[278] 君と僕―限られたときの中で… 〜 雨の日の幻 〜 |
- 日向麻耶(雛咲日向) - 2006年01月09日 (月) 11時04分
君と僕―限られたときの中で… 〜 雨の日の幻 〜
その日、確かに彼はそこにいて、僕もそこにいた。 そして、確かに彼と僕は話をした。 お互いに傘がなく、ただ雨が止むのを学校の玄関で待っている間だけの短い時間。 一時間もない。三十分もなく、その半分の十五分にも満たない時間だったけど、確かに彼はそこに存在して、僕と話したのだ。 会話の内容は今でも鮮明に覚えている。 そう。その会話が彼と僕がした最初の会話であり最後の会話であったのだ。 そいつは名前を時雨・幻一と言った。
学校の玄関で僕は午後から突然降り出した雨が止むのを待っていた。 時間はまだ午後四時で文化部や運動部の中で屋内で活動ができる部の活動が始まったばかりだ。 吹奏楽部の楽器を吹く音や打楽器を叩く音が聞こえる。 一定のリズムで、一定の音で行われているそれは、おそらく楽器の音をチューニング、つまりは調音しているのだろう。 他に聞こえるのは、弦楽器同好会のバイオリンの音色や武道場や体育館から聞こえる慌しいドスンドスンとう言った音ぐらいだ。 管弦楽部にするためには吹奏楽部との提携が必要なため不可能となり、吹奏楽で使わないあまった弦楽器を活用するためにつくられた同好会である。 また、活動は一日一時間から二時間程度で、特に演奏会にでることはなく、個人の自己満足のみで活動する同好会なのだ。 武道場で活動しているのは剣道部や柔道部。空手部は現在部員が二名のため休部状態だ。 体育館で活動しているのはバスケットボール部やバレーボール部、あとは卓球部だろう。 そんなどうでもいいようなことを考えながら、僕は雨が止むまでの暇つぶしをする。 つまりは、もし雨が今日中に止むことがなかったら僕はいつまでもこんなどうでもいいことを考えながら雨が止むのを待ちつづけることになる。 いや、正直それはないと思う。 「あと十五分待っても止まなかったら、帰るかな」 「じゃぁ、それまで僕と話をしようか」 十五分待っても雨が止まなかったら、濡れてもいいから帰ろう。 そう決意した独り言に応える人が一人いた。 名前は知らないし見たこともない一人の男子生徒がいつの間にか僕が立っている場所から数歩ほど離れた場所に立っていた。 学年称から見て同級生であるということがわかる。 「えっと、君名前は…?」 「人に名前を聞くときは普通自分から名のるものなんじゃないかな?」 「あっ、ごめん…。僕の名前は…」 微笑みながら言われたその言葉で、僕は彼に謝り、名のろうとして、しかしできなかった。 「夢崎・令嗣君。知ってるよ」 「……ぇ?」 僕は彼がどうして僕の名前を知っているのか分からなかった。 名前も知らないし見たこともない彼がなぜ僕の名前を知っているのかがとても不思議だった。 「まぁ、僕は今日が初登校だったからね。君のクラスの一番前の左端。そこが僕の席だよ」 微笑みを崩すことのない彼から紡がれる言葉に僕はますます混乱する。 なぜなら、今日もその席には誰も座っていなかったのだ。 正確には、そこに在籍している生徒はいないはずなのだが、彼の口ぶりからすると入学当初から今日までは登校していないのだから、知らなくても別に不思議なことではないのかもしれない。 それに、入学式の日のホームルームで担任の峯鞠先生がそんなことを言っていたような気がする。 しかし、それでも今日から登校しているはずなら誰かが彼の存在をクラスの誰かに教えているはずで、彼は未だに誰も座った事のない一番前の左端の席に今日座っていたはずなのだ。 「実はね、今日登校してきたのはいいんだけど、久しぶりに外に出たからそれに当てられちゃって、ずっと保健室の一番奥のベッドで寝込んでたんだよ」 僕の考えを読み取ったかのようにして答えられたその言葉に僕は 「なるほど」 と呟いた。 それならば今のところの全ての疑問に大体のつじつま合わせができるからだ。 「さて、疑問も解決したことだし、そろそろ話をしようか」 彼の言葉に僕は首をかしげる。 「話ならもうしているじゃないか」 彼は首を横にふった。 「違うよ。これまでのは話ではなく、お互いの自己紹介を兼ねた質疑応答。つまりは雑談の部類に入るような話じゃないんだ。それを話とは呼ばないよ」 「なんだか、難しいね…」 「そうでもないさ」 とりあえず今はなりゆきにまかせて僕は彼が話を切り出すのを待つことにした。 待つこと約十秒。 彼はいきなり僕にこう問いかけてきた。 