カウンター 青雲氏の東洋医学への口撃について - 談論サロン天珠道
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談論サロン天寿道

この掲示板は、東洋医学に関する諸問題を真摯に討論するためのものです。
個人的な誹謗中傷ではなく、学問的な議論であれば、どんなに激しくとも可です。
最近他所の問題を此処で意見する者が増えてきました。
ここは独立した掲示板ですのでそのような書き込みは削除いたします。

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[2248] 青雲氏の東洋医学への口撃について
タマゴ - 2016年08月10日 (水) 12時11分

本日、青雲さんが「支那は昔から医書でも嘘つきだった」と題した記事を自身のブログに掲載しました。

元ネタの伊勢雅臣さんのブログでは、ただ前野良沢と杉田玄白の感動的なエピソードが紹介されているだけです。
それを青雲さんは、このエピソードを、中国人や中国を礼賛する奴はダメな連中だ、という自論へ強引に我田引水しています。
問題は、その過程で、中国伝来の医学は全てデタラメであるという趣旨のことを述べていることです。

確かに解剖学的知識に関しては、当時の東洋医学は西洋医学の足下にも及びませんでした。
しかし、そのことをもって東洋医学がデタラメであると断定することは、余りにも思慮が浅過ぎでしょう。
逆に、江戸時代に日本に来たオランダ人が灸治療を受けて病が快癒し、その驚きを書物に記した例も多数残っています。
つまり、青雲さんの見方は一面的過ぎるということです。
まあ、中共支配下の現在の中国を口撃したい気持ちはわかりますけれど、そのために医学の比較論的な話を例に取り上げるのは適切ではなかったと私は思います。

というか、ここ数年、青雲さんはなんでもかんでも強引に同じ話・同じ結論に持ち込もうとするから、入口のネタは違っていても、その後の展開が完全に分かってしまうんですよね。
読まなくても。
なんで解体新書の話が副島隆彦叩きになるのかと(苦笑)。

天寿堂さんはどう思いましたか?

Pass

[2249] 東洋医学と西洋医学との違いとは
愚按亭主 - 2016年08月11日 (木) 22時03分

 この問題を解くためには、学問の歴史から説く必要があると思います。西洋医学は、ギリシャ哲学を母胎としておりますので、学問の冠石としての静止体の弁証法の完成を経て、その第一の否定として、全体学から部分学へ、観念論から唯物論へ、理念の追究から事実の追究へ、という学問の発展過程として正当な過程を経て生み出されたものです。たとえて言えば、森から木へとその対象へのアプローチのしかたが変化して、事実をその内部の構造に立ち入って徹底的に究明していこうとする方法論が確立した医学となりました。

 一方の東洋医学はどうかと言えば、哲学の完成はなく、したがって第一の否定は行われないままに、全体を全体としてとらえる観念から論理を組み立てる哲学的方法論のままにとどまることになってしまいました。したがって、東洋医学は、全体を全体としてみて現れた現象から論理を組み立てるだけで、具体的な内部の構造を解剖などで明らかにする必要性がないままに、それで治療が成功すれば事足れりとしてきました。したがって、東洋医学の研究者が西洋医学の事実的正確さに驚くということも、当然起こりうることです。これは、漢民族の民度の問題などではなく、学問の発展段階としての一般性の問題であって、それを直接結び付けるのは誤りです。また、民度の高い日本人が輸入した東洋医学を、西洋医学と同様の道を歩ませることができなかった理由も、盲目的信仰や民度の問題などではなく、学問としての発展段階の問題なのです。

 したがって、
>東洋医学がデタラメであると断定することは、余りにも思慮が浅過ぎでしょう。
逆に、江戸時代に日本に来たオランダ人が灸治療を受けて病が快癒し、その驚きを書物に記した例も多数残っています。つまり、青雲さんの見方は一面的過ぎるということです。まあ、中共支配下の現在の中国を口撃したい気持ちはわかりますけれど、そのために医学の比較論的な話を例に取り上げるのは適切ではなかったと私は思います。

 という指摘は、正しい指摘だと思います。実際、東洋医学の治未病という方法論的思想は、治已病的方法論に立脚する西洋医学に大きく欠落するものであり、本物の医学は治未病と治已病の統一でなければならない、というよりも治未病をベースにしなければなりません。だから、西洋医学の技術がこれだけ進んでも東洋医学がなくならないのです。このことからも、東洋医学をデタラメと切り捨てることが如何に誤りであるかが分かろうというものです。しかも、その腑分けにおいて、その臓器の名称のほとんどに東洋医学の概念を使うことができた、ということの意味するものは何かと言いますと、臓器の形や位置が正確でなかったにしても、その機能は正確に把握していたということを物語っているということです。そのことを端的に物語るエピソードとして、当時の解剖の技術では膵臓を見つけることが難しく、比較的見つけやすかった脾臓の名称に、東洋医学の「脾」という概念を使ってしまった結果として、東洋医学のいう「脾」という概念と脾臓の機能が一致しないという事実があります。

Pass

[2250]
タマゴ - 2016年08月12日 (金) 10時54分

なるほど、仰る通りだと思います。

それと、現在の中共支配下の中国人の民度が低いから昔の中国人も皆そうだったように青雲さんは言いますが、それは一概に言えないだろうと私は思います。
(副島さんのように、昔の中国人の民度が高かったから現在の中国も信用できるという考えも間違いだろうと思いますが)
中国の民度(精神性)の低下は、中共支配による唯物論弁証法の蔓延が一つの原因としてあるのではないでしょうか。

