【広告】楽天市場7月11日まで買い物マラソン開催中

テーマ掲示板

テーマごとに、部屋が分かれている掲示板を用意しました。
タイトル横の黄色いフォルダのアイコンをクリックして、各テーマのページに進んでください。

投稿時には、【削除キー】のところに、「投稿用のパスワード」を入れてください。
必須入力は「お名前&内容」で、そのほかの項目は任意です。

ホームページへ戻る

こちらの関連記事へ返信する場合は上のフォームに書いてください。

[66] 【7】学校と家庭のバランス
toby - 2004年06月15日 (火) 00時21分

以前、長女がニューヨーク郊外の現地校(小学校1年生でした)に通っていたとき、とても興味深かったのが、毎日必ず、誰かの親が教室にいたことです。手作り教材を手伝ったり、表紙のとれかけた絵本を修繕したり、教室の隅で子供たちと歌をうたったり・・・。先生がお願いしたわけではありません。父母会で順番を決めたわけでもありません。ボランティアというか、子供たちの学校生活に対して、親たちがごく自然にコミットしているのです。

一方帰国してからのPTA活動は、なんだか一部の役員さんにだけ責任と雑務が押し付けられているようで、好きになれません。PTA活動の目的は、年間行事や予算をこなすことではなく、大切な子供たちの学校生活を、親と教師が一緒になって、一生懸命サポートすることのはずです。一人ひとりが、自分にできる方法で、もっともっとコミットすべきだと考えます。

そういう意味で、今回の「学校と家庭のバランス」というタイトルは、自分で選んでおきながら申し訳ないのですが、あまり好きではありません。各々がコミットした結果としてのバランスであるなら良し。それよりも、「まずバランスありき」で距離感をもって接するという印象を強く受けるからでしょうか。

子供たちは、一生懸命話し掛けてくれる先生が大好きです。そして、学校での出来事を、面倒くさがらずに聞いてくれるお父さんやお母さんが大好きです。恋人たちは、パートナーから電話やメールがこない日は不安になります。仕事の世界においても、自社のことを一生懸命理解して一緒に悩んでくれる営業マンこそが、クライアントを勝ち取ることができるのです。「誰かに思われている」と感じることは、とても心地良いものだと思います。

バランス考える前にコミットしませんか?

そうすることで、長崎の事件を防ぐことができたのかどうかわかりません。でも、加害者になってしまった少女の心に、誰かがもう少しコミットしていたなら、彼女もいくらかは心地よく居れたのではなかったかと、思います。

「チャットは問題だ」
「ネット社会の罪悪だ」
相変わらず、マスコミの論調は無責任で浅薄ですが、決してそんな問題ではありません。

[67] 難しいです
夕凪 - 2004年06月17日 (木) 19時41分

私は結婚していますが、子供はいません。
ですから、学校問題や子育てを自分のことのように考えることが今はまだできません(正直な話)。考えようとしていないわけではなく、現在の学校がどのようになっているのか、見えないのです。「関係者以外立ち入り禁止」どの学校の前にもこの看板があります。閉ざされた異空間です。私にとっては。
そんなわけで、今回のテーマは今の私には難しいです。
子供がいないから考えなくて良い問題ではないことは承知していますが、存在しない我が子のことをいくら想像したところで、出てくる言葉は「理想」に留まってしまいそうです・・・

私達の頃には、「悪いこと」や「悪い表現」「嫌な思い」「悔しい気持ち」「恥ずかしい思い」があったとしても、それを問答無用に排除せず、それらに触れる機会があったなと感じます。
「残虐だからと全てをハッピーエンドで終わらせてしまう絵本」「徒競走やテストの成績順位をハッキリ公表しない」
「子供同士が喧嘩しても親が出てくる」
「何でもかんでも除菌してある」・・・これはちょっと違うか?(笑)

「悪いこと」や「危険だと思うこと」「嫌な思いをするだろうこと」などは最初から排除されているんですよね。
それじゃ、何が悪いことなのか、何が危険なのか、どこまでやったらどうなるのか、わからずに大人になっていくのは当たり前のような気がします。
頑張ったって褒めてもらえない。(優越感が得られない)頑張らなくたって叱られない。(恥ずかしい思いはしない)・・・これじゃ、面倒くさいから頑張らないってなりませんか?

