カウンター 南ク先生のゼノンの詭弁=絶対矛盾論・背後霊論(学情15号」のどこが違うのか? - 談論サロン天珠道
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[2627] 南ク先生のゼノンの詭弁=絶対矛盾論・背後霊論(学情15号」のどこが違うのか?
愚按亭主 - 2017年04月28日 (金) 18時25分

 「学情15号」を拝読しました。皆さんいろいろな分野で頑張っているのを見て、とてもうれしく思いました。その意気軒高・意気揚々とは裏腹に、このままでは学問の完成はとうてい不可能であることが、ますます明確にになったことも確かです。

 それは、南ク先生が説くところの「背後霊」なるものが何を意味するかが分かったからであり、南ク先生の大いなる勘違い、というより生命の誕生の論理化で威力を発揮した量質転化にこだわって、その問いかけで創り上げた幻影に囚われて、ヘーゲルの言わんとすることを素直に受け止められなくなってしまっているように見受けられます。そこで、ヘーゲルが何を言っているのかを示して、その勘違い・幻影から目覚めて、真の学問の完成に邁進していただきたいと願うばかりです。

 まず、議論の前提となる基礎的な問題について明らかにしておきたいと思います。そのために格好の一文を見ていただきたいと思います。それは「学情15号」の中にある「唯物論の歴史を学ぶ(三)」(朝霧華刃著)の中の次の一文です。

「私にはシュヴェーグラーさんに関しては、述べたいことが山ほどあるのです。例を一つだけあげておきます。

 哲学を経験的な諸科学から区別するものは哲学の素材ではなくて、その形式、方法、認識の仕方である。

 これは南郷先生の哲学講義を学んだ私からすれば、間違いだらけだと思えてしかたがないのです。」

 これはおそらく、南ク学派共通の認識だろうと思います。じつは、これこそが南ク学派がヘーゲルを正しく理解できない原因であり、学問を完成できないと私が断ずる理由でもあります。もっと言えば、これが南ク学派が哲学の歴史・弁証法の歴史を説(解)けない原因なのです。そして、その大本は、真理論の誤りにあります。これがどれほど重大なことかを、これから説いていくことにします。

〔絶対的真理とは全体的真理、相対的真理とは部分的真理〕
 では早速、絶対的真理とは何か?相対的真理とは何か?ということから説明していきたいと思います。まず絶対的真理というのは、唯一無二の大本の真理ということです。つまり、何があっても変わることのない永遠不変の本質的な真理だということです。これに対して相対的真理は、一定の範囲内では真理であってもその範囲を超えると真理でなくなって誤謬に転化してしまうような有限な真理を言います。

 なぜこのような違いが生まれるのかと言いますと、まず絶対的真理は、全体を貫く本質的な真理だということです。だから、カントはこの真理のことを「高貴な真理の王宮の女王様」と表現したのです。

 一方、相対的真理の方は、全体の中の一部分にのみ該当する真理だということです。したがって、その部分に該当する範囲を外れると、もはや真理と言えなくなってしまうような真理のことを相対的真理と言います。私たちがある事実に焦点を絞って真理を探求しようとするとき、その真理は必ず相対的真理となる宿命を持っています。なぜなら、私たちが全体の中のある事物を問題とすることは、すなわち全体を否定するということであり、全体を否定することなしにある事物を問題とすることはできないからです。

 このことは何を意味するかと言いますと、全体の真理は、部分的な事実から直接的にも媒介的にも生み出されるものではないということです。では何処から生み出されるのかと言いますと、全体性の論理性を直接に直観しそれを出発点として思惟によって、理性的認識の所産として創りだされるものです。これに対して、相対的真理は事実から事実を丸ごと受け止める感性的認識を出発点として生み出されます。この決定的な違いを理解することが、ヘーゲルの弁証法を理解する上で最も重要なことです。なぜなら、多くの偉大な先達が、ここのところで躓いてヘーゲルを正しく理解できなかったからです。

