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[167]超人災害調査録 第1話「空から堕ちた憎悪」 前編 - 投稿者:オックス

「はぁ……」
 空港の出発ロビーで、柿崎衛治は何度目かのため息をついた。あと30分もせずに生涯初となる快適な空の旅が始まり、その2時間半後くらいには沖縄に到着だ。今は三月なので海開き前ではあるが、それでも楽しめる場所は沢山あるだろうし、それが愛する人生の伴侶と共ならばもはや至福であろう。しかし、どうにも彼の表情は浮かない。前日の結婚式で少しのみ過ぎたというのもあるが、根本的な原因はそこではなかった。
「ふぅ……」
 再びため息をついた直後、出発時間や搭乗ゲートを確認しに行っていた彼の妻が帰ってきた。柿崎歩美。数日前に入籍し、結婚式を昨日終えたばかりの新妻である。
「ため息なんかついて…そんなに新婚旅行が嫌なの?」
「いや、それは凄く嬉しいんだけどね…それとは別に人の多い場所はどうにも」
 先程からこの近辺を通りかかる者たちの殆どが、彼に目線を向けていた。衛治は2mを優に越す長身で体格も良い。だからとても目立つのだ。
「好きでなった訳じゃないにしても、もう十年近くデカブツやってるんでしょ? いい加減コンプレックス治しなよ」
「しかしだな……こういうモノは治したいと思っても簡単に治せるようなわけでなく…」
「駄目駄目! 結婚したんだから、もっとしっかりしないと!」
「あ、ああ…分かったよ」
 歩美の身長は170cm強と、女性としては長身だが衛治に比べると頭一つ以上小さい。それなのに強く言われてうろたえる様からは、今後も夫婦生活で尻に敷かれるであろう事が簡単に予想できた。
「まあそんな事より」
「そんな事ってのは無いだろう? 君の夫の最大の悩みなのに…」
「そ・ん・な・事・よ・り・!」
 口調を強めて繰り返され、衛治は完全に黙り込んだ。
「もう飛行機に搭乗してていいみたいだから、ちゃっちゃと乗っちゃいましょ!」
 衛治は結婚したこと自体に不満は一切無いが、もう少し夫に優しくしてもいいのではないか?と思いながら、夫婦いっしょに歩き出した。

 ゲートに向かう途中、衛冶はひとりの女性が目に入った。長い黒髪の美人。まるでモデルのように姿勢良く綺麗に歩いている。

 衛冶はその女性から目が離せなくなった。見惚れていたわけではない。ただ、妙な違和感があったのだ。彼女の歩みに合わせて揺れる髪や服の動きが、周囲の空気の流れと少しずれている…まるで出来の良いCGを見ているようだ。

 女性は目で追っていた衛冶に気付かずに横を通り過ぎると、その場で待っていた別の女性の肩を叩き、さらに少し離れた位置に居た男性二人に声を掛けた。彼女と会話しているからだろうか、残りの3人からも似たような違和感を感じる。

「作り物? いや、それとも違う……か?」
「………さっきから、どこ見てるの?」
「ああ…いや、あの女の人が」
 そう言った瞬間、歩美が眉間に皺を寄せた。衛治は自分の妻が結構嫉妬深いタイプだった事を失念していた。軽く地雷を踏んでしまった事に気付いたが時すでに遅し。
「私よりも綺麗だとか思ってたの?」
「そ、そんなわけ無いって!」
「勢いで年上の女と結婚しちゃったけど、やっぱりもっと若い子の方が良かったかな〜とかも思ってそうね」
「無い無い! 大体、歩美との年齢差は二つだけだよ?」
「かなりの美人だったからなぁ…彼女と私を比べたら誰でもあっちの方が良いって答えるだろうし…」
「もしそうだとしても、俺にとっての一番は歩美だ!それだけは絶対っ!」
 衛治は声を張り上げそう強く主張した。近くにいた者達が一斉に彼らの方を向く。
「……恥ずかしい発言を大声で言わない」
「あ…ああ、ごめん」
 冷静になった衛治は、周囲の刺さるような視線に気付く。それは今までの身長から来るものとは明らかに違っていた。

「で、本当は何であの女の子の方を見てたの?」
 飛行機に乗り込んだと同時に、歩美が口を開いた。彼女も冷静になり、衛治が何か別の事を言おうとしてたのを思い出したのだろう。
「何か変な違和感があって……作り物っぽい感じがしたんだ」
「へぇ…それってあの女の子だけ?」
「いや、さっきの団体さんの四人全員。あの女の人と身長低い方の男の人が特に」
「衛治ってば基本的にヌケてるけど妙な所で勘が鋭いからね〜 案外、全員整形してたりして」
 そう言いながら、歩美は番号を確認して着席する。彼女が窓際で、衛治はその隣。横を見ると、空席一つと通路を挟んだ席に、今まで話していた四人組が座った。向こうはこっちの発言内容には気付いてないようだが、夫婦には気まずい空気が流れた。


