カウンター 否定的理性の意義とは - 談論サロン天珠道
【広告】楽天市場から 春のお買い物マラソン4月24日開催予定

談論サロン天寿道

この掲示板は、東洋医学に関する諸問題を真摯に討論するためのものです。
個人的な誹謗中傷ではなく、学問的な議論であれば、どんなに激しくとも可です。
最近他所の問題を此処で意見する者が増えてきました。
ここは独立した掲示板ですのでそのような書き込みは削除いたします。

ホームページへ戻る

名前
メールアドレス
タイトル
本文
アップロード
URL
削除キー 項目の保存


RSS
こちらの関連記事へ返信する場合は上のフォームに書いてください。

[2610] 否定的理性の意義とは
愚按亭主 - 2017年02月06日 (月) 11時26分

>重光の欺瞞性の批判というのがわかりません。天寿堂さんの誤読ではないのですか。重光は大西洋憲章が戦後体制の規定とみて それを取り入れることで 日本の戦後体制への国家改造の論議を喚起させる目的があったのですから。重光が大西洋憲章の欺瞞性をいうはずがない。

 これは驚きです。東條の演説原稿にあのように目立つようにはっきりと書かれているのに分からないとは・・・・。本当に読んだののですか?分かりました。その部分を引用しましょう。

「米英ノ平素唱道致シマスル国際正義ノ確立卜世界平和ノ保障トハ、畢竟欧洲二於キマスル諸国家ノ分裂抗争ノ助長ト'亜細亜ニ於ケル植民地的搾取ノ永続化卜二依ル、利己的秩序ノ維持二外ナラナイノデアリマス、而シテ亜細亜ニ於ケル米英ノ遣り方ヲ見マスル二、彼等ハ政治的二侵略シ、経済的こ搾取シ,更二致育文化ノ美名二匿レテ民族性ヲ喪失セシメ、相互二相衝突セシメテ、其ノ非望ノ達成ヲ図ツタノデアリマス、斯クテ亜細亜ノ諸国家諸民族ハ、常ニ其ノ存立ヲ脅威セラレ、其ノ安定ヲ攪乱セラレ、民生ハ其ノ本然ノ発展ヲ抑壁セラレテ今日二至ツタノデアリマス'彼等ノ呼号スル門戸開放、機会均等主義モ、東亜ヲ植民地視スル根本観念二発シタルモノデアリマシテ、実ハ彼等ガ東亜侵略ノ非望ヲ遂ゲンガ為ノ便宜手段二過ギナイノデアリマス、彼等ハ自国ノ領土内二於テハ'東亜ノ諸民族二封シテ常ニ門戸ヲ閉鎖シ,機会ヲ不均等ナラシメ、交易ヲ阻碍シツ、、只管彼等ノミノ利己的繁柴ヲ追及シタノデアリマス」

 これは見事な洞察ではありませんか。全くその通りだと思います。さすが重光です。ここに日本が戦う理由が鮮やかに記されております。大東亜戦争を聖戦だとする根拠も納得できます。

>日本精神という一般論に収斂することで政策論・組織論がすっぽり抜け落ちて 実証的議論になりません。天寿堂思想の真骨頂ですが 学問ではありません。対象を分析することができなくなります。独立政策も軍政の一部です。政策と実践と結果を見て考えるべきです。解放独立は明確な戦争目的にはなりえず 矛盾の重石なったのです。独立した国々を日本がまとめることができないほど 独立国家(タイ・フィリピン)が主体性を持ち始めたからです。それを知った内地である5族協和の満州・朝鮮でも独立の気運が起こり始め 火消しに力をそそぐ状態でした。大東亜共栄圏は絵空事です。日本精神で誤魔化さないほうがよいです。

 事実はその通りなのですが、それをどう見るかというときに、俯瞰的な立場からの否定的理性による否定的媒介が真の学問の樹立のために必要だということを、ヘーゲルは説いたのですが、滝村先生には届かなかったようです。この場合も、事実的に見ると否定的にしか見えない事実が、じつはそうではなかったということが見えるようになるところに、否定的理性による否定的媒介の意義があるのです。これは戦争に負けたことによって、事実的には中途半端になってしまったために、見えなくなってしまった真相を見るためにも大事な点なのです。

>「私」の本質定義は 欧米キリスト教的帝国主義国家と日本儒教的帝国主義国家による戦争としておきます。ソ連 共産主義 ナチス ファシズムの思想的構造もキリスト教と同じ構造を持つものであることから少し強引ですが欧米キリスト教の仲間にいれました。

 これでは、一体何が対立点なのかがはっきりしません。宗教戦争のように見えてしまいますが、実際に戦争になるような宗教的対立があったのでしょうか?そういう面はほとんどないのではありませんか?

>石原はアメリカの世界覇権など予測していません。世界戦争には日本(と中国などの連合軍)が勝つと予測していたのです。しかも石原は、戦後に世界最終戦論を実質的に放棄し、次のような非武装中立論を唱えています。

 私は石原莞爾そのものを評価しているのではありません。彼のその時点での戦略思考の正当性・先見性を評価しているのであって、それが結果として外れたとしても、その評価は変わることはありません。日本が蒋介石を破って日本と支那が合体することを恐れたから米国は飛行部隊を派遣してそれを阻止しようとしたのであって、表向きそうであっても、内実は日本が国際正義をやぶって侵略性をあらわにしたからではないと思います。

>意味が分かりません。分かるように説明して下さい。


「清朝の政体は五族のそれぞれが別の国家とも言える政体を維持し、清朝皇帝はその五つの政体に別個の資格で君主として君臨するという一種の同君連合であった。そのため、漢族社会に深く溶け込んでいた満州族を除くモンゴル(蒙古族)、西域ムスリム社会(回)、チベットの実質三ヵ国は、漢族による中華民国政府の統治下に置かれることをよしとせず、清朝皇帝権の消滅をもって独立国家であると主張した。」とあるように、清朝の政体がそういうものだったからあの合意文書があるということですから、五族を外国と見なしたうえで協和に合意したものは、それなりの対応とするということだった、ということが分かります。袁世凱率いる北京政府の「五族共和」の意味だったということで、あのときタマゴさんのはそれを否定するのに躍起となっていましたが、間違いだったということが分かった、ということです。

>“解放”とは、ある主体が対象の束縛を解き自由な状態にしてやることです。日本軍が大東亜戦争期に“解放”したと言える国は、何処にも無いではありませんか。あるなら挙げてみて下さい。
また、欧米からの独立運動は、各民族が主体的に行った運動ですから各民族の手柄であり、“解放”などと表現するのは誤りだということをしつこく述べているのです。