〔相対的真理をいくら集めても絶対的真理にはならない〕
この真理の性格の違いについて、昔から哲学で問題とされてきました。そのことがヘーゲルの「小論理学」に説かれています。「直接知」の項の八二でヤコービのスピノザ批判を次のように紹介しています。
「認識とは有限なものの認識、すなわち、制約されたものから制約されたものへと系列をなして進む思惟の進行に過ぎない。この系列において制約となっているものは、いずれもそれ自身また制約されたものにすぎないから、この進行は制約された制約を通って進む思惟の進行に他ならない。したがって、説明とか概念的把握とかは、或るものを他のものによって媒介されたものとして示すことを意味し、そこではあらゆる内容が特殊であり、依存的であり、有限である。そして無限なもの、真実性、神は、認識がそこから一歩も出ないような機械的連関の外にあるものである。――以上述べたようなヤコービの反駁において重要な点は、カント哲学がカテゴリーの有限である理由を、主として主観性という形式的な性質のうちに見出しているのに反して、ヤコービはカテゴリーの本姓を問題にし、カテゴリーそのものの有限であることを認識していることにある。―— ヤコービが特に念頭においていたのは、自然にかんする諸科学が自然の諸力や諸法則の認識において収めたかがやかしい成果であった。ララントは、自分はくまなく空をさがしてみたが、神を見出さなかったと言っているが、こうした有限なものの地盤にとどまっているかぎり、無限なものが見出されないのは当然である。この地盤における最後の成果として生じたものは、外的な有限物の不定な集合として普遍、すなわち物質であった。そしてヤコービは正当にも、単に媒介から媒介へ進んでいく方法をもってしては、これ以外の結果はえられないことを洞察したのである。」

 ここに、とても重要なことが書かれています。それは、「諸科学」は「かがやかしい成果」を挙げてはいるものの、「有限なものの地盤」すなわち相対的真理の立場、事実にもとづく科学的・唯物論的な立場に止まる限り、「無限なもの」すなわち絶対的真理に到達することは不可能であり、したがって、その統一による真の学問の完成は難しい、ということです。

〔哲学の論理の形成過程と科学の論理の形成過程の違い〕
 南ク学派は認識学を標榜しているのに、この異なる二つの論理的認識の形成過程を異なるものとして全く究明しようとしていません。長い哲学の歴史において、連綿と問題とされ続けてきたのにも関わらずです。、しかも、赤ちゃんの認識が全体を全体として反映することから始まると説いておりながら、人類の学問が哲学(世界の全体的真理を追究する)から始まったことを知りながら、直接知とな何か、純粋理性・先験的理性とは何かを究明しようとしていません。

 南ク学派がしようとしているのは、哲学もすべて一緒くたにして、相対的真理の科学的論理の形成過程としてのみ究明しようとしているのです。しかし、科学的・唯物論的な事実の論理化は、様々な必然性が絡まりあって偶然性として現象しているので、その論理化はとても大変なのです。だから、諸科学の体系化がようやく体をなしてきたのはヘーゲル以降のつい最近の話なのです。唯物論だけが学問的な方法だと思い込んでいると、こういうことが分からなくなって、解明できるものに制約が生じて、「背後霊」などを持ち出さざるを得なくなってしまって、言葉にできない論理化できない自分を、そういう形で誤魔化すしかなくなってしまうのです。

 これに比べて、哲学の全体性の論理性の把握は、面倒な事実が隠れてしまって、全体像を大まかに大胆に直観できるようになるので簡単なのです。だから、学問は、そこから始まったのです。そして、その発展も基礎となる論理の上に、事実を媒介とすることなく、その論理性に基づいて論理を体系化していく形で行われます。このことを思惟と呼び、その結果創られた哲学を思弁哲学と言います。これは歴とした正当な学問の冠石を措定できる唯一の方法なのです。このことをシュヴェーグラーは言っているのですが、南ク学派には通じなかったようです。

 ちなみに、、この思惟の運動形態こそが弁証法の基本技なのであり、この期間に弁証法的な論理能力が鍛えられるのですので、とても重要です。この基本技の修練の期間は、空手の基本技が戦わない形で創られるように、事実とかかわってはいけない期間です。ところが、南郷学派は、いきなり論理を事実と絡めて理解しろとなります。ですから、絶対的真理レベルの最高級の論理能力の技は、創るのが難しくなるのです。つまり、南ク学派の弁証法の学習法は、喧嘩憲法の学習法だということです。

〔ゼノンの詭弁の哲学史における本当の意義とは何か〕
 南ク先生は、ゼノンの詭弁を言葉にならない背後霊的認識こそが重要だとして、ゼノンの詭弁を概念化するとそれは「絶対矛盾」ということだ、として歴史的な一大発見となるかのように書かれています。

