[168]file.06-2 - 投稿者:壱伏 充
「オーマイブラザー、ロングタイムノーシー!」 「ノースィー!」 繁華街に出た渡良瀬は、噴水のそばに腰を下ろしてシルバーアクセサリーの露店を広げている青年と大げさな抱擁を交わした。 「ハッハッハ、儲かってるか青年?」 「ニイサンこそ絶好調なんでしょ? ズイブン思い切った買い物したって言うじゃないスか」 渡良瀬が問うと、青年はさりげなく切り返してくる。渡良瀬はニヤリと笑った。 「まァな。その調子で聞きたいことがあんだ。最近ここいらに住み着いた、仮面ライダーを探してる」 「松竹梅だと、どこよ」 「梅」 渡良瀬が短く言うと、青年が手を差し出してきた。渋々札を手渡すと、青年は声を潜める。 「富坂のマンスリーマンションに今朝女が入った。見た目10代後半で黒の短髪。身長は165cm前後。やたらポケットの多いジャケットを着ている」 「ビンゴ。いつも悪いねェ」 渡良瀬は指を鳴らし、青年をねぎらって踵を返した。 彼はここら一帯を縄張りにする情報屋だ。 自分に“フリーの仮面ライダー”と名乗った舞が昨日の今日で遠くへ行ったはずがないと踏んだのは正解だったらしい。 「くっくっく、無用心な奴め。よ―し全力で丸裸にしてくれるわ」 まるっきり悪役の台詞を吐いて、渡良瀬は早速件の場所へ向かおうとして――その鼻先を何かが掠めた。
カオルはナディスを跪かせ、彼女の主を見上げた。 主は小さく眉を上げ、物珍しそうにナディスを眺める。 「へえ……」 《何か、ございますか?》 ナディスにとっての女神、カオルよりさらに上に立つ青年の視線に、ナディスは顔を伏せたまま問う。 主は「いや」と肩をすくめた。 「宗教的に淡白な日本で、君のようなしっかりした姿のバイオメアが生まれることは稀だからね。嬉しくなったのさ」 《はっ、光栄にございます 期待以上の返答を与えられ、ナディスは喜びとともに首を垂れた。 バイオメアは周囲からの認識と周囲への認識に存在理由を依存する性質上、同様や不信によって力の発揮を妨げられる。逆に確信や納得こそがバイオメアに力を与えるのだ。 主はソファから腰を上げ、芝居がかった仕草で周囲を見回した。 「しかしすまないね、殺風景なところで。そろそろ息も詰まったろう?」 《は……》 正直にナディスが答えると、主は満足そうに頷いた。 「そうだろう、そうだろう。だから君のためにこんなものを用意した」 主は右手を掲げて指を鳴らす。すると、不意に空間をざわめきが満たした。 「キチュウ……」という、絹が擦れ合うような蟲の鳴き声だ。 「好きなだけ食べたまえ。その後は僕のために働いてもらうよ」 《…………》 主の言葉にナディスは深く頷いた。
掠めたものを追って空を見上げる。茶色のチラシを折ったような紙飛行機が飛んでいた。 自ら風に舵を取り、何かを求めて彷徨うように、フラフラと。 「器用だなオイ。簡単に落ちるんじゃねェぞ……ってあら」 渡良瀬が言ったそばから飛行機は失速し、一人の少年の手に収まる。 「……ちえっ」 渡良瀬は憮然として、歩き出した。
警視庁、遊撃機動隊。 当面の訓練計画書を仕上げた杁中は、ふと同僚のデスクに視線を移した。 班長の神谷典子が席を外している事を確かめ、杁中は同僚に声をかける。 「今日は今日で何やってんだ、原」 「――うわっ、しーっ。誰かに聞かれたらどうすんの!」 原は大げさに驚いて、机上のディスプレイを隠した。幸いほかの班員はチラリとこちらを見やり、微妙な笑みを浮かべただけで深く追及する者はいない。 杁中は腰に手を当て、ため息をつく。 「あのな。お前、備品使って何してんだよ」 「ちょっと情報収集」 原はさらりと答えて、ディスプレイを杁中に見せた。 「美味しいパスタの店。今度一緒にどう?」 「……お前な、警察のPCでンなもん見てんじゃ……」 冗談めかした口調の原を、杁中はじろりと睨み付けた。怒鳴りつけたい気持ちをぐっと堪えて声を潜める。 表示されていたのは、おどろおどろしい色調でレイアウトされた、犯罪マニア交流のアングラサイトだった。 しかし原は大丈夫、とディスプレイのコードを指差した。 「ノープロブレム。本体は自分のと繋ぎ換えたから」 「そこまでやるかお前」 杁中は呆れて、椅子を引き寄せた。 「で、何かオススメのメニューはあったのかよ」 「予約入れるの苦労したのよ、もっとありがたがってよね。あ、これなんておいしそう」 原は楽しげにマウスポインタを動かし、掲示板のツリーを開く。 題は『警察の知らない失踪事件と怪生物の関連』だった。
