[123]Masker's ABC file.01-1 - 投稿者:壱伏 充
――――俺はその時、確かに見た。 “飛翔”、“獣王”、そして“刃心”――埃の向こうに揺らめく影を。 まるで俺たちをぶった切ろうとするように閃く赤い光を。 奴らの噂は俺も知っていた。知らなきゃ業界じゃモグリ扱いされちまう。 だから俺は思ったね。同じように即応外甲振り回したところで、連中みたいには動けない。ああ、もうこれで終わりなんだと。 出来ることなんざ、玉砕覚悟で突っ込んでいくか、背中を向けて逃げ出すか、目をただ固く瞑ってただその時を待つか。 突っ込んでいってもぶちのめされる。逃げ出しても追いつかれてぶちのめされる。 その時にゃ俺も、そのっくらいは分かってた。だから俺は大人しく待つことにしたのさ。 ……え? 怖くなかったかって? そりゃビビっちゃいたし、悔しくもあった。 だけどな。その時意地張ってつまらない怪我なんかしたってしょうがねえだろ? どうせ取って食われるわけじゃねえんだ。 なんたって奴らは、“警察”だったんだからな。 (出所直後の、ある暴力団構成員の述懐)
Masker’s ABC file.01 “これもひとつの仮面の世界(マスカー・ワールド)?”
「なぁ、ちょっと来てくれない? ちょっとそこのお店まででいいからさ」 「いやっ、はなしっ……離してください!」 休日――昼食時の繁華街。一人の女性が腕をつかまれて声を張り上げる。 しかし、騒がしい街中のこと。あるいは誰も関わり合いになりたくないのか、足を止めるものはいない。 大人しい服装の女性を囲むのは、アクセサリーで無駄に飾り立てた5人ほどの少年たちだ。 「だからさ。5分でいいんだって。な? ちょっと俺たち、話を聞いて欲しいことがあってさー」 「その前に私の話も聞いてくださいっ!」 女性のもっともな意見に耳を貸さず、少年たちは女性を囲んだまま退路を断ち、巧みに目当ての店へと誘導していく。 その時。 「待て待て待てェッ!」 女性と少年たちの元へ、駆けつける“人影”があった。 走るたびに揺れる装甲。光を吸い込むつや消しブラックの合金繊維。腰にすえつけられて存在感を主張する巨大なバックル。 もちろんのこと、そんな姿形の人間が、ただの人間であるはずがない。 しかし、それを目撃した人々の反応には、驚きはあっても畏怖や奇矯の念はない。
21世紀。人類の進化は、ほんの少し道を踏み外していた。
“人影”は不良少年の一人の襟首をむんず、と掴み上げ、無造作に放り出す。 「あでっ! ……何だよテメ……え?」 尻を強かに打った少年が闖入者を見上げて、目を丸くする。 「……うげ」
即時対応型着装外部装甲システム、の名で総称されるそれは、ヒトの身体能力を著しく強化するものだった。 オリンピック選手の五割増かそれ以上の走力を発揮するスピード。 その気になれば乗用車すら持ち上げられるパワー。 銃弾をものともしない耐久性。 そして、質量のデータ化保存再生技術により実現した携帯性と装着時間の短縮化。
「この人に汚い手で触るな!」 「昭彦さんっ!」 女性が表情を輝かせて、“彼”の名を呼ぶ。 “彼”は振り返り、小さく首を傾げた。もしかするとウィンクしたのかも知れないが、それを外部から知る術はない。 なぜなら“彼”は、顔をすっぽりと覆う仮面を着けていたのだから。 取り囲む不良少年の一人が、一歩退いて声を掠れさせる。震える指で“彼”を指差し、苦々しく言葉を紡いだ。 「か……っ」
初めは戦場に持ち込まれ、やがて民生用として普及し、今や軍事警察消防の分野からファッショナブルな街乗り用までヴァリエーションも多種多彩。 こうして世界に広がった即応外甲は、最初に実用化したセプテム・グローイング社の商標から一般にこう呼ばれることとなる。
「仮面ライダー……かよっ!」
仮面ライダー――――と。
すごすごと去っていく不良少年たち。拍手を浴びた“仮面ライダー”が女性を芝居っ気たっぷりに抱き上げる。 その光景を複雑そうな表情で見つめる一人の老人が踵を返して立ち去ろうとする。 渡良瀬悟朗は歩調を合わせてその後を尾行した。
話はその日の朝にまでさかのぼる。 探偵事務所の戸を叩くものは、大抵何かしらの厄介ごとを抱えているものだ。でなければ、当然だが探偵になど用はない。 東京都湖凪町、モーターショップ石動二階。 渡良瀬探偵社を訪れた女性もその例に漏れることはなかった。 「調べていただきたいのは……うちの主人なんです」 年齢は50前後。篠原眞由美と名乗った女性が差し出した写真の男性は、どうも還暦を超えているようだった。 渡良瀬は写真をつまみ上げる。眞由美はどこか疲れたような表情でポツリポツリと語り出した。 夫の名前は篠原政重。塔星大学の元教授だという。 「先日退官したばかりなんですけど、最近様子が変なんです。仕事もないのに、わざわざ同じ日の同じ時間に出かけて……」 「ほう。それから?」 「……それから、と言うと?」 訊き返す眞由美に、渡良瀬は肩をすくめた。 「いえ。ただ散歩の日課ってんでしたら俺のところには来ますまい」 「……実は、どうも……」 言いづらそうに眞由美が打ち明けた。 「どうも、教え子の若い子と会っているみたいなんです。それもしょっちゅう」 その声にはやりきれなさと悔しさが滲んでいた。 「退官してから、いつも土曜の12時が近くなるとそわそわして。ちょっと出てくるよ、なんて言って嬉しそうに出かけていくんです。そしたら夕方まで帰ってこなくて」 「はあ」 生返事をして、渡良瀬は適当に頷く。眞由美はなおも続けた。 「おかしいなと思ってたら、この間主人の大学の人が教えてくれまして――ああ、私も同じ大学に勤めていた時期があって、そこで主人とも」 当時の事を思い出したのか、懐かしむような表情を浮かべて、ふっと沈める。 「多分、主人のゼミの学生さんだろうと。その方と主人とが本当に会っているのか、どういう関係なのか……調べていただけますか?」 「ええ、もちろんです」 渡良瀬は頷いて答えた。なるほど、夫を支え続けた妻として、裏切りに憤り何らかの決着をつけたくなる気持ちは理解できる。 ただ、渡良瀬に出来るのは真実を突き止めることまでだ。そこから後の選択にまで関わることはできない。 「それで、依頼料の件なんですがこの場合は……」 渡良瀬は真摯そうな表情を崩さぬまま、ファイルから料金プランの紙を取り出した。 そして今、渡良瀬は篠原政重を尾行している。 とりあえず女性との密会現場――とはいえ、ただ話しているところを遠目から確認しただけだったが――は押さえ、証拠写真も撮った。だが彼が帰宅するまでまだ時間がある。もしこれで、他の女性とも親しげな関係にあるとしたら、より依頼人の怒りと報酬を跳ね上げさせられるかもしれない。 次いで篠原が訪れたのは、とある団地近くの小さな公園だった。
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2006年04月10日 (月) 08時17分 )
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