 按ずるに、ゼノンが、言葉にしなかった背後霊的認識として飛んでいる矢の像があり、これが言葉にした「飛んでいる矢は一点に止まっている」と、互いに相容れない「絶対矛盾」を形成するということなのでしょう。しかし、私はゼノンの詭弁の哲学史における本当の意義はそこにあるのではないと思っているのですが、百歩譲ってそうだとして、南ク学派の説く弁証法の歴史においてどのように位置づけるつもりでしょうか?ソクラテスとの関係は?プラトンとはどうなのか?やはりパッと咲いてパッと消えた徒花のような存在とするのでしょうか?興味のあるところです。いずれにしろ、南ク学派の弁証法の歴史そのものが少しも弁証法的でないので、とても苦しいのではないかと思います。

 そこで、私の方から、ゼノンの詭弁の哲学史における本当の意義について、説明していきたいと思います。ゼノンは師匠であるパルメニデスの「世界は一にして不動」という全体性の論理を基点としてその論理性を展開していきます。ですから、この作業は純然たる思惟の運動であって、事実を媒介としない論理のみの展開でした。だから、時間および空間の無限性の論理から、飛んでいる矢を止め、アキレスと亀の関係性の不変を立証することができ、永遠に追い越せない関係性の不変性を立証できたのです。これを事実を媒介にして考えようとすることこそ、思弁哲学とは何か、思惟の運動とは何かが分かっていない証拠なのです。ですから、ここに背後霊が入り込む余地はなかったのです。

 南郷先生は、己の得意とする相対的真理の論理性、事実の論理の形成過程の一般性からこの問題と解こうとしたために、そのことが分からなかったのです。

 以上の検討から言えることは、パルメニデスの「世界は一にして不動」論およびゼノンの詭弁の哲学史・弁証法形成史における本当の意義は、すでにヘーゲルが解いてあるように、絶対的真理レベルの理性によって導き出されたこの両論が、抽象的悟性たる「万物は流転する」を否定的に媒介したこと(これを弁証法という)です。そして、その対立する両者の統体止揚として、プラトンが唱えた、「不変のイデアこそが真理であり、変転多様の現象的世界はその投影に過ぎない」論を経て、アリストテレスの、現象的世界は実在するが、その形の世界の上に不変・普遍の真理の世界があるという形而上学(静止体の弁証法)の完成がある、という形で哲学の歴史が進行していくことになります。


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[2628] ヘーゲルの「哲学史」のアリストテレス評の本当の読み解き方
愚按亭主 - 2017年04月29日 (土) 10時40分

〔ヘーゲルの「哲学史」のアリストテレス評の構造〕
 南ク先生は、「学城15号」においてヘーゲルの「哲学史」のアリストテレス評を何ページにもわたって長々と引用しています。折角このように詳しく引用しておきながら、不思議なことに、南郷先生自身の構造に立ち入った解説・論述が、ほとんどないことに違和感を禁じ得ませんでした。まるで、言いたいことはすべてヘーゲルが言ってくれた、と言わんばかりでしたが、わずかに言及された内容を見ると、ヘーゲルの真意を全く分かっていない、と言わざるを得ません。おそらく南ク先生は、これまで南ク学派がアリストテレスの論理能力は事実の論理を整理して体系化できるまでには至っていなかったということを主張してきましたが、ホレこの通りヘーゲルもそういっているではないか!だから、南ク学派が認識論的に論理的認識の形成過程として弁証法の歴史を説こうとすることが、本当の実態を明らかにすることであり正しいのだ、ということが言いたくて、ヘーゲルのアリストテレス評を長々と引用したのではないか、と想像します。

 だとするならば、それはとんでもない誤解です。まず第一に、ヘーゲルは、このアリストテレス評を弁証法的に説いているのですが、それが全く分かっていません。なぜそれが分からないかと言いますと、私がこれまで再三にわたってご進言申し上げてきたことを、まともに取り上げようとせず、取り入れようとしてこなかったために、分からないのです。それほど絶対的真理を否定することは、害が大きいのです。偉大なヘーゲルの言うことが全く理解できず、弁証法の歴史もまともに説けなくなる、という学問の完成を目指す者にとって致命的といえるほどの大変な害なのです。これを、論理の自己発展が悪い形で現れる「論理強制」といいますが、本当におそろしいことです。もう少し言うと、弁証法は、<絶対的真理を追究する観念論の思弁哲学によって完成された>ものですので、観念論を否定してしまうと弁証法の歴史を事実として描けなくなり、結果として論理としても説けなくなってしまうからです。だから、南ク学派は、唯物論的・認識論的に解こうと躍起になるあまり、唯物論に徹しようとすればするほど、その意に反して、対照的事実をありのままに描けないその不足を何とか埋めようとして、自らの観念を対象に押し付けて、でたらめな歴史を**(確認後掲載)するしかなくなるという観念論、それも学問的でない悪しき観念論に陥ってしまう、という何とも皮肉としか言いようもない現象を現象させることになって、ますますおかしくなってきているのです。