 私はそういう即自的悟性的な事実的な判断を否定せず認めたうえで、あえてアンチテーゼとして否定的媒介として、日本がアジアを解放したと主張しているのです。何故なら俯瞰的に見れば、日本がロシアに勝って宗主国にはとてもかなわないと思っていたアジアの人々の意識を覚醒させ、実際に宗主国の軍隊を追い出して、植民地体制・経済を破壊し、混乱をもたらしたからこそ、アジア諸国が独立を勝ち取ることができたといえるのです。日本が命がけで強大な敵に戦いを挑まなければ、アジアの独立はありえなかった、という意味で、日本がアジアを解放したと言えると思います。アジア諸国の独立・解放はこの両面の統一で見なければならない、ということです。




Pass

[2611]
タマゴ - 2017年02月06日 (月) 13時50分

>清朝の政体がそういうものだったからあの合意文書があるということですから、五族を外国と見なしたうえで協和に合意したものは、それなりの対応とするということだった、ということが分かります。

私は、満州国建国の正当性を主張する根拠として清室優待条件の条文を持ってくるのは無意味だと述べたのです。

「漢族社会に深く溶け込んでいた満州族を除くモンゴル(蒙古族)、西域ムスリム社会(回)、チベットの実質三ヵ国は、漢族による中華民国政府の統治下に置かれることをよしとせず、清朝皇帝権の消滅をもって独立国家であると主張した。」

つまり、溥儀は自身の退位と同時に中華民国の統治下に入ることを了承したのです。
それを明文化したものが、

清室優待条件第一条
「大清皇帝辞位の後尊号猶を存して廃せす中華民国は各国君主を待つの礼を以て待遇す。」
皇族待遇条件第二条
「清国皇族の中華民国国家の公権及び私権は国民と同等とす。」

即ち、尊号は廃止されず国賓待遇を受けるが、権利としては君主ではなく中華民国の一般国民となる、という条文を了承したのです。

例えば、中共の人民解放軍が米軍からの琉球民族の解放を掲げて沖縄県に武力侵攻し、琉球王朝の末裔を担ぎ上げ独立を宣言させたとして、国際的に認められるでしょうか。
手順が不当なのですから認められません。
満州国の建国も同じ。
一旦、日本も中華民国を承認した以上は、関東軍の暴走を事後承認すべきではなかったのです。

Pass

[2612]
タマゴ - 2017年02月06日 (月) 15時20分

>何故なら俯瞰的に見れば、日本がロシアに勝って宗主国にはとてもかなわないと思っていたアジアの人々の意識を覚醒させ、実際に宗主国の軍隊を追い出して、植民地体制・経済を破壊し、混乱をもたらしたからこそ、アジア諸国が独立を勝ち取ることができたといえるのです。日本が命がけで強大な敵に戦いを挑まなければ、アジアの独立はありえなかった、という意味で、日本がアジアを解放したと言えると思います。

かねてから天寿堂さんの日本語感覚・日本語能力には疑問を持っていましたが、そういう事例に“解放”という語を充てることは適当ではないのですよ。
何故なら、あたかも日本が直接的にそれらの国々の束縛を解いて自由な状態にしたというニュアンスになってしまうからです。
精々
「勇気を与えた」「影響を与えた」「結果として独立の切っ掛けとなった」
といった表現が妥当なところです。

確かに、日本が日露戦争に勝利したことはロシアに蹂躙されていた北欧や中東の各国に勇気を与えましたが、日本がそれらの国々を“解放”した事実は一切ありません。
それらの国々の国民自身が日本から勇気を貰い努力したのですから、それを日本の手柄であるかのように表現することは不適切です。
大東亜戦争も当初は欧米列強を追い出してくれたと歓迎されはしました。
しかし、日本も欧米列強と同様に資源と労働力の徴発が目的であると分かるや、抗日運動が活発化していきました。
それら抗日組織は、欧米列強の再統治開始後も独立闘争の主体となり、その支配を打破する原動力となりましたが、それを日本の手柄のように表現するのもおかしな話です。

トルコ人やフィンランド人が日本に良い印象を持っているのは、現在の日本文化の世界的普及以外に、日本がロシアを破った歴史も関係があると思われますが、かといって、彼らに
「日本が君たちを解放したんだよ」
などと言ったら、狂人扱いされることは必至です。
狂人というのは客観的視点が無いから狂ったことを平気で言えるのですよ。

Pass

[2613]
タマゴ - 2017年02月07日 (火) 00時06分

>彼のその時点での戦略思考の正当性・先見性を評価しているのであって、それが結果として外れたとしても、その評価は変わることはありません。

石原が自身の世界最終戦論を放棄したというのは、実質的にその誤りを認めたということなんです。
天寿堂さんが変なのは、世界最終戦論を全く読みもせず理解もしていないのに無闇やたら褒めているからですよ。
そういうインチキなことをしているから、袁世凱が満州などいらなかったとかモルデカイモーゼは本物のユダヤ人だとか、真顔で嘘を吐いて赤っ恥晒すんです。

石原が凄いと言うなら、世紀の怪文書・田中上奏文の方がよほど凄いですよ。
なにせ偽書であるにも関わらず、石原が満州事変を起こすよりも前に、関東軍の満蒙への侵攻を大まかに言い当てているからです。
曰く、

満蒙は支那に非らず
内外蒙古に対する積極政策
朝鮮移民の奨励及び保護政策
新大陸の開拓と満蒙鉄道
満鉄会社経営方針変更の必要
拓殖省設立の必要
京奉線沿線の大凌河流域
病院、学校の独立経営と満蒙文化の充実

等々。
また、日本が満蒙を征服した後は世界征服に乗り出すと書かれている版も存在するようです。
「シオン賢者の議定書」の流布により世界中にユダヤ陰謀論が巻き起こったように、田中上奏文が世界中に流布したために日本陰謀論が中国や欧米に巻き起こったのです。
そして石原らが半ば上奏文の通りに満州事変起こしたことにより、やはり日本は世界征服を目論む悪の国家であった、という世論を決定的にしてしまった。
石原の思想は先見的でもなんでもなく、怪文書に予言される程度のものだったということです。

Pass

[2615]
tada - 2017年02月07日 (火) 00時18分

天寿堂さんへ 東条英機の演説は読んでいますが 大東亜省の大川周明たちの手によるものだと思っていたのです。重光が関わっていたとは知りませんでした。勉強のために よろしかったら 詳しいところをお教えください。大東亜宣言でも前文に 似たような文章があります。陸軍と大東亜省の手が加えられています。できれば 重光が直接 欺瞞性について語った文章があれば うれしいです。
 
>「私」の本質定義は 欧米キリスト教的帝国主義国家と日本儒教的帝国主義国家による戦争としておきます。ソ連 共産主義 ナチス ファシズムの思想的構造もキリスト教と同じ構造を持つものであることから少し強引ですが欧米キリスト教の仲間にいれました。

 これでは、一体何が対立点なのかがはっきりしません。宗教戦争のように見えてしまいますが、実際に戦争になるような宗教的対立があったのでしょうか?そういう面はほとんどないのではありませんか?
  
