません。何故なら、この絶対的真理の時間と空間の概念は、その対象の外側から見て、対象そのものの内容の具体的な性質を全部打ち消したところに生じる空虚な概念が、時間・空間の概念だからです。つまり、これが、認識の側が対象に与えた性質ということの中身です。だから、絶対的真理の弁証法は、対象に合わせるというよりも、むしろ、対象の論理の側の方を、絶対的真理の弁証法に合わせ従わせる、と言えるものなのです。

 これに対して、相対的真理の弁証法の方は、絶対的真理の弁証法のように外側から媒介的にではなく、対象の内側に入り込んでその構造の弁証法性と自らの構造とを直接的に合わせる・同一化するものです。さらにそればかりでなく、相対的真理の弁証法は、世界全体の一部としての対象を、全体から切り離して、その部分自体を全体として、対象の論理を究明していくものです。したがって、そこで創られた個別科学として完結した体系、およびその体系化に貢献すると直接に創られた相対的真理の弁証法は、全体の一部分にすぎないものを全体とみなすことによって、形成された論理の弁証法として創られたということですから、独立的に創られた個別科学をまた学問全体の一部に戻してやると直接に、己自身も絶対的真理の弁証法の一部として創り直さなければならないのです。つまり、全体的な絶対的真理の弁証法と、部分的な相対的真理の弁証法との対立物の統一・統合が必須であり、それなしには学問は完成できないと言うことなのです。ここにも大事な重層構造が存在しています。」

 この文章は、弁証法の基本技とは何かについて、絶対的真理の弁証法が基本技であるとだけ確信してまだその中身について何もなかった抽象的なものでしかありませんでしたが、それでもこれだけのことを展開していて、内容について訂正する必要はさほど感じませんので、我ながら驚いております。

〔弁証法と学問の体系化について〕
 弁証法が学問の体系化に大きく貢献することは、南ク学派においても言われていることです。しかし、南ク学派の弁証法を見ますと、それにふさわしい内容が備わっているとは到底思えません。三法則と重層構造だけでは学問の体系化の武器とはならないということです。だから国家論の体系化を目指す滝村先生は、そういう弁証法は学問の体系化の役に立たないと否定して、ヘーゲルの概念の弁証法を学びなおしたのです。ここで滝村先生が犯した誤りは、エンゲルスの弁証法がだめで、マルクスの弁証法は良いとしたことです。その結果、マルクスの誤りをそのまま踏襲することになってしまったのです。つまり、ヘーゲルよりもマルクスの方を信じてしまったということです。その結果として、ヘーゲルのつまみ食いになってしまったのです。

 具体的に言いますと、滝村先生がヘーゲルの概念の弁証法から学び取ったものは、<普遍ー特殊ー個別>の三項の論理だけになってしまったのです。ところが、学問を体系化するにあたって、それ以上に重要なはずの学問の体系化の設計図ともいうべき三項の論理については、全く言及がありませんでした。それは何かと言いますと、前の記事で取り上げた二種類の三項の論理です。復讐になりますが一つ目は、絶対的真理の弁証法(学問の冠石)の生成過程の三項の論理であり、もう一つは学問の生成過程の三項の論理です。
具体的には
前者が、<抽象的悟性ー否定的理性ー肯定的理性(統体思弁)>
後者が、<即自的悟性ー対自的否定的弁証法的理性ー即自対自的肯定的弁証法的理性>
です。

 この三項の論理は、マルクスも南郷先生も無視しています。その原因と思われる、三者の共通項は、学問は唯物論的な相対的真理の系列で体系化されるべきだ、と思っていることだと思います。このことが学問の体系化にどのような影響を及ぼすのかと言いますと、体系が大きく崩れてバラバラになって体系化が不可能になってしまうほどの大きな影響を及ぼすことになってしまうのです。

 事は、天を切り落とせば済む話ではなくなってしまうということです。その影響は、<有論>レベルにおいても、<定有>までで<対自有>が消えてることによって、全体とのつながりが消えてなくなってしまうことになるということです。前の記事で挙げておいた滝村先生の次の文章はそのことをものの見事に表しています。

「ヘーゲルがここでも、余りにも徹底的に、その概念弁証法による思弁的構成に、こだわり過ぎた点にある。それは、学的国家論を、〈法ー道徳ー人倫)という法的理念の弁証法的展開による、〈法哲学〉の構成に、端的に示されている。これを裏からいうと、国家論の学的解明において、〈国家〉それ自体を学的対象として、直接正面に据える学的方法が明確に斥けられたことである。」(「国家論大綱第二巻」452P)

