[158]Masker's ABC file.05-1 - 投稿者:壱伏 充
闇に打ち捨てられた、小さなビー玉ひとつ。 そこは、願いの堕ちる果て。棄てられたものたちが身を寄せ合い最期を待つ場所。 やがて、生まれ落ち立ち上がる影ひとつ。 それは、ただ識ることのみを欲する、時代が生んだ悪夢。
「本っ当に誰もいないのよね?」 舗装された坂道を歩く男女が一組。女の問いに、男は自信を持って答えた。 「ああ。人通りも少ないし、周囲から見られることもない。地元の奴に聞いたから確かだよ」 「そりゃ来ないわよ。不便だもん……あーもー疲れたー! 何なのよこれー! 車とかライダーとか持ってきなさいよー!」 もう頂上も近いというのに、女は不平を漏らす。男は首を振った。 「だから車は小島の奴がぶつけて……ライダーは持ってないし。 大体お前だろ、『解放的な気分で二人きり、一晩過ごしたいー♪』なんて言ったの」 「こんな山だなんて思わなかったもん。第一なんで山なんて登るのよ、どうせ降りるのに」 女の不平はあらぬところまで飛び火しそうだ。男はため息をついた。 「だったらヒールなんて履かなきゃいいだろ。ってかそんな大した標高でもないぞ。お前の着替えだって俺が持ってるんだからな」 「何よ、だから文句ひとつ言うなっての?」 「あのなぁ」 だんだん空気が悪くなってくる。男は振り返り、びしっと指を突きつけた。 「そこまで言うんならお前もう……」 否、突きつけようとしたその時。女はそこにいなかった。 「……あれ? ど、どこ行った?」 男は間の抜けた声を出す。帰ったにせよ隠れたにせよ、男の視界から完全に消えてしまうような時間はなかったはずだ。 なら――彼女はどこだ? 右にいない。左にいない。下にいない。後ろにもいない。 そして、そんなわけはないと知りつつ見上げた頭上から。
女は、悲鳴も上げず降ってきた。
地面に激突し、頭蓋が砕け、飛び散った脳漿が男のズボンに跳ねる。 どさりと倒れ仰向けになり、顔の上半分をなくした女と目が合った。 一拍送れて男は息を吸い込んだ。 「ひっ――――」 悲鳴すらも凍りつく。悲しみより恐怖より、まず頭を占めたのは保身だった。 俺と彼女がここに来たのを知っている奴は何人いる? 腰を抜かし、それ以外の思考が全て空回りする。失禁した男の目の前に、滑り込んだ影があった。 男はそれを見上げ、調子の外れた声を上げた。 「や、やあ……何だい、着替えてたのか?」 そこにあったのは、無事なままの彼女の顔。 男は決して視線を下げなかった。そう、これは彼女だ。 首から下が毛むくじゃらだったり、蝙蝠に似た翼が生えていたり、手から鉤爪が伸びてカチカチと鳴っていたり、そんなものは気のせいだ。 見なければ、きっとなかったことになる。 そう、頑なに信じて。
「――ちっ」 少女は苦々しげに舌打ちをした。目の前には派手にぶちまけられた血と、男女の死体。 間に合わなかった。兆した悔恨から頭を切り替えて、少女はジャケットから二枚の符を取り出した。 「許せよな。こうするしかない」 そのうち一枚を死体の上に乗せると、符は死体とともに燃え上がる。 そしてもう一枚を指から離すと、符は風に逆らって山頂へと飛んでいく。 「人を襲ったとなると、慎重にいくしかないか」 少女は自らも坂道を登り始めた。 死体は、煙も出さずに燃え尽き――やがて全ての痕跡を失った。
湖凪町の中心には、町の名の由来となった湖、常凪湖がある。 地下水路で太平洋と繋がっている海水湖であるためか獲れる魚の種類も豊富で、休日ともなれば釣り客で賑わったりもする。 しかし平日の夕刻ではそういうこともなく――ただ水面に夕日を写し、静かに凪いでいるだけだ。 「だけど、本当よくできてるよな、これ」 その湖に沿って帰路につく、やややんちゃ坊主の面影を残した高校生、保積 真はクラスメイトが作った工作品を手に取りしげしげと見回した。 「てゆか、美術の課題になんでエンジン積んでるのさ……石動?」 「いいでしょそんなこと。別にそういうパーツ組み込んじゃいけないって言われてないし」 石動千鶴は視線を湖に向けて、少し動揺しつつ答えた。 美術の課題に対し千鶴が提出したのは、木造の飛行機模型だ。だが自作のエンジンを組み込んで飛行可能にした理由は誰にも明かしていない。 渡良瀬悟朗あたりなら勘付きそうだが。 「やっぱモーターショップの看板娘は一味違うなぁ」 ズルを責めるような真の言葉に、千鶴は眉をひそめた。 「お店の商品は使ってないよ。使えなくなった物理の実験器具、李家先生に譲ってもらうのにどれだけ苦労したと思って……」 「いやそうじゃなくって。そこからエンジン作っちゃう石動のウデが、次元違うなって……あ」 弁解する真が飛行機を手中で弄ぶ――と、スイッチが入った。 「お、お、あ?」 エンジンがうなりだし、プロペラが回り、お手玉する真の手の中から飛行機が飛び立っていく。 千鶴はあわてて追いかけた。 「あー! もう、何してるの保積くん!」 「ごご、ごめん!」 真も駆け出す。 飛行機は安定して飛行し、湖を見下ろす小山の頂へと向かっていった。