 少し話が脱線しますが、南ク学派が最高の弁証法の教科書と評価している三浦つとむ著「弁証法はどういう科学か」の中に、観念論の定義が書かれています。それを要約しますと次のようになります。唯物論と観念論との二つの世界観は、世界の起源についての相対立する観方です。唯物論は、世界は無限の物質的に統一された世界だという観方であり、観念論は、この物質的世界は有限のある時点で創造された世界だとする観方で、その場合その創造者は物質以外のものでなければならず、「わたしたちが知っている存在の中で、『物質的』でない存在といえば、『精神的』な存在以外にはありません」としています。

 この定義が正しくないのは、この定義がヘーゲル以前のものであるならばまだしも、ヘーゲルによってこの世界は有限と無限との統一の真無限の世界だ、という学問的な規定がなされた後のものであるという点で、ナンセンスであるといえます。つまり、ヘーゲルが唯物論と観念論との統一が真実だと言っているのに、唯物論は正しくて観念論は間違いだという時代遅れの議論をしているという意味でナンセンスなのです。実際、現在の世界を見渡してみますと観念論的な精神が創りだした人工物と、唯物論的な自然由来の天然物との混合・融合・統一された世界であることは誰もが認めるところでありましょう。

 では、唯物論と観念論とは一体何かということを問い直した場合、学問的に見てどうなるのでしょうか。唯物論と観念論は、世界の起源に関する観方などではなく、唯物論は、事実を基点として論を展開する科学的な相対的真理の論説のことであり、観念論は、本質的論理を基点として論を展開する哲学的な絶対的真理に関する論理を展開するものと規定すべきだと思います。そして、この両者を統一止揚した論の展開こそが真の学問的な議論と言えるものになると思います。つまり、論理を基点にする観念論と、事実を基点とする唯物論との統一、もっと言えば、その観念論的な演繹法と、唯物論的な帰納法との統一が学問的な方法にならなければならないということです。

 話を元に戻しまして、第二点としまして、このヘーゲルのアリストテレス評には、弁証法の技化に関する重要な論理が説かれているのに、その技の創造と使用に関する論理の発見者であり専門家であるはずの南ク先生が、そのことに全く気づいていないというのは、驚きと言う他ありません。

 では、その二点について解説していきましょう。思弁哲学の絶対的真理の弁証法は、パルメニデスの「世界は一にして不動」論を起点として発展していきますが、初期の静止体の弁証法はプラトンのイデア論をもって理念として基本技として一応の完成を見ます。しかし、事実的な相対的真理との関係性においてプラトンは、現象する世界を仮象にすぎないとして否定しました(否定したからこそ基本技として完成したとも言えます)。しかし、プラトンの弟子のアリストテレスは、師匠の基本技を継承しつつ、師匠が否定した現象的世界の実在性を認めて師匠の説を修正します。そして、アリストテレスは、その基本技をそのまま現象的世界に当てはめようとするのではなく、それをいったん否定して、観念論的な立場から唯物論的な立場に移行して相対的真理レベルの事実の論理の究明に乗り出します。これは先にも述べたように、多様性があり複雑でそれを整理することはとても大変なことです。そこで苦労している様子を見て、南ク学派はそういう事情も理解しようとせず、アリストテレスの論理能力はまだ未熟だと決めつけてしまったのですが、ヘーゲルは違いました。ところが、南ク先生はそこのところを読み取ろうともしていません。では、そこのところのヘーゲルの文章を見ていきましょう。

