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[80] 【9】バリアフリー
きよきよ - 2004年07月17日 (土) 13時09分

皆サン、こんにちは!!
初のお題出題って事で、悩んでみたのですが、この話題にしてみました。

ココ数年で『バリアフリー』を叫ばれて来てますが、皆様にとってはどういうモノが『バリアフリー』だと思いますか??
『バリアフリー』イコール 障害者や高齢者・老人っていう感じなってますが、全ての方に言えることだと思うのです。

例えば、健康な人や妊婦サンとかで体調が悪い時には、電車やバス等に座りたいって思うものだと思うけど、何かと言うと
「最近の若い者は、ずっと座ってて、高齢者に席をゆずらない…」
みたいな表情をされるコトってないですか??

こんな書き方で、皆サンに書いてもらえるのか不安もありますが、今回はこのテーマでお願いします。


[81] うまく云えないのですが・・
戀子 - 2004年07月23日 (金) 16時44分

きよきよサンが仰る様に、何も障害者や高齢者の方々だけの為の言葉ではないと思います。
誰しもが関わってくる事ですよね。

足を骨折して立っているのがしんどい時、バスで席に座ったら年配の方が乗って来られて、どけと云わんばかりに椅子の肘掛に座ったり、顔をじっと見られて「あー、疲れた、疲れた」だなんて云われたり。
具合が悪くて目も開けていられない時、目の前に座っているのはどこから見ても元気な、お出掛け帰りのオバチャンの集団だったり。

網膜症で目が見え辛くなって1年、階段などの段差にすっかり弱くなってしまいました。
階段やエスカレーターなどの段差付近に目印をつけているのは多々あれど、美観を意識してなのか、名ばかりの目印が多いなぁと思ったり。

うまく云えないのですが、決め付けてかかる事で不具合が生じるのかしら・・なんて。
『若いから元気』、『これだけ印をつけたんだから、判らない筈が無い』といった様に。
当事者にならない限りは、相手を思いやっても『やったつもり』でしかないのかとも思うのですが、どうでしょう。

私自身は、シルバーシートの存在意義が判らなかったりします。
敢えて作る理由・・意義って何ですかね?
カタチだけの存在なら、いらないと思ってしまうのですが。

なんて、纏まらないままにツラツラ書いてみました。
ミナサマの意見も聞いてみたいです。

[83] バリアフリー
taka - 2004年07月25日 (日) 21時48分

バリアフリーって『障害をとりのぞく』っていうことですよね。
スロープや、段差をなくすことだけがバリアフリーなのではなくて、
点字もバリアフリーだし、
交差点で、『ピーピポピーピポピー』って音がなるのもバリアフリーだし、
普通の人には何も気にならないことでも、誰かにとって障害となるのならば
それをとりのぞきましょうっていうのがバリアフリー。
でも、周りからはどんな人がどんなバリアをかんじているかはわかりにくいから
むずかしいのだと思います。
そのものがなんであれ、作るときにできるだけ多くの人のことを考えて作ってみる。
それがバリアフリーにつながるのでしょうね。
あと、モノだけじゃなくって誰かがバリアを感じていることを、
さっと気づいてあげられる人でいたいものです。

シルバーシートって、なんでしょうね?
その席に限らず困っている人がいたらゆずってあげるべきでしょうしね。
しいていうなら、『もしそういう人がいたら変わってあげてね』
っていう、バス側の意思表示なのかなーって思います。
シルバーシートっていうものがあるからこそ
『あ!席変わってあげよう』って思い出すこともできたりするのかも。
私も昔一度すっごい気分が悪くなったときに、
シルバーシートでもなんでもない席の人に
『すいませんが変わってくださいー』って頼んでかわってもらったことあります。
そのときはシルバーシートまでたどり着けないくらいにバスが混んでいたんですが、その席の人はやさしくゆずってくださって
その上バスが着くまで、うちわでやさしく扇いでくださいました。
うれしかった・・・。

[84] バリアフリーって
さくら - 2004年07月29日 (木) 21時18分

こんにちは。
バリアフリーも過去何度か考えていたことなので、書かせていただきます。

『バリアフリー』って日本人の造語みたいですね。「障害を取り除く」という意味であるのはわかります。
ただやはり行政の側からの言葉である感は否めません。「この新しい会館はバリアフリーに造られている」「この駅はバリアフリーを重点的に改装した」などなど。
れん子さんやtakaさんがおっしゃるように、あえて設置しないといけないものなのかなあ?と疑問を感じざるを得ません。
たしかに車椅子用のスロープ、点字の表示、歩道の点字ブロック、これらは車椅子の方や目の不自由な方にはあるにこしたことはないものです。でもそれは新しく作った建物だけにあるものだったら?他の建物を使う時は結局不自由を感じるわけですよね。そんな一部の、しかもお金をかけて造ったものだけで「バリアフリーである」と威張っていいものなのかと・・・。

「バリア」があるのは実は人の心ではないでしょうか。
お年寄りや車椅子や目の不自由な方を大事にするのはいいことに決まっていますが、それは表面的にすぐわかることであって、大事にするにはとても簡単な対象だと思われるのです。大事にすることが誰にでもわかる、そしてそれをアピールできる対象であると。
一見不自由ではない人々にまで、バリアフリーを浸透させることまでは考えられていないと思うのです。例えば内臓疾患の方、そして心的障害の方などです。
心的障害、そして精神疾患の方に関しては、差別と偏見がまかり通る世の中であるのですが、それをまず取り除くということが大きな『バリアフリー』であると思うのです。しかし、行政がなにか力をいれてそういう活動をしているかというと、していないと言いきれるでしょう。

北欧に旅行に行った方の話が印象的でした。「バス停でバスを待っている人の中に、車椅子の方がみえました。バスがきて、乗るには当然段差の大きな階段があるのですが、車椅子の方には誰も付き添いの人がいません。どうするのかなと思っていたら、他にバスを待つ人やバスに乗っている人が数人、自然に手を出し車椅子ごとその方をバスに乗せてあげました。車椅子の方も『ありがとう』とお礼を言いましたが、特に申し訳なさそうな様子もなく、また手伝ってあげた方たちも特にいいことをしたという様子もありませんでした。一般の方と障害の方が分けられず自然に暮らしている、全ての人がやさしく平等という様子がとても感動的でした」
私も感動を覚えました。国民全てがだれとでも平等という思いをもったなら、誰にでも自然のお手伝いをすることができるなら、差別も偏見もない社会になったなら、それが本当の『バリアフリー』ではないでしょうか。



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