 旅客機が空港を出発してから一時間ほど経った。離陸直後は実際に空を飛んでいる事に興奮し挙動不審気味だった衛冶も大分落ち着きを取り戻し、沖縄のパンフレットを広げて夫婦仲良く今後の予定を確認し合っている。

 突然、ガタガタと強烈な揺れが旅客機全体を襲った。衛冶は思わず歩美に抱きついてしまい、ため息を付かれる。
「…もしかして、機体のトラブルか何かが発生したとか?」
「いや、乱気流に巻き込まれたとか、そういうのでしょ」
 揺れはすぐに収まったが、高層ビルのエレベーターが降っている時のような弱い浮遊感が続いている。
「……高度を下げてる? まだ沖縄じゃないのに」
「やっぱり、機体トラブルが起きてるんだって!」
 何もアナウンスが無く、それが乗客たちの不安を煽るのだろう。少しづつざわめきが大きくなっていく。

 そんな中、1人の男がマイクを片手に現れた。添乗員の制服は着ていない。彼はスピーカーからちゃんと音が出ているかを確認すると、深呼吸をして喋り始めた。
「え〜〜〜私の名前は小川春人と言います。小学校の頃は春の小川を歌う度に馬鹿にされていました」
 そう言って、深々と頭を下げる。
「真に突然で申し訳ありませんが、これより当機は我々が占拠いたします」
 多少ざわついたが、変化はそれだけだった。この春人と名乗った男はラフなTシャツジーンズ姿で武装しているわけでもなく、見た目も頼りない普通の青年にしか見えない。皆、それがハイジャック犯という恐怖の対称なのだとは思わないのだろう。手の込んだ悪戯と考えた者もいたかもしれない。
「ああ、まだあまり騒がないで! 悲鳴を上げる機会は後で十分に用意しますから!」
 だが、衛冶はこの奇妙な青年に恐怖を感じていた。彼の直感が「アレはとても危険な存在だ」と告げている。
「それともう一つ、我々の目的は国外逃亡やテロリズムでもなければ、飛行機を操縦してみたい!というモノでも御座いません!」
 最初にそれに気付いた者が、「ひぃっ」と小さく悲鳴を上げた。春人の顔が、まるで熱せられた蝋の様に溶けているのだ。
 どろどろと溶けた顔はすぐに頭蓋骨だけになった。眼孔には眼球の代わりに青い発光体が収まっている。Tシャツとジーンズが鱗になりながら広がり全身を覆う。腕が膝下まで伸びた。胸に開いた穴から、不気味に脈打つ赤い球体が覘く。
 悲鳴の大合唱が始まった。
「我々の目的は『略奪』と『捕食』…これから皆さんには我々の餌になっていただきます! …あ、今のは食事の『いただきます』と掛けたギャグですから、笑っていいですよ?」
 笑う者など誰一人居ない。
「では、まず最初に簡単な手品を…拍手を頂けると幸いです」
 春人の胸の穴から2mほどの蜥蜴のような単眼の怪物が、物理法則を無視して何匹も出現する。確かに古典的な手品のようだったが、怪物達はウサギやハトよりも段違いに危険のようで、出てきてすぐに近くに居た人間を頭から呑み込んだ。同時に乗員達は一斉に立ち上がり、拍手の代わりに声を上げながら我先にと後部座席側へ逃走し始めた。
「あっはっはっはっは!皆さんがんばって走ってくださいね! 逃げ場はありませんけど!」

「ごめん…腰が抜けちゃった…」
「気にしないで…それに今下手に動くのは逆に危険そうだよ?」
 恐怖感に煽られた集団が、無我夢中で逃げ出そうと細い通路に密集しているのだ。下手にそれに混じれば逆に怪我をし兼ねないし、実際に潰されて怪我をした者が恐怖以外の叫びを上げている。
「歩美はしゃがんで身を隠していて」
 言われた通り、歩美は器用に屈み込こんだが、衛冶は立ったままだった。どの道、衛冶の巨体では身を隠す事は不可能だろう。ならば、彼女と共に生き延びられるチャンスを探すべきだ。と、注意深く辺りを見回した。