宗教的文化構造が帝国主義体制を規定していることを意味します。宗教対立ではありません。違う価値観をもつ文明の衝突・対立を意味します。天寿堂さんは日本と欧米の違い 例えば 植民地経営の内容ひとつとっても 大きく違うことを指摘しました。そういった点を一般化することを念頭においたのですが 抽象度を上げすぎました。口直しに 大東亜戦争とはアジア的国家―社会主義体制日本が中国問題を近代的国家―資本主義体制米国と戦うことで「一挙」に解決しようとした国家総力戦争であるとしておきましょう。(機会があれば その辺の補足からまた展開したいと思います。)

Pass

[2616] 大東亜戦争の意義とは
愚按亭主 - 2017年02月10日 (金) 21時25分

>大東亜戦争とはアジア的国家―社会主義体制日本が中国問題を近代的国家―資本主義体制米国と戦うことで「一挙」に解決しようとした国家総力戦争であるとしておきましょう。

 苦心の跡がうかがえますが、どうしても表面をなぞった感が否めません。それに「アジア的国家ー社会主義体制日本」とはどういうものかが良く分かりません。次に「中国問題」とは何かもはっきりしません。そして、それが米国と戦うとなぜ一挙に解決するのかそのつながりが明確ではありません。

 「アジア的国家―社会主義体制日本」の詳細は、tadaさんの説明を待つとして、「中国問題」についてtadaさんと同じかどうか分かりませんが、少し私見を述べてみたいと思います。大東亜戦争が起きた頃の世界は、先発植民地帝国主義国家と植民地を持たないか少ない後発帝国主義国家とによる植民地争奪戦の様相を呈していました。先発植民地帝国主義は、自らの既得権を守り自らの戦いを正当化するために大西洋憲章を宣言しました。日本は後発帝国主義国に属しますが、白人ではなく植民地の側のアジアの国家であるという特殊性から、独自の戦略を持つにいたりました。

 それは、欧米の帝国主義国に対抗するためにはアジア諸国が早急に近代国家になって対抗する必要がありますが、植民地化・半植民地化されていた当時のアジアの現状では、独力で近代化を達成するのは不可能で、日本が指導し助けて大東亜共栄圏を築いて対抗する必要がある。そのための満州国建設であり、対華21か条の要求でした。日本の援助によって支那の近代国家へと転成して日本と合い携えて欧米帝国主義と対峙するということです。

 ここで言う欧米流の植民地とは、自分たちの経済的利益のためにアジアの国家を壊し、あちこちから勝手に植民して自分たちの経済的利益追求の手伝いをさせて、その国の国家としての成長を困難ならしめるものです。これに対抗して日本がとろうとした大東亜共栄圏構想とは、それぞれの国家が国家として近代化して発展していってともに栄える経済・文化圏をめざしたものでした。。

 これに対して欧米帝国主義は、そうなるのが一番まずいので、様々な離間策を講じます。米国は米西戦争の賠償金で北京に精華大学を作ってそこの学生を米国に呼び寄せて親米反日教育を施して、反日運動を起こさせました。蒋介石の妻となった宋美齢はこの留学組です。共産主義帝国のソ連は、西安事件を起こして蒋介石をして国民党をして共産党ではなく日本を敵として攻撃させるように仕向けました。ドイツはその蒋介石の軍隊を訓練指導して近代的な軍隊に創り変えて、日本を攻撃するようにそそのかしました。

 こうして日本は支那と戦うはめになり泥沼に引きずりこまれていくことになりました。そういう状況の中でも日本軍は奮闘し、蒋介石軍を追い詰め、とうとうtadaさんの言う「蒋介石の停戦講和嘆願を日本政府(近衛が悪い)は受け入れないのです。日本軍も停戦講和を望んでいたにもかかわらずです。ここから 日本軍は戦争を継続し 『日本軍の侵略戦争』と見なされる事態になるのです。」という事態になります。これはおそらく、蒋介石に対する不信、完全に日本の指導を受け入れる政権を作らなければアジアは一体にはなれないという判断があったのだろうと思います。それはそれで一理あります。

 これによって米国の明らかな介在が顕著となり、援将ルートを通じての欧米の蒋介石への支援が起こり、日本対欧米帝国主義との対立構造が明確化していくことになります。そして、この根本的解決は、欧米帝国主義の新たな雄となった米国を叩いて勝利することだとなって対米戦争が勃発することになったのです。これがtadaさんの言うところの「一挙に解決」の中身であろうと思います。これは米国の方も望むところで、そういう方向へ進むように誘導していった形跡があります。つまり、日米の激突にはそうなる必然性が存在したということです。

 これを本流論からとらえ返してみますと、本流を決める戦いであったと言えます。では、その戦いに勝利した米国は本流になれたのかと言いますと、残念ながら本当の意味での本流にはなれなかったと思います。その理由は本物の学問を持っていなかったからです。

 以上の流れを総括してみますと、大東亜戦争の意義は、やはり、欧米流の植民地帝国主義に対する、その欧米流の植民地の問題を根本的に解決するための大東亜共栄圏構築を目指す日本帝国主義の戦いであった、するのが適当ではないかと思います。

>東条英機の演説は読んでいますが 大東亜省の大川周明たちの手によるものだと思っていたのです。重光が関わっていたとは知りませんでした。勉強のために よろしかったら 詳しいところをお教えください。大東亜宣言でも前文に 似たような文章があります。陸軍と大東亜省の手が加えられています。

 これはtadaさんの方が正しいようですね。大東亜宣言でも前文と後の部分が矛盾しているという意見があるようですが、私はそうは思いません。大西洋憲章は白人世界だけものにすぎず欺瞞性に富んでいるので本物を提起するということで、より正当性が明確化されます。この大東亜宣言は、国家の公式文書として出されたものですから、誰が書こうとそれは国家の意志ということになります。つまり、それが日本精神の意志だということになるということです。

 これは少し前のtadaさんの文章を再度取り上げたものですが、
>日本精神という一般論に収斂することで日本精神という一般論に収斂することで政策論・組織論がすっぽり抜け落ちて 実証的議論になりません。天寿堂思想の真骨頂ですが 学問ではありません。対象を分析することができなくなります。独立政策も軍政の一部です。政策と実践と結果を見て考えるべきです。解放独立は明確な戦争目的にはなりえず 矛盾の重石なったのです。独立した国々を日本がまとめることができないほど 独立国家(タイ・フィリピン)が主体性を持ち始めたからです。それを知った内地である5族協和の満州・朝鮮でも独立の気運が起こり始め 火消しに力をそそぐ状態でした。大東亜共栄圏は絵空事です。日本精神で誤魔化さないほうがよいです。