Pass

[2251] 国家の発展段階・およびその完成度が民度を決定する
愚按亭主 - 2016年08月12日 (金) 20時05分

>中国の民度(精神性)の低下は、中共支配による唯物論弁証法の蔓延が一つの原因としてあるのではないでしょうか。

 もうちょっと根は深いと思います。それは、国家としての発展段階によるものと思います。端的に言いますと中国の国家のレベルはアジア的国家のままだということです。これは人間でいえば、即自の幼児的段階のままだということです。近代国家の法による支配という対自的段階にまで国家として到達することができなかったということです。

 さらに言えば、中国の場合、他民族による支配が再三あったという特殊事情がありましたので、なおさらのこと一般民衆にとって国家はどうでもよい存在でしかなく、対自的な公的意識はまったく育たなかったのです。つまり、即自的国家の中にあって国民もまた即自のままで、まともに育ちようがなかった、ということです。現代でいえば多くのアフリカ諸国が部族連合国家のままで国家としての発展がなく、で自分たち部族のことしか考えていないのと似たような状況だということです。

 これは、朝鮮も同様でした。というより、朝鮮の場合は中国の属国だったことが加味されて、支配階級の両班は中国の顔色を見て国王をないがしろにし、自分たちさえ良ければ民がどうなっても知らん顔というありさまでしたから、その民は日本が攻め入ったときに便乗して両班の屋敷から略奪・放火をするものが多かったそうです。このような状況でしたから、日本に併合される直前の朝鮮の状況は、破産状態であるにもかかわらず自力更生の能力のない悲惨な状況だったそうです。それを曲がりなりにも自力更生可能な国つくりの土台を整備したのが日本だったのです。

 ではその日本は、同じ東アジアにあって、なぜ中国や朝鮮のようにならなかったのでしょうか?それには、二つ理由があります。一つは、日本は、中国・挑戦と違って天皇と将軍による二重権力的構造を創って、国家をダイナミックに発展させたことです。次に、その二重権力において実質的に支配した軍人政権の支配階級が、公に私を殉じさせる武士道で自らを厳しく律し、それが社会全体に浸透していった結果として、人類がこれまで目的意識的に創り上げてきた社会・国家のうちで、日本だけがまともな社会まともな国家の形態を見事に創り上げることができた唯一の圀となったのです。

  このことに関してはいくつかの証拠が存在します。まず挙げられるべきは、「逝きし世の面影」(渡辺京二著、平凡社)の中に描かれている、来日した外国人たちの「これは自分たちの文明とは違う一つの文明である」という客観的な評価です。しかもその中身が、「下層の人たちまでもがこのように幸福そうに微笑んでいる国は自国でも歴訪した諸国にも見られなかった光景である」というものだったからです。しかも、これが社会の形が相当に崩れていたはずの江戸末期から明治初期のころの話であるからなおのこと、その凄さがわかろうというものです。

 そして、実際江戸時代の日本は文化的にも、経済的にもその当時の世界の最先端をいっていた、といっても過言でないほどの実力がありました。たとえば、学問の分野では安藤昌益が、ヘーゲルよりも百年先に、「自然真営道」(活真≪絶対精神≫の自己運動≪自然営道≫)という百巻にもおよぶ大著の中で絶対的真理の弁証法の祖型を創り上げていました。また個別科学の分野でも、数学の関孝和は数々の世界的な発見をしていますが、医学・医療においても治未病医学の漢方(古方)は、本場を凌いで世界トップレベルであったこと、また、芸術の分野においても伊藤若冲などはフランスの印象派よりもさきに陰影の描写を取り入れていたり、浮世絵がゴッホなどに大きな影響を与えるほどであったことは周知の事実でしょう。また経済・産業の分野においても、種子島の鉄砲の分業的製作システムは、当時の世界最高のレベルであったし、金融の先物取引を始めたのも日本が世界初だったのです。

 つまり、当時の日本は、まさに絶対精神の本流の歩みを積み重ねていたのです。だから、自分たちよりも進んだ西洋の哲学や個別科学の存在を知ると、それを結果だけを盗むのではなく、基本から学んで自分の力で本物の実力を創り上げていったのです。だから、瞬く間に追いつき追い越していったのです。そして、現在はその学問の要といえる、弁証法は日本にしか存在しないといっても過言でないほどになっているのです。これが、日本が本流である所以なのです。

 そして、このような完成レベルの社会性・国家性を受け継いだ戦前の日本人が、現在の日本人と具体的にどう違うのかを、「心に青雲」のブログ筆者殿が、「軍人片岡覚太郎の至醇遥」という記事の中で次のように描写しています

「 片岡の述懐は、個人が社会なり国家なりの従者になっているように見えて、実はそうではなく主体性ある個になっている。それがあとで書くが現代っ子ほど個性的であるように見えて、実際は社会の従者にならされている皮肉な現象がある。」

 この戦前の日本人の典型と現在の日本人の典型との違いは、一体何なのでしょうか?まず、民主主義国家にして自由なと謳われている日本国民である現在の日本人の典型は、個の立場での即自の感情そのままです。これに対して、戦前の日本人の典型は、即自の自分の感情を対自の国家・社会全体の立場から自分をとらえ返す自分との区別がしっかりとできたうえで、主体的に対自の自分に即自の自分の情を涙を呑んでしたがわせ一体化させることができていました。そういう日本人の心情を端的に表しているのが歌舞伎「熊ケ谷陣屋」です。それが、国家・社会の隅々までいきわたっていたのが、「日本だけがまともな社会まともな国家の形態を創り上げることができた唯一の圀」の証しなのです。

>昔の中国人の民度が高かったから現在の中国も信用できるという考えも間違いだろうと思いますが)中国の民度(精神性)の低下は、中共支配による唯物論弁証法の蔓延が一つの原因としてあるのではないでしょうか。

