未来航路掲示板

2006年4月、掲示板をリニューアルしました。 よろしくお願いします。

ホームページへ戻る

名 前
メールアドレス
ホームページ
件 名
本 文
文 字 色
削除キー クッキー アイコン


はじめまして
やっち 2008年02月24日 (日) 20時56分 No.153 home

icon やっちと申します。昨年北海道の十勝で菜種栽培への取り組みをはじめました。
国内の消費と生産量を調べていたらこのサイトに当たり、消費量の割に自給率があまりにも乏しいことにびっくりさせられました。
我が家では15haの馬鈴薯を生産しているのですが、もし菜種の輸入が無くなると馬鈴薯の10倍以上の面積を作らないと国内自給に足りないみたいです。(馬鈴薯は自給率は80パーセント以上)
とくにほぼ一国に輸入を頼っており、他国は輸出割合が少ないことからいつ無くなるか分かりませんよね。
ところで下の方のバブル経済とデフレという太平天国人さんの影響でそっちの方も見て回ったのですが、経済的にいいインフレと悪いインフレがあり悪いインフレの時に国が破綻しかけ、戦争につながっていますよね。
昨年から物価が上がってきてインフレになり始めてますが、それは後者のインフレの中のスタグフレーションと言われる類だと思います。
エネルギーや食料が足りなくなっていく中このスタグフレーションが起こり日本は大変な時期に突入するのではないかと推測します。
今まではいくら物価が上がっても供給自体が追いついていたのでインフレデフレでも良かったのですが、これからはエネルギーも食料も供給は間に合いそうもありません。
中国・ロシアをうまくなだめながら食料と原油・レアメタルなどを確保していかないと本当に危険なことになるかもしれません。
戦後のインフレが解消されたというドッジの時の泥棒の話が印象的だったのですが、逆になる可能性もあるのではないかと真剣に考えるようになりました。
[RES]
miraikoro 2008年02月24日 (日) 23時03分 No.154

icon 自給率
やっちさん、書き込みありがとうございます。
今日の北海道は大荒れの天気だったとTVで報道されています。今ニュースで北海道大学が試験を延期すると言っています。やっちさんの所は、被害はなかったでしょうか?

菜種のこと、「菜の花について考える」」を読んでいただいてありがとうございます。
日本の農業自給率は、カロリーベースで30%台になっていますが、菜種はもはや論外です。
ところで、あのページを作った時、生産量が多いのは青森県と鹿児島県と言うことを知り、「日本の北と南か?気候的な適性はどうなんだろう?」と考えてしまいました。
十勝は、気候的に菜種に適するのでしょうか。それとも、特定の菜種油加工業者さんとのつながりでしょうか?

現在の経済の状況は、1970年代後半のオイルショック後のスタグフレーションと同じ状況です。
ただし、あの時は石油の品不足による高騰でしたが、今回は、国勢的なマネーゲームによる石油高騰の結果です。
いずれにしても、ご指摘の通り、資源小国日本は、これから以降ますます中国やロシアなどの資源大国に翻弄されていくことになるでしょう。
大変な時代になったものです。

一面、菜の花畑というのは、さぞきれいでしょうね。
今後ともよろしくお願いします。
やっち 2008年02月25日 (月) 19時42分 No.155 home

icon
雪自体は少ないものの吹きだまりがすごくて、うちのかみさんが一回車を埋めてしまいました。市街地で埋まったのと運良く除雪車がきたのですぐ出してくれました。
こっちでは大型のトラクターが当たり前なので4〜50cm雪ならへっちゃらです。

現在は市町村別では北海道の滝川市というところが、青森を抜いて一位という話を聞いています。(たしか200ha)
十勝では清水町が少し作っていたのですが、このたび更別村と大樹町の会社が出資した道内初の搾油工場が豊頃町にできまして、現在はそこに販売することになっています。
その会社は搾油後の販売した油の廃油を回収しBDFという燃料にリサイクルする循環型産業を目指す会社となっています。

菜種は雪の下で越冬できる作物なので、秋に播いて夏に収穫する予定です。
収穫量に関してはいまだ未知なところが多いのでこれからだと思いますが、これからのための投資だと思ってがんばります。