大人たちがやっているように、子供たちもやっているだけです。
「悪いものは排除」「嫌なものは排除」「危険性のあるものは排除」
だから、みんなと違うというだけで「排除」しているのかなと。
自分が排除対象にならないように必死で。個性を伸ばすこともできず、目立たぬよう平穏無事に卒業できるように我慢しているエネルギーは腹の底に溜まっていく。うまく吐き出す場所のある人はいいですけどね。それより怖いのは、一切のことに無関心になり何のエネルギーも溜まっていかない子供も増えていそうで・・・。


「注目すべき部分はそこじゃない!」
「改善すべき部分はそこじゃない!」
・・・と、いつもテレビに向かって心の中で叫んでいます。

「チャットが問題」だから、チャットを廃止する?
「ネット社会が罪悪」だから、ネットを廃止する?
違うでしょ?
どんなものにも、良い部分と悪い部分があって、問題なのは、それを使う人の心なんですよね。心を育てずに、害あるものを次から次へと排除して行った先に、何が残るんでしょうね。
大人たちは結局、一番簡単で楽な方法で「目先の問題だけを」解決してしまおうとしているように見えます。

ただ、これって、きっと誰もが感じていることだし、わかっていることなのでしょう。でも、じゃぁ自分ひとりで何ができるかって考えると、何もできそうにないなって思ってしまうんですよね。それじゃダメだってわかっているのに。

たぶん、教育しなくちゃいけないのは、子供たちじゃなくて、大人たちなんだと思います。見直さなくてはいけないのは、制度や仕組みじゃなくて、1人1人の考え方なんだと思います。私もそんな大人たちに含まれているわけですけど。

犯罪を犯したり、混乱を招いたりしている実行犯は、今の子供たちかもしれませんが、そうなるよう育てたのは今の大人たちです。今の子供たちはある意味、犠牲者なのかもしれません。


※随分と話題が反れたように思います。すみません。tobyさんのテーマからは外れてしまったかもしれませんが、tobyさんの書かれた文章から感じたことをつらつらと書かせてもらいました。

[69] 学校と家庭と社会、ですね。
まちか - 2004年06月21日 (月) 13時14分

tobyさん、そしてメンバーの皆様、テーマUPのお知らせが遅れてしまい、申し訳ありませんでした。いろいろとお気遣いいただいて痛み入ります。同盟がこうして進んでいけるのも皆様あってあんだって、心から感謝しているわたしです。大好きです!ありがとうございますっ!!

今回tobyさんが出題されたテーマは、わたしが挙げていた「テーマのサンプル」の中から選んでくださいました。
サンプル中では「62:学校と家庭のバランス」とありますが、テーマ掲示板に書いていただく段階で、サンプルではなく出題テーマとしての通し番号【7】で記入していただきました。

tobyさん、お手を煩わせました。そしてメンバーの皆様には混乱を招きそうなことそしてごめんなさい。サンプルの100と、実際のテーマ100、その数合わせについては、もう少し考えてみます。宜しければお時間を下さい。

バランスを考える前にコミット、tobyさんのご意見に目からウロコでした。と同時に自分の考えの甘さも痛感しました。そして生意気ながら「なんて良い刺激だろう」とうれしくなりました。

わたしは、「学校・家庭・バランス」とただ並べてしまいました。しかし今回の佐世保小6女児殺害事件などの“わたし達みんなに関わってくる問題”を考える時、事件が学校で起きたから「学校に問題が」ネットが鍵となる道具だったから「ネットに問題が」と単純に原因を結びつけたら危険だと思いました。