「今ここには僕と君がいる。そして雨が止むのを待っている。十五分後…正確にはあと十分後だけど、それくらいの時間がたった後、君はたとえ雨が止んでいなくても家へと帰る。ここまでは現実の事柄だ。じゃぁ、ここに一つの仮定を加えてみようか」 「どんな…?」 「簡単な事だよ。傘を持った第三者。僕たちは男だから、この場合は女性で美人としよう」 「それで…?」 「うん。その女性は僕と君のどちらかと付き合っているものとして、僕と君どちらと付き合っていると思う…? ちなみにこの場合の僕は、今日が初登校ではなく普通の生徒のように登校していたものを考えて」 「だとすると、君かな」 対して深く考えずに僕はそう答えていた。 それが想像していたとおりの答えだったのか、彼はうんうんと二度頷いた。 「そう。自意識過剰な人でもない限りはそう答えるね。でも、その裏には『付き合っているとしたら自分だろう』という無意識下の考えがあるんだ」 「なんで…?」 言葉の意味が理解できなかった。 なぜ、仮定の中で、付き合っているのが『僕ではなく君』という考えが付き合っているのが『君ではなく僕』という無意識下の考えがあることにつながるのか分からなかった。 そんな僕の疑問に答えるように彼は言葉を紡ぐ。 「だってそうだろう。誰が仮定という現実ではないことにまで自分を低く考えなければならない? そんな必要はない。仮定の世界では自分にとってもっとも都合のいいように考えればいいのだ。君は今、“僕”という“君”とは別の存在。特に今回の比較対照でもある“僕”が目の前にいるからこそ、謙虚になっているだけなのだ。事実、僕が君から同じ質問をされたとしたら、同じ答えを返しているだろう」 要するにそういうことさ。 最後に彼はそう付け加えると、一度口を閉じた。 もっともまだ僕は納得したわけではない。何が、要するにそういうことなのかイマイチ理解できていないし、別に謙虚になっているわけではない。 だから、それをそのまま言葉をしてぶつけてみた。 「どうだろう。確かに仮定の世界では自分にとってもっとも都合のいいように考えるこもあるかもしれないけど、何もそれだけが“仮定”じゃないだろう。仮定とは良い方にも悪いほうに考えれるし、あくまで“こう考えたらこれはどうなるだろうか”という、一つの物事考えるためのプロセスだ。だから、仮定の世界でも自分にとって都合のわるいように考えることもある」 そうだろう? 最後にそう付け加えて、僕は口を閉じた。 彼は黙って僕のいう事を聞いていたが、僕が口を閉じると同時に彼は口を開いた。 「確かに君の言う事も一理ある。だけど…」 「だけど…?」 「今回はそういった“仮定の定義のようなもの”を言っているわけではないんだ。今言っている事は“仮定の定義のようなもの”ではなく、さっき僕が立てた仮定内における人間の考え方だ。つまり、君の言っていることは今回の場合では見当外れだ」 それに…。 そう言って彼は更に続ける。 「君の言う事は、僕の言っている事を否定しているわけではないよね? 何しろ、仮定内で自分にとってもっとも都合のいいように考えることを認めた上で否定するのではなく違って例をあげることによって、ただ違った考え方もあるんだ。ということを示しているだけなのだから。そして、その示した事柄によって、君は君自身が『“僕”という“君”とは別の存在。特に今回の比較対照でもある“僕”が目の前にいるからこそ、謙虚になっているだけなのだ。』ということを否定したいだけなのだ。これを“無意識下の考え”と言うんだ」 「詭弁だ!」 おもわず声を荒げてしまう。 しまった。と思ったときには遅かった。 「詭弁だけど論理だよ。君が声を荒げているのがその証拠だ。でも、そう考えてしまうことは別に悪い事ではないし、しょうがないことでもある。なぜならば、人間にはその状況に適応するための機能が天賦されているからだ」 ただ黙っているだけの僕を無視し、彼は続ける。 僕が本当に聞いているかどうかは確かめもしない。 否。正確には確かめる必要がないのだろう。 おそらく彼は、僕が自分の話を必ず聞くという事を確信している。 事実そうだった。 「人間には解消されない欲求をストレスにしないために適応機制がある。『逃避』『合理化』『攻撃』『同一化』『補償』『昇華』『抑圧』『退行』の八個だが、もっとも、これは“あくまでも解消されない欲求をストレスにしないため”のものだ。でも、これはどんなことにも言えることじゃないかい…?」 「言えることなのか…?」 「質問に質問で返すのは良くないな。