確かに今の石油関連に関してはマネーゲームとなってバブル気味になっている感じになっていますが、食料物価もあがっていることから日本はオイルショック以上にひどいことになるかもしれないと思います。
オイルの枯渇もありますが、米国の水源枯渇、燐酸質化学肥料の枯渇事情を考えると現在の世界とりわけ日本のエネルギー依存度はすさまじく高く、それに依存しない社会を作らなくてはいけないと考えていますがどうでしょうか?
miraikoro 2008年02月26日 (火) 00時42分 No.156

icon 循環型
 そうですか、「4〜50cm雪ならへっちゃらです」か。すごいすごい。
 私が住んでいる濃尾平野北部では、日曜日の積雪は5cm程度でした。わが地方は一応20−30cm程度までは覚悟していて、冬はしっかりスタッドレスタイヤをはいています。ちょっとの雪で大騒ぎする東京都民とは少々違うつもりですが、北海道の雪には驚きです。(^_^)

 滋賀県に取材に行って、一番感心したのは、菜種による循環型社会です。温暖化防止の努力もそうですが、少しでもエネルギー依存度を低くするような市民生活を目指さないと、自分たちの孫の時代は、暗いものになっていまいます。

 雪の下で、菜種がすくすく育っていることを期待します。春に一面の菜の花畑になったら、写真を送っていただけますか?楽しみにしています。

 


10万カウントおめでとうございます
ごくらくトンボ 2008年02月17日 (日) 23時57分 No.151

icon お久しぶりです。特攻隊のことで昨年夏に書き込んだ者です。
 最近は毎週1回はアクセスしています。見始めて4年ぐらいになる(と思う)ので、200カウントぐらいは貢献(?)していることになります。
 わたしも新垂井駅に思い出があります。初めて通ったのは中3の時、1986年の正月でした。青春18きっぷを使って関西に行った時のことです。当時住んでいた東京から大垣行き夜行(まだ急行型の狭いボックス席の車両でした)に乗って、大垣から乗り継いだ関西方面行き普通列車が、ちょうど新垂井経由だったのです。田舎(失礼!)なのにずいぶんホームが長いなと思ったものです。それからまもなく新垂井駅が廃止になってしまい、少しがっかりしました。その後京都の大学に入学してから何度も岐阜を通りましたが、岐阜駅といい、穂積駅といい、本当に変わりましたね。穂積駅が高架になった事情を早く知りたいです。
 ところで、今日のNHKのつながるTV@ヒューマンを見ていたら、モレラ岐阜の名物警備員さんが今ネットで話題になっているといって取り上げられていました。確かモレラ岐阜はこのページでもちらっと名前だけ見たことがあったので、あれっと思いました。先生はその警備員さんを直接ご覧になったことはありますか?
[RES]
miraikoro 2008年02月19日 (火) 01時06分 No.152

icon 知ってます
ごくらくトンボさん、おひさしぶりです。
ご贔屓ありがとうございます。
新垂井駅は、いろいろみなさんの思い出があることがわかりました。大収穫です。
穂積駅の高架は、来週書く予定です。乞うご期待。

さてさて、モレラです。
わたしもNHKのつながるTV@ヒューマン見ました。
3男がファンなので、毎週見ていますが、昨日モレラのことを放映するとは知らずに見ました。

知っています、あのおじさん。
面白い振りの交通整理です。ただし、毎回じっくり観察していたわけではありませんので、今回のTVでしっかり見て改めて驚きました、すごいもんです。
ファンのサイトもあるとは!!! 
早速週末にもう一度見に行きます。


力作ですね「垂井線の謎」
匿名希望 2008年02月13日 (水) 22時32分 No.149

icon  はじめまして。
 偶然このHPに行き当たり、懐かしさから、じっくり読ませていただきました。
 実は私、高校時代に関ヶ原から大垣まで電車通学しており、帰りには時々「新垂井駅」経由で帰ったものです。夏場など、ちなみに当時は駅付近に、確か病院があり、写真ほど寂れていなかったような気がします。
 ご紹介されているとおり、非常に長大なホームを持つ駅でありました。そのためか、あるとき、「新垂井駅」に停車中に、電車の最後尾から先頭まで、ホームを走っていけるか?という無謀な挑戦を敢行した同級生がおりました。
 結果は、想像通り、間に合わず(当時は今と違って大垣以西も電車の編成が長かったのもありますが・・・)彼はひとり、ホームに取り残されたのでありました。
 当然、当時から、「新垂井駅」経由の電車の数は少なく、次の電車は数時間後、ということで、彼は、「垂井駅」まで歩いていき、帰宅したのでありましたとさ。
 私が高校在学中に、「新垂井駅」が廃止されることとなり、友人と最終電車を利用したこともあります。
 長文失礼しました。
 今後の内容に期待しております。
[RES]
miraikoro 2008年02月13日 (水) 23時47分 No.150