 中国の歴史において、たとえ精神性の高い支配者がいたとしても、日本のようにそれが社会全体に浸透したことは、ありません。理由は前に述べたとおりです。また、中共支配下において民度が著しく低下したということは、ありません。中共は、前の時代のインテリ階級を粛正して、農民を大学の学長にするというようなことをして、もともとの民度の低いのに全体を合わせただけなのです。




Pass

[2252]
タマゴ - 2016年08月13日 (土) 09時26分

うーむ・・・確かに私は昔の中国の民度を支配者層や知識階層の水準だけから推測していたかもしれません。
実際に中国の民衆の精神性の水準がどれ程であったかは少々検討を要しそうです。

ところで、青雲さんが本日のブログ記事で、また滝村先生やヘーゲルについてネガティブなニュアンスで論じていますね。
明らかに天寿堂さんを意識していると感じられます。
(愚者と相互浸透したくないから議論などしない・・・といった間違った弁証法用語の使い方は止めたようなので、私の書き込みも読んでいるのでしょう。)
しかし、残念ながら、天寿堂さんの反論に真正面から再反論した内容にはなっていません。
あれでは真の否定的契機にならないので、弁証法的な螺旋的発展の望める論争にはなりそうにありませんね。

Pass

[2253]
タマゴ - 2016年08月13日 (土) 09時49分

それから、青雲さんは師範の

「本物の研鑽は強力な弟子たる相手との人格を賭けての、相手を打ち倒すほどの討論(闘論)を通して、相手と自分の双方の学的不足分(仮に互いに自信満々であったにしても、である)を互いに徐々に埋めていくことによってこそ(すなわち、自らの学的社会的関係で学びえた学力を貫き通すことによってこそ)、自己の学問化を図れたのであり、かつその道程を創出していくことができたのである。」

という文章を引用していますが、これは寧ろ今の天寿堂さんのような“反骨の弟子”の必要性を説いているとしか読めません。
翻って、青雲さん自身は師範に対して「相手を打ち倒すほどの討論」を挑んでいるのかどうか。
単なるイエスマンに為り下がってはいないか?

Pass

[2254] 心に青雲氏の滝村先生に対する批判について
愚按亭主 - 2016年08月13日 (土) 12時47分

 おっしゃる通り、これは、以前に書いておいた、心に青雲氏は私とタマゴさんとの討論について自らの誤りを認めるべきだ、との主張に対する反論であることは明らかですね。心に青雲氏は、自らを唯物論者として唯物論を賛美しながら、その実態は恐ろしいほどの観念論者なのです。どういうことかと言いますと、自らの感情や南ク先生に対する盲目的信仰という観念ばかりを見て、都合の悪い事実・認めたくない事実は、決して見ようとしないという傾向が非常に強いということです。これはなぜかといいますと、自分の感情が傷つくのを極端に恐れて、それを第一義に守ろうとするからです。結果として、それが自らの認識の発展を著しく阻害していることには、本人は気づかないのです。

 こういう自らの態度が、誹謗中傷合戦を自ら招いてしまっているという事実には目をつぶって、相手だけのせいにして、相手を非難し否定するのです。ところが、一方でその同じ相手であるタマゴさんが、私のと討論の中で恐ろしいほどの認識の発展をしたという誰もが認めるが青雲氏にとっては都合の悪い事実を、認めようとはしないで無視するのです。それを認めたら、自らの感情を否応なく変えなければならなくなるからです。結果として、事実よりも自分の観念のほうを大事にして、建前上最も嫌っているはずの観念論者に心ならずもなってしまうのです。これは、唯物論者と自認する以上大いに反省すべきことです。それが嫌なら、唯物論の看板を観念論に変えるべきです。

>という文章を引用していますが、これは寧ろ今の天寿堂さんのような“反骨の弟子”の必要性を説いているとしか読めません。翻って、青雲さん自身は師範に対して「相手を打ち倒すほどの討論」を挑んでいるのかどうか。単なるイエスマンに為り下がってはいないか?

 これは鋭い指摘ですね。驚きました。私もこの文章を読んだときまったく同じことを思いました。おそらく、南ク先生も、この文章を書くときに私のことが念頭にあっただろうと想像します。

しかし、
「本物の研鑽は強力な弟子たる相手との人格を賭けての、相手を打ち倒すほどの討論(闘論)を通して、相手と自分の双方の学的不足分(仮に互いに自信満々であったにしても、である)を互いに徐々に埋めていくことによってこそ(すなわち、自らの学的社会的関係で学びえた学力を貫き通すことによってこそ)、自己の学問化を図れたのであり、かつその道程を創出していくことができたのである。」

 と南ク先生はおっしゃっていますが、実際のところ南ク先生ご自身、これを実践できていないのです。つまり、「強力な弟子たる相手との人格を賭けての、相手を打ち倒すほどの討論(闘論)を」しようとはしていない、ということです。どういうことかと言いますと、私の批判のうちの致命傷を与えるほどの肝心な批判に対しては、決して応えようとはせず、無難な自分の理論の不足を補うようなところだけ取り入れようとしている、ということです。

 ではその肝心な問題とは、具体的にどういう問題かといいますと、学問の体系の根幹にかかわる、絶対的真理と相対的真理との関係性の問題、そして、絶対的観念論と唯物論・観念論との関係などなどです。この問題にまともに取り組もうとしないから、哲学の歴史・弁証法の歴史をまともに説けないのであり、国家・社会の弁証法もまともに措定できなくなって、学問の体系の完成など夢のまた夢となってしまうのです。