〔具体的にヘーゲルの「哲学史」のアリストテレス評に何が書かれているか?〕
 では早速引用文の大事な部分を紹介しましょう。P45から始まります。

「実際のところアリストテレスは最も徹底した思弁、観念論を知っていたという点で、思弁的な深さにおいてはプラトンに優り、しかもこの徹底した思弁にありながら極めて広汎な経験界を常に問題にしているのである。・・・中略・・・彼の哲学はそんなにも包括的である。アリストテレスは全体の特殊な部分部分において演繹的に推論的に進むのではない。そうではなくて、彼は経験からから始めるように思われる。彼は知性的な推論もし、経験についても語る。だから彼のやり方はしばしば普通の帰納推理のそれと異ならない。しかし彼はこのやり方を用いながらもどこまでも最も深く思弁的なのであって、これこそがアリストテレスの全く独特な点なのである。・・・中略・・・抽象的思惟というものは、ともすれば現象の経験的全領域に圧倒されて当惑し、現象の全範囲を汲み尽くすことができない。しかしアリストテレスは現象をほとんどすべてつかみ取り解釈する。・・・中略・・・アリストテレスにとってすべてのものを統一に、あるいはさまざまな規定を対立の統一に還元することは重要ではなかった。むしろ反対に、それぞれのものをそれの規定においてしっかりととらえ、それをどこまでも追跡していくことが大事であった。・・・中略・・・アリストテレスは概念そのものから展開するというふうに、体系的に扱うのではない。そうではなくて彼の進行は上述の経験的な仕方に基づき、全く同じように外的に(内的な必然性なしに)始まる。したがって、彼はしばしばつぎからつぎへと諸規定を論ずるのであるが、それらの関連を示すことがない。・・・中略・・・このような論理学はその本性からいって思弁的ではない。この論理学は有限なものの論理学であるが、それでも私たちはそれに精通していなければならない。というのは、有限なもののうちにいたるところで理性的なものが働いているからである。・・・中略・・・
 それゆえアリストテレス哲学の欠点は、論理の諸形式によって多様な現象が概念にまで高められてはいるが、そのあと、一連の特定された概念はばらばらになっていて、統一つまりつまりそれらを絶対的に合一する概念が表明されていない、という点にある。それはもはや後世の人びとがしなければならない仕事である。なくてはならないのは、概念の統一であるように思われる。この統一は絶対的な本質である。それは何よりもまず自己意識と意識との統一として、純粋な思考としてあらわれる。本質としての本質の統一は対象的な統一であり、思考された思想である。しかし、概念としての統一、それ自身において普遍的で否定的な統一、すなわち絶対的に充たされた時間としての時間、その充溢のなかで、統一である時間は、純粋な自己意識である。」

 引用文を紹介する前に注釈をしておいたので、ヘーゲルのこの文章の本意・真意がよく分かったことと思います。ところが、南ク先生は全く分からなかったようです。ヘーゲルの叙述の一部が、自分たちの主張と一致するので、そこだけを利用したかったのでしょう。だから、ヘーゲルの大事な論述の全体を全く理解しようとしていないようです。だから、まったく独りよがりな我田引水の解釈・理解をしてしまっているのです。その南ク先生の文章を見てみましょう。

「以上のようにヘーゲルの説く、アリストテレスの評価は、たしかにデカルトやカントに比してまことに見事あるが、「なくてはならないのは、概念の統一であるように思われる」とあるように、ここを「後世の人びと」に残すしかなかったのである。
 だが、である。その学的探索すなわち弁証法的認識論に基づく学問としての探究は、この我々の『学城』誌上で起きてくるまでは、他の学者の手によってなされることはなかったのである・・・。」

 これは真面目に読んでいるのか、と思えるほどのひどい誤読です。ここでヘーゲルが言わんとしていることは、アリストテレスは基本技として創り上げた絶対的真理の一般的概念をいったん否定して、観念論から唯物論に立場を移行してあらゆる分野での経験的な事象をその事物全体の構造に沿って明らかにしていこうとしましたが、それらの事実の論理全体を統合する概念の統一にまでは至りませんでした。ヘーゲルはそこから、それは後世の人びとの仕事である、としてその「後世の」自分がそれをやろうとして「なくてはならないのは、概念の統一であるように思われる」と述べて、そこから統一する概念とはどういうものであるべきかという論を展開していって、おおよその方向性を出しているのです。そして、実際歴史的事実として、彼はそれを成し遂げています。それを彼は<絶対精神>という「絶対的な本質」をもって見事に統一しているのです。南ク学派が解明した「生命の歴史」はこの<絶対精神>の化態した<本流>の発展の一過程を明らかにしたにすぎません。