icon JR中山道線
匿名希望さん、書き込みありがとうございます。
新垂井駅の思い出、ホームを走ろうとした学友のお気持ちはよく分かります。
あんな所に、あんなだだっ広いものがあったら、わっーと走って夕陽に向かって「バカヤロ−」したくなります。(^_^)

実は私が新垂井駅を知ったのは、自分の高校同級生に、朝は垂井駅まで送ってもらって岐阜へ、帰りは新垂井で降りて歩いて帰るという人物がいたからです。なかなか面白い通学をしていると印象に残りました。それ以来の懐かしい思いが、「垂井線の謎」の心情的背景にあります。

そうそう、今でも、踏切のそばに医院があります。何科のお医者さんだったかちょっと忘れました。

来週以降も東海道線シリーズを続けますので、今後ともご贔屓に。
よろしくお願いしま〜す。


やっぱり「ハワイ・マレー沖海戦」なのです。
愛煙家 2008年01月23日 (水) 21時09分 No.147

icon まあ、「布哇」は現代人には読めませんから、しょうがないですね。

上に対する反論?です。この映画は昭和17年12月に公開されました。敵性語に対する締め付けが本格化したのは昭和18年1月からであり、映画公開時には地名には寛容だったようです。
開戦のラジオ(ラヂオ?)放送などでも「・・・米英軍と戦闘状態に入れり・・・」と喧伝されていますが、正しくは「アメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり・・・」ですよね。このような誤解は随分多いのが事実ですが。
歳のせいか反応が遅くて済みません。(シナプス活動の衰えなのかも)
[RES]
miraikoro 2008年01月23日 (水) 23時59分 No.148

icon 地名の漢字表記
愛煙家さん、今年もよろしく。
「ハワイ・マレー沖海戦」の映画の題名がどういう経緯で決定されたか分かりませんが、地名を漢字表記することは、明治時代から普通に行われていましたから、戦時期の適性語の扱いとは関係ないようです。
明治や大正時代の新聞にも、ニューヨーク=紐育、サンフランシスコ=桑港と書かれています。
これは多分、長いカタカナを省略する意味が強いと思います。勝手な想像です。


感謝いたします。
安藤昌二 2007年11月13日 (火) 01時41分 No.145 mail

icon 初めまして。東北の仙台で小学校教師をしている安藤昌二(あんどうしょうじ)と申します。先生のHPをこの度,偶然見つけ,授業実践や教材研究の内容を拝読させて頂きました。先生の体を張った取り組みに触れて,私も久しぶりに熱い気持ちが湧いてきました。小学校の社会科学習にも使えそうなネタがてんこ盛りで感激しています。是非参考にさせて頂きたいと思います。

ところで,先生は「東郷ビール」の話をご存じですか?歴史に関する嘘が事実のように伝わる現代の実例として興味深いと思います。すでにご存じかもしれませんが,この件について詳しいHPをご紹介させて頂きます。  http://www.d7.dion.ne.jp/~jussih/amiraali/epavarma.htm


それでは,ますますのご活躍をお祈りしております。今後もときどき覗かせてください。
[RES]
miraikoro 2007年11月13日 (火) 23時44分 No.146

icon 東郷ビール
安藤先生、はじめまして、書き込みありがとうございます。また、メールもありがとうございました。
昨日いただいたメールを拝見したんですが、こちらの送信サーバーの調子が悪く、開封確認メッセージさえも送れませんでした。失礼しました。