 何度も言っているように、本流論は否定的理性による否定的媒介という弁証的な論理作業の一過程の話です。ですから、「政策論・組織論がすっぽり抜け落ちて 実証的議論になりません。天寿堂思想の真骨頂ですが 学問ではありません。対象を分析することができなくなります。」というtadaさんの批判はあたりません。私の主張していることは、そういう具体的な分析を、本流論の角度からとらえ返して事実の真相をより明確化することです。それが本物の学問だと主張しているのです。

 たとえば、tadaさんは「大東亜共栄圏は絵空事」だと簡単に切り捨ててしまっていますが、事実的に見るとそう見えてしまうのは確かですが、だからといって大東亜共栄圏構想をその意義を真面目に考えないのは、学問としてどうなのでしょうか?欧米の植民地帝国主義はそういう理念や構想をもって植民地を獲得していったのでしょうか?おそらくないはずです。だとするなら、欧米流の植民地主義との対比において、それが出てきた意義をしっかりと措定し、その意義を正当に評価すべきです。そしてそのうえで、どうしてそれがうまくいかなかったのかを具体的に分析することです。そうすることによって、これまでは見落としていた点や、過小評価して問題にもしなかった点が浮上してくるということも起きてくる可能性があります。それが学問というものです。

>石原が自身の世界最終戦論を放棄したというのは、実質的にその誤りを認めたということなんです。
>石原はアメリカの世界覇権など予測していません。
世界戦争には日本(と中国などの連合軍)が勝つと予測していたのです。

 私が評価した点は、米国を欧米帝国主義の雄となることを予見し、それとの日本との対決を予測していたことです。結果は、相手も負けまいと必死な勝負事ですから、負けることもあるでしょう。それに中国との連合を欧米の離間策によって阻まれてしまいましたから、ここでも条件が満たされなくなっておりますので、石原の計画通りにはいかなかったのはやむを得なかったと思います。しかし、だからといって石原の価値はいささかも下がるものではありません。石原自身が戦後どう総括しようが関係ありません。これは石原の判断ではなく、本流論からする私の判断ですから。

>満州国建国の正当性を主張する根拠として清室優待条件の条文を持ってくるのは無意味だと述べたのです。
>「漢族社会に深く溶け込んでいた満州族を除くモンゴル(蒙古族)、西域ムスリム社会(回)、チベットの実質三ヵ国は、漢族による中華民国政府の統治下に置かれることをよしとせず、清朝皇帝権の消滅をもって独立国家であると主張した。」
つまり、溥儀は自身の退位と同時に中華民国の統治下に入ることを了承したのです。

 無意味ではないと思います。タマゴさんは、他の民族も中華民国に組み入れられていたから独立ということをうんぬんしているのだと言わんがために、この文章を引用したのだと思いますが、同時にこの文章は、もともとはそれらの民族が異民族であり他国であったことをも示しています。ここが重要な点です。

 そもそも大清帝国の政体は、五つの民族国家の連合体だったということを踏まえる必要があるということです。そして、大清帝国の皇帝はその五族の君主をも兼ねていたということです。ですから、これを踏まえてあの上位文書を読むと、溥儀は大清帝国の皇帝の座は降りるが、満州国の君主の地位はそのまま維持されるということが書かれていた、ということです。そして、革命政府の意志として、大清帝国は五族の共和国としてそのまま引き継ぐつもりだが、その場合に五族の王族・貴族が共和に同意するならば、これまでの待遇はそのままに共和国の一員と見なす、としたのが、譲位文章です。これは明らかに、五族はそれぞれが外国と見なされているという認識の上に創られたものだということです。タマゴさんはそこのところを認めようとせず、日本が一旦認めてしまっているのでそんなことを言っても無意味だとしています。

 しかし、これは違うと思います。革命政府はその文書そのものを反故にしたうえで、数々の混乱を招いて国家としての統括もままならず、国家としての体をなしてておりませんでした。その上、溥儀は、満州国皇帝としての待遇を勝手にはく奪され紫禁城から追い出されて、日本に助けを求めて脱出しました。共和の条件を、勝手に破ったのは支那の方です。したがって、支那に満州を自国のものとする法的正当性はないと言えます。逆から言えば、溥儀が自分の故郷に満州国を建設する正当性は充分にあります。そしてそれを日本が助けるということと、日本が中華民国を国家として認めていたということとは、別次元の問題です。つまり、内政の問題ではなく外政の問題になるということです。
 
 さらに言えば、初期の段階で、この五族共和を推進したのが北京政府の袁世凱で、南京の革命派は漢族の生活にしみ込んだ満州色を拭い去ろうと排満的な主張が強かったようです。満州族は出ていけということです。その気持ちはよく分かります。

>「勇気を与えた」「影響を与えた」「結果として独立の切っ掛けとなった」といった表現が妥当なところです。

 日本のなしたことはそんなレベルではないことは明らかです。欧米諸国の軍隊を叩き出して、植民地支配の要だった経済の仕組みを壊したのは日本です。そして、そして日本の戦いは戦勝国側に大西洋憲章を出さざるを得なくして、さらにまた日本の大東亜宣言がその大西洋憲章の欺瞞性を鋭くついていたので、戦勝国側も自らが出した大西洋憲章に規定されざるを得なくして、それを自ら破ってもともとの植民地体制を復旧しようとしましたが、以前のようなパワーを持ちませんでした。それには現地の人たちの覚醒や独立運動の活発化とともに、旧宗主国側には靄は大義は存在していなかったからです。こういうことを大きな観点からとらえ返したならば、日本がアジアを解放したということができるということです。これは目に見える現象的な定義ということではなく、本質的な定義だということです。

Pass

[2617]
タマゴ - 2017年02月10日 (土) 23時21分

>私が評価した点は、米国を欧米帝国主義の雄となることを予見し、それとの日本との対決を予測していたことです。

ですから、アメリカとの戦争は石原が満州事変を起こす前に既に田中上奏文で予言されていたんですよ。
先見的でもなんでもありません。
石原はまんまと怪文書の通りに行動してしまったのです。

>それに中国との連合を欧米の離間策によって阻まれてしまいましたから、ここでも条件が満たされなくなっておりますので、石原の計画通りにはいかなかったのはやむを得なかったと思います。

あのですねぇ・・・。
離間策というのは“仲間割れ”させる策のことを言うのですよ。
日本(関東軍)が中華民国から満州を切り取った時点で両者の同盟など不可能な状態になってしまったのに、仲間割れも何もありません。
もし中共が沖縄県を切り取った後に「一緒にアメリカを倒そう」などと呼び掛けてきたとして、応じられるでしょうか?