 南ク学派が、個別科学の体系化が曲がりなりにもできたのは、ヘーゲルが「ここ」を成し遂げてくれたおかげなのですが、どうもその自覚が全くないようですが、それは大問題だと思います。そんなことでは、自分たちが学問を完成させるという豪語が、ハッタリに終わってしまうほどの大問題なのですが、分かっているのかと本当に心配になります。

〔論理の自己発展・自己展開について〕
 私は、今回初めて、ヘーゲルの「哲学史」の一部の内容を、南ク先生の長い引用のおかげで知ることができました。このようにその断片を一度読んだだけで、以上のように批判するのは大変おこがましいのですが、ヘーゲルの文章は論理的・体系的でとても分かりやすく、それをゆがめて解釈しているものを見ると、すぐにそれが分かってしまうのです。これは本当に事実です。私がそのようになったのは次のような経緯からでした。

 私は、空手の師であり学問の師でもありかつまた私が医療の道に進むきっかけを作ってくださった恩師である南ク先生の下で、弁証法を学びました。そのテキストは三浦つとむさんの「弁証法はどういう科学か」でした。しかし、このテキストの中の「相対的真理が根本で絶対的真理はその一部に過ぎない」というとらえ方に疑問を感じて、いろいろ思案した結果、むしろ逆で絶対的真理こそが根本で相対的真理はその構造に過ぎないのではないかとの結論に至りました。これはまだ直観的なものでしたが、これがすべての出発点になりました。不思議なことにこの境地・論理的立場にたってみると、いろいろな新しい景色が苦労せずに見えるようになりました。

 つまり、私はヘーゲルを読む前に自分でその境地に達していたのです。その後ヘーゲルが同じことを言っていることを知り、ヘーゲルの言葉・論理を知ると、まるでその論理が自ら自己展開してくれていくにように、新たな世界がどんどん広がっていきました。つまり、ヘーゲルの言う概念・理念の「自己展開」をまざまざと実感させられた、ということです。だから、ヘーゲルの本を真面目に読まなくとも、その断片を知るだけで、ヘーゲルの言わんとすることおおよそが分かるようになりました。そればかりでなく、その論理を独自に発展させることもできるようになりました。

 私は常々、弁証法の基本技を創るときは、空手の技が実際の戦いの場から離れて創られるように、真剣勝負の事実から離れて論理の形その運用の形を正しく技化することに専念し、技の使い方においてはその創り上げた基本技を一旦否定して、対象に集中して対峙して、対象の構造の全体像をまず明らかにすることが先決で、その過程で次第に弁証法的な構造が浮かび上がってくるようにすべきであると主張しておりました。

 すると、ヘーゲルも同じ言っていることを知って、ヘーゲルは上達論をものにしているのかと驚くとともに、我が意を得たりとほくそ笑みました。

 そして今回、はじめてヘーゲルの「哲学史」のアリストテレス編を読む機会ができて、アリストテレスもしっかりとそのように実践していたのだ、そして、ヘーゲルは、それをきちんと反省・総括して自分のものにしていたのだということを知って、だからなのかと納得するとともに、アリストテレスの凄さにもあらためて驚きました。これも、論理の自己発展、必然性だったのだと感じます。

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[2629] ヘーゲルの「アリストテレス評に示された南ク学派のとるべき道
愚按亭主 - 2017年04月30日 (日) 14時29分

 南郷先生は、「『なくてはならないのは、概念の統一であるように思われる』とあるように、ここを『後世の人びと』に残すしかなかったのである。」とまるでヘーゲルがその統一をできなかったかのように事実と反する解釈をしたうえで、「だが、である。その学的探索すなわち弁証法的認識論に基づく学問としての探究は、この我々の『学城』誌上で起きてくるまでは、他の学者の手によってなされることはなかったのである・・・。」と豪語して、すでに南ク学派がそれを成し遂げつつあるかのように書いていますが、残念ながら、南郷学派は、それを成し遂げつつあるどころか、論理的にはアリストテレスと全く同じ状況にあると言えます。つまり、「絶対的な本質」による統一を必要としているということです。

