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[125]Masker's ABC file.01-3 - 投稿者:壱伏 充

 モーターショップ石動。
 その食卓に陣取った渡良瀬は、事の成り行きを大家に話してため息をついた。
「んで、俺はどうしたらいいと思う、おやっさん? 奥さんに報告書出さなきゃいけないしさ」
「とりあえず人にバラす前に自分で考えろ」
 モーターショップ石動店主、石動信介のもっともな答えに渡良瀬は肩をすくめた。
「いや、考えたこたぁ考えたけどよ。このまんまほっとくのがベターなんだろけどさ」
「ならそうすればいいだろう」
「でもま、あのお父ーさんの顔見てっとなぁ……」
 石動は煮え切らない態度の店子を半眼でにらんだ。だからあえて言ってやる。
「他人のプライベートに踏み込むのが探偵の仕事でも、限度ってものがある。違うか?」
「……ま、そりゃそうなんだけどさ。あ、おかわりね千鶴ちゃん」
「というか、当たり前のようにうちで食べてますよね渡良瀬さん」
 あきれた様に行って、石動の娘、千鶴が茶碗を受け取った。渡良瀬は悪びれずに答える。
「いや、今月ピンチでさ」
「先々月からですよね」
 高校二年の娘にあっさりと返されて渡良瀬が鼻白むのを見つつ、石動はしみじみと呟いた。
「一人の父親として分からなくはないが……お互いにお互いの家族があって、物心つく前の話なら、いまさら蒸し返すことはあるまい」
「うん。それ正論。分かってるんだけどね……今何か音しなかった?」
「そうか? ……よし渡良瀬見てこい」
「鬼」
 渡良瀬が短く言い捨てて席を立ち、廊下に出た。
 千鶴がそれを見送って小声で父に聞いてくる。
「やっぱり渡良瀬さん、本当のことを奥さんや娘さんに教えてあげたいのかな?」
「あいつは欲張りだからな」
 石動は短く答える。とはいえ、渡良瀬の”欲”が向かうのは、もっぱらお節介の方向だ。
 そこへ、廊下から声が飛び込んできた。
「おいオッサン、しっかりしろ! おやっさん千鶴ちゃん、布団と救急箱!」
 渡良瀬の声が先刻とは一変して切羽詰った色を帯びる。
「待て、今行く」
 石動は顔をしかめ、お椀を置いた。
 石動父娘が、渡良瀬が店のシャッターを開けて引っ張り込んだ怪我人が件の篠原教授だと知らされたのは、篠原の頭の怪我に応急処置をした時だった。

「いやはやお恥ずかしい。すみませんなこんな姿で。名刺を頼りに来たもので」
「いえ。案外大丈夫そうで安心しました」
 目を覚ました篠原は見た目とは裏腹にはっきりとした口調で小さく頭を下げた。
 しかしその目の奥には、深い憤りを湛えた光がある。
 渡良瀬は座布団に腰を下ろした。石動が千鶴を連れて居間から出て行くのを確かめて、渡良瀬は少しライトに訊ねてみた。
「それで、わざわざ俺を訪ねてくれた理由ってのは何でがしょ。警察、今から呼んどきます?」
「それは……待ってください」
 篠原は目を伏せ言葉を濁す。
「待ちますよ。篠原さんがどうしたいか、決めるまで」
 渡良瀬は姿勢を正し、自分の胸を指差した。
「でも、俺んトコに来た以上は、俺に事情を話してください。吐き出したいことがあったから、来てくだすったんでしょう?」
「…………」
 篠原は短い逡巡の跡に、口を開いた。
「あれは渡良瀬さんと別れて、子供たちとも別れて……家路に着いた時でした」

