[129]Masker's ABC file.02-1 - 投稿者:壱伏 充
深い、闇の中。日の光も差し込まない無人の空間。 しかし、視覚による認識を拒む分だけ、その場所が他の語感に訴えかける強度は暴力的ですらあった。 耳を聾する轟音。鼻を突く異臭。肌をざわつかせる空気の流れ。誰も舌を伸ばそうとは思わないであろう、その空間が持つ意味。 東京都の某所を流れる、そこは下水道の一画。 その中で、ひときわ異臭を放つ存在が横たわっていた。 緑の泡に包まれた、全裸の男性の死体。その腰に巻かれたベルトが時折火花を上げて、小さな光を生む。 光に照らし出されたのは、下水道を塒にする小動物や流れる汚水。 そして浄化装置に覆い被さるように鎮座した、一抱えほどもある何かのタマゴが一つ。
Masker’s ABC file.02 “飛べ!空中大決戦”
「KEEP OUT」のテープで仕切られた現場に足を踏み入れると、所轄の警官が敬礼をしてきた。 神谷典子は部下の杁中を連れて「ご苦労様」と声をかけ、所轄の刑事の下へ歩み寄った。 「遊撃機動隊第一班、神谷です。遺体は?」 典子の問いに刑事が頭を下げ、答えた。 「ああ、ご苦労さんです。ホトケさんなら今しがた解剖に。 えーと、身許は分かってます。富岡拓郎、35歳。水道局の職員。ここいらの浄水装置の様子が変だってんで住民から連絡受けて下水道に入ったのが10時5分。 20分経っても連絡がないんで、上で待ってた同僚が下ってったら、富岡が死んでいたそうです。で、奇っ怪なのがこの状況でしてねぇ……」 刑事はしばしもったいぶるように言葉を切り、おどろおどろしく言葉を継いだ。 「ホトケさん、“ライダー”溶かされて死んでたんですよ。あ、聞いてました?」
21世紀も4分の1を過ぎた現在の社会を語るならば、“仮面ライダー”の存在を避けて通る事は出来ない。 正式カテゴリ名・即時対応型外部装甲システム、略して即応外甲。普段は携帯ゲーム機大の機械として持ち歩けるが、腰部にセットしてスイッチを入れることで内部の記憶媒体“スフィアミル”にデータ化保存されていた質量が再生され、装甲強化スーツとして所有者の全身に装着されるのだ。 第一人者であるセプテム・グローイング社の商標からそれらは一般に“仮面ライダー”、あるいは“ライダー”と呼ばれるようになった。 人の繊細な指先に銃器のパワーを上乗せできる即応外甲は、瞬く間に世界中に普及し、関連して起きた各方面での技術革新の波、通称“ライダーショック”とともに人々の暮らしを豊かにしてきた。 しかし一方で、こうした技術の悪用により犯罪もまた過激化するのが世の常である。警視庁はこうした即物的ハイテク犯罪に対応すべく即応外甲を運用する警備部、刑事部との横断部署を設立した。 それが、神谷典子が所属する遊撃機動隊である。
「ふーん、じゃ警察犬はつかえない、と」 警視庁、遊撃機動隊隊長室。東堂 勇警視はディスプレイ上でメールに添付されたファイルをスクロールしつつ、電話の向こうの部下に問うた。 『ええ。下水道を流れて逃亡したと推測されますので』 「分かった。ガンドッグ使っちゃって。あとよろしく」 『了解』 使用許可さえ下せば、後は典子の判断に任せて大丈夫だろう。東堂はファイルの写真に視線を移し、口の中で呟いた。 「しかし謎の怪生物現る、ね。こんなんだからウチは、すぐやる課とか地球防衛軍とか陰で言われちゃうのかねえ」
「ガンドッグの使用許可が下りたわ」 典子は遊機専用のパトカーIDA-7・1号車から部下たちに指示を出した。 「赤池君は被害者のスカラベバックルを解析に回して。杁中と私、原と植田、平針と川名の3チームで下流を洗う。相手は正体不明の、恐らくはバイオクリーチャー。油断しないで」 『了解!』 通信機からは小気味の良い返事。典子はマイクを置いて、IDA-7を発進させた。
持ち込まれたバイクを静かに見下ろし、石動信介は結論を出した。 「こりゃ、修理は無理だな」 「やっぱり……ですか」 客の青年が露骨に落胆する。石動は「いいか」と屈みこみ、むき出しになったフレームを指差した。 「この辺、何かが溶けて固まってるだろう? バッテリーの奥はもちろん、全部のパーツにこびり付いている。その時の影響で、こことここが著しく歪んじまってるせいでな……」 「ということは、買い替えなきゃダメってことですよね、おやっさん。こいつを……スクラップにして」 「だな」 「ああ……俺のバイク……」 石動の宣告に青年は眩暈を覚えたのか、店内の柱にもたれ込む。 渡良瀬悟朗がモーターショップ石動に顔を出したのは、ちょうどそんな時だった。 「何だい、どうしたいこの愁嘆場は」 状況が読めず、首を傾げて渡良瀬は見せに入ってきた。