 アリストテレスの場合は、時代的制約・発展段階の制約があったのでその問題の解決には千何百年という月日が必要でしたが、南郷学派の場合は、唯物論に囚われているという制約以外すべての条件が整っている状態ですから、何ら月日を要する問題ではなく、やろうと思えばいつでもできる状態にあるはずです。
 
 このことをもう少し詳しく説明するためには、その前提としてどうしても理解していただかなければならない論理があります。それは、ヘーゲル弁証法の次の三項の論理です。
基礎的契機:即自的悟性
否定的契機:対自的否定的弁証法的理性
統体的契機:即自対自的肯定的弁証法的理性

 ギリシャ哲学の場合、南郷学派が明らかにしたように、即自的悟性が、まだ悟性として充分に出来上がって・そろってはいませんでした。ですから、即自対自的肯定的弁証法的理性として、現象している経験的世界の実存を認めたアリストテレスとしては、即自対自の統一を図るために、自ら唯物論的な即自的悟性となって現象的事実の論理化に乗り出さざるを得なかったのです。ここでアリストテレスの凄いところは、即自的悟性をしっかりと貫こうとしているところです。どういうことかと言いますと、統一を焦るあまり対自的否定的弁証法的理性の論理を振り回して押し付けようとしていなかったことです。そのことをヘーゲルもしっかりと評価しています。引用文章P17のところで彼は次のように述べています。

「アリストテレスにとってすべてのものを統一に、あるいはさまざまな規定を統一に還元することは重要なことではなかった。むしろ反対に、それぞれのものをそれの規定においてしっかりととらえ、それをどこまでも追跡していくことが大事であった。」

 しかしながら、そのアリストテレスの即自的悟性は、それまでの即自の事実の研究者たちとは一味違うものでした。そのことについてヘーゲルは次のように述べています。

「だからアリストテレスのやり方の特質についてまず第一に述べなければならないのは、このやり方の要点は、いたるところで特定の概念が問題となっており、精神と自然との個々の諸側面の本質が単純な仕方で、すなわち概念形式でとらえられている、という点である。・・・中略・・・もちろん彼は自分を宇宙のすべての側面に注目する思惟する観察者として示そうとしているようである。しかし彼はむしろ思弁的な哲学者としてすべてのあの個々のものをとらえ、そこから最も深遠な思弁的概念が生まれてくるように加工する。・・・中略・・・彼はそれぞれの表象を、すなわち思考を呼び出す。自然学でも同様で、運動、時間、場所、温かさ、冷たさを考察する。これらの対象は経験的に列挙される。・・・中略・・・しかしこのようなやり方のおかげで、一面ではさまざまな契機がもれなく挙げられているし、他面ではそれは、必然性を探究し発見したいという私たち自身の気持ちを刺激する。この列挙による系列から、それを思惟的に考察することに移って行く。それはさまざまな側面からする対象の規定であるが、その結果、この規定から概念が、すなわち単純な規定である思弁的概念が出てくる――これこそまさにアリストテレスが真に哲学的となり、そこにおいて最高に思弁的となる場面である。・・・中略・・・
 アリストテレスは知性的な普通の論理学の創始者である。彼の諸形式は有限なものの相互の関係にかかわるのみで、真理はこのような形式ではとらえることはできない。しかし、注目すべきは、彼の論理学は決してそのような論理形式にもとづくものではないということ、つまりこの論理学は知性的関係にもとづくものではないということ、アリストテレスが研究をすすめるにさいして依拠したのは、このような知性的推論の諸形式ではない、ということである。・・・中略・・・
 それゆえアリストテレス哲学の欠点は、論理の諸形式によって多様な現象が概念にまで高められてはいるが、そのあと、一連の特定された概念はばらばらになっていて統一つまりそれらを絶対的に合一する概念が表明されていない、という点にある。」

 ここで書かれていることは何かと言いますと、即自対自の統一に向けて、即自的悟性の完成を目指して事実の論理化に取り組んだアリストテレスは、その最終目的の達成までは至らなかったものの、有限の事実の論理学をそれなりに創り上げ即自的悟性と言えるレベルにまでは持っていくことができた、ということです。そして、ここからわれわれが学ぶべきことは、絶対的真理を追究する思弁哲学によって鍛えられた思惟の実力があったからこそ、現象的事実の論理化が可能だったということです。現在、南ク学派が、この過程を見ずに、唯物論的に人類の論理的認識の形成過程をもって弁証法の歴史として解き明かそうとしていますが、それは逆であり、おそらくは失敗するであろうと断言できます。なぜなら、南ク学派のいう「弁証的認識論」がいささかも弁証法的でなく、観念論と唯物論の統一、理性的認識と感性的認識との統一という視点がないからであり、何よりもここに挙げたヘーゲルのとても重要な文章を、引用しておきながら真面目に理解しようとしていないからです。