 次に青雲氏の次の文章を取り上げて検討したいと思います。
>「弁証法的能力を学問的に創る方法」を創出することもできなかったからだ。人類の歴史で初めて、南ク継正先生が創出を成し遂げたのである。

 これは誤りです。南ク先生は技一般の創出法の論理を措定することはできましたが、その特殊形態としての「弁証法的能力を学問的に創る方法」を創出することはできませんでした。それは何故かと言いますと、弁証法の基本技が何かを措定できなかったからです。学問の創出にとって、こちらこそが肝心な点であるのに、それが分からないから、創り方・使い方の鍛錬の一種に過ぎない討論を異常に重視して、論争できる弟子を創らなかったから駄目だ、などというトンチンカンな批判をしているのです。これでは喧嘩拳法を奨励しているようなものです。結果として、弁証法の基本技を自力で創り上げた私の批判にまともに応えられないのです。この一事でも、基本技の重要性が分かろうというものです。

 基本技をまともに創り上げたならば、弟子以外のだれとの討論でも、学問的発展は可能であり、弟子だけと討論せよという主張がいかに馬鹿げたものであるかが、分かろうというものです。現に私はタマゴさんとの討論の結果、おそらくは南ク学派ですらも到達できていなレベルの交感神経論に達することができました。そして、その応用として、癌治療のカギは交感神経ー副腎系にあるという理論的確信を得ることができ、それをさっそく実践して目覚ましい成果を得たのですが、私の成功を望まない人によって、それ以上の治療をさえぎられてしまいました。大変残念なことです。




Pass

[2255]
タマゴ - 2016年08月13日 (土) 14時08分

青雲さんが引用した、師範の
「本物の研鑽は強力な弟子たる相手との人格を賭けての、相手を打ち倒すほどの討論(闘論)を通して、相手と自分の双方の学的不足分(仮に互いに自信満々であったにしても、である)を互いに徐々に埋めていくことによってこそ(すなわち、自らの学的社会的関係で学びえた学力を貫き通すことによってこそ)、自己の学問化を図れたのであり、かつその道程を創出していくことができたのである。」
という文を拝見して、天寿堂さんが私の
「弁証法の基本技をシッカリと創り上げた後は、統体止揚に至る三項の論理学を用いた議論を活発に行うべきで、そのための教程と議論の場を作ってはどうか」
という提案に驚き、賞賛した理由が分かりました。

師範は議論の重要性を説いておられるのに派内に弁証法的な議論の場や議論の仕方を習得させる教程を用意なさっておらず、
一方で私の提案は、図らずもその点を補っているからです。
また、師範は他者との議論を相互浸透レベルで語っておられますが、私の提案は統体止揚レベル、つまり、議論により両者の元の主張よりも高次の論理を導きだす過程を見据えています。

自分で言うのも変ですが、師範の著作を拝読していない私が、師範の意を汲んで更にその先を行くような提案をしたというのは、なんとも不思議な感じがします。
門前の小僧というのも、けっこう侮り難いものがあるのかもしれません(笑)。

>基本技をまともに創り上げたならば、弟子以外のだれとの討論でも、学問的発展は可能であり、弟子だけと討論せよという主張がいかに馬鹿げたものであるかが、分かろうというものです。

青雲さんは、被災者はB層だから相互浸透しないように気を付けよ、と言い、他流派の空手家を激怒させました。
一方、天寿堂さんは単身被災地に乗り込み、被災者の治療に当たる過程で「辛苦一切奇妙」という秘術を編みだしました。
この秘術の創出には、

基礎的契機:元の天寿堂さんの治療技術
否定的契機:それでは対処できない症状
統体的契機:辛苦一切奇妙

という三項の論理学に則った弁証法的過程があったことは間違いありません。
これは、別に相手が弁証法の達人でなくとも発展的論理を導き出すことは不可能ではないことの実例といってよいでしょう。
しかもこの辛苦一切の秘術は、自律神経論の治療レベルでの具体的展開にもなっており、今になってみれば単なる神経症の治療技術というだけでなく、天珠医学の根幹を為す大発見だったわけです。

Pass

[2260] タマゴさんは恐ろしい人
愚按亭主 - 2016年08月15日 (月) 16時47分

>師範は他者との議論を相互浸透レベルで語っておられますが、私の提案は統体止揚レベル、つまり、議論により両者の元の主張よりも高次の論理を導きだす過程を見据えています。
 自分で言うのも変ですが、師範の著作を拝読していない私が、師範の意を汲んで更にその先を行くような提案をしたというのは、なんとも不思議な感じがします。門前の小僧というのも、けっこう侮り難いものがあるのかもしれません。

 その不思議な感じはよく分かります。それこそ論理の凄さなのです。私も、絶対的真理と相対的真理との体系的な関係性を、絶対的真理の方を冠石の位置にひっくり返したところ、ヘーゲルの言わんとすることが手に取るように分かるようになって、ヘーゲルの本をまじめに読まなくとも、人が引用してくれた文章だけで、その引用してくれた人が分からなかったことまでも分かるようになってしまったことは、本当に不思議でした。

 そんな私の論理性を、タマゴさんは闘論を通じて自分のアタマの中に刻み込んでしまったのだと思います。まさに、自らを他のものとして創造したわけです。それは今までの自分と明らかに違うので、これ本当に自分が言っているのか、と不思議な感じがするわけです。だから、私と同じように南ク先生の不足なところまで分かるようになってしまった、しかも、そればかりでなく、さらに私の上を行こういう野望が透けて見えるので、正直なところ、恐ろしい人だと思います。