石動は顔をしかめる。 「何してる貧乏探偵。昼飯は食ったばかりだろうが」 「いや、客来なくってさ。あんまりヒマだからポスター作ってそこらの電信柱に貼ってやろうかと」 「……探偵3年目で初めて達する結論じゃないだろう、それ」 石動は呆れてため息をついた。どうにもこの店子には、商売への意欲が欠けている。 ――と、打ちひしがれていた青年がピクリと会話中の単語に反応した。 「探偵? 探偵なんていたんですか?」 どうやらモーターショップ石動の常連客のクセに、二階に探偵事務所があることに気付いていなかったらしい。 「ああそうだ。渡良瀬っていう金を入れない店子だ」 「どうも、渡良瀬探偵社代表の渡良瀬です。……って、これ君のバイク? おしゃれだねェスケルトンちっくで。今、こんなの流行ってんの?」 「ンなわけないでしょうがァッ!」 渡良瀬の能天気な一言に青年がキレて詰め寄った。 「外装取られたんですよ。蕎麦屋で昼飯食ってる間に! しかもフレームの中に何か詰まらされて!」 「あ、そういう事情だったの。ゴメンゴメン、ってか顔近づけてないで警察行ったら?」 青年の迫力に圧倒された渡良瀬の言葉に、青年の動きが止まる。そして、呟いた。 「……いえ、警察じゃ生温いです」 「へ?」 青年は渡良瀬から顔を話し、あらぬ方向を向いて力説した。 「機械だって生きてるんです! 誰かの役に立つために生まれて、精一杯性能を発揮しながら生きてるんです! それをこんな風に……器物破損? 冗談じゃない! 俺が絶対捕まえて、償わせてやる!」 「は、はあ」 気圧される渡良瀬とは対照的に、石動がそこで至極冷静に指摘した。 「ところで鷲児。お前、仕事はいいのか? 昼休みもう終わるぞ」 「あ、いけね! えーと……バイク、今預かっててもらえますか?」 「ああ。後で取りに来い」 「そんじゃ、失礼しましたおやっさん!」 鷲児と呼ばれた青年が慌てて駆け出していく。渡良瀬はそれを見送って肩をすくめた。 「……犯人挙げたら火にくべそうな勢いだな」 「そう思うなら手伝ってやってくれ」 外装のないバイクを奥へ運び、石動が言う。渡良瀬は軽く驚いた。 「おやま、珍しく他人に甘いじゃないの、おやっさん」 「お前とは入れ替わりだったが、な。あいつは俺の弟子みたいなもんだ」 石動はそう言って、どこか懐かしむような表情を浮かべた。 「料金はおやっさん持ちで」 すぐにその表情は引っ込んだ。
相手が“何”なのかすら分からない、雲を掴むような状態である。典子は車を徐行させつつ周囲に目を光らせていた。 もちろん彼女だけが警戒をしているわけではない。後部座席では部下の杁中が変身した即応外甲が、センサーを働かせている。 ジャーマンシェパードをモチーフにした三友重工製汎用型即応外甲“ガンドッグ”だ。 現場で検出された物質のデータを記憶し、僚機とデータリンクさせつつ犯人の足跡を追うことが出来る設計になっている。 「班長」 「見つかった?」 ガンドッグ杁中の声に典子が問う。ガンドッグ杁中は首を振った。 「いえ。この構図何とかなりませんかね。やたら恥ずいんですが」 覆面パトカーの後部座席に座る即応外甲。確かに格好のつかない状況ではある。 「我慢して。IDAにはそのセンサー乗せられなかったのよ。市民の安全のためだと思って」 「いやもう、せめて俺外歩きますよ。外歩いて探しますから」 「ダメよ。犯人がどこで見ているか分からないわ。正体も出方も掴んでないんだから」 「卵から生まれた生き物の目より、こっち指差して笑うガキの目の方が万倍痛いんスけど。殴ってきていいっすか?」 「やめてお願い。それに、怪生物を操っている存在だっている可能性があるわ」 実りのない会話を交わしつつ、典子はカーナビゲーションシステムに従ってハンドルを切る。 副班長の赤池には、被害者が着用していたスカラベバックルの解析の手配と上流側の調査指揮を任せてある。 こうしている間にもどこかで被害が出ているかもしれない。そんな危機感が典子の心を焦がす。 「はーんちょー」 しかし杁中の声は緊張感がなかった。典子は温度を下げて訊き返す。 「今度は何?」 「1時方向500m。例の反応です」 「……それを早く言いなさい! 全車に連絡、富井市東垂水3丁目に反応アリ。速やかに急行!」 典子は部下たちに指示を出しつつ、IDA-7を急ターンさせた。
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2006年04月18日 (火) 22時20分 )
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