>これは石原の判断ではなく、本流論からする私の判断ですから。

石原本人の判断ならまだしも、天寿堂さんのお伽噺など尚更なんの価値もありません。

Pass

[2618]
タマゴ - 2017年02月11日 (土) 00時24分

>革命政府はその文書そのものを反故にしたうえで、数々の混乱を招いて国家としての統括もままならず、国家としての体をなしてておりませんでした。

その時点で日本は中華民国を正式に承認したのですよ。
国家の体を成していなかった云々は天寿堂さん一人が勝手に言っているだけのことであって、何の価値もありません。
言うだけなら九官鳥でも言えますからね。

>したがって、支那に満州を自国のものとする法的正当性はないと言えます。逆から言えば、溥儀が自分の故郷に満州国を建設する正当性は充分にあります。

仕方ないので、条文をもう一度掲載します。

清室優待条件第一条
「大清皇帝辞位の後尊号猶を存して廃せす中華民国は各国君主を待つの礼を以て待遇す。」
皇族待遇条件第二条
「清国皇族の中華民国国家の公権及び私権は国民と同等とす。」

即ち溥儀は、尊号は廃止されず国賓待遇を受けるが、“権利としては君主ではなく中華民国の一般国民となる”という条文を了承したのですよ。
国民政府が溥儀の優待条件を反故にしたのは大問題ですし、溥儀が腹を立てて清朝再興を考えたって構いませんが、清室優待条件の条文に清朝が存続しているという根拠は全く書かれていません。
満州は一度、中華民国の領土となったのです。
何処かの馬鹿なネトウヨが清室優待条件を曲解しているのを真に受けていたら、同レベル以下のアタマだと思われますよ。

また、関東軍は別に溥儀のために満州事変を起こしたのではありません。
日本が溥儀を皇帝に即位させたのは満州国が出来てから2年後のことです。

Pass

[2619]
タマゴ - 2017年02月11日 (土) 08時28分

>こういうことを大きな観点からとらえ返したならば、日本がアジアを解放したということができるということです。これは目に見える現象的な定義ということではなく、本質的な定義だということです。

もし日本がアジア解放を為したというのであれば、具体的にどこの国や地域を解放したのか言えるはずなのに、そうやってオウム返しすることしかできない。
大きな観点でもなんでもなく、宗教右派の妄説を鵜呑みにして天寿堂さんが妄想した出来の悪いお伽噺にすぎないということです。
ファンタジーの世界だから主語はなんでもいいんですよ。
試しにアメリカバージョンに書き換えてみましょうか?

「アメリカのなしたことはそんなレベルではないことは明らかです。日本の軍隊を叩き出して、植民地支配の要だった経済の仕組みを壊したのはアメリカです。そして、そしてアメリカの戦いは日本側に大東亜宣言を出さざるを得なくして、さらにまたアメリカの民主主義がその大東亜宣言の欺瞞性を鋭くついていたので、日本側も自らが出した大東亜宣言に規定されざるを得なくして、それを自ら破って植民地体制を構築しようとしましたが、宣言通りのパワーを持ちませんでした。それには現地の人たちの覚醒や独立運動の活発化とともに、日本側には靄は大義は存在していなかったからです。こういうことを大きな観点からとらえ返したならば、アメリカがアジアを解放したということができるということです。これは目に見える現象的な定義ということではなく、本質的な定義だということです。」

こんなんでよければ、ナチスバージョンでも中国バージョンでも簡単に作れますよ。

Pass

[2620]
タマゴ - 2017年02月11日 (土) 12時39分

余り知られた話ではないかも知れませんけれど、張勲復辟といって、1917年に旧清朝の遺臣が中心となって溥儀を復位させた事件がありました。
日本と強い繋がりを持つ段祺瑞の軍がこれを討伐し、溥儀が即座に退位を宣言したため、ごく短期間の復位で終わりましたが、
敢えて清室優待条件云々を引っ張り出すのならば、この事件の時点で“溥儀の側が”優待条件を破ったことになるのです。
(溥儀は上手く追及をかわして1924年まで優待を受け続けましたが。)
つまり、清室優待条件云々はどう解釈しても満州事変を正当化する根拠とはなり得ないのですよ。
それに、日本が溥儀に満州国の元首に据えることを考え始めたのは、1931年の満州事変よりも後のことですしね。

清室優待条件を以て満州事変を正当化しようとしているのは何処のバカかと思って検索してみたら、案の定、マトモな研究者ではなく一介のネトウヨ。
コチラは真面目に議論に応じているのに、一々こういうインチキ丸出しな妄説を引っ張ってこられたらたまりません。
ちっとも建設的議論に発展しないのは、こういう天寿堂さんの態度も原因の一つだと思います。

Pass

[2621]
tada - 2017年02月11日 (土) 22時33分

天寿堂さんへ 国際法の遵守において侵略戦争の是非を問うのが欧米の正義とすれば 反対に大東亜共栄圏の構築は日本の正義でした。この日米の対決・アジア太平洋戦争はお互いの理想像・正義が衝突した戦争であると 私は中庸を念頭に語ってきたつもりでした。いったいどちらに正当性があるのか? 天寿堂さんは日本に理があると主張をし 私はどちらかと言うと欧米よりに つまり 欧米政府が実際に目的としたことと 欧米デモクラシー思想の第一次世界大戦以降の大きな流れに正当性をみて 主張していたようです。(天寿堂さんの主張を相対化するためでもあるのですが 少し反省しております。)天寿堂さんが 日本政府の実際と大東亜共栄圏思想という流れを主張してきたことと どうやら それに対応する同じことを言ってきたようです。ここで仕切り直しをしたいので 言うのですが 私の戦争論とは20代のころより「戦争とは国際紛争解決の最終手段である」ということです。思想・領土・経済・政治・外交上の対立が解決されない場合 戦争は最終解決手段としてあるということです。国際法も当時としては新しい規範でありながら 日清日露戦争の日本の遵守優等生ぶりから アジア・太平洋戦争における無法性を強調したのですが やはり 国際法も歴史的には相対化できるものであるとの考えを思い出しました。小室直樹の「新戦争論」を30年ぶりに読み返して 初心にもどれたわけです。(興味のある方は長谷川高生先生の論文 オルテガの平和論またはオルテガの戦争論を検索の上参照してください。オルテガの名著「大衆の反逆」には戦争論が欠落していますので)結局これは 国家論そのものなのでした。国家主権以上の権力はないのです。国際法・条約・同盟・国連なども有効ではありますが 絶対的なものではありません。国家だけが解決法を主体的に展開する存在なのです。その解決策に 日本は米国との「戦争」を選択した。そしてその戦争結果に政府・軍部は責任をもつものであるということです。