 これは、あきらかに<対自有>の否定です。滝村先生はヘーゲルから一体何を学んだのか?これは皮肉にも、滝村先生の、ヘーゲルの概念の弁証法・およびその体系への無理解さを物語るものになってしまっています。加えて、滝村先生は、南ク学派から、国家とは何かの一般論がなく、階級闘争史観に災いされていると批判されていますが、その大本は、すでに説いておいたように、マルクスの「ヘーゲル国法論批判」の中で展開されたヘーゲルの概念の弁証法の統体止揚を排除した、<対自有>なしの<定有>同士の形而上学的矛盾論(敵対的矛盾論)にあります。

 このマルクスのヘーゲルの概念の弁証法の否定によって、それ以降の学問界は、統括者不在の相対的真理の系列の有限な規定性の集まり、すなわち烏合の衆に過ぎなくなってしまったのです。それがマルクス以降の学問の実態であり、論理的一貫性の喪失が現象している学問界の現実なのです。南郷学派はそうした現実を変えるべく志高く出立したのですが、はじめは意気揚々と目覚ましい成果を上げていたのですが、ヘーゲルを越えたと錯覚した時点から、反省・反照がなくなり驕りが出てきて、哲学の歴史・弁証法の歴史を説く段になって、一気に唯物論に固執するそのかたくなな態度の限界性が露呈することになってしまったのです。結果として、今の南ク学派は、唯物論を貫こうとすればするほど論理的一貫性がなくなり、観念論的な哲学の歴史を観念論的に措定することを拒否した結果として、反対にそれに規定されて、自ら否定し消してなくなってしまった哲学の歴史を「背後霊」なる観念論的な概念を持ち出してまで、唯物論もどきにねつ造するという無理を通そうとしている始末です。

 しかし、その南ク先生も、かつては、学問の歴史を親潮(観念論)と黒潮(唯物論)との絡み合いの歴史と捉えていたのです、これは全く正当でした。ところが、後に南ク先生はこの正しい学問の歴史の正統な大局観を、認識論的な矮小化された言い訳をつけて否定してしまいます。これには一体どうしたというのかと大変驚きました。

 学問の歴史は、南ク先生の初めの直観のように、まずエレア派のパルメニデスの、無を否定する有論すなわち世界は一にして不動という絶対的論理によって対象的に確定され、これを始原として観念論的な思弁哲学の歴史が始まります。これがすなわち学問の曙であり黒潮の誕生です。ここから絶対的真理の系譜の学問的な発展が始まったということです。しかし、南ク学派はこれを無視しています。というより、自分たちが展開する弁証法の歴史において言及がないかと思えば、突然ゼノンの詭弁についてそれが弁証法の歴史にどういう意味があるかの位置づけなしに取り上げてみたり、と「背後霊」を思いついたので取り上げたのではと勘繰りたくなるほどに場当たり的に見えます。それはともかくも、この絶対的真理の系譜の黒潮の流れは、アリストテレスの形而上学(静止体の弁証法)の完成をもって、黒潮すなわち事実を始原とする唯物論的な相対的真理の系譜になだれ込んで行って大きなうねりを生じさせます。これが自然科学の勃興であり、ニュートン力学などの多(現象)の中の不動の一(法則の発見)です。そして、それらをもとに相対的真理の系譜の哲学ともいうべき「経験論哲学」の誕生です。かくして隆盛となった黒潮の勢いが、19世紀になって、親潮に注ぎ込んで混ざり合い渦巻きとなって、カントによる静止体の弁証法の19世紀的復活となり、うねりはそこに止まらずに、ヘーゲルの運動体の弁証法までも生み出すという親潮の巨大なうねりとなって現出したのです。本来ならばここでマルクスの黒潮の潮流が合流して、親潮と黒潮の学問の一大潮流となって絶対理念へと向かうべきところが、マルクスの率いる黒潮の潮流は、親潮の流れに逆らってその勢いを打ち消すように流れ込んだ結果として、それまで規則正しく打っていた学問の鼓動が乱れ、それぞれが勝手に打ち出す心房細動状態となっていびつな発展をするようになっているのが、現在の学問界の状況です。

 

 



 



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[2643] 分からない箇所があります
清野 眞一 - 2017年06月25日 (日) 13時35分