簡単に解明できる問題ではないかもしれませんが、「家庭・学校・社会(わたし達が成長する過程で属する共同体の小さい方から三つですが。大きくは世界も入るでしょうけれど)」の係わり合いを考え直さなくてはいけないんだな、と。

tobyさんのお話しを聞いて、お互いの心にコミットし合うには、どうしたらいいんだろう?と考えました。
長い年月をかけて形作られた日本社会のシステム、一瞬で変えるのは難しいけれど、“まずは個人から”=“今日、わたしから”やっていくしかないのかな、そしてそれが出来なかったら、周りをとやかく言う権利はないなぁと。

だから、夕凪さんのお言葉にすごく共感しました。

>教育しなくちゃいけないのは、子供たちじゃなくて、大人たちなんだと思います。
>見直さなくてはいけないのは、制度や仕組みじゃなくて、1人1人の考え方なんだと思います。
>犯罪を犯したり、混乱を招いたりしている実行犯は、今の子供たちかもしれませんが、
>そうなるよう育てたのは今の大人たちです。今の子供たちはある意味、犠牲者なのかもしれません。

“ネットが原因だから禁止”・・・これでは、ただの「臭いものには蓋」です。地で行ってます。
諺としては言いえて妙、なので良しとしますが、悪い癖を後代まで残す必要はありませんよね。

オリンピックなどのイベントの時より、こういう事件事故を目の当たりにする時の方が、より強く「わたしは日本人なんだなぁ」と感じてしまいます。危機感がそうさせるのかもしれません。


[70] 追記
まちか - 2004年06月21日 (月) 13時21分

蛇足ですが、バランスとコミットの意味を辞書で引きました。

【バランス】http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A5%D0%A5%E9%A5%F3%A5%B9&kind=jn&mode=0
【コミット】http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A5%B3%A5%DF%A5%C3%A5%C8&kind=ej&mode=0&jn.x=35&jn.y=14

[71] テーマからそれまくりですが
taka - 2004年06月25日 (金) 21時04分

こういう個人による事件が起こったときの
マスコミの意見なんていうのは、たいていあてにならないものですよね。
人が何かをするときに、たった一つの理由なんてありえない。
ネットするだけで人を殺すのではない。
たった一つの物語の影響でおかしくなるんじゃない。
とてもとても多くのいろんなことの影響が交じり合って、人は何かの行動を起こす。
ああいう残酷で悲しい事件があると、人の心は悲しくてもやもやしてしまうから、
それに勝手に原因とか名前をつけて、安心しようとしているだけだと思う。

私は結婚もしてないし子供もいないので、あまり教育とか学校とか家庭について
かたる言葉を持たないのですが、tobyさんのコミットするべきという意見はすごいわかる気がします。

子供って、年齢によってはかわいいけど、それを通り越すとうっとおしい生き物になってしまって、
正直私は苦手だったりします。
だから私が働いてる店に子供が来ても、あんまり関わろうとしていない気がする。
万引きされたりするし、売り場をぐちゃぐちゃにされるからあまりいい思いをしてないし・・・。
子供って、モラルがない分扱いづらい。

だからって、面倒くさがって逃げていては、いつまでもモラルは育たないままなわけで、
私たち大人全員がきちんと目の前の少年少女に向き合わなきゃいけないのかもしれない。

子供たちは、私たち全員の言葉や行動を吸収して大きくなるんだから。

そんなことを思いました。


「学校と家庭のバランス」というテーマでいうと、
親って学校に対して多くのものを求めすぎなんじゃないかなーと思います。
学校は読み書きと掛け算九九くらい教えてくれとったらええねん、
あとはうちら親がなんとかしたるわーい、くらいの気持ちでどーんと子供を受け止めてあげることが
大切なのかなーと思って。

