[144]銀ノ鴉 第1話『絶望より生まれし者』前編 - 投稿者:オックス
男の前にあるのは、 ひび割れた道路と、建物だった瓦礫と、人間だった血の海。
抱きかかえた愛する者。胸から下が千切られた彼女は、既に事切れている。父や母、記憶にある知人のほとんどが、同じように死を迎えている事だろう。
男の何もかもを、人喰いの怪物達が奪っていった。
男は目を見開く。この光景を焼き付ける為に。
「うおおおおォォォオオオオオッ!!」
男は咆哮する。絶望も悲しみも、
すべてを憎悪に変える為に。
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氷雨翼は、人喰いの怪物『ガシャドクロ』を倒す組織『ダイテング』の特殊戦闘員である。彼女は今日も、人類の未来の為に戦い続けるのだ!
……半日前までは、そんなノリだった。
翼は、今もの酷く疲れていた。肉体的にも精神的にも。この半日の間、色々な事があり過ぎたのだ。
人が変異し、人に擬態し、人に紛れ、人を喰らうガシャドクロ。ソレが小春斗市に数日前から十体以上出現しているとの報告があり、対応する為に各地に散っていたダイテングの戦闘員が集結、最小の被害で確実に殲滅する為に作戦を立てていたのだが…
作戦会議の途中で裏切り者が出た。それも複数。彼らは「ガシャドクロこそが新たな人類の形だ!」とか電波な主張をして、文句を言った戦闘員の小隊長達を即座に殺害した。 さらにガシャドクロ達と彼らの召喚する使い魔『下僕獣』の群れを呼び込み、頭を欠き統率の取れてない戦闘員達を一方的に殺していった。翼も当然その騒動に巻き込まれたのだが、なんとか生き延びることが出来た。
それは、襲い掛かってきた相手が何年も組んできた相棒だったからだ。
どうやら相棒だった女は力を欲したあまりに、方法は不明だがガシャドクロになったらしい。そしてこの騒動に乗じて、相棒として常に一緒に行動しながらも、密かに殺意を持っていた翼を殺そうとしてきた。 恨まれていたという自覚が無かった分衝撃は大きかったが、手の内を知り尽くした相手だったが故に逃げ切る事が出来たのは幸運だった。 ……そしてその幸運は他の者には訪れず、結局、集結していたダイテングは壊滅し、守護者の消えた小春斗市は地獄と化した。
翼はもう6時間くらいこの地獄を彷徨っただろうか。ガシャドクロやその下僕獣の気配を感じる度に、上手く身を隠してやり過ごした。そんなこんなで運良く生き延び続けてるのは良いが、いい加減に疲れてきた。
ガシャドクロの戦闘員としては、何とかこの街を脱出し、上層部に状況を報告しなければならない。しかし、自分のような者が事の顛末を報告した所で、状況は何か変わるだろうか?
相棒がいつ怪物化したのかは知らない。だが今回の騒動が計画的なものだったとしたら、何かしら怪しい行動をしている事に気付けたはずだ。 もし自分がそれに気付き、そこから上手く話を聞き出せれば、自分たちは壊滅せず、小春斗市もこんな状態にはならなかったのではないか? もちろん、その考えは『もしも』に過ぎない。しかしそれは翼の心に重くのしかかっていた。敵を簡単に見逃す程度の能力しかない自分では、重要な点も見落としてるだろうからダイテングの役に立つまい。
いっそこのまま死のうかとも考えたが、怪物に喰われて死ぬ気にはなれないし、自害する気にもなれなかった。何もかもがどうでもよくなりながらも、翼はとりあえずこの地獄からは脱出しようと歩き続けていた。
住宅街だったらしき場所に来た時、ふと血塗れで倒れている男が目に入った。
ここに来るまでに死体はいくつか見たが、五体満足なものは初めてだったので、ガシャドクロの気配は周囲に無いが、何かの罠ではないかと多少警戒しながら近付く。
……次の瞬間、翼は驚愕し目を見開いた。 かすかだが、男は呼吸をしているのが解ったのだ。 6時間、この地獄で生きた人間にあっていなかった孤独感がそうさせたのだろうか、翼は何も考えずに男に駆け寄った。
とりあえず男の状態を確認する。呼吸は弱々しくだがしていたし脈はあった。血塗れになっているが目立った外傷は無かった。この血は横に倒れている上半身だけの女の死体のものだろうか。 「大丈夫?生きてる?自分の名前は言える?」 「エ…イジ……」 「エイジ……ね」 喋られる程度に意識は残っているようだ。
このエイジという男も、運良く生き延びたのだろうか?自分のように幸運にも死神から逃れられた者を見ながら、一つの考えが浮かんだ。 それは、「他にも生存者がいるのか」でもなく「もしかしたらガシャドクロを退ける方法があるのだろうか」でもなく、
──もしこの男を助けられたなら、私はまだダイテングの戦闘員としてやっていけるのではないだろうか?
目測だが、エイジは身長は190cm以上はある。彼が細身である事を考えても体重は80kg近くあるだろう。今までのように、気配を察知したら身を隠し息を潜めてやり過ごす、というのは困難になる。 そんな状況で、今まで以上に上手く隠れるか、知恵を絞って敵を撃退するか。どんな手段であれエイジと共にこの街から脱出出来たのならば、それは己の能力の高さの証明になる。
──もしこの男を助けられたなら、私は何があろうとダイテングの戦闘員として生き続ける事を誓おう。
その仮にも正義の味方にあるまじき身勝手ともいえる発想は、枯れ果てていた翼の心に希望を与えた。
「エイジ君だっけ? 悪いわね、アンタの命で私の今後を占わせてもらうわよ……」
翼は自分の1.2倍以上あるエイジを器用に背負い歩き始める。 その歩みは、重いエイジを背負っているにもかかわらず、今までよりも軽快だった。
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2006年05月25日 (木) 00時14分 )
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