いつも学ばさせていただき感謝しております。

さて今回は下記の文章の中の特に「学問の亜毛羽」のところが何に関しての転換ミスかが全く渡りませんでした。

再度明確にしていただければ幸いです。

「学問の歴史は、南ク先生の初めの直観のようにまずエレア派のパルメニデスの無を否定する有論すなわち世界は一にして不動という絶対的論理によって対象的に確定され、これを始原として観念論的な思弁哲学の歴史が始まります。これがすなわち学問の亜毛羽のであり黒潮の誕生です。ここから絶対的真理の系譜の学問的な発展が始まったということです」

Pass

[2644] ご指摘ありがとうございます
愚按亭主 - 2017年06月26日 (月) 10時02分

>清野真一さま
 変換ミスは、「曙」でした。本文の方は訂正しておきました。ありがとうございました。チェックをきちんとしなかったために、余計なお気遣いを指せてしまいました。
 あざねる縄とすべくこれをキッカケとして、もう少し論を進めましょう。学問の歴史における観念論と唯物論との二つの潮流の誕生と、そのあざなえる縄の如き発展は、しっかりとした普遍性にもとづいた本質的必然性といえるものでした。したがって、観念論全般を誤りだとして否定することは、その本質的必然性を否定することに他なりません。ですからそれを否定して、すべて唯物論で作り直そうとする南ク学派の試みは、本質的必然性に反するものであり真理の資格を持たないものとなり、結果として強引なねつ造的な解釈にならざるを得なくなると思います。その意味で、その試みは失敗に終わることは目に見えています。

 では、その「しっかりとした普遍性にもとづいた」の「普遍性」とはどういう「普遍性」かと言いますと、「精神現象学」ならぬ精神と現象の二重構造、すなわち論理性と事実性との二重構造が、物質全般に貫かれている本質的な普遍性だ、ということです。この普遍的な二重構造の発展形態が、遺伝子とその現象形態としてのさまざまな生物体の事実であり、認識における理性的認識と感性的認識との二重構造であり、それにもとづく思想体としての観念論と唯物論なのです。ですから論理・観念を始原とする観念論と現象的事実を始原とする唯物論との二重構造は、学問の必然的な構造といえるものです。また、このような二重構造があるから、学問の方法として演繹法と帰納法も生まれることになったのです。

 良くヘーゲルを何十年も研究してもヘーゲルが分からない人が大勢いますが、それはヘーゲルの言葉で考えるからわからないのです。私は、ヘーゲルの論理像として考えるので、その論理性がよく分かるだけでなく、その論理性にもとづく概念の自己発展をも起こせるようになったのです。上に展開した論理もその一例といえます。おそらく、こういうことはヘーゲルは直接に言葉にしていないと思います。(不勉強で全部読んではいないので分かりませんが・・・。)もしかしたら言ってるかもしれません。これまでも、自分で論理展開したものが、後で同じことをヘーゲルも言っていることを知ったということが、これまで何度もありましたから・・・。

 それはともかく、学問の歴史は、観念論的な絶対的真理の系譜の親潮と、唯物論的な相対的真理の系譜の黒潮との、二大潮流のあざなえる縄の如き絡み合いで発展してきたことは歴史的事実であり、今後も、学問が絶対理念(学問の完成形態)へと向かう道筋は、その道しかないというのが本質的必然性であると思います。

 もうそろそろ人類は、学問を科学的に樹立するとか、唯物論を貫かなければ学問は出来上がらないとか、相対的真理の系列のみで学問は完成できるという観念に縛られること自体が、そもそも誤りであることに気づくべきです。そのことは、南ク学派が示してくれている事実で充分に検証されるはずです。

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[2645] 対自有とは何かーまだ誰も説いたことのないヘーゲル哲学の構造
愚按亭主 - 2017年06月28日 (水) 16時36分

 私は、ある人からこの談論サロンでの論述について「支離滅裂だ!」と厳しく批判されました。そこでその支離滅裂の中身を良く知ろうと質問したのですが、私があまりに謙って「教えてほしい」とお願いしたものですから、その人物は、私がその答えからヘーゲルの論理学の私の知らない内容を、苦労せずに得て安易にそれをそのまま自分の成果のようにここで披露されるのではないかと警戒したようで、教えてくれませんでした。そこで、やむを得ず、これまでの流れから勝手に推測してみると、おそらく
[2642] 弁証法には学問を体系化できる中身がなければならない」のところで展開した下記の部分について言っているのではないか、と想像しております。

