[67] 難しいです |
- 夕凪 - 2004年06月17日 (木) 19時41分
私は結婚していますが、子供はいません。 ですから、学校問題や子育てを自分のことのように考えることが今はまだできません(正直な話)。考えようとしていないわけではなく、現在の学校がどのようになっているのか、見えないのです。「関係者以外立ち入り禁止」どの学校の前にもこの看板があります。閉ざされた異空間です。私にとっては。 そんなわけで、今回のテーマは今の私には難しいです。 子供がいないから考えなくて良い問題ではないことは承知していますが、存在しない我が子のことをいくら想像したところで、出てくる言葉は「理想」に留まってしまいそうです・・・
私達の頃には、「悪いこと」や「悪い表現」「嫌な思い」「悔しい気持ち」「恥ずかしい思い」があったとしても、それを問答無用に排除せず、それらに触れる機会があったなと感じます。 「残虐だからと全てをハッピーエンドで終わらせてしまう絵本」「徒競走やテストの成績順位をハッキリ公表しない」 「子供同士が喧嘩しても親が出てくる」 「何でもかんでも除菌してある」・・・これはちょっと違うか?(笑)
「悪いこと」や「危険だと思うこと」「嫌な思いをするだろうこと」などは最初から排除されているんですよね。 それじゃ、何が悪いことなのか、何が危険なのか、どこまでやったらどうなるのか、わからずに大人になっていくのは当たり前のような気がします。 頑張ったって褒めてもらえない。(優越感が得られない)頑張らなくたって叱られない。(恥ずかしい思いはしない)・・・これじゃ、面倒くさいから頑張らないってなりませんか?
大人たちがやっているように、子供たちもやっているだけです。 「悪いものは排除」「嫌なものは排除」「危険性のあるものは排除」 だから、みんなと違うというだけで「排除」しているのかなと。 自分が排除対象にならないように必死で。個性を伸ばすこともできず、目立たぬよう平穏無事に卒業できるように我慢しているエネルギーは腹の底に溜まっていく。うまく吐き出す場所のある人はいいですけどね。それより怖いのは、一切のことに無関心になり何のエネルギーも溜まっていかない子供も増えていそうで・・・。
「注目すべき部分はそこじゃない!」 「改善すべき部分はそこじゃない!」 ・・・と、いつもテレビに向かって心の中で叫んでいます。
「チャットが問題」だから、チャットを廃止する? 「ネット社会が罪悪」だから、ネットを廃止する? 違うでしょ? どんなものにも、良い部分と悪い部分があって、問題なのは、それを使う人の心なんですよね。心を育てずに、害あるものを次から次へと排除して行った先に、何が残るんでしょうね。 大人たちは結局、一番簡単で楽な方法で「目先の問題だけを」解決してしまおうとしているように見えます。
ただ、これって、きっと誰もが感じていることだし、わかっていることなのでしょう。でも、じゃぁ自分ひとりで何ができるかって考えると、何もできそうにないなって思ってしまうんですよね。それじゃダメだってわかっているのに。
たぶん、教育しなくちゃいけないのは、子供たちじゃなくて、大人たちなんだと思います。見直さなくてはいけないのは、制度や仕組みじゃなくて、1人1人の考え方なんだと思います。私もそんな大人たちに含まれているわけですけど。
犯罪を犯したり、混乱を招いたりしている実行犯は、今の子供たちかもしれませんが、そうなるよう育てたのは今の大人たちです。今の子供たちはある意味、犠牲者なのかもしれません。
※随分と話題が反れたように思います。すみません。tobyさんのテーマからは外れてしまったかもしれませんが、tobyさんの書かれた文章から感じたことをつらつらと書かせてもらいました。
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