解放戦争よりも共栄圏戦争と言ったほうが 良いかと思います。各民族はすでに欧米相手に植民地解放闘争をしていたのです。日本がいなくても 彼らはやり遂げたでしょう。すでに主体的存在であったわけで 彼らの日本に対する態度をみれば 日本が解放の主役ではなかったことは はっきりします。どちらかと言えば 日本は独自の共栄圏に彼らと共存する覚悟・理想をもっていたわけで 解放よりも満州・朝鮮・台湾のことまでも考えれば こちらの共栄圏のほうがしっくりといきます。(解放思想よりも共栄圏思想のほうが早く唱えられたこともあります。) 

>「アジア的国家ー社会主義体制日本」とはどういうものかが良く分かりません。

もともと 人様の前に発表するものではなく ずいぶん前に自分一人で楽しむために作ったものなので(社会主義体制よりも 本当は軍事主義体制 「軍人の軍人による軍人のための政治」 民主主義をもじって作ったものでした。)説明不足でした。でも これでピンとくる読者の方々がいらっしゃる それぐらいのレベルでやりたいとの希望もあります。滝村隆一(アジア的国家)と歴史・政治(社会主義体制・軍事主義体制)を知っていれば そんなに難解だとは思ってはいません。

Pass

[2622] 欧米の正義とは
愚按亭主 - 2017年02月13日 (月) 10時23分

>国際法の遵守において侵略戦争の是非を問うのが欧米の正義とすれば 反対に大東亜共栄圏の構築は日本の正義でした。
>日本は独自の共栄圏に彼らと共存する覚悟・理想をもっていたわけで 解放よりも満州・朝鮮・台湾のことまでも考えれば こちらの共栄圏のほうがしっくりといきます。(解放思想よりも共栄圏思想のほうが早く唱えられたこともあります。) 

 お互い大分近づいてきましたね。仰る通りだと思います。問題は「国際法の遵守において侵略戦争の是非を問うのが欧米の正義」だとするtadaさんの規定が適当なのかどうかということになるかと思います。正義というならば、法を守るということは形式にすぎず、中身ではないので、その中身を問題にすべきだと思います。という観点から見ますと、「自分たちの侵略を既得権として守る国際法の遵守を正義とする欧米」というのが適当だと思います。

 しかし、一方で、当時主張されていたのは、ファシズム・全体主義・軍国主義から「自由と民主主義」を守れと言うことではなかったかと思います。そしてそれが、その後の共産主義にとの戦いにおいても、イスラム過激派のテロとの戦いの現在においても継続されていますので、こちらの方が欧米の正義としては適当かもしれません。

 そこで、その欧米の正義である「自由と民主主義」について検討してみたいと思います。まず「自由」とは、歴史的な直接性としては封建的身分制からの個人の解放を意味する「自由」ですが、その後の経過から「基本的人権」すなわち「信教の自由」や「言論の自由」という形で結実する個人の国家からの「自由」を意味し、同時にこの「自由」が資本主義経済体制への移行と直接に生み出された「自由」だであるだけに、経済の政治からの相対的独立化を意味する経済・資本の国家からの「自由」を意味するものでもあります。この資本主義体制の持つ本質的性格(政治からの経済の分離独立化・対立)が、それを支えたユダヤ系の金融資本家たちの思惑によってより増幅されて、グローバリズムとなって国家そのものが形骸化していく流れとなっていったのです。「民主主義」はまさにその流れに乗ったものといえます。そして、それがやがて、その「民主主義」によって否定される羽目に陥ったのが、イギリスのEU離脱であり、トランプ大統領の誕生でした。つまり、欧米版「自由と民主主義」の限界が露呈したということです。

 この国家そのものの発展よりは個人・資本の発展を重視する「自由と民主主義」に対して、大東亜共栄圏構想の方は、国家・社会そのものの発展を何よりも重視してそれぞれの国家・社会が相互に共存・共栄しながら発展していく、というものでした。そして、世界は今まさに、その共栄圏に向けて第一歩を踏み出し始めたところです。しかし、それには先駆者たる日本の積極的関与なしには成功しないといえますが、問題はその肝心の日本がかつての日本を否定的にか評価できていない現実があることです。

>アメリカとの戦争は石原が満州事変を起こす前に既に田中上奏文で予言されていたんですよ。先見的でもなんでもありません。石原はまんまと怪文書の通りに行動してしまったのです。

 ではその石原の言葉に耳を傾けてみましょう。
「日米開戦は避けることの出来ない世界史上の必然であり、支那問題、満蒙問題は対支問題に非ずして対米問題である。世界最終戦としての日米戦争を戦うつもりがないのなら、満蒙も必要でなく、軍備も放棄してしまったほうが、小手先で戦争回避の手段を弄するよりはるかに日本のためである」
「支那人が果たして近代国家を作りうるやすこぶる疑問にして、むしろ我が国の治安維持のもとに、漢民族の自然的発展を期するを彼らのため幸福なるを確信する」
「満蒙は満州および蒙古人のものにして、満州蒙古人は漢民族よりもむしろ大和民族に近い。日本の努力が減退すれば満蒙も中国と同じ混沌状態におちいる」

 これは実に確かな炯眼というべきものではありませんか?そう思いませんか。これは石原独自の実力を物語る言葉だと思います。

>離間策というのは“仲間割れ”させる策のことを言うのですよ。
日本(関東軍)が中華民国から満州を切り取った時点で両者の同盟など不可能な状態になってしまったのに、仲間割れも何もありません。

 離間策は欧米が「黄禍論」で日本と中国を仲良くさせないで敵対させようといろいろ画策したことを言っているのです。つまり、もともと仲の良いものを引き離すというよりも、仲良くなったら厄介だからと先手を打って仲たがいさせるということです。ですから、日露戦争に日本が勝利してから日本への留学熱が沸騰すると、それに水をかけるために精華大学を作ってそこから米国へと留学させて反日親米教育を施したというのもその一環でした。蒋介石の奥さんの宋美齢もその留学組だはすでに述べておいたとおりです。もともと満州は漢民族のものではなかったのに、満州国が支那の他の地域よりも平和で良い生活ができると知って多くの漢民族が流入したことからも、欧米の離間策がなければ、五族共和がうまくいった可能性は否定できないと思います。政治というのはそんなものです。

>日本がアジア解放を為したというのであれば、具体的にどこの国や地域を解放したのか言えるはずなのに、そうやってオウム返しすることしかできない。

 こういう反論をするということは、タマゴさんが「これは目に見える現象的な定義ということではなく、本質的な定義だということです。」の意味が全く分かっていないということです。この意味するところは現象的にはそう見えなくても、アジア諸国の旧宗主国からの独立・解放の根底には、日本がそれら旧宗主国と戦って撃退して旧植民地体制を崩壊させた、という歴史的事実からくる本質的規定性が存在するということなのです。これは論理の問題なので、タマゴさんには少し難しいとは思いますが、それを理解できるように論理能力を磨いてください。そうすれば見える景色が違ってきます。