目当てのマンションの近くまで来て、渡良瀬は周囲に気を配った。 マンションの立地条件から行けば目視されるか否かのボーダーライン。前もって“用意”はしてきたが、不用意な接近は避けたい。 「向こうから出てきてくれりゃ早いんだが」 呟きつつ、他にすることもないので接近を試みる渡良瀬。その背後から足音が近づいてきた。 「……?」 何気ない風を装い、渡良瀬は足音を分析する。 舞に見つかったわけではない。スニーカーの音の軽さと感覚から、持ち主は小学生だろう。さりげなく道を空けて、渡良瀬は足音の主が通り過ぎるのを待った。 ――通り過ぎていったのは、果たして想像通り小学生だった。3、4年生の男子といったところか、まだ平日の昼間だというのにランドセルも持たず、代わりに余所行きの格好に身を包んでゲーム盤らしき物を包装した紙袋と茶色いチラシを後生大事に抱えている。 こんな子供がふらついている姿を放っておけるものではない。 (やれやれしかたねェ……ん?) 渡良瀬は声をかけようとし、少年のチラシの文字に目を留めた。 複雑な紋様に囲まれた中には“卯月ライダーカンパニー”の表記が見て取れる。 (……なんだと?) 渡良瀬は訝ってその背中を目で追い――彼に追いつくべく走った。
「お父さんとお母さんが突然いなくなっちゃって……その前から様子も変だったんです! お願いです、僕の貯金全部あげますから! 探してください!」 「……まー顔を上げな。詳しく状況を聞こうじゃないか。何があったって? 第一この時間、学校どうした?」 舞は自分の元に現れた少年を苦々しく見やりつつ、話を促した。 こざっぱりとしたいかにも余所行きの格好をした男の子だ。 少年は顔を上げ、怒られるのではないかと身構えている様子で口を開いた。 「き、今日はお母さんが行かなくてもいいよって。特別な日だから……」 「ふーん。で、失踪当時の状況は?」 一応の回答にとりあえずガテンし、舞は問いを重ねて胸の裡でため息をついた。 (せっかくチラシを“飛ばし”たののい、釣れたのはこんなんかよ) 舞がフリーの仮面ライダーとして店を構えるのは、ひとえにバイオメアの情報収集のためだ。こんな小さな依頼で時間を無駄にしたくない。 そんな気分で話を聞いていた舞だったが、 「それで、お昼にレストランに行ったとき、お父さんとお母さんがトイレに行ったんです、二人で。 でもずっと入り口見てたのに、お父さんもお母さんも出てこなくって、行って見たら誰もいなくて。他に入った人も出てこなくって。 慌てて――注文もしてなかったし――、一階まで降りたけど、やっぱりいなくって、僕どうしようかと思ってて、そしたら」 「あたしのチラシを拾ったってか」 少年が頷く。舞は少し心を動かされ始めていた。 密室からの消失。もしもそのレストランにバイオメアが潜んでいたとしたら、探る価値はあるかもしれない。 「いいだろう、案内してもらおうか」 思い直した舞がそう言うと、少年は表情をパッと輝かせた。
渡良瀬は小さくガッツポーズを取り、その場から離れた。 件の少年にこっそり仕掛けた盗聴器から拾った情報を元に考えを進めると、放っておくわけには行かない。 (プロの仮面ライダーのお手並み拝見と行く前に、保険かけとくか) 現在時刻と照らし合わせれば、失踪から2時間が経っている。まだ間に合う、といったところか。 余裕がないのも事実だが、ひとまず舞と少年を尾行して、現場につくことが最優先だ。