 心に青雲筆者殿は、再三タマゴ氏と討論することを相手のレベルに相互浸透するからやめろ、と警告を発してきましたが、人間の相互浸透には二重構造があることが、お分かりになっていないようです。つまり、勝手に相互浸透してしまう自然発展性の相互浸透と、目的意識的に相互浸透させる目的意識性の相互浸透とがあるということです。

 私は、タマゴさんと討論するときに、常に目的意識的に弁証法性・論理の体系性を貫き通してまいりました。つまり、毎回同じ論理、同じ体系性から説いておりましたので、私自身にはその論理性・体系性がより深く刻み込まれ、一方のタマゴさんの方にもその論理性・体系性が浸透していき、やがてそれがタマゴさんのアタマの中でタマゴさん本来の論理性・体系性との統体止揚的量質転化をおこしていったのだと思います。結果として、心に青雲筆者殿が危惧するような相互浸透にはならなかったのだと思います。つまり、人間の相互浸透は、目的意識に大きく左右されるということです。このことを唯物論を信奉する人たちは、どういうわけか見ようとしないで、勝手に相互浸透するから怖いなどと怖がって縮こまってしまうのは、唯物論が人間的でない側面が表れているようで、大変面白いと思います。

 さて、最後に「辛苦の歪み一切奇妙」についてのタマゴさんの論理化についてですが、「辛苦の歪み一切奇妙」という秘技は、今では対象に合わせて著しく発展して、不快感情のもととなる脳内の偏桃体ー交感神経幹系を整える秘術と連携した、より威力を増したものとなっています。その原点となったものが、おっしゃるように相馬市での医療ボランティアでした。その時の体験をタマゴさんが三項の論理で整理してくれました。

      *       *

基礎的契機:元の天寿堂さんの治療技術
否定的契機:それでは対処できない症状
統体的契機:辛苦一切奇妙

という三項の論理学に則った弁証法的過程があったことは間違いありません。

     *    *

 この三項の論理学は、いきなり事実に当てはめるべきものではなく、事実から積み上げた論理を、体系的に整理するときに威力を発揮するものです。ですから、まずは三項の論理をいきなり持ち出すのではなく、事実の構造を事実の構造に即して論理化することを努力を傾注する必要があります。

 たとえば、例に挙げられた「辛苦の歪み一切奇妙」と名付けた秘術について述べてみますと、はじめは吉田先生からストレスの懲りは左足の親指に出てくると教えていただき、色々確かめてみると確かにそのとおりであることを確認することができました。と同時にそれとは相対的独立に、ストレスの懲りは左側頭部の骨の下にもたまることにも気が付いておりました。しかし、それを結びつけることは、当時はさほどありませんでした。

 神戸だいすきさんとの出会いがあって、健康腺療法の秘術について自信を深めることによって、それらの秘術を、それまで名称が受け継がれてきていた「皮膚病一切奇妙」や「眼病一切奇妙」にならって「産後の歪み一切奇妙」と名付けたのを皮切りに「辛苦の歪み一切奇妙」も名付けました。

 そして、その「辛苦の歪み一切奇妙」と、左側頭部の骨の下にできる独特の懲りとがはっきりと連動していることを確認できたのが相馬市での医療ボランティアでの体験でした。簡単にその時の体験を紹介しますと、一番ストレスが溜まっているであろう(所員の人たちがみな一番心配しているほど)所長さんを治療しているとき「辛苦の歪み」が溜まる左足の親指にそういう懲り全くがなかったことに驚いたのですが、あとで、もう一つのストレスの懲りが溜まることろである左側頭部の骨の下にものすごく大きく固い塊ができておりましたので、これだと閃きました。そこを治療して再び左足の親指に戻ってみると、今度ははっきりと硬い凝りが表れておりました。この連動性を発見してからは、それを利用してストレスの凝りをほぐす方法が一般化していきました。

 以上の過程的事実をどう論理化していくかといいますと、医学の一般論・構造論を媒介として整理していくことになります。まず、ここにストレスの凝りが溜るということが分かるためには、まず正常な生理状態すなわち常態が分かっていなければなりません。そしてその常態が変化して異常化してストレスの凝りが生成されるという病態化が生じます(第一の否定)。次に、その病態化したストレスの凝りを、「辛苦の歪み一切奇妙」を用いて常態化しようとする気を賦活して、解きほぐすと病態が常態へと復帰することになります。これがいわゆる第二の否定なのですが、この過程は、常態・病態・治療のすべての要素が絡み合って統体止揚される過程であり、その結果生み出されるのが、個別性としての「辛苦の歪み一切奇妙」の完成です。

 この完成は、新たなステージへの第一歩でもあります。それは、「ストレスによる左側頭部の骨の下の凝り」という新たな病態の発見および、その病態の左足親指のストレスの凝りという病態との連動性の発見という因子によって、「辛苦の歪み一切奇妙」の治療がもう一段上のレベルでの完成となっていく、という形でのらせん状の発展を遂げていくことになっていきました。

 そして、さらにまた、そこからストレスにおける脳内の偏桃体の常態における役割の理解が進むことによって、それが病態にどう発展していくかの推測が進み、そこから新たな治療法の開発へとつながっていって、「辛苦の歪み一切奇妙」の治療がさらに上の次元での完成がはかられていくというらせん状の発展を遂げているのが現在の状況です。これを以下のように三項の論理で表現することが可能です。

基礎的契機 ; 常態論(普遍性)脳と左足親指のつながり
否定的契機 : 病態論(特殊性)左足親指に小石状のスジの塊
統体的契機 : 治療論(個別性)「辛苦の歪み一切奇妙」の完成

 これが、上に述べたようにらせん状に発展していくのです。



 