>その時点で日本は中華民国を正式に承認したのですよ。

 日本政府の施政は、状況により変化しています。たとえば、「日本の援助を求めたバブージャブに対して、再び川島浪速が動き、大陸浪人や予備将校、満州駐留軍の一部も加わって、大規模な第二次満蒙独立運動が進められた。日本政府も当初は、中国皇帝の位を狙っていた袁世凱を牽制するため、この運動を暗に諒解していたが、1916年6月、袁世凱が急死したため、急ぎ作戦中止の命が出た。」というようにです。

>張勲復辟といって、1917年に旧清朝の遺臣が中心となって溥儀を復位させた事件がありました。日本と強い繋がりを持つ段祺瑞の軍がこれを討伐し、溥儀が即座に退位を宣言したため、ごく短期間の復位で終わりましたが、敢えて清室優待条件云々を引っ張り出すのならば、この事件の時点で“溥儀の側が”優待条件を破ったことになるのです。

 それは3歳の溥儀の意志ではなく、中華民国内部の問題のようです。その間の事情は、以下の通りです。

{1916年6月、袁世凱病死。大総統に黎元洪が就任。中国各地に軍閥が立った。1917年2月、アメリカはドイツと国交断絶し、中国をはじめとする中立国に参戦を要請した。 国務総理であった段祺瑞は、参戦の条件として経済的援助を要請した。
アメリカがこれに応じなかったので、日本はこれを好機として段祺瑞と接触し、寺内内閣の2年間に3億円を越す巨額の借款を供与した。西原亀三が予備折衝に当たったことから西原借款という。
日本の援助を得た段祺瑞は、参戦案を国会に上程しようとしたが、孫文ら旧国民党系の議員は参戦に反対し、大総統黎元洪と副総統馮国璋もこれに同調した。黎元洪が段祺瑞を罷免すると、奉天督軍張作霖をはじめ、段と組んでいる各地の督軍や省長は独立を宣言した。
黎元洪は督軍団の蜂起を恐れて、安徽督軍張勲に善後処置を頼んだ。張勲は、黎元洪に迫って国会を解散させたので、地方の督軍は独立を取り消した。ところが、張勲は北京に入ると、1917年7月1日、清の宣統帝の復僻を断行し、自らは直隷総督におさまって清朝を復辟させたのである。このため、黎元洪は日本公使館に亡命した。
天津に退いていた段祺瑞は、直ちに討逆軍を組織して北京を陥れ、馮国璋を大総統代理に推し、みずから国務総理となった。復辟は12日で終わり、共和制は回復された。しかし、軍閥の闘争は終わらなかった。北方では、馮と段の暗闘が繰り返され、南方でも、護法のため広東に作られた軍政府のなかは四分五裂であった。」

 この後も張作霖は、満州の独立を宣言したままで、満州は中華民国の領土とは言えない状態が続きました。ところが張作霖が爆死するとその後を継いだ息子の張学良は、国民党の蒋介石の側に寝返って、徹底した理不尽な反日行動に出ます。こういう状況であったので、満州事変を多くの日本人に支持されたのです。この時、国民党の蒋介石は、張学良に反撃させませんでした。それは、満州のことよりは、共産党を駆逐して国内の統一の方を優先させたからです。これは正しい選択です。これがうまくいっておれば、歴史は変わったと思いますが、ぎりぎりまで追いつめておきながら、西安事件など諸外国のちょっかいで、、日本と戦う方向に舵を切らされることになっていったのです。

Pass

[2623]
タマゴ - 2017年02月13日 (月) 12時41分

>これは実に確かな炯眼というべきものではありませんか?そう思いませんか。これは石原独自の実力を物語る言葉だと思います。

ですから!満蒙領有論のアウトラインは全て満州事変より先に流布した田中上奏文という怪文書に書かれているのですよ。
炯眼でも何でもありません。
満蒙の次は中国を征服し、それを足掛かりに世界征服を目指すと書かれている。
重光葵は、これは偽書であり日本に此のような荒唐無稽な考えは全く無いから取り締まって欲しいと、中国政府に要請しています。
しかし満州事変の勃発により、重光は顔に泥を塗られることになってしまったのです。
田中上奏文は、現在も日本陰謀論の根拠として反日外国人に取り上げられていますが、それもこれも予言通りに満州事変や大東亜戦争を起こしてしまったことに原因があるのです。

>もともと満州は漢民族のものではなかったのに、満州国が支那の他の地域よりも平和で良い生活ができると知って多くの漢民族が流入したことからも、欧米の離間策がなければ、五族共和がうまくいった可能性は否定できないと思います。政治というのはそんなものです。

欧米による離間策などというものが実際にあるなら、具体例を提示して下さい。
もし日本が元々親日家であった孫文や蒋介石を支援しロシアと対峙していたら・・・とは考えられなくもありませんが、所詮は仮定の話に過ぎません。
なぜなら、当時の日本の中枢にはそのような発想自体が無かったからです。

>現象的にはそう見えなくても、アジア諸国の旧宗主国からの独立・解放の根底には、日本がそれら旧宗主国と戦って撃退して旧植民地体制を崩壊させた、という歴史的事実からくる本質的規定性が存在するということなのです。

アメリカの天寿堂さん的人々なら、
「現象的にはそう見えなくても、アジア諸国の日本からの独立・解放の根底には、アメリカが日本と戦って撃退して植民地体制を崩壊させた、という歴史的事実からくる本質的規定性が存在するということなのです。」
とでも述べるのでしょうが、こんな事実関係に基づかない空想上の話を言い合っても無意味なんですよ。
馬鹿馬鹿しい。

一を聞いて十を知る、という言葉がありますが、天寿堂さんは10説明しても0.01位しか分からない。
この調子だと洗脳を解くのに10年くらいかかりそうですが、まぁ、能力的なものはどうしようもないので、気長に対応しますよ。

Pass

[2624]
タマゴ - 2017年02月13日 (月) 13時04分

>その間の事情は、以下の通りです。

張勲復辟について述べたのは私ですから、Wikipediaのコピペなんか貼ってもらう必要はありません。
私が述べたかったのは、満州事変を正当化する根拠として清室優待条件を持ってくるのは無意味であるということと、そういう一介のトウヨの屁理屈を引っ張ってくるのは止めてくれということです。
こっちは真面目に議論に応じているんですから。
宗教右派ですら、法的には当時の満州が中華民国の領土であったことは認めているのです。
天寿堂さんが額に青筋立ててグチャグチャ言ったって仕方ないんですよ。

Pass

[2625] 田中上奏文は大部分日本精神の発露
愚按亭主 - 2017年02月13日 (月) 20時53分

>ですから!満蒙領有論のアウトラインは全て満州事変より先に流布した田中上奏文という怪文書に書かれているのですよ。
炯眼でも何でもありません。

 これはおめずらしい。細かい事実にこだわるタマゴさんが「アウトライン」ですか。私はアウトラインではなく細かい洞察について慧眼だと評価したのです。そのために実際の石原の言葉を引用したのです。その意図が分からなかったようですね。