遊撃機動隊、隊長室。 「はいこれ」 「確かに」 東堂が差し出したアタッシェケースを受け取り、神谷典子は頷いた。 先日ダメージを負ったガンドッグ三機は、再プログラミングとオーバーホールを兼ねて製造元の三友重工に送られており、それが戻ってきたのだ。 「ほんと、ここのとこ大きな事件が入ってこなかったのは助かるけど、さ」 「不気味ではありますね。そろそろ動く時期かもしれません」 「それで西尾は、こっちのコンディションが万全になるのを待ち構えている、と。 ありえるから嫌だなァ」 東堂は椅子にもたれてぼやく。どこか昼行灯めいた表情のまま、ポツリと問うてきた。 「で、例のライダーの足取りは?」 「未だ、何も。監視カメラの映像が残っていないため、機種の特定も出来なくて」 典子は答え、小さい拳に力を込める。ここまで遊機を虚仮にしてくれた襲撃犯を、ただで済ませるわけには行かない。 典子が決意を新にした、その時――懐で携帯電話が鳴った。
少年の案内で舞は事件のあったレストランが入っているデパートの前に着いた。 「あんたはそこのマックで待ってな。あたしがいいって言うまで出てくんなよ」 「は、はいっ」 少年を全世界チェーンのファストフード店“マクガフィンバーガー”に放り込み、舞はデパートに乗り込んだ。 相手がバイオメアなら、舞の――“九十九”の気配に何らかのリアクションがあるはずだ。 身動きが取れなくなるエレベータを避けて、エスカレータで8階へ。 舞はリストマスカーの位置を直した。
少年――翔太はデパートに消えていく“ライダー”を見送り、店内の片隅でそのままデパートを凝視していた。 例え中を窺うことは出来なくとも、精一杯見守り続けるつもりでまっさらなテーブルに噛り付く。 きっとあの人なら両親を助けてくれるに違いない。フルネームは聞きそびれたけど。 信じて祈る翔太の視界に、ふっと陰が落ちた。 見上げると、そこにいたのは意地の悪い笑みを浮かべた人相の悪い男たち。 「見ィつけたァ」 「――!?」 翔太は振り向いて悲鳴を上げかけたが、寸前で肩を捕まれて声を凍りつかせた。
ナディスは主からの命令を果たすべく、指定されたビルの屋上にいた。 外観こそ変化はないが、そのうちには強く確かな力が息づいている。主から賜った蟲のデータを喰らい作り上げた“肉体”だ。 そしてナディスに与えられた使命は、その力を以ってある仮面ライダーを殺害することにある。 気配がナディスの感知圏内に入ってくるのを感じる。先回りした甲斐があった。 《……参るッ!》 与えられた命令のまま、ナディスは屋上の床を蹴った。
件のトイレについた舞は、女子トイレの窓枠が歪んでいるのを見て取った。 (無理矢理押し込んだ跡だ。個体サイズはそんなに大きかない、か) 開いたままの窓からは、隣のビルの壁が見える。何かで擦ったような白っぽい筋が下に伸びていた。 (女子トイレだけじゃなく男子トイレも襲ってるってことは、あの辺に貼り付いて獲物を待っていた……?) 下手したら見つかりやすい手を使うだろうか。不意に兆した疑念を保留して下を覗き込むとゴミバケツや諸々のガラクタが散らばっている。 ――その時、携帯電話が鳴った。 「ん――誰だこんな時に?」 昨日の今日でしつこくバイオメアについて聞こうとしてきた男の番号は着信拒否に設定した。となれば、これはそれ以外の人物からのコンタクトだ。 舞は携帯電話を取り出してメールボックスを開いた。 受信メールは一件。 題名はなく、本文はただ一語、『上だ』。 「!?」 刹那、舞の感覚を貫く強烈な害意。反射的に頭を引っ込めた舞の、半峻前まで頭があった空間を銀色の光が一閃する! ――とっさに手放した携帯電話がそのまま落ちていく。 「っちぃぃ!」 勢い余ってトイレの床を転がってしまった舞は、体勢を立て直して窓の外を睨みつける。 そこには、隣のビルの壁に拳を突き立ててぶら下がる“甲冑”がいた。 人間ではない。舞は確認した。 「バイオメア。やっぱりアンタの仕業かい!?」 《……我が名はナディス。汝を悪夢へと誘う者》 「抜かせっ!」 先刻の疑念はすでに吹き飛んでいる。バイオメアは倒すべき敵だ。 舞はリストマスカーを構え、立ち上がった。 「アンタこそ夢に還っちまいな――九十九、変身ッ!」
ベルトから符のホルダーである“肢”が展開し舞の四肢に疾る。次いで再生されたベーススーツと最終装甲が全身を覆う――仮面ライダー九十九!