 そのおかげで彼は、これから起こる事の一部始終を見る事になる。

 春人がこちらを向いた。一瞬表情が強張ったが、すぐにあの怪物が見ているのが衛治ではなく、その手前の団体であると気付いた。隣の席に座っていた四人、衛治が妙な違和感を感じていた者達だ。彼らは逃げるどころか、春人に向かっていっている。
「僕らおびき出す為だけに、こんな腐った事やったのかね?アイツ」
「だろうな…不愉快だ!行くぞ、ソウマ!」
「おう!」
 全身から黒い霧のような物を放出し、ソウマと呼ばれた男の姿が変わる。腕は漆黒の翼、脚は長剣を握り、頭は鳥を模した仮面、胴は中身の無い鎧。それらを鉄の骨格が繋ぎ、金属で出来た大きな鴉のような姿になった。
 もう一人の男も顔に紋様が浮かび、額から結晶のような角が額から二本生えていた。人より大きい鳥に比べればインパクトは少ないものの、十分に異様な変化だ。
「ほほう、なるほどこの鬼の相方は鳥ですか」
 春人は平然としたままだったが、彼の前に並ぶ蜥蜴は口を開き威嚇を繰り返している。
「このまま一気に終わらせる!」
『鎧殻招!!』
 再び黒い霧が、今度は二人共を覆う。すぐに霧は晴れたがその場に立っていた人影は一つだけ。
 全身が黒い金属に覆われ、翼の生えた鎧武者。全体的な見た目はソウマが変身した怪鳥に似ていた。二人が合体でもしたのだろうか。
 鎧武者は両手に持った二本の大剣を構えて蜥蜴の群れに飛び込み、草を刈るようにあっさりとそれらを切り裂いていった。胴から両断された蜥蜴の体が黄色い体液を撒き散らしながら宙を舞う。

 二度目の非現実的な光景だったが、衛冶は少し安堵した。彼らが何者かは知らないが、どうやらあの春人と名乗った怪物と敵対する存在のようだ。どういう存在で、勝機があるのかは解らないが、これで生き延びる時間が増えた。生き続ける限り希望は残る。
「私達も行くわよ、多恵」
 残った二人の女性達。さっきから彼らと似たようなものを感じていたので、おそらく同じような鎧武者になれるのだろう。そしてそれが彼らと同等の強さなら、これ以上の被害も無く怪物達は倒されるかもしれない。
「ああ、ごめんねツバサ。私ちょっと無理」
 しかし、どうも様子がおかしい。真剣なツバサに対し多恵はニヤニヤしながら答えていた。
「……こんな状況で何を言っているの?」
「だって私……」

 多恵の歪んだ笑顔が溶けはじめる。

「もう、アンタの相棒じゃあないからさぁっ!」
 赤い光がツバサをにらみ付け、反射的に後に飛び退いたツバサに羽毛の生えた腕を叩き込んだ。二人はそのまま数メートルほど横に飛ぶ。寸前、ツバサも腕を巨大な翼に変化させ受け止めたようだが、壁際に押し付けられていた。
「多恵…あなたが裏切り者だったの?」
「ステージを変えましょう…私達が戦うに相応しい場所に!」
 多恵が非常ドアを無理矢理開く。気圧差で二人は外に放り出された。
「行ってらっしゃ〜い…って、うわっ!」
 暢気に手を振る春人に、一つ目蜥蜴の生首が当たる。それの飛んできた方向に視線を移すと、ばらばらに切断された蜥蜴の体と体液に塗れ黄色くなった鎧武者が見えた。
「お〜やるねぇ…さっき出したのをもう全滅させるなんて」
「次はお前だ!」
 オーバーに拍手をする春人に、鎧武者は剣先を向けて駆けた。
「いや、貴様らの次の相手は俺だ」
 横から三人目の頭蓋骨が飛び出し、鎧武者の突進を右足で止める。
それは春人や多恵よりも一回り大きく、全身から金属のような管ががいくつも生えていた。
「チッ、まだ居たのかよ!」
『わらわら出て来る…君らさあ、ゴキブリの親戚か何か?』
「……我々も外でやるとしよう」
 足の裏から閃光。轟音と共に鎧武者は壁に叩きつけられ、衝撃で開いた大穴から機外に飛び出した。

 その際、右手から離れた剣の一本が春人の目の前に刺さった。おそらく偶然だったのだろうが、衛冶には頭蓋骨達の凶行を少しでも妨害しようとする鎧武者の意地に思えた。数秒ほどの沈黙の後、春人は思い出したようにマイクを構えて刺さった剣を避けながら前に進んだ。
「え〜〜〜では、邪魔者が消えた所で…捕食行為を再開しようと思います! ハイ、皆さん悲鳴〜」
 再び、怪物の胸から単眼の蜥蜴が多量に出現する。機内は彼の望む叫び声で包まれた。

( 2006年09月12日 (火) 00時38分 )

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