[166]Masker's ABC file.06-1 - 投稿者:壱伏 充
元来、卯月 舞はファッションにこれといった拘りもなく、化粧も依頼人の失礼にならない程度にたしなむくらいだ。 必要最低限の荷物に全財産をまとめて身軽に各地を渡り歩き、適当な屋根を見つけては野宿、という生活が長い。 それゆえに。 「ふぅ」 朝日の差し込むマンスリーマンションの一室にカバンを置けば、引越し完了だ。 今までは世界各地に散っていたバイオメアが、少しずつではあるが明確に、何かに引き寄せられるかのように日本へと集まっている。 その原因を調べるために、舞は日本へと来た。 「みんなからの連絡はまだ、か……」 舞は寝転がり、カバンを開いた。最初に取り出したケースは外部からのあらゆる情報を遮断する特製ケース。バイオメアの核となった“珠”を収めてある。 その下から携帯電話を持ち上げると、顔の前に垂れ下がるストラップに息を吹きかけた。 真鍮で出来た楕円の枠に固定された小さな風車がカラカラと回る。 ――バイオメアと戦っているのは舞一人ではない。同じ目的の元、誰も割って入ることの出来ない絆を結んだ仲間たちがいる。 このストラップはその証だ。 みんな気のいい大人たちで、最年少の舞を可愛がってくれる。それが嬉しくもあり、煩わしくもあった。 「……ちょうどいいやっ」 舞は跳ね起きて不敵に笑った。 この国へ来て早々二体のバイオメアを倒した――それ以前にも実戦の経験を積んできた自分だ。 本来なら原因調査は他の仲間が合流してからの予定だったが、皆が忙しいなら自分が一人でやるしかあるまい。そして自分にはその力がある。 すでにフリーの仮面ライダーとしてホームページも開設し、他にも副収入と情報収集の準備は進んでいる。 手柄の一つも立てて、皆をびっくりさせてやろう。 「よぅし、やったるぞ……っと?」 そこへ、はやる心に水差すように携帯電話が着信を知らせた。 「……また?」 仲間か。雇い主の“社長”か。 ディスプレイに目をやって、そのどちらとも違う番号であることを確かめ、舞は顔をしかめた。
「うわ、着信拒否りやがった」 渡良瀬悟朗は舌打ちして受話器を置いた。 舞が言ったバイオメアという単語。それを知る者は限られている。 そして渡良瀬の知る限り、それを知っている理由は一つしかない。 何らかの形で卯月 舞は“西尾和己”に関わった。そうとしか考えられない。 確かめるために舞に何度も電話をかけたのだが、期待した答が得られないまま着信拒否と相成ったわけだ。 事務所のデスクに頬杖を着いて、渡良瀬はしかしめげた様子もなくハンガーからトレンチコートとボルサリーノを取った。 「まぁ答えたくないならしょうがねェやな。 探偵の流儀で攻めるとすっか」
file.06“ライダーのお仕事”
空手三段。女だてらに腕っ節には自信がある。都内の某出版社に勤める伊東美奈はその日の朝、不逞の輩――女性専用車両に女装して乗り込んできた痴漢を駅員に突き出して、そそくさとその場を後にした。 何やかやで、出社時間が迫っている。 「あーもーヤバイヤバイ!」 まったく、あんな女の敵さえいなければ。痴漢男に心中で捕まえた時以上の罵声を浴びせながら、美奈は周囲を見回した。 知り合いがいない事を確かめて、路地裏へと滑り込む。半年ほど前に見つけた秘密の近道だ。 遅刻しそうな時は非常に役立ち、これまでに月3回のペースで利用している。 今日は正当な理由があるとは言え、上司が前時代的な男尊女卑主義者であるために、とりわけ美奈は睨まれやすいのだ。衝突回数は少ないに越したことはない。 「このペースならギリギリかな……?」 地図に載っていない道ゆえに、悠々と駆け抜けることが出来る。と、美奈の視界の端で何かが光った。 「?」 ドラム缶の上にビー玉が乗っている。前に来た時はそんなものはなかったような気がした。 (そりゃたまに段ボールとか鉄パイプとかあるもん。