「雷符爆亜!」 九十九は唱えて体の刺を抜き、符へと戻して打ち放つ。 《クッ!》 ナディスと名乗ったバイオメアはそれを避け、直後符が放つ爆発に動きを止めた。 九十九はその隙を逃さない。 「もいっちょっ!」 九十九は窓から飛び出して二つのビルの壁を交互に蹴り、ナディスに肉薄してさらに一枚の符を貼り付ける。 パンッ、と電気ショックを与えたような音が響き、ナディスの胸から黒煙が上がった。 《グゥ……!》 手ごたえあり。九十九はナディスをつかんだまま、地上へと落下していった。
重いものが地面に叩きつけられる剣呑な鈍い音に、通行人たちのいくらかがギョッとして足を止める。 さらにそのうちの幾人かが路地裏を覗き込もうとした時、 《エェイ!》 「!?」 まろび出た甲冑の大男(?)が、通行人を弾き飛ばし電話ボックスまで転がって止まる。 それを追って飛び出した九十九の符を警戒するかのように、大男(?)は距離を取った。 「なんだ、ケンカか? ライダー?」 「おいカメラどこだ!」 「あのー、大丈夫ですか?」 《……ついてこい九十九!》 通行人の声が交錯する中、大男は不意に頭上を見上げ足をたわめて、高々と跳躍した。 鈍重そうな見かけによらない機動性に通行人がどよめく。 「待て……!」 それを追おうと踵を返したところへ礫を投げつけたら、九十九がようやく動きを止めた。 渡良瀬はスナップを利かせた手首を戻すように手を上げる。 「よ」 「アンタ……こんなとこまでついてきたのか!」 渡良瀬の軽い挨拶に、九十九は両手をわなわなさせて食って掛かってきた。 渡良瀬は軽く肩をすくめる。 「いや俺よりも気にすることがあんだろーが。お前こそ何やってんだ」 「――ああそうだ追いかけないと!」 我に返った九十九に、渡良瀬は親切に提案してやった。 「よかったら手伝うぞ」 しかし、返って来たのは捨て台詞だった。 「ライダーでもない素人が首突っ込むんじゃないよ! これはプロの仕事だ! 邪魔なんだよ――疾符跳梁!」 そして九十九も棘を抜いて自分に貼りつけ、その効能か軽快に跳び去っていく 渡良瀬は背後に目を向け肩をすくめた。 「だって、さ。んじゃまァここからは、探偵のお仕事と行きますか」 言って渡良瀬は九十九たちが落ちてきた現場に屈みこんだ。
「蒼廉刃符!」 戦場を先刻とは離れた裏通りに移し、九十九とナディスが激突する。 九十九が振り下ろした剣を、ナディスが両腕でガードし火花を散らせる。しかしナディスはそこで踏みとどまった。 「なかなかやる……ッ!」 《甘く見ないで貰おう!》 ナディスが両腕を跳ね上げる。一瞬剣が虚空を彷徨う。 歯噛みする間もなく、九十九はナディスのタックルに跳ね飛ばされ、道に面した空き店舗へ頭から突っ込んだ。 「ぐぁ!」 《ハァァァァァッ!》 埃を上げて転がる九十九にナディスが飛びかかる。九十九は一枚の符を抜いて投げつけた。 「翼喚妖符!」 唱えると同時に符から大量のコウモリの影が解き放たれ、ナディスに群がる。 《ウヌッ!?》 低密度の情報体を用いた撹乱だ。ナディスが腕を振るとあっさり霧消する。 しかしその間に九十九は充分な距離を取っていた。 剣はすでに手中にある。四枚の符を抜き、口訣を発する。 「疾迫膂雷刃、五符結陣!」 《ムゥ!》 コウモリを薙ぎ払ったナディスが九十九の動向に気付く。だがナディスが対処に移るより早く、符から解き放たれた光を纏い紫電の剣を構えた九十九は、敵の懐に飛び込んでいた。 「――――はぁぁああああああっっ!!」 《来るか――九十九よ!》 瞬間、ナディスの腕が爆ぜるように広がり、ピンク色の無数の繊維となって逆に九十九の剣を腕ごと飲み込んだ! 「何っ!」 《グゥ……ッ》 そのまま筋繊維を思わせる糸の奔流は九十九の体を押し込んでいく。 