[2610] 否定的理性の意義とは |
- 愚按亭主 - 2017年02月06日 (月) 11時26分
>重光の欺瞞性の批判というのがわかりません。天寿堂さんの誤読ではないのですか。重光は大西洋憲章が戦後体制の規定とみて それを取り入れることで 日本の戦後体制への国家改造の論議を喚起させる目的があったのですから。重光が大西洋憲章の欺瞞性をいうはずがない。
これは驚きです。東條の演説原稿にあのように目立つようにはっきりと書かれているのに分からないとは・・・・。本当に読んだののですか?分かりました。その部分を引用しましょう。
「米英ノ平素唱道致シマスル国際正義ノ確立卜世界平和ノ保障トハ、畢竟欧洲二於キマスル諸国家ノ分裂抗争ノ助長ト'亜細亜ニ於ケル植民地的搾取ノ永続化卜二依ル、利己的秩序ノ維持二外ナラナイノデアリマス、而シテ亜細亜ニ於ケル米英ノ遣り方ヲ見マスル二、彼等ハ政治的二侵略シ、経済的こ搾取シ,更二致育文化ノ美名二匿レテ民族性ヲ喪失セシメ、相互二相衝突セシメテ、其ノ非望ノ達成ヲ図ツタノデアリマス、斯クテ亜細亜ノ諸国家諸民族ハ、常ニ其ノ存立ヲ脅威セラレ、其ノ安定ヲ攪乱セラレ、民生ハ其ノ本然ノ発展ヲ抑壁セラレテ今日二至ツタノデアリマス'彼等ノ呼号スル門戸開放、機会均等主義モ、東亜ヲ植民地視スル根本観念二発シタルモノデアリマシテ、実ハ彼等ガ東亜侵略ノ非望ヲ遂ゲンガ為ノ便宜手段二過ギナイノデアリマス、彼等ハ自国ノ領土内二於テハ'東亜ノ諸民族二封シテ常ニ門戸ヲ閉鎖シ,機会ヲ不均等ナラシメ、交易ヲ阻碍シツ、、只管彼等ノミノ利己的繁柴ヲ追及シタノデアリマス」
これは見事な洞察ではありませんか。全くその通りだと思います。さすが重光です。ここに日本が戦う理由が鮮やかに記されております。大東亜戦争を聖戦だとする根拠も納得できます。
>日本精神という一般論に収斂することで政策論・組織論がすっぽり抜け落ちて 実証的議論になりません。天寿堂思想の真骨頂ですが 学問ではありません。対象を分析することができなくなります。独立政策も軍政の一部です。政策と実践と結果を見て考えるべきです。解放独立は明確な戦争目的にはなりえず 矛盾の重石なったのです。独立した国々を日本がまとめることができないほど 独立国家(タイ・フィリピン)が主体性を持ち始めたからです。それを知った内地である5族協和の満州・朝鮮でも独立の気運が起こり始め 火消しに力をそそぐ状態でした。大東亜共栄圏は絵空事です。日本精神で誤魔化さないほうがよいです。
事実はその通りなのですが、それをどう見るかというときに、俯瞰的な立場からの否定的理性による否定的媒介が真の学問の樹立のために必要だということを、ヘーゲルは説いたのですが、滝村先生には届かなかったようです。この場合も、事実的に見ると否定的にしか見えない事実が、じつはそうではなかったということが見えるようになるところに、否定的理性による否定的媒介の意義があるのです。これは戦争に負けたことによって、事実的には中途半端になってしまったために、見えなくなってしまった真相を見るためにも大事な点なのです。
>「私」の本質定義は 欧米キリスト教的帝国主義国家と日本儒教的帝国主義国家による戦争としておきます。ソ連 共産主義 ナチス ファシズムの思想的構造もキリスト教と同じ構造を持つものであることから少し強引ですが欧米キリスト教の仲間にいれました。
これでは、一体何が対立点なのかがはっきりしません。宗教戦争のように見えてしまいますが、実際に戦争になるような宗教的対立があったのでしょうか?そういう面はほとんどないのではありませんか?
>石原はアメリカの世界覇権など予測していません。世界戦争には日本(と中国などの連合軍)が勝つと予測していたのです。しかも石原は、戦後に世界最終戦論を実質的に放棄し、次のような非武装中立論を唱えています。
私は石原莞爾そのものを評価しているのではありません。彼のその時点での戦略思考の正当性・先見性を評価しているのであって、それが結果として外れたとしても、その評価は変わることはありません。日本が蒋介石を破って日本と支那が合体することを恐れたから米国は飛行部隊を派遣してそれを阻止しようとしたのであって、表向きそうであっても、内実は日本が国際正義をやぶって侵略性をあらわにしたからではないと思います。
>意味が分かりません。分かるように説明して下さい。
「清朝の政体は五族のそれぞれが別の国家とも言える政体を維持し、清朝皇帝はその五つの政体に別個の資格で君主として君臨するという一種の同君連合であった。そのため、漢族社会に深く溶け込んでいた満州族を除くモンゴル(蒙古族)、西域ムスリム社会(回)、チベットの実質三ヵ国は、漢族による中華民国政府の統治下に置かれることをよしとせず、清朝皇帝権の消滅をもって独立国家であると主張した。」とあるように、清朝の政体がそういうものだったからあの合意文書があるということですから、五族を外国と見なしたうえで協和に合意したものは、それなりの対応とするということだった、ということが分かります。袁世凱率いる北京政府の「五族共和」の意味だったということで、あのときタマゴさんのはそれを否定するのに躍起となっていましたが、間違いだったということが分かった、ということです。
>“解放”とは、ある主体が対象の束縛を解き自由な状態にしてやることです。日本軍が大東亜戦争期に“解放”したと言える国は、何処にも無いではありませんか。あるなら挙げてみて下さい。 また、欧米からの独立運動は、各民族が主体的に行った運動ですから各民族の手柄であり、“解放”などと表現するのは誤りだということをしつこく述べているのです。
私はそういう即自的悟性的な事実的な判断を否定せず認めたうえで、あえてアンチテーゼとして否定的媒介として、日本がアジアを解放したと主張しているのです。何故なら俯瞰的に見れば、日本がロシアに勝って宗主国にはとてもかなわないと思っていたアジアの人々の意識を覚醒させ、実際に宗主国の軍隊を追い出して、植民地体制・経済を破壊し、混乱をもたらしたからこそ、アジア諸国が独立を勝ち取ることができたといえるのです。日本が命がけで強大な敵に戦いを挑まなければ、アジアの独立はありえなかった、という意味で、日本がアジアを解放したと言えると思います。アジア諸国の独立・解放はこの両面の統一で見なければならない、ということです。
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