Pass

[2261]
タマゴ - 2016年08月15日 (火) 23時48分

>心に青雲筆者殿は、再三タマゴ氏と討論することを相手のレベルに相互浸透するからやめろ、と警告を発してきましたが、人間の相互浸透には二重構造があることが、お分かりになっていないようです。つまり、勝手に相互浸透してしまう自然発展性の相互浸透と、目的意識的に相互浸透させる目的意識性の相互浸透とがあるということです。

なるほど。
おそらく弁証法の達人というのは、相手が、被災者の方々や私のような弁証法の素人であっても、自分に必要な論理性を引き出すことができるのでしょうね。
また、せっかく弁証法を学ぶのであれば、精進してそういうレベルを目指すべきなのだろうと思います。
青雲さんは、その自信が無かったから、或いは、そのような可能性を思い付きもしなかったから、武道家にあるまじきおぞましい言葉を発してしまったのでしょう。

エンゲルスはヘーゲルの著作を見て、件の3法則を定式化したわけですから、当然、同様の内容はヘーゲルの著作にも記載されているのでしょうが、
ヘーゲルはあくまでも、三項の論理学の運動性を説明するためにそれらを記載したのだろうと推測します。
また、エンゲルスも、あくまでも三項の論理学は暗黙の大前提として、その上で3法則を定式化したのではなかろうかと私は推測しています。
もしそうなら、青雲さんのような、弁証法の骨格たる三項の論理学を前提としない用い方は、明らかな誤用ということになるでしょう。

師範も精神性の高い人物と相互浸透する方が良いという趣旨のことは仰っていますが、さすがに、被災者はB層だから相互浸透するな!ってのは・・・青雲さんの拡大解釈にも程があるってもんでしょう。

Pass

[2270]
愚按亭主 - 2016年08月19日 (金) 17時25分

>エンゲルスも、あくまでも三項の論理学は暗黙の大前提として、その上で3法則を定式化したのではなかろうかと私は推測しています。

 残念ながら、エンゲルスは意図的に概念論・三項の論理を無視して、有論・本質論から三法則を抽出したので、南ク学派もそれにならって、概念論・三項のの論理を見事にそれらを無視しているので、初めから存在しないのです。だから、ヘーゲル哲学には体系がないと見えてしまうようです。つまり、エンゲルスがヘーゲル哲学の頭の部分を切り落としてしまったものを、そのまま貰っているので、ヘーゲル哲学の体系性が見えなくなってしまっているのです。そして、その結果、自分の学問の体系までも完成できなくなってしまっている、というのが現状なのです。

 ではなぜ、エンゲルスはヘーゲル哲学の頭の部分を切り落としてしまったのでしょうか?当時科学は、ものすごい勢いで発展し、産業を興すもととなり、社会を大きく変える推進力となりました。そして、その科学は、宗教の弾圧をはねのけ、宗教との戦いの中で強くなっていったのです。その宗教が、科学の立場である唯物論と相いれない正反対の観念論の立場に立つものだったので、唯物論こそが、科学の、そして学問の立つべき立場であると、当時の人類の最先端は強く思ってしまったのです。

 ここから、憎むべき学問・科学の敵である宗教と、同じ観念論の立場であるヘーゲルの哲学や弁証法も、宗教的な観念論から唯物論へと改作され、克服されるべき存在となっていったのでした。

 では、どう改作・克服されるべきと考えられたのかと言いますと、「天を捨てよ」さすれば唯物論になると考えられたのです。天とは、絶対的真理つまり概念論のことです。だから、エンゲルスは絶対的真理など観念論者の妄想であるとして、切り捨ててしまったのです。だから、南ク学派には、概念論すなわち絶対的真理がそもそもないのです。そのおかげで、ヘーゲルの体系も歪にしか見えず、絶対的真理の系譜と相対的真理の系譜との二重構造的発展を遂げてきた人類の学問史・弁証法の歴史も正しく解けなくなってしまったのです。その結果として、ヘーゲルの哲学には、学問の体系などないと、ヘーゲルを馬鹿にして侮るようになり、自分自身もズッコケてしまうという、皮肉な現実を招来することになってしまったのです。

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[2271] 三浦つとむの弁証法
tada - 2016年08月21日 (日) 20時34分

エンゲルスの弁証法は事実・知識レベルではないかと思います。その3法則も否定の否定を中心に考えれば 相互浸透も 量質転化も否定の否定の応用であるので 3法則としての理論化も意味がないです。理論にもっていくツメの甘さがうかがえます。三項ならぬ三法則でまとめる点があまりにも 事実羅列的・機能主義です。
三浦つとむさんの弁証法の考え方のほうが エンゲルスより上です。 否定の否定の重要性を指摘しています。三項の論理の指摘はないですが 三浦さんの否定の否定は三項の論理と同じだと言ってもいいでしょう。ただヘーゲルのように概念的体系的にガチガチに論理学として把握はされていません。媒介と直接性からも 否定の否定を描いています。残念ながら 三浦さんは 弁証法の理論的な考えをエンゲルスより進めたけれど ヘーゲルレベルまで 概念化できなかったと言うことです。
名著「弁証法はどういう科学か」は ヘーゲルに見慣れた目からみると 今やモザイク的知識です。弁証法はヘーゲルからはじめなければならないと思います。(ただし初学者の論理・弁証法・哲学の入門書としては永遠だと思います。)
皆さんももう忘れているかもしれないので 三浦さんが言っていることをここに書いておきます。否定の否定の法則を自覚して本当に役立てるには、科学活動であれ技術活動であれ軍事活動あれあるいは社会活動であれ、何らかの意味でその道の経験者・専門家であることを必要とします。そうでないと、抽象的にまわりみちを考えることはできても、そのまわりみちの全過程を正しくしかも具体的に見ぬいたり、実践して実現したりできないのです。
ヘーゲルもマルクスも滝村隆一も南郷継正も対象の本質的構造把握をするために 対象と苦闘しました。そして対象と一体になれるほど 習熟したからこそ 弁証法を対象からの方法的必要性として悟性的に加工し利用できたのです。 

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[2272]
タマゴ - 2016年08月22日 (月) 00時51分

うーむ、なるほど。
お二人の説明で頭の中が整理された気がします。

ところで18日に、青雲さんが、天寿堂さんに宛てたと思われる記事を自身のブログに掲載しましたね。
あれ、どう思いました?