東郷ビールについては、まだ詳しくは書いてはいませんが、以前、私も通説を信じて少し触れたところ、フィンランド在住の日本人の方からご指摘を受けて、驚いた覚えがあります。
5年前靖国神社遊就館に行ったときは、旧説のままで飾ってありました。今はどうでしょうかね。
われわれも、事実だと信じて教えながら、実は錯覚だったというのが、他にもあるかもしれませんね。

面白いお話があったら、御指南ください。

今後ともよろしくお願いします。


おひさしぶりです
八草きよぴ 2007年11月04日 (日) 23時49分 No.143 home

icon お久しぶりです。揖斐線物語の時にお世話になったきよぴという者です。
生麦事件についての記事。興味深く拝見させていただきました。私は以前は横浜に通っていて、ランドマークタワー内の事務所で働いていたこともあったものです。
生麦事件関連の碑などは恥ずかしながらまだ訪れたことがないので、今度行きたいものです。

横浜駅の変遷の記事も興味深いです。なんでも2代目横浜駅舎はレンガ造りの壮麗?な駅舎だったとか。
近年になって旧東横線高島町駅横から当時の遺構の一部が発掘されて話題になったそうです。

ところで、リンクについてですが、先日独自ドメインを取得しまして、アドレスが変わることになりました。
新しいアドレスは
http://kiyop.com
になりました。
お手数ですがリンク集の変更をよろしくお願いします。

それでは失礼します。
[RES]
miraikoro 2007年11月05日 (月) 21時53分 No.144

icon 祝、独自ドメイン
きよぴさん、お久し振りです。
そうですか、横浜ランドタワー内にご勤務でしたか。
私のような地方人から見ると、都会の高いビルにいると言うだけで、何かしら憧れてしまいます。

わが岐阜市にも、先月43階だての高層ビルがオープンしました。早速展望台に上ってみましたが、思ったほどは高くないし、海も見えないし、横浜ランドマークタワーのようにはいきません。(--;)

もうすぐ、JR東海道線岐阜県区間の話を書きます。
またみてください。
新しいドメインの獲得、おめでとうございます。リンク先は今すぐに変更します。
ではよろしくお願いします。


ホームステイ
太平天国人 2007年10月24日 (水) 19時36分 No.141 mail

icon うちのサル(息子とも言う)が今年夏休みにニュージーランドへ3週間のホームステイに行ってきました。
メスベンの近郊の町で牧場を経営している方の家におジャマしたようです。学校から30人で2人1組になってホームステイです。
いろいろと楽しいことだらけだったようで満足して帰ってきました。
自然が美しく、町から見える山が素晴らしいと言っていました。
朝食が毎日同じメニューで(土曜日だけ違う)面食らったみたいです。でもサルはシリアル大好き、ミルク大好き、ジャガイモ大好きなので、まったく苦にならなかったようですが、もう一人の相棒は少し苦しかったようです。
ただ変なクセがついてしまい、トーストにジャムを塗って、その上に目玉焼きをのせて塩コショウして食べるのです。
日本の味覚として、サルは「白玉金時蜜かけ」を披露したようです。これは好評だったようですよ。
[RES]
miraikoro 2007年10月24日 (水) 23時56分 No.142

icon NZ
 そうですか、太平天国人さんのご子息もNZですか。
わが家の3息子は、NZのホームステイ先で、それぞれ親子丼・うどん・カルメン焼きの3種類を披露しました。

 うどんが最も手頃で好評だったようです。
 カルメン焼きは、一生懸命練習したのに、向こうの家が、オール電化の台所で、ガスの火を調節しながら作るというわけにはいかず、まったく失敗だったようです。
 なるほど「白玉金時蜜かけ」は、甘くて歓迎されそうです。

 私が出かけた1996年2月のNZは最高でした。
 穏やかな夏、優しい風、豊かな緑。もう一度行ってみたいところです。


探検
サッカー弟子 2007年10月23日 (火) 22時12分 No.139

icon 小学校3年生から社会科はスタートします。町探検ということから始めます。学校のまわり見渡す→歩いてみる→東西南北それぞれに比べながら…
そういえば,師匠の舟木山をながめたり,探検に出かけたり,している行為は,まさに社会科ですね。視点の深さ・追究心はには相当な違いがありますが。
生涯体育ならぬ,生涯社会みたいな。さすがです。
[RES]
miraikoro 2007年10月23日 (火) 22時57分 No.140

icon ふるさとのこと
自分の町、自分のふるさとから、四季折々の変化や人々のぬくもりを感じることができたらいいですね。
 シティ・タワー43には近いうちに上ってみます。いつもと違う岐阜の町が見えるかもしれません。