ずっと思ってたけど。今、僕は君の答えを聞いてるんだ」 僕は一回大きくため息をついた。 確かに質問に質問で返すのはよくないことだ。 しかし、それの全てがいけないというわけでもないだろう。 なのに彼はこれまでの僕の言動の中にあった質問に質問で返す行為全てを良くないと思ったいたのだ。 どうやら、とんでもない奴と僕は話をしてしまっていることに今頃になって気がついた。 「答えか…。そうだね、確かに言えるかもしれないね」 「かも…? 断定ではないのはどうしてだい?」 「だって、さっきの僕の発言で考えてみれば、あの発言は『逃避』と『合理化』の二つを混ぜたようなものに思えない?」 ぼくのその言葉に彼は嬉しそうに笑った。 もっとも彼はずっと微笑みながら話していたわけだからそう言ってしまうよりも、微笑みの中にに嬉しそうという感情が生まれた。と言ってしまうのが妥当だろう。 とにかくどうであれこの時僕ははじめて彼の感情の変化を目にした。 そして、彼は本当にここにいるんだな。と実感する。 「うん。中々君は僕の話し相手にふさわしそうな人だね」 「ふさわしい…?」 「そう。君はふさわしい」 何がふさわしいのかわからなかったけど、もうそろそろ十分たつため追求はしない。 幸い雨も収まってきている。 「君が考える事をやめなければきっとまた僕と君は出会う事があるだろう」 「あれ、明日は会えないの…?」 彼のその言葉が妙にひっかかってそう尋ねる。 「うん。あしたからまたしばらく…」 「そうなんだ…」 そうして沈黙の時が流れる。 そんな中、誰かが誰かを呼ぶような声が聞こえた。 聞こえたほうは自分の後ろ。廊下側の方から。 見れば、遠くから女子生徒が校則違反である廊下を走る行為を行っていた。 「令嗣く〜ん!」 「ぁ、未亜か」 誰か分かった僕は一人呟く。 未亜とは僕の彼女である。 「どうやら傘を持った第三者の登場みたいだね」 「…………!」 彼の言葉に目をみはる。 確かに第三者である彼女は手に傘を握っていた。 「これで僕の立てた仮定は現実となり、君の言葉は現実とならなかった。まぁ、僕には全部わかっていたことなんだけどね」 「わかっていた…?」 「そう。わかっていた。まぁ、そういうよりも、決定事項だった。と言った方が正しいのかもしれない」 「決定事項…?」 先ほどから彼の言っている言葉の深いところにある意味が分からず、小首をかしげる。 そんな僕に彼は満面を笑みを向けた。 「そう。そうやって悩み考えるといいよ。そうすれば、きっとまた僕に会えるから…」 そう言って彼は下駄箱から自分の靴を取り出すと、それを履いてカバンの中から漆黒の折り畳み傘を取り出した。 「傘持ってたんだ」 「そう。これで一つ目の謎は解決したんじゃないかな。でもそれだけじゃないよ? そんな簡単な問題を僕はださないから」 「うん。わかってる」 負け惜しみでそうとだけ強がりを言う。 それがわかっているのか、彼は表情を変えずに、そのままくるりと僕に背を向け、漆黒の折り畳み傘を広げる。 そして、だんだんと去っていくその背中を見つめながらふとあることに気がついた。 「待って! 僕はまだ気にも名前を聞いていない!」 彼が立ち止まる。 そして振り返り、 「僕の名前は幻一、時雨・幻一。もっとも姓はその時々かもね」 先ほどと同じ様に彼はくるりと僕に背を向けると、そのまま再び雨脚の増してきた外をゆっくりと歩いていって、そして、その姿はいつしか見えなくなった。 「ねぇ、誰と話してたの…?」 いつのまにか僕の隣に来ていた彼女が僕に話し掛けてくる。 「時雨・幻一って言う人だよ。もっとも姓はその時々で変わるそうだけど」 彼女の整った顔立ちを正面から見つめながら先ほど彼が僕に教えてくれた名を口にする。 「時雨・幻一…? そんな人いたんだ」 「うん。いたんだよ」 今日だけね。と言う言葉は胸の奥にしまっておく。 なんとなく彼がどういう存在でどういうことを話したかったのか分かった気がした。 おそらく彼の名前を聞かなかったら分からなかったであろうこと。 でも彼は、そんな簡単な問題はださないと言った。 つまり、もっともっと僕が求めなければいけないことは沢山あるのだろう。 そして、それを求めつづければきっとまた僕は彼に会えるのだろう。 そんなことを重いながら、雨脚の強くなっていく外を彼女と一つの傘の下を歩きながら僕は帰路へとついた。
To be continued...?
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