私が横から勝手に感想を言わせてもらうと、なんとか頑張って事実レベルで言い返そうとしているだけで、論理レベルのまともな反論になっていないんではないかなと。
南郷派の弁証法の観点から天寿堂さんの弁証法に対する批判をするのなら分かるんですが、そこはすっかり避けてしまっている。
そして、師範の著書に師範のお考えが全て収められている分けるではないのに師範のことを分かった気になって批判するのは間違っている、という趣旨の反論(?)をしている。

しかし、これは変です。
そりゃ師範の著書に師範の全思考が収められているわけはありませんが、
“全集”というものには、当然、師範の弁証法の論理体系の粋が過不足無く全て収められているはずで、そうでなければ“全集”とは呼べません。
欠陥商品なのかって話です。

青雲さんはプロの編集者なので物書きのテクニックは巧みですが、それが却ってアダとなり、真正面から論理レベルで議論すべきところを、テクを駆使して回避してしまう傾向があるような気がするんですよね。
師範が必要性を強調した“議論”というのは、統体止揚を目標にしていないとはいえ、そんな低次元ではないはずです。

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[2274] 「弁証法はどういう科学か」は弁証法の入門書として一大欠陥を持っている
愚按亭主 - 2016年08月22日 (月) 17時38分

>弁証法はヘーゲルからはじめなければならないと思います。(ただし初学者の論理・弁証法・哲学の入門書としては永遠だと思います。)

 「弁証法はどういう科学か」は、論理・弁証法・哲学の入門書として致命的な欠陥を持っています。したがって、最初の大事な時に、初心者にその致命的欠陥を植え付けてしまうので入門書として失格です。それは何かといいますと、最も基本的な真理の体系について、真理は、相対的真理の体系として存在し、絶対的真理はその一部分にすぎないという誤った観念を植え付けてしまうので、三つ子の魂百までもという具合に、今もってそのために正しい概念の弁証法を受け入れられない人がごまんといる現実が、そのことを証明しております。

 弁証法は、ヘーゲルからはじめなければならないのは、その点にこそあります。つまり、弁証法の学びは、基本の絶対的真理の弁証法の学びからはじめなければならないということです。そして、その基本の弁証法の学びの過程においては、専門家である必然性はありません。なぜなら、絶対的真理の基本の弁証法の学びは、全体的真理の学びですから、細かい事実は必要ではなく、むしろ大雑把に浅く広くのほうが良いのです。その意味で、むしろ専門家でないほうが良いのです。基本の弁証法を身に着けてから自分の専門を決めても遅くはないと思います。

 弁証法の学びは専門家でなければならないというのは、喧嘩憲法の弁証法・相対的真理の弁証法の学び方であって、正統な弁証法の学び方ではありません。そんなことを言ったら、アタマの柔らかい学校時代に弁証法を学べないということになってしまいます。むしろ、アタマの柔らかい学校時代にこそ正統な弁証法を教養として学び本能化する必要があるのです。

>真正面から論理レベルで議論すべきところを、テクを駆使して回避してしまう傾向があるような気がするんですよね。

 これは、個人の資質というよりも、唯物論の宿痾のようなものです。精神そのもの、観念そのもの、論理の内容よりも、その周辺の唯物論的な事実を問題にしてそこから解くことが学問的に解くことだと思い込んで、説いたつもりになるという宿痾です。つまり、弟子を創らなかったから学者として発展できなかったとか、本も出せていないのに分かるわけがないとか、などなどのようにです。まず、精神そのもの・観念そのもの・論理の内容を検討した結果として、そこに問題を見つけて、そういう問題を抱えた背景には、弟子を取らなかったことが考えられる、というのであればまだしも、肝心のそれをやらないで、いきなり枝葉の問題を問題にするところに、この宿痾の特徴があります。そしてそれをさらに深刻にしているのが、それが学問的に説くことだと思い込んでまったく疑わない気配があることです。

 どうしてこういうことが起きるのかといいますと、弁証法的唯物論と自称しながら、その唯物論がいささかも弁証法的でないからです。弁証法的唯物論は観念の主導性を認めるものだとしながら、実際は観念の内容を見ようとしないのですから、まるで観念の主導性を認めていないかのようです。つまり、それは周りの環境によって決まると考えて、そういう環境を検討してそれによって精神が規定される面ばかりを見ようとする傾向があるように感じるからです。

 では、そういう傾向を見て私が、弁証法的でないのではないかと主張する根拠は、弁証法というのは、否定的媒介をするから弁証法性が生まれてくるものですから、まず唯物論的な手法を否定しなければならないはずなのに、それができないというのは弁証法とは言えないのではないかと思うからです。つまり、唯物論的な手法を否定して観念論的に観念そのものの運動をしっかりと見て取って、それをもって唯物論的な手法との統体止揚をはかって正しい解答を導き出すというのが、本当の弁証法的唯物論だと思うのです。ところが、観念論を否定して唯物論を徹底的に貫くことが学問への道だと思い込んでいるために、それができないので、中途半端な弁証法的唯物論になってしまっているのだと思います。しかし、そんな中途半端な弁証法的唯物論では、絶対に人類の歴史は解けないと思います。