          *       *

 事は、天を切り落とせば済む話ではなくなってしまうということです。その影響は、<有論>レベルにおいても、<定有>までで<対自有>が消えてることによって、全体とのつながりが消えてなくなってしまうことになるということです。前の記事で挙げておいた滝村先生の次の文章はそのことをものの見事に表しています。

「ヘーゲルがここでも、余りにも徹底的に、その概念弁証法による思弁的構成に、こだわり過ぎた点にある。それは、学的国家論を、〈法ー道徳ー人倫)という法的理念の弁証法的展開による、〈法哲学〉の構成に、端的に示されている。これを裏からいうと、国家論の学的解明において、〈国家〉それ自体を学的対象として、直接正面に据える学的方法が明確に斥けられたことである。」(「国家論大綱第二巻」452P)

 これは、あきらかに<対自有>の否定です。滝村先生はヘーゲルから一体何を学んだのか?これは皮肉にも、滝村先生の、ヘーゲルの概念の弁証法・およびその体系への無理解さを物語るものになってしまっています。加えて、滝村先生は、南ク学派から、国家とは何かの一般論がなく、階級闘争史観に災いされていると批判されていますが、その大本は、すでに説いておいたように、マルクスの「ヘーゲル国法論批判」の中で展開されたヘーゲルの概念の弁証法の統体止揚を排除した、<対自有>なしの<定有>同士の形而上学的矛盾論(敵対的矛盾論)にあります。

        *        *

 ここで展開した論理は、おそらくまだヘーゲル研究者の誰も展開していない内容だと思いますので、この御仁も聞いたことないでたらめを言っていると思って「支離滅裂」と表現したであろうと想像しております。ここで私が展開したことは、ヘーゲルの体系は概念の弁証法の体系だから、「天を捨てよ」とばかりに概念論を排除すればそれで済むというものではない、ということです。つまり、体系の下部構造である有論も本質論も、概念の弁証法で展開されている、ということです。ですから、現象論的な有論の中にも概念論的な「対自有」がモメントとして含まれているのです。即自有の一部であるまだ無規定な「有」が、自ら独自の運動をする中で、独自の規定性を獲得して「定有」となったあと、再び、今度は対自的な規定体となった対自有の中に自らを揚棄してその一部として一体化して消えていくことを「対自有」というのですが、これは、何のためかといえば、全体から部分が相対的に独立するのは、あくまでも全体の発展の一過程に過ぎないのであって、全体に戻らずに勝手に独自性ばかりを追求していびつな発展をしないように、第二の否定が行えるように、全体に戻れるようにするためのモメントだということです。

 ところが、マルクスや滝村さんや南郷学派の体系には、おそらくこの「対自有」が存在しないであろうことは、容易に想像できることです。だから、滝村さんはヘーゲルの言葉の意味が分からずに、折角国家論を「定有」として措定したのに「〈国家〉それ自体を学的対象として、直接正面に据える学的方法が明確に斥けられた」とヘーゲルに対して不平不満を述べたのです。つまり、滝村さんはヘーゲルから学びながら、ヘーゲルから本物の学的方法を学び損ねてしまったのです。南郷学派も、「定有」として規定できればそれでよいと済ませているだろうと思います。それが体系的に存在しないことは、学問の真の体系化はできない、ということに気づいていないと思います。

 私は、こういうことを、ヘーゲルの「小論理学」の中の「有論」をはじめて読んだだけで、すぐに分かったのですが、それを言うと、件の紳士は、私よりずっと頭の良い先生が10年以上かけて真面目に研究してなお慎重に発言しているのに、ちょっと拾い読みしただけで分かったつもりになって、確証もなしにいい加減なことを公言する姿勢は不真面目だと、私を非難してくるのです。

 しかし、私の立場から言わせてもらいますと、そんなに頭の良い人が10年以上も一心不乱に研究してきて、どうしてこのような簡単なことが分からないのか不思議です。じつは、不思議でもなんでもなく多くの研究者はヘーゲルの概念の弁証法をヘーゲルの言葉で理解しようとするから分からないのです。私はヘーゲルの弁証法の論理像を自前で創ってそれをもってヘーゲルの言葉を理解しようとするので、苦も無くすぐに分かるのです。だから、私を批判する件の紳士に言いたいことは、人の説ばかり漁っていないで、ヘーゲルの哲学の論理像を自前で創らないと、いつまでも若くないぞ!ということです。

 

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