[23] 応援歌だと。 |
- 夕凪 - 2004年04月03日 (土) 16時53分
「世界にひとつだけの花」は応援歌だと思っていました。 応援歌なんだから、頑張っている人とか努力している人に対して向けられた歌なんだと。 最初から頑張ろうともしていない人は対象になっていない歌なんだと思って聴いていました。
「No.1」に拘り過ぎて、当初の目的を忘れてしまった人や 「No.1」になれなかったことで、自分を責めてしまっている人に 結果としては「No.1」にはなれなくても、自分が何のために頑張ってきたのか、努力や頑張りの中に「1番」という順位以上の価値や評価があるんだよってことを気づかせてあげようとしている歌なのではないかと。
また、この歌からはこんなことも私は聞こえてきます。
例えば有名大学を卒業した人と、大学にも行かなかった人とでは、世間的な評価としては前者の方が上に見えますが、それは「学歴」という部分だけの評価であって、人の持つ無数の能力のほんの1つを比べたに過ぎません。 後者は本当は前者よりも学力が高いけど、大学進学よりももっと魅力的な道をみつけたのかもしれませんし。 もの凄く運動能力が高いかもしれませんし。 料理を作らせたらプロ級かもしれません。
つまり、人それぞれ得意な分野と苦手な分野があるので、「学歴」や「家柄」や「容姿」などのほんの1側面だけで誰かと比較したりすることはないんだよと。 すべてのことに「No.1」な人なんていないんだから、自分と誰かを比較するのではなく、自分の中に光っている何かを見つけようよと。 そんなメッセージをこの歌からは感じました。
最近の学校教育の問題については、あまり詳しくはわかりませんが、基礎だけを重視して、難しい問題を省くような教科書になっているとか?(ちょっと曖昧ですみません) 子供に考える力、自分で想像させる力、良く言えば自由を与えたつもり(建前のような気がしますが)になっているようですが、このやり方には賛成していません。 子供の頃というのは、個人差はあると思いますが、自分で選択していけるほどの力はまだないと思うのです。周囲が色んな情報を与え、経験させ、そこから子供たちが選んでいけたら・・・と。 3つの選択肢から1つを選ぶよりも、10個の選択肢から1つを選ぶことができた方がいいと思うのです。その選択肢が100もあると却って混乱するとは思いますが。 子供の知らない選択肢を大人は知っているわけです。
多少難しい問題を与えたとして、解けたら嬉しいし、褒められればその教科をスキになるかもしれません。解けなかったら悔しいし、いつかそれが解けるようになった時、その教科をスキになるかもしれません。ずっと解けなければ、その教科をキライになるかもしれません。 でも、それはそれでいいと思います。スキな教科もあって、キライな教科もある。そこから自分に合った道を選んでいけるのですから。 すべて基礎だけの単純で簡単なことだけを学ぶのでは、スキとキライを感じることも難しくなってしまうように思います。
学力低下を危惧する大人は、私立で勉強している子との差を意識している場合が多いように思いますが、勉強は「いい学校に行く」ためにするものでも「いい会社に就職する」ためにするものでもなく、可能性を広げたり、「面白い」「興味がある」という何かを探すためにするものだと思っています。 そこから個性も生まれてくるんじゃないかと。
若い頃の「みんなと同じじゃないと不安」という気持ちは、たいていの人がある時期には思うこと。それは決して悪いことではないと思います。そういう時期を経て、「周囲とは違ったこと」をするのではなく「自分らしさ」を自分の中に探した結果、「みんなとは違う部分が私にはあるな」ということを知り、それが特別変なことではないってことを学んでいくのだと思います。 そして、自分にも周囲とは違う部分があるんだから、他の人が違った考えを持っていても、それは変なことではなく、当たり前のことなんだって気づくのです。 個性ってそういうものだと思います。
とりとめもなく、長い文章になってしまいました。
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