 渡良瀬には「これが最後」といいながらも、子供たちに「また着てね」といわれては「もうこられない」とは告げられない。
 どうしたものかと思案しながら歩く篠原は、とりあえず帰宅を少しでも遅らせたくて、やや遠回りして別の公園に立ち寄った。
 マンション前の建物や道路の隙間に設けられた小規模なものとは違い、こちらは噴水や遊歩道を備えた大き目の市民公園だ。
 まだ日も沈みきっておらずさほど危険があるわけではない。すれ違う家族の光景にかつての自分たちを重ねたりしつつ、篠原はのんびりと公園を歩いていた。
 公園にはこうした憩いの場のほかにも、たとえばローラースケートやスケボーを用いてトリックを競うようなスペースもあり、篠原がたまたま迷い込んだのもそうした一区画だった。
 タハラ発動機のヴィックスをはじめとする即応外甲たちが障害物を乗り越えて、タイムやフォームを競う”スカイウォーカー”のエリアだ。
 こうした競技は夜の方が盛り上がるのか、まだ1チームしかその場にはおらず、ディスクプレーヤーから流れる音楽もさほどうるさくはない。まだまだウォーミングアップ中というところか。
 そこにいた若者たちが一瞬篠原に目を向けて、また談笑に戻る。
(おっと失礼)
 篠原は踵を返し、元の遊歩道に戻ろうとした――その時。
「で、どうだったんだよその後よ?」
「こんな時にここで遊んじゃっていいわけ、昭彦チャン?」
 下世話な調子で交わされる会話に、聞き覚えのある人名が滑り込んできた。
「いーんだよ。土曜の夜も会えねーくらい忙しいって思わせときゃ。その分明日は昼間っから、な」
 さらに聞こえてきたのは、聞き覚えのある声だ。
 そして別の声が近づいてきて昭彦と呼ばれた男にヘッドロックをかけた。
「んで、いつになったら俺たちにも紹介してくれるんだ? ん? お前主演のビデオじゃ、売れないんだからな」
「わ、分かってますよ嶋田さん。それじゃあ今度、明菜を連れてきますから、場所と機材を……」
 明菜。最愛の娘の名前。
 昭彦。娘の結婚相手の名前。
 耳から飛び込んできた情報が、篠原の頭の中で最悪の回答として結実する。
 恐る恐る振り返ると、そこにいたのは筋肉質の大柄な男にへつらって娘の恋人の声でしゃべる男と、昼間娘たちに絡んできた不良少年たち。
 気がつくと篠原は、彼らに向かって走り出していた。

「無我夢中でした。あっさり返り討ちにされて。他のチームが来たとかでそこのライダーたちに運び出されて。何とか隙を見て、大通りに出てここまで歩いてきました。
 事情を知っているのは渡良瀬さんだけでしたから」
 篠原が語り終えると、渡良瀬は組んでいた腕を解いた。
「被害届けは出さないんですか?」
 篠原は一瞬息をつまらせ、目をそらした。
「私のことはどうだっていいんです。でも今日のことで万一、私と明菜のつながりが知れたら、やつらが社会復帰したあとで標的になるのは明菜です。
 それに、もう遅いんですよ……あいつは、すでに明菜とのビデオを握っている……それだけでも!」
「でも今放っておいたら取り返しのつかないことになる……事件が起きなきゃ警察は動かないし、事件が起きたら被害者が動けない場合が多い。
 前の奥さんの再婚先、どこぞの資産家でした、っけ」
「八方……塞がりです」
 渡良瀬が言うと、篠原は頷き、左手で布団を強く握り締めた。
 渡良瀬はその様子を見て息を吐き、頭を掻いた。
「……オッサン。あんたずるいわ。俺がそれで同情するの待ってるでしょ。もしかして俺なら、誰も傷つかない裏技で何とかしてくれるって、期待して」
「……ええ」
 篠原が小さく頷いて認める。
「格好悪いですよ。分かってます。でも私にはこうするしか……」
「いるんすよね。探偵って職業に、警察とかじゃ出来ない裏技期待するヒト」
 渡良瀬は首を振ってきっぱりと立ち上がった。
 篠原が頭を下げる。
「すみません。こんな事をお願いして……忘れてください。
 警察には今から行けば間に合うでしょうし」
「――だーからそれじゃダメなんでしょうが」
 渡良瀬が言うと、篠原が顔を上げる。渡良瀬は頭を掻いた。
「だからオッサンはずるいってんですよ。そんな話聞かされて、はい分かりましたサヨナラサヨナラなんて出来ますかって。
 いいでしょう。やれる限りやってみますよ。娘さんの名誉に傷が付かない方向で」
「本当ですかっ!?」
 渡良瀬は手を打ち、踵を返した。そして首だけで振り向き、付け加える。
「そこまで体張った立派なお父ーさんの頼みだ。格安料金で承りましょ。ただし……なりふりかまわず幸せになる覚悟、できてるよな?」
「は……はい」
 不得要領ながらも頷く篠原に笑いかけ、渡良瀬は携帯電話を取り出した。
「それじゃあまずは一歩目、踏み出しておくんなさいお父ーさん」

( 2006年04月13日 (木) 19時16分 )

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