 さて次に、ここに挙げたヘーゲルの文章から読み取れるもう一つの問題は、アリストテレスが志した即自対自的肯定的弁証法的理性が、なぜ未完成に終わってしまったのかという問題です。その答えとして考えられるのは、時間の問題だったのか?あるいは内的必然性そのものの問題だったのか?という二点です。つまり、時間が許せば完成できたのか、否かということです。私の見解は、時間がなかった面もあるとは思いますが、たとえ時間があったとしても、難しかったのではないかと思います。なぜなら、できるだけ生の現実世界とはかかわらないような形で形成された思弁哲学の不動の一般論では、バラバラな形で概念化された現象世界の生きた様々な諸規定を、一つにまとめることはできなかったであろうと思います。もっと言えば、それをするためには不動であるとともに不動でない、新たな発展形の不動の概念でなければならなかったのだと思います。そして、歴史的にも事実的にも、それを成し遂げたのがヘーゲルの運動体の弁証法の<絶対精神>だったわけです。

〔アリストテレスと同じことが現在の南ク学派にも言える、とは?〕
 結果的にアリストテレスは、即自的悟性化すなわち現象的事実の論理化には成功しましたが、それらを「絶対的本質」をもって一つに合一することができずに、アリストテレスの学問は未完のまま終わるしかありませんでした。同じように、現在の南ク学派も個別科学のある程度の体系化には成功しましたが、それらを「絶対的本質」をもって一つの学問体系として完成させなければならない段階にいたって、道に迷い未完のまま終わる可能性・危険性に直面しております。

 だから、前の記事で、私は
「南ク学派が、個別科学の体系化が曲がりなりにもできたのは、ヘーゲルが「ここ」を成し遂げてくれたおかげなのですが、どうもその自覚が全くないようですが、それは大問題だと思います。そんなことでは、自分たちが学問を完成させるという豪語が、ハッタリに終わってしまうほどの大問題なのですが、分かっているのかと本当に心配になります。」

 と述べておきましたが、アリストテレスが曲がりなりにも論理学と呼べるレベルまで現象的事実を論理化できたのは、思弁哲学によって思惟の実力が鍛えられていたからであるのと同じように、南ク学派が個別科学の体系化ができたのは、媒介的にではあっても、思弁哲学によってヘーゲルが運動体の弁証法を完成させたからに他なりません。そして今南ク学派が直面している問題の本質も、アリストテレスと同様に「全体をまとめ上げる絶対的本質」の欠如にほかなりません。それこそが第二の否定をなしとげるための鍵なのですが、南ク学派に「その自覚が全くない」のには、しっかりとした理由が存在します。南ク学派は、そもそも「絶対的本質」そのものを認めていないので、そういう像が形成されず、反映しないので、結果として無視してしまうことになってしまうのです。つまり、見れども見えずです。前の前の記事の中で、私はヘーゲルの「小論理学」の中のとても大事な次の文章を提示しておきました。

「有限なものの地盤にとどまっているかぎり、無限なものが見出されないのは当然である。この地盤における最後の成果として生じたものは、外的な有限物の不定な集合として普遍、すなわち物質であった。」

 ヘーゲルは、まるで見通していたかのように、「後世」の南ク学派の主張を見事に論破しています。つまり、南ク学派の言う「物質」なる普遍性は、内的必然性を持たない空虚な概念でしかなく、全体を一つに合一できるものではない、ということです。つまり、精神を持たない「物質」は本流になれず発展性を持たないということです。これは、いみじくもかつての南ク学派が、ウィルヒョウの細胞論を、部分である細胞をいくらかき集めても生命のある全体とはならない、と批判した通りです。ですから、南ク先生が、ご自身で引用されたヘーゲルの「哲学史」の中のアリストテレス評から、学ぶべきはそこにこそあったはずですが、そこに全く気付かずに、自分たちこそは学問を完成できると信じ込んでしまっているようなので、本当に心配です。何時になったら気づいてくれるのでしょうか・・・・。


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