同時に紫電に腕を灼かれ、ナディスも苦悶の呻きを上げるが、かまわずもう片方の腕も変化させて九十九へ殺到させた。 「チ!」 九十九は剣を手放し強引に繊維の束から腕を引き抜いて、飛び退きざまに符を放った。 「縛!」 略式コードで起動した符から、単眼の蛇が躍り出て繊維の群に喰らいつき、やがて逆に飲み込まれる。 ナディスは一旦腕を引いた。 《……フッ、容易いな九十九!》 「テメェ……」 吼えるナディスの右腕が剣に、左腕が金属鞭に変化する。飲み込んだ符のデータを吸収し我が物としたのだ。 《次はその命、奪いつくしてくれる!》 「ほざいたな――やってみろ!」 ナディスが猛然と地を蹴る。だが退くわけには行かない。 九十九は二枚目の刃符を抜き、剣へと変えた。
カオルはその戦いを冷静に“視て”いた。バイオメアと共有した視覚は、主とも繋がっている。 「御覧になっていますか」 『ああ、よく見えているよ』 主の声は静かだ。カオルは危惧を抱いて付け加えた。 「クラストは未だ現れません」 主からの返答は、一拍遅れた。 『必ず来るよ。だから今は見つめていておくれ……僕のかわいいカオル』 「は」 カオルは静かに答え、観察を再開した。
そしてクラストこと渡良瀬は。 「ふぇ……ええいチキショー」 こみ上げたクシャミを堪え、走っていた。車や即応外甲にぶつからないよう気を配りながら、イヤホンに直結した小型ディスプレイに視線を落とす。 ディスプレイを保持する手には、一緒くたに握りこまれた壊れた携帯電話のストラップが揺れていた。 「どいたどいた、見せモンじゃねェぞ!」 トレンチコートの裾が翻るたび、周囲からどよめきが漏れる。薄汚れたコートを彩る赤黒い色は、どう見ても血の跡だった。
剣同士が打ち合い火花を上げる。押されたのは九十九だ。 「くっ……!」 基礎的なパワーの違いに加え、腕力強化の“膂符”を吸収されたせいで力の差が大きく開いている。加えて技量はほぼ等しい。 跳び退がり、地面に手をついて着地した九十九は、一舞の符を抜いてヘルメット内の表示に目を走らせた。 起動に本体電力を要する大技を使ったため、バッテリー残量が残り少ない。もう一度五符結陣を放つためには一旦充電する必要があるが、そのためには変身を解かねばならない。 無論、そんな暇はない。だから九十九は賭けに出た。 (一気に決めてやる!) 抜いて広げた符に記されているのは“破幻打圧”の字。打撃などの物理攻撃力を情報破壊力に変換し敵に流し込む、対バイオメア戦の切り札だ。 刃先さえ通ればスフィアミルとバイオメアの肉体を切り離せる五符結陣に比べ威力にムラがあるため使いたくなかったのだが、 《どうした、来ぬのか? ならば構わぬ。貴様の首、我が主に捧げてくれよう!》 「――ンだと?」 ナディスの言葉に、九十九の心が決まった。 このバイオメアには“主”がいる。そいつがバイオメアを日本に集めているのか。 探していた手がかりが目の前に転がり出た。九十九はヒュウと気を吐いて、剣と符を構えた。 「その話、詳しく聞かせてもらおうか、ナディス! アンタのご主人様はどこにいる!?」 《知りたくばこのナディスを倒して見せよ――出来ればの話だがな!》 「――上等」 九十九のボルテージが上がる。紫のライダーは地を蹴り、剣を突き出した。 《フン、遅い!》 ナディスは余裕を持って、それを回避する。しかし一人と一体が交錯する瞬間に、 「テヤァ!」 九十九は身を翻し、全身のバネを利かせて“破幻打圧”の符を投げ放った。 《ヌゥ!》 符は吸い込まれるようにナディスの喉元に貼り付く。ナディスが一瞬動きを止めた。 「――もらった!」 九十九は剣の柄に左手を添え、沈めた体を伸び上がらせ、ナディスに張り付いた札目がけて――一閃を叩き付けた!
