強迫性障害の案内板の掲示板1号
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管理人Ari 2014年07月01日 (火) 22時31分 No.2043
RE:汚染恐怖
おちいちゃんさんへ
OCDの人は、強迫観念に逆らう出来事に会うと、怒りがわくことはよくあります。
OCDにとらわれていると、精神的な余裕が減り、他人から見れば些細なことも許せなくなることもあります。
ちょっとしたことでも、切迫した警戒感を感じてしまうんでしょうね。
そして、怒りのほこ先は、邪魔した他者への場合もありますが、自分自身への場合もあります。
状況にもよりますが、強迫症状への違和感がない人ほど、他人に怒ることが増えます。
強迫症状への違和感が強い人だと、こんなことで強迫行為をしていまい、理性的でなくなる自分に腹立たしいということになります。
怒りというのは、自分が正しいと思っていて、それが邪魔されたり、壊されたときに湧き起こる感情です。
犬だって、自分のやりたいことが妨害されたら、怒りがわきます。
ですので、これだけなら、根底的な心理といえるか、とても疑問です。
>自分はこうだから他人もこうすべき、という「べき論」が強すぎると強迫に結びつくということはあるものでしょうか。
これはある意味、そうです。
一般に強迫性障害のような不安系の病気になる人は「かくあるべし」という観念的な理想にとらわれ、現実とのギャップが大きいために、不自由な病気なるという考え方はあります。
例えば、
「人前では、落ち着いて話さなければならない」、
「はずかしい自分を見せてはならない」
などの考えです。
ただ、犬の糞の始末のレベルだと、この概念に当てはまるかどうか・・・自分の強迫症状を正当化したい心理との区別が難しいです。
いずれにせよ、観念的な考えよりも、現実を踏まえ、それに即して生活した方が、精神的には安定しやすいです。
おちいちゃん 2014年07月05日 (土) 23時36分 No.2044
管理人様、ご返信有難うございます。
やはりそうですか。自分に腹立たしいというのもよくわかります。
フンは一例ですが、観念的な理想という意味では、それはいわば社会の秩序を乱すという公憤に近いものなのではないかと思います。
しかしこういうレベルの些細なことにこそ拘って苦しくなるのが強迫なのかも知れません。
> 精神的な余裕が減り、他人から見れば些細なことも許せなくなる
まさしくその精神的な余裕なのだと思います。
考えるに、強迫は何か夢中になることや、そんな強迫行為をしていられない優先順位の高い何か、が見つけられずにもてあまし、その代償として些細なことに拘ってしまう状況なのではないかと感じています。
そして、その興味のあるものを見つけ出せない、生活に興味が持てないというのは鬱に近いのではないかとも感じています。そういう鬱的な素地があるなかで醸成される症状が強迫かもしれないと思います。
勿論、自分の感覚だけで専門書を読んだこともなければ、他の人の話を聞いたこともなく、それ以前に医師に強迫と診断された訳でもないので的外れかも知れません。
サイトはいろいろと参考になります。有難うございます。