横浜
サッカー弟子 2007年10月22日 (月) 00時39分 No.136

icon 何という奥が深い話しなのだ!と感心してこのシリーズを読みました。道→集落→商店街…という単純な所しか頭にありませんでしたのでとても新鮮です。あの頃,日本史を選択をしてこんな話が聞けていれば,もっと早く気づけたのに。あの頃から17年です。
[RES]
miraikoro 2007年10月23日 (火) 04時45分 No.138

icon 昔はそうはいかなかった
 サッカー弟子さん、しばらくです。
 生麦、神奈川、横浜シリーズが終わりました。
おかげで、自分にとっては、横浜が随分親近感を持つ都市になりました。

 ところで、あのころは、たとえ教えていても、この話はできませんでした、まだそこまで勉強していませんでしたから。それに授業でサッカーやるのに忙しかったですから・・(^_^)

 社会科教師としてまだまだ解決した謎がいっぱいあり、少しずつ解決できているのは、これは幸せなことだと思っています。
 来週土日は、県の高校の県外巡検で、伊勢神宮と旧東海道は三重県の関宿というところへ行きます。旅、歴史、謎解き、宴会・・・。楽しみな週末です。
 またまた発見があれば、報告します。


「日本人は何処から来たか」を読んで
太平天国人 2007年10月21日 (日) 22時25分 No.135 mail

icon 松本秀雄著「日本人は何処から来たか」を読みました。難しい本であまり理解できませんでしたが、驚くべき事が書いてある本ではないかと思います。この本を読んで、今まで疑問に思っていたことが、一部解けたような気がします。
遺伝子勾配の研究によれば、縄文人と弥生人は同一の種族、すなわち、倭人(ブルクート人)ということになると思います。先住民はアイヌ人になります。アイヌ人は写真を見るといわゆるスラブ人にそっくりです。
最近の遺伝子の研究で朝鮮の米は日本の米から伝播したものであることがわかりました。稲作は南から朝鮮半島を経由しないで来たのです。あるいは朝鮮の米は一度絶滅したかです。稲作は弥生人によってもたらされたものではないということでもあります。また弥生人(縄文人)よりも先住民(アイヌ人)のほうが身長が高いはずです。
縄文人と弥生人は骨格が違い、弥生人は背が高いという説は少しバイアスがかかっていないでしょうか。遺伝子勾配の考え方からいうとあり得ないような気がします。
朝鮮民族は日本民族より後に成立していなければなりません。また両者はあまり混血していないようです。稲作を伝えた人種はごく少数の集団でなければいけません。遺伝子勾配に影響を与えていないからです。
まだまだいろんな推測が成り立つのではないでしょうか。
[RES]
miraikoro 2007年10月23日 (火) 04時36分 No.137

icon 日本人の起源
太平天国人さん、早速推薦した本を読んでいただきありがとうございました。
松本氏は、おもに血清学に基づく遺伝子勾配から、北方起源説を唱えておられます。この視点から見るとそういう結論に至るわけですが、しかし、こればかりが真実かというと決してそうではありません。

他の説明の方が合理的な部分もいくつもあります。
縄文人と弥生人の骨に関しては、これはまた考古学及び自然人類学上の研究の蓄積から、これまで示してきたような、身長の長短を初めとする膨大なデータ=事実があると考えています。こちらは出土する骨=事実です。

 つまり、これらから見ると、太平天国人さんご指摘にもあるように、現段階では研究が進めば進むほど、解決=収束へ向かうのではなく、むしろ、部分的には合理的なものがいくつも現れて、かえって、混沌としている状況だと私は思っています。

私ども素人から見ると、だから面白いという感じがします。35年前自分たちが日本史の教科書で教えられた内容とはずいぶんと中味が濃くなりました。
もっともっと合理性のある、いくつかの視点を統合して説明してくれるような学説が出てくることを期待したいです。





Number Pass
管理人へ連絡
SYSTEM BY ©SEKKAKU-NET