[82] かなり遅くなりましたが
さくら - 2004年07月24日 (土) 08時40分

初めて投稿いたします。
tobyさんのお題が気になって仕方なかったのですが、なかなか長い文章をまとめるということができませんでしたので、こんな時期になってしまいました・・・

子供と学校と家庭。このバランスというのはかなり最近注目されていると思われます。しかし学校は家庭に、家庭は学校に、責任を求めたがっている気がします。
自分自身で「家庭と学校」のバランスを真剣に考え出したのは、3年前の『大阪教育大付属小 児童殺傷事件』でしょうか。自分の娘と変わらない年齢の子供達が、理由もなく学校で多数殺傷されてしまった・・・これまで受けたことのない衝撃でした。そして「学校にいれば安心」「学校にいればすべて先生におまかせ」という安易な思いをもっていた自分の(殆どの学童の親もそうでしょうが)甘さを打ち砕かれた瞬間でした。
学校には最大限の安全性を求めるけれど、学校側が100%自分の子供を守ってくれるわけがない、それは不可能なことであるのだと肝に銘じておく必要性を痛感したわけです。

今回のお題の直前に起きた『佐世保小学生殺害事件』においてはまた違った衝撃をうけましたが、それは『わが子が被害者になるだけではなく、加害者になる可能性』ということが再び突きつけられたからです。
以前つきつけられたのは『神戸小学生首切断事件』でありましたが、これはなぜか自分自身では「被害者になる危険」のほうが大きく占めました。わが子の年齢が被害者に近かったせいであろうと思われます(まったく親とは勝手なものです)。しかし今回は、小学生が同級生を・・・つまり、だれもが被害者にも加害者にもなりうるという衝撃でした。
しかしこれをいったい何処に『責任』を求めるのか?となると、各自ばらばらにそして自分の側には責任がこないように、押し付けあうだけに始終している気がしてなりません。マスコミは分かりやすい場所をただ一箇所、スケープゴードよろしく叩き続ける気がしてなりません。

これはtobyさんのおっしゃる『コミット』の不足であるのではないかと思われます。そんな箇所でも、別の箇所とお互いがわかりやすく、そして密に連絡を取りあうということが希薄です。
実際わが子の通う学校では『親子ふれあい活動(川の掃除なんですけど)』『三世代で遊ぼう!○○大会』などという活動があるのですが、学校側が「行政からなにが活動をしろという指導なので」苦肉の策としてこのような活動を年に数回行うだけという気がします。実際この活動によって「『学校』と『地域』と『親』の連絡がスムーズになったという事はないようですから。
PTA活動や子供会活動も盛んな地域なのですが、実際忙しく立ち回るのは役員さんだけで(そのため誰もが役員になるのを回避したがります)、わが子がかかわる活動であるのにかなり非協力的であったり無関心である親御さんも数おおくみえるわけです。ただ、役員になると『学校』と『地域』と『親』の動きというものが見えてきます。なにも役にかかわらない親御さんは、全くそのものを知らずに、そして無関心のまま子供を学校に送り続けるのだろうとおもわれるのです・・・

todyさんがおっしゃっていた
>ボランティアというか、子供たちの学校生活に対して、親たちがごく自然にコミットしているのです。
こういう活動が実際日本でも一般化して、それが「学校から押し付けられる形のPTA活動」でも「行政からおしつけられる子供会活動」でもなく、親からの自然な提案で行われるなら。それがやっと『学校』と『親』とのほんとうのコミットの始まりなのではないかと思います。
そうなることが理想であるのですが、この域に達するには日本は親も学校もまだまだ未成熟であると痛感いたします。








名前
メールアドレス
タイトル
本文
URL
削除キー 項目の保存


Number
Pass

ThinkPadを買おう!
レンタカーの回送ドライバー
【広告】楽天市場7月11日まで買い物マラソン開催中
無料で掲示板を作ろう   情報の外部送信について
このページを通報する 管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板