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[2275]
タマゴ - 2016年08月23日 (火) 07時28分

本日の青雲さんのブログ記事に、次のようなことが書かれています。

「組織を離れたからとか、考え方が違ってきたからと言うレベルで、くさす、揶揄する、嘲笑する、そんなことは「男がすたる」ことなのである。人様のブログにやってきては、南郷学派の悪口を言い、空手組織をはなからバカにせずにいられないゲスがいるが、そんな輩と対話をするなんてことも「男がすたる」のである。」

この箇所の前半は、天寿堂さんのことを述べているのでしょう。
後半は、もしかすると私のことを述べているのかもしれません。

まず気付くのは、案の定、本日の記事にも論理レベルでの反論が一文字も無いこと。
「考え方が違ってきたからと言うレベルで、くさす、揶揄する、嘲笑する」
ようなことしかしていないのは、他ならぬ青雲さん自身であるのに、それに気付いていない。
例によって、バカアホゲスなどと下品な言葉を用いて、事実レベルで他者をくさす、揶揄する、嘲笑することしかしていません。
釈迦やイエスも説いたように、人は自分の裡にある言葉だけを発するのです。
品格のある人は品格のある言葉を発し、下品な人は下品な言葉を発する。
私も口は悪い方だと思いますけれど、青雲さんには遠く及びません。
そして最大の問題点は、天寿堂さんによる師範への批判を揶揄や嘲笑等と貶めることによって、議論の重要性を説く師範に対して全く議論を仕掛けられない単なるイエスマンに過ぎぬ自分を間接的に自己弁護しようとしていることでしょう。
この辺りも文章のテクニックに逃げている実例と言えるかと思います。

そして、もし後半が私のことを述べているのだとすれば、これも事実誤認だということは指摘しておきます。
私は時々、神戸だいすきブログのコメント欄で青雲さんの記事に対してツッコミを入れることはありますが、南郷派の悪口を言ったり頭ごなしに馬鹿にしたりはしていません。
少なくとも最近は。
以前は、所属する会派がおかしいから青雲さんもおかしな記事を書くのだろうと思っていましたが、元南郷派の自由びとさんから、
「青雲氏のブログがおかしいから南郷派もおかしいと考えるのは止めて頂きたい。彼は特殊です。」
という趣旨の申し入れを受けて以来、それもそうだなと考え、青雲さんの記事から推測して南郷派を批判することは一切しておりません。

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[2326]
タマゴ - 2016年09月10日 (土) 08時32分

青雲さん、どうもこのスレッドがエラく気に入らなかったらしく、今日のブログ記事でブチギレていますね(苦笑)。
ま、完全に予想通りの反応です。

内容は読んではいないなどと述べていますが、(滝村先生への口撃の時もそうでしたが)内容を読まずに先入観のみで激怒してケチを付けているのであれば、対価を受けていないアマチュアであろうとも、文筆家失格でしょう。
実際のところは、そう言いつつも読んでいるのでしょうが、読んでいるにしては怒りを即自的にブチまけているだけで、マトモな反論になっていない。
“口撃”だとか“青雲氏”などという下品な表現を使っているなどと、重箱の隅をつつくことに終始している。
そして、武道家云々以前に、並の自制心がある人なら、こんな些細なところにブチギレたりはしません。
というか、私も口は悪い方でしょうけれど、青雲さんが頻繁に用いる「バカアホキチガイ」だの「マスゴミ」だの“超”下品な言葉よりは、「口撃」や「青雲氏」の方がマシでしょう。
誰がどう見ても。

青雲さんは天寿堂さんを、自分を相対化できていないと批判していました。それは的を射ていた面もあるけれど、最も自己相対化できていないのは他ならぬ青雲さん自身であることを今回の即自的反応で自ら証明してしまったわけです。
出来の悪い喜劇ですよ。

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[2329]
タマゴ - 2016年09月10日 (土) 14時21分

青雲さんの記事に、ほんの一文だけ内容に関する反論のようなものがありました。
簡単に触れておきましょうか。

>そもそも私は東洋医学を批判したわけではなく、杉田玄白らが苦労して訳した『解体新書』を取り上げて、彼らが頑張る前の日本では、支那の医書がいわば教科書となっていたが、人体図なんかが嘘ばっかりだったとする逸話を紹介し、やっぱり昔から支那人は平気で嘘をつく連中だったのだな、と言ったまでである。

まず、元ネタの伊勢雅臣さんのブログでは、ただ前野良沢と杉田玄白の感動的なエピソードが紹介されているだけ。
それを青雲さんは、中国の医書は嘘ばかりだ、中国人は昔から嘘つきだった、などという感動も何も無いネガティブな話にムリヤリ貶めてしまった。
ここにも青雲さんの卑屈な性格の一端が如実に現れていると思います。
まぁしかし、それは捨て置くとしましょう。

青雲さんが無茶苦茶なのは、中国の医書は嘘だらけだと述べたが東洋医学は批判していない、などと言い張っているところ。
当時の中国の医書というのは東洋医学の医書だったというのに。
こんなのは、喩えるなら、カレーライスは批判したがライスカレーは批判していないなどと言い張っているようなものです。
子供のじゃあるまいし。潔さの欠片も無い。

繰り返しますが、何がなんでも中国人を批判したくて批判したくて仕方ないというのなら、別の例を考えれば良かったのですよ。

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