太い弦を鳴らしたような唸りが広がる。ナディスの体に力を浸透させていく。 「やった……?」 渾身の一撃、手応えはあった。符から広がる波動は眼に見える輝きへと変わり波紋を撒く――だが。 《フ……ヌゥゥゥゥ!!》 「!?」 ナディスが咆哮とともに全身の筋肉を引き絞り、一気に気合を解き放つ――波紋が、吹き飛ばされる! 「バカな……っ」 《フヌァ!》 仮面の下で目を見開く九十九に、ナディスの鞭が打ち据えられる。九十九はなす術なく、火花とともに宙を舞い、柱の一本を削って地面に落ちた。 「――っくは!」 肺から空気が追い出される。息を吐き切った後の一撃だったから、ライダー越しにもよく効いた。 致命的な外傷は追っていない。まだやれる。 「ってぇ……いい気になるんじゃないよ、ったく」 九十九は立ち上がる。手応えはあった。一撃でダメなら二撃、三撃と重ねるまでだ。 衝撃に手放してしまった剣と剥がれた札を探す。札は手中。剣は右方、さほど遠くない位置。軽く地を蹴り手を伸ばせば届く。 次に仕掛けてきた一瞬が勝負だ。 そしてその瞬間はすぐに訪れた。 《強気だな……その情報、興味深い!》 ナディスが両腕を構えて向かってくる。それは図らずも九十九にとって絶好の角度だった。 タイミングは、今。 「――はああああああっ!」 紙一重を見切り、九十九は攻撃をかわして右へ跳んだ。剣に飛びつき、転がりながらも姿勢を整える。剣を構える。ナディスが制動をかけて振り返った。 《来るか!》 「行くさ!」 歓喜にも似た声音でナディスが吼える。九十九も答えて地を蹴って跳ぶ。
しかしその瞬間。 間の抜けた、ピー、という電子音が、立ち込めた熱気を全て奪い去っていった。
“九十九”が突如失速し、力ない一撃をナディスにぶつける。 その姿はライダーではなかった。 掻き消えた即応外甲の下から現れたのは、最初に襲ったときと同じ少女の姿だ。 それが、呆然と瞬きをしている。 ナディスは、それまで奇妙な昂揚に酔っていた。様々な手でナディスに挑み、撥ね退けられてもすぐに次の手を講じる強かな九十九に、経緯に近い感情すら抱いていたのかもしれない。 しかし今、“九十九だった”少女は何も出来ない無力な存在に堕した。 どうしようもない不愉快さ――そう、ナディスが覚えたのは失望だ。 《……フン!》 ナディスが払いのけると、“九十九”は軽く吹き飛ばされた。
一瞬、意識が跳んだ。舞は頭を振って身を起こす。 (大丈夫、生きてる……) 体のあちこちが痛かったが、骨は折れていない。 しかし変身が解除されたのは痛かった。 (大技を連発しすぎたから……ったく……っ!?) 懐に手を差し入れた舞を、ナディスの鞭が襲う。 間一髪かわした舞の背後で、柱が一本砕け散った。 「チ――ッ! 召符蟲臣!」 充電器を使っても変身可能になるまで時間がかかる。舞は起動に九十九のエネルギーを必要としないタイプの符を放った。 符自体に内包されたエネルギーのみで稼動する半自律擬似生物が実体化し、ネズミに似た体躯でナディスに踊りかかる。 この隙に舞は充電器をバックルに差し込もうとした。幾度かソケットをぶつけ、ようやく成功する。 《小賢しいぞ九十九!》 しかしナディスは悠然と前進し、軽く腕を払って擬似生物たちを霧消させ、舞との距離を詰めていった。 舞はバックルを見た。まだ裏面のインジケータは変身可能域を指していない。 「くっそ……」 頭をフル回転させ、ここから逃れる方法を模索する。と、同時に心のどこかが反発した。 逃げる? 冗談じゃない! バイオメアに背中なんか見せられるか! どうせ死ぬなら最後まで戦ってからだ。でなければ、仲間に合わせる顔がない。 舞はナディスを見上げた。 だが、圧倒的な力の差は現実だ。今までのバイオメアと、ナディスは違う。 足の震えが、止まらない。 ナディスが右腕の剣を掲げた。 《その色がせいぜいか。ならば!》 そして、刃を返す。昼の日の光を照り返し、ギラリと光った。 その切っ先が揺らめく――ナディスの刃が舞の頭の上に振り下ろされようとした、その時。 「目を閉じて耳を塞いで口を開けて伏せろ!」 聞き覚えのある声が、割り込んできた。
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2006年09月15日 (金) 16時48分 )
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