誰か他の人も通るでしょ) ドラム缶の脇を通り過ぎながら、それでも自分以外の人間がこの道を知っていたことに軽く落胆を覚える。 しかし自分に危害を加える存在がいる可能性を、美奈は考えない。 アフター5ならともかく、オフィス街の、それも通勤時間だ。 (ま、何かあっても私の空手で) 楽観的な事を考えては知る美奈。その背後でドサリという音とともに気配が生まれた 「!?」 美奈は立ち止まり、振り返る。 即応外甲(ライダー)でも落ちてきたのか、と最初は思った。 即応外甲が通勤の際に建物の上をショートカットしようとして墜落、打ち所が悪くて中の人間が重傷を負う事件は後を断たない。 しかしそこに“いた”のは――即応外甲ではなかった。 「……何……?」 美奈は呆然と呟く。 暴漢、ではない。そうした属性以前に、生物なのか否かという次元で正体不明だ。 現れたのは、漠然とわだかまる黒い靄。得体の知れなさが強すぎて、現実感や恐怖がすぐには湧いて来ない。 「……毛玉?」 ようやくたどり着いた結論は実状からそれでも程遠かったが、とりあえず口に出してみる。 やがて靄は身じろぎして、その表面に光の瞬きを散らし始めた。 輪郭が徐々に明らかになっていく。虚空から染み出すように、少しずつ。 ――はっきりしたことが一つだけあった。これは人知を超えた“何か”だ。 「……っき――!」 美奈が悲鳴を発するより早く、靄は黒いスライムとなって彼女の口を覆い尽くした。
記憶、常識、知性、経験、人格。 倒れ伏す女からそうした“情報”を喰い尽くし、“スライム”は自重を支える骨格をイメージして、自らの体を変質させた。 女の心に浮かんだ情景と大空を飛び交う電波を元に、作り上げた外観の己の体に定着させる。 女が仕事で関わっている黒い全身鎧を纏った騎士キャラクターを若干歪んだ形で再現すると、それは自分のディテールを確かめて満足そうに体を揺らした。 《アァ……》 元スライムの“黒き騎士”は小さく声を漏らした。 空の蒼。太陽の赤。路地裏の影。花。廃人と化した女。自らを固定したことで、そうした諸々をより鋭敏に感じ取ることが出来る。歓びに、打ち震える。 騎士は独自の本能とロジックに基づき、自らを名付けるべく自身に内在する情報の海から文字列を拾い上げようとして――刹那、響いた鋭い音に思索を中断した。 《!》 その場から飛び退こうとする騎士に、一瞬速く絡みついたのは長い鞭だった。 細かな刃を連ねた鞭が、鎧と擦れ合い甲高い音を立てた。 (嫌な情報だ!) 不快感を覚えるが、鞭は強く騎士を縛り付けるため、身動きが取れない。 騎士は唯一自由になる首を鞭の伸びる方向、上へと振った。 《何奴!》 鞭の先、背の低いビルの屋上に立っていたのは、自分とは対照的に白い鎧を身に着けた細身の女だった。 女は露になった口を開き、騎士の問いには応じずに、だが更なる歓喜を呼び起こす言葉を紡いだ。 「お前の名は、ナディスだ」 《!》 名を与えられ、呼ばれる。鎧騎士――ナディスはその事実に身を強張らせた。 己の内から力と、女への思慕が湧き上がる。衝動のままナディスは、今度は敬意を込めて問いかけた。 《あ、あなたは……?》 「私はカオル。あなたの誕生を言祝ぐ者。そしてあなたに役割を与える者」 女、カオルは淡々と答え、鞭を解いて手元に戻した。 戒めを解かれたナディスは震える拳を地面に当てて、膝をつき首を垂れた。低く紡ぐのは忠誠の誓いだ。 《委細承知。カオル様、このナディスに何なりとご命令を》 ナディスはバイオメア――情報の海より来る者。 故に、自らを定義づけてくれたカオルは、母にも神にも等しき存在となったのだ。 「ついてきて」 《ハッ》 カオルが踵を返す。ナディスは頷き、軽やかにビルの上まで跳び上がった。
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2006年08月25日 (金) 14時30分 )
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