>重光葵は、これは偽書であり日本に此のような荒唐無稽な考えは全く無いから取り締まって欲しいと、中国政府に要請しています。
しかし満州事変の勃発により、重光は顔に泥を塗られることになってしまったのです。田中上奏文は、現在も日本陰謀論の根拠として反日外国人に取り上げられていますが、それもこれも予言通りに満州事変や大東亜戦争を起こしてしまったことに原因があるのです。

 本流論が分からないから、そんな本質的でない些末な問題が気になるのです。本流論を媒介としたtadaさんとの討論の成果を踏まえれば、大東亜共栄圏構想を自らの正義とする日本の道という観点に立てば、日本をけん制するための暴露文書で妨害しようとしても、あえてその道を突き進んだということは、それが革新的な歴史的必然性であったということです。だから、堂々とその正当性・先見性・歴史的意義を説けばよいのです。

>事実関係に基づかない空想上の話を言い合っても無意味なんですよ。馬鹿馬鹿しい。

 それはタマゴさんのパロディーの方だけで、私の方はしっかりと俯瞰的事実に基づいています。それが分からないのはタマゴさんが論理能力がないせいですので、私の責任ではありません。

>満州事変を正当化する根拠として清室優待条件を持ってくるのは無意味であるということ

 無意味であるどころか、五族の連合国家であった大清帝国を受け継ぐことを証明する唯一にしてとても危うい文書がこの上位文書です。しかもその実態はとてもそれを受け継ぐどころの騒ぎではなかったことが現実ですから、形式的な法を持ち出すし無法国家中華民国を擁護する気持ちがわかりません。

 袁世凱がこの上位文書を保護にした時点で、共和を条件にして統一をうたった譲位文書の法的拘束力は喪失していたとみるべきです。その後で腹澼しようと問題はないということです。法的にはあいまいなまま、法的にきちんとできないままなんとなく推移していたということです。だから、日本軍が満州に進出したとき、蒋介石は群を出さなかったのです。そして、満州の地に満州国を作って満州人の溥儀が皇帝になってそれが既成事実化したということです。

Pass

[2626]
タマゴ - 2017年02月14日 (火) 08時51分

>私はアウトラインではなく細かい洞察について慧眼だと評価したのです

世界最終戦論を読んでもいないのに、嘘をついてはいけません。
しかも舌の根も乾かぬうちに、

>本流論が分からないから、そんな本質的でない些末な問題が気になるのです。

などと宣う。
どういう脳ミソをしているのかと。

>大東亜共栄圏構想を自らの正義とする日本の道という観点に立てば、日本をけん制するための暴露文書で妨害しようとしても、あえてその道を突き進んだということは、それが革新的な歴史的必然性であったということです。

田中上奏文が流布した時期の関東軍に大東亜共栄圏構想など存在していませんから、その道に突き進むことなどありえませんし、
石原完爾は関東軍の中心人物の一人ですが、別に関東軍は石原の思想だけに基づいて動いていたわけでもありません。
なぜ「満州戦争」ではなく「満州事変」と呼ばれたのかといえば、戦争には大義名分などが必要だが満州事変にはそれらが無かったからです。

>それはタマゴさんのパロディーの方だけで、私の方はしっかりと俯瞰的事実に基づいています。それが分からないのはタマゴさんが論理能力がないせいですので、私の責任ではありません。

普通の人なら、天寿堂さんのガチガチのアタマと詭弁のオンパレードに愛想を尽かして見捨ててしまうところですし、実際これまでに談論サロンに登場した人は皆そうでした。
それを、根気強く真剣に議論に応じている相手をパロディなどとバカにするとはどういう了見でしょうか。
やはり、天寿堂さんの頑迷さに呆れて早々に見切りを付けた人たちの方が利口だったということですかね?

>形式的な法を持ち出すし無法国家中華民国を擁護する気持ちがわかりません。

そうやって、法を蔑視しながら“無法”国家などという語を用いるのは矛盾です。

>袁世凱がこの上位文書を保護にした時点で、

袁世凱が反故にしたのではありません。
口を酸っぱくして歴史を真面目に勉強せよと述べているのに、まだ分かりませんかね?

>共和を条件にして統一をうたった譲位文書の法的拘束力は喪失していたとみるべきです。その後で腹澼しようと問題はないということです。

“俯瞰的”といえるのは、そういう独り善がりな屁理屈の類ではなく、欧米に持っていっても旧植民地に持っていっても通用する論理のことです。
即ち客観性があるということ。

私は、ヘーゲルの文章には極限まで客観性を貫こうという意思を感じます。
祖国ドイツだけでなく何処か特定の国家を本流などと贔屓目に見てはいないし、自己正当化のために絶対精神を振り回してもいない。
だから、アメリカ人であろうが日本人であろうが韓国人であろうが一切関係なく、国境を越えて世界中に支持者を獲得したのですよ。
真の俯瞰とはそういう論理を指すのです。

しかし、天寿堂さんの文章は全くの真逆。正反対。
何処まで行っても常に主観にまみれていて、しかも自身が視野狭窄に陥っているのに気付かない。
世界はおろか、国内でも一部の右派にしか通じないでしょう。
その主観と無知を正当化したいがために、ヘーゲルが唱えてもいない奔流論だの何だの空理空論を金属バットのように振り回して大暴れしているのです。
本当はヘーゲルの信奉者ではなくヘーゲルの名を黄門様の印籠のように利用しているだけであり、だから著書を読む気にもならないのでしょう。
南郷派に小馬鹿にされた「一般論の稲村」が「本流論の稲村」に模様替えしただけで、内実は何一つ進歩していない。
おそらくtadaさんは勘づいているかと思いますが、ヘーゲルの思想と天寿堂さんの信条は似て非なるものなのです。

天寿堂さんがそんな素人強弁で歴史文書の条文解釈を変えられると思うなら、こんなネット掲示板で喚くのではなく、国際司法裁判所にでも何処にでも訴えればよいのです。
私なんかにこんな所でグダグダ言ったって条文そのものや一般的な法解釈がひっくり返るわけではありませんから無意味なんですよ。
いくら日は西から昇ると一人で言い張っても太陽を押すなり引くなりして公転軌道を変えなければ無意味なのと同じことです。
袁世凱が条文を反故にしたなどと真顔で間違いを吹聴している時点で門前払いでしょうがね。

Pass



Number
Pass

ThinkPadを買おう!
レンタカーの回送ドライバー
【広告】楽天市場から 春のお買い物マラソン4月24日開催予定
無料で掲示板を作ろう   情報の外部送信について
このページを通報する 管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板