山道を登った二人がたどり着いたのは、湖凪山総合病院跡地だった。 地域に根ざした総合病院、を標榜したはいいが、年寄りには辛い立地条件と最新設備の無計画な導入が祟り、取り壊し費用すら出ない大赤字の末に経営破綻している。 「ここまでは飛んできたよな……中庭に落ちたかな?」 「林に引っかからなかったのはラッキーだったけど」 二人は、雑草も伸び放題の病院跡に踏み込んでいた。 意識しないうちに、互いに声を潜める。よからぬ輩が住み着いていたら、全力で逃げられるよう心構えも完璧だ。 しかし、中庭に飛行機の落ちた形跡はなかった。 「……飛び越したかな?」 真の推測に、千鶴は首を横に振る。 「ううん、そこまで高度は出てなかった。窓から中に入っちゃったのかも」 「……申し訳ございません」 真は深々と頭を下げ、先行しつつ千鶴を引き離さない速度で病院の玄関だったところへ足を踏み出す。 そして――不意にその足が止まった。 「保積くん?」 急に立ち止まった真の背にぶつかり、千鶴は顔を上げた。 「…………」 真は呆然と、目を丸くして病院内の何かを見ている。 「……?」 千鶴もその視線の先をたどり、息を呑んだ。
最初は裸でうろつく変質者かと思った。 だがそこに佇むシルエットは、どこか大事なものが欠けている。 ゆっくりと“それ”は二人がいる方向に振り向く。 ――いや、背を向けたのかもしれない。 どちらが正解かを窺い知ることは難しかった。 暗がりの中でよく見えなかった上に、人体の前後をもっとも明確に表すパーツがなかったからだ。 顔を、乗せているはずの、首から上が。 『――?!!?!?!??!?!?!!』 声にならない悲鳴を上げて、二人は一目散にその場から逃げ出した。
file.04 “廃病院の首無し男”
「ね、杁中。これからヒマ? ヒマよね、付き合いなさい」 原に引っ張られた杁中は、断ることもできないまま居酒屋に連れてこられた。 数日前――自分の勝手な頼みのせいで、ともにお目玉食わせてしまった上、ピンチの時に駆けつけることもできなかった負い目がある。特に原は、東堂隊長立会いの元、特装機動隊に関するデータを全消去させられたのだ。 飲みにくらい付き合うのは道理だろう。 「……んで、いつまで粘るんだ」 しかし、原が一滴もアルコールを口にしないままとなると、話は別だ。杁中の記憶だと、原は下戸ではない。 杁中が訝っていると、原はウーロン茶入りのコップを傾けて答えた。 「私のリサーチが正しければ、恐妻家のあの人が家に帰る前に一杯引っ掛けられる日は、今日だけなのよ」 「誰が」 「しっ、来た」 問おうとした杁中を制し、原がちらりと入り口に目をやる。入ってきたのは50歳前後と思しき背広姿の男性だ――見覚えがあった。 「おい、まさか前……」 「いい? 偶然を装って近づくから、口裏合わせてよ」 入ってきた男は所轄からの叩き上げで、特装機動隊にも関わっていたことのある捜査一課の刑事だ。 何かとボーダーレスな遊撃機動隊を疎んじる刑事も少なくないが、彼はむしろ親身になって相談にも乗ってくれる。杁中はほとんど話したことはなかったが。 そこまで思い出し、杁中は顔を引きつらせた。 「おい原。どうする気だお前……」 「いーからいーから。……あ、警部ー!」 原は杁中が嫌な顔をするのにも構わず、刑事に向かって手を振った。
今日も今日とて夕飯をご馳走になり、渡良瀬悟朗はモーターショップ石動のラックから雑誌を一冊拝借した。 即応外甲専門誌の“月刊Maskers'”最新号だ。 ここのところの即応外甲事情や読者コーナー、中古品情報に軽く目を通しグラビアページに差し掛かったあたりで――渡良瀬は自分を見つめる千鶴の視線に気づいて雑誌を閉じた。 「どうした千鶴ちゃん?」 「あ、いえ、その」 歯切れ悪く答えて千鶴は目をそらした。 今日はどこか様子が変だ。帰ってきてからというもの、顔は青ざめ、どこか落ち着きがない。いつもどおり積極的に店の手伝いはこなしたし、酷い外傷を負った様子もない。 渡良瀬は小さく息を吐き、再び雑誌のページをめくった。 「あーあヒマだ。全然依頼人来ねーもんなァ。このままじゃ腕がサビついちまうぜ。 どこかに事件は落ちてねーかな、っと」 「あの渡良瀬さん、それなら」 わざとらしく渡良瀬が言うと、千鶴が顔を上げる。 渡良瀬は片目をつむり、拝聴の姿勢に入った。
「廃病院の首無し男、ね。何だか“大平原の小さな家”みたいな語感だな」 話を聞き終えた渡良瀬はポツリと呟いた。千鶴は話し終えて落ち着きを取り戻したのか、頬を膨らませる。 「笑い事じゃないんです。本当に見たんだから……」 「ま、千鶴ちゃんが俺を担ぐわきゃねェもんな。で、どうする?」 渡良瀬が問うと、千鶴は心得た様子で頷いた。 「渡良瀬探偵に依頼します。私と一緒にあの病院へ行って、飛行機を回収してください」 「その依頼、確かに承った」 渡良瀬がウィンクして答える傍らで、ふと相模 徹が口を開いた。 「そんなに大事なものなのかい?」 千鶴は一瞬キョトンとして、やがて照れながら答えた。 「ええ。ちょっと……ある人の真似をしてみたんですけど」
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